第10話 第10章

 梨乃にとって、蔵人が初恋の相手ではないかと思っていた時期があった。

 確か、女子大生の頃ではなかったか。

 ただ、その思いがかなり薄い意識でしかなかった。なぜなら、梨乃はその時の思いをすぐに自分で打ち消したからだ。

――そんなバカなことあるわけないわ。彼に対しては悪戯心が芽生えてしまい、その気持ちに逆らわずに苛めたことで、自分の中に背徳の思いが残ってしまった。彼に対しての自責の念が、まさか、彼への恋心だったなどという発想を抱いてしまった――

 という思いであったが、それは梨乃にとって理論的に考えたことで導き出された発想だったのだ。そういう意味では、本当に蔵人という男性に対して、正反対のイメージが、梨乃の中で、裏と表に残ってしまった。

 梨乃が、身体と気持ちの上で、

――夢を見ている――

 という発想を、蔵人とベッドを共にしている時に感じてしまったというのは、今度もまた理論的に考えてしまったからだろうか。

 しかも理論的に考えている意識は、「潜在意識」である。

 梨乃は、最初、無理やりにホテルに連れ込まれたのではないかと感じていたが、次第に蔵人の態度を見るうちに、

――私も同意だったのかも知れない――

 堂々とした態度が蔵人の姿勢から見受けられる限り、梨乃は、彼への気持ちが自分の中で前向きだったことを疑ってはいけないと思うようになった。

 初恋の相手ではないかということを思い出してしまったことで、梨乃の頭の中は、子供の頃に戻りかけている。ただ、完全に戻りきってしまわないのは、自分の中で、まだ蔵人に対して、本当に彼が初恋の相手だったのかが疑わしい思いが残っているからだった。

 今の蔵人は、完全に子供の頃の蔵人ではない。もし、初恋のイメージが蔵人の中にあり、ベッドを共にするのが同意の元であったとすれば、梨乃は子供の頃の成長した姿がそのまま蔵人に見えたのかも知れない。

――人は雰囲気が変わったとしても、それは成長する過程で、環境が変わることで、考え方が変わるのは往々にしてあることだわ――

 梨乃は、今までにもそんな人をたくさん見てきたはずだが、ずっと一緒にいた人であればなかなか気付かないものである。それが十数年ぶりにあったのだとすれば、変わっていて当然。変わっていない方が不思議なくらいではないだろうか。

 蔵人が口にした「半分」という言葉が頭の中に残っている。

 半分という言葉は、ある意味都合のいい言葉でもある。どちらとも取れる曖昧な発想をする時に、半分という言葉を使うこともあるからだ。半分という発想が、果たして本当の半分なのか、それとも、四対六であっても、半分くらいと見るかという点でも、意味合いが違ってくる。

 交通事故を目撃した時の夢も、

――確か覚えていたことが半分合っていた――

 と記憶していたはずである。さらに、最近気になっている占いに対しても、

「当たるも八卦当たらぬも八卦」

 というではないか。これもある意味、半分という発想に近いものがある。

 また、梨乃は勝者と敗者の発想を思い浮かべた。

 それは小説を読んでいる時に感じていたもので、ミステリーの謎解きなどの時、梨乃自身が連想してしまうことで、先にラストを見てしまうと、勝者と敗者がハッキリと、その時点で分かってしまう。

 本当であれば、ストーリ―の展開があって、勝者と敗者を見極めていくものだが、先に勝者と敗者を知ってしまってからストーリーを読み込んでいくと、今度は、人間の感情を中心に読んでいる自分に気付く。

 前者は、ストーリー重視、後者では人間感情重視というイメージで小説を読みこんでいくと、自分の読み方が、

――自分で考えていたよりも、深いところでの読み方をしているのだ――

 と思うのだ。

――これこそ、深層心理というものなのかも知れないわ――

 と、感じた。

 これだけの発想は、蔵人と身体を重ねることで生まれたものだった。蔵人と今このような状況になっていることに疑問を抱くよりも、現状を分析することで、いろいろな発想が生まれてきたのだ。

