6.雪降る大地

元エンジェライトエリア。


現在、北ジプサムエリアとなっているここは、季節的には冬になり、かなり寒い。


ジャスパーはガチガチと歯を鳴らし、震えている。


「アンタねぇ、ここに来る前に立ち寄った町で購入した暖かいダウンジャケト、一番高いの買った癖に、ソレ着た上に、脂肪もあるんだから、寒くないでしょ! ガチガチガチガチ、うるさいのよ!」


「ルチル殿、ガチガチ歯が鳴るのは仕方あるまい、ジャスパー殿は寒さに弱いのじゃろう」


「あら、王子、気合が足りないんですわ、この道化師は!」


と、ジャスパーを道化呼ばわりし、睨むルチル。


船に乗り、大陸を渡り、馬を走らせ、国境となる橋がある場所まで来ていた。


エンジェライト王国へ向かうには、あの橋を渡らなければならない。


橋にはジプサムの騎士がいて、騎士に、通行の許可を与えるか、与えないか、決められる。


「騎士と言っても見張り兵ですから、階級もない玄武よりも更に下に位置する兵でしょう、ここは一気に片付け、強行突破しましょうか」


アスベストがそう言って、シンバを見る。


「・・・・・・そうじゃな」


皆、馬から下りると、馬の手綱をジャスパーに渡し、シンバとアスベストとルチルは橋へ向かって走り出す。


ジャスパーは4頭の馬を引きながら、ゆっくりと、3人が走っていくのを追いかける。


大きな橋の下へ回り込み、アスベストとルチルは左右に別れ、橋の上へ行く。


シンバは、橋の下で、上の様子を伺う。


兵達の話し声——。


「今日もさみぃな、おい」


「ここはまだ雪が降ってないが、北ジプサム城辺りは雪が降ってるらしいぞ」


「雪か。交代まで時間もたっぷりあるし、温かい飲み物の差し入れでも欲しい所だな」


「くだらない事してるアイツ等に差し入れを持って来させるか」


——アイツ等?


「アイツ等がそう簡単に言う事を聞いて、差し入れを持ってくると思うか?」


「確かに。しかし殴り飛ばしてでも、アイツ等をどうにかした方がいいと思うがね。そうでもしなければ、反逆者を許してるようなもんだろ」


「しょうがないだろ、王子様のご命令だ」


——王子様?


「やっぱりエンジェライトの王子様は、いつまでたってもエンジェライトの王子様って事なんじゃねぇの」


——エンジェライトの?


「ジプサム王も何を考えてるのやら」


「おっと、こんな話、ここだけにしとけよ」


その兵達の会話が途切れ、驚きになり、悲鳴になり、静かになる。


アスベストとルチルが兵達を倒したのだ。


シンバは橋の上に行き、数人の倒れている兵達を見る。


「妙な事を話しておったな、くだらない事をしているアイツ等がどうのこうの、エンジェライトの王子がどうのこうの、とりあえず、ハッキリわかったのは交代の時間があるみたいじゃ。次の兵が来るまで、まだ時間はあるようじゃが、先を急ごう」


アスベストとルチルにそう言うと、今、4頭の馬を連れて現れたジャスパーから、手綱を受け取り、再び馬に跨り、橋を渡る。


まず最初に見えてきたのは、元エンジェライトエリアの時に、ウレックサイトと言うエンジェライトエリアの中では、尤も大きな町だった場所。


城下町よりも大きく、それはこの寒いエリアにだけ咲く雪割りの花が名物となる町だったからだ。


雪割りの花が咲き乱れる広場と時計台が目印の美しい町だった。


だが、そこはもう荒れ果てた地となっていて、雪は積もってないが、花はどこにも咲いていなくて、戦が終わり、12年の月日が流れても、何も変わりなく、そのままの無残な姿だけが残っている。


馬の蹄が泥濘に入り、ズボズボと嫌な音を立てる。


こんな景色を見たかった訳ではないが、この景色を見る事で、シンバはジプサムに戦いを挑む理由を噛み締める。


ウレックサイトから、インカローズと言う町へ移動する。


やはり、そこも戦の傷跡がそのまま残った町で、シンバは馬に乗ったまま、町の中をうろつくが、どこもかしこも、酷いという言葉しか見つからない状態だ。


今は北ジプサムエリアとなっているが、特にジプサムとして、町を造り直した様子は何もない。元エンジェライトの最後の姿のままだ。


「惨いのぅ」


そう呟くシンバに、アスベストもルチルもジャスパーも同じ気持ちでいた。


そして、改めて、ルチルもジャスパーも、ベリル城がジプサムに落とされていたら、ペリドットも、こんな光景になってしまったのだろうと、想像し、こんな世界を築いてはいけないと感じている。


