半分夢幻の副作用

森本 晃次

第1話 第1章

 梨乃は、今年二十五歳になるが、本人はまだ二十歳くらいの心境の女の子で、メルヘンっぽい話が好きな普通の女の子であった。

 ただ、それだけなら普通の女の子なのだが、悪趣味なところもある。特に小説を読むのが好きなのはいいのだが、いつもラストから読むくせがついてしまっていた。

 最初の少しを読んでから、ラストに行ってしまうのは、小説を読み始めたきっかけがミステリーだったことから由来する。

 しかも、そのほとんどが二時間ドラマなどでテレビ化されたものを読むので、結果として、ストーリーを知っていて読むことになる。しかし、テレビ化した内容は、脚本家の性格からか、若干内容に違いがあったりして、小説を頭から読み込んでいく気にはなれなかった。まず、最初にラストを見ることから始めて、途中をどのように変えていくかということに目を向けてみると、結構小説を違った視点から見ることができて、楽しいと思うようになっていた。

 それがくせになってしまったことで、他の小説を読む時も、ラストを見ないでは気が済まなくなっていた。元々が気の短い方で、最初に結論を知ってしまいたいという性格でもあったことで、梨乃は他の人と小説の読み方が違っていることを分かっていたが、

――人それぞれに合った読み方をすればいいんだ――

 と、考えるようになっていた。

 小説を読むようになったのが、中学生の頃からだった。最初に読み始める小説がミステリーというのは、女の子としては珍しいのかも知れないが、それも父親がミステリーが好きだったことから影響している。

 普段の平日は仕事が忙しく、なかなか早く帰ってこれない父だったが、土曜日の夜の二時間サスペンスドラマは、毎週楽しみにしていた。

 その日は夕食の時間を家族で過ごし、お風呂にゆっくり入ってから、父はリビングのテレビをいつものようにサスペンス劇場に変える。それは当たり前のごとくであり、家族全員の一致した時間の過ごし方だった。

 中学生の梨乃は、父の隣に座り、一緒に見ている。高校生の兄は、一緒に見る日もあれば、部活で遅い日には見ることができない。それでも家にいる時は、家族四人が揃ってテレビを見る唯一の時間だった。

 母も、それまでに家事の大方を済ませて、テレビの時間に備えている。土曜の夜は、梨乃の家では一大イベントの始まりであった。

 テーマソングが流れると、最初に固唾を飲むのはやはり父だった。父が緊張したのに連鎖するように、まず梨乃が緊張し、その次に母親、そして最後に兄というのが、恒例であった。

 テーマソングは中学生の梨乃にはセンセーショナルな感じがあった。毎回同じものを見ているはずなのに、何度見ても飽きない。それは家族の皆も固唾を飲むことで、同じ感覚になっているに違いない。

 梨乃は、初めて見るストーリーに次第に釘付けになっていく。最初の方は淡々と見ているだけで、決して楽しいとも、興奮を感じることもない。どちらかというと、

――早く展開が変わらないかな?

 と、先の展開に希望を持つのが正直な気持ちだった。

 ドラマはほとんどがシリーズものであるため、一人ないし二人の主人公が、中心に展開していくのだ。ただ、プロローグのところで、物語の核心を見せるようなところが一分弱ほど流れるが、それが頭に残ってしまっている時は、ストーリーに素直に入って行けないことがあり、梨乃はそんな時、父の表情が気になってしまう。ほとんど表情を変えることもなくゆったりとした表情でテレビを見ている父の姿を見ている方が、梨乃には安心できる時があるくらいだった。

 それでも、次第にストーリーが展開していく中で、最初のシーンがシンクロされると、梨乃もテレビに集中してしまう。

 ここまで来ると、ストーリーに嵌ってしまって、最初の頃の焦れったさを忘れてしまったかのようにテレビから目が離せなくなってくる。いよいよクライマックスが近づいてきた。

