第6話 初めての仕事1

 昨夜はとても良い出会いを紹介してもらった。



 直ぐに打ち解けられるようにみんなが協力してくれたに違いない。そうでなければ端っこの方で寂しく料理を食べていたはずだ。そういう意味では気に食わない奴ではあったけど倉澤鳴海にも感謝はしてやってもいい。



 僕がお酒を飲んでしまったせいで帰路の足を失ってしまったのは深い反省点。マスターが閉店かいさんの一声でお開きとなり、アルコールを飲んでいない者は車で帰り、飲んでしまった者は車を置いて歩くなりタクシーを使うなりで各々の手段で帰宅していった。



 長房町から下恩方町まで歩くには現実的ではない距離だ。自分の尻拭いをするべくタクシーを呼ぼうかと思った矢先、「佳奈ちゃん。俺の車使っていいから、二人を送っていってくれないか」閉店作業をするマスターが穗村さんに特別報酬を餌に言った。



 報酬に吊られ、「じゃあマスターも乗ってくださいよ。帰り道が一人って怖いんよ」彼の太い腕に抱きついてせがむも、「まだ明日の準備も残ってるしなぁ。ちょっとそこまで車で送ってきてくれればいいんだ。例の殺人鬼だって大通りを走る車を標的にしようとは思わないだろ?」この事件は若い女性が標的だが、マスターの言うとおりわざわざ人目の付く大通りを走る車を襲う確率は低い。



「ほじゃけんど」



 渋々手を離した穗村さんに、「ちゃんと店で待ってるから、サクッと済ませてこい」ニィっと笑って店に戻った。



「マスターの馬鹿ぶぁか!」



 可愛い悪態をつくと気分が晴れたのか運転席に乗り込んだ。後部座席に僕は座り、助手席の未來理さんと穗村さんの会話をラジオ代わりに聞きながら窓の外をぼんやりと眺めている。



 家族は僕を心配しているのだろうか。



 ちょっとだけセンチな気分だが、僕は情報屋として住み込みで働いて生きるんだ。僕を捨てた家族のことなんて忘れて、僕は僕の人生を謳歌してやる。そんな決意は酔った勢いかもしれないが、これから情報屋見習いとして経験と知識を詰め込むのは事実。ある意味では両親が放逐してくれたお陰でこうした運命に巡り会うことが出来た。



 弱い自分を変えるチャンスなのだ。



 上手くいけば誰にも馬鹿にされない稼ぎだって夢じゃないのは、今日のコミュニティーに参加してわかった。見習いの身では高望みは出来ないが、一人前になれば少なくとも食うに困らない働きは出来る。僕が僕として生まれ変われる幸運の巡り合わせが分岐路を良い方面へと転がり始めている。



 未來理さんが道案内しながら無事に帰宅することが出来た。「穗村ちゃん。帰ってきたよって、伊予弁で何て言うのかな?」車を降りた未來理さんが運転席側に回って聞いた。



「もんたよー、って言うよ」

「そう、ありがとう。もんたよー、なんか可愛いわね。海津原君、もんたよー」

「はぁ、はい」


 

 来た道を帰って行く穗村さんを見届けて、玄関で靴を脱ぎ揃えた未來理さんが、「一緒に寝る?」なんてケタケタと笑ってからかってくるのを丁重に断る。彼女は帰りの車内でも店の冷蔵庫から拝借していた焼酎ハイボールを二缶も空けていて、酔い覚ましどころか酔い続けることを選んだのだ。



 彼女を部屋まで誘導する。



 昨日とはまるで立場が逆であることがちょっと可笑しかった。



 どうにか朝を迎えたが二人して二日酔いもなく、こうして向かい合いながら朝食を頂いている。しかも昨日と同じように庭に水やりを楽しそうに済ませた後、またこんなにも豪勢な朝食を用意してくれた。あれだけ飲んでいて翌日には何事もなかったようにしている彼女のアルコール分解能力の異常さを追及したくもある。



