10.これは運命と奇跡のお話


「兄さん、いい加減にしてよ、帰って来たと思ったら、毎日毎日ぼんやりして! ちゃんと食事くらい食べてよ、勿体無い! せめてその無精髭、剃ったら? 汚らしく見えるから! 髪もちゃんと梳かして、服も着替えた方がいいわよ!」


「・・・・・・パミス爺さんの墓参りに行ってくる」


「またぁ!? 一時間前に行ったばかりでしょう!?」


肩を落とし、トボトボと足取り重く出て行くアスベストの背を見ながら、ショールは、そんなに落ち込むなら、王子の傍から離れなければいいのにと深い溜息を吐く。


「あれ? 伯父さん、また墓参り?」


畑仕事をしているタルクが、死人のような顔で歩いて行くアスベストに声をかけるが、アスベストは何も見ていない瞳で、タルクの声さえ届いてないようだ。


ここはペリドット村。


アスベストは戻って来たのだ。


もう戦う気力などなく、思考能力など、とっくに停止している。


只、毎日毎日、一時間ごとに、教会の裏庭にある墓場に足を運ぶ。


そしてパミスの墓をぼんやり見つめて、再び、家に戻る。


その繰り返し。


だが、その繰り返しが終わる。


パミスの墓の前に見知らぬ男が立っている。


風変わりなハットを被った爺さんだ。


クルリンと巻かれた白い髭と丸いメガネ。小奇麗な貴族風の衣装に、左手に小さめのスケッチブック、右手に大きめのボストンバックと綺麗に折りたたまれたコートを持っていて、ピカピカの黒い大きめの靴を履いている。


その老人は、アスベストに気がつくと、ハットを外し、ペコリと頭を下げると、再びハットを頭に乗せ、優しい微笑を浮かべ、


「ここ等エリアは随分暖かくて、気持ちの良い陽気ですね」


そう言った後、


「・・・・・・もしかして、失礼ですが、アスベストさんでしょうか?」


丁寧にそう尋ねて来た。何の返事もせず、只、不可思議な顔で、その老人を見ていると、


「わたしはオブシディアンから来た者です」


また、ペコリと頭を下げて、そう言った。


「オブシディアン? あ、パミス爺さんの若かりし頃の旅の友達とかでしょうか?」


言いながら、パミスの墓を見て、ここが墓地だと気付き、


「あぁ、ここで話をするのもなんですので、良かったら、うちへどうぞ」


アスベストは老人を家に招く事にした。


家に案内しながら、どうしてペリドットの場所がわかったんだろうかと、アスベストは疑問に思う。


老人は歩き方も、とても上品で、王族とまではいかないが、それに仕える者のような気がする。それに比べ、今のアスベストは無精髭に汚らしい格好で、王子に仕えていたとは思えないと、自分にダメ出しの溜息を吐く。


ふと、木の周りで子供達が木登りをしているのを目にし、アスベストは足を止めた。


皆、上手に木に登り、だが、一人だけ木に登れなくて、泣いている男の子がいる。


皆、木登りに飽きると、その男の子を置いて、どこかへ行ってしまった。


男の子は大きな木を見上げている。


『——今、登ってやるから、待っておれ』


幼いシンバの姿が、そこにある。


アスベストはメソメソと木を見上げている男の子に近付き、


「木登り、おじさんが教えてやろうか?」


声をかけた。


男の子は振り向いてアスベストを見ると、首を振り、逃げるように駆けて行く。


「あのぐらいの子供は明日になれば、また違う遊びを始め、あの子が得意なものが始まる事もありますから、大丈夫ですよ」


老人はにこやかにそう言った。


確かに子供達は毎日木登りをしている訳じゃない。


「・・・・・・そうですね」


アスベストは頷いて、再び、ぼんやりとしながら家路を歩き出す。


タルクが泥だらけで、畑の前、立っている。


「伯父さん、あの怪鳥、何とかしてよ!」


「え? あ、あぁ・・・・・・」


タルクの畑の中、怪鳥がクエックエックエッと鳴きながら、歩き回っている。


「おや、あれはジプサムの怪鳥ではありませんか!」


老人の言う通り、あれはジプサムの怪鳥・・・・・・。


『お主、その怪鳥で行くのか』


『僕の大地での乗り物はコレしかない』


『イメージが悪い故、なんとか致せ』


『なんとかって、魔法使いでもない限り、怪鳥を馬にはできないんだから、どうにもならないだろう!』


コーラルは怪鳥に乗って来た為、また怪鳥に乗ろうとするが、シンバが、ソレは止めた方がいいと言う。


『その怪鳥は私が乗っていきましょう、私の馬をこれからはコーラル王子が乗るといい』


『アスベスト、それで良いのか?』


『はい』


『すまぬな』


シンバは申し訳なさそうに、そう言うと、コーラルがアスベストの馬に跨り、


『謝罪する必要はない、怪鳥は馬同然の力もスピードもある、物々交換として文句のない品だ、しかも僕の怪鳥だぞ、上質なものだ、逆に良かったな、アスベスト』


と、何故か威張って言う。


『アスベストさん、アタシが王子をお守りして行きますから、ご心配なく』


と、頼もしい台詞を言いながら、微笑むルチル。


『俺はアスベストさんがいないと不安だよ』


俯いたままジャスパーが言う。


『・・・・・・アスベスト、今迄、ありがとう。何度も言うが、ここまで来れたのは、お主の御蔭じゃ』


『——王子』


『アスベストがおったから、今のわしがおるのじゃ』


『・・・・・・王子、先にマーブル姫に挨拶をして来た方が——』


『あぁ、悪いが、皆、待っておれ、マーブルと少し話して来る』


シンバはそう言うと、手綱をジャスパーに渡した。


ネフェリーン城の奥へと走っていくシンバの背を見ながら、怪鳥に跨り、逃げるように先に去った。


別れは言いたくなかった——。


「伯父さん! 伯父さんってば! 伯父さん?」


タルクがアスベストを呼ぶと、アスベストは涙を溢れさせ、


「何を見ても、聞いても、王子の事ばかり浮かんできてしまう」


そう呟く。


「・・・・・・伯父さん、シンバを追いかけたら?」


「できない」


「どうして?」


「私は何の為に王子と共にいたと思う? 王に任されたからだ。そして、その真意は私と王子の命を抹殺する事だったとしたら、私は生きて王の前に現れる事などできない」


「・・・・・・自分が殺されたかもしれないのに、そんなに王様に忠誠を誓うなんて、伯父さんって騎士そのものって言うか、不器用って言うか」


タルクは呆れるようにそう言った。


ふと、ずっと傍にいる老人と目が合い、タルクはペコリと頭を下げると、老人もハットを外し、ペコリとお辞儀をしたので、


「伯父さん、お客さん?」


そう聞いた。すると、アスベストは、手で涙を拭い、振り向いて、老人に、


「申し訳ない、こちらです」


と、急いで、家へと向かい出す。


タルクは、誰なんだろうと、アスベストと老人の後姿を見つめ、今、クエックエッと鳴いている怪鳥にハッとして、


「伯父さーん、怪鳥をなんとかしてよー! 畑を荒らすし、なんだか怖いよ、この鳥ー!」


そう叫んだ。


アスベストは老人を家に招くと、ショールが突然の客人に慌てて、


「兄さん、ちょっと出てくるわ、直ぐに戻るから」


と、客に出す茶菓子を買いに行った。


「スイマセン、客など、ここは来ない場所なので、妹もビックリして——」


「いやいや、こちらが突然おしかけたのだから、お気になさらずに」


にこやかな老人を部屋に通すと、椅子に座ってもらい、アスベストは先に、お茶でもと、キッチンへ向かったが、ショールじゃなければ、お茶の場所さえ、わからない。


申し訳なさそうにアスベストは老人の前に座り、


「妹が帰ってきたら、直ぐにお茶を」


そう言ったが、老人は首を振り、


「わたしはお茶を飲みに来た訳ではありませんよ、アスベストさん」


と、鞄の中から、いろいろなモノを取り出し、テーブルの上に並べる。


「ええっと、アナタに渡すモノがあって来たのですが、ちょっと待って下さいね」


渡すモノが鞄の奥の方にあって、前のモノを取り出さないと、取り出せないようだ。


「パミスからペリドット村に行くと聞いてから、もう十年以上も経ち、何の連絡もない為、わたしが来たんですが、この村を探すのには苦労しましたよ」


言いながら、テーブルの上に鞄の中身を並べていく。


その中の1つ、ハガキ程の大きさの絵に、アスベストは手を伸ばす。


「・・・・・・コレ・・・・・・?」


「え? あ、あぁ、わたしが描いた絵です、絵描きなもんで」


「・・・・・・コレ、誰ですか?」


「え? いや、一応、先代のエンジェライト王ですが、似てませんか?」


「似てます」


即答でそう答えたアスベストに、なら、何故、誰かと尋ねたのだと、老人は不思議そう。


「・・・・・・似てますね、とても、王子に」


「はぁ」


「あれ? 何故だろう、不思議だ、よくよくこうして眺めると、王子と先代の王はソックリだ。銀の髪も、青い瞳も、白い肌も」


「はぁ」


「いや、先代の王は常に厳しい表情をしておられ、青い瞳は、お妃様や王子の優しい瞳と違い、怖い瞳だと思っていたし、銀の髪も、それこそ年老いた為の白髪であり、白い肌はエンジェライトでは珍しくはなかった為、こうも似ていると気付かなかったんです」


「似ているのは血の繋がりがあるからですよ」


「いや、だから王子はお妃様にそっくりなんですよ、と言う事は先代の王とお妃様もソックリと言う事になりませんか?」


「はぁ」


「おかしくないですか!?」


「何がでしょう?」


「先代の王とお妃様が似ていると言う事は、二人は親子? だとしたら、エンジェライト王は先代の王の子供じゃない? そうなりませんか?」


「・・・・・・アナタ、パミスから何も聞いてないのですか?」


「何をです?」


「なら先代の王の、次期候補王はエンジェライト第一王子シンバ様だった事はご存知で?」


「は?」


何を言い出すのだと、アスベストは眉間に皺を寄せる。


そのアスベストの表情に、老人は本当に何も知らないんだなと、


「話しましょう、その前に——」


と、鞄の奥から大金を取り出し、テーブルの上に並べた。


「ここまで持ってくるのは大変でした、重くて」


「なんですか、この大金は?」


「パミスが、先代のエンジェライト王から預かっていた金です」


「え? あ、それはもう受け取ったと思うのですが」


「いえ、パミスは本の一部を持っていったんですよ、今から約10年程前・・・・・・そう、エンジェライトがジプサムの襲撃に合われた日に——」


「・・・・・・一部? そんなに金を預けてあったんですか? アナタの所に?」


「申し送れました、わたし、オブシディアンに住む、名をエルバイトと申します」


「エルバイトさん・・・・・・? あ、すいません、オブシディアンとは、どこのエリアの町ですか? 国がわからないと、どうも町の名を聞いても思い出せないもので」


「スノーフレークです」


その言葉に、アスベストは顔色を変え、息を呑んだ。


「思い出されましたか? アスベストさん、アナタが堕とした国を」


「・・・・・・ちょっと待って下さいよ、スノーフレークは当の昔に潰れています、なのにアナタはスノーフレークエリアから来たと? 国がないのに町があると言うんですか? 有り得ないでしょう、スノーフレークはエンジェライトが・・・・・・勝ち取り、その領土を手に入れた場所ですよ、そこはエンジェライトエリアになって、そしてエンジェライトエリアには、ウレックサイトとインカローズと言う2つの町があるだけです。資金の関係上、スノーフレークエリアだった場所を発展させる段階にはならず、そのままの状態で、エンジェライトはジプサムに——」


「まずはスノーフレークとエンジェライトの関係を話さなければなりませんね」


エルバイトはそう言うと、もう一枚の絵を差し出した。


その絵は今は亡きスノーフレーク王。


「あれはわたしがまだ若かりし頃、雪の降る夜、スノーフレーク城で、男の子がお生まれになった。時を同じにし、エンジェライト城では女の子がお生まれになった。しかし、スノーフレーク城では、既に第一王子が誕生しており、女の子を願っていたのだが、第二王子誕生に、スノーフレーク王は頭を悩ませていた。二人の王子が、やがて、この国を継ぐ事に争う事を恐れたのです。なんせ、王は兄弟で争って、王の座を手に入れましたから、兄弟殺しの異名を持ち、その自分と同じ道を辿ってほしくなかったのでしょうね。仲良く兄弟で手をとって、お互いを支え合っていってくれれば良いのでしょうが、王は自分がそういかなかった事に、兄弟の恐ろしさをよく知っておられた。そしてエンジェライト城では待望の男の子誕生だと思っていた所、姫誕生で、先代の王はやはり頭を悩ませていました。何故なら、先代のお妃様は体が弱く、奇跡的な妊娠でしたので、これ以上の出産は耐えれない御体でしたから。かと言って、先代の王は、他に愛人をつくるという考えもなく、只管、お妃様だけを愛しておられましたから。そしてお互いの王の耳に、お互いの血族者誕生の情報も入り、スノーフレークとエンジェライトは同盟を結んだのです。どの道、同じ大陸にあった国。いつかはと考えていた事でしたから——」


アスベストはまさかと思いながら、ゴクリと唾を呑み込んだ。


「スノーフレークに、エンジェライトの姫を、エンジェライトに、スノーフレークの王子を、内密に、お互い子供を交換し、民達には、姫誕生を、王子誕生を告げ、永遠の平和を誓いました。スノーフレーク第二王子は、エンジェライト第一王子として、エンジェライトの姫は、スノーフレークの姫として、同盟の証として二人は赤子の頃から、婚約もしました」


まさかと思っていた事が告げられ、アスベストは嘘だろと頭を抱える。


「そして二人の間に男の子が生まれたら、先代のエンジェライト王は、王の座を、その孫に渡すと言い放ったそうです。子供を交換しておきながら、勝手な言い分でしょうが、やはり、どうしても自分の血族者に王の座を渡したかったのでしょう」


「・・・・・・」


「王子は成長すると、何故、次の王が自分ではないのか、まだ生まれてもいない、生まれるかどうかもわからない子供に、何故与えてしまうのか、その真相を探り、自分がスノーフレーク第二王子だと知ると、アスベストさん、アナタを騎士として雇ったんですよ」


「え?」


「どこの国でも受け入れてもらえなかったアナタがエンジェライトで騎士として雇われた。そして、その名を王に知られ、王が名を変えるか、騎士を辞めるか選択するよう、言われた筈。アナタは名も変えたくはない、騎士を辞めたくもない、そして、その弁護をしたのが、当時の王子だった筈」