インカローズを出て、次はエンジェライト王国。


今は北ジプサム城と呼ばれる場所だ。


馬を走らせ続け、雪が降り始め、薄っすらと草木に白い雪が積もり、キラキラと輝くように現れる城。


曇り空が重く、暗い雰囲気を醸し出すのに、白い雪がキラキラと、キラキラと光りながら、空から舞い降りてくる。


シンバは馬から降りて、城に向かって歩き出す。


アスベストも、ルチルも、ジャスパーも、馬から降り、シンバに続く。


シンバは城下町を通り過ぎて、城を見上げながら、歩いて行く。


城へと入る門を潜り、シンバは息を呑んだ。


「・・・・・・嘘じゃろ」


思わず、そう呟いてしまう程、城は綺麗に再現されており、崩れた場所も、荒れ果てた様子もなく、庭のガーデニングも美しいままで、シンバは驚いてしまう。


シンバの記憶の中には、エンジェライトの事は余りなくて、どちらかと言うとパミスやメイド、執事、騎士、町の人々など、人との関わりなどの方が記憶に残っている。


だから、あの頃のままなのか、どうなのか、それはシンバにはわからないが、こんなにも城を美しく保っておけるのは、廃墟となった場所では有り得ない事だ。


城の大きな門に刻まれたエンジェライトの紋章は、今も尚、輝きをなくさず、誰かが磨いているかのようだ。


城内は赤い絨毯も、汚れもなく、飾られたオブジェに埃さえない。


絵画もそのままで、シンバは父と母であるエンジェライト王と妃の自画に、足を止める。


「・・・・・・どういう事じゃ、こんな絵まで残っておるのか。エンジェライトはジプサムに落とされたのではないのか? わしは夢を見ておるのか」


そう思っているのは、シンバだけでなく、アスベストも同じようだ。


「誰だ?」


その声に、シンバは振り向く。


そこに立っているのは、戦士という訳ではないだろうが、逞しい体をした50代くらいの中年男性だ。


ルチルもジャスパーもジプサムかと、構えるが、


「・・・・・・ジプサムの奴等じゃなさそうだな、旅の者か?」


男にそう言われ、アスベストもシンバも眉間に皺を寄せる。


「橋はどうやって渡れた?」


「・・・・・・その質問の前に、お主は誰じゃ? ここで何をしておる?」


「ここで何をしているか? それはこっちの台詞だ」


確かに、シンバ達も、他所から見れば、こんな場所で何をしているのだろうと疑問に思われて当然。


「ここは元エンジェライトの城じゃろう?」


「元だと? 冗談言うな、ここは永遠にエンジェライトだ!」


そう吠えた男に、アスベストが、


「——料理長じゃないのか?」


男に近寄り、そう聞いた。男はアスベストに警戒した表情を見せるが、


「忘れたのか? 私だ、アスベストだ」


と、アスベストが言うので、


「アスベスト?」


と、問い返し、アスベストをジッと見つめ、そして、


「アスベスト? アスベストなのか? あの人参嫌いのレグルス騎士隊長の!?」


そう言った。


「あぁ! そうだ!」


大きく頷くアスベストに、男は、ワァッと声を上げながら、アスベストに抱きつき、


「無事だったのか! 今迄、どこで何をしていた?」


と、笑顔を見せる。


「料理長こそ、無事だったんだなぁ! そうだ、聞いてくれ、シンバ様を覚えているだろう? 彼こそが、エンジェライト第一王子、シンバ様だ」


アスベストは料理長をシンバの目の前に連れて行き、そう言うと、


「王子、エンジェライトで料理長をしていた者です」


と、シンバに男を紹介する。


「・・・・・・シンバ様?」


料理長はそう呟き、シンバをまじまじ見つめ、今度はワァッと声を上げると、泣き出し、


「おーーーーい!!!! みんなぁーーーー!!!! 王子が帰還したぞぉ!!!!」


そう叫んだ。


すると、あちこちから、何事の騒ぎだと、人が出て来る。


「シンバ様、覚えておられますか、エンジェライトで仕えていた者達です。あそこにいる片目が潰れた男は庭師とその息子、あっちにいる太った女と火傷の跡が酷い女は洗濯係と掃除係りのメイド、そっちは片足を失くした老人はお茶係りの執事、それから——」


わらわらと出てくる人を指差しながら、一人一人の説明をし、そして、その皆に、


「おい、お前達、エンジェライト第一王子シンバ様と、レグルス騎士隊長アスベストだ」


料理長は大声で、そう言った。


皆、驚いているのか、一瞬、静かになり、ざわざわと騒ぎ出した後、シンバの後ろに飾られた王と妃の絵画を見ながら、シンバが妃ソックリだと気付いた後、歓声が起きた。


「王子、ご無事でしたか!」


「あ、あぁ、お主等も無事で良かった」


「私達は王子が生きていると噂を聞いて、いつか戻られると信じて城を守ってきました」


「・・・・・・わしが噂になっておったのか?」


「兎に角、今日は王子と騎士隊長の帰還の祝いだ、腕を振るうぞ!」


と、料理長が腕まくり。


「ちょっと待つのじゃ、お主等、ここは北ジプサム城じゃろう?」


シンバがそう聞くと、皆、黙り込んだ。


「何故、城の紋章をエンジェライトのままにし、エンジェライト王と妃の絵画も飾られ、ジプサムは黙っておるのじゃ? お主等も、こんな事をしておって何もされとらんのか?」


皆、黙り込む中、


「王子が、私達を影で支えてくれていたのではないのですか?」


メイドがそう聞いた。


「わしが?」


よくわからないと、シンバが眉間に皺を寄せると、皆、ざわざわと騒ぎ出し、


「シンバ様、実は——」


と、庭師が重い口を開いた。


「実は、エンジェライトの王子が生きていると言う噂は、ジプサムの兵から聞いていました。ですが、生きているのは第二王子、レオン様だと——」


「レオンじゃと? 弟のレオンが生きている?」


「レオン様はジプサムの王子として存在しているとの事。ですが、それは敵を欺く為でしょう、何故なら、私達がこうして、エンジェライトを綺麗に建て直し、修復し、王子の帰還を待っていられるのは、レオン様がお許しして下さっているからです。ジプサムの兵達がそう言っていましたから——」