 梨乃の中でも、謎解きと犯人探しが始まっていた。最初の頃はほとんど当たらなかったが、途中からは分かるようになってきた。

――パターンが大体分かってきたんだわ――

 数種類のパターンがあり、ストーリー展開をそのパターンに当てはめていけば、大体が分かってくるようになる。サスペンス劇場を見る人は、パターンが分かっていても、別に気にすることはない。最初から謎解きをすべてにテレビを見ている人には物足りないかも知れないが、ストーリーとして見ている分には、さほど退屈はしない。特に梨乃の家庭のように、茶の間の時間として見ている人にとっては、変にストーリーが歪な方が違和感があるに違いない。テレビを製作する方としても、そちらの方を重視しているに違いない。

 梨乃は、テレビに集中している時の父親の顔を見るのが好きだった。普段はあまり顔を合わせることのない父の顔は、普段のイメージしている表情としては、いつも眉間に皺を寄せ、難しい顔をしているのだとばかり思っていたのだが、テレビを見ている父は、純粋にサスペンスドラマを楽しんでいる。時々難しい顔になるが、それは謎解きをしている顔であって、それも楽しんでいる顔の一つである。微笑ましく思えるほどで、思わずおかしくて笑ってしまいそうになるくらいだった。

 兄や、母の顔はあまり見ようとは思わない。普段から見ている顔なので見ても同じではないかと思うからであるが、普段から見ている人の顔を、改めて見つめてしまい、目が合ってしまった時のバツの悪さは、あまり想像したくないものだった。

 サスペンスドラマの二時間というのは、最初の一時間と、後の一時間ではかなり違っている。前半は淡々と流れているくせに、焦れったさを感じ、後半は時間があっという間だったような気がするのに、思い返してみて感じるのは、後半の一時間の方ばかりだった。

 いつも見ていて、そのことを感じていた。考えているうちに、その考えが当たり前のように感じられるようになり、気が付けば、自分の考えの根幹が、似たようなものではないかと思うようになっていた。

 別にいつも同じ考えというわけではないのだが、気が付けば、同じような考え方をしている。その考えを最初に感じたのが、家族でテレビを見ている時の二時間という時間の考え方の配分だったのだ。

 見終わってから、誰もテレビの内容について話そうとする人はいない。見終わった瞬間から、それぞれが自分のことをし始める。父は新聞を開き、母はテーブルの上のものを片づけ始める。兄はそそくさと自分の部屋に入ってしまうが、誰もが無口で当たり前のことのように行動している。

――誰も寂しさを感じないのかしら?

 と、思っている当の梨乃も、皆の態度を一目見渡しただけで、そのままお風呂に入りに行くという行動は、それこそいつものパターンである。

――皆、それぞれに不自然さは感じているのかも知れないわ――

 自分の行動のアッサリしていることに驚きながら、そう感じている自分が一番不自然なのかも知れないと思った。

 梨乃は、テレビで見た内容の原作が、文庫本で販売されていると知れば、読んでみたいと思っている。ただ、すぐに読もうという気はしない。次の日に本屋に行って購入し、そのまま読もうとは思わないということだ。

 数日は少なくとも日を開けるようにしている。

 それは頭の中にまだテレビのイメージが残っているからだ。思い出そうとすると、すぐにイメージが湧いてくるようでは、すぐに原作を読んでみようとは思わない。確かに原作を読んでいるとテレビのイメージが湧いてくるが、それは原作を読むから湧いてくるイメージであって、最初からイメージして思い出すようであれば、まだテレビの影響が深く残っているために、原作を読んでも、比較にならないと思っている。

 梨乃は、原作と小説を比較したいと思っているのだ。だからこそ、原作を最初だけ読んで、すぐに結末のところを読むようになった。それまで、文庫本を読んだことのない梨乃が最初に読んだのが、サスペンスの原作だったことで、どうしても、読み方が歪になってしまった。それは仕方がないことだと、梨乃は考えていた。

 最初に読んだミステリーは、まさにラストの意外性が命というべき小説だった。本格ミステリーであり、正統派でもあることで、途中を読み飛ばしても、違和感はない。小説の中には、途中で登場人物をどんどん増やし、「起承転結」の承の部分にまで転を匂わせるような作風もあるが、それはそれで面白い。しかし、梨乃のように途中からラストを読む人間には邪道に感じられ、面白さを感じない小説になってしまう。ちょうどサスペンスでは、そういうストーリーが珍しいこともあって、梨乃は自分の見てきたストーリーをそのまま読むことができるのがありがたかった。