「・・・・・・どうしてそんな事を知っているんですか?」


「パミスは常に先代の王の後ろにいたんですよ、話はパミスから聞いています」


「・・・・・・」


「先代の王が亡くなられたのは、心臓の発作と公表されていますが、実は何者かに毒殺されているのです」


「毒殺!? そんな事、聞いてませんよ!」


「ええ、当時の王子が、心臓の発作と公表するよう命じたからです、完璧な防御体勢の城内で誰かに殺害されたなど、民達が怯えるだろうと、そして、エンジェライトの名が落ちるような事を王は望まないだろうと、そう言った理由で嘘の死因を公表したのです。ですが、これはあくまでも想像の話ですが・・・・・・王子がアナタを弁護し、エンジェライトの騎士として完璧に雇われた年に、王は亡くなられた。皆、疫病神のアスベストが現れたから、王は亡くなったと噂した。突然の死の疑いが、そこへ行くように、仕向けられたのではと・・・・・・」


「・・・・・・まさか。有り得ませんよ、そんな事——」


首を振りながら、アスベストは当時の事を思い出す。


『きっと彼はアスベストウィルスのように、沢山の人を殺す。そういうイメージがあり、どこの国も彼を受け入れないでしょうが、逆を言えば、そんな恐ろしい者を味方にするんです、それが騎士だと言うのだから、それは素晴らしい褒め言葉になる』


今思えば、その台詞は、とても恐ろしい。


沢山の人を殺す。


イメージと付け加えたとは言え、そこにいた者達は、実際にそう思っただろう。


恐ろしい者を味方にする。


だが、アスベストの名前を悪く思った王にとっては、味方ではないと思われただろう。


『父、こんな言葉を知ってますか? 名はその人自身を表す。この者がアスベストだと言う名である事を証明させましょう。きっと、これから先の戦で、この者の前に立ちはだかる者で生きている者はいないでしょう、エンジェライトは勝ち続けます』


そして、極めつけは、この台詞だ。


この台詞があったからこそ、どんな戦も、アスベストは勝たなければならなかった。


勝ち続ける事で、アスベストと言う名を変えず騎士として生きていける恩を返そうと、必死に。


「勿論、有り得るとは言い切れません。只の想像ですから」


エルバイトはそう言うと、再び、話し出す。


「先代の王が亡くなられ、エンジェライト王となったスノーフレーク第二王子は、スノーフレークを襲撃する計画を立てましたね、アナタが先頭となり、騎士達を引き連れ、スノーフレークを襲った」


「・・・・・・」


「その時の事をパミスから聞いてます、スノーフレークを襲撃するのは止めるよう説得したが、話を聞いてもらえず、同じ大陸に二つも国は必要ないと、エンジェライトを大国にする為の第一歩だと計画は進められたと——」


「・・・・・・」


「当時のエンジェライトは、まだアスベストウィルスの影響があり、民達も激減し、スノーフレークを襲撃する計画は当然だったでしょう、何故なら、同盟国だと思っていたスノーフレークは、アスベストウィルス患者が大勢いたエンジェライトを切り捨てるように、何一つ、救いを出さなかった。王は、元はスノーフレーク第二王子なのに、本当の血族者に、伸ばした手を弾き返された気分だったでしょうね。それはどんなに屈辱だったでしょうか」


「・・・・・・」


「そして、エンジェライト王となったスノーフレーク第二王子は、スノーフレークの王族達の首をとって来るよう、アナタに命じたが、アナタは、その命令に従ったものの、只一人、首をとれなかった者がいましたね」


「・・・・・・姫です、後にエンジェライトのお妃様になられました」


「アナタは姫を殺せなかった。生きて、エンジェライト城へ連れて行きましたね。パミスは必死で、王に、姫を殺さないよう、説得し、先代の遺言でもある為、姫と結婚を考えるよう話したそうです。遺言は知る人は知っていた事なので、それに逆らえば、自分の立場も危うくなると思ったのか、姫とご結婚をなさったのです。ひとつ、聞いてもよろしいですか? わからないんですが、何故、姫の首をとらなかったのです?」


「・・・・・・一目見て・・・・・・美しすぎて・・・・・・女神のようで・・・・・・殺すなど・・・・・・できなかった・・・・・・怯える目で見て欲しくなくて・・・・・・英雄気取りでそこから助け出すようなふりをして・・・・・・」


「そうですか、それは運命だったのかもしれませんね」


「運命?」


「エンジェライト第一王子シンバ様がお生まれになる為の運命です」


エルバイトがそう言った途端、アスベストの目からブワッと涙が溢れ出た。


口元を押さえ、アスベストは流れ出る涙の意味を噛み締める。


エンジェライトとスノーフレークの両方の血を持ち、この世に生を宿したシンバ。


そのシンバの成長を見てきたアスベスト。


シンバが王として、世界に立つ資格がある事を、一番知っているのは、アスベストだ。


その運命から目を背けてはいけない。


「結局、スノーフレーク王の、兄弟同士の争いが起きないようにと願いをかけ、その争いを避けた手段も無駄に終わったと言う訳です」


そして、今、シンバとレオンの兄弟同士が、戦おうとしているのだと、アスベストは思う。


「きっと、パミスは、エンジェライトがジプサムに堕とされ、この事をアナタに話すのをやめたのでしょうね。アナタはスノーフレーク第二王子・・・・・・いえ、エンジェライト王に忠誠を誓っており、こんな話は不愉快なだけで、ましてやエンジェライト王が死んだ後で、死人を悪人にするような話は聞きたくもないでしょう。ですが、わたし共は、スノーフレークを潰したアナタや王を憎むよりも、そんなにもスノーフレーク第二王子であったエンジェライト王に忠誠を誓って下さる騎士がいる事、そして、強い騎士に忠誠を誓わせる程の王のチカラを、誇りに思っています」


「・・・・・・」


「パミスも、エンジェライト王を尊敬するアナタの気持ちを尊重し、そしてエンジェライト王として偉大なる力を持っていた王を認め、何も話さなかったのでしょう。そんな過去の事より、これからの事の方が大事ですからね、シンバ王子を立派に育てて、ジプサムを倒し、エンジェライトを取り戻す事、それこそが先代の王も望む事でしょうから」


「・・・・・・王は生きておられるかもしれません」


「え? 王が生きている? それはエンジェライト王がと言う事ですか? つまりスノーフレーク第二王子が?」


「・・・・・・はい」


「どこで生きているのですか?」


「・・・・・・王子は・・・・・・シンバ王子は王と戦うつもりです」


「シンバ王子が戦うのはジプサム王では?」


エルバイトはそう問いながら、ハッと気付き、まさかと言う顔で、アスベストを見る。


「まだ何とも言えません。でも、私は追わなければ。あの時、私が姫を殺さなかった事が運命だったのなら、私はシンバ王子の傍で、シンバ王子をお守りしなければ! あの時、王が、私に、王子を守ってほしいと言った事も、それは王の計画ではなく、王子が王になる為の運命だった台詞だと、そうする為にも、私は行かなければ!」


立ち上がるアスベスト。


「運命と、そして奇跡だと思います」


立ち上がったアスベストを見上げ、エルバイトはそう言った。


「奇跡?」


「シンバ王子がお生まれになった、その報告を聞いた時に、スノーフレークの生き残りの者達は大喜びしました、スノーフレークの王子が生まれたと。例え、国を潰されようが、命を奪われようが、やはりスノーフレークの王族として存在する者に、わたし達は賛美し、敬い、栄光を祈ります。だが、王が姫と結婚なさっても、それはカタチだけのもので、子供はお作りにならないと思ってましたから。まして、何も知らない姫は、父や母、兄を殺した憎き人だと思い、王を愛する事など、ないだろうと思っていましたから。そんな奇跡、絶対に起こらないと思っていました。どうか、王子がすくすくと育ち、王のように逞しく、姫のように優しく、豊かな感性を持ち、立派に育つように、皆で、その奇跡を願ったものです。奇跡というものは、信じられない事。きっと、これからも起こるような気がします」


「・・・・・・お妃様は、愛しておられましたよ、王の事を。とてもお優しい方で、肉親を殺された事よりも、殺さなければならなかった事の方が、辛かったでしょうと、哀れんでおられました。だからこそ、王もお妃様を愛したのだと思います。それが最初の奇跡だったのかもしれません。しかし奇跡は続く。それは運命です」


「そうですね、これは奇跡と運命のお話。結末は、定められた運命なのか、それとも有り得ない奇跡が起こるのか、わかりませんが、エンジェライト王の心に光が射すとすれば、それができるのは、シンバ王子だけでしょうから。人は例え王でも、真っ直ぐな心が曲がってしまえば、闇に堕ちるだけ。闇に堕とされたスノーフレーク第二王子はエンジェライト王として、闇を彷徨っているのです、スノーフレークの生き残りのわたし達はそう思っています。本当のスノーフレークの王族はもっと光り輝く聖なる者の筈だと!」


「はい、私もそう思います。だってシンバ王子が光そのものだから!」


「アナタと話せて良かった、アスベストさん。きっと、パミスがわたしとアナタを会わせたのでしょうね」


「パミス爺さんが生きていたら、今頃、私は、王子の何を見てきたのだと、叱られていた事でしょう。とっとと王子の所へ戻れと怒鳴られていたと思います」


「アスベストさん、奇跡と運命を見届ける為に行くのなら、このお金をお使い下さい」


エルバイトはテーブルの上に積まれた金を、アスベストに差し出す。


「・・・・・・あの、パミス爺さんから聞いたのですが、アスベストと言う名の疫病神がエンジェライトにいる為、何が起こってもおかしくはないからと、多額の金を預けていると。これはその金なのでしょうか?」


「はい、先代のエンジェライト王がそう言って、沢山のお金をスノーフレーク王に預けたのです、そのせいもあり、エンジェライトは金がなく、アスベストウィルスの患者にも、なかなか薬を買えず、患者への処方が遅れ、死なせる事が多かったと聞きます」


そのせいで、薬を与えるのが遅くなり、アスベストウィルスと何かが合併した化け物が生まれたのかとアスベストは思う。


「わたしは当時からスノーフレーク王の専属の絵描きをしていまして、スノーフレークが堕ちた時、なんとか助かり、他にも助かった者達とオブシディアンで今も暮らしています。城は崩れてなくなってしまったものの、オブシディアンという町は、まだ戦の傷跡が少なく。先代のエンジェライト王がスノーフレーク王に預けた金は、隠し場所を知っていたので、エンジェライトが引き上げた後、わたしが金を取りに行き、パミスの了承を得て、生き残った者達と生きていく為に、少し使わせて頂きました」


「そうですか、なら、それは、アナタ達でこれからも使うといいでしょう」


「わたし達の暮らしは、もう安定しています、後はシンバ王子の為に使うべきではと」


「きっと、王子は、アナタ達で使えと言うでしょう」


「・・・・・・しかしパミスが、10年後に、王子が成長を遂げて、旅立つ時、また金を受け取りに来ると言っていたのです、なのにパミスは来なかった。だから、わたしがこうしてここまで来ました。この村に入る私を村人が止めましたが、パミスの知り合いだと言うと、この村に入れてもらえて・・・・・・隠れ村だと言うのに、パミスさんの知り合いなら、シンバ王子の知り合いなんだろうと、シンバ王子がベリル王国を救った話を聞かせてくれました。立派になられたのですね。ですがパミスが亡くなっていると聞いて——」


「あぁ、それで墓の前にいたんですね」


「はい。パミスは、きっと王子の為に、この大金を使ってほしいと天から願っているのだと思います」


「王子の為と言うならば、金は、スノーフレークの為に使って下さい」


「スノーフレークの為に?」


「王子はエンジェライトの為、戦っています、ですが、スノーフレークの血族者でもあるのですから、大金を使えるならば、もう1つの王子の国、スノーフレークの為に」


「・・・・・・わかりました」


エルバイトは頷き、アスベストに頭を下げ、


「これを」


と、鞄の中から、またハガキサイズの絵を取り出し、渡した。


その絵は、エンジェライトの妃。


アスベストが心に想い続ける、一人の美しい女性。


美しい姿と、女神のような微笑で、アスベストの手の中に、今、存在する。


「長生きしなければ。いつか、シンバ王子を描く為に」


エルバイトが笑いながら、そう言うので、アスベストは、


「その時は、王子ではなく、世界を統一する偉大なる王ですよ」


真剣な眼差しで、妃の絵を見つめながら、そう誓うように言った。


「アスベストさん、シンバ王子は、どんな風に育ったのでしょうか?」


「・・・・・・王子はお妃様にソックリな見た目で、王にソックリな勝ち気な性格で、お妃様にソックリな優しさを持っていて、王にソックリな逞しい心を持ち、王とお妃様の良い所を全て持っています、ソレに加え、パミス爺さん譲りの天才的頭脳と、私譲りの強さを持っています。あんな人物、二度と現れないかもしれない。王の中の王ですよ」


「そうですか、本当に素晴らしい奇跡と運命ですね」


「はい、私は何度も奇跡と運命を見てきたんですよ、王子が木に登る事も、木から飛び降りる事も、川の向こうに石を投げる事も、剣を持つ事も、多くの友達をつくる事も、ベリル王国を救った事も、女性の心を射止めていた事も、敵を味方にした事も、今、思えば、何もかも全て奇跡であり、王子の運命だったのだと思います。私はそれ等を見てきたんです、これからも見届けなければ!」


アスベストはそう言うと、突然、バタバタと動き出し、出発の準備を始める。


「エルバイトさん、申し訳ないが、私は旅立ちます。ですが、ゆっくりして行って下さい、もうすぐ妹も帰って来るでしょうから、話しておきます」


「はい、旅の疲れもあるので、少し休ませてもらえると有り難いと思っていましたから。そうだ、アスベストさん、わたしが乗って来た馬を使うといいでしょう」


「え? 馬を?」


「村の外れに置いてあります、変わりに、あの怪鳥をくれませんか?」


「何故、怪鳥を?」


「実は、怪鳥が一匹、オブシディアンに迷い込んで来ましてね、ジプサムが飼育している怪鳥とは言え、怪鳥に罪はないと、皆で育てているのですが、一匹では寂しいらしく、夜になると鳴くのです。だが、もう一匹いれば、寂しさもなくなるでしょうから」


