第10話 難攻不落2
今日の仕事の収穫といえば焼酎ハイボールだけ、という非常に寂しいものだったが、未來理さんにとってはひとまずこれがあればいいという。
「明日にでもまたお伺いすればいいのよ。今日はたまたまタイミングが悪かっただけ」
ストックの焼酎ハイボールを飲みきった未來理さんが上機嫌に言った。
「海津原君は飲まないのぉ?」
「飲みません。二日連続で二日酔いなんてご免ですから」
「連れないんだぁ。まあ、無理に飲ませても可哀想だし、たまには付き合ってね」
彼女の世間話に付き合っていたら日付が変わってしまった。まだ眠いというわけではないけど、朝からまた市役所に出向くつもりなのでそろそろ就寝したほうがいいだろうと判断を下した時だった。
カウンターに置いてある固定電話が鳴ったのだ。
こんな時間に誰だろうか。
急用の依頼だろうか。未來理さんは良い感じに酔っ払っているので、「僕が対応しますよ」ケタケタ一人で笑う彼女をそのままにして電話に急いで向かう。
「はい、未來理です」
流石に海津原ですとは名乗れないので、彼女の姓を名乗り電話主の反応は、「その声は海津原君だね。夜分遅くに申し訳ない、浅井だ。未來理さんはまだ起きているか」刑事の浅井さんからだった。しかし彼の口調からは余裕が無く切羽詰まっているように聞こえ、「酔っ払っていますけど、代わりますか?」彼女の状況を伝えた上で確認する。
「電話を替わるかは未來理さんの判断に任せたい」
なるほど。例の殺人事件で新たな被害者が出たとなれば浅井刑事の焦燥も頷ける。相手が浅井刑事だという点と焦っている様子だったことを告げた。すると、ニコニコと笑いながら新しい焼酎ハイボールを煽っていた未來理さんが急に真面目な顔つきになって、「代わってもらえるかしら」
未來理さんは「ええ、ああ、そう」等と短く返すだけで、酒缶を持った手にわずかばかりの力がこもり、缶が少しだけ形を変えた。
「そう……。大丈夫よ、別ルートから情報は得られるから、ええ、ではこれから海津原君とお伺いさせてもらうわ」
受話器を置いた未來理さんは天井を眺めて溜息をついた。これからお伺いすると言っていたが何事だろうか。
「お酒飲まなくて正解だったわね。海津原君の明日の……、ああ、もう今日だったわね。予定が空いちゃった」
ニッコリと笑んだ彼女に、「それってどういう」その言葉の続きを彼女は首を横に振って遮った。
「会いに行きましょう、小野寺浩助さんに。といっても死人に口なし、情報は引き出せないけど、彼の最期から何かしらの情報は見つかるかも知れないから」
なんてことだ。話を聞きに市役所に向かったが早退していて、明日にでも話を聞ければと意気込んでいた矢先に彼は死人となった。
「でも、わざわざ未來理さんに連絡をしたのはどういった理由からでしょう」
「手に負えない事態だから私に声が掛かった。それだけのことよ。さっ、運転お願いね」
焼酎ハイボールを手に持った未來理さんを助手席に乗せて、事件現場である子安町に向かった。
現場アパート前には警察車両が数台並び、詳しくはないけど鑑識とかそういった人達が忙しそうに周囲を調べているよう。その中から浅井刑事がこっちに駆け寄ってきて、「件の事件とは関係ないとも言えない状況でしてね。一応、確認してもらえますか?」下車した未來理さんに耳打ちをした。
「殺害現場は初めてよね、海津原君は。気持ち悪くなったりしたら離れていてもいいから、無理だけはしないこと」
事情を知らない鑑識や警察官は怪訝な目で睨み、それらをどうということもない風に彼女は焼酎ハイボールを一口飲んで彼の部屋に上がり込んだ。
「なかなかにショッキングな現場ね」
椅子に縛られていたのは30代くらいの男性だった。身体の至る所に痛めつけた痕があり、そうとうな時間を苦痛に耐えながら絶命したことが窺える。
まじまじと遺体を観察した未來理さんは、「それで浅井刑事。例の事件と関係がありそうというのは?」彼を横目で見た。
