雪の如く

ソメイヨシノ

1.才能と素質


トクトクトクトクトクトク——。


「ハァハァハァハァ・・・・・・」


速い心音と、がさつな揺れと、乱れた息遣いに、目を覚ます。


「・・・・・・お主は——?」


「お目覚めですか、王子! 私はエンジェライト、レグルス騎士隊の隊長を勤めております、名をアスベストと申します!」


そう言った男の顔は見えない。


背負われている為、見えるのは、髪と耳と頬と——。


「そうか、父はどうしたのじゃ?」


「王子、お父様はジプサム王国へ向かいました。よくお聞き下さい。我がエンジェライトはジプサムに落とされ、王は、自ら戦いに出向きました。そして王は私に命じられました、王子を時が来るまで安全な場所にと——」


「・・・・・・そうか」


「おわかりでしょうか、王子。ひとつの騎士隊をまとめる隊長である私が、その命を受けた理由を。しかもレグルス騎士隊と言えば、エンジェライト誇っての強さを持っています、その隊長である私が、その命を受けたと言う事は——」


「父は死を覚悟したのじゃな?」


「・・・・・・そうです」


「当然じゃな」


「・・・・・・王子——」


「下ろせ、わしは歩く」


「しかし!」


「バカ者。お主の心音と呼吸がうるさくて眠れんわ。眠れんものを背負われていてもしょうがあるまい。しかも走りおって、揺れすぎて頭がガンガンするわ」


「申し訳御座いません!」


アスベストは跪き、小さな王子を地に置いた。


王子は、アスベストを見上げる。


騎士隊の隊長を務めるというアスベストは、幼い王子の目にさえ、若く見える。


まだ20代半ば辺り。


乱れたボサボサの薄茶色の髪は短く、瞳の色はアンバー、決して太くはないが、逞しい体付き、だが肌は白い為、汚れや血痕が目立ち、汚らしいが、罅の入った、今にも砕けてしまいそうな鎧はエンジェライトの紋章入りの本物。


「確かに、お主はエンジェライトの騎士のようじゃな。で、馬はどうしたのじゃ」


王子が、そう聞くと、


「とっくに走りすぎて駄目になってしまいました」


そう言われ、


「何日程、わしは眠っておったのじゃ?」


再び、問うと、


「・・・・・・かれこれ一週間程、気を失われておりました」


そう答えられ、小さな王子は、うむっと頷くと、


「小便じゃ」


と、一言。


アスベストは黙ったまま、王子を見下ろしていると、


「何をしておる、わしが小便と言っておるのじゃ!」


怒鳴られ、アスベストは小さな王子にビクッとする。


「え、あ、はい! えっと、あっちの茂みの方でよろしいかと——」


「何がじゃ?」


「小便はあっちの茂みですれば良いのではと・・・・・・」


「場所など、どこでも構わん。わしのズボンを下ろせと言うとるのじゃ」


「へ? あ、あぁ! はい!」


アスベストは王子のズボンを脱がし、王子に小便をさせる。


「爺はどうした?」


小便をしながら、王子が尋ねると、


「爺・・・・・・? とは——?」


アスベストは逆に聞き返した後、


「あぁ!」


と、思い出したように声を上げ、


「教育係のパミス爺さんですね? 彼なら先にペリドットへ向かっております」


そう答えた。


「ペリドットへ?」


「地図にもない村ですから、王子はご存じないでしょうが——」


「知っておる」


「え?」


ズボンを履かせながら、アスベストは知っている訳ないだろうと思うが、


「ベリルエリアのペリドットじゃろう。ベリル王国の避難場所になる隠れ村じゃ」


と、王子はそう言うと、空の星を見上げ、そして、辺りを見渡し、


「ここはもうベリルエリアじゃな、ベリルの大草原じゃとして、ペリドットは、あっちの方角じゃ。違うか?」


アスベストを見て、そう言った。驚いたアスベストは頷く事しかできない。


王子は指差した方角へ向かって歩き出す。


アスベストも王子を追いかけ、


「どうしてここがベリルの大草原だとわかったんですか? それにどうしてペリドット村をご存知なのでしょうか?」


疑問を口にする。


「わしの頭には世界が入っておる。どこにいても、空に星が出ていれば、星の位置で、大体の場所が見当つく。それより、ここまで来るのに海はどうやって渡ったのじゃ? その姿で、わしのような子供を背負い、普通に船に乗れる状況ではないじゃろう」


「密航しました」


「成る程」


「あの・・・・・・世界が入っているって、冗談ですか?」


そう言ったアスベストをギロリと睨み、


「わしは冗談を言わぬ」


と、王子はムッとした顔で言う。


シンバ・エンジェライト。


エンジェライトの第一王子。


まだ6歳のシンバは、王である父と妃である母に、育てられてはいない。


王子として生まれたからには、何れ、エンジェライトの国を背負う為、父や母からの愛情は甘えであると、生まれて直ぐに親から引き離され、教育係に育てられる。


シンバの教育係はパミスと言う老人。


シンバの年老いた口調はパミス譲りだ。


パミスは若かりし頃、学者で、様々な学問を学び、研究し、調査し、世界中を旅したと言うが、だからと言って、6歳のシンバに、世界地図全てを教え、本にも、地図にも、どこにも載っていないペリドット村まで、頭に入っているなど、アスベストは考えられないと首を振る。


「おい、何故、わし等はペリドットへ行くのじゃ?」


「はい、私が生まれも育ちもペリドットなのです、ですから、そこで身の安全を確保したいと思っております」


「お主がペリドットで生まれて育ったと言うのなら、何故、ベリル王国の騎士にならなかったのじゃ? エンジェライトはベリルから遥か遠くの地。しかも、その事がバレたら、お主、ベリルの王にギロチンの刑を宣告されるぞ」


「はい、刑を宣告されても、エンジェライトに仕えたかったのです」


「何故じゃ?」


「王子のお父様を尊敬しているからです、エンジェライト王の勝ちに拘る精神が好きなのでございます。ですから、何を裏切っても、命に代えて、エンジェライト王をお守りする為に、私は生まれたのだと思っていますから」


「王を守る為に生まれたなど、只の思い込みじゃ」


「そんな事ありませんよ。私は王子の事もお守り致しますので——」


言いながら、小さなシンバに、本当に、何を裏切っても、この命に代えても守る、そんな価値があるのか、アスベストは、まだわからない。だが、尊敬するエンジェライト王の血を引き継ぐシンバに、期待もある。


「王子、エンジェライトはまだ完全にジプサムに負けた訳ではありません、王子が生きている事こそ、まだエンジェライトに勝利は残されております。王は、僅かな光ではありますが、それに賭けたのです、何れ、アナタがエンジェライトの名を背負い、ジプサムに勝利する事を願いながら——」


「・・・・・・おい、ペリドットが見えてきたぞ」


王子が指差す方向に、小さな灯りが見える。


「わしはエンジェライトの王子じゃ。ベリルの王に許可なく、この村へ訪れていいのか?」


「ベリルの王も、この村には来ません。ここは避難する為に存在する村。何かない限り、王は訪れません、王が訪れれば、ここに村がある事がバレてしまいますから」


「じゃが、わしは王子じゃ」


「はい、だからそれは内密に——」


「内密じゃと!?」


「パミス爺さんが、先に向かったのは、私の妹に説明に行った為です」


「説明?」


「王子は何も心配せず、とりあえず、すくすくと元気に育って下さい」


そうは言ったものの、何も心配せずとは、無理な話かと、アスベストは思う。


まだ夜更け。


ペリドット村は静かな時間が流れていた。


村の奥にある小さな家では、アスベストの妹であるショールと、その息子タルクが、まだ寝ずに待っていてくれた。


母子家庭の為、余り裕福ではなく、出された温かいスープも、シンバは舌を出して、嫌な顔をすると、一口飲んだだけで終わった。


タルクはシンバと同じ6歳の男の子。


優しそうな顔立ちはショールに似ている。


タルクは物珍しくシンバを見ていたが、その内、眠くなり、自分の部屋へ向かい、シンバもパミスに寝るように言われ、2階の一番広くて綺麗な部屋へ通されるが、シンバにとったら、窮屈な狭い部屋で、


「わしがこんな鳥小屋で眠れると思うのか!」


と、怒り出した。


「ベッドも硬い! 柔らかいベッドを用意せい!」


文句ばかり言うが、やはり疲れていたのか、直ぐにスゥッと眠りに入った。


キッチンでは、パミスとアスベストとショールが、まだ寝ずに話をしている。


「ショール、悪いね、暫く厄介になるけど。王から渡された金で生活費は困らないと思うが、村人達が変に思い、変な噂が流れなければ良いが」


「大丈夫よ、兄さん。村のみんなには、兄が帰って来ると伝え、兄の子供も一緒と言ってあるから。エンジェライトが落ちて、その王子を匿ってるなんて言ったら、大変な事になるものね。兄さんの事だって、エンジェライトの騎士をしていたなんて知れたら、大変よ。ここを出て行く時も出稼ぎに行ったと村の者達には伝えてあるんだから。そうそう、タルクにもシンバは兄さんの息子だと話してあるから。パミスさんの事も、シンバの母方の父だと話してあるわ」


