第11話 難攻不落4

 萩野家は子安町の住宅街にある戸建て住宅だった。ポストにはチラシや新聞がむりくり詰められ、見ただけでも五日分の新聞が確認できた。



 娘が殺されてまだ立ち直れていない人を相手に、娘さんの話をこれから聞かねばならないのだ。実際に自宅前まで来てみて内心、このまま帰りたいというのが正直な所。しかしこれから情報屋として活動していなければならないのだから帰る訳にもいかない。



 覚悟と無関心。



 自分に言い聞かせる。



 何度も。何度も。



 萩野家から得られる情報が今後の捜査に役立ち、被害者をこれ以上出さないためにも僕は人でなしになるんだ、という思い込みを覚悟と無関心の糧としてインターフォンを押し込んだ。



 しばらく待っても応答が無く、もう一度押すと、『はい……、どなたですか』あやうく聞き逃すような声量が返ってきた。



「高尾警察署の織部といいます。少し萩野さんについてお話をお聞かせ願えませんでしょうか」



 織部刑事がインターフォンに顔を近づけて言うと、『警察の方には散々お話しました。もう放っておいてくださいませんか。もう……、辛いの』すすり泣く懇願の声。



 遺族の悲痛な声に一瞬だけ怯んだ織部刑事だが、「それでもどうかお願いします。我々警察はこれ以上の被害者を出さない為にもお話をお聞きしたいんです。お辛いのは重々承知しています。どうかお願いします」織部刑事も警察官としての責任が在り、無理を言ってでも話を聞きたい姿勢を見せた。



 インターフォンが切れた。



 話をするつもりはないらしい。散々警察に話をしてもう疲れてしまっているのだろう。話せばそれだけ娘が殺された辛い現実としてのし掛かるのだから。傷を癒やす時間だって必要なはずだ。



 僕の覚悟と無関心はそうとうに脆いな。



 引き返そうとしたら背後で扉が開く音がして、「どうぞ……」隙間からやつれた顔をした女性が軽く頭を下げた。



 玄関からして異様な光景だった。こんな場所にあるはずのないものが転がっていたり、へこんだ壁はそれらを叩き付けた痕だと直ぐにわかった。リビングには積まれたしわくちゃの衣服、コンビニ飯の空き容器が散乱する中、キッチンカウンターに立て掛けた家族の写真周囲だけは綺麗に整理されていた。



「美優の母親の千佐登ちさとです。散らかっていて申し訳ありません。何も……、何もする気が起きなくて」

「心中お察しします」



 寄り添うように優しい声音で織部刑事が頭を下げ、「これ以上耐えられない場合は直ぐに仰ってください」彼女は僕を見て頷いた。



 ノートに書き留め、移動中もどのように情報を聞き出すべきかシミュレーションしていたにも関わらず、この状況に全てが空っぽになってしまった。



「萩野美優さんからここ最近で悩みとかの相談は受けていたりはしますか?」



 なんとか話さなければと、最初に思い至った質問を震える声で発した。



「一ヶ月前くらいから誰かに付き纏われているかもしれない、そう言っていましたが、私は気のせいだと、勉強をサボる口実だ、とまともに取り合いませんでした。私がもっと娘のことを案じていたらこんなことにはならなかったかもしれないのに……、ああ」



 言い方は悪いが親が頼りないから萩野美優は別の相手、小野寺浩助に相談を持ちかけたということか。



「小野寺浩助、この名前に心当たりは在りませんか?」

「さあ……、どうかしら。私は聞いたことありませんけど、その方が事件と関係しているのでしょうか」



 これは話していいものか判断できない。未來理さんの別の角度から攻めてみろという教えに従い、「実はですね、萩野美優さんは小野寺浩助という市役所所員と手紙のやりとりをしていたそうで、手紙の内容はいたって普通の世間話のものが多かったのですが、萩野美優さんが亡くなる前に、ストーカーの相談を小野寺浩助にしていました」話を聞いていた萩野千佐登は思い至るところが在ったようで、「そういえば……、彼氏と文通をしていると一度、話していてくれたことがあった気がします。名前までは聞いていませんでしたが、きっとその方なのね」見事別角度からが成功だ。



 その彼氏について追及してみたがどうやらそれ以上の事を萩野美優からは聞かされていなかったようだ。追及されていたところで歳の離れた恋人について正直に話すとは思えない。



「美優さんのお部屋を見させて頂いてもよろしいでしょうか」



 千佐登さんは一瞬だけ躊躇ったが直ぐに小さく頷き、「二階に上がった一番手前の部屋です。プレートが掛かっていますので、わかるかと思います」織部さんは立ち上がって、「行きましょう、海津原さん」僕を一瞥して先にリビング近くの階段を上がっていった。



 僕も彼女に続こうと立ち上がるとジッと見上げる視線、「なんでしょうか?」僕は目を合わせた。萩野千佐登は虚空の眼を一度だけ大きく瞬かせ、「美優は良い子でした。殺されていい理由なんてありません。私がどれだけ悩み苦しんでも、もう娘とは触れ合えないのですよね。酷い話ですよ」ぞくりと背筋が震え伸びた。



 何もかもを失ったような、かといって無でもなく、ただ虚空の底に蠢く憎悪の思念を垣間見た気がした。



「犯人には相応の罰が下ります」



 慰めにもならない捨て台詞を置いて逃げるように階段を駆け上がった。



 一番手前の部屋の扉には、『美優の部屋』と書かれたプレートを可愛くデフォルメされた犬がニコニコと掲げていた。



 織部刑事が室内を見渡しながら、「普通の女の子の部屋ですね」言った。何か特定の物を探しているわけではない故に、何を探して良いものかと判断がつかない状態で手探りに探しやすい場所から探していく。