「そうでしたか、では、あの怪鳥を持って行って下さい、馬は有り難く頂戴致します」


アスベストはエルバイトに深く頭を下げ、身支度を急ぐ——。




アスベストがシンバの元へ向かおうと決めている事など知らないシンバは、船の先端で、揺られながら、遠く水平線を青い瞳に映していた。


髪を流す海風と、香る潮風と、光る太陽と波。


「王子」


「ルチル殿か」


「遠いですね、牢獄がある島は」


「あぁ、アスベストウィルスの患者がおるんじゃから、相当、人から離した場所じゃないとな。しかも化け物らしいからのぅ」


「・・・・・・怖くないんですか?」


怖くなかった事など、一度もない。だが、シンバはフッと笑みを零し、


「怖いのは、全てから目を逸らし、逃げる事じゃ」


そう言った。


「・・・・・・だって目を逸らしたくもなるでしょう? 逃げたくもなるでしょう?」


「目を逸らしたら、何も見えなくなってしまう。逃げたら、友も失う。大事な人も。支えてくれる人も。わしは、それが一番怖い」


「・・・・・・」


「どうした? 逃げとうなったか?」


「まさか」


と、笑うルチルに、


「逃げても良いぞ」


そんな事を言うから、


「一番怖い事をアタシにしろと?」


と、ルチルはムッとして、そう言った。


「お主は何も失わんよ。なんだかんだ優しい父も、母も、タルクも、村のみんなも、お主が帰るのを待っておるじゃろう」


「王子はアタシがいなくても平気ですか」


「・・・・・・」


「アタシでは、そんなにアスベストさんの変わりは勤まりませんか」


「・・・・・・お主とアスベストは違う」


「そりゃアタシはアスベストさんよりは強くないかもしれないけど」


「いいや、そういう意味とは違う。アスベストはわしを支えてくれる者じゃ。お主は、わしの友達じゃろう。一番最初にできた、わしの友じゃ。友に、人を殺させるような事をさせとうない。じゃが、お主が騎士として生きていきたいと言うなら、それを反対する事はできぬ。友の生きる道を閉ざす事はできぬし、お主が相当強い事を、わしは知っておるから・・・・・・お主の力をわしは誰よりも必要としておるからのぅ」


「・・・・・・王子、アタシが本当に最初の友達だったんですね、冗談かと思いました」


「わしは冗談を言わぬ」


「ええ、王子だって事も、お姫様と婚約も、全部、冗談だと思っていたのに、本当だったものね。だから王子の言葉は全部、本当なんですよね。嬉しいです、王子がアタシを必要としてくれて。王子の期待に応えれるよう、頑張ります」


ルチルはそう言うと、頭を下げ、船内へと向かい、シンバは風に身を任せ、瞳を閉じる。


目が痛くなる程、眩しい世界。


キラキラの海と空。


そして偉大なる大地を手にする為、シンバは戦わなければならない。


「シンバ、もうすぐ着く。だが、いいのか? 白虎の船で行けば、見張り兵達に直ぐに気付かれるぞ。白虎は裏切り者だと報告が入ってる筈だしな。まぁ、何の船で行こうが、あの島に辿り着いた船は速攻で沈没させられる。結構な守備だぞ、大砲ガンガン飛んでくる」


コーラルが楽しそうにそう言うので、


「お主、戦いは好きか?」


シンバは、コーラルを見て、そう聞いた。


「そうだな、嫌いじゃない。戦ってこそ、天下をとれるもんだ。その為に強くなった。この強さを無駄にはしたくない。それに強さこそ支配だと、ジプサムの教えで育ったからな」


「そうか」


「シンバもそうだろう?」


「わしは戦いは好まぬ。できる事なら、戦わず、全てうまくいけば良いと思うが、そうもいくまい。何事も自分の言い分を通すには偉くならねばならぬ。偉くなるには、人の上に立たねばならぬ。人の上に立つには、戦うしかない。わしは金も権力も何もないからのぅ」


「・・・・・・金と権力を得る為には戦うしかない」


コーラルはそう言うと、シンバの隣に立ち、船の先端で、遠くを見つめ、


「見えてきた。あの島だ」


と、遠くを指差す。シンバはその指先を辿り、目を細め、遠くを見る。


薄っすらと何かが見え、だんだん、それが島だとわかる頃、シンバとコーラルは、船の後部へ移動し、既に、ルチルとジャスパーが準備しているボートに乗り込む。


「ひぃぃ、怖いよぉ」


ルチルがボートを漕ぎ出し、船から離れると同時に、ジャスパーがそう言って、ブルブル体を震わせる。


「何が怖いのじゃ?」


「だって、もうすぐ化け物がいる所に行くんだろう? それに——」


話の途中で、ドーンと言う音が鳴り響き、ジャスパーが振り向いた途端、船の先端が爆発。


ジャスパーはヒィィィィッと、体をシンバに寄せるので、シンバはジャスパーを押して、自分から離す。


船が攻撃されているのだが、波と飛沫が、荒波へと変え、小さなボートは今にも沈みそう。


「ルチル殿、変わろう」


「いいえ、アタシに任せて下さい」


と、ルチルはオールを渡さない。


「まぁ、沈んでも泳げるだろう?」


そう言ったコーラルに、顔を強張らせるシンバとジャスパー。


「お、お、俺は泳げねぇよ、つーか、泳いだ事ねぇよ!」


「わしもじゃ」


「まぁ、僕は泳げるから心配ないんだけどね」


コーラルがそう言うと、


「何の心配よ!! 沈ませないわよ!! 大船に乗った気でいなさいよ!!」


ルチルが怒鳴る。


「ル、ルチル、俺、吐く! 揺れすぎ!」


そう言うと、ジャスパーは、突然、身を乗り出し、オェェェッと吐き出したが、ジャスパーの体重が偏りすぎて、ボートが傾き、転覆しそうになる。


瞬間、シンバとコーラルが、ジャスパーの位置とは逆になる位置に体を傾けた為、船は安定し、嘔吐しているジャスパー以外、皆、ホゥッと溜息。


「貴様ぁ!!!! 焦らせやがって!!!!」


コーラルがジャスパーに怒り露わに吠えるが、ジャスパーは何の事やらと、ぐったりして、具合が悪そうにしている。


「おい、シンバ! コイツを何故連れて来た!? 役に立たないだろう! 白虎達を置いて来たついでに、コイツも置いて来れば良かったんだ、寧ろ、捨ててくれば良かったんだ!」


「ジャスパー殿はこう見えて、結構、役に立つ」


「ほぅ、ならば聞かせてもらおうか、今迄、役に立った事を」


「・・・・・・」


無言のシンバに、コーラルは深い溜息。


「あのなぁ、シンバ! 僕達は遊んでいる訳じゃないんだぞ、コイツを連れて来るなら、白虎の中から誰か選び、連れて来る方がいいだろう、こんなデブが役に立つ筈ない!」


「問題ない、役に立つ」


言い切るシンバに、コーラルは更に説教をしようとしたが、ボートが揺れに揺れて、それどころではなくなった。


ドーンドーンと次から次へ放たれる大砲が、船を爆発させ、その爆発風が小さなボートを襲う。


シンバとコーラルはボートの淵を掴み、荒波の中、安定させる。


「おい、シンバ! 船が沈んだら、その大波で、ボートも一緒に沈む!」


「わかっておる! ルチル殿、波に乗るよう、オールを漕ぐのじゃ!」


「やってるわよ! ジャスパー、アンタ、重すぎよ!」


「ううっ・・・・・・吐く・・・・・・また吐く・・・・・・」


小さなボートは4人を乗せ、大波の上、流されていく——。


そして、島の裏側に、ボートは何とか辿り着いた。


ギャアギャアと悲鳴のような鳴き声の鳥達が、島から飛び立っていく。


転覆しなかったとは言え、4人はびしょ濡れ。


砂浜の上、息を乱し、コーラルとルチルとジャスパーは倒れこんでいる。


シンバはジャングルのような森の中に聳え立つ要塞を見上げ、


「・・・・・・あれが牢獄じゃな」


そう呟く。


まだドーンドーンと大砲の音が聞こえ、誰も乗っていない白虎の船が攻撃され続けている。


今、立ち上がり、シンバの肩に手を置き、


「ハァ、ハァ、ハァ、シンバ、回復早いな」


と、コーラルは呼吸も乱れていないシンバに言う。


「コーラル殿、あの要塞の中はどうなっておるのじゃ」


ちょっと待てと、コーラルは中腰になり、呼吸を整えた後、砂浜に見取り図を描き出す。


まだ、倒れこんでいるルチルとジャスパーの横で、


「ここに入るには、皆、ウィルスに犯されない為のスーツを着る。アスベストウィルスは空気感染だからな。だが、ウィルスだけの問題なら、別に完全装備しなくても、マスクだけで問題ない」


「マスクだけで? 感染するとは言うても、そう簡単に感染はせぬのか? それにウィルスの他に別の問題があるのか?」


シンバとコーラルは、真剣に話し出す。


「言ったろ、ウィルスは進化している。進化できるって事は進化できるだけ、まだ完全なものではないって事だ。アスベストウィルスはマグマの中で生きていたウィルスだ、今の所、まだ冷気に弱い、だからこの要塞の中は冷凍庫並みに冷えている。スーツを着る理由は寒さ避けだ。着なきゃ凍るぞ」


「・・・・・・成る程」


「この要塞の中でなら、口から思いっきりウィルスを吸い込まない限り、皮膚の傷口からなどの感染はない」


「・・・・・・成る程」


ドーンと大きな音が鳴り、歓声が聞こえる。船が完全に沈没したようだ。


「見張り兵ってのは馬鹿だな、真正面に突っ込んで来たら、真正面ばかり気に取られ、後ろがガラ空きだと気付きもしない。まぁ、元は奴隷の労働者。ジプサム以外の者が現れたら全員で攻撃開始と、上から言われた事しかこなせないか」


「白虎の船が沈没させられるとは・・・・・・やはり白虎は裏切ったと見張り兵にも報告されておるんじゃな。と言う事は、王は勿論、青竜も黄竜も白虎を敵と判断しとるじゃろうな。お主、もう戻れぬぞ」


「そんなの城を焼かれた時に承知の上だ。今更、王に頭を下げる気はない」


話をしながら、シンバとコーラルは、波打ち際で揺れるボートを引っ張り上げる。


それに手を貸すルチル。


「回復が遅い!」


そう言ったコーラルに、


「うるさいわね! これでも早い方よ!」


と、キレるルチル。


ボートを木々の中に隠し、シンバは、まだ倒れこんでいるジャスパーに手を貸して、皆、木々の中に移動する。


びしょ濡れのシンバ達は、まず、服を乾かす事にする。


だが、焚き火はできない為、自然乾燥。


とりあえず、お日様がサンサンと輝いている日で良かったと、シンバは思う。


「まず要塞に入るにはスーツを手に入れねばならぬな」


「あぁ、そうだな、とりあえず、外で見張りしている奴等を狙って、スーツ置き場の鍵を手に入れよう」


「コーラル殿、その前に聞いておきたいんじゃが」


「なんだ?」


「アスベストウィルスに犯されたままの患者を倒す方法は、更に冷やすのか?」


「・・・・・・」


「化け物とは言うても、ジプサムが所有している辺り、何か起こった場合の手段があるのじゃろう?」


そう言ったシンバに、


「なんだよ、化け物の弱点ってあるのかよ! 全くないような事言ってたのに!」


回復したジャスパーが声を上げる。


コーラルは静かにしろとジャスパーを睨むと、今度はシンバを見て、ヘッと嫌な笑いを漏らし、


「いちいち気付かなくていい所に気付く奴だな。目敏いと言うか、勘がいいと言うか」


と、ブツブツ文句を言うように、言った。


「褒めておるのか、貶しておるのか、どっちじゃ」


「貶してんだよ、誰が褒めるか!」


「そうか、褒め言葉か」


「貶してんだって言ってるだろ!」


「お主は素直じゃないからのう」


「じゃあ、褒めてんだよ!」


「そうか、褒め言葉か」


「どっちにしても結局は褒め言葉にするんじゃないか!」


「当然じゃろう」


シンバとコーラルはムゥッとした顔でお互いを睨みつけ合うが、


「ハイハイ、そこまで。さ、続きを話してよ」


と、ルチルが、二人の間に入る。コーラルはチッと舌打ちをすると、説明を始めた。


「化け物がいる牢獄は要塞の地下。地下の温度は通常で、寒くも暑くもない。化け物を殺す方法は温度ではない。いざ化け物が暴れて手の打ちようがなくなった時、緊急ボタンひとつで、地下は閉鎖され、海水が流れる込む仕組みになっている。つまり、化け物は地下で溺れ死ぬって訳だ。地下は何もない。そのまま閉鎖し続けてしまえばいいって魂胆だよ」


「・・・・・・成る程」


「ここでその緊急ボタンを押してみるか?」


「いや、今日は只の偵察じゃ。誰かを殺しに来た訳ではない」


「只の偵察で終わればいいが」


と、コーラルは遠くの海を見ているので、シンバもコーラルの視線を辿り、遠くの海を見ると、かなり遠く、水平線より遠く、一艘の船がこちらへ向かって来ている。


海と空に同化するような青い船は青竜の船——。


「化け物の食事の日までまだ時間があると思ったが、白虎の船が来たと見張り兵達が連絡して、それを見に来たって所かな」


「それにしては到着が早いじゃろう、恐らく、青竜はコチラへ向かっておったのじゃ」


「何しに?」


「わし等がそろそろ現れると考えたか、アスベストウィルスの患者を起こす為か——」


どちらにしろ、ここは戦うしかないようだと、シンバとコーラルは気合の入った表情。


ルチルも厳しい表情になり、これからの戦いに心を落ち着かせる。


「俺、ここで待ってるな」


苦笑いしながら言うジャスパーに、コーラルが、苛立ち、


「そうだな、デブは邪魔にならないよう、せめて大人しくしていろ!」


と、嫌な口調で言う。そして、


「青竜が来る前に、少しでも見張り兵を片付けておこう。雑魚とは言え、数が多いからな、それに奴等は青竜に加勢するだろう、ここで片付けておかなければ厄介だ」


そう言うので、ルチルが、


「青竜が来たら、残った見張り兵は全てアタシに任せて。残ってなければ、青竜の騎士達を倒すけど、そしたら仕切り屋さんの出番ないかもね。王子が長を倒すでしょうし」


コーラルを見ながら言う。


仕切り屋とは僕の事か?と眉間を歪ませ、コーラルはルチルを見る。


「誰が誰を倒しても構わん、じゃが、これだけは約束するのじゃ」


シンバはそう言うと、コーラル、ルチル、ジャスパーを見て、


「死ぬな」


一言、そう言うと、砂浜を走り出し、要塞の真正面へと向かう。


ルチルもコーラルも反対側から要塞の真正面へ。


ジャスパーは、シンバの後を追おうとして、砂浜に飛び出したが、ムリムリと一人で首を振り、木々が生い茂る場所に戻り、ボートの中、身を潜めるように、大人しく座り込む。


「砂浜は走りにくいのぅ」


ぼやきながら、砂を蹴散らし、海風に背中を押されながら走るシンバ。


いい風だと、シンバは思う。


これがそのまま追い風になるよう、願う。


わらわらと見張り兵達が現れ出す。


見張り兵達は、白虎の船を沈没させたと思っていたので、まさか島に侵入されているとは思ってもいない。


そのせいで気が緩んでいたのか、それとも見張り兵という只の下っ端だからと言う理由か、シンバと擦れ違ったとさえ気付かず、倒されていく。


風のようなスピードと、大地のような力強さと、雪の如く音のない動きは、まるで世界と一体化しているかのよう。


少し遠目、コーラルとルチルの姿が見えたが、大勢の見張り兵が目の前に現れ、視界を遮った瞬間、シンバは、両手で大雪原を振り上げ、大地を斬るように、振り落とし、その衝撃が、刃をを通して、砂浜を走り、多くの見張り兵達を倒した。