「あぁ、話を合わせておかないとな。昔から苦労かけさせてしまうな」


「もう慣れたわ、兄さんの自分勝手には」


「返す言葉がない。それよりパミス爺さん——」


「なんじゃ?」


「王子が、妙な事を言ってたんですよ、王子の頭の中には世界が入っているって。どういう意味だったんでしょう? しかもペリドットの場所も知っていましたし——」


「はっはっはっはっ、どうもこうも、王子の頭の中には世界が入っておるんじゃよ。世界中を旅したワシの頭には世界が入っておるんじゃからな」


「パミス爺さんが王子に正確な世界地図を教えたんですか?」


「いいや、教えておらん。ワシが描いた地図を渡しただけじゃ」


「それだけ?」


「まぁ、その内、わかるじゃろう、王子の事が」


「・・・・・・はぁ?」


「ねぇ、その王子と言う呼び方は周囲が変に思うわ! それに王子様は自分が王子である事を隠せるのかしら?」


「王子はまだ小さな子供だ、何を言っても、誰も本気にはとらないだろう。それに王子は王子だ、それ以外では呼べない。子供のお遊びに付き合って、王子ゴッコをしているとでも言い訳しとくか。それはそうと、タルクも王子同様6歳だったな、でもタルクの方が大きく見えたなぁ」


「あら、あれでも村では小さい方なのよ、だから王子様の成長はかなり遅れてるみたいね」


「なぁに、体の成長など、やがて、追いつく。それまでに王子が、王子らしく成長を遂げて、何れエンジェライトを背負う運命を理解して下されば良いのじゃが」


エンジェライトの未来、王子の将来、明日への不安の話は夜明けまで続いた——。


朝になると、タルクは遊びに出掛け、シンバはパミスに勉強を教わっていたが、昨夜は余り寝ていないせいもあり、パミスはシンバが問題を解いている間に眠ってしまった。


「爺。爺、起きろ。失礼じゃな、わしに問題を出しておいて、眠るなど——」


椅子に座って、イビキを掻きながらグッスリと眠っているパミスを揺すり、起こそうとしている時、ふと、窓の外で子供達が遊んでいるのが目に入った。


シンバは、窓から、ジィーッと子供達を見た後、急いで外へ飛び出して、子供達の所へ向かった。無論、普通なら、『仲間に入れて』『一緒に遊んで』などと言って近付くのだろうが、シンバは、


「おい、お主等、何やら楽しそうじゃな、わしも一緒に遊んでやるぞ、有り難く思え」


と、近付いた。子供達は、シーンと黙り込み、シンバを見る。


見かけない子供が、今、妙な事を言わなかったか?とばかりに、皆、シンバを見ている。


「どうした? そうだ、今から、お主等を、わしの側近にしてやろう」


自信満々にふんぞり返って、そう言ったシンバに、皆、側近ってなんだ?と口々に呟く。


「なんじゃ、側近もわからぬのか? お主達は、わしの手となり足となり、わしの言う事を何でも聞くのじゃ」


「何でも? おかしいよ、そんなの。友達になりたいんじゃないの?」


誰かがそう言ったので、シンバは首を傾げ、


「友達とはなんじゃ?」


そう聞いた。皆、顔を見合わせ、ざわざわと騒ぎ出し、


「仲間だよ。つまり…えっと…みんな同じって事だよ。そう、平等!平等って言うんだ!」


また誰かが、そう言ったが、シンバは、首を傾げる。すると、村の子供達の中で一番大きな体の男の子が、前に出てきて、シンバを突き飛ばし、


「バカは向こうへ行け!」


そう言った。突き飛ばされたシンバは尻餅をついて、ビックリした顔で男の子を見る。


「なんだよ、やんのかよ!?」


「お主、今、このわしを突き飛ばしたな? わしを誰だと思っておるのじゃ!」


「はぁ!? 誰なんだよ?」


「わしはエンジェライトの王子じゃ!」


皆、一瞬、シーンとしたが、直ぐにシンバを指差して、笑い出した。


「あ! コイツ、タルクの親戚って奴で、今、タルクんちにいる奴だ」


誰かが、そう叫ぶと、タルクが、


「ちが、違うよ、こんな変な奴、知らないもん!」


そう叫び返す。


「変な奴か、確かに変な奴だ。ジジィみたいな喋り方だしよ、白髪だしよ!」


シンバの髪はシルバーで、銀色に輝いているのだが、見ようによっては白髪にも見える。


瞳はブルー、肌は白、身長は、今、集まっている子供達の中では一番低い。


当然、体格も、今、集まっている子供達の中では一番小柄。


シンバは立ち上がり、子供達を睨むように見つめる。


「なんだよ、その顔! 悔しかったら、何か言い返してみろよ、白髪ジジィ!」


「わしの髪は銀じゃ」


「はぁ!? うっせぇよ、もう邪魔だから、あっちへ行けよ」


「わしが遊んでやると言うておるのじゃ、素直に遊んでもらえ!」


「はぁ!?」


「何度も言わすな」


「・・・・・・面白ぇ。遊んでもらおうじゃねぇか。当然、木登りぐらいできるんだろうな? ええ? 白髪ジジィよ?」


「銀じゃと言うとろうが。それにジジィでもない。わしの名はシンバじゃ」


「フン! どうでもいいけど、名前を覚えてもらいたかったら、まず木登りで俺様に勝ってからだな。それから偉い口叩けってんだ。いいか、この木の高い場所まで登れた奴の勝ちだ。負けたら土下座しろよ!」


シンバは木を見上げ、


「わしが勝ったら?」


そう聞いた。


「はっはっはっ、勝つ気かよ、お前が勝ったら何でも言う事を聞いてやるよ!」


そう言うと、男の子は大きな太った体で、木に登りだした。


子供達は、皆、


「ジャスパー、頑張れー!」


と、男の子を応援している。


ジャスパー、それが男の子の名前だろう。


シンバは木を見上げたまま、動かない。


ジャスパーは、あっという間に木の上に登って、立派な枝の上に立ち、シンバと子供達を見下ろしている。そして、


「どうした、早く登って来いよ!」


そう吠える。


シンバはギュッと下唇を噛み締め、拳を握り締め、そして、木にしがみついたが、直ぐに落ちてしまい、子供達は大笑い。


ジャスパーは高い所から、腹を抱え、笑っている。


シンバは笑われながらも、何度も木にしがみついて、何度も落ちる。


ジャスパーは木からスルスルッと、下りて来て、


「俺様の勝ちだな」


そう言った。だが、


「まだ勝負は続いておる。お主はこの木の高い場所まで登れた奴の勝ちだと言ったじゃろう、今、登ってやるから、待っておれ」


と、シンバは諦めない。


ゲラゲラ笑う子供達とジャスパー。


子供達がやけに騒がしいなと、裏庭で薪割りをしていたアスベストが、木に集まる子供達に何事かと思って近付こうとするが、既にそこにいたパミスに、


「黙って見ておれ」


そう言われ、何が始まるんだ?と、黙って見ていたが、王子が子供達にバカにされているではないかと、焦りだす。


「いいんですか、パミス爺さん! 王子がバカにされてるんですよ!」


「なぁに、子供同士の遊びじゃよ」


「何言ってるんですか! 大体、パミス爺さんと勉強してたんじゃないんですか!?」


「いや、ワシが眠ってしもうてのぅ」


「眠ってしまったって、何やってんですか! 王子がいなくなったら、どうするつもりですか、アナタ、それで教育係なんですか、本当に!」


「ええい! 黙れ! 黙って見ておれ!」


見ていられる訳ないだろと、アスベストはハラハラドキドキ。


あそこにおられるのはエンジェライト王の息子、シンバ王子。


エンジェライト王の命により、王子を安全な場所にと、この村に来たと言うのに、これでは王の命令を果たせていないではないかと、アスベストは焦る。


だが、シンバは何度も何度も木に登っては落ちてを繰り返し、子供達は笑うのも飽きてしまい、皆、シンバをほっておいて、どこかへ行ってしまった。


ホッとするのも束の間、アスベストは、シンバの手の平が木の皮で擦れて、血だらけだと気付く。それでもパミスは行ってはならぬとアスベストを止める。


「何故です!? 王子が怪我をしているんですよ!?」


「のぅ、アスベスト殿、お主、何故、エンジェライトの騎士に? この村なら、ベリル王国に仕えるのが筋じゃろう。この国に仕えられなかったのは、アスベスト、その名のせいか?」