 勉強机の引き出しの一つに施錠された段があった。



「家族にも隠したい物がこの中にしまってあると考えていいはずです。織部刑事、鍵を見つけたら教えてください」



 本棚や衣装箪笥、机周りなどを丹念に調べ上げていると織部刑事が、学生鞄から小さな紐付きの鍵を見つけた。鍵穴にピッタリと合い、ゆっくりと回すとカチャリと軽い音。どうやら解錠に成功したようだ。



 引き出しの中には小野寺浩助との手紙が数枚。それとスーツ姿の男性とブレザー姿の少女が並んで映った写真。小野寺浩助と萩野美優で間違いなさそうだった。



「この写真の場所……、もしかしたらですけど、八王子城跡かもしれません。ほら、ここを見てください海津原さん、北条家家紋の旗ですよ」

「日付は二ヶ月前……」



 封筒の手紙を全て斜め読みして、一番日付の古いものを見て、「二人が知り合った日のようです」そこには、『八王子城跡での運命的な出会い、キミが僕に生きる希望をくれた、ありがとう』一見恥ずかしいが、記した本人はとても真面目に書いていることが想像できた。



 運命的な出会い……。



「小野寺浩助の部屋の写真とかって持っていたりしますか?」

「署に戻れば揃えてありますけど……、共通する何かを見つけたんですか?」

「いえ、まだ何も。何を以て運命的な出会いを指すのか気になっただけです。もしかしたら、共通する趣味やそういった何かがあるかもしれない、そう思っただけで」

「わかりました。まずはこの部屋も撮影しておきましょうか」



 インスタントカメラで部屋じゅうくまなく撮影した姿を、部屋の外から千佐登が覗いていて、「きゃあっ!?」カメラを彼女に向けた織部刑事が素っ頓狂な悲鳴を上げた。幽霊でも映り込んだと思ったのだろう。千佐登は生気を欠いた顔色で髪もボサボサだ。僕でもこれは見間違ってしまうかもしれない。さすがに悲鳴までは上げないが。



「す、すみませんでした。えっと、その吃驚してしまって……」

「いいのよ。気にしないで、こんな姿ですもの……。それに声を掛けなかった私に非がありますので」



 小さく頭を下げた千佐登は、「何か見つかりましたか?」娘のことなら気になって当然。「娘さん、美優さんは八王子城跡にはよく出掛けていましたか?」運命的な出会いに関係があるかも知れない。今時の女子高生が歴史になんて興味を持つのかが疑問だった。



「ええと……、申し訳ありません。存じ上げません、母親なのに何もあの子のことを」

「どうかお気になさらないでください。もし、何か美優さんの事で思い出したことがあったら、此方に連絡をください」



 電話番号を記した手帳を破って彼女に渡した。



 これ以上の収穫はないはずだ、と見落としが無いか部屋をグルリと見渡してから、「それと、萩野美優さんの写真を一枚、お預かりすることはできますか?」これからの聞き込みで必要となる物なので、是非とも一枚は持っておきたかった。



 千佐登さんは少々待つように告げると、階段を降りてしばらくして一枚の写真を持って戻ってきた。



 微笑みに細めた目元からは素朴な優しさが見て取れた。とても素直な子だったのではないかというのが僕の印象で、「一番新しい美優の写真です。誰とでもお友達になれて、どんなことにも興味を示して、素直な子でした」僕の抱いた印象と合致したようだ。



「どうかお願いです。美優のような被害者をこれ以上出させないで」



 悲痛な訴え。自分のことでいっぱいいっぱいのはずだろうに、他人の心配にまで気を回す千佐登さんの優しさを美優さんは受け継いでいたのだろう。しっかりと頷き返して、「約束します。その為に僕達は捜査をしていますから」肩をふるわしながら嗚咽を漏らす千佐登さんに僕はこれ以上の言葉を持ち合わせてはいない。



 代わりに織部刑事が千佐登さんに付き添って階段を降りていった。



 下の階から織部刑事の声と千佐登の声が微かに聞こえ、少しだけ落ち着きを取り戻したようだった。



「次は萩野美優が通っていた学校か」



 もう一度、最後に彼女の机周りを見渡して、机の上に並べた本の間に封筒が差し込まれていたのを見つけた。封の中には『本多瑠璃丸、八王子市元八王子町仮面展示会招待状』日付を見て、先程の写真、小野寺浩助が映っている写真の日付と見比べ、「同日。二人は八王子城や歴史に興味があったんじゃなくて、瑠璃丸の展示会に赴いて出会った、ということか」一応この招待状も捜査に必要となるかも知れないので懐に忍ばせておく。



 階段を降りるとリビングでは萩野美優の話を真剣に千佐登から聞いていた織部刑事は目に涙を浮かべている。被害者に寄り添うあまり気持ちを入れ込みすぎてしまったようだ。



「あの、織部刑事。そろそろ」



 僕の一声で涙をハンカチで拭き取り、「ああ、はい。すみませんでした」千佐登に一礼してから席を立った。椅子に座った千佐登さんは僕と眼を合わせて今度は力強く頭を下げた。



 僕等は何も返答はせず織部刑事と並んで萩野家を後にした。

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