再び、コーラルとルチルの姿を目にする。


一瞬にして、多くの兵達が倒れるのを見たコーラルが、


「なんだ、その技は!?」


思わず、シンバへ向けて、大声で叫んで聞いた。


「斬撃波じゃ。お主と戦った時に、両手を使えば、かなりパワーが上がる事を知ったからのぅ、更に剣にスピードを加え、振り落とせば、追い風がその衝撃を連れて行く。柔らかい大地の砂浜は小さな砂粒を蹴散らし、斬った衝撃のパワーを落とさない。風と砂を味方にした技じゃ。この攻撃なら、両手が塞がり、防御ができなくとも、接近戦じゃない為、パワーをフルで使えるじゃろう、しかも一気に数人にダメージを与えられる!」


説明しながら、見張り兵を倒していくシンバに、コーラルも見張り兵を倒しながら、


「風と砂を味方にした技だぁ!? 味方になるのか、そんなもんが!」


怒鳴るように吠え返す。


「何も人間だけが味方とは限らん」


「チッ、しかも僕との戦いを自分のものにし、更にレベルアップしてやがる」


ムカついた顔でコーラルは呟き、負けられるかと、シンバより一人でも多く、見張り兵を倒そうと攻撃にチカラが入る。


シンバもコーラルの強さに負けられないと、スピードを上げ、見張り兵の不意を付いて、一人でも多く倒していく。


最早、ジプサムや青竜に負けられないではなく、シンバはコーラルを、コーラルはシンバを、お互い、負けるもんかと戦っている姿に、ルチルが呆れながら、


「・・・・・・アタシ、いらないかも」


と、自分の出番も見せ場もないと嘆くように囁く。


そして、周囲の兵を一掃すると、何故か、シンバとコーラルはお互いの剣をガキーンと音を鳴らし、刃を当てたまま、睨み合う。


「コラコラコラ。王子、仲間割れしないの!」


ルチルが突っ込むと、シンバは、そうかと、


「すっかり忘れておった、お主、友じゃったな」


大雪原をコーラルのソードから離した。


「フン、言っておくぞ、シンバ! エンジェライトが復活して、世に蔓延っても、天下をとるのはフェルドスパーだ。今は友でも、未来は敵だ」


「心得ておこう」


「ちょっとちょっとちょっと! 今は未来の事よりも目の前の事を考えてよね、見てよ、あの青い船、もう直ぐ間近よ。見張り兵達はこれで全員かしら?」


倒れている見張り兵達を見下ろしながら、ルチルが問う。


「いや、まだ要塞にもいるだろう、だが、僕の圧倒的な強さを見て、出て来ないようだな」


一人で全ての兵を倒したかのような台詞を言うコーラル。


だが、そんな強気のコーラルの手は汗で滲み、表情は普通にしているようだが、苦痛の光を瞳に浮かばせ、青い船を見つめる。


シンバも青い船を見ながら、ここまで来たかと思う。


青竜を倒せたら、次は最後の黄竜!


そして、待っているのはキング!


「不思議じゃ」


シンバはボソッとそう呟くと、


「追い風を感じる」


更に、そう呟いた。


コーラルの表情を見ると、青竜の強さを感じれるが、この戦いは負ける気が全くしない。


これは何の勝機だろうかと、シンバは自分の勘に首を捻る。


「王子、どうかしました?」


ルチルが尋ねるが、シンバは首を振り、


「いや、いい風が吹くと思うてな」


海風の気持ち良さに、笑顔でそう答えた。


「いい天気ですからね」


と、ニッコリ笑うルチルに、


「緊張感のない奴等だな、そろそろ構えた方がいいぞ」


コーラルがそう言うと同時に、青い船が、島の船着場に辿り着き、中から青い鎧を着た者達が、わらわらと出て来る。


綺麗に整列した青竜達の手にはライフルが持たれている。


「・・・・・・こうなったら先手必勝だな、おい、シンバ、さっきの斬撃波、今、放て」


「無理じゃ」


「無理!? なんでだよ、体力でも消耗する技なのか!?」


「わし等の真正面に海があるじゃろう、風は海から吹いておる。つまり、今、向かい風じゃ、その技は追い風じゃないと出せぬ」


「なにぃ!? 全然、風が味方になってないだろう! 味方なら追い風にしてみろ!」


コーラルがシンバに向かって、無茶な事を怒鳴り出す。


「気分は追い風なんじゃがのぅ」


「気分!? 気分ってなんだ、気分って!!!! どう見ても、僕達の不利な状況だ、いいか、鎧も着ていない僕達は防弾服も着ていないんだぞ、鉛弾が当たったら、完璧に死ぬぞ! 言っとくけど、どんなに素早いって言っても、僕もシンバも、そこの女も接近戦での有利な戦闘術だ、ライフルを避けれる程のスピードもなければ、敵に近寄れないまま、撃たれて死ぬんだよ、わかったか、このヤロウ!!!!」


「思いっきりキレたわね、でも、女って呼ばないでほしいわ、ルチルって呼びなさいよ、仕切り屋くん」


「誰が仕切り屋だ、僕はフェルドスパーの王子、コーラルだ!」


「知らないわよ」


ツンっと横を向いて、コーラルから目線を外すルチルに、コーラルの怒りは更に増す。


そんなコーラルに、今、青竜の長が、


「そこにいるのは白虎の長じゃないのか?」


と、綺麗に整列した騎士達の前に現れ、余裕たっぷりの笑みを浮かべながら、そう言った。


コーラルは、キッと、青竜の長を睨み、


「あぁ、誰かと思ったら、青竜の長ではないですか」


と、距離的に離れている為、大きな声で、そしてキツイ口調で返す。


「白虎の船を沈めたんだが・・・・・・濡れているようだね、まさか、泳いでここまで?」


グフグフグフと嫌な笑いを零し、そう聞いた青竜の長。


「ご心配なく、今日は暑いので海水浴ですよ」


「グフグフグフ、それはそれは、楽しそうだ」


笑う青竜の長に、コーラルは舌打ちをする。


「妙じゃな」


シンバはそう呟き、


「白虎の船を沈めたのは、ここの見張り兵達じゃろう?」


疑問を口にするが、


「なんでも自分の手柄なんだろ、そういう奴なんだよ」


と、コーラルはムカついた顔で、シンバに呟き返す。


「それで、白虎の長が、ここで何を?」


「見てわかりませんか?」


「あぁ、わからないね」


「邪魔なものを掃除してたんですよ」


「あぁ、そう、それで見張り兵達が山のように倒れているんだ? 邪魔なものだから?」


「・・・・・・青竜こそ、勢ぞろいで、何しにここへ?」


「そりゃあ、邪魔なものを掃除しに来たんじゃないか」


またグフグフ笑いながら、そう言った青竜の長に、コーラルがムカッとして、睨んでいる。


「聞きたいのじゃが」


突然、シンバが吠えた。


「あぁ、キミが噂のエンジェライト第一王子シンバとか言う若者か」


「誰が白虎の船を沈めたのじゃ?」


「だからシンバ、それは——」


コーラルが、シンバに説明しようとしたが、シンバは、コーラルに首を振り、


「あの位置から、わし等が濡れておるなど、確認できんじゃろう、それに体を動かしたせいで、略、乾いておる」


確かに、シンバとコーラルの服も髪も、生乾き状態。


ルチルは余り体を動かしてないせいもあり、二人よりは濡れているが・・・・・・。


「フン、何の質問だ、ソレは? 言っておくぞ、お前達はここで死ぬ! わたしの合図で、ここにいる全員が、ライフルを撃つ。避ける事など不可能だろう、お前達は蜂の巣だ! せめてもの優しさだ、苦しまず即死させてやる、そうだな、王子様が揃っているんだ、その王族の頭を地に擦り付けて、土下座でもして見せろ。偉そうな高い頭を一度くらい地に落とさねば、あの世で地獄行きになるぞ!」


「そうか」


頷いたシンバに、青竜の長は眉間に皺を寄せたが、


「グフグフグフ、死を覚悟したか? もっと手古摺るかと思ったが、足掻く事もしないとは、流石、王族だけの事はあって、肝が据わっているな」


そう言った。


「わしも、ひとつ、助言をしてやろう」


「何!?」


「今直ぐ、そのライフルを剣に持ち替えた方が良いぞ」


「はぁ!?」


意味がわからないと、青竜の長が眉を顰めた時、綺麗に整列していた騎士達が悲鳴も鳴く倒れて行く。


何がどうなっているんだと、青竜の長が驚いていると、その長の真横を通り抜ける影。


ライフルを持っていても構える暇も、引き金を引く時間もなく、騎士達はドミノ倒しのように倒れて行く。


「アスベストウィルスみたいな奴だな」


腕を組み、そう言ったコーラルを睨むシンバ。


「褒め言葉だよ」


「褒めるなら最強の騎士と言え」


「ハイハイ」


「返事は一度でよい」


「僕に指図するな!」


「お主の態度が悪いのじゃろう!」


「ちょっと二人共! アスベストさんの動きが止まったわよ!」


ルチルにそう言われ、シンバとコーラルは、倒れた青竜を目で辿り、今、アスベストの剣を剣で受け止め、そして、アスベストの背後を狙った剣をアスベストは盾で受け止め、その周囲をライフルで構えている男達を目にする。


「凄いな、あれだけいた青竜を5人にしやがった」


「いや、アスベストの動きを止めた、あの5人を褒めてやるべきじゃ」


「レグルスの次に強いと言われた、元エンジェライトの騎士アルギエバの奴等だ、アスベストの動きを止める奴がいても不思議じゃない」


「知らぬ」


「は?」


「アルギエバなど知らぬ。知っておるのはアスベストが最強という事だけじゃ」


言いながら、シンバは大雪原を構え、アスベストの元へ。


「行け行け。見せ場は僕がもらうから」


と、コーラルは青竜の長の元へ。


ルチルは、要塞を見上げ、


「残ってる見張り兵達、出て来ないかしら」


やる事がないと溜息混じりに呟く。


シンバが向かって来ると、ライフルを構えた3人は、狙いをシンバにして、銃口を向けるが、シンバはその3人を通り抜けて行く。


何故だとばかりに、アスベストも含め、皆、シンバを見ていると、シンバは振り向いて、


「逃げろ」


アスベストにそう言った。


アスベストは眉を顰め、意味がわからず、シンバを見るが、とりあえず、王子の命令だと、ソードと盾で受け止めた剣を押し返すように弾き、逃げようとした瞬間、シンバの方から何か突風が来るのを感じて、わからないが、宙に飛び上がって、その場から逃げる。


勿論、突風のようなものを感じたのはアスベストだけではない。


剣を持った二人の男も、そこから横に飛び跳ね、逃げていた。


アスベストが砂浜に着地すると同時に、ライフルを構えた男達が倒れる。


「・・・・・・王子、何をなさったのですか?」


「斬撃波じゃ」


「ざ? ざんげき?」


意味がわからず、妙な発音で問い返すアスベストに、シンバはニヤリと笑い、


「斬った衝撃を解き放つ技じゃ、追い風の時に使える」


そう説明した。


「そ、そんな技をいつの間に!?」


「それより、お主、心の整理はついたのか?」


「・・・・・・はい」


「わしの傍にいて良いのか?」


「はい、私は王から王子をお守りするよう命じられたのです、それを守り抜きます」


「じゃが、そう命じた王と言うのはジプサムの——」


「いいえ、王は私に王子をお守りするよう言いました、それは運命だったんです! 例え、エンジェライト王とジプサム王が同一人物だとしても、私はエンジェライト王から受けた命令を守り抜きます。その命令が私を殺す為のものだったとしても、私も王子も生きている。私はその奇跡を守らなければいけない。そして王子、私は既にアナタの虜ですから。この世の王はアナタしかいない」


「・・・・・・そうか」


頷くシンバに、アスベストがホッと安心したような吐息を漏らすと、


「戻ってくると信じておったよ」


と、微笑むシンバ。


そして泣きそうになるアスベストに、さっきの剣を持った二人が襲い掛かる。


アスベストはシンバの前に踏み出し、二人の剣をソードと盾で受け止め、


「王子との再会の喜びくらい、ゆっくりさせろ!」


そう言った。二人の男は歯を食い縛り、受け止められている剣に力を入れ、


「アスベストさん、エンジェライトの王子、レオン様に逆らうのですか!」


と、一人の男が吠える。


「アスベストさん、レオン王子は間違いなくエンジェライトの王子です、容姿が若きエンジェライト王にソックリだ。アナタはその王子を倒せると言うのか!?」


と、もう1人の男も吠えた。


「・・・・・・ここにおられる方はシンバ王子だ、お前達こそ、シンバ王子を倒せるのか!?」


聞き返すアスベストに、無言の二人。


確かにシンバ王子であるだろうと、二人は思っている。


その容姿はお妃様にソックリなのだから。


シンバとレオン、対照的な二人。


それでも、エンジェライトの血の繋がりがある二人だからこそ、元エンジェライトの騎士達は迷う。


だが、今のアスベストに迷いなどない。


二人の剣を弾き返し、再び襲ってくる剣を受け流し、攻撃を始める。


二人相手に、アスベストは物凄いパワーとスピードで攻めていく。


余りにも凄まじい攻撃を繰り出すアスベストに、シンバは立ち尽くす。


男二人もアスベストの攻撃を受け止めるしかできなくなる。


「アスベストさん! レオン王子がどうなっても良いのですか! エンジェライト王に映し身のレオン王子を!」


「お前達は知らないんだ、エンジェライトを背負うのはレオン王子じゃない、シンバ王子だと言う事を! もし、レオン王子が受け継ぐとしたら、それはスノーフレークだ!」


そのアスベストの台詞には、シンバも眉をピクリと動かし、眉間に皺を寄せる。


「いいか、シンバ王子が生まれた時、王は次の王にと誓ったんだ、それは先代の王が願った事でもあった。だが、王は第二子が生まれ、その考えを変えたかもしれない。第二子が王子であった事に、それこそ自分を映し見たのかもしれない。だが、最初に生まれたのはシンバ王子なんだ! その奇跡を忘れるな! そして本当のエンジェライトの王族であったのは、お妃様の方だ! 王じゃない。そのエンジェライトの姫に、そしてエンジェライトの先代の王に、映し身と言うのならば、シンバ王子の方だ! そしてシンバ王子はエンジェライトを背負う為、生きて来られた! ジプサムなどに負けるものかと、たった一人でエンジェライトを背負って来られたのだ! これが運命と言わず、何と言う!」