「私の名は・・・・・・確かにこの名のせいでもありますが、その質問は王子にも聞かれ、私は真実を伝えました、エンジェライト王を尊敬しているからだと——」


「王の何を?」


「王の勝ちに拘る精神が——」


言いながら、アスベストはシンバを見つめる。


「そうじゃ、王子は見た目こそ、お妃様に似ておるが、その強気な精神は王にソックリじゃろう。負けず嫌いじゃからな、この爺に負けたと言わす程の王子じゃ。このくらいの事、明日の朝には遣り遂げよう」


「・・・・・・明日の朝?」


「高い場所まで登るまで、王子は諦めんじゃろうからな。ワシが描いた地図を、なんせ、一週間も寝ずに世界を頭に入れた王子じゃ。ワシが知らん空の星の位置さえも、本で調べ、頭に入れ、ワシを驚かせ、負けを言わせたんじゃ」


「・・・・・・あの王子が——?」


「ワガママなだけかと思うたか?」


「はい、あ、いえ、その、驚いてます、王子のまさかの根性に」


「はっはっはっ、後で昼飯を持って行ってやらねばな。夕食は勿論、夜食も頼めるかのぅ」


パミスの言う通り、シンバは次の日の朝まで、木登りを続け、そして、ジャスパーよりも高い場所まで登って見せた。


ジャスパーは悔しそうに歯をギリギリ鳴らし、


「自分が登れる高さまで早く登った方が勝ちだ!」


そう言い出した。シンバが木から降りると、


「よぉい、どん!」


と、ジャスパーは突然言い出して、木に登り出し、シンバも急いで登るが、どうしてもジャスパーの方が早く着いてしまう。


シンバはジャスパーより高い場所まで登れてしまう分、時間がかかるからだ。


「俺様の勝ちだ」


勝ち誇るジャスパーに、


「待っておれ、今、お主より早く登ってやる」


と、シンバは、木から降りて、再び、木に攀じ登る。


ジャスパーは、笑いながら、


「ムリムリ。あんな高い所まで早く登れる訳ないだろ」


そう言いながら、去って行ったが、次の日の朝には、シンバはジャスパーよりも早く、しかも一番高い場所に登ってみせた。


またもジャスパーは悔しそうに歯をギリギリ鳴らし、


「自分が登れる一番高い場所から飛び降りれた奴が勝ちだ!」


そう叫んで、3メートル程の高さから飛び降りた。そして、木の天辺まで登ったシンバに、


「そこから飛び降りてみろー!」


そう叫ぶが、シンバが登った高さは10メートルはある。


シンバが飛べないでいる事に、流石に、今度ばかりは誰も笑えない。


3メートルの高さから飛び降りたジャスパーでさえ、足の裏がジンジンする程。


10メートルから飛び降りて、只で済む筈がない。


そんな事、子供だって知っている。


だからこそ、シンバは木の上から、村を見下ろしているだけ。


「俺様の勝ちだなー!」


下でジャスパーが吠えたので、シンバは、


「まだ勝負は終わっておらん! 飛び降りてやるから、待っておれ!」


そう吠え返したが、なかなか飛び降りないシンバに、やはり、みんな、飽きてしまい、その場からいなくなる。


まさか本気で飛ぶ気なのではないかと、アスベストはハラハラしていたが、シンバは普通に木から降りて来て、高さ1メートル程の場所の枝の上に立ち、そして、そこから飛び降りた。それでも、初めて高い場所から飛んだシンバは、うまく着地できず、その場にころがってしまう。


シンバは再び、高さ1メートルの場所まで登ると、そこから飛び降りる。


うまく着地できるまで、何度でも。


小さなシンバの体は重心だって軽い。


バランスがちょっとでも崩れれば、転がってしまう。


もうシンバの体は痣だらけだろう。


汗と泥で汚れた服も顔も、どこからどう見ても、王族には見えない。


だが、アスベストの瞳には、どこからどう見ても、エンジェライトの王と重なって映る。


うまく着地できるようになると、2メートルの高さに。


3メートルの高さに。


シンバは高見に挑戦する。


だが、流石に、これは黙って見てられないと、


「王子!」


アスベストは声をかけた。


「王子、もうすぐ昼飯です、昨日もここで一人で食べたのでしょう、今日はちゃんと家に帰って食べましょう、それから少し休みましょう」


「駄目じゃ。一番高い場所から飛び降りれる迄、ここを離れん」


「王子は完璧主義ですねぇ。でも、この木、かなり高いですよね、上を見上げても、天辺の枝がどれくらいの太さなのか、全くわかりませんし。そんな高い場所から飛び降りるなんて、普通はできませんよ」


「・・・・・・」


「でも、特別に飛び降りれる方法を教えましょう」


「本当か?」


「はい。とりあえず、水を浴びて、傷だらけの体に薬を塗って、着替えて、食事をしましょう、そして少し休んだら、そしたら教えてあげます」


「約束じゃぞ?」


「はい」


アスベストが頷くのを見て、シンバも頷き、素直に家に戻ると、泥だらけの顔や体を綺麗にし、沁みるが薬を塗って、洗濯仕立ての服に着替えて、食事をした。


そして、シンバは眠りについて、目が覚めると、直ぐにアスベストの元へ行く。


「いいですか、王子。高い所から落ちると言う事は地に叩きつけられると言う事です、落ちた高さにより、加速もして、叩きつけられる威力は増します。ならば、威力を削減すればいい。只、落ちるだけではなく、途中でアクションを入れるんです」


「アクション?」


「何かを掴むんです、何かを掴み、離す。そうすれば、掴んだ場所から落ちます。まだ高ければ、途中で何かを掴む。いいですか、崖や高い建物からなど、落ちた場合、手を伸ばし、何かを掴む事をして下さい。大体は、掴んだら、そこから這い上がるんですが、今回は飛び降りるんですから、掴んで離してを繰り返せばいいでしょう。只、王子の、その血肉刺だらけの手の平では・・・・・・」


シンバは自分の手の平を見て、


「大丈夫じゃ」


絶対に大丈夫ではないのに、平然とそう言ってみせる。なんて勝ち気な性格だろう。


「そんな事より、アスベスト、お主に聞きたい事がある」


「なんでしょう?」


「友達とはなんじゃ?」


「・・・・・・友達とは——、そうですね、共に笑ったり泣いたりする仲間でしょうか」


「友達とは平等なのか?」


「・・・・・・」


「人は平等なのか?」


「・・・・・・王子、今の世で、人は平等ではありません」


「そうか」


「しかし王子ならば、人が平等の世界を築く力を持っています!」


「そうか」


シンバは、一言、そう言うと、再び、木から飛び下りる練習をする為、外に出て、木の場所に向かった。


そして数日後、再び、シンバはジャスパーを呼びつけ、木の一番、高い場所から飛んで見せた。


途中で枝を掴むと、次から次へと枝を掴んで、落ちてくるシンバに、子供達は口を開けたまま、見上げていたが、今、目の前で、スタッと着地したシンバと目が合うと、皆、焦った顔でジャスパーを見た。シンバもジャスパーを見て、


「わしの勝ちじゃ」


そう言ったが、ジャスパーは悔しそうな顔をしながらも、


「ふざけるな、いいか、勝負はこれだけとは言ってねぇぞ、川原の石を一番遠くまで飛ばした奴が勝ちだ!」


そう叫んだ。


皆で川原に移動する。


ジャスパーは小石を拾うと、それを川原目掛けて投げた。


水の上で、一回、二回と、跳ねて遠くに跳んでいく小石。


「俺様の石投げは、大人にも負けないんだぜ。よぉく見てろ、何回跳ねるかって言うのも重要だが、向こう岸まで飛ばせたら勝ちって事だ。見てろ、向こうにあるゴミ捨てるなって看板にぶつけてやるからよ」


へっへっへっと笑いながら、そう言うと、手頃な石を手の中に入れ、構えて、思いっきり小石を投げた。


小石は水面を跳ねて飛んで、まるで生きているかのよう。


そして、向こう岸の看板にパンッと当たって、跳ね返され、水の中にポチャンと落ちた。


子供達はワァッと声をあげ、ジャスパーの凄さに歓声を上げる。


「ほら、お前の番だぞ」


そう言われ、シンバは小石を拾い、そして、思いっきり投げたが、何が悪いのか、すぐ目の前の水面にポチャンと落ちてしまう。


ジャスパーは大笑い。


子供達も大笑い。


シンバはまた小石を拾い、投げるが、何度やっても、石はすぐそこの水にポチャンと落ち、


「はっはっはっは! 俺様の勝ちだな!」


と、ジャスパーは勝ち誇るが、


「待っておれ、今、わしが、あの看板を叩き落としてくれる」


シンバは真剣に向こう岸の遠くの看板を睨み、そう言うから、ジャスパーは笑えなくなる。


「叩き落とす? バカだろ、無理に決まってんだろ、そんな事!」


「何故じゃ」


「大人だって、そんな事できやしねぇよ!」


「できるできないは、大人子供、関係なかろう」


「うるせぇ! 負けを認めて土下座しろよ!」


「まだ勝負の途中じゃ」


「勝手にしろ!」


ジャスパーはそう吠えると、子供達に、行こうぜと、唾を吐き捨て、その場を去っていく。


タルクは、何度も石を投げ始めるシンバを見て、ジャスパーに駆け寄り、


「ねぇ、もう負けを認めようよ、だって木の天辺から落ちた奴だよ? 敵いっこないよ。今度もまた本当にやっちゃうよ」


そう言った。ジャスパーは、タルクの胸倉を掴み、


「こっちが負けたら、アイツの言う事何でも聞かなきゃならねぇんだぞ!」


そう怒鳴られ、タルクは黙ってしまう。そんなタルクを突き飛ばし、


「親戚同士だからな、仲良くやりてぇなら、勝手にしろ。だが、アイツが負けた時には、お前もアイツと一緒に土下座だからな。そんで一生、お前とは誰も遊んでやらないからな」