鑑識に浅井刑事が声を掛けると、ビニールに密封された写真を見せて貰った。
全員女の子だ。若いようだけど……。
「被害者の子たちね」
「ええ、そうです。どうしてこんなものが小野寺の自宅に在ったのか。それにこれだけじゃないんですよ」
コートのポケットから一枚の封筒を取り出して未來理さんに渡した。
「萩野美優にあてた手紙のようだよ」
「私が知りたかった情報は得られました。そして、次にどうするべきかも、ね」
納得する未來理さんの手元を覗き込んだ。どうやら小野寺浩助と萩野美優は恋人にあたる関係のようだ。萩野美優とのやりとりの中、『まだストーカーは続いているのか?』彼女を心配する内容が書き記されていた。
「萩野美優さんの在学していた学校と実家の住所を教えてもらえます?」
「そういうと思っていましたよ。おい、織部はまだ戻らないのか?」
近くにいた制服警官に問う。「はい。まだ戻られないので、真藤刑事が様子を見に行っています」舌打ちした浅井刑事は、「現場見て気持ち悪くなったそうだ」住所などは織部が抑えているという話なので、鑑識の邪魔になりそうなので僕達はアパートを出た。
「隣人は物音とか不審者を見ていなかったの?」
二階建てアパート。小野寺の部屋は二階角部屋。築年数もそれなりに経っていそうなアパートであれば防音効果は期待できない。拷問が行われていたのなら、物音や不審な声を聞いているはずだ。しかし、「このアパートは小野寺しか住んでいないようで、証言の一つさえ得られません」犯人にとっては絶好の環境だったようだ。
「わざわざ拷問なんてまどろっこしい手段を用いたのは、小野寺さんが何か犯人にとって都合の悪い何かを知っていた、ということでしょうか」
「いい着眼点ね。小野寺さんは死後六~七時間ほど。つまり彼は十六時~十七時に殺されたことになる。見て、近くには工事現場。口元には布を噛ませてあったから、万が一にも声が漏れても騒音で掻き消されてしまうわ。小野寺さんの住所と空室状況、工事事情となにより、彼が仕事を早退していたことを把握していた犯人は犯行に出た。八王子連続殺人事件の被害者、萩野美優さんと繋がりを持っていて、何か生前の彼女から伝えられていた可能性が高い」
多角的な広い視野と情報の構築力を発揮した未來理さんは、「でもまだ情報が不足していて答えは出せないわ」そう言って目を細めると、「榊希美はこんな下品な殺し方はしないものね」夜風に流されそうな声量で呟いた。
「海津原君は朝になったら、萩野美優さんの実家と彼女の通っていた学校でご学友と教師から話を聞いてきて」
僕は頷いて、フラフラと顔色悪くして現場に戻ってきた織部刑事から自宅と学校の住所を教えてもらった。
警察でもない僕が出向いたところで何か話してくれるものだろうか、という課題をどう解決しようか。
むしろ被害者家族のまだ癒えない傷口に塩を塗り込むようで気が引けた。悪態罵声を受けることだって十分にあり得る。ひねくれた性格の僕でも悲痛な叫びは僅かばかりに残っている欠片程度の良心が揺さぶられるだろう。
未來理さんの言っていた、覚悟と無関心がこれか……。
他人を傷つけることも自分がどれだけ責め立てられようが厭わずに情報を求める。確かにこの仕事は人でなしでなければ真っ当に務まらないな。
「織部はもう大丈夫か?」
「はい……、すみません。警察官なのに、醜態を晒してしまいました」
「無理はねぇ。ただの殺害現場でも結構くるというのに拷問も加われば胸糞も悪くなる」
タバコを吹かし始めた浅井刑事は何か考える素振りを見せ、「織部。明日は現場に来るな」上司からの命令に下唇が切れそうなくらい噛んだ織部刑事。「勘違いするな。お前には別の重要な仕事を任せる。適材適所ってやつだ」そう言ってニカッと笑った浅井刑事は織部刑事の頭に熊ほどの大きな手を乗せた。
「海津原君に同行して聞き込みに回れ。交通課の時に萩野美優が通っていた学校にありがたい話をしに行ったことあったろう。お前が顔役となれば、教師や生徒も話しやすいんじゃないか?」