アスベストは、そう叫びながら、男達の剣に、自分の剣を当てていき、そして、


「私達が信じているエンジェライト王は、スノーフレーク第二王子だったんだ!!!!」


そう叫ぶと同時に、男達の剣を強く弾き、その衝撃で男二人は後退した。


息を切らし、男二人を見据え、剣を構え直すアスベスト。


しかし、男二人はもう殆ど闘争心がなくなり、驚いた顔でアスベストを見ている。


「・・・・・・アスベスト、お主、何を知って、わしの所へ戻って来たのじゃ」


シンバはアスベストに近付き、アスベストの背にそう聞いた。


「王子、詳しい事は後で話します、まずはアイツ等を!」


と、アスベストが剣を握り直し、男二人にじりじり近付いていく。


だが、男二人は闘争心がなく、その場に跪き、一人の男が、


「殺せ」


そう呟くと、今度はもう一人が大声で、


「殺せ! 生き恥を晒し、レオン王子の元へ戻っても、お前達に勝てなかったと、レオン王子の顔に泥を塗るようなもの! 負けるならば、潔く、レオン王子の勝利の為、この命、生贄として神にくれてやる!」


そう叫んだ。


「良い覚悟だ」


と、アスベストが剣を掲げるが、それをシンバが止める。


「王子!?」


「アスベスト、剣を下ろせ」


「しかし王子、コイツ等は王子に逆らったんですよ!」


「逆らうも何も、敵なのじゃから、賛同せぬじゃろう。良いから剣を下ろせ」


シンバにそう言われると、アスベストは仕方なく、剣を下ろした。


シンバは跪く男二人に近付き、そして、男達の目線に合わせるよう、自分も膝を砂浜に下ろした。


「殺せなど、簡単に言うな。殺す方も殺される方も、どちらも辛いのじゃ。良いか、生きる事に恥じなどない。もしわしがレオンなら、生きて帰って来たお主等に、死なずに良かったと思うじゃろう。無事で良かったとな」


男二人は、シンバの青い瞳を見つめ続ける。そして、フッと笑みを浮かべるシンバに、ハッと我に返り、


「負けて帰る訳にはいかない!」


そう叫んだ。


「お主等はアスベストがどれだけ強いかを知ったのじゃ、それは有力な情報となる。まだ負けではなかろう、確かに潔い事は良いが、足掻くのも悪くない。それにのぅ、死ぬ事が敗北ではないぞ。勝利とは、これが正しいと胸張って言える事じゃ。お主等はレオンや、あのコーラル殿と戦っておる男の下で、正しいと胸張って剣を持ち、騎士として戦っておるのじゃろう、簡単に死のうとするな、負けを認めるな、今に見てろと、悔しさを抱えて足掻いて生きてみせろ、そして勝利すれば良い。自分の信じた道で」


その台詞は、口先だけの台詞ではない。


シンバは幼い頃、常に、悔しさを抱え、特訓して、村の子供達に勝つ為に努力してきた。


その道を、シンバは今も尚、走り続け、そして、閉ざされた道に立つ者に導いている。


アスベストは俯き、そして、下ろした剣を背中の鞘に納めた。


男二人は、シンバの瞳を見つめ、そして、ブワッと涙を溢れさせ、下唇を噛み締めた。


「待っておれ、今、コーラル殿が決着をつけるであろう、自分の上に立つ人間の戦いを見届けるのも、お主等の役目じゃろう、死んだら長を守る事もできぬぞ」


男二人は青竜の長がまだ戦っているんだと気付き、シンバとアスベストと同じ方向を見る。


その方向では、コーラルと青竜の長が剣を交えている。


ガキンガキンガキンと物凄い音が鳴り響き、剣と剣が交わされていく。


剣を交わしながら、青竜の長が、


「くっ! この裏切り者の馬鹿王子め!」


と、コーラルを罵る。


「裏切ったつもりはない。僕は誰の言いなりにもなりたくない、そう思っただけだ」


「ぐふぐふぐふ、成る程、だとしたら、その思考は馬鹿そのものだな、負け戦に手を貸すなんて、利口とは言えないだろう」


「負け戦? 数百といる騎士達を倒されておいて、よくそんな自信が出るもんだ」


「黙れ、何も出来ん只の坊ちゃんが偉そうに! この馬鹿王子め! 貴様など、切り刻んでくれるわ! ぐふぐふぐふ」


「・・・・・・僕はね、その下品な笑いが、前から気に入らなかったんだ」


コーラルはそう言うと、剣を強く弾き返し、青竜の長が後退すると、スッと剣を顔の前で構えたかと思うと、目には見えない程のスピードで、十字を描いた。


瞬間、ぎゃあああと悲鳴を上げる青竜の長。


青竜の長の口が縦横十字に裂けている。


「それでもう笑えないだろう」


コーラルがそう言うと、青竜の長は頬まで避けた口と鼻と顎まで避けた口を動かさないようにしながら、


「ひ、ひさまぁぁぁぁ!」


恐らく、貴様と言いたいのだろう、そう言った。


鼻から下が血だらけの青竜の長。


「少しは上品になったじゃないか」


皮肉たっぷりで、そう言ったコーラルを、青竜の長はギンッと睨み、コーラルの顔にも傷を付けてやろうと、剣を振り上げる。


「攻撃が同じ所ばかり狙ってますよ、そんなみえみえの攻撃を僕が避けられないとでも?」


余裕の台詞で、青竜の長からの攻撃を交わしていくコーラル。


「高がエンジェライト王に気に入られた程度の事で、僕より高い地位に治まり、王子という立場の僕を何も出来ない坊ちゃんだと馬鹿にし続け、大人しく黙っていた僕を弱者だと甚振り続けてきた罪は重いぞ。クリーダイト王の意思を受け継ぐ者と、フェルドスパーの王子というこの僕。本物の王族と言うものを思い知るがいい」


コーラルはそう言うと、攻撃を交わしながら、踏み込み、反撃する。


青竜の手の甲、太股など、鎧を着ていない部分が突然裂かれて、血が吹き出る。


見えない攻撃に、青竜の長は防御しようがない。


「同じ王子でも黄竜の長、エンジェライトの王子レオンには、ヘコヘコしてたな。僕よりも子供のレオン相手に、そのブサイクな面を何度下げたんだ? そういう目に見えて上下関係で平伏す態度も下品で、僕は好きになれなかった」


「うるはい! レホンは子ろもとは言え、ヒサマなど適わぬ強さほほっているそ!」


青竜の長は、うるさい、レオンは子供とは言え、貴様など適わぬ強さを持っているぞ、そう言いたいらしい。


「——だからなんだ?」


「くっ!」


「レオンの強さを自慢してどうするんだ? まさかレオンが敵討ちしてくれるとでも思っているのか? どんなにヘコヘコしてもレオンの眼中にさえないのに?」


「くっ!」


「だが、賢明だな、敵討ちをとってくれると思うと言う事は、この僕相手に、勝ち目がないと思ったって事だろう? 流石、僕を馬鹿だ馬鹿だと罵るだけあって、未来がわかる頭を持っているようだ。素晴らしい」


「ら、らまれ!」


黙れと言いたいらしい。


「さぁて、そろそろその下品で醜い首を砂地に落としてやるかな。最後にその頭を地につける相手が、この僕だと言う事を、光栄に思うがいい」


そう言われ、青竜の長はヒィィッと悲鳴のような声を漏らし、身を低めたが、首は落とされず、落とされたのは両手首で、持っていた剣と盾は腕と共に砂に落ちる。


噴水のように手首から血が溢れ、青竜の長は悲鳴にならない声を上げ続ける。


「本気にするな、単なるジョークだ、もっと楽しまなければ勿体無いだろう? その醜い下品な面を恐怖と苦痛で歪ませ、僕を楽しませろ。この王子である僕の命令だ」


そう言われ、青竜の長は、ガクンと尻餅を着き、小便を漏らし、ガクガク震え出した。


「はははは、いいぞ、その調子だ。よぉし、次はその足だ、綺麗に切断は飽きたなぁ、そうだ、もぎ取ってやろう」


そう言ったコーラルの横を走り抜けるシンバ。


シンバは青竜の長の首を跳ね、一思いに止めを刺した。


ドサッと砂地に転がる青竜の長の胴体と、跳ねて転がる頭。


「おい、シンバ、僕の戦いだろう!」


「何が戦いじゃ、こんな茶番、いつまで続けるのじゃ、お主の遣り方は残酷過ぎる! 見ていて気分が悪い!」


「ハッ! 情けをかける相手じゃない! それに一気に殺すのも、甚振って殺すのも、どうせ同じ死だろう、そこ等に転がっている見張り兵の死体は誰が殺したんだ? シンバだろう? 僕もだけど」


「コーラル殿」


「なんだ?」


「お主は戦いが好きじゃと言うたな」


「あぁ」


「だが、それは強い者に向かって行く事ではないのか? 闘争心もなくなり、武器も持てなくなり、尻を地につけ、怯える者相手に、剣を振り上げ、何を得るのじゃ? その戦いで勝利しても、何も得るものはあるまい? わし等が戦うのは、わし等の前に立ちはだかる者じゃろう、恐怖を与えたい訳でもなかろう? 戦で安楽死とまでは無理じゃろうが、苦しまず、相手を天に送れるならば、それこそ、勝利であり、本当の強さじゃろう」


「説教はやめろ、僕はお前の下っ端じゃないんだぞ」


「説教ではない、下っ端とも思っておらぬ。お主はわしの友達じゃろう、わしとお主は平等の立場なのじゃ、上も下もない」


コーラルは面倒そうに舌打ちをすると、


「ハイハイ」


と、二度返事をした。


「返事は一度で良い」


「本当に僕を友達と思っているんだろうな!?」


「・・・・・・お主が態度を改めれば、親友じゃ」


コーラルは、親友と言う言葉に、少し驚いた顔をしたが、直ぐに舌打ちをして、面倒そうな顔をし、だが、文句は何も出て来ない。


「王子!」


アスベストが駆けて来る。


「王子」


ルチルが駆けて来る。そして、ルチルは、アスベストに頭を下げ、


「おかえりなさい、アスベストさん。残念な事に、アタシはまだ何の活躍もしてませんよ、アスベストさん、もう少し、のんびり体を休めていても良かったんですよ?」


そう言った。アスベストは快く自分を受け入れてくれる皆に、嬉しくて微笑む。


「皆、無事じゃな、ジャスパー殿を呼びに行かねば。そういえば、アスベスト、お主はどうやってこの島に?」


「はい、ネフェリーンエリアにある港町から王子達が島に向かった事は、港町に王子達の馬が預けられてあったので、わかりました。港には、フェルドスパーから乗って来たシンバ王子のものと、コーラル王子のものがあり、一艘は王子達がここまで乗って行ってしまったのですが、もう一艘は置きっぱなしでしたので、それに乗ってきました。王子達に追い付く為、スピード全開で、エンジンが壊れる勢いでしたが、操縦は、自動操縦の御蔭で、海で迷う事もありませんでした、後数時間で、島に着くと言う時、青竜の船に出会い、爆破され、私は浮き輪を抱え、海に飛び込み、青竜の船にしがみ付いて、途中、しがみ付いているのも無理があり、泳いで、この島に。ですが、王子達が到着しているのか、心配だったのですが、この島の裏に辿り着いた時、ジャスパーさんに出会って、王子達が戦っている事を聞いたんです。私は再び、海に潜り、青竜達の背後に回った訳です」


「そうか、わし等はここに来る前に、寄り道もしたんじゃ、それもあり、お主は追いついたんじゃな。聞いたか、コーラル殿! ジャスパー殿は役に立っておろう?」


シンバにそう言われ、コーラルは、フンッと鼻を吹かせると、


「僕達が戦っている事をアスベストに告げただけだろう」


腕を組み、そっぽを向いて、そう言った。


「ジャスパー殿が告げなければ、わし等は、あのライフルを持った青竜達に接近できないまま、やられておったよ、ジャスパー殿の御蔭で、アスベストがうまく敵に近付き、敵の不意を衝いた攻撃をしたからこそ、今、わし等は生きておるんじゃ」


「いちいち説教するような口調で説明しなくてもわかっている!」


コーラルは苛立って、シンバにそう怒鳴る。


「ところで、王子、ここへ来る前に寄り道とはどこへ行かれたのですか?」


「あぁ、コーラル殿が先に青竜を倒しておこうと言うので、クリーダイト城へ向かったのじゃが、騎士達が少しおっただけで、何の意味もない寄り道じゃった。ここで青竜とはちあうよりはいいかと思うたんじゃが、結局、はちおうてしもうた」


「そうでしたか。では、要塞に入る前に、服を乾かしながら、私がエルバイトさんと出会った話をしましょう、エンジェライトとスノーフレークの関係を話します」


アスベストがそう言うので、シンバは頷き、皆で砂浜で焚き火を熾す事になった。


生き残った青竜の騎士は、長の首を持ち、青竜の船に乗ったはいいが、出航する様子がなく、だが、たった二人の騎士がどうこうする事もないだろう。


火を囲み、大きな流木の上に皆、座りながら、アスベストの長い話を聞く。


ジャスパーは欠伸をし、ルチルは揺れる炎を見つめ続け、コーラルはパチパチと音を立てる炎を枝で突き、シンバは遠く水平線を見つめる。


シンバの白い頬が、炎で赤い影ができる。


青い瞳が揺れている。


海風が銀色の髪を撫でていく。


ここにシンバが存在している事、それが奇跡であり、運命であるのならば、それはどの命もそうだろうと、シンバは空を見上げる。


流れる白い雲、大きな青い空、寄せては返す白い波、広く青い海、白い砂浜、青い草木。


全ての命が生まれる事は奇跡であり、その命が歩む道のりが運命ならば、その奇跡と運命を奪ってきた自分の存在が、奇跡であり、運命である筈がないと、シンバは思う。


そして、何人、殺して来ただろうかと、シンバは自分の手の平を見つめる。


それも踏まえ、奇跡であり、運命だと言うのなら、これから先、真実の奇跡と運命を導かなければならないだろう、自分のチカラで!


