第15話 失意の中1

 昨夜のコミュニティー解散前に電話を借りて僕は在るところに連絡を入れた。



 朝一で車を借りて待ち合わせにしている高尾駅に付くと彼女が、白い手を着物の袖口から見せた。



「朝早くから申し訳ありません」

「構わないけど、どうしたんだい、海津原君?」

「本多さんにお聞きしたいことがありまして」



 外でも木彫りの面を付けている本多瑠璃丸の表情は笑顔だった。子供の笑顔を模して彫られた面腰の素顔は知れないが、声質から少し高揚しているのは感じられた。



 車を走らせ裏高尾にあるアトリエへ向かった。



 お茶を用意する瑠璃丸を静かに不気味なアトリエで待ちながら、壁飾りの面々をジッと見渡していく。



「お待たせ、お茶の用意が出来たよ。それで聞きたいことというのは事件に関係のあることかな?」

「この写真を見てください。八王子城跡で撮られたものです。この日付に覚えはありますね?」

「日付……? ああ、この日か。覚えているよ、僕の展示会だったからね。それでこの写真に写っている男女について聞きたいと?」

「ええ、そうです」

「萩野美優だね。男性は知らないけど、君も存じているだろう。彼女の面を彫ったんだからね」

「そうです。その日は彼女に接触しましたか?」

「したよ。その時に依頼をされたんだ。最初は断ったが、どうしても、ということで特別にね。しかし、それがデスマスクになるなんてね」



 その声は怒りを孕んでいるように重く、悲しみをない交ぜにしているが、くぐもって聞こえるため本性は見抜けない。



「この日は、そう……、運営とひと通りの流れを話し合った後、僕は山に登ったんだ。八王子神社前で彼女とその男に会った。他に登山者はいなかったよ。その時にねだられて、彼女の面を作るために写真を撮った。しばらく話して下山して開会式と集合写真を撮ったんだ」

「その写真は持っていますか?」

「僕は持っていない。二人なら持っているんじゃないかな?」



 そんな写真はこの前探したが見つからなかった。ただ時間がなかったからそこまで注意深く探してはいないけど。もしかしたら警察が証拠品として押収したかも知れないから、後で巻春刑事か織部刑事にでも聞いてみよう。



「最初で最後に萩野美優に会ったのがこの日だよ」



 つまりこれ以上は得られる情報はない。本当だろうか。見落としはないか、もう一度よく考えてみる。



「他の被害者については?」

「僕の与り知らぬ所だよ。どういうルートから僕に辿り着いたのか、こっちが聞きたいくらいさ。他には?」

「いや、もう大丈夫」



 ジッと面が見つめてくる。



「海津原君。キミ、印象変わったね。良い意味で」

「そう?」

「ああ、いい顔をしている。キミの面を作りたくなったくらいに、ね」

「それは困るね。今のところ被害者は瑠璃丸先生作の本人の面を付けているからね」

「あっはははは、確かに、キミに死なれてしまったら僕は悲しいよ。せっかくの数少ない友人なんだから」



 腹を抱えて大笑いした瑠璃丸に冗談ではない、と愛想笑いを返した。なんだ、僕も普通に人とやりとりができるじゃないか。人間不信に陥っていた僕を家から叩き出してくれた両親には感謝しておこう。



「瑠璃丸は今回の犯人をどう思う?」

「どう、とは? 具体的に」

「八王子市で犯行を続ける理由と、どういう目的で人を殺すのか」



 腕を組みわずかに俯く瑠璃丸は直ぐに、「怨恨でも無い限り人は快楽か好奇心で人を殺す生き物だと僕は思っている。八王子を選んだ理由にしては地方都市という地の利を活かしたんだろう。ここ、裏高尾なんて交番もコンビニも無い、犯人にとっては最高の狩り場であり、拉致して殺害するのに好立地だからね。それくらい八王子市は人の目が行き届きにくい場所なんだよ。もしくは……、八王子から出られない理由でもあるのかな?」高坂さんも言っていた選択理由だ。



「テレビを付けてもいいかい? この時間のニュースをよく見るんだ」



 そう言ってテーブルに置かれた例もコンをテレビに向けた。



 ニュース番組が映り、「嘘……、だろ」僕は呟いた。



 画面には倉澤鳴海逮捕の文字。



 なんであいつが逮捕されるんだ。僕の焦りを悟った様子の瑠璃丸が、「知り合いか?」と訪ねるも返す余裕は無く、早く情報が知りたいと画面に釘付けになっていた。



 倉澤鳴海のマンション。それも彼の部屋で殺人事件が起きた。被害者の名前は……、逢瀬充。両眼を抉り取られ、白いローブをまとい祈る姿勢で関節をボルト固定されていた、と報じている。



 なんであいつが……。



「瑠璃丸、電話借りる!」



 反射的に頷いた瑠璃丸の脇を抜けてカウンター向かいの電話機に飛びかかった。受話器を耳に、跳ねる鼓動は喧しく、焦る感情は電話番号を思い出す阻害をする。なんとかコール音にまでありつけ、「はい、未來理です」落ち込んだ未來理さんの声。