「いきなりなんだけど、今日から仕事をお願いしちゃってもいい?」



 願ってもないことだ。未來理さんに甘えて過ごしているのも肩身が狭い。彼女の負担が幾らかでも軽減されるのであれば、恩返しも含めて徹夜でもなんでもする心積もりでいた。



 情報屋見習いとしての一歩がどのような経験になるのかという期待反面に、他人付き合いがそこまで得意でない自分の欠点の克服も兼ねて精進していくには丁度良い。



 僕の言葉の返答を待たずに、「若々しく初々しい、いい表情ね」小さく吹き出して咳き込んだ未來理さんは呼吸を整えた。



「片倉町にある持田診療所に行ってきて欲しいの。院長、持田昭和もちだしょうわ先生から榊希美について情報を引き出すのが初仕事、でいいかな?」

「待ってください。榊希美って、安城家の……、八王子事件の犯人ですよね!?一人目の被害者、安城藍を誘拐して殺した闇医者の。そんな重要な情報を素人の僕なんかが出向いたところで話してくれるような内容じゃないですって」

「何事も挑戦してみなくてはわからないでしょう、そんなこと。もし仮にダメだったとしても落ち込むことはないし、卑屈になって涙を流す必要もないのよ。どうしても話してくれないなら、それはしょうがないことだもの」

「聞き出しに失敗したら困るのは未來理さんですよね。僕はそんな……、貴女に迷惑を掛けたくないんですけど」

「見習いが迷惑を掛けないで成長なんてできないわ。大丈夫! 自信を持って挑んでみて。当たって砕けたなら直ぐに修復してあげるから。難しく考える必要はないのよ、情報屋の仕事なんて。ようはカードゲームのように楽しめば良いの。相手から聞き出したい情報に見合い、なおかつ相手が欲している情報や金銭といった札が手の内に揃っていれば楽勝なんだから」

「医者が欲しがるような札なんて」

「いいから行ってきて、ね?」



 食事を終えた僕の背中を押しながら玄関まで見送りに出て、「相手を探る、探りきれないなら言葉を上手く使って感情に波紋を立たせて、挑発するなりおだてるなりしてみて。押してダメなら引いてみれば、意外と心の扉って開いたりするものだから」駆け引きのアドバイスを授けられた僕は、「じゃあ、行ってきます」諦めてバス停へ。



 バス電車と乗り継いで片倉駅。診療所までのメモを再度確認して目印を辿りながら歩くことに。



 持田昭和という男性を相手に僅かな勝算でも見出したから僕を派遣したのか。それとも賞賛もなくただ経験を積ませる意味でのことか。



 まさか、八王子事件の手伝いをさせられるとは思ってもいなかったけど、任されたからには全力で応えなければならない。右も左もわからない状態で放り出されたのだから、不安は今も重くのしかかっている。まるで崖から落とされた獅子の赤子の気分だ。



 もしかしてスパルタ形式なのか、あの人の研修は、なんて考えながら昨夜の出来事を思い返していた。表情とは相容れない内面を彼女は秘めているのではないか。あの笑顔の裏に隠された本当の顔は夜叉に違いない。



 地図を見る限りでは駅からそう遠く離れた場所ではないはずだ。いくつかの目印を頼りにして十分ほど歩くと、黒ずんだ白い外観の診療所が見えた。



 正直言ってしまえば患者は道中にあった清潔感のある診療所で看てもらおうとするだろう。実際あっち側は賑わっていて、偏屈な年老いた男性が一人で経営していそうなこの診療所に人の気配は感じられない。



 看板には確かに持田診療所と書かれているので間違いはないはずだ。ここに足を踏み入れることに抵抗がないわけではない。しかし、仕事で来ている以上はこのまま帰れるはずもなく、と覚悟を決めて院内に入る。



 立ち入って鼻を刺激する埃臭さ。受付はあるが誰もいない。待合室にも患者の姿は無く、壁に貼られているポスターも年代を感じさせる色褪せが強調されている。



「すみません! 未來理の代理で来た海津原と言います」



 窓口を覗きながら誰かを呼ぶが、物音一つしない不気味な静寂が重苦しく、息苦しい居心地の悪さがジンワリと気持ちを腐食させていっているよう。



「あの!」

「聞こえちょるわ。あー、あー、なんてったか、名前だ名前」

「海津原です」

「姓は聞いとらなぁ。下の名だ」

「聖人です」



 薄い白髪頭を悲しい努力でも隠しきれない、涙を誘う小柄な老人は左耳が痒いのか、よく聞こえないのか、小指をねじ込んでほじくっている。医師として清潔感の欠片もないヨレタシャツと白衣姿。僕を竦み上がらせようとしているのか、重そうな一重まぶたのせいで一層に険しく見える目を細めて睨み付けるように見上げてくる。