――これって、前向きな発想というわけでもないはずなのに――

 浮かんできた発想が、前向きだとは言えないが、考えることで、今の自分が疑問に感じていたことや、曖昧に感じていたことの答えが得られそうな気がしてきたのだから、不思議である。

 梨乃は、第一世代と第二世代の間が、中学と高校時代の間だと思っていたが、今から思えば、第一世代の間にもう一つ区切りがあったのではないかと思っている。それが蔵人が引っ越して行った時だった。

 自分が蔵人を初恋の相手だと認めたくないという思いから、わざと、その時を分岐だとは思わないようにしようと思っていたのかも知れない。

――ということは、その時から私は、蔵人のことを初恋の相手だと意識していたことになるのかも――

 そう思うと、認めたくないという思いと、ぶつかってしまうように感じた。

 その時も、自分の中に半分の発想があった。だが、結論としては、蔵人を自分の初恋の相手として認めたくないという思いが強かった。そのため第一世代と第二世代の間を、蔵人が引っ越して行った時期としなかったのだ。

 梨乃は、自分の初恋の相手が誰だったか分かっていない。これまでに何人かの男性を好きになり、片想いだったり、付き合ってはみたものの、すぐに別れたりというのが多かった。

 本当の初恋の相手が蔵人であるとするならば、初恋がいつだったかというのが分からなくて当然である。初恋を無意識の中で意識しているとすれば、自覚しているのは、

――認めたくない――

 という思いだけだ。

 火のないところに煙は立たないが、認めたくないという思いも、元々の初恋の相手だという気持ちの強さを分かっているからこそ、生まれてきたものなのだろう。

 梨乃は蔵人の話を思い出していた。彼の話は、まるで夢の中の梨乃を、表から見ているようだ。

――そういえば、夢を見ている時、どこからか見られているような意識があった気がする――

 とは思ってみたものの、見ている場所は自分と同じ高さから見られているわけではなかった。

 普段意識している空を、まったく意識しない時がある。梨乃は自分が夢を見ているのだと感じることがあったが、その時、潜在意識が夢を見せているという思いを感じることが何度かあった。

 夢というのは、いつ見たのか分からないという意識がある。

 子供の頃に見た夢なのか、ついこの間見た夢なのか、意識として曖昧なことが多い。

 子供の頃に見た夢だと思っても、実際は最近見た夢だと思うのは、夢の中で、自分とまわりの環境との時代が明らかに違っている夢を見た時に感じることだった。

 学校の夢を見ていて、同級生の皆は卒業して、大学生になっている。自分だけが制服を着て、まだ高校生であった。

 学校に、卒業したはずの同級生が現れて、

「一緒に大学に行こう」

 と誘いに来る。

「えっ、私まだ卒業してないはずじゃなかったのかしら?」

 と思っていると、さっきまで着ていたはずの制服が私服に変わっていた。

――そうだわ、私は卒業したんだわ――

 そう思うと、気が付けば空を眺めていた。すると、さっきまで空だと思っていたものは、実は精巧にできたドーム状の天井だったのだ。

 その向こうが割れて、誰かがこちらを覗いている。それが自分だと気付くと、縦長の部屋を想像できた。

 まさしく、夢と妄想の世界である。縦長の世界を見ている自分を想像するのは、今までに何度もあった。そして、それを感じると、

――最近見た夢ではないか――

 という意識を感じるのだった。

 梨乃は、小学生の頃に、初恋だと感じたくなかった相手と再会し、今度こそ、十年来の初恋を感じたのだとすれば、どうして、中学時代のクラスメイトを車に乗せたのが蔵人だということを、わざわざ夢で見せたのであろうか?

――本当はあの時、車に乗せられるはずだったのは、この私だったのではないだろうか?