「・・・・・・弟が、ジプサムの王子じゃと・・・・・・?」


「シンバ様が私達の存在を知らなかったのならば、やはり、ジプサム兵の言う通り、レオン様は生きておられ、影で私達を支えておられるのです!」


そんなバカなとシンバは言葉を失う。そして、皆、楽観的に、


「シンバ様もレオン様も生きておられるんだ、エンジェライトは復活する!」


と、大喜び。よくわからないが、ルチルとジャスパーも一緒になって小躍りする皆とはしゃぎ、アスベストとシンバだけが難しい表情のまま。


「・・・・・・喜ぶ事ではない!!!!」


突然、そう怒鳴るシンバに、皆、静まり返る。


「レオンが生きており、ジプサムの王子として存在し、しかもエンジェライトの紋章を残し、城をこのまま存在させる、その意味がわかっておるのか! エンジェライトとジプサムは同盟を結び、しかも、エンジェライトはジプサムに吸収されておるのじゃぞ!」


余りに怖い表情のシンバに、皆、そんな事ないと言おうとしても言えないまま、だが、アスベストを見ると、アスベストはコクンと頷くので、そうなのか?と、急に不安になり、皆、生唾をゴクリと飲み込む。


「・・・・・・12歳じゃな」


「はい、そうですね、王子とは6つ離れておられますから」


「12ともなれば、子供じゃと甘くも見れん」


「確かに。王子が12歳の頃、既に私より強くなられておりましたしね」


「わしは生まれたばかりのレオンしか知らん。じゃが、わしと血の繋がりがある大事な弟じゃ。しかも生きておったと言うのに、こんな事になろうとは——」


「王子、私の情報不足です、敵の情報を知るのが遅すぎました」


「いや、お主のせいではない。この事は余り知られておらぬのじゃろう、現にエンジェライトの騎士だった玄武達からも何も聞いておらん。通りで、橋に見張り兵を立たせる訳じゃ、この事が外に漏れんよう、ここだけの話なのじゃろう」


シンバとアスベストの会話に、皆、黙り込み、静かに佇むしかできない。


「すまぬな、折角会えたのに、大声で怒鳴ってしもうて。しかし、ようここまで立て直したのぅ、炎で焼かれ、崩れ落ちた筈じゃろうに。絵も修整するのに、大変じゃったじゃろう。アスベスト、ルチル殿、ジャスパー殿、わしは城内を見てまわる。そろそろ橋の上の兵達の交代の時間じゃろう、倒した兵達に気付いて、こちらへやって来るかもしれん。見張っておれ」


「はい」


シンバの命令に3人は頷いた。


シンバは一人、城の中をうろつく。


螺旋状になった階段を登り、自分の部屋に向かう。


ドアを開け、思わず笑みを零す。


「オモチャだらけじゃ」


シンバはネジを巻いて動く兵隊の人形を手に取り、見つめる。


こんなオモチャを持っていたのかさえ、全く記憶にない。


大きなフカフカのベッド。


今ではフカフカ過ぎて、逆に眠れなさそう。


難しい本が並ぶ本棚。


記憶にないどころか、これは全部、頭に入っている。


その隣には机と椅子。


シンバはその机に手を置き、記憶を辿る。


『——王子』


パミスの声が聞こえる。


『——王子、まだわかりませぬのか』


『待っておれ! もう直ぐできる!』


頭を抱え、問題と睨めっこしているシンバ。


『王子、この本を読みなされ』


『それを読んだら、この答えがわかるのか?』


『只、読むだけでは駄目ですぞ?』


『わかっておる!』


シンバはあの頃を思い出し、


「クソ生意気なガキじゃな、わしは」


と、呟く。


「のう、パミス。お主も大変じゃったな、わしの教育は——」


言いながら、バルコニーに出ると、いつの間にか、雪が降り積もり、真っ白な景色が広がっている。


シンバは白い息を吐きながら、その景色を見つめる。


何を想うのか、ぼんやりと寒い中、ずっと突っ立っているシンバ。


ふと、下を見ると、料理長が雪の中、何かしている。


「——ここの真下は畑なんです、向こう側には温室もあります」


その声に振り向くと、庭師の息子が立っている。


シンバと同年齢くらいで、やはり白い肌をしている。髪と瞳はブラウン。


手は真っ赤に荒れていて、傷だらけだ。


「料理長がご馳走を作ると言っていたので、畑で野菜を採っているんでしょう、オレ達は自給自足の生活をしていますから、野菜も新鮮な採れたてを食べれますよ」


と、蝋燭を机の上に置き、


「そろそろ暗くなりますから、灯りを持ってきました、ここへ置いておきます」


頭を下げ、そう言うと、行こうとするから、


「お主、名は?」


シンバは呼び止めた。


「え? あ、はい、マイカと言います」


「マイカか。ここへ来る途中、このエリアにある町に立ち寄ったが、どこも荒れ果てたままじゃった。ここに住んでおったら買い物へも行けぬな」


「でも別に不便は感じていません、小さい頃から、こうして生活をしてますから」


「そうか」


頷きながら、シンバは部屋に入り、雪で濡れた体をふるふる左右に振り払い、


「じゃが、折角、ここまでやってくれたのに、申し訳ないが、エンジェライトの紋章を取り外すぞ」


そう言った。マイカは小さな声を、え・・・・・・と漏らし、黙り込む。


「お主等はもっと便利な場所へ行く方がよかろう」


「何故ですか!」


マイカは大声でそう聞いた。


「何故ですか、何故ここにいては駄目なんですか、オレ達は間違っていたんですか、確かにジプサムに吸収されるなんて知りませんでした、でも——」


「わからぬか、ここは北ジプサム城。エンジェライトではない。幾らエンジェライトを装っても、ジプサムを落とさぬ限り、ここはジプサムの領土なんじゃ。そんな領土にエンジェライトを美しく保ち存在させるなど、絶対にあってはならぬ事じゃ。例え、どんなにここがエンジェライトだと主張しても、ここは北ジプサム城なんじゃ」