 正直、面倒臭そうな人だなと思いつつ、笑顔をなんとか浮かべる。



「未來理のお嬢っちゃも代理を寄越すっちゃ、偉くなりょって。で、代理なりゃあ、情報欲しいやあ?」

「ええ、はい」



 方言ではないのはなんとなくわかった。口元をもごつかせているせいで言葉の端々で変なイントネーションが付加される。聞き取れないほどでもないので、「榊希美という医者について知っていることがあれば、教えて頂けませんか」さっそく情報の話へ。



「榊希美……?きゃつの情報どうしぇ欲しがりょう」

「えっと、それは……」



 八王子事件に関わりがある可能性があると伝えていいものなのか。僕がこうして閉口している時間が長引けば相手から不審がられてしまう。未來理さんが知りたがっている、と言ってしまえば解決するかもしれない。しかしそれではいけない。そもそもその程度の理由で済ませられるなら、彼女が片手間に電話で聞けば済むはずだ。わざわざ僕がこうして出向く必要も無かった。経験を積ませるなら他の仕事を任せてもよかったのではないだろうか。



 僕を向かわせたい理由があった。その理由を考える余裕は今の僕には無い。第一優先事項として目の前の持田院長の質問に対する答えの提示だ。



「なんぎゃあ、話せないわけでみょ、ありゃうんか?」



 もじもじと答えない僕に苛立っている様子。早く何か答えなくてはと考えれば余計に頭が空回りして、どこから手を付けて良いかわからなくなってくる。



「実は最近、榊希美が行方不明となっていて、彼の知人から捜索依頼を頼まれまして」

「希美に知人なんかおりゃにゃあだろ。そもそも行方知にょらんし。ありょうの子は二年前の事件で死じょった」

「……は? それって、どういう」

「嘘つき小僧に教えたぁ気もおきぇねえ」

「そうですね。すみません、僕は嘘をつきました。榊希美についての情報を集める理由としてですが、ここ最近で三名の女性が猟奇的な殺され方をされているのをご存じですか」

目玉めぇたま抉りゃれてぇの、天仰ぐあおぎゅあれやろぉ?」

「はい。その事件です。榊希美を名乗る人物は一人目の被害者となった少女の専属医として屋敷に住み込んでいたという情報を未來理が掴みまして、彼について調べるように言われています」



 なるべく誠意を込めて謝罪と説明をしたつもりではあるが、一度悪印象がつくとそれを払拭するのは困難だ。彼女が何処に僕を期待する要素を見出したのかはまだ知らないが、それに応えたいという気持ちには嘘偽りは無い。だからこそ榊希美という人物の情報を持ち帰らねばならないのだ。



 しかし、榊希美について、これには矛盾が生じているのに気付いた。



 安城家に榊希美が住み込み始めたのは今年の一月だと聞いていたからだ。しかし持田院長は確かに今、榊希美は二年前に亡くなったと口にした。それでは安城家に住み込んでいた時にはもう亡くなっているということになる。



 持田院長は背を向けて、「立っちょってねぇで、中へ来い」背中を丸めてより低身長に見える姿勢で薄暗い廊下を歩いて行く。



 急ぎスリッパに履き替えて彼を追う。



 空気が淀んでいて身体にネットリと纏わり付く感覚。電球が切れているのか幾つか点灯していないものもあった。突き当たりのドアに招かれると広めの診察室。



 寝台が一つ。カルテが散乱している診察机。手洗い場だけの簡潔な部屋。



 丸椅子に二人で対面して座ると患者と医者のような構図だ。



「未來理のお嬢っちゃが、調べろ言ったんな」

「はい」



 皺を顎先に集めようとしているかのように頬から顎先へ手を滑らせて唸る。



「榊希美いうにゃは、仏様にょうに似通っちょう鬼心の持ち主っしょ」

「ええと、それは、優しそうな顔つきだけど心は鬼のよう、という意味ですか?」

「それ以外に聞こえちょかぁ、ああ!? アホォ!」



 癪に障ったようだ。彼の機嫌を取るべく内心では苛つきながらも謝罪の意を伝え、「二年前に亡くなられた、確か……、事件だと仰っいましたね」話を促す。



 嘲るように鼻を鳴らし、「ありょの日は、未來理お嬢っちゃも目ぇ背けちゃい悲惨じゃろう。こおやくしぁとゆうじぇんを同時亡くしょったんかんあ」配慮してか、少しだけゆっくりとしたペースで話してくれた。