それが奇跡と運命を奪い続けた者の償い——。


荷が重いと、シンバは深い溜息。


だが、王として、当然のチカラ。


ここで潰れたら、今迄の奇跡と運命が、罪と罰に変わってしまう。


アスベストの話が終わると、暫く、皆、静かに時間を過ごした——。


「さぁて、そろそろ、要塞に入るかのぅ、服も乾いたしな」


「いや、やめとこう。青竜が現れ、しかも生きた奴を二人ばかり逃がしたんだ、もう船の無線でジプサムに、この状況を報告されている筈だ、なのに、青竜の船は帰る様子がない。僕達が要塞へ入ったら、外から鍵を閉め、閉じ込める気かもしれない。僕は化け物と心中なんて絶対に嫌だ」


「俺も嫌だ!」


ジャスパーがコーラルの意見に頷くが、コーラルはジャスパーが頷くのは気に食わないらしい。ジャスパーを睨んだ顔が苛立っている。


シンバは立ち上がり、要塞を見上げた。


「黄竜の長はレオンじゃったな、ジプサム騎士団の頂点が子供の長など、普通は有り得ん。例えレオンにどんなチカラがあろうとな。じゃが、子供だからこそ素直に育った環境の影響を受け成長する。それが正しいのか、悪い事なのか、よくわからずに。自分の意見を通せるようになるには、わし等のように大人になってからじゃろう。そして大人に逆らえるのも、大人になってからじゃ。司令官としては、扱いやすいじゃろうな、子供は——」


言いながら、振り向き、皆を見ると、


「ジプサムの司令官はわしの父じゃ、その地位はここにおるアスベストウィルスの患者を所有しておるからじゃろう。じゃが、その患者が父の手から離れたら、コーラル殿の父も母も、リアルガーの王も妃も、クリーダイトの王も妃も、パイロープの王も妃も、レオンも・・・・・・生き残っておる騎士達も全て、ジプサムという呪縛から介抱され、元の自分達の城へ戻れるのではないじゃろうか」


そんな事を言い出した。思わず、コーラルは立ち上がり、


「・・・・・・エンジェライト王はシンバの父親だぞ? エンジェライト王、全てに責任をかぶせ、エンジェライト王一人に悪を背負わせるのか?」


少し震えた声で、そう聞いた。シンバは真っ直ぐな青い瞳をコーラルに向け、


「このジプサム計画は父が提案したものじゃろう、父が全てを背負うのは当然の責任じゃ。良いか、正義も悪も背負うのは王じゃ。例え、王の知らぬ所で、自分の国が悪に染まっていたとしても、王は知らぬとは言えぬ。どんな事でも全て責任をとるのが筋じゃ。父はそれだけの事をしたのじゃ、わしは父を何としても殺さねばなるまい。その事実を世界に知らせる為にも」


王という立場の厳しい現実を口にする。


「世界にって・・・・・・シンバ、自分が何を言っているのか、わかってるよな?」


コーラルが、責めるように問う。


「あぁ、そうなると、わしは王殺しじゃ。王子とて、王殺しは最大の罪。しかし、エンジェライトはレオンがおる故、大丈夫じゃろう」


優しい微笑を浮かべ、悲しい覚悟を口にするシンバに、最初に吠えたのは、アスベストだ。


「王子が罪を背負う必要などありません! そう、相手はエンジェライト王ではなく、ジプサム王なのですから!」


「ジプサム王として戦うならば、この計画に携わった全員を殺さねばなるまい? わしはエンジェライト以外の国の王を元の自分達の国に戻したい。それには、世界中で、ジプサム王を倒したという報告が必要じゃろう、王が誰であったのか、皆、知りたがり、ジプサム計画に手を貸した王の誰かが話してしまうかもしれん。なら、最初から正直に王が誰であるのか、その王を殺したのは誰なのか、ハッキリさせた方が良い。こんな事、二度と起こらぬように、世界中に、真実を伝えるのじゃ。まぁ、勝ったらの話じゃがな」


「もっと別の方法がある筈です! それにマーブル姫はどうするおつもりですか!?」


シンバの覚悟を揺るがすもの、それは最愛の姫の存在でしかないだろう。


だが、マーブルを好きと言う気持ちが、まだ愛という深い感情まで育てていない。


「マーブルの事までは考えておらぬ。じゃが、わしはマーブルに何も手を出しておらん。大事に扱って来たつもりじゃ。じゃから、マーブルは他の国の王子と結婚も考えれるじゃろう。それに黙ってすましておると美人じゃし、笑うと可愛らしいし、その容姿の割りに、性格は少し抜け取る所があるが、正直じゃし、姫という立場の割りに、頑張り屋じゃし、少々、勝手な思い込みでヤキモチ妬きな部分もあるが、それも愛嬌。マーブルなら直ぐに良い王子が見つかる」


「シンバ、アンタ、自分勝手過ぎよ」


ルチルが、王子ではなく、シンバと呼び、その口調と声は、かなりトーンが低く、


「どんなに素敵な王子様が現れても、マーブル姫はシンバじゃなきゃ駄目なのよ」


かなり怒っている。


「一度、好きになった人を、ハイそうですかって簡単に忘れられると思う? これが恋愛のトラウマになると思わないの? 直ぐにいい王子が見つかる? ええ、そうね、シンバよりカッコイイ王子は世界中にいそうだわ、でもね、マーブル姫にとったら、どんなにカッコ悪くても、どんなにムカつく奴でも、シンバ、アンタじゃないと駄目なのよ! 悪いけど、アタシ、要塞には行かないから」


ルチルはキッと鋭い眼差しでシンバを睨みつけ、そう言い放つと、スタスタとその場から離れていく。


かなりキツイ台詞を言われ、俯くシンバ。


「持つべきものは女友達だな。よし、俺も行かねぇ、怖いし」


最初から行く気もないジャスパーが、そう言って、砂浜の上、ゴロンと横になる。


「私も、行きません」


アスベストまでシンバの意見を聞かない。


「・・・・・・なら、僕は行くよ、シンバに賛成というより、まずジプサムを倒すには化け物を倒す必要があるからな。まぁ、青竜の船もまだそこにあるし、外に数人が残るなら、要塞に入っても問題ないだろう」


そう言ったコーラルにシンバは頷いた。


ジプサムを倒し、その罪を償うのなら、そしてシンバがエンジェライト王と戦い、勝利するなら、シンバも覚悟を決めなければならないのだ。


要塞に入る為、シンバとコーラルは要塞から離れた所にある倉庫に行き、そこでスーツを手に入れる。


大袈裟な程のスーツを着るシンバの後姿を見ながら、


「シンバ」


大袈裟なマスクをする前にコーラルが声をかける。シンバは振り向いてコーラルを見る。


「シンバが、再び会うような事があったら友達になろうと言ってから、直ぐにシンバを追った僕を変だと思わなかったか? シンバの前に直ぐに現れた僕に妙だとは思わなかったか? 大して考える暇もなく、直ぐに友達になろうとする僕に違和感を感じなかったか? フェルドスパー王を裏切り、僕がシンバと友達になるには迷いもなかったと思わないか?」


「思うたよ、じゃが、特にお主に殺気も感じる事はなかったし、何か企んでおるようにも思えんかったからのぅ、本当に友達になろうと思うたんじゃと思うておるが?」


「アスベストが奇跡だとか運命だとか言い出すから、僕もそれに影響されたのかもしれないが、シンバと友達になるのは運命だったんだ、もうずっと前に起きた奇跡がそうさせた」


「何の奇跡じゃ?」


「・・・・・・教えないよ! 奇跡はそう簡単に口にするようなものじゃない!」


「なら何を話したかったんじゃ?」


「だから! シンバは! なんでもないよ!」


怒ったようにそう言うとマスクをつけるコーラル。


「なんじゃ、お主は!?」


意味がわからないと、シンバは首を傾げ、コーラルを見ながら、スーツを再び着始める。


——だからシンバは本当に奇跡を起こす運命を持っているのかもしれないよ。


——奇跡を起こせる人間なんて、普通にいるもんじゃない。


——それは生を受けた時に定められたものだろう、言わば才能とか、そういうもの。


——つまり神からの贈り物。


——アナタは、僕なんかより、ずっとキングなんだ、その奇跡と運命を持っている。


——なんて口が裂けても言うもんか!!!!


コーラルは、自分の考えにムッとしながら、機械的なマスクをつけると、そのマスクにスイッチを入れ、清浄された空気だけが通るようにする。


その為、シュコーシュコーと妙な音が鳴るが、仕方ない。


「おい、シンバ、マスクを装着したら、その横にあるスイッチを入れろ」


そう言われ、小さなスイッチを入れると、シンバのマスクもシュコーシュコーと妙な音が鳴った。だが会話ができない訳ではない。その音が邪魔ではあるが——。


「こんなマスクをせねばならぬのか? マスクはなくても大丈夫なのじゃろう?」


「あぁ、中は冷凍庫並みの寒さで、アスベストウィルスの活発さはなく、マスクはしなくても大丈夫とは思うが、万が一って事があるだろ、とりあえず、万全の防御をしとけよ」


そして、二人は完全防備状態で、要塞へ入って行く。


見張り兵達はそこらでオロオロとしているが、特に向かって来る様子はない。


当然だろう、青竜の長を倒したのだ、シンバとコーラルに、見張り兵達でも、適う訳がない事くらいわかる。


「寒いのう」


「寒いと言っただろう、だがシンバは寒さに慣れているだろう」


「慣れとらんが?」


当然のようにそう答えたシンバを、コーラルはジロリと睨み、怒ったように、


「慣れてるだろう! エンジェライトエリアは雪が多く寒い場所じゃないか、風邪だって滅多にひかないもんだろう!? エンジェライトの王子なんだから!」


そう吠えた。


「何を怒っておるんじゃ? わしはエンジェライトに小さい頃おったが、10年以上、ベリルエリアにおったんじゃ、寒さに慣れておる訳なかろう?」


「・・・・・・フーン」


急にどうでも良さそうに頷くコーラルに、シンバは首を傾げる。


「随分と暗く、迷路みたいな所じゃな、通路は狭いし、暗いし——」


「牢獄とはそういうものだ」


「こんな所で何年もおるのか」


「化け物には調度いい場所だろ」


「元は人間じゃろ!」


「さぁな、僕が小さい頃から、化け物だったから、人間だったなんて今更思えない」


「お主、小さい頃から会っておるのか?」


「あぁ」


「小さい頃から、ここに来ておるのか?」


「あぁ」


「何故、小さい頃から、こんな場所に来なければならぬのじゃ? 子供の頃、こんな所に連れて来られておったら、トラウマになるぞ」


「・・・・・・」


コーラルは幼い頃を思い出す——。


『お父様、どうしてエンジェライト王は僕を指名されたんでしょうか』


『エンジェライトの妃には、お前と同じ年齢の子供がいる』


『え? レオン君は僕より小さいですよ』


『レオンではない、レオンの兄にあたる子だが、ジプサム計画実行の為、命を落としたそうだ、それもあり、エンジェライトの妃はこの計画に反対をしているのだろう』


『・・・・・・それで僕が、そのレオンの兄の変わりですか?』


『あぁ、そうだ、きっとお前からの差し入れなら、妃も少しは心穏やかになり、食欲も出て、少しは食べるだろう』


妃は牢獄に入れられてから、食事を一切口に運ばず、水も飲まず、絶食状態だった。


『わかりました、僕がちゃんと食事を運びます』


『だが、簡単な事ではない、妃がいる所の向かい側の牢獄には化け物が眠っている。そこへ行くのだぞ? まだ幼いお前は恐怖だろう』


『・・・・・・』


確かに恐怖だ。


怖い話を聞けば、夜、トイレに行けなくなったりする幼いコーラル。


お化けが後ろにいると冗談で言われただけで半泣きになる事もある年頃。


それが化け物がいる牢獄へ行くとなると、かなりの勇気を必要とするだろう。


『コーラル、強くなりなさい』


『お父様?』


『優しさなど持っていても必要ない。貪欲で野心家で恐怖に思われるような存在、それ程の強さを手に入れなさい』


それはフェルドスパー王であるコーラルの父とは、まるで逆の人間で、その台詞は、自分のようにはなるなと、言っているように、コーラルは聞こえた。


『そうすれば、わたしのように人の下にいるような存在にはならない』


『お父様はフェルドスパー王でしょう!? それは人の上に立つ者で、お父様は立派な王様じゃないですか!』


『いいや、王とは名ばかり。結局、フェルドスパーは大きな国の指示に従うしかない小さな国。そして、大きな国を支配する為にジプサムの一角になってみても、恐怖が待っている場所に息子をやらなければならない、それすら逆らえない小さな者なんだ、わたしは』


『お父様・・・・・・僕は平気ですよ? 怖くなんかありませんよ、へっちゃらですから! 寧ろ、楽しいくらいです、毎日、王族のマナーを学んだり、学問や剣の練習ばかりで、退屈でしたから。冒険は大好きです!』


そう言ったコーラルの頭にソッと手を置き、


『こんな小さな息子にさえ、気を遣わせてしまうんだな、わたしの存在は』


と、悲しげに笑うフェルドスパー王。


『コーラル、残酷な程、強くなりなさい、人から恐れられなさい。お前が目指す高見はわたしではない、エンジェライト王だ。自分の妃さえ——、愛する者でさえ、手にかける程、恐怖を人に与える存在になりなさい、それは何れ、世界を染めるだろう』


『・・・・・・』


『わかったな、コーラル、お前は強くなるんだ、わたしの命令だ』


『・・・・・・はい、お父様——』


幼いコーラルは頷き、父が望むなら、そうなろうと心に誓った。


要塞の中だって、怖気づいてはいられなかった。


いつだって、どこだって、凛とした顔で、強さをアピールしなければと、幼いながら、そう思うコーラルだった。


要塞の地下で、化け物は、まるで水槽のようなガラスの中で眠っていた。


その姿は、人ではなく、驚いて、持っていた食事を落としてしまい、急いで拾おうとして、転がったパンに手を伸ばしたら、白い手がそのパンを掴んだ。


見ると、鉄格子の奥から出た、スラッと延びた白い手は、エンジェライトの妃の手だった。


『・・・・・・しょ、食事を持って来ました・・・・・・けど・・・・・・落としちゃったので・・・・・・・』


少し泣きそうになりながら、そう言うと、妃は、ニッコリ微笑み、おいでおいでと手招きをした。近付くと、エンジェライトの妃は、少しやつれていたが、微笑んだ顔が、とても優しくて、何日も風呂にも入っていないし、着替えもしていない割りに、銀色の髪と白い肌と青い瞳が、美しいまま保っているように思えた。