そう言われ、タルクは首を振り、去っていくジャスパーの後を追いかけ、それでも何度も振り返り、川原で一人石を投げ続けるシンバを見ながら、走って行く。


「王子、どこに行かれたのかと思うたら、こんな所におりましたか。もう木登りは極めたんですかの?」


「爺か。向こう岸にどうしても届かん」


「石投げですか・・・・・・ふむ。王子、ジィはいつも実験、観察、発見の繰り返しを忘れなさんなと言っておられますじゃろう」


「何の話じゃ、わしは石を——」


と、シンバは手に取った石をジッと見つめ、そして、力まず、何気なしに投げてみる。


何気なく拾った石を何気なしに投げて、それを繰り返して行く内に、石は水面で何回か跳ねるようになった。


「王子、実験は終わりましたかな」


そう言われ、シンバはコクンと頷き、次も同じように繰り返し投げる。


だが、今度は遠くまで飛ぶような石を選び、投げ始める。


さっきの実験で、どんな石が飛びやすいか、シンバはわかっている。


石が遠くまで跳ねていくのを見て、頷くシンバに、


「王子、観察は常にしなされよ」


そう言われ、シンバはパミスを見て、


「爺。よく見てわかったぞ、石にも遠くまで跳ぶ奴があるんじゃ」


と、シンバは似たカタチの石を集め、足元に置く。


そして、今度は投げ方を考え、いろんなフォームを試してみる。


一番、遠くまで飛ぶと、よしっとガッツポーズをするシンバに、


「王子、新たな発見ですな」


と、パミスはニッコリ笑う。


「じゃが、まだ向こう岸には届かん。それに、あの看板を叩き壊さなければならん」


「王子、まずは基本をマスターしなされ」


「わかっておる」


「王子、基礎ができたら、周囲に力を貸してもらいなされ」


「・・・・・・誰にじゃ? わしの周囲には爺しかおらぬ」


「今、ジィは王子の力になっとらんかの?」


「・・・・・・なっておる」


「なら良かった」


そう言うと、にこやかにパミスは背を向け、行ってしまい、途中で振り向いて、


「飯の時間に、また来るからのぅ」


と、手を振った。


「・・・・・・なんじゃ、爺の奴。爺しかおらぬと言っておるのに、行ってしまうのか」


そう呟いた瞬間、シンバの額を通り抜ける風——。


シンバは空を見上げる。


流れる雲、光る青空、香る風。


「・・・・・・ここ、風の通り道じゃ」


シンバは時折、通り抜ける疾風を感じながら、小石が風に乗って向こう岸に届くかもと考える。考えが浮かんだら、実験あるのみ。


実験が終われば、風と遊ぶように水面ギリギリを飛び跳ねさせる方法を観察。


実験、観察を繰り返し、新たな発見に気付く。


次にパミスが来た時には、既にシンバは看板に小石を当てる事ができていた。


「じゃが、割れん」


「王子、割れるよう工夫すれば良いのですじゃ。あの看板に細工をすればよかろう」


「それはズルじゃ」


「相手を騙し、勝利する事も必要じゃと覚えておきなされ」


「・・・・・・」


「それと、もうひとつ! 勝ちだけが勝利とは限らない事も覚えておきなされ」


「勝ちだけが勝利じゃない? 負けても勝利があると言うのか?」


「何れ、王子がその事を学んだ時、ジィは嬉しく思うでしょうな」


「・・・・・・?」


「兎に角、今はあの看板が小石で割れるよう、細工して来ましょう。王子は村の子供達を集めて来なされ」


そう言われ、シンバはジャスパーを川原に呼び出し、再び、野次馬となる子供達も集まる。


——わからん。


——勝ちだけが勝利じゃないとは、どういう意味なんじゃ。


シンバはジャスパーとの勝負より、パミスの言った事が気になってしょうがない。


「おい、何してんだ、どうせ嘘なんだろ、看板を割れるなんて、できっこないさ」


ジャスパーは苦笑いしながら、そう言ってシンバを見ている。


シンバは、小石を拾い、そして、空を見上げ、風の向きを確認する。そして、ジャスパーを見て、


「お主は風の力も借りておったんじゃな。実際にお主の力も強いのじゃろうが、向こう岸まで石を飛ばすだけでも一苦労じゃ。確かにこれは大人でも難しい。じゃが、風に協力してもらえば、向こう岸まで小石を飛ばす事は容易い事じゃ」