「・・・・・・オレ達をどうするつもりですか?」


「どうもせんよ、しかし、お主等の居場所はここではない、共にネフェリーン王国へ行くか、もしくはベリル王国へ行くか」


「・・・・・・どちらもオレ達が帰る場所じゃない」


「・・・・・・」


「オレ達はエンジェライトだ。アナタだって、エンジェライトの王子なんでしょう? 紋章を取り外して、ここを北ジプサム城だと言うなんて、それがエンジェライト第一王子の言う台詞ですか!? エンジェライトはジプサムに吸収されてません、第二王子が犠牲になり、ジプサムの王子となる事で、ここを守って下さっているのだと思っています。それこそが王族の誇りじゃないんですか、だからこそ、王に仕える者はこうして城を守り、王の帰りを待てるんじゃないのですか!」


「・・・・・・」


「アナタは今迄どんな生活をして来たんですか。エンジェライト誇っての最強部隊レグルス隊の隊長と一緒にいたと言うんですから、さぞかし、守られて来たのでしょう。でもオレ達はジプサムと戦い、ここを守って来たんです、戦で傷付いた体を持ちながら、皆、必死に守ってきた場所なんですよ!」


「・・・・・・」


「アナタは体の不自由な者を見て、何の労いの言葉もなく、オレ達が守ってきたものを奪おうとしいる。ここは、アナタの弟であるレオン様がご自分を犠牲にしても守っている場所です、アナタにありますか、自分を犠牲にしても守りたいものが!」


「・・・・・・」


「オレ達が帰りを待っていた王子はアナタじゃない」


「・・・・・・」


「少なくともオレは、第二王子レオン様に仕えますから!」


そう言うと、マイカは無礼にも背を向け、部屋を出て行く。


シンバは机の上に置かれた蝋燭を持ち、自分の部屋だった場所を、今一度、見渡し、そして、部屋を出ると、今度は隣の部屋のドアを開け、弟のレオンの部屋に足を踏み入れた。


赤ちゃんのベッドと、赤ちゃんをあやすオモチャと、優しい音を奏でるオルゴール。


可愛らしいヌイグルミが幾つも並ぶ。


継ぎ接ぎだらけのヌイグルミ達。


焼かれてしまった場所を、新しく布を当て縫い直してある。


シンバは、その中でも一番大きなクマのヌイグルミに目を止める。


レオンが生まれて直ぐに、お祝いのプレゼントが山程、この部屋に運ばれ、羨ましく思ったなぁと、眠っていた過去を思い出す。


執事が大きなヌイグルミを持って、レオンの部屋に入って行き、幼いシンバは、そのヌイグルミをジィーッと見つめていた。


『王子、ドアの前で何をなさっておるのじゃ』


『爺、わしが生まれた時にはヌイグルミのプレゼントはなかったのか?』


『王子は男の子じゃろう』


『レオンも男じゃろう、でもレオンは大きなヌイグルミをもろうとる』


『それは王が、まだレオン様がお妃様のお腹の中にいた時に、次は女の子じゃと勘違いして、ヌイグルミを買われたんじゃ』


『・・・・・・わしも大きなヌイグルミがほしい』


『何を仰います、王子』


『何故レオンには爺みたいな教育係がつかんのじゃ、何故、お母様に育てられるんじゃ』


『それは——・・・・・・』


『わしも、お母様と一緒におりたい』


『・・・・・・』


『お母様は、わしが嫌いなのか?』


『そうではありません、王もお妃様も、王子を愛しておられます』


『嘘じゃ。わしは愛されておらぬ。爺もレオンの所へ行けばいい』


『ワシはシンバ王子の傍におります』


『爺がおっても、わしは嬉しくない! わしはレオンになりたい。お父様とお母様の傍におるレオンになりたい』


『王子は・・・・・・シンバ王子は、レオン様になれません。王子は、この世で、唯一の絶対的な存在であり、何れこの城を継ぐ者、甘えは必要ないと、王のお考えじゃ。それはまだ小さな王子には辛いかもしれぬが、王から授かる偉大なるチカラで御座いますから。シンバ王子が生まれた時に、シンバ王子だけに王が約束された誓いですから』


『・・・・・・ようわからん! わしはレオンに生まれたかった』


『そうじゃ、王子! レオン様のように甘えたいのであれば、爺が、お妃様の変わりを致しましょう、爺がヌイグルミにもなりましょう』


『しわしわのお母様などいらぬ、ごつごつの骨と皮だけのヌイグルミなどいらぬ』


『はっはっはっ、そう言わず、ワシに抱っこされなされ、王子』


『やめろ、爺! 暑苦しいわ、引っ付くな! わしはお母様と一緒におりたいんじゃ、大きなヌイグルミが欲しいんじゃー!!!! レオンばっかりズルイじゃろう、わしも欲しい欲しい欲しい、欲しいんじゃー!!!! わしはレオンになるんじゃー!!!!』