 学校で、サスペンスの話題をする人はほとんどいない。どちらかというと、学校でサスペンスモノを見たり読んだりする人は少ないのかも知れないと思っていた。

 確かに、サスペンス劇場を見ている人は少ないようだが、小説を読んでいる人は結構いる。口に出さないだけで、サスペンスが好きな人はお互いに分かるようで、他の人に分からないように、ミステリー談義を自分たちだけでしているようだ。

「誰もしないなら、自分たちだけでミステリー談義をまわりの人に分かるようにしても仕方がないからね。俺たちは俺たちだけの世界でミステリー談話をしているんだ。その方が絶対に盛り上がるしね」

 という話を聞いた。

 ミステリーの話をしているのは、男子ばかりで、女子の姿は見えない。男子の中に女子が入るのには賛否両論あるようで、

「女の子がいてくれると、違った目線で見てくれるから面白いかも知れないぞ」

 と言ってくれる人もいれば、

「そんなことはない。女子が入ってしまうと、ここまで盛り上がらないような気がするし、何よりもせっかく男子だけで盛り上がってきたものが、幅が広がりすぎて、希薄になってしまいそうに感じるんだ」

 という意見もあった。

 前者の意見はありがたい限りだが、後者の意見はあまりにも閉鎖的ではないか。

「ミステリーは男の世界だ」

 と言わんばかりの考えには、承服できない梨乃だった。

 女流ミステリー作家も結構いる今の時代に、女子を弾き出そうとする発想は、あまりにも時代の逆行に思える。ただの男ばかりの発想を大切にしたいと思っている人の、女性から見れば、「わがまま」にしか思えない発想は、きっと梨乃以外にも承服できない人もいるだろう。しかもそれは女性だけではなく、男性にもいそうな気がする。やはり、議論を戦わせるには、男女の枠を超えた発想も大切ではないかと思っている人が多いことを証明している。

 梨乃は、ミステリーの話をしている集団の中に、素直に入っていくことができた。それは女性を弾き出そうとする人たちとは違う集団だったのだが、もちろん、公開している集団ではなく、当然サークルとしての承認を得ているわけでもない。

 元々、クラスの中で、あまり集団に属することのなかった梨乃だったので、素直に入っていけたのだろう。

「闇の集団」

 とでも言えばいいのか、いかにもミステリー愛好家としては、お似合いの雰囲気だった。

 集団と言っても、三人ほどだった。紅一点の梨乃はその中でも目立っていたが、彼らは梨乃を女性として意識しているわけではなかった。

 梨乃は、思春期に差し掛かっていることもあって、男性の視線を痛いほど感じることがある。感じる視線には、大人の世界、つまりは未知の世界を感じるのだが、男性の方が、女性よりも露骨なものだと思っていた。

 女性は、どうしても、恥じらいの精神から、大人の世界をオブラートに包もうとするが、男性はそんなことはしない。露骨な方が却って、隠そうとしない分、素直な感覚になるのだろう。だが、彼らはあまり露骨さを表さない。いわゆる「ムッツリ」ではないかと思わせるが、女性の場合の恥じらいとは違って、本当に無関心なのかも知れないと思わせるところがあり、不気味さを醸し出している。

「私は、テレビを見てから小説を読む方なんですけど、大丈夫ですか?」

「ええ、大丈夫ですよ。僕たちは先に小説を読んでしまうので、そのあとテレビ化されたりしても、見てみたい小説と見なくてもいいと思う小説を切り分けるようにしているので、あまり気にしていません。逆に先にテレビを見る人が原作を読むとどんな気分になるのかということに興味がありますね」

 と話してくれていた。

 公式のサークルではないので、部室があるわけではない。教室で小説談義をするわけにもいかず、もっぱら学校の帰りにファーストフーズの店に立ち寄って、話をすることが多かった。