そう言うと、小石を投げた。


川原の上をリズム良く石は弾み、そして、向こう岸の看板に当たった。


シーンと、皆、目を凝らして看板を見つめていると、看板が嘘のようにパカッと割れた。


子供達から、オォッと、どよめきの声が上がる。


ジャスパーは悔しそうな顔になり、


「勝負はまだ続いているぞ、いいか、駆けっこだ、村一周を速く走ったものの勝ちだ!」


そう叫んだ。シンバは、


「それなら最初から、わしの勝ちじゃ」


と、余裕の台詞。


「なんだとぉ!?」


「わしは城で飼っておった馬より速いぞ、じゃが、あの時の距離は短かったからのう」


言いながら、村を見渡し、


「長い距離を走るのは初めてじゃ。じゃが、問題なかろう」


と、一人頷いて、納得している。皆、そんなシンバを、口をポカーンと開けたまま、見つめていると、ジャスパーが、


「お前、本当に頭大丈夫か?」


と、シンバに言う。


シンバが、そう言ったジャスパーを見た時、


「ジャスパー、アンタこそ、頭大丈夫なの?」


と、竹刀を持った子供が現れた。


「げっ! ルチル!」


ジャスパーが、その子をルチルと呼ぶ。


「なんじゃ、他にも子供がおったのか」


そう呟くシンバに、


「アレは女だ、女。俺様達と一緒にするな」


と、ジャスパーが言う。その台詞に、ルチルはカチンと来たのか、竹刀を向け、


「新入りイジメをやってんだって? タルクから聞いたよ」


などと言い出すから、タルクが焦り出す。


「タルク! テメェ、このチクリ魔め!」


ジャスパーが大声を上げて、タルクの首を絞めるように胸倉を掴んだが、


「やめな。アタシをこれ以上、怒らす気?」


ルチルに、そう言われ、ジャスパーはタルクから手を離した。


「アタシは弱い者イジメは嫌いだ。ジャスパー、今日と言う今日は許さないよ」


「じょ、冗談じゃねぇ、弱い者だと? コイツはな・・・・・・そうだ、次の勝負はルチルに剣の稽古で勝つ事だ」


と、ジャスパーはシンバに、そう言い放ち、今度はルチルを見て、


「おい、ルチル、コイツと勝負して勝ったら、俺様が相手してやるよ」


などと言い出した。


「何を言い出すかと思えば」


呆れたルチルに対し、


「ハン! 怖いんだろ」


と、ジャスパーは挑発する。


「怖い? その小さな奴をか? このアタシが怖がると?」


「小さいとは、わしの事か?」


突然、シンバはルチルの前に出て、そう聞いた。


「アンタの他にいないでしょう?」


そう答えたルチルに、シンバは振り向いて、他の子供達を見るが、確かにシンバより、皆、身長は高い。


「そうか、わしの事か。なら、聞くが、小さいから怖くないと申すのか? それは小さい相手には勝てると言う事か?」


「は? 何コイツ?」


と、ルチルは眉間に皺を寄せ、ジャスパーに問うが、ジャスパーは苦笑い。


「体が小さいから大きい者には勝てぬと申すのなら、お主もこの男より小さいではないか」


確かにシンバの言う通り、身長は変わらぬとも、ジャスパーよりルチルの方が細身で、小さく見える。


シンバに至っては身長も横幅も、全てにおいて、小さいが。


「・・・・・・わかったよ、小ささは関係ないね、だけど、アンタ、剣を習った事あるの?」


「ない」


「話にならないね」


「待っておれ。直ぐに話にしてやろう」


そう言うと、シンバは近くにあった枝を手に持ち、剣のように振り回し始める。


そのシンバの姿を見て、呆れるルチル。


だが、今度ばかりは努力でどうなる事じゃない。


才能や素質なども必要である。


それをよく知っているジャスパーは、


「おい、負けたら土下座だからな」


と、シンバに言い放ち、逃げるように去っていく。


子供達も、シンバを心配そうに見ながらも、散っていく。


シンバは一人、枝を振り回しながら、


「爺」


背後にパミスの気配を感じ、振り向きはしないが、声をかける。


「はい」


「爺、向こう岸の看板は、割れるよう細工したのか、それともわしの投げた小石で割れたのか?」


「細工したのでございます」


シンバは振り向かないが、シンバの、その背に、深く頭を下げ、そう言ったパミスに、


「そうか」


シンバはそう頷くだけ。


パミスは顔を上げ、


「先程、ジィが言うた事をお忘れか?」


そう聞くと、シンバは振り向いてパミスを見る。パミスは、


「王子の周囲には王子の力になるものがおる事をお忘れのないよう——」


そう言うと、パミスは再び、深く頭を下げる。


「・・・・・・爺」


パミスは頭を下げたまま。


「爺。待っておれ。いつか、必ず、向こう岸の看板を、わしが投げた小石で割ってくれる」


「・・・・・・頼もしいお言葉じゃ」


「アスベストを呼べ。剣を習う」


「はい、只今直ぐにお呼び致しましょう」


パミスは頭を下げたまま、そう言うと、アスベストを呼びに向かう。


シンバは枝を振り上げて、むぅっとした顔をする。


再び、枝を振り上げて、また同じ顔をする。


何故か、シンバは同じ動きを繰り返し、同じ顔をする。


「王子」


「来たか、アスベスト。お主、エンジェライト、レグルス騎士隊の隊長じゃったな?」


「いかにも」


シンバは動きを止め、振り向いてアスベストを見ると、


「わしに剣を教えろ。何れ、わしも武器を手に持つ必要があるじゃろう? その時が来たと思うて、わしを鍛えろ」


そう言った。


子供とは思えぬ程、真剣な眼差しと力強い言葉。


アスベストは、シンバが王子である事を誇りに思う。


只のわがままで、甘えん坊で、泣き喚く子供だと想像していたが、わがままどころか、育って来た環境上、上に立つ物腰なだけで、この村へ来て、夜が明けてからは、何一つわがままを言わず、一人で這い上がる為に、戦っている。


しかも、何れ——、その言葉で、未来を見ている事もわかる。


小さな子供が、自分が背負う運命を受け入れ、生きる為、戦う事を覚悟している。


「・・・・・・王子、その枝を剣として、構えてみて下さい」


アスベストがそう言うと、シンバは枝を腰に携えるよう構えた。


「・・・・・・その構えは?」


「わしは背が低い。剣を上から落とすより、下から上へ振り切った方が力強く剣を振れる」


「それ、自分で考えたのですか?」


「そうじゃ、さっき、気付いたのじゃ」


「さっき? そんな事を一瞬で思い、考えたと?」


「間違っておるのか?」


「いえ、驚いているのです、剣など持った事もないでしょうに」


「剣の事は知らん。じゃが、自分の事はよう知っておる。わしはエンジェライトの王子じゃ。何れ、エンジェライトを背負う者——」


アスベストはシンバがエンジェライトの王子である事と、そして、自分がエンジェライトの騎士隊の隊長である事を誇りに思う。


「王子、その構えでいきましょう、王子の身長が伸びても、その構えは正当な剣の構えのひとつでもありますので、問題ありません。その構えですと、パワーで相手を倒す方法よりも素早さで攻撃を繰り返し、敵に致命的な一打を与えるより、数を打ち、ダメージを多く与えるようにしましょう。しかし素早さを王子の特技にしようとすると、重装備はできません。重いと素早く動くのは無理があります。ですから盾は持てませんが、籠手を腕に付ければ良いかと思います。軽い装備を近々、用意しましょう」


「必要ない。盾も籠手も今は必要ない、まずは剣の稽古で勝つのが目的じゃ。稽古に装備は必要なかろう?」


「稽古? ですか? わかりました。ですが、枝はやめましょう。私が幼い頃、練習に使った竹刀がある筈ですから、探して来ます」


と、アスベストは家に戻っていく。


シンバは、手に持った枝を見て、


「枝では駄目か」


そう呟き、それを捨て、アスベストが来るのを待つ事にした。


アスベストは家に向かって走りながら、ワクワクしていた。


ショールが庭で洗濯物をしていると、急いで走って来るアスベストに気付き、


「兄さん、嬉しそうな顔して、何かあったの?」


そう声をかけ、


「王子に剣を教える事になった」


と、嬉しそうにそう言うと、庭の小さな倉庫小屋に入り、竹刀を探し出す。


ショールは、余り興味なさそうに、あらそう、と、それだけ。


「あったあった! 古いがまだ使える!」


と、喜々とした声をあげて、小屋から出てきた時には、もうショールは庭にいなかった。


だが、パミスが胸を押さえ、苦しそうに跪いているのを見かけ、アスベストは驚いて、パミスに駆け寄り、背中を擦り、


「大丈夫ですか!?」


と、声をかける。さっきまでの喜々とした声はどこへやら。


「大丈夫じゃ」


「いつから体調が優れなかったんですか?」


「あぁ、いや、昔からの持病の発作じゃ、暫くしたら治まる」


「持病? 聞いてませんよ、そんな話!」


「心配するな、感染はせんよ」


「そうじゃなくて! 薬は?」


「あぁ、もぉない。エンジェライトの薬剤師がつくっておった薬じゃから売られておらんのじゃ。それより、アスベスト殿、王が王子の事をお主に頼んだ事、今こそ、理解してほしいのじゃ。エンジェライトの最強の騎士隊の隊長をしておったお主が、王を最後までお守りできず、王と共に死に挑む戦いにも行けなかった事、プライドを傷付けられたじゃろう。しかし、王がお主に王子を託したのは、お主が間違いなく、エンジェライトで最強の騎士じゃからじゃ」


「・・・・・・わかっています。そしてパミス爺さん、アナタは間違いなく、エンジェライトで最高の知識の持ち主だ。だからこそ、今の王子があるんです」


「王子に教える事はもう何もない、王子の知識はとっくにワシを超えておる。幼い王子は、もっともっと、知識を得て、次は世界で最高の知識の持ち主になるじゃろう。じゃが、これから王子が必要なのは、アスベスト殿、お主じゃ」


「はい」


「これから先、何があっても王子の事をお頼み申しまする」


突然、その場で土下座をするパミスに、止めて下さいと、アスベストはパミスの肩を持つ。


「パミス爺さん、アナタだってこれからも必要ですよ、王子はまだ子供です」


「王族に大人も子供も関係あるまい。その立場の者に人々は年齢関係なく、跪く。例え犬だろうが猫だろうが、王族ならば、人々は頭を下げる。その地位を、王子は理解しておる。じゃが、その地位をどう受け止めるかは、王子の自由。地位にうぬぼれ、騎士のお主に戦いを全て任せるのも良かろう、地位を恐れ、このままこの村で、骨を埋めても良かろう、チカラを付け、ジプサム王国のように小さな国を潰してまわり、姑息に名を挙げ、地位を守るのも良かろう。どんな王子であろうと、我がエンジェライトの王となる者。お主はどんな決断になろうとも、王子が決断なさった事を頷くしかないのじゃ」


「——はい」


「じゃが、エンジェライトを下らぬ国にはしたくあるまい」


「はい」


「王子はこれからじゃ」


「パミス爺さん、王子に病の話はしてあるのですか?」


「言うておらん、知らんでもええ事じゃ」


「しかし——!」


「王子はこれからじゃ! 余計な話はするでない。もしワシが死ぬならば——」


「パミス爺さん! そんな事言わないで下さい!」


「黙って聞けぃ! もしワシが死ぬならば、そして王子がもしも泣くような事になったならば、王子に教えてやってくれ。人が死ぬと言う事の悲しみを。剣を持ち、人を殺すと言う事は、王子が味わった悲しみを誰かが味わうと言う事を。じゃが、戦わなければならぬと言う使命を持った地位を背負っておる事を——」


自分の死さえ、シンバの成長にしようとするパミスに、アスベストは頭を下げる。


「それは王子にしか背負えないモノじゃと言う事を——」


こんな話をすると言う事は、死期が近いのだろうと、アスベストは悟る。


「さぁ、王子が待っておるのじゃろう、行って、強ぅしてやっておくれ」


パミスはそう言うと、よっこらせと立ち上がり、少し足元をふらつかせながら、家の中へ入って行った。


アスベストはパミスの背に、いつまでも頭を下げていた。


シンバが待っている川原に向かうと、シンバは石投げをしていた。


「王子」


声をかけると、シンバは振り向いた。


「凄いですね、向こう岸まで飛ばせるなんて」


「向こう岸に看板があったんじゃ」


「あぁ・・・・・・そういえば、ありましたね」


「いつか、その看板を、わしが投げた小石で割るんじゃ」


「無茶ですよ、王子はパワー重視には向いてないと、ご自分でもお分かりでしょう? だから剣の構えもスピード重視の構えだと、ご自分で発見なさったのでしょう?」


「それでも割るんじゃ」


「また村の子供達とそんな勝負をしてるんですか?」


「違う、その勝負は終わった。わしのイカサマでな。じゃが、爺に見せてやるんじゃ、わしはイカサマなどせずとも、本当に看板を割れるんじゃと、いつか爺に証明してみせるんじゃ」