 こおやくしぁ……、ゆうじぇん、婚約者と友人だろうか。



 時々難解な言葉に頭を懸命に働かせながら耳に意識を傾ける。



世間せけぇ馬鹿ばきゃは事件を事故にしりょった。榊希美の存在にゃんて認めらん、在っちゃらん。痕跡もろぉも抹消しゃにゃならん」

「榊希美という人物は特別な存在ということですか」

警官けんきゃん政治家せいじゃきゃ資産家ししゃるきゃ、ヤグザァ、米国べぇきょく高官、医師、すっべきぇに通じた、闇医者と紹介屋を二足にしょくワラジはぁとってった」

「つまり表沙汰にされては困る方が多い、と」



 大きく静かに頷いた持田さんはしばらく口を閉ざしてから、「だぁも榊希美につってはなしゃがらん。男か女か、若いのか老いとりゅかも知れん、謎じゃかのってが、二年前にわっしゃ見た。榊希美っつな鬼を」怯える彼は早口になり聞き取りが難しくなった。



 持田院長が榊希美を初めて目にしたのは二年前、榊希美が亡くなる半年前のことだという。いつものように閑古鳥が鳴くこの診療所の掃除を深夜にしていたところ、ドアを小さく叩く音に何事かと出向けば、奇怪な面を被った細身の人物が大雨に濡れながら、不気味に何度もドアを指先で叩いていたらしい。



「なんじょけぇ。けってぇな面しょってな」



 突然の奇怪な訪問者に罵声を浴びせるが、それでも指先で何度もドアを叩く行為。不気味に背筋が凍ったそうだ。警察へ通報しようにもガラス扉を破られれば自分の身がまず危険にさらされる。しかしよく見ればその身体は震えていて、次第に身体を屈めて苦しそうに蹲ってしまったらしい。



 こんな身なりでも医者としてのプライドが榊希美を院内に招いた。榊希美の脇腹には銃創があり、外科医でもない自分に手術は出来ないと告げ、夜間病棟に連絡しようと電話機へ手を伸ばすが、「止めてくれ……。貴方が外科医志望だったこと、院内に薬液や医療器具一式を秘密裏に揃えてあるのは……、知っている。それを貸してくれるだけでいい」冷たい手の感触はとても生者のものとは思えず、ネットリとした赤色に濡れる手の感触を今でも忘れられないそうだ。



「お前、榊希美やのか!?」

「知っているのなら……、話は円滑に進みそうだ。表沙汰にされれば……、私を狙う者の手によって殺される。この傷はその一人によるものです。自業自得の傷だ」



 持田昭和の知っていた榊希美の噂は、莫大な金銭もしくは情報を対価に無資格医療を施し、時には必要な人材を紹介する生業をしているそうで、一般医療機関に預かれない裏社会組織や不法入国者などの面倒を見ていたという。秘密裏にしなければならない情報を握られた者の仕業なのだと予想した。



 榊希美は麻酔もなしに、苦悶の呻きや、時には悩ましい喘ぎに似た吐息をもらしながら、躊躇なく自分の脇腹に器具や針を巧みに扱って手術していた。同じ医師からみても手際が良すぎた。二つの手、十本の指が独立して意志を持っているかのような動き。視界も面を付けているせいで最悪の状況の中、激痛と出血に意識を朦朧とさせつつもしっかりと手術を終えた榊希美は糸が切れたように寝台に脱力した。



 ジッと白い肌に施された縫合を間近で確認し、いまならその面を取って素顔を拝めると邪欲が湧き、そっと、高鳴る邪な気持ちに期待を寄せて面を取ったと言う。



 白い肌、官能的な細い声、いったいこの面に隠された美貌はどれほどのものか。髪は脂汗と雨に濡れて頬に張り付き、消耗して若干の色素を失ったぷっくりとした唇のわずかな隙間から垣間見える歯列と吐息。とても情欲を掻き立てる、まだ十代だと言われても、ああ、そうかと頷ける幼い顔立ちをした、少女・・だった。



「光はありますか?」



 眼を薄らと開けて榊希美は言った。



 世界の色を移さない白濁とした眼で持田昭和をジッと見上げ、唖然とする彼から手探りで面を奪って顔に付けると、ふらふらとした足取りで診療所を出て行った。



 これが持田院長の知っている榊希美の情報。

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