 と、梨乃は考えた。

 そして、その声を掛ける役目が、本当は蔵人ではなかったのかと思うと、今の状況は、高校時代に起きていたことだったのかも知れない。

――あの時が早すぎたのか、今が、遅いのか。どっちなのか、梨乃には分からない。ただ過去に遡って考えると、あの時が早すぎたということはない気がする――

 交通事故を目撃したその場所と、クラスメイトが車に連れ込まれる場面が同じ場所であったというのは、意識の中にあるだけのことだった。クラスメイトが車に連れ込まれる時がいつだったのかは、ハッキリと高校時代だと言えるのだが、事故を目撃した時期がそれより前なのか後なのか、今では記憶が曖昧である。

 どちらの記憶が鮮烈だったかというと、やはり交通事故の記憶の方が鮮烈であったはずだ。しかし、記憶の中に鮮明に残っているのは、クラスメイトが車に連れ込まれるところであった。

――まるで自分がされているかのような意識だったわ――

 と、感じたからであろう。

 梨乃は、今から思うと、あの時の記憶が本当に違うシチュエーションでの記憶だったのかということを疑問に感じていた。

 一つは、遮断機の下りる時の警報機の音が、あまりにも近くで聞こえたからだ。

 確か、クラスメイトが連れ込まれる時も、警報機の音が鳴っていたような気がする。それ以上に、赤い点滅の眩しさが、交通事故の激しさを今でも頭に浮かべるのだ。

 そう思うと、事故は自分の間近で、しかも、踏切の近くで起きていた。そして、梨乃はその事故を目の前で目撃したような気がしていたが、実際には見ていない。自分の後ろ側から聞こえてきたのだが、自分には交通事故どころではなかったのだった。

「助けて」

 と声を出したつもりだったが、誰にも聞こえるはずもない。

 遠くの方で誰かがこっちを見ているが、あれは、クラスメイトの梨乃だわ。

――えっ、梨乃?

 それは自分ではないか。自分が連れ去られようとしているのを、もう一人の自分が見ている。梨乃が、もう一人の自分を意識するようになったのは、この時が初めてだったのではなかったか。

 助けを呼んでも誰も来てはくれない。

 諦めの境地に至ったのは、こちらを見ているのがもう一人の自分であり、もう一人の自分は、まさか自分が連れ去られようとしているなど、知る由もないだろう。

 見えているのかいないのか、こちらをきょとんとした表情で見ている。まさか違う人に見えているなどということはないだろうか。もしそうであるならば、自分からも見捨てられたことになる。

――このまま、私はどうなってしまうのかしら?

 車を運転している人に、見覚えがある。

 確か、子供の頃の記憶に似たような男の子がいたような気がしてきた。

 その子は、子供の頃に引っ越していった。運転している男の子は同い年のはずなのに、車の運転をしているなんて、

――無免許かしら?

 と思ったが、急に自分が、女子大生であるかのような気分になった。

 まわりは皆大人になっているのに、自分だけがまだ、高校生……。

 そんな夢をよく見るのを思い出した。

――ということは夢なのだろうか?

 夢というのは、自分に都合よく見ることができるものだ。都合よく見ているつもりでも、気が付けばすべてが潜在意識の成せる業であることも少なくなかった。今回のことも夢だとすれば、潜在意識の中でのことではあるが、目が覚めて、果たして理解できる内容なのかというと、すべてを理解できるような気はしてこなかった。

 梨乃は完全に、この連れ込みを夢だと思っている。

 ただ、こちらを見ている自分は、夢の中のただの登場人物だと思っていたが、実際には夢を見ているのは、向こうの方で、自分はその中の登場人物かも知れないという意識はなかったのだ。

 だから、登場人物の目線で見ることができず、さらに登場人物をもう一人の自分として意識できなかった。

 本来なら、夢の中での主人公が、もう一人の自分のはずなのだが、そこまで意識がまわっていないのは、クラスメイトの女の子に対して、そういう妄想を抱くような偏見と、恨みのようなものがあったからだ。