「・・・・・・そうですか」


アスベストは、これからシンバの目の前に、最大の壁をが立ちはだかる事を知っている。


立ちはだかる大きな壁。


それを、シンバはどう超えていくのだろう。


人は人の死を、いつか、必ず越えなければならない。


幼い子供に、それを超えるのは辛いだろう。


しかも、生まれた時から、ずっと傍にいて、見守られ、叱られ、褒められ、愛をくれた者。


親が死ぬのと変わらないだろう。


それでなくても、エンジェライト王が死を覚悟した行動を、あっさり受け入れたシンバに、アスベストは不安を感じている。


シンバは、今現在、本当は心が折れてしまいそうな程、不安定なのではないだろうか。


この村に馴染めていない内から、最大の壁を向かえるのは、過酷すぎではないだろうか。


どうか、一時間でも、一分でも、一秒でも長く、パミスが生きてくれる事を願う——。


「王子、始めましょうか」


アスベストは竹刀をシンバに渡す。シンバは竹刀を持ち、そして、腰に携えるように持ったが、剣の先が地面に当たり、構えられない。


「王子は背が低いですから、その構えですと、剣を引き摺ってしまいますね。剣先を切りましょう」


「いいのか、お主の大事な思い出のある剣ではないのか?」


「・・・・・・私が大事に思うものは、王子だけです」


アスベストはそう言うと、川原の小石で、竹刀の先を潰すように叩き、そして短くなった竹刀をシンバに渡す。


今度はちゃんと腰に携える構えができるが、剣が短くなった分、相手に、かなり近付かなければ攻撃ができない。


「王子、敵に踏み込む事を恐れないで下さい、そして、絶対に敵が剣を振り上げても、目を閉じてはいけません。剣から目を逸らさず、敵からも目を逸らしてはいけません。敵の目を見て、攻撃を仕掛けてくるタイミングや次の攻撃を読むんです。そして、逸らさぬ事で、相手を怯えさす眼力も養うと、戦う前に逃げて行く者もいるでしょう。そして相手の剣がどこから飛んでくるのか、目で追えれば、避けれます。まず目で追えなければ避けれませんし、盾で防御も剣で弾き返す事もできません。そして、剣捌きというものは、剣術を得ている者ならば物凄く速いものです。目で追うのも難しい場合があります、その場合、勘で動くしかない場合もあります。後は運。運が良ければ、強豪相手の戦いでも勝てます」


アスベストは、まずシンバがどのくらいの視力を持っているのか、そして、どのくらい勘がいいのか、どのくらいの運を持っているのか、確かめる事にした。


「王子、小石を投げますから、それを避けて下さい。投げる距離も短くなっていきますが、私は投げる力も上げていきます。至近距離になり、小石が目で見えなくなっても、私がどこに小石を投げるか、私の目を見て察して下さい。後は勘で動いてみて下さい。避けれなくても竹刀で弾けそうなら、竹刀を使っても構いませんが、まずは避ける事だけを考えて動いてみて下さい」


シンバはコクンと頷き、アスベストとの特訓が開始する。


それからは毎日、シンバとアスベストは剣の稽古を、川原で朝早くから夜遅くまで続けた。


空に星が輝く頃、家路に戻る時に、ヨレヨレのシンバはルチルが剣の稽古をしているのを見る。


毎晩毎晩、ルチルの家の前だろう、その場所で、父親に叱られながら、剣を振るっている。


シンバがそこで必ず足を止めるので、


「王子が勝負する子ですか?」


アスベストは聞いて見る。


「そうじゃ」


「彼は、かなり筋がいいですね、なかなかの剣捌き——」


「彼? あぁ、あれは女じゃ」


「女!?」


思わず、アスベストは目を丸くし、ルチルを見直す。


ブラウンの髪は短く、まだ子供なので、勿論、体型も女らしくはなく、だが、シンバよりも、しっかりした体格に、アスベストは男だと思ってしまった。


「女にしては、かなりの素質の持ち主ですね、子供相手には勿論、ちょっと剣を嗜んだ程度の男には余裕で勝ちそうです。それに王子同様、かなりの努力家ですね、毎晩毎晩、厳しい稽古を夜遅く迄、続けてるようですし。昼間はあの父親が仕事なのでしょう、夜じゃないと稽古をつけてくれないのかもしれませんね」


「・・・・・・大したもんじゃ」


「しかし女ですから、強さにも限界がでてきますよ、大人になれば——」


「・・・・・・わしはあの女の強さを潰しとうない」


「え?」


「アスベスト、わしは後何日くらい訓練を続ければ稽古に出れるのじゃ?」


そう聞かれ、


「そうですね、もう基礎はできてますし、剣術も身についてます。後は毎日の鍛錬を続ければいいと思います」


そう答えると、シンバはルチルに向かって歩き出した。


「え? 王子?」


突然のシンバの行動に、アスベストは焦る。


シンバはルチルの傍に行くと、ルチルは持っていた剣を下におろした。


「剣の勝負に来た」


「え? あぁ! 思い出した! アンタ、剣できないんじゃないの?」


そう言ったルチルに、先の潰れた竹刀を見せ、


「できるようになった」


シンバはそう言うと、ルチルはフゥンと頷き、父親を見て、


「明日、道場を使ってもいい? この子と勝負する約束したから」


そう聞いた。ルチルの父親は強面の顔で、腕を組み、小さなシンバをジィーっと見つめ、


「ルチルと勝負して、怪我をしても知らんぞ」


そう言った。そして、シンバの背後に立っているアスベストを見て、


「・・・・・・余所者は嫌いだ、ルチルにも常にそう言っている。だが勝負に来たと、そちらが言って来たんだ、叩きのめされても文句は言えんぞ?」


と、太い声で言う。アスベストはペコリと頭を下げるだけ。


「明日またここに来て? 明日の——」


何時にしようか、ルチルが考えていると、


「夕方にしろ、仕事から帰ったら道場の扉を開けてやろう」


ルチルの父親がそう言ったので、ルチルは頷き、


「明日の夕方」


と、シンバに言う。シンバは頷き、


「道場というものを持っておるのじゃな。なら、雨の日は道場で稽古をしておったのか?」


そう聞くと、


「そうよ、どうして?」


と、ルチルは不思議そうに聞き返す。


「雨の日はここにおらんかったから休んでおるのかと思っておったんじゃ。そうか、雨の日も稽古は続けておるんじゃな」


そう言うと、シンバは背を向けて、帰って行く。


アスベストはルチルの父親とルチルにペコリと頭を下げ、シンバを追う。


「王子」


「アスベスト、やはり雨の日も訓練を続けて正解じゃったな、向こうも休んでおらんかった。雨の日も風の日も——」


「ですが、朝も昼も夜も一日中、剣を持ち続けていたのは王子です。あの娘は父親が仕事から帰って来た夕刻からでしょう。その分、あの娘のレベルに王子は近付いた筈です」


アスベストがそう言った時、向こうからショールが走って来る。


夜のせいもあり、闇の中を走って来る者が誰なのか、近づいて来る迄、ハッキリとわからず、シンバもアスベストも、ショールだと気付き、少し驚く。


「どうしたんだ、こんな夜更けに。寝ていたんじゃないのか?」


アスベストが、息を切らせ、目の前で立ち止まるショールに言う。


「兄さん、パミスさんが・・・・・・」


「え?」


「倒れたの。パミスさんが寝ている部屋から大きな物音が聞こえ、見に行ったら、倒れてて、今、お医者様を呼びに——」


「医者って、町まで行かないとないだろう!?」


「だから」


「バカか、お前は! 裸足で町まで走っていく気か!?」


慌てていたのだろう、靴もはかず、ショールは走って来たのだ。


シンバは持っていた竹刀を落とし、そして、家に向かって走り出した。


「王子!」


と、アスベストもシンバを追って走る。


家に着くと、ショールはパミスをベッドに寝かせる事ができなかったんだろう、床に転がったままの状態で、シンバはパミスの手を握り締め、


「爺! 爺!」


と、声をかける。パミスは薄っすらと目を開け、シンバを見る。


「爺、どうしたんじゃ!?」


「王子、ジィはそろそろ、ここを離れる時が来たようじゃ」


「何を言うとる! 訳のわからぬ事を申すな!」


「王子、剣は上達しましたかな?」


「明日、勝負する。爺、見に来てくれるか?」


「・・・・・・見なくても結果はわかりますよ」


「わしは負けるかもしれん」


「・・・・・・王子が負ける?」


「相手は強い。わしは負けるかもしれん。初めて負けるかもしれん」


「・・・・・・王子、ジィの事は忘れても、ジィが教えた事は忘れてはなりませぬぞ」


「爺を忘れる訳なかろう! 爺が教えてくれた事も忘れん! これからも色々と教えてくれるんじゃろう? わしは知らぬ事がまだまだある!」


「王子には、もうジィが教える事は何もありません、もしあるとしたら、それはアスベスト殿に教えてもらう事じゃ——」


「わしはアスベストにも教えてもらうが、爺からも教えてもらうんじゃ!」


「王子の手は子供の手とは思えぬ程、固くて、強い手をしておるなぁ」


パミスの手を握るシンバ。


パミスはシンバのその温もりを感じながら、瞳を閉じる。


「爺! 爺! 爺!」


「王子・・・・・・ジィは幸せ者じゃ。王子に出逢い、王子と共におれて、王子の成長を見てこれた。これからの王子の成長もジィには、よぉくわかる。きっと王子は——・・・・・・」