ワァァァァンと泣き喚くシンバに、パミスは困った顔で、苦笑いをしていた。


ポロンポロンと綺麗な音色を響かせるオルゴールに耳を傾け、


「・・・・・・レオンになるんじゃ、か。なんじゃろうなぁ、この気持ちは」


心の隙間に重く沈む悲鳴のようなもの。


悲しいような、寂しいような、スッキリしないもの。


シンバは空気を勢いよく吸い込み、その嫌なモヤモヤを吐き出せないかと、深く息を吐く。


誰かと比べるなんて、おかしい事だ。


誰かになれる筈もない。


自分は誰でもなく、自分でしかない。


今は、そんな事が、わかってしまう大人なんだ。


あの頃のように、泣き喚き、無茶を口に出せる子供ではないのだ。


シンバは間違いなく、エンジェライト第一王子。


生まれて直ぐに、王と交わした一方的な約束。


やがて王になる為の、父との誓いの儀式。


シンバの体の中に流れる赤い血は、王になる者の証。


記憶にもない、思い出にもない、保証も契約も何もない誓い。


只、シンバという存在があるだけ——。


「マーブル、お主に会って、話がしとうなった——」


ロザリオを握り締め、そう呟く。


弱音を吐いている場合ではないなと、シンバは、レオンの部屋を後にし、更に階段を登り、城の一番高い場所へと来た。


見張り台のひとつとなる場所で、遠くまで見渡せる大きな窓がある。


その窓をあけると、びゅーっと冷たい風がシンバの頬に触れていく。


銀色の髪が風に揺れ、青い瞳が遠くを見つめ、シンバは何を思い、そこに立ち尽くしているのだろうか。


暫く、暗くなって行く景色を見ながら、シンバは、自分の思い出はパミスばかりだと思い、


「爺、お主はそっちの世界で元気でやっとるか?」


空を見上げ、呟いた。


「・・・・・・そっちは戦などないじゃろう?」


低く厚い雪雲に覆われた空から、ひらりひらり舞い落ちる雪。


この世界を全て真っ白にしてしまい、振り積もっていく雪。


ふと、遠くからチラチラと灯りが近付いて来るのに気付き、シンバは、来たなと思う。


階段を下りて行くと、既にジプサムの兵が料理長と言い合いをしているのが聞こえ、急ごうとした所をルチルに腕を掴まれた。


「アスベストさんが、ここは戦わずにやり過ごそうと——」


「そうか」


頷くシンバだったが、ジプサムの兵は、なかなか引く様子がない。


「怪しい奴等が来ているのは、わかっているんだ! 隠すなら、お前達も処罰があるぞ! いいか、いつまでも好き勝手できると思うなよ、エンジェライトなど、そんな国は存在しないんだ! くだらない事をやっている暇があるなら、お前達もジプサムの為に働いたらどうだ!? こんなエンジェライトの紋章など掲げおって!」


と、門にある紋章を剣で叩く。


「やめろ! 大切な印を傷付けるな!」


料理長がそう吠えると、兵は、


「やかましい!」


と、怒鳴り返し、料理長を思いっきり鋼のブーツで蹴りつけた。


逞しい体の料理長は引っ繰り返るまではいかなかったが、身を後ろへ押され、蹴られた部分を押さえ、痛みを堪える。


「料理長!」


と、走り寄ったのはマイカ。


大丈夫だと頷く料理長に、マイカは手を貸すようにして、キッとジプサム兵を睨みつけ、


「こんな事をして、レオン様が黙っていると思うのか!」


そう言った。


「レオン様? あぁ、ジプサム王子の事か。我が王子が何故こんな事をお許しになっているのか、全く理解できんが、別にお前達に手を出すなとは言われてはいないのでな、一匹や二匹、殺した所で、特に何もないだろう? 寧ろ、お前等が死んだ所で、いちいち報告の必要もないしな、誰にも気付かれないだろうし、問題は何もない」


兵はそう言うと、剣を抜き、マイカに向ける。


シンバはルチルの手を解き、ルチルも無理に止める事もなく、ここは出て行った方がいいと判断したシンバの行動に、ルチルも後を追う。


兵は6人。


シンバ一人でも充分だろうが、一応、ルチルはいつでも剣を抜ける準備をしておく。


「お主等の王子は、エンジェライトをジプサムのひとつとして、ここを潰さず置いてあるのじゃろう、そんな事も話してもらえんのか、下級兵ともなると——」


そう言って現れたシンバに、兵達は、何者だと、全員、剣を構える。


「ルチル殿、門の紋章を取り外せ」


「え?」


「早くせぬか」


「あ、は、はい!」


ルチルは頷き、エンジェライトの紋章を取り外そうとするが、マイカが、


「やめろ! 触るな!」


と、ルチルを突き飛ばした。シンバは溜息を吐き、マイカを見た。


「何度も言わすな! ここは北ジプサム城じゃ! エンジェライトは終わったんじゃ! それともエンジェライトの名をジプサムと共にあると、人々に知らせるのか! そんな事をして、エンジェライトを良く思っておる国がジプサムに手を貸すような事になってみろ、永遠にエンジェライトはジプサムの手の中じゃ! 父や祖父、そのまた先代の王が築いたエンジェライトは、それなりに今も尚、存在する王達に信頼されておるからこそ、エンジェライトという国は忘れ去られぬのじゃ! お主等がここを守ってきたからではない! うぬぼれるな!」


恐ろしい気迫で、そう吠えるシンバに、マイカは何も言えなくなる。


ルチルはシンバの命令通り、紋章を取り外した。


「エンジェライトの紋章を、ジプサム王に持ち帰るが良い。そして伝えろ、必ず、わしが奪い返す故、勝手にエンジェライトの名を汚すなとな!」


シンバがそう言うので、ルチルは、兵に盾のような紋章を差し出す。


だが、兵は紋章を受け取らず、剣をシンバに向け、


「新たなエンジェライトの生き残りか? 偉そうに!」


と、剣を振り上げた瞬間、シンバは大雪原を抜き、その兵を斬り殺す。


何の躊躇いも、迷いもなく、斬られた兵は、何が起こったのかわからないまま、雪の上、ドサッと倒れる。


他の兵達も何が起こったのか、わからないが、雪の上、真っ赤な血を溢れさせ、倒れている兵と、シンバが持っている変わった剣の刃から滴り落ちる赤いもので、後退する。


「お、おい、今、どうなって、こうなってるんだ?」


「わ、わからねぇよ」


「何もなかったよな? なのに、なんでコイツは血を出して倒れたんだ?」


「アイツの妙な剣が鎧まで斬ったって言うのか?」


「ていうか、アイツ、いつ動いた?」


口々に、シンバを見ながら疑問を口にする兵に、シンバはギロリと睨んだ。


すると兵達はゴクリと唾を飲み込み黙り込む。


「お主等では、わしの相手にならん。大人しく紋章を持ち帰り、王に伝えるのじゃ、エンジェライトが天下をとり、その紋章がジプサム城に掲げられる日は近いとな」


再びルチルは紋章を兵に差し出し、


「本当に下っ端なのね、何も情報が流されてないんだもの、彼が誰なのか知らないなんて。彼はエンジェライト第一王子シンバ様。玄武を退かせ、白虎を壊滅状態にし、朱雀の長の首をとった男よ。逆らわない方が身の為ね」


そう言った。兵達はまさかとシンバを見る。


玄武を退かせた?