「そうっすよね。あまり社交的じゃなさそうな聖人君が一人で出向いても、女子高生は警戒するだけでしょうし」
同僚と上司の言葉に少しだけ元気を取り戻した織部さんは、僕に軽く頭を下げて、「明日はよろしくお願いしますね、海津原さん」初々しい笑顔を見せた。
「デートで浮かれちゃダメよ?」
「で、デートなんて思っていませんよ! 僕にとってこれもまた経験なんです。相手から情報を聞き出してみせます」
「頼りにしているわ」
いったん僕達は解散となって自宅に帰ってくると二時を過ぎていた。明日の九時に迎えに来るそうだ。運転は織部刑事に任せていいということだろう。
この時間ともなれば眠気もなく、やることもないのは退屈で、ノートを開いて明日のシミュレーション、頭の中で思いつく限りの質問を書き綴っていく。細かく、細部の漏れもないくらいに書き出しているとレースのカーテンから朝日が差していた。
時計は七時少し前を示している。ノートを鞄にしまって、持ち物がこれだけなのも心許ないが、これ以上に何かを持って行く物も無いのは確かだ。今更になって眠気が襲ってきて、もう仮眠する時間もないので洗面所で顔を洗い、「おはようございます」キッチンでは未來理さんが朝食を作っていた。
「眠らなかったの?」
「眠れなかったんです」
あらまあ、と笑ってコンロの火を止めるとミネストローネが完成したようだ。ダイス状に切った小さなトマトや一手間加えてカリカリした香ばしいベーコンを初めとした他種の野菜が程よい酸味と甘みに調和して食べる者をほっこりと一息つかせてくれる優しい味。
「小野寺浩助が拷問を受けなくてはならないほど、犯人にとって重要な何かを握っていたということですよね。でもそんな都合の悪いものだったら、もっと早い内に始末していたんじゃないでしょうか」
「その通りよ、海津原君。彼の自宅には萩野美優との手紙が残されていた。日付は見た?」
「そこまでは見てなかったです」
「ちょうど一週間前」
「はあ……、それがどうしたんですか」
「萩野美優は五日前に殺されたの」
「じゃあ、それって」
「ええ。そのストーカーは榊希美じゃないかって考えたんだけど、やり口がまったく違っていて、現場や拷問痕から焦りのようなものを私は感じたの」
「だから榊希美じゃないと言っていたんですね」
「聞こえていたのね。そう、榊希美は周到に、これまで表社会や裏社会の情報に精通している組織力を以てしても尻尾すら掴ませなかったというのに、一介の女子高生や公務員に握られて困る何かを残すとは考えにくいのよ」
そう言われてみれば不自然だ。
指で顎を支えるような姿勢でジッとミネストローネを凝視している未來理さんは、僕の声も届かずに何かを模索している。
僕は僕でこの後の情報収集に専念するべく、まだフル回転とはいえない頭でシミュレーションの続きをしながらミネストローネを完食した。
インターフォンが鳴ると未來理さんはビクッと肩を持ち上げて意識が帰還したようだ。来客は織部刑事だった。少し時間には早いが家にいてもやることもないので、これから萩野美優の実家と通っていた学校に出掛けることを告げた。
「質問攻めにするだけじゃダメよ。なるべく相手にハイやイイエで答えさせるんじゃなくて、相手に喋らせるように質問するの。曖昧な回答には、別の角度から同じ内容で聞き返してみてね」
玄関で有り難いアドバイスを頂戴すると、僕と並んで立つ織部刑事をいきなり抱擁して、「いってらっしゃい。やっちゃんも仕事が終わったらウチで御夕飯を一緒に食べましょうね。二人に友人を紹介したいの。びっくりするわ、きっと」名残惜しそうに解放した未來理さんは悪戯好きな子供の様な笑顔。
僕は一瞬にして頭が真っ白になったが、それは織部刑事も同じだっただろう。
見送られて二人で普通自動車に乗り込み、織部刑事の運転で初めに萩野家へと車を走らせた。
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