「爺! 爺! 爺!」


パミスはシンバの成長した姿を目蓋の裏に思い描き、立派な王になられる事を願い、祈り、夢見ながら、眠るように、この世を去った——。


明け方、やっとシンバがパミスから離れ、外に出て、まるで自分を痛めつけるかのように竹刀を振り回し続ける。


「王子」


「・・・・・・アスベスト、爺が弱っておる事をお主はいつから知っておった?」


そう聞いたシンバに、アスベストは黙り込む。


「知っておったのじゃろう? そんなに落ち着いておるんじゃ、爺に死が近い事を知っておったのじゃろう」


こんな時でも、シンバはよく人を見ていると、アスベストは、幼いながらもシッカリと周囲を見切っているシンバの性質に驚かされる。


「王子、今日の勝負事、延期にしてもらうよう、後で私が話してきましょう」


「必要ない」


「しかし——」


「勝負は夕方じゃ。爺が棺に入り、教会へ行くのは午前中じゃ、その後の葬儀が長引いても昼過ぎには終わるじゃろう。立派な葬儀を開いてやれんのが辛い。墓も小さいものしか用意してやれん。わしに力がないばかりに!」


「王子・・・・・・」


「何が王子じゃ。これでは只の村人と変わらん」


「・・・・・・」


「アスベスト、わしは力がほしい。もっともっと力がほしい」


たった6歳の子供が、愛する者の最期を看取り、この世を去る儀式が質素になる事に嘆き、力がほしいと願う。


たった6歳の子供が!


この世に生を宿し、まだ6年の月日しか生きていない者が!


小さな子供が、小さな背に力を入れ、涙さえ流さず、悲しみに耐え、打ち震えている。


そこには幼い子供ではなく、確かに立派な王となる者が立っている。


アスベストは、パミスから、人が死ぬと言う事の悲しみを教えてやってくれと頼まれたが、シンバに教える事は何もないと思った。


教えなくても、充分、理解している——。


「アスベスト、人は平等ではない。わしは今こそ、その意味を実感しておる。もし爺がジプサムの人間なら、まだ死ぬ時ではなかったかもしれぬ。我が国エンジェライトはジプサムに落とされ、年老いた爺を、戦で追いやり、住み慣れない村に来させ、無茶をさせ、死期を早めてしまったかもしれぬ。こんな事、世界中で当たり前のように起こっておるのじゃろう。人は平等ではない。じゃが平等なら、戦もなく、今頃、爺はエンジェライトで、朝一番の太陽を眺めておったかもしれぬ」


シンバの目に光る朝日——。


「じゃが、戦をせねば、理想郷など築けまい。アスベスト、わしはエンジェライトの王子じゃが、お主と合わせても二人しかおらぬエンジェライトで、将来、戦などできるのか?」


「・・・・・・王子には婚約者がおられます、王子が年頃になり、立派になられた頃には、ネフェリーン王国の姫と結婚し、そして、エンジェライトを築く為、ネフェリーン王国の騎士団を引き連れ、ジプサムを打ち落とす計画を考えております」


「・・・・・・ネフェリーン王国の姫と、わしは婚約しとるのか」


「はい」


「そうか。なら、その婚約を解消されんようにせんとな。今のわしはエンジェライトの王の血以外、何もない。見た目もチビで小柄で頼りない。女に好かれる自信はないのぅ」


「心配無用でしょう、王子は子供ながらに、とてもいい男です。それにエンジェライト王は二枚目のいい男でした。きっと王子も王のように、背も高く、凛々しいお顔立ちに成長するでしょう」


「・・・・・・アスベスト」


「はい」


「わしは母似じゃ」


そう言って振り向いたシンバに、アスベストは妃を想い出す。


美しく輝く雪のような銀髪、氷のような透明感のある白い肌、空を射るような青い瞳。


「そうですね、ですが、妃様も、この私が恋焦がれる程、とても美しい方でした。どちらに似ても、王子の容姿に間違いはないでしょう」


「なら良いが」


シンバはそう言うと、溜息を吐いた。


そして、パミスの遺体を教会へ運び、神父の段取りで、葬儀も進む。


シンバと、アスベストと、ショールと、タルク。


それ以外は誰もいない静かな葬儀。


棺や葬儀、墓石や墓の土地を買う金で、生活費が底をつくかと思ったが、パミスは遺言を枕の下に置いてあり、その中に大金が入っていた。


その金で全て賄われ、最期まで何の手もかけさせぬ、出来た人だと、アスベストは思う。


「爺、待っておれ。必ず、わしがエンジェライトを復活させ、天下を築き、もっと立派な墓を建ててやる。わしが爺を迎えに来る時まで、待っておれ」


と、シンバはパミスが眠る墓石に囁いた。


夕刻時——。


アスベストの姿はなく、シンバは一人、ルチルが待つ道場へ向かう。


赤く空を染める夕焼け。


先の潰れた竹刀を持って現れるシンバに、皆がどよめく。


シンバとルチルの勝負を見る為、子供達が集まっているのだ。


「じいさんが死んだってのに本当に来たよ」


と、ざわざわ騒ぎ出す。


ルチルの父親も審判として、参加するようだ。


「よく来たわね、別に今日じゃなくても良かったのに。おじいさんが亡くなったんでしょう? 今日くらい、悲しんで、家で泣いてたら?」


「構わん。気にするな」


「アタシが気にするんだけど」


「わしが気にするなと言うとるんじゃ、気にするな」


「自分勝手な人ね」


ルチルは呆れたように、そう言うと、ルチルの父親が、


「私語はその辺でいいだろう、さぁ、お互い、向かい合って、構えろ」


と、シンバとルチルを道場の真ん中へ招く。


皆、ざわついていたが、一気に静まり返る。


ルチルがシンバにペコリと頭を下げるが、そんな礼儀を知らないシンバは突っ立ったまま、ルチルを見て、何故、まだ負けてもないのに頭を下げたのだろうかと、不思議に思う。


ルチルはシンバの方に剣先を向けて、構える。


シンバは腰に携えるように剣先を左斜め下にして、構える。


シンバの構え方に、皆、再び、ざわざわと騒ぎ出すが、


「始めぃ!」


と、ルチルの父親の合図で、静まり返る。


道場に鳴り響く、竹刀の交わる音。


一瞬で終わると思っていたルチルは、意外な程、シンバが動くので驚いている。


それはルチルの父親も同じで、シンバのスピードと勘の良さに驚く。


10分が経過し、15分が経過し、20分が経過。


「やめぃ!」


ルチルの父親が止めに入り、シンバはまだ決着がついてないのにと思うが、20分も続けば、休憩をいれなければならない。


これはあくまで稽古試合なのだから。


しかし、ルチルの呼吸が乱れているにも関わらず、シンバは息があがる事もなく、平然としているように見え、ルチルの父親は少し焦る。


ルチルに子供達が群がり、頑張れと応援をしている。


シンバは休憩中、只一人、道場の隅の方で、ぼんやり過ごす。


10分の休憩が終わり、再び、シンバとルチルは道場の真ん中で竹刀を構え、第二試合となるが、決着はつかない。


再び、休憩になり、第三試合を迎える。


ルチルの体力に限界が出てくる。


第四試合、第五試合、外はすっかり暗くなり、アスベストが現れ、試合を見る。


ルチルの竹刀が、大きく振り上がり、瞬間、シンバが踏み込む!