 彼女は、かなり高飛車で、しかも梨乃を目の敵にしているところがあった。機会があれば、

――怒りをぶつけることができればいいのに――

 と思うことがあった。ぶつける怒りは夢でしかないのは分かっているので、夢に出てきた女の子をクラスメイトの女の子だという意識で結びつけてしまったのは、無理もないことだ。

 それだけ電光石火のような発想だったのだろう。それはどうしても、そこにいる女の子が自分なのだということを思わせたくないと無意識に感じたことでもあった。

 連れ去られてからの意識は、すでになかった。どこで何をされたのか、そこまで想像はできない。やはり、そこに存在したのは、夢を見ていた自分だけではないのだろうか。

――連れ去られた人なんて誰もいない――

 それは、自分の目を疑うことになるので認めたくないことなのだ。

 梨乃の怒りは、一瞬だった。

 それはまるで夢を見ている時間を思わせる。

「夢というのは、目が覚める寸前の数秒だけのものらしい」

 という話を聞いたことがあった。聞いたというよりも、ひょっとすると、本の中のセリフだったのかも知れない。その時の梨乃は、自分の意識が本の中の出来事なのか、実際の世界でも出来事なのか、曖昧な感じを受けていることがあった。夢に対しての意識を過剰に持っていたからなのかも知れない。

 夢に対しての過剰な意識は、

――恐怖観念――

 というものが作り出しているものなのかも知れない。

 恐怖を感じるから、夢として片づけたいという思いと、夢として片づけることで、恐怖を感じたこと自体をなかったことにしたいという気持ちがあるからではないかと、梨乃は考えていた。

 梨乃の夢にはパターンがある。いくつかの夢の中には、その一つのパターンに凝縮されることがあるのだ。

 そのパターンとは、まず夢を見ている自分が必ず夢の外にいるということだ。

 ただ、これは梨乃だけのことではないかも知れない。

 誰かと夢について語り合った時もあったが、この話をすることはなかった。

――ひょっとして、自分だけではなく、相手もそれが当たり前のことだと思っていたのかも知れない――

 と、梨乃は思った。

 表から見ているのは間違いなく、

――夢を見ている自分――

 ではあるが、主人公ではなく、あくまでも傍観者なのだ。

 なぜ、そう思うかというと、夢から覚めて現実に戻るまでに時間が掛かるからである。目が覚めるまでに、夢の中には忘れてしまわなければいけないものもある。意識がハッキリしてから、

――今日は、夢を見ていなかったんだわ――

 と、思った時でも、本当は夢を見ていたかも知れないと、梨乃は思うのだ。どうして忘れてしまわなければいけない夢なのかは分からない。その時の事情にもよるのだろう。そして、どうして夢を見ていないと思った時も、本当は夢を見ていたのかという思いに駆られたかというと、それはデジャブという現象を考えるからだった。

 デジャブというのは、初めて見るところであるにも関わらず、以前にも見たことのある場所だったり、現象だったりすることをいう。違う解釈もあるだろうが、それを、

――以前に、見たことがある夢で、忘れてしまっていただけではないか――

 と思えば、それも説明がつくのではないかと、梨乃は思うのだった。

 梨乃の夢のパターンの続きであるが、問題は主人公である。

 主人公は、基本的に自分だと思っている。

――自分の夢なのだから、自分が主人公で当たり前――

 という考え方であるが、逆に見れば、目が覚めた時に感じる夢への感覚に、傍観者である自分を意識することはない。それは、主人公としての自分がまわりを見ているという意識しかないからだ。

 それはやはり主人公が自分でないと成り立たないことで、それが、潜在意識の成せる業だという夢の定義のようなものとして、梨乃は理解していたのだ。

 ただ、主人公がたまに自分ではないことがあるような気がしていた。

――そんな時、夢を忘れようとするのかも知れないわ――

 と、夢を忘れる一つのパターンとして、主人公が自分ではない時を思い浮かべるのであった。

 だが、主人公が自分ではない時、必ず夢を忘れているというわけでもない。

 自分だと思っていた主人公が全然違う人で、その驚きのまま目が覚めた時などは、

――怖い夢を見た――

 と思い、目を覚ますのだ。

 いくら全然違う人だと言っても、その人がまったく知らない人だと言うわけではない。夢を覚えていない時であれば、知らない人のこともあるかも知れないと思うが、怖い夢として位置付けているその夢は、自分にとって近しい人であることに間違いなかった。