 ファーストフーズの店内は、結構賑やかだった。

 夕方というと、家族連れよりも圧倒的に学生が多い。賑やかなのも当然なのだが、その中で中学生の二、三人のグループが、まるで密談をするかのようにヒソヒソと話をしているのも、何となく異様な雰囲気である。

 本人たちは白熱した話をしているつもりでも、どうしても小説談義などという、学校内で認知されていないという意識があるからか、自然と声も小さくなるというものだ。誰かが少しでも興奮して、声を大きくしようものなら、皆が一気に人差し指を立てて自分の口元に持っていく。

――しまった――

 大声を出した人は、思わず身体を小さくして恐縮してしまうが、その瞬間、三人とも、まわりの視線を気にしてしまうという同じ習性を持っていることが、梨乃としては、少し情けない気がした。

――いくら公式ではないとは言え、ここまで萎縮する必要もないじゃないか――

 と、感じ始めると、次第に自分の中でストレスが溜まってくるのを感じた。

 学校内で、ミステリー小説を密かに読んでいる人を探してみたくなったのも無理のないことで、不思議なことに、中学時代の梨乃には、誰がミステリーを好んで読んでいるかということが分かるような気がしていたのである。

 クラスの中に、一人男の子で、いつも集団から離れている子がいるのを意識はしていた。ただ、彼が小説を密かに読んでいることはそれまで意識していたわけではなかったのに、急に意識してしまったのは、ファーストフーズでの会話を情けないと思うようになってからだ。

 ファーストフーズでの会話を止めたわけではないが、それだけでは溜まってしまうストレスをどうすることもできない。最初は、ファーストフーズでの会話からストレスが溜まっていることに気付かなかったからだ。

――退屈してしまっているからなのかも知れない――

 と感じていた。

 退屈ではなく、情けなさだと思うようになったのだと自覚するようになったのは、それからかなり後のことだった。意外と梨乃は自分のこととなると、理解しているつもりで特に心境に関しては、誤解していることが多かった。

 その男の子は、梨乃から見て、同級生なのに、どこか幼く見えた。成長期の男女を比較すると、女性の方が成長が早いという話を聞いたことがあるが、どうもそれだけではないようだ。彼の閉鎖的な雰囲気と、どこか苛められっこのような雰囲気は、自分から気配を消そうとしているように思えてならなかった。

 梨乃が男の子として今まで意識した人はいなかった。まだまだ思春期とは言え、男性を意識するところまでは行っていなかったのだ。それなのに、彼を意識してしまったのが、初めて男性を意識することになるなど、想像もしていなかっただけに、かなり自分でも驚いている。

――どうして、こんな子を?

 それが母性本能からのものだという意識を持ったのは、それからすぐのことだった。だが、本当に母性本能からなのかは、疑ってみたわけではなく、そう思い込んだだけだったので、母性本能だという意識を持っている間は、彼を男性として意識していたのだ。

 ただ、そこに恋愛感情などあるわけもなく、歪な性的感情に近いものがあったことを、梨乃は意識していなかった。

 誰かから指摘されたわけではなかったが、大人に近づくにしたがって、この時のことが、自分の中の「汚点」として残っていたのも事実だった。

 梨乃は、その男の子を、自分の中で「少年」と呼んでいた。同級生であっても、明らかに自分とは違うという意識、それが優越感となって浸っていることを意識したかったのだろう。

「少年」は従順だった。

 梨乃が近づいていくと、少し避けるような素振りを見せるが、それは梨乃に対してだけではなく、他の人にも同じような素振りを見せる。誰に対しても感じている劣等感、それは梨乃の優越感をはるかに凌ぐものだったに違いない。

 彼の様子を見ていると、苛めたくなるというのは、それまで知らなかった梨乃のもう一つの性格だった。普段から、自分がまるで聖人君子のように思っていた梨乃としては、決して認めたくない性格だった。

 だが、そんな梨乃だったが、まわりと比較する時、絶えず自分がまわりよりも劣っているという感覚があるのも事実だ。自分の中にいくつかの矛盾した性格が同居していることを気付いていた。

 その頃から、少し情緒不安定気味になってきた。もちろん、自分では認めたくないことだったが、まわりの人を見ていると、自分自身で情緒不安定を感じているということを公言している人が少なくないことを知った。それも、前から分かっていたことだったが、皆自分から口にしていたのだ。