白虎が壊滅状態?


朱雀の長の首をとった?


エンジェライト第一王子?


兵達は動揺を隠せず、シンバを見ていたが、一人の兵が、ワァッと声を上げ、逃げ出した。すると、他の兵達も逃げた兵に続き、一目散に逃げていく。


「ちょっと! 紋章忘れてるわよ!」


ルチルは兵達が持って行かなかった紋章をシンバに見せ、どうする?と言う風にシンバを見るが、シンバは溜息を吐き、城内へ入って行く。


その場で立ち尽くす料理長とマイカと、少し遠くで様子を見ていた他の者達とジャスパー。


ルチルはどうするのよ!と、紋章を地に置き、


「結構、重いんだからね、コレ!」


と、再び、持ち上げ、シンバを追おうとしたが、マイカがルチルの前に立ちはだかり、


「ソレはエンジェライトの紋章です、大切な紋章なんです、ソレを大事にしない人が本当にエンジェライトの王子なんですか!?」


そう聞いた。それに答えたのはアスベストだ。


「大事にしているからこそですよ」


「敵に渡そうとしたのに!?」


「・・・・・・アナタは王子の動きが見えましたか?」


そのアスベストの問いに、マイカは黙る。


「皆さんは、見えましたか? そこに倒れている兵をどうやって王子が倒したのか、目で見えましたか? 私はレグルス騎士隊長であり、最強とも言われる男ですが、王子の動きが全く見えない時があります、その兵を倒した王子の動きも、私は見えませんでした。私が見えなかったと言う事は、ここにいる誰もが、見えてないと思いますが、まさに、その動きは雪の如く——、だと思いませんか」


「今はそんな話をしているのではなく——」


「まぁ、聞いて下さい」


アスベストはマイカに、そう言うと、空を見上げる。


ちらちらと落ちる雪。


「雪が静かに降り積もり、気付いた時には、真っ白な銀世界を見せるエンジェライトエリア。冬が長いエンジェライトには、雪景色がよく見られ、短い春に本の少し見せる木々に咲く花。その花も直ぐに散り・・・・・・舞う雪の如く、美しく、その肩に知らぬ間に落ちては消える花びらか粉雪よ、月夜に光る雪結晶の輝きは鋭さにも似て、柔らかく斬り付ける白い風——」


こうしてエンジェライトの詩を口にすると、アスベストは王を思い出していたが、今は目を閉じて、思い出すのはシンバ只一人。


この雪降る大地の王となる者はシンバしかいないと、アスベストは確信しているからだ。


全ての雪を受け止めるように、強く、逞しい大地、そして、その偉大なる大地の全てを飲み込むように覆う白い雪。


どちらも連想して浮かぶのは、エンジェライト第一王子、シンバ。


「王子はこの詩のように、エンジェライトの景色のような方だ。雪降る大地の王に相応しい人。美しい見た目だけじゃなく、静なる動きも、負けない魂も」


アスベストはそう言うと、皆を見た。


「王子は、雪を降り積もらせるように、人の心に自分の信念を降らせ、そして、只の風景を雪景色に変えるように、人の心を変える力がある。まさに王となるべき者の力だ。そして、その力を世界に広める力を持っている。雪が降り、全てが真っ白になり、景色が変わるように、何れ、世界は王子の色で染まるだろう。王子は生まれながらにして王子なんです。しかもエンジェライトの。エンジェライトを愛する皆さんなら、わかるでしょう。王子はどこにいても、雪を降らせる。しんしんと静かに降り積もらせる。どこにいても、人々の心に、このエンジェライトの景色である雪降る大地を見せる。それこそがエンジェライトの紋章。人々の心に刻まれた王子の力——」


誰もが、アスベストの話に黙ったまま、動かない。


暗い空から落ちる雪が、皆の頭や肩の上に落ちて、溶けずに、積もっていく。


「私は、世界に王子の雪を降らせるお手伝いを命ある限り、精一杯尽くす。皆もエンジェライトを愛しているのならば、そうしてほしい。ここは確かに皆が愛したエンジェライトの場所であり、大切な想い出もあるのは、わかっている。私もそうだから。だが、そのエンジェライトはジプサムに落ちたんだ。その事実を受け止めなければならない。何故なら、これからジプサムに勝ち、エンジェライトを復活させる為だ。どうか王子が世界に降らす雪を溶かすような事はしないでほしい——」