――ライバルであったり、親友であったり、尊敬する人の時も確かあったわね――

 と、思い起したりしてみた。

 要するに、その時の自分に、深く関わりのある人なのだ。

 そう思うと、その夢をいつ見たのかということを後から思い出そうと思えば思い出すこともできるだろう。夢の中の主人公を覚えているからである。だが、梨乃はそこまで夢を意識しようとは思わない。梨乃にとっては怖い夢なのだから、本当は覚えていたくない夢だと思う。それをどうして記憶にとどめさせようとするのか分からないが、そのことが、梨乃に何か近い将来、影響を与えようというのだろうか?

 夢について考えていると、恐怖観念も少しは和らぐような気がしていた。そういう意味では、時々でも夢について考えておくのは、悪いことではないと思う。しかし、過剰なまでに意識してしまっては、現実と夢の狭間から抜けられなくなってしまいそうになることを梨乃は恐れてもいたのだ。

 梨乃の中に、

――半分――

 という感覚がある。

 半分夢で、半分現実。そんな感覚が、梨乃を夢の中に誘うことになるのだろう。夢をいろいろ考えていることは、恐怖観念からの脱出のような気持ちと、自分の中にある潜在意識を考えるという意味で梨乃にとって、大切なことだと思っている。

 梨乃は、夢の中で、

――何か大切なことを忘れているような気がする――

 と感じることがあった。

 それは夢から覚めて、夢の中の大切なことを忘れているという感覚ではない。逆に夢を見ていて、

――忘れていた何か大切なことを、夢で見ているような気がする――

 と思うのだ。

 夢が忘れていたことを思い出すヒントを与えてくれていると思う方が、一番辻褄が合っているような気がするのだ。

 それは、夢から覚める時に、

――忘れてはいけない――

 と感じることとは違う。

 その時は夢に見たことをその時に大切だと意識したからだ。

 しかし、思い出そうとする夢は、夢に見た時には、それほど大切だとは思っていなかったことを、後になって思い出そうという意識が生まれる。その時に、

――一度思い出したら、もう二度と忘れたくない――

 と思う夢なのだろう。

 どうして、後になって思うのかというと、その夢が「予知夢」ではないかと思うからだった。

 その時はもちろん、「予知夢」などどは思わない。しかし、後になって、

――忘れたくない――

 と意識に捉われるということは、その夢が大切なことを予見していたと考えるのが一番自然である。

 なるほど、それほどたくさんあるわけではないが、他の人にも同じような感覚があるのかどうか聞いてみたいと思ったこともあった。

――でも、どう説明すればいいのだろう?

 梨乃のまわりで、夢について話をすることがある人はいるが、ここまで込み入った話のできる人はいない。

――夢というものが、これほどいろいろ自分に教えてくれるものがあるなんて、思ってもみなかったわ――

 と、梨乃は感じていた。

――交通事故を見た踏切で、クラスメイトが連れ去られる場面とがシンクロしたのも、忘れたくないという夢が影響しているのかも知れないわ――

 それは、夢に見たことを、現実に見たものとして頭の中に封印してしまったために、現実と夢の狭間において、中途半端に残ってしまったことで、自分とクラスメイトを錯綜させてしまう結果になったのかも知れない。

――でも、どうして踏切なのだろう?