「にゅ、ニュース観ましたか!?」

「ニュースを観る前に知ったわ……。充ちゃん、殺されたのね」

「どうしてあいつが、鳴海が逮捕されているんですか! あいつは、そんなことするやつじゃないですよね?」

「今の現状から彼を疑わざるを得ない。榊希美の最有力好捕が彼以外にはいないのよ」

「未來理さんなら、未來理さんの情報なら……、何とかなりませんか?」

「現段階ではどうにもできないわ」



 僕は受話器を置いた。



 直ぐに思い立って織部刑事に電話する。



 コール音が続く。



 電話に出ない。



 次は巻春刑事に。



 電話に出ない。



 高尾警察署に直接掛け、巻春刑事、織部刑事、浅井刑事の誰でもいいから呼び出すよう伝えること数分。電話に出たのは浅井刑事だった。



「海津原君か。すまないが今は忙しいんだ」

「聞いて下さい! あいつは、倉澤鳴海は犯人じゃない!」

「未來理さんからもさっき電話があったが、倉澤鳴海の部屋は密室だったのを急行した警察官が証明している」

「誰ですか?」

「なに?」

「誰が通報したんですか!」

「すまないが、それは教えられないんだ」



 最後にまた、すまない、と言って電話を切られてしまった。



 力が抜けていく。頭がジーンとして思考を拒む。



 受話器を置いてその場に座り込み、塞ぎ込む僕の襟を引っ張って無理矢理立たせたのは本多瑠璃丸。笑顔の面がグイっと近づき向かい合うと、「諦めるな。僕も手伝ってやるから」そのまま引きずられて車の運転席に押し込められた。



「知り合いの記者がいる。警察のお偉いさんとも通じている人物だ。彼に協力を仰いで面会をさせてもらう。キミは逮捕された彼から状況をいて、キミが動くんだ。いいね、聖人君」



 あいつは嫌な奴だけど悪い奴ではない。僕がここまで躍起になってしまったのは彼も股家族の一人だからか、卑屈な性格に付着したちっぽけな正義感か。どちらにせよ、僕がやることは瑠璃丸のお陰で定まった。



 助手席の瑠璃丸に道案内をしてもらい、八王子駅北口にある雑居ビルに辿り着いた。三階には佐々木ささき明日太郎あすたろうの名。個人事務所のようだ。瑠璃丸が先導してドアをノックすると、ボサボサ髪の無精髭を生やした三十代後半くらいの男性が顔を出し、「あれ、瑠璃丸さんじゃないですか。どうしました、珍しい」髪をポリポリ掻いて眠そうな目をパチリと丸くした。



「明日太郎君。キミに助力を乞いたい。ニュースで報じていた倉澤鳴海との面会だ」

「あー。まあ、いいけど、お連れさんは?」

「彼は海津原聖人。僕の友人さ。今回捕まった倉澤鳴海の知人らしくてね。どうやら冤罪らしいんだ、彼が言うには」

「なるほど、なるほど。わかった。まずは上がってくれ」



 事務所に通され、焦燥に満ちた精神状況では目に見えて落ち着きがないのを瑠璃丸に窘められる。



「彼に任せておけば大丈夫だ。キミはこれからどう動くかをイメージして、無駄を削ぐことに専念するんだ。それが最善で、今できる唯一の時間の有効活用だよ」



 佐々木さんは電話を掛けてフランクな口調で倉澤鳴海の名を出し、面会希望を旨を伝えている。終始の調子は楽観的なもので、「助かりますよぉ。では、これから二人が向かうので、通してやってください」それを最後に受話器を置いた。



「面会予約が取れたよ。佐々木の紹介だと伝えれば、伝わるように手配してくれているから、行っておいで」



 車であきる野市にある警察署に向かう。受付で佐々木さんに言われたとおり彼の名を出すとスムーズに話が進み面会室に通された。



 アクリル板の向かいに意気消沈した、あの時の強気な姿勢を削がれた倉澤鳴海が僕を観て、「何のようだよ」掠れた声で小さく言った。



「お前はやっていないんだよな?」

「ああ……。だが、覆す情報もないのも事実。警察はきっと俺を八王子連続殺人犯として基礎するだろう。部屋には見覚えのないボルトと金具が見つかったからな」

「僕がお前の無実を証明してあげるよ。だからしばらく待っていろ。必ずこんなば場所から 出してやる。約束だ」

「充はもういない。俺はもう何も出来そうにない」

「馬鹿野郎! 逢瀬さんが今のお前を見てなんて思うだろうねぇ。マウントを取るのが好きな君の気丈さに惹かれていたんじゃないのかい?」

「だったらなんだ。もう帰ってこないのは事実だ」

「何度も言わせないでくれるかなぁ。キミが逢瀬三の敵を取らないでどうする、と言ってんだよ! 未來理さんも動いてくれる。だから大丈夫だ」

「どうして……、お前はそこまでしてくれるんだ? 嫌いなんだろ? 俺が」

「嫌いだね。でもね、キミは僕の家族の一人なんだから助けるのは当然だろ」

「青臭ぇ言葉。期待しないで待っててやるよ、新米」



 確かに青臭い言葉だと思った。



 倉澤鳴海はそれでも信じてくれた。ならばそれに答える。簡単な話だ。情報を集めてコイツを出す。単純なんだから僕にもできるはずだ。



「充……。わりぃ」



 その言葉を残して鳴海は面会室を出て行った。



 逢瀬充が倉澤鳴海にとってとても大切な人だったんだ。前に未來理さんが言っていた。あの子のお陰で倉澤鳴海が危ない仕事を控えるようになったことを。それは逢瀬さんに危害が加わる可能性があるためだろう。



 口は悪いが中身は良い奴なんだ。そんな奴が殺人なんてするはずがない。ましてや大切にしていた子を殺すなんて。



 根拠もない直感だ。



 情に頼ってしまうなんて情報屋としては失格かもしれない。それでも僕は必ず鳴海の無実を証明する。

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