皆、わかっている。


だが、マイカは理解できない。


エンジェライトがジプサムに襲撃を受けた時、マイカはシンバ同様、まだ幼かった。


シンバはアスベストに連れられ、ここを去ったが、マイカは違う。


生き残った者達で、ここを守ってきた。


いつか、王が戻られる為。


そう願い、祈り、王子が生きているという情報を得た時の喜びを、マイカは覚えている。


マイカはここしか知らないのだ、世界を知らない。


ここを奪われたら、今迄の人生、全てを否定する事になる。


だから、


「確かに、あの王子は雪のような人だ。雪のように冷たい」


そう言って、アスベストを見た。


「まるで情がないように、敵とは言え、何の躊躇いもなく、人を殺した。もしオレが敵だったのなら、雪のような冷たさで、殺されるのでしょうね」


「マイカ! 何て事を言うんだ!」


マイカの父親がそう怒鳴るが、マイカは止めない。


「だってそうでしょう!? 父さんは今迄、一生懸命、庭を守ってきた! 荒れ果てたエンジェライトの庭を毎朝、雪を掻き、春に備える植物の手入れも、毎日毎日! 何の為だったの!? オレは何の為に毎日そんな事を手伝って来たの!? ここは北ジプサムだと言われる為だったの!? だったら! だったらオレはジプサムの人間になる」


「マイカ、お前、何を!?」


「父さん、オレはあんな冷たい王子についていけない」


「ジプサムは、お前の母さんを殺したんだぞ!」


「わかってる。それだけを糧にジプサムを憎もうとして来た。でも、あの王子だって、躊躇わず、人を殺す。それはジプサムとどう違うの?」


そう問われると、マイカの父親は何も答えられず、他の者も、まさかのマイカの意見に、唖然とするばかり。


「でも迷わず殺さなかったら、殺されてたわ」


ルチルがマイカにそう言うと、皆、ルチルを見た。


ルチルはマイカに近付き、


「アンタ、人を殺した事ある?」


そう聞いた。当然、首を振るマイカ。


「アタシもね、王子の付き人として、初めての戦いで白虎達を剣で斬ったわ。ここだけの話だけど、手の振るえが止まらなかった。だって、幾ら剣の稽古をして来たとしても、人殺しの稽古なんてした事ないし、その上、アタシがして来た稽古は人を殺す事だったんだって知ったから。でも迷ってたら、逆に殺される。王子の事も守れない。だから剣を振るう。それはジプサムと同じだと思う? きっと王子は、兵と戦わずに、王とだけ戦えるなら、その道を選んでいる。だからいつも戦いの末、敵に言うの、ジプサム王に伝えろと」


「・・・・・・オレには、わかりません」


「アンタ、頑固ね。まぁ、わからなくもないわ、今迄、頑張って、ここを守ってきたんだものね、その努力を認めてほしいって事でしょ? アタシも女だからって理由で頑張ってきた剣を取り上げられる事になった時は悔しかったから。だったら、なんで剣の稽古なんてさせたのよって、家事手伝いなんて絶対にしてやらなかったもの。結果、こうして、王子のお供をできてる訳だけど。でもさ、王子の努力も認めてあげるべきでは?」


「努力?」


「まさか何の努力もなしに、王子があんなに強いと思う? あの王子の怖い所はね、負けず嫌いの勝ち気な努力家って所なのよ。そうね、確かに雪のような人よ、何もないゼロから、才能と言わせる迄の実力を自分の中に降り積もらせていくから」


そう言ったルチルに加勢するように、ジャスパーが、


「俺も言いたい事がある!」


と、手をあげて、威勢よく言い出した。なんだろう?と、皆、ジャスパーを見ると、


「城に入ろうよ、もぅ、寒さの限界」


ガチガチ震えながら言うので、ルチルは呆れ、皆は笑い出し、そうだなと、城内へ入って行くが、マイカはそのまま、そこで立ち尽くす。


そんなマイカの肩に、アスベストが手を置き、


「必ず、王子がエンジェライトを取り戻す時が来るから」


そう言うが、マイカは俯く。そんなマイカの背を押し、城内へと連れて行く。


皆、濡れた体を暖炉の前で温まらせる。


そこにシンバの姿はなかった。


だが、城内のどこかにいるだろう。


料理長が食事の用意ができたと言うが、シンバがなかなか来ないので、誰も食事にありつけない。ジャスパーが痺れを切らし、探しに行く。


他の者も、シンバを探す為、城内をうろつき出す。


マイカが、夜の暗い中庭にシンバの姿を見つけ、


「食事ですよ」


声をかけた。


シンバは振り向き、


「よく手入れされておるな」


そう言ったが、マイカは今更何を言っているんだと、無言。


「お主、薔薇を見た事あるか?」


「ある訳ないじゃないですか」


トゲのある言い方で返事をするマイカ。


「綺麗じゃぞ、色とりどりでな、香りも良い」


「だからなんなんですか」


「これだけ寒い気候の植物を藁などで保温し、うまく育てておるから、薔薇園も見事に手入れしそうじゃと思うてな。お主とお主の父はネフェリーン王国で庭師として雇ってもらえそうじゃ」


「・・・・・・何故ネフェリーン王国なんですか」


「お主、誰か好きな女はおるのか?」


「はぁ!? いる訳ないでしょう、見てわかりませんかね!? 年頃の女なんていませんよ! ここには!」


「なら、これから、巡り会うかもしれんのぅ」


「それ、遠まわしに、ここを去れって言っているんですか!」


「そうではない。わしは最近、そういう出逢いがあったんじゃ。無論、恋だの愛だの、ようわからん故、好きかと聞かれると、嫌いではないと答えるような感じじゃが・・・・・・でもわしは多分、好きなんじゃろうな、いや、好きにならなければと思う気持ちがそう思わせておるだけかもしれんが、只、ゆっくりとじゃが、好きになっていけそうじゃから。お主も、そういう人に出会う為にも、もっと人と出会えるような場所に行くべきじゃ」