 交通事故を見た記憶が鮮明に残っているのは、踏切というよりも、占い師のいた場所だった。踏切を思い出すために、交通事故という頭の中にインパクトの強く残っているアクシデントが、踏切を思い出させるに至ったのだ。

 踏切に対して、確かに梨乃は子供の頃から、不思議な感覚を持っている。

 遮断機についている赤い点滅。信号のように、赤だけではなく、青や黄色があれば、少しは違うのだろうが、赤い点滅というと、やはりパトランプを想像してしまう。

 救急車のパトランプとサイレンの音は強烈な印象を与えている。交通事故の時に、嫌というほど印象に残ったからであろう。

 だが、遮断機の警笛の音は、普通であれば、恐怖を感じないはずだ。それなのに、梨乃の中に、遮断機の赤い点滅と、警笛の音は、明らかに特別な恐怖を与えている。

――やはり、踏切には何か忘れてしまいそうになっていて、どこかに引っかかっている記憶があるんだわ――

 と感じたのだ。

 梨乃は、自分を躁鬱症だとは思っていないが、たまに、どうしても鬱状態と思しき時を迎える時があると思っている。躁鬱症というのは、躁状態と鬱状態を交互に繰り返している人のことをいうのだろうと思っているので、

――私は、躁鬱症ではない――

 と思うのだった。

 鬱状態に陥った時に感じたのは、昼と夜とでは、見え方が違っているのではないかと思った時であった。昼間はまるで埃が舞っているかのように全体的に黄色く見える。しかし、夜になると一転して、目の前が綺麗に晴れているのだ。

 信号機の色も、昼間見ると、青が緑に見え、赤がまるでオレンジ色に近く見える。しかし、夜になると、赤は真っ赤で、青は藍色に近いほどクッキリとした色に変わっているのだ。

――まるで昼と夜とで視力が違うようだわ――

 むろん、昼よりも夜の方が視力がいいような気がするだけなのだ。だが、それも考えようで、実際には、夜の視力はかなり落ちているのが普通であるので、鬱状態には、夜も昼並みに見えているという冷静な結論が生まれるだけではあるのだが、それでも、意識として強烈な印象を与えるのが、ある意味鬱状態の正体なのではないかと思わせるのだった。

 音についてもそうである。踏切の遮断機の音も、鬱状態の時には完全に籠って聞こえる。まるで、耳に何か詰まっているのではないかと思うほどであるが、その思いを梨乃は、時々感じていた。

――音に関してだけは、鬱状態だけではないような気がするわ――

 ただ、籠って聞こえるようになると、不安が梨乃の中に湧いてくることが多かった。言い知れぬ不安を感じていると、気が付けば、

――鬱状態を恐れている――

 と、感じるのだった。

 音と光という感覚が、梨乃の中で特別になったのは最近になってからのことである。

――特別になったからこそ、占い師の存在を意識してしまったのかしら?

 と思うと、もう一つ疑問も感じてきた。

――本当に占い師なんていたのかしら?

 それこそ、夢だったのではないだろうか?

 その証拠に翌日占い師がいたはずの場所に行った時、占い師はいなかったではないか。確かに、同じ場所に次の日もいるという保証はないが、梨乃は最初からそこに誰もいないのではないかという危惧を抱いていたように思えた。ただ、それは今から思えば感じることであって、実際にその時に感じたのかどうか、自分でも分からない。

 そう言えば、占い師の顔をハッキリと覚えていない。相手を占い師だという先入観で見ていたのも事実で、

――この人のいうことは、すべて真実なんだ――

 という、あまりにも唐突な考えでもあった。

 梨乃は、子供の頃から、相手の職業や立場で、

――この人のいうことなら、間違いない――

 と、思うことが多かった。一種の思い込みなのだろうが、危険な発想であるということを、その時は気付いていなかったのだ。

 もし、占い師に出会ったことが夢であったとするならば、それは正夢なのか、潜在意識が見せたものなのか、考えてみた。何もないところから、占い師などという突飛な発想が生まれるはずもなく、占い師を創造する何かが、その時の梨乃には芽生えていたのかも知れない。その日の前後のことを、梨乃は思い出してみようと思ったのだった。

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