ルチルの懐へ入るように踏み込んだ筈が、後一歩、何故か踏み込めず、シンバの肩にパシンとルチルの竹刀が当たり、


「勝者、ルチル!」


と、ルチルの父親の声が、道場に響き、子供達から、ワァッと歓声が上がった。


わざとシンバは踏み込まずに負けたのだと、それを知るのはアスベストだけ。


今、ルチルに駆け寄る子供達。


「ハァ、ハァ、ハァ、アタシの勝ちね」


息を乱し、喜びの表情を浮かばせ、ルチルが言う。


「わしの負けじゃ」


そう言ったシンバに、


「土下座しろよ」


と、偉そうなジャスパー。


「私が変わりに土下座しよう」


アスベストがそう言うと、シンバの前に立ち、子供達全員に土下座して見せた。


大人に土下座をされ、子供達はシーンと静まり返ってしまう。


シンバも、アスベストが土下座する事を当たり前のように見ているので、余計に、静まり返ってしまう。


「アスベスト」


ルチルの父親が近付いて、土下座しているアスベストの肩を叩く。


「お前、息子に甘いんじゃないのか? 子供同士の約束、子供に果たさせるべきだろう」


「甘い? 全然、甘くない。それにこの土下座を、王・・・・・・いや、シンバがすれば、必ず、皆、後悔する事になる」


「後悔? よくわからんが、ま、お前の息子だ、お前が好きに教育すればいいが」


「あぁ」


「だが、オレの娘と苦戦するなんて、なかなかの強さだな。ルチルは3歳の頃から剣を持たせてるんだが、お前の息子は何歳から剣を持たせたんだ?」


「・・・・・・3週間ばかり」


「3週間? 嘘付け」


「嘘か」


アスベストは、息子というのが嘘なんだがなと思う。


「しかしアスベスト、お前の息子なだけあって、剣の才能がある。これからも、その素質を活かし、更に開花させると、将来は立派な剣士になるだろう」


「いいや、シンバは剣の才能などない。あるのは違う才能だ。そして、その素質は既に開花されている」


「剣の他に、もっと才に恵まれたものがあると言うのか?」


「あぁ、その内、わかるよ」


「よくわからんが、お前は変わったな。昔はもっと勝ち気で、絶対に謝る事などしなかっただろ、ガキの頃の話だから変わっても仕方ないか。だが、確かに剣の勝負で負けた事はなかったな、お前は——」


「ははは。この道場、懐かしいよ。お前の親父さんに扱かれた御蔭で、今でも剣は強いぞ、どうだ、勝負してみるか?」


「やめてくれ、オレは親父のように教えるのは得意だが、自分が剣を握るのは苦手だ」


アスベストとルチルの父親の会話で、二人は子供の頃からの友人だと、ルチルは悟る。


余所者は嫌いだと言っていた癖にと、ルチルは父親に呆れる。


「で、親父さんは?」


「とっくに亡くなった」


「そうか、残念だ」


「それより、お前の息子、ルチルと共に鍛えてやろうか?」


「いや、シンバには必要ない才能だ。既にここまで強くなっただけで充分」


「強さに充分だと言うのか? お前が? やっぱり、お前は変わったな」


と、笑うルチルの父親に、アスベストも笑って見せる。


「では、そろそろ失礼するよ」


アスベストはペコリと頭を下げ、そう言うと、突然、ルチルの父親は厳しい顔になり、


「アスベスト、お前は、一度、この村を出て行った余所者だ。受け入れてほしかったら、村でちゃんとした働き口を見つけるんだな、一生、ベリルエリアから出て行かぬと誓うんだ。お前のうちが貧乏なのは知っているが、出稼ぎに行くにしても、ベリルエリアで行えばいいだけの話だったんだ、違うか?」


そう言った。アスベストは何も言わず、頭を下げ、そして、シンバの背中を押し、


「王子、お疲れになったでしょう、帰りましょう」


小声で、そう言った。


シンバはアスベストを見上げ、


「いいのか? 返事をせぬままで」


そう尋ねた。アスベストは、コクンと頷き、


「私は一生エンジェライトに仕える騎士です」


そう言った。シンバもコクンと頷く。


道場では、ルチルの勝利に、子供達が盛り上がっている。


シンバとアスベストは静かに道場を出て、夜道を帰る。


「王子、試合を最初から見れなくて申し訳ありませんでした」


「どこへ行っておったのじゃ」


「これを王子にと思いまして、鍛冶屋に頼んでいたものが届きましたので、港まで取りに行っていたのです」


と、アスベストは真剣をシンバに差し出す。


その剣の長さは、シンバの身長より高く、背負うのも無理がある。


「何れ、王子が持つべく剣と思い、造らせました。大雪原という刀で御座います」


「ダイセツゲン? カタナ?」


「雪原とは雪で覆われた広範囲な土地で永続的な積雪のエリアを意味します。大雪原は見渡す限り、全て雪が支配している世界です。永続する雪の世界は王子が、この世界を手にして、王子の理想郷を永続させる事と繋がり、そして雪は王子の白い肌をイメージして造らせた、世界で1つしかない最強の剣で御座います。腰に携え、王子の構えにはソードよりもカタナが合うと思い、王子の成長を考え、長さも、手に持った時の、柄の握りやすさも、全て王子の為にだけに造った剣で御座います」


シンバは刀を受け取り、だが、まだ大きすぎて、それを鞘から抜く事はできない。


「細い剣じゃな、そのせいか、わしでも軽く持てる。竹刀より軽い」


「それは王子にピッタリ合うように造らせたからでしょう、大雪原は王子だけの剣ですから。それに刀はソードより軽めです、王子のスピードならば、軽いものの方が逆に攻撃力が上がりましょう」


「・・・・・・そうか。わしの剣か、何れ、これを装備できる時が来れば良いのぅ」


確かに今は無理だろう、体が小さすぎる。


だが、シンバは大雪原を持ち、今から、大雪原に慣れようとしている。


そんなシンバに、アスベストは、まだ幼い為、早いかとも考えたが、真剣を渡して良かったと思う。


「・・・・・・王子、何故、わざと負けたんですか?」


突然の問いに、シンバはアスベストを見て、気付いておったかと呟いた。


「あの女はまだ強うなる。わしが勝って、あの女のプライドを潰し、さらに努力をさせる必要があるか? 今でさえ、充分、努力を惜しまぬのに、これ以上、努力させれば、プライドだけでなく、体も潰してしまうじゃろう。それに爺が教えてくれたんじゃ。勝ちだけが勝利とは限らぬとな」


「・・・・・・その通りです」


「最後まで粘って、勝ちを譲ったんじゃ。わしは負けた訳ではない」


「はい」


「あの女はいい剣士になるじゃろう。女は限界があると言うたが、まだ限界まで程遠い。じゃろう?」


「はい。いい剣士になってもらわないと、折角、王子が最後まで粘って、勝ちを譲ったのですから」


「じゃな」


頷きながらも、譲ったとは言え、初めて負けたと言ったシンバの目には涙が溜まっている。


王が死を覚悟したと聞いた時も、パミスが死を迎えた時も、涙を流さなかったシンバが、今、涙が落ちそうで、上を向いて歩いている。


「王子、王子は誰にも負けないものを持っています。いいですか、王子、木登りや石投げなど、勝つ必要がない。それで勝ちたいのであれば、私が、木登り名人や石投げ名人を探して連れてきて、王子の変わりにやらせましょう。剣も、この私が、王子が命じるのであれば、どんな強豪にでも勝ってみせましょう。王子には、そんな才能、必要ありません」


そう話すアスベストを振り向いて見たシンバの頬に、ツゥッと一筋の涙が流れる。


「王子の才能は、王子であると言う事です、王子の中のエンジェライトの血がなかったとしても、その素質は王子の中にあります。王子はエンジェライトの王子として生まれた事、そしてエンジェライトに王子が生まれた事、それはエンジェライトにとって、最高の運でしょう。王子、アナタは、王になられるお方だ。それは誰にも負けない、いや、誰にもなれないものであり、努力ではどうしようもないものです」


「・・・・・・そうか」


その時、


「あー! いたいたー!」


と、ルチルが駆けて来る。


シンバは急いで涙を手で拭う。


「敗者が勝者の承諾なく、勝手に帰らないでくれる?」


「すまぬ」


「アンタ、凄いじゃない。このアタシを、あそこまで追い詰めるなんて」


「そうか」


「アタシ、ルチル。よろしくね」


ニッコリ笑い、手を差し出すルチルに、シンバは眉間に皺を寄せ、その手を見る。


「ちょっと! 握手しなさいよ!」


そういうものかと、シンバはルチルの手を握ると、


「ちょっと! 名乗りなさいよ!」


そうなのかと、シンバは、


「わしはシンバじゃ」


そう言うと、


「ちょっと! それだけ?」


と、不機嫌そうな顔で言われ、シンバはどうしろと?と眉間に皺を寄せる。


「友達になろうとか、言わないの?」


「・・・・・・なってくれるのか? わしと友達に?」


「なってあげるわ」


上から目線でそう言ったルチルに、シンバはクッと笑みを零し、


「それは有り難い。なんせ、友達は初めてじゃ」


そんな事を言うから、ルチルは冗談だろうと、シンバと一緒に笑ってみせる。


「確か、友達は平等じゃったな。わしの友達が増えればいいのう、世界中に——」


そう言ったシンバに、アスベストは、シンバの理想とする世界を知る。


そして、やはり、シンバは王に相応しいと確信する。

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