「——ゆっくりと好きになっていける? 恋愛も降り積もる雪のような感じなんですね」


「雪?」


聞き返すシンバに、


「オレは雪は大嫌いだ」


と、手の平を広げ、


「冷たい雪のせいで、手は罅割れ、皸、霜焼け、最悪の状態!」


庭師としての仕事をこなした手を、シンバに見せる。


「オレは去りますよ、ここを! ご心配なく!」


「何を怒っておるのじゃ?」


「アンタが女と遊んでいる間も、オレはこの手で、この庭をつくってきた! だが、この手をアンタは薔薇園に使えと言う! 人と出会えなくても、ここで生きて来たオレに、もっと人に出会えと言う! 何もかも否定して、それが優しさのつもりか? アンタは本当に冷たい。雪のように冷たく、人とは思えない程、情がない!」


「・・・・・・」


「アンタ、振り向いた事ないだろう」


「振り向く?」


「前しか見てないんだよ、アンタ。前へ前へ行く事しか考えてない。足を止めて、振り向いて、たまには降り積もった雪を掻き出す事も必要だ。雪でうもったガラクタを取り出して、ソレが無駄なもんでも宝物にしていくのが人ってもんだろ」


「・・・・・・そうか」


「アンタは王子かもしれないが、人じゃない。雪の国の王子様は人の温もりを知らな過ぎる。オレはついていけない。例え、アンタがどんな努力をして来たとしても知らないし、人は多かれ少なかれ努力して生きていくもんだ、王子だからって、それを特別には見れない、アンタがオレの努力を簡単に使い捨てるように!」


「・・・・・・そうか」


「オレはエンジェライト第二王子レオン様に仕える為、ここを出て行く。エンジェライトの紋章を持って——」


「・・・・・・」


「止めても無駄だ」


「止めぬよ」


即答するシンバに、


「アンタのそう言う所が人間らしくないって言ってんだよ!」


大声で怒鳴るマイカ。だが、シンバは顔色ひとつ変えず、


「そうかもしれぬな」


そう言った。


全ての感情を制御する事など、簡単だった。


悲しみも寂しさも嬉しさも、怒りさえ。


本当はエンジェライトを守ってきた者に、賛美の言葉を与え、込み上げてくる嬉しさを表現し、孤独感と戦ってきた寂しさや不自由な体を抱えた悲しみを、共に嘆き、ジプサムへの怒りを露わに、エンジェライトの者と一丸になり、皆とこれからの戦へ向けて勝利を願いたい。


だが、シンバは、それらの感情以上に、自分の力のなさを嘆いていた。


自分に力があれば、こんな何もなくなった雪の降る大地で、エンジェライトを守らせる事などさせなかった。


自分に力があれば、一声で、皆を導けた。


自分に力があれば、この冷たい雪さえも溶かせるのに。


何故、こんなにも無力なのだろうか。


だが、マイカの言う通り、立ち止まり、振り向いたら、きっと振り向いたまま、止まらなくなる。


怖いぐらい、自分に自信がなくて、悪なんだと、奈落の底に落ちてしまう。


そんな情けない自分を見透かされているようで、シンバは、マイカを引き止める事はできない。


マイカがジプサムへ行くと言う事が間違いだと言い切れる程、自分が正義だとも思えない。


マイカはシンバに背を向ける。


「マイカ殿」


名を呼ばれ、少し驚いて振り向くと、シンバは空から落ちてくる雪を見ながら、


「わしも雪は嫌いじゃ」


そう言って、青い瞳をマイカに向ける。


「ジプサムで頑張って生き残れ。いつか会うじゃろう、その時も、生き残れ」


「・・・・・・」


「生き残れ。その為に必ずわしを殺すが良い。レオンをよろしく頼むぞ」


強い台詞と眼差しに、マイカは身動きがとれなくなる。


シンバは動かないマイカの横を通り抜け、城内へ。


マイカは去っていくシンバの背を見ながら、アスベストの台詞を思い出していた。


『王子は、雪を降り積もらせるように、人の心に自分の信念を降らせ、そして、只の風景を雪景色に変えるように、人の心を変える力がある』


今、その言葉の意味を理解する。


何もない筈のシンバの背に、エンジェライトの紋章が浮かんで見える。


ちらちらと降る雪が視界を狭め、そう見せた幻か。


だが、マイカの想いは変えられない。


シンバはマイカの気持ちが変わらない事を知っている。


元フェルドスパー王国の王子コーラル、白虎の団長が言っていた。


『アナタは、この戦いが終わる頃、アスベストと言う名の意味が変わると言ったな? そう簡単には変わらない、そう簡単に思惑通りにはいかないのが世の中だ。そんな事もわからないのか! 仮にも王子だろう! 王子と名乗っているんだろう! だったら誰よりも世の仕組みを理解しろ!』


「・・・・・・そう簡単には変わらない、か。尤もじゃな」


そう呟いたシンバの後ろで、


「王子」


ルチルがシンバを見つけ、声をかける。


「どこにいたの? みんな王子を探してるのよ、食事の準備ができたから」


「そうか」


「やだ、びしょ濡れじゃない、外にいたの?」


「あぁ」


「寒いんだから風邪ひくわ、早く暖炉へ!」


「・・・・・・じゃな。雪は嫌いじゃ」


シンバはそう呟くと、この雪降る大地へ来た事を後悔していた。


今現在、エンジェライトエリアだった場所がどうなっているのか、そんな事、思うんじゃなかったと——。


——朝。


この大地は雪の光で眩く輝き、美しい世界を広げる。


永遠に続くような真っ白な世界。


太陽の光を反射させ、地上が白い光で一杯に輝く。


ここ元エンジェライト城から、ひとつの足跡が雪の上、延々と続く。


遠く、遠くまで続いていく、止まる事のない足跡。


マイカが去った足跡だ。


空は晴れているが、雪がゆっくりと降り出す。


氷のような雪がキラキラと落ちてくる。


この大地を去る足跡を消すように——。



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