「私って、少し情緒不安定気味だわ」

 などという言葉を聞いていながら、言葉に対し、あまりにも自分とかけ離れているからということで意識していなかったのだ。

 確かにその時にはかけ離れた感覚を持っていたのだが、いつの間にか、自分に近い存在になっていたことに気付かずにきたことで、情緒不安定という言葉自体を、あまり耳にしなかったような錯覚を覚えたのだ。

 少年と話をしていると、少しイライラしてくることもあった。

――当たり前のことを当たり前のように話している――

 どうしてそれが苛立ちに繋がるのか分からなかった。だが、彼の当たり前の話は、どこか誇らしげに聞こえるのだ。普通の抑揚で話をするのであれば、あまり苛立つこともないはずなのに、どうして誇らしげに話ができるのか、それが分からなかった。

 それは誇らしげではなく、相手に対して、

――説得したい――

 という気持ちの表れだったようだ。自分の思いの丈をぶつける気持ちは誰にでもあるもの。ただ、その表現方法には、微妙な違いがある。違いがあって当然なのを分かってあげなければいけないはずなのに、それよりも先に苛立ってしまったのは、まだ自分が未熟だということと、自分の性癖に気が付いていないからだったのだ。

――少年を見ていると、どうしても悪戯をしてみたい――

 その頃の梨乃は、悪戯心はあっても、大それたことができるほどではなかった。せいぜい、

――読んでいる小説の内容を、先に話してやる――

 というくらいのことしかできなかった。

 梨乃の中では中途半端な悪戯だったが、少年の中では、かなり鬱積するものがあったようだ。しかも、梨乃の前ではまるで睨まれたカエルのように、何も言い返せないことで、内に籠るしかなかった。それを梨乃は理解できるほど人間ができているわけではないので、さらに苛立つ。

 もっとも、少年を理解できるくらいなら、こんな大人げないことをすることもないに違いない。

 梨乃は、少年に悪戯をしながら、次第にミステリー小説に対して、興味が薄れてきたのを感じた。

 それを自分では、

――飽きてきたんだ――

 と思っていたが、半分は当たっているが、半分は違っていた。少年に対しての悪戯に対し、自分がどうしてこんなことをするのかという理由を理解できないまま、苛立ちだけを覚えていると、結局はその原因となっているミステリー小説に対しても、苛立ちのようなものを覚える結果になるのだった。

 ちょうどその頃から、家でも土曜の夜、集まってサスペンスを見ようという感覚が薄れてきた。肝心の父親が土曜日も出かけることが多くなり、ミステリーを見ることのきっかけを作った人間がいなくなってしまっては、まるで昇った梯子を外されて、置き去りにされてしまった感覚であった。

――ゴーストタウンに風が舞っているような風景――

 それが目を瞑れば浮かんでくる光景であった。

 ミステリーに興味が失せてくると、少年に対しての悪戯も短いものだった。

 ただ、少年もおかしな性格の持ち主で、

――悪戯されればされるほど、興奮する――

 というマゾヒストな性格の持ち主だった。

 そのことを、梨乃はその時分からなかったが、結果的には、その性格を呼び起こすことになったのだ。

 梨乃は次第に少年から遠ざかっていく。今度は梨乃が彼を置き去りにしたような格好である。

 しかし、少年は一旦は梨乃から離れたが、梨乃を完全に手放したわけではない。少年は少年で、梨乃にいいように弄ばれながら、実際には、自分の中では梨乃を操っているかのような錯覚を覚えていた。

――梨乃さんの快感に震える気持ちは、僕が作ってあげたんだ――

 と言わんばかりなのだ。

 そんな少年が近い将来、ストーカー気味の性格となって梨乃の前に現れることになるのだが、その時の梨乃にはまったく想像もつかなかった。ひょっとすると、少年自身にも分かっていなかったに違いない。二人を結びつけることになるのは、時間の経過だけではない何かが、二人の間で共鳴し、継続していたからなのかも知れないと、梨乃は後から感じることになるのだった。

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