『あなたはフェルドスパーの王子ね?』


『はい』


頷くと、エンジェライトの妃は更に手を伸ばし、マスクをしているが、その上から、コーラルの頬に触れ、柔らかい子供らしいプックラとした頬を、マスクを通じて感じる事ができると、悲しそうな顔で、『シンバ』と、微かに呟いたようだった。


『・・・・・・エンジェライトのお妃様は——』


『オバサンでいいわ』


『・・・・・・オバサンは、いつになったら、ここから出れるの?』


『出ないわ』


『・・・・・・出てくれないと、僕が毎日、ここに食事を運ばないといけないから』


『あら、それは楽しみね』


『別に運ぶのはいいけど、でも、オバサン、こんな所で辛くないの? 寒いし・・・・・・ここは通路より寒くないけど、でもやっぱり少し寒いし、マスクもしてないし、ウィルスに感染したら死んじゃうよ?』


『大丈夫よ、オバサンは寒さには慣れてるし、風邪だって滅多にひかないくらい強いの。だってエンジェライトエリアにいたのよ、このくらい、へっちゃらよ』


『・・・・・・でも食べないし・・・・・・死ぬ気なの?』


『いいえ、食べたくないだけ』


『・・・・・・子供が死んだから?』


『え?』


『僕と同じ年の子がいたんでしょ? その子が死んだから食べたくないの?』


『・・・・・・死んでないわ』


『え? でも死んだって聞いたよ?』


『死んでない。あの子はきっと生きてるわ』


そう信じているんだなと、コーラルは子供ながらに思い、それ以上、突っ込むのをやめた。


そうして、毎日、コーラルは食事を運んだ。


エンジェライトの妃が食事を終えるまで、コーラルは鉄格子の前に座り、妃との会話を楽しむ。それは、本当に楽しい会話で、これが義務とか、仕事とか、そうは思えなくて、寧ろ、コーラル自身が食事を運ぶ事を楽しみにしていた。


その日も、最初は、いつも通りだった——。


『オバサン、今日はね、シチューだよ。野菜を、お父様が闇ルートから沢山仕入れたんだ、当分は野菜の煮込み料理が続きそうだよ』


『おいしそうだわ』


『オバサン、化け物がいるのに、美味しく食べれる? 不味くならない?』


『ええ、とっても美味しいわ』


『タマネギとニンジンは不味いでしょ』


『いいえ、とっても甘くて美味しいわ』


げぇっと舌を出すコーラルに、うふふと妃は笑い、


『シンバもあなたのようなのかしら』


そう呟いた。


『シンバ? それがオバサンの子供の名前?』


『ええ、エンジェライト第一王子シンバ。あなたはフェルドスパーの王子コーラルね』


コーラルは嬉しそうにコクコク頷き、


『そう、僕はフェルドスパーの王子コーラル! いつか強い王様になるんだ』


胸を張って、そう言った。


『強い王様? 我が夫、エンジェライト王のように?』


『うん!』


『・・・・・・シンバもそうなるのかしら——』


食べる手を止め、妃は悲しそうにそう言うと、俯いた。


『オバサン? どうしたの?』


『いいえ、なんでもないわ』


と、顔を上げ、にこやかな優しい笑顔を見せた。


『ねぇ、コーラル王子、あなたは、いつかこの闇から抜け出し、もっと広い世界へ飛び立つ時が来るでしょう、もしもどこかでシンバに出会ったら、友達になってあげてね』


『友達?』


『きっと、シンバは友達がいないわ、私の夫の子ですもの、きっとあの人に——、エンジェライト王にソックリになるから——』


『友達ってなに?』


『オバサンとコーラル王子みたいなものよ、こうしてお話したり、笑い合ったり』


うふふと笑いながら妃が言うので、コーラルも笑顔で頷いた。


『それなら、いいよ! 友達になってあげるよ。だって、オバサンと一緒だと楽しいもんね、それが友達って事なのかな?』


『友達はね、友達が悲しんでいたり、寂しそうだったり、辛そうだったりしたら、励ましてあげれるのよ、嬉しそうだったり、楽しそうだったり、笑顔だったら、一緒に笑い合えるのよ、だから、友達が間違っている事があれば、注意もしてあげれるし、叱る事もできるの。チカラではなく、キモチで、相手と繋がっているから、喧嘩をしても仲直りもできるのよ。素敵よね、友達って——』


『うん!』


と、コーラルは嬉しそうに頷く。だが、その表情が固まる。


『・・・・・・ねぇ、あの化け物、動いたよ?』


『え? でも、彼の次の食事は、二日後の筈だけど——』


化け物は目を覚まし、暴れ出した。


ガラスは化け物が叩いても殴っても蹴飛ばしても割れはしないが、幼いコーラルには、恐怖でしかない。


ガタガタと震えながら、その場に座り込んだまま、動けなくなる。


そんなコーラルを背中から、細い白い両手がギュッと抱き締めた。


そして、優しい歌声——。


安心して、心が落ち着いたのはコーラルだけではない。


化け物もだ。


こちらの音が聞こえているのだろう、化け物は妃の歌声に聴き惚れて、大人しくなる。


『うふふ、いつもね、彼が目覚めたら歌を歌ってあげるの、そうしたら、私の音痴なこんな歌でも黙って聴いてくれるのよ、優しいでしょ、彼は——』


化け物を彼と呼ぶ妃。


コーラルは衝撃を覚えた。


——ねぇ、お父様、人は優しさで、人の心を動かせるんじゃないのかな。


——強さより大事なんじゃないのかな。


——恐怖なんかより、優しさの方が、ずっと強い事なんじゃないかな。


只、そう伝えたかった。


その為、妃に化け物が懐いていると、王達に思わせてしまった。


実際、懐いていたのかもしれない。


だが、妃が処刑される事になった時、コーラルは知った。


優しさなど、無意味なのだと。


残酷な程、強く、人から恐れられ、愛する者でさえ、手にかける。


そういう人間にならなければ、待っているのは死なんだ——。


「コーラル殿?」


ふと、シンバの声で、コーラルは我に返る。


「あ、あぁ、こっちだ」


「この扉の奥ではないのか?」


重々しい扉の前で、ずっと立ったまま、ぼんやりしていたコーラルが、その扉を開けずに行こうとするので、シンバは不思議に思い、その扉に手を置いた。


「その扉は地下へ行く扉だ。僕達は化け物を殺す為、地下に水を流し込むスイッチを入れるんだろう、その部屋はこっちだ」


そう言ってコーラルは行こうとするが、シンバはコーラルの背を見て、扉を見て、またコーラルの背を見て、扉を見た。


「シンバ、何している、こっちだ」


「・・・・・・この奥にアスベストウィルスの患者がおるのか?」


「そうだ」


「なら、わしはこの奥に行く」


なんとなく、そう言うだろうとコーラルは思っていたのか、驚きはなく、只、呆れるような感じで溜息をひとつ。そして、


「何しに?」


そう聞いた。


「わしはアスベストウィルスの患者に死にたいのか聞いてみたいんじゃ」


「はぁ?」


「何年もここに閉じ込められ、しかもウィルスで体は人とは思えんのじゃろう? それでも生きたいのか、もう死んでラクになりたいのか、聞いてみたいんじゃ」


「・・・・・・言葉なんてわかるもんか、化け物だと言ってるだろ、アレは人間じゃない」


「元は人間じゃろうし、今も別に化け物ではないじゃろう、見た目が人ではないと言うのなら、それはウィルスのせいであり、彼のせいではなかろう!」


化け物を彼と呼ぶシンバに、コーラルは、ズキンと胸に痛みを感じる。


「これから生きるか死ぬか、それぐらいの選択、させてやってもよかろう?」


エンジェライトの妃にソックリな顔で、そう言ったシンバに、コーラルの胸の痛みは増していく。


「・・・・・・化け物にそんな選択、必要ないだろう!」


「勿論、攻撃的な態度じゃったら、話は無理じゃろうし、わしに向かってくるようなら、襲われる前に殺す事も考えるが、会った事もない者に対し、勝手にわしが死を選ぶ事はできん。それに殺すにしても、わしは自分の手で殺す者を、この目で見ておきたい」


「ハッ、何人も殺しておいて何言ってるんだよ、まさか全員を覚えているとか言うなよ?」


笑いながら、冗談っぽく、そう聞いたコーラルだが、真顔で黙っているシンバに、


「覚えてるのか?」


真顔で問う。


「覚えておるよ、お主も覚えておるじゃろう? 忘れられる訳がない。何人、何十人、何百人、これから先もわしの手で血を流した者を忘れる事はできぬじゃろう」


「・・・・・・僕は覚えてないよ、覚えないようにしている。一番最初に、僕が殺した人だけを覚えていたいから——」


コーラルが最初に殺した人、それはエンジェライトの妃——。


『コーラル、それは本当か!?』


『はい、お父様、エンジェライトのお妃様が歌をうたったら、化け物が大人しくなりました、きっと、エンジェライトのお妃様の優しさが化け物に通じたんだと思います!』


『大変な事だ・・・・・・』


『お父様?』


『コーラル、急いでエンジェライト王に報告するんだ、お前が見た事、全てを話せ』


『え? でも——』


『コーラル、いいな、見た事をちゃんと全てエンジェライト王の前で話すんだ』


『・・・・・・はい』


話さなければ、この後、エンジェライトの妃が処刑に合う事はなかった。


何故、話してしまったのだろう。


只、エンジェライトの妃が起こした奇跡は、素晴らしいものだと子供ながらに思っただけだった。


それが、悲しい運命を辿るなど、思いも寄らなかった。


僕が殺したんだと、ずっと、あの頃から、その罪を背負っている。


——僕は最初の友達を殺したんだ・・・・・・。


「コーラル殿? 気分でも悪いのか? さっきからぼんやりしすぎじゃが?」


「いや、気分は悪くない。それより、行くなら勝手にしろ。その前にこれを——」


コーラルはスーツのジッパーをあけ、手を入れて、首の周りを何やらゴソゴソと動かすと、ハートのモチーフのペンダントを出して来て、ソレをシンバに差し出した。


「お守りだ、持って行け」


「お守り? どう見ても女がするようなペンダントじゃが、もしかして、お主の好きな女からのプレゼントか?」


「・・・・・・あぁ、まぁ、そんな所だ」


「ならわしも持っておるよ、マーブルからもらったペンダントが——」


「いいから持って行け!」


「な!?」


無理矢理、手の中にペンダントを入れるコーラルに、シンバは驚く。


「これはお主が持っておるべきじゃろう、お主の好きな女からのプレゼントをわしが持っておっても仕方あるまい!」


「お守りは幾つか持っていると効果が上がるんだよ、首にしてけ、見えるようにな!」


「はぁ!?」


「僕がしてやろう」


「やめっ! やめぬか! 持って行くからやめぬか! 首にはしとうない!」


「暴れるな!!!!!」


こんな事で、本気で怒鳴るコーラルに、シンバは動きを止める。


ふざけてる訳ではないのか?と、シンバは、益々、コーラルの行動がわからない。


ハートのペンダントを首にぶら下げられるシンバ。


目がかなり不機嫌なシンバに、


「そんな顔するな、似合っている」


と、ご機嫌をとるように優しい声で言う。


「女のペンダントなど似合おうてたまるか!」


「・・・・・・本当に似合っているんだがな。シンバが女だったら良かったな」


「お主、何を考えておるのじゃ」


「奇跡、起こそうと思ってさ」


「はぁ!? 奇跡など、起こそうと思うて起こせる訳なかろう!」


「いいや、シンバなら起こせるんだよ。後はマスク外して行け」


「はぁ!? とりあえず万全の防御をしとくのではなかったのか!?」


「この寒さでアスベストウィルスの活発さはなく、マスクはしなくても大丈夫とは思うと言ったろう?」


「万が一って事があると言うたじゃろう!」


「うん、だから僕はマスク外さないけどね、シンバは外せよ」


「だから、そうする意味はなんじゃ!?」


「いいから僕の命令は聞けよ、僕はフェルドスパーの王子だぞ」


「わしは——」


「エンジェライトの王子だろ、ハイハイ」


と、コーラルはシンバのマスクを外した。シンバの顔は益々ムッとした仏頂面で、


「このペンダントとマスクを外す事で、何の奇跡が起こると言うのじゃ!」


何の説明もせず、勝手な事ばかり押し付けるコーラルに怒鳴る。


「うーん、そうだな、起こらないかもしれないし、起こるかもしれないし」


「お主、わしを怒らせたいだけじゃろう!?」


「心外だなぁ、友達だろう? 僕を信じないのか?」


「信じれるよう説明せぬか!」


「いいから、行って来いよ、僕は待ってるからさ。途中でとるなよ、大事なものなんだからな! なくされちゃ困る」


だったら、自分でつけておけばいいだろうとシンバはムッとする。


もう何を聞いても言っても、ペンダントを外してもいいとは言わなさそうなコーラルに、シンバはムカッと来るが、ここで無駄な口論を続けても仕方ないと、コーラルに背を向け、


「行ってくる」


不貞腐れた口調で、そう言った。


「シンバ」


「なんじゃ」


「・・・・・・階段を下に降りて、直ぐに左側、ガラスの壁がある。その向こうに化け物がいる。そして、そのガラスの壁の向かい側、つまり直ぐに右側には鉄格子の普通の牢獄がある。そこに、エンジェライトの妃は入れられていた」


「そうか」


「あぁ」


頷いたコーラルに、階段を下りて直ぐなら、別に道に迷う事もないのに、何故、いちいちそんな事を言うのだろうかと、シンバは首を傾げながら、重々しい扉を開けた。


マスクを取ると、息が目の前を真っ白にしてしまう。


ずっとコーラルの背を見て、歩いて来たが、こうして、一人になり、改めて、この建物を見ると、怖くなる。


冷たく凍ってしまっている石の壁も、歩く度に、大袈裟な程、大きく鳴り響く足音も。


ガラス窓は曇っていて光は遮られ、薄暗く、全てが知らない世界に思える。


——こんな所にずっとおるのか・・・・・・。


——可哀想じゃな・・・・・・。


階段を下りながら、シンバはアスベストウィルスの患者が哀れで泣けてくるが、涙が出そうになると、寒さのせいか、鼻の奥がツーンと痛さを感じさせ、違う意味で涙が出る。


シンバの足が止まり、ふと、耳を澄ます。


微かに聴こえる歌声。


冷房の風が、狭い階段を通る音。


それが女性の歌声に聴こえる。


「・・・・・・この歌、知っておる」


シンバはそう呟くと、再び、階段を下りていく。


——この歌は、庭で、母が、赤ん坊のレオンを抱き、歌っておった歌じゃ。


——わしは部屋の窓から、その光景をいつも見下ろしておった。


——わしは目を閉じて、母の歌声を聴く。


——その歌はレオンにではなく、わしに歌ってくれておるのじゃと思う為に・・・・・・。


——目を開けると現実に戻るが、目を閉じておる間は、母の愛はわしに向けられておった。


階段が終わると、一気に暖かくなった気がした。


気温が常温なのだろう、シンバの息も白くならず、スーツを着ていても感じていた寒さを、今は感じない。


そして、コーラルが言った通り、左側にガラスの壁、右側に鉄格子。


ガラスの向こうに、大きなベッドがあり、誰かが眠っている。


大きなベッドが、小さく見える程、寝ている者が大きい。


そして、シンバは、鉄格子の部屋を見る。


ここに母がいたのかと、ぼんやりと見つめ続ける。


母はここで何を思い、過ごしていたのだろうか——。


ここでは冷房の風が通らないせいか、女性の歌声は聴こえなくなったが、シンバは目を閉じて、母が歌っていた歌を口ずさむ——。


その歌声が、上の階で待つコーラルの耳に、微かにだが届く。


コーラルも目を閉じて、シンバの歌声をエンジェライトの妃の歌声として、耳を澄ます。


『コーラル王子』


そう言って、ニッコリ微笑むエンジェライト妃の顔が目蓋の向こうに浮かび、コーラルはフッと笑みを零す。


『オバサン、シンバの話をして? どんな子だったの?』


『知らないの』


『どうして?』


『我が子なのに抱いた事もないの、シンバは生まれて直ぐに、乳母に育てられたわ、そして教育係に育てられ、私やエンジェライト王ですら、シンバに触れた事がない』


『フーン』


『私の父が、第一王子は国を背負うのだから、甘えをなくす為、親から手放し、別の者が育てるという規則を作り、その掟に従った事だから。シンバは国を背負わなければならなかったから、生まれて直ぐに厳しい試練を与えられたの』


『なんか可哀想だな』


『コーラル王子はいつもフェルドスパー王の傍で、王族として学んでいるものね、お父様と一緒は楽しい?』


『うん、学問も剣も教えてくれる者はいるけど、お父様は常に僕を傍で見守っているよ、ここにいる間も、お父様は直ぐ上で僕を待ってるし、いつも僕に優しくしてくれる。本当はね、僕はお父様のような優しい王様になりたいんだ、でもお父様がエンジェライト王のように強い王様になれって——』


『・・・・・・そう』


『だから僕はお父様の言いつけ通り、エンジェライト王のようになるんだ』


『・・・・・・コーラル王子、いいものをあげるわ』


『いいもの?』


『手を出して?』


言われた通り、手の平を出すと、妃は自分の首からペンダントを外し、コーラルの手の平に、ハートのモチーフの、その綺麗なペンダントを置いた。


『いいものってこれ? いらないよ、だって、こんなの、女の子がする奴だよ、オバサン、しときなよ、似合ってるし』


『それはね、エンジェライト王の優しさなのよ』


『エンジェライト王の優しさ? これが? 只のペンダントだよ?』


『彼が初めて私にプレゼントしてくれたものなの。オバサンの国は潰れてしまって、私だけ生きて、エンジェライトへ行ったんだけど・・・・・・毎日、泣いていたわ、只、只、彼が怖くて、哀れで、悲しくて、そして、そんな彼の傍にいる自分も可哀想で死んでしまいたかった。彼は氷のように冷たくて、溶けない氷は益々、冷酷さを頑なにし、笑っていても、その瞳には何も映していなくて、只、富や名声を手に入れる為に権力だけを欲している彼が、そのペンダントを私の為に、特別に作らせたと言うのよ。何のメリットもないのに、どうしてと不思議だったけど、彼は泣きやんでほしかったと私に言うの。只、それだけの為に?って、また不思議に思ったけど、彼が、ずっと泣いていると、不幸しか来ないぞって。幸運は笑わないと来ないんだって。二度と悲しい思いをしたくなければ、笑っていろって』


妃はその時の事を思い出しているんだろう、嬉しそうな幸せそうな瞳がぼんやりしている。


『後から人伝いに聞いたんだけど、そのペンダントね、オバサンの国、スノーフレークの紋章を象っているのね、エンジェライト王が、そういう風なデザインで作ってくれと言ったそうなの。毎日シクシクとうるさい女を泣き止ましたいだけだと言ったそうなんだけど、私には、そのペンダントを渡す時に、約束してくれたのよ、いつか、スノーフレークを元に戻すからって——』


『元に戻すって?』


『スノーフレークを復活させてくれるって事』


『フーン』


『きっと、そんな約束、もう忘れてるわ。だからソレあげる。コーラル王子が、いつかエンジェライト王のようになっても、優しさを忘れないように』


優しい微笑みを浮かべ、だが、どこか悲しそうに、そう言った妃に、コーラルはギュッと手の中のペンダントを握り締めた——。


今、何も持っていない手の平を、あの時と同じようにギュッと握り締めるコーラル。


「優しい人間は人の上に立てない。優しさは利用されるだけ。人を魅了するものは優しさじゃない、残酷さと冷酷さ、そして恐怖が人を惹き付けるもの——」


自分に言い聞かせるように、コーラルはそう呟くと、ギュッと強く手の平を握り締める。


シンバは歌い終わると、そっと目を開ける。


そこに母がいるような気がしたが、やはり誰もいない。


背後に気配を感じ、シンバが振り向くと、ガラスの向こう、寝ていた筈のアスベストウィルスの患者が立っている。


シンバの体格は男性の平均的な大きさだろうが、それを遥かに上回る大きさの体で、のっそりと立っている。


食っちゃ寝を繰り返し、横に太ったのもあるが、皮膚がぶよぶよに腫れ上がっているせいもあり、大きく見えるのだろう。


身長は元々が高いのだろうか、173センチあるシンバの身長を遥かに上回り、シンバが見上げる程、大きい。


目蓋が腫れていて、目の奥が見えない。


鼻も肉に減り込んでいて、よくわからない。


唇は腫れて、ぶっくりしている。


髪は抜けてなくなっている。


着ている服は布を適当に巻いてあるだけ。


そして、何より、肌の色が、普通じゃない。


紫だ。


頭の先から爪先まで、布で隠していない場所全て、紫色の肌をしている。


シンバは目の前のアスベストウィルスの患者に驚いて、フリーズ状態。


確かに人間には見えず、化け物に見える男が、目の前に立っている。


心の準備ができてなかったシンバは、驚き過ぎて身動きがとれない。


そのシンバの態度が気に入らなかったのか、男は、両手をグッと拳にしてガラスにガンッ強くぶつけて来ると、ぐおおおおおおおっと地鳴りのような雄叫びを上げ、何度もガラスに拳をガンガンぶつけて来る。


ガラスを叩く男に体をビクッとさせたが、シンバは自分に落ち着けと心の中で言い聞かせ、


「落ち着いてくれぬか」


アスベストウィルスの患者である男にも、そう言って聞かせる。


耳が痛くなる程、男は声を上げているが、そちらの声がこちらに届いていると言う事は、こちらの声もそちらに届く筈と、シンバは、


「落ち着けと言うとろうが!」


負けじと大声を出す。


だが、男は興奮状態で、シンバの声が聞こえていない様子。


シンバは男と同じように、ガラスに自分の拳をガンッと強くぶつけた。


ガンガンガンッと右手をガラスに何度もぶつけ、思い切り強くぶつけすぎて、拳の甲がグキャッと潰れるような音が鳴り、血がガラスに付着する。


アスベストウィルスの患者である男は、そのシンバの血に動きを止めた。


「・・・・・・落ち着いてくれたか。お主、加減してガラスを叩いておるのか? じゃないと痛いじゃろう、わしは慣れてないせいか、拳を潰してしもうた。情けない軟な手じゃな、わしの手は——」


はははと笑いながら、そう言って、右手をフルフルと横に振って、痛さを紛らわせているシンバを、アスベストウィルスの患者である男はジィーッと見ている。


「なんじゃ、さっきもわしを黙って見ておったが、お主は誰に対しても、そうやって見つめるのか? まぁ、こんな所におったら、人が珍しいのかもしれんな。お主、名をジプサムと言うそうじゃな? わしはエンジェライト第一王子シンバじゃ」


自己紹介するシンバを、男は黙ったまま、見つめている。


「お主、元はエンジェライトの奴隷じゃったんじゃろう? 今も・・・・・・そうなるのかのう・・・・・・奴隷とは人としての権利も自由もないからのう・・・・・・じゃから、わしはお主を奴隷から解放しようと思うておる」


皮膚で膨らみきった顔だが、ピクリと動いたような気がして、やはり言葉はわかるんだなとシンバはホッとする。


「奴隷をやめたら行き場がないとか、そういう心配はせんで良い。先の事は今は考えずに、只、2つの選択を言い渡すから、どちらか選んでほしいのじゃ。お主の病を治すには、医療の先進国に行かねばなるまい。行ったとしても治るとは限らんし、お主を診てもらえるとも限らん。じゃが、診てもらえるよう、わしが頑張ってみる。その為には、まず、わしはお主の所有者であるエンジェライト王を倒さねばなるまい。絶対に倒せるとは言い切れん。じゃが、エンジェライト王の切り札はお主じゃろう、お主はマグマと共鳴できるらしいが、それでアスベスト山の火山を噴火させるのがエンジェライト王の目的のようじゃ。火山を噴火させる事は絶対にやめてほしいのじゃ、何があっても——」


ガラスの向こうで、シンバの声は届いているのだろうか、何の反応もせず、立っているだけの男に、シンバは少し不安になる。だが、話を続ける。


「そしたら、わしが勝てる可能性が高くなる。わしが勝ったら、お主をちゃんとした医者に診てもらえるよう、頑張ってみる。お主は何があっても、絶対に火山を噴火させぬと言う事、それが1つの道。もう1つは、医者に診てもらっても治るとも限らんし、わしが勝って迎えに来るまでは大人しくここで待っていてもらう事になるが、わしが勝つとも限らんし、エンジェライト王はどうやってお主に火山を噴火させるようにするのか、わからんが、エンジェライト王に逆らえんと火山を噴火させてしまうかもしれんし、一生、エンジェライト王の奴隷として、このままなら、もう今直ぐに死んだ方がいいと願うか、このどちらかじゃ。申し訳ないが、エンジェライト王に従い、火山を噴火させ、このまま生きていたいと願う道はない。その道を選ぶなら、わしがお主を、殺す道を辿る」


シンバはそう言うと、右の手の平を広げ、


「何があっても火山は噴火させないと約束し、ここでわしが勝つのを待っておるなら、この手の平に、お主の手の平を重ねよ」


と、ガラスに、右の手の平を置いた。そして、今度は左の手の平を広げ、


「もう未来に希望は見えんと死にたいか、もしくは、エンジェライト王の奴隷として生き続けたいと願い、このわしにお主に殺させるのであれば、この手の平に、お主の手の平を重ねよ」


と、ガラスに、左の手の平を置いた。


男の前にシンバの両手が広げられ、暫く、男は黙ったまま、ぴくりとも動かず——。


だが、ゆっくりと男の右手が動き、シンバは、少し残念そうな顔になる。


男の右手が動くと言う事は、シンバの左の手の平を選ぶと言う事になるだろうから。


だが、男は、なかなかシンバの手の平に手を重ねない。


男は何を見ているのだろう。


シンバを見ているのだろう。


シンバの何を見ているのだろう。


シンバの中にエンジェライトの妃を映し見ているのだろう。


シンバの銀色の髪、青い瞳、白い肌、そして、優しい雰囲気と優しい歌声——。


そして何より、シンバの首に光るハートのペンダント。


忘れもしない、この暗い閉ざされた部屋で、唯一、目にする優しさは、直ぐ目の前の牢獄に入っている女だった。


小さな灯りの中、女の首に光るペンダントが眩しくて、その光だけが、唯一の希望にさえ思えた。


肉が盛り上がって、目を隠し、視界が悪くて、女がどこにいるのか、わからなくなっても、その微かな光は、ここにいるよと、教えてくれているようだった。


間違いない、シンバの首に光るペンダントは、あの光だと、男は思う。


そして、ゆっくりと、男の左手が動き、シンバの右手に重なるように、ガラスに置いた。


ガラス越しだが、シンバと男の手が重なり合う。


男の手の平にすっぽり入るシンバの手。


それ程、男の手は大きく腫れ上がっていて、指の隙間がない程。


「・・・・・・わしを信じて待っていてくれるのか?」


奇跡だろうか、運命だろうか、男はシンバを信じて生きる事を選んだ。


初めて会っただけの、しかも医療の進んだ先進国に連れて行くという只の口約束を信じたと言うのかと、シンバは俯き、


「お主は優しいな・・・・・・何故、優しい人間がこんな目に合うとるのじゃろうか。神とは残酷な運命を辿らせるのぅ」


と、涙を堪え、呟くと、顔を上げ、


「約束してくれるのか? 何があっても火山は噴火させぬと」


そう聞いた。微かに男は頷いて見せる。そして、シンバも頷いた。


「わしもお主を信じておる。じゃから、お主も、わしを信じて待っておるのじゃぞ、この場所におるのも、もう少しの辛抱じゃからな」


シンバはそう言うと、ガラスから手を離す。


そして、そこから去っていく。


だが、シンバは、知らなかった。


この優しい奇跡も運命も、残酷なものとなる為にあると言う事を——。


シンバが階段を登って来る足音が聞こえ、コーラルの意識から、エンジェライトの妃が消えて行く。


もう優しいエンジェライトの妃はいない。


そう思うと、突然、悪寒が走るように、寒さだけではない何かが、コーラルの体を身震いさせた。


そしてコーラルは、これから待ち受けている運命が、恐怖である事を感じていた。


「奇跡を起こせるのは、シンバだけじゃない。エンジェライト王然り——」


コーラルがそう呟くと同時に、重々しい扉が開き、シンバが出てきた——。



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