第4話 出会い3

 必要な家具や洋服はすべて輸送で済ませ、八王子駅から少し離れた場所にある一軒の店。全ての価格が時価という敷居をまたぐには勇気のいる、時代を感じさせる趣のある店。



「凄いですね。こんなお店なんて普通の大学生は足を踏み入れられませんよ」

「期待していて。値段に見合った味を提供してくれるお店だから」



 座敷に運ばれてきた海鮮丼を口へ運び咀嚼する。イクラが口の中でプチプチと力強く弾ける食感は安い寿司屋とは明らかに異なる。未來理さんはマグロ握りを口へ運ぶ度に満開の笑顔を咲かせている。お得意様というやつらしく、未來理さんの注文には店長自らが料理を運んでくる。



「海津原君も食べてみて、ここはマグロのお寿司もすっごく美味しいのよ」



 幸福のお裾分けだというように、部位が違うであろう二種のマグロを取り皿に載せて此方へと渡した。醤油を少しだけ付けて口に入れるとわかる回転寿司との違い。ただ、食に関して敏感な優れた舌は持ち合わせていないので上手くリポートもできないし、味のさらに奥深い場所の違いへは至れない。



 注文もしていないのに店主が申し訳なさそうに襖から顔を出し、「未來理さん。お電話です」そう言って襖をそっと閉じた。



「折角の昼時なのに」



 立ち上がった未來理さんは座敷を出て行った。しかし、どうして未來理さんが寿司屋にいるを分かったのだろうか。そんな疑問は考えても埒があかないので寿司と一緒に飲み干す。



 彼女の対応が気になり、座敷から抜け出して電話での話し声が聞こえるギリギリの位置で身を隠す。どうやら仕事の内容のようだ。死角となる場所から顔だけ覗かせて様子を伺うと、未來理さんは此方に気付いていていたようで、どうしようもない子ね、といった風に眉を潜めて微笑んだ。



 通話を終えて座敷に戻る。



「仕事の依頼内容がすべて頭に記憶されているような対応でしたね」

「入っているもの。でもこれは必須の能力というわけではないわ。あったらいいなぁ程度のものよ。それより盗み聞きしていたでしょ」

「すみません。ちょっと気になってしまって」

「いいえ、謝る必要はないわ。むしろ情報屋としては良い選択よ。こうして情報を得るのも手段の一つだから」



 食事を終えると入店から一時間半が経過していた。ずいぶんゆっくりとしていたらしい。未來理さんの用事に付き合ってから八王子駅へ向かう。高尾駅からはバスで下恩方町へ。



 帰宅すると日が傾いている。十八時という微妙な時間。少し遅い昼食だったのでもちろん腹は空いていない。情報屋のコミュニティーがある場所に今夜、僕を紹介しに行くという。緊張しないわけではない。人付き合いはあまり得意ではないからだ。



 二十時には家を出る予定だ。この家からその場所までは僕が運転をするのだが、彼女の所持する車がどれくらいの大きさなのかもわからないので見せてもらうことにした。



「これ……、ですか」

「これ、よ」



 予想を外してこれは拍子抜けだった。



 金持ちの車というから外車やスポーツカーを思い浮べていたが、その期待はいい意味で裏切られた。国産の軽自動車だった。ダークグリーンの車体に汚れや傷も無い新車同等の状態だ。



「これなら運転できそうです」



 僕の言葉に、「高級車とかには興味ないの。車はただ足として機能を果たしてくれればいいわけだし。実は私ね、免許を持っていないのよ」まさかの発言。これは問題である。反射的に彼女をきっと怪訝な眼で見ていただろう。



 またしても照れたように、「ああん。もう、そんな若い子に見られちゃうと緊張しちゃうわぁ、ぽっ」頬を両手で押さえながら僕から視線を逸らす。



「無免許運転ですか?」

「運転席に座ったことは一度も。ただ、ここに在るだけ。貰い物なの。その人、私が無免許だって知らなかったみたい。ほら、ここって交通の便が悪いでしょう?」

「まあ、たしかに」



 だったらどうしてこんな場所に家を建てたのか。その疑問は口にしない。移動手段の乏しいこの地でなければならない理由があったのだろう。



 ガレージから出ると庭の柵向かいから敷地内の様子を伺う不審な男性がいた。スーツを着た頭髪が後退し始めている白黒斑の短い髪をオールバックにしている目付きの悪い男だ。

あれは真っ当な人間じゃないという直感が働いた。



 ガレージから出てきた僕に不審な目を向ける不審者だが、此方も相手に不審な眼を向け返していると、続くように出てきた未來理さんの姿を目にするとソイツは軽く会釈をして、「突然のご訪問すみません」剛健実直な印象の低く重い声。



「あら? 浅井さん、どうかされましたか」



 庭に彼、浅井という男性を招いた。「実は連れもいまして、勉強のために彼らも同伴せていただいても?」近くには黒塗りの普通自動車が停車してある。未來理さんはそちらを一瞥してから、「お二人ね。ええ、どうぞ」和やかな笑みで返し、車の方をもう一度向いて手招きした。



 車内から若い男女が降りてきた。二人ともスーツを着てはいるものの、男性は猫背気味で髪も少し長く、眠たげな目元からは覇気ややる気が一切感じられない。一方は少女のような幼顔を強張らせて背筋を伸ばしている、オフィスレディのような雰囲気の女性。浅井と名乗る男性とやる気の無い男性を見比べてサラリーマンでないのは明らか。



 二人は浅井の左右に並び、「あー、真藤巻春しんどうまきはるです。高尾警察署巡査してまーす。浅井さんの部下でもありますね」猫背をより丸めて懐から手帳を出して見せた。「同じく巡査の織部八束おりべやつかです。初めまして、未來理さんの事は浅井警部からお聞きしています。えっと、そちらの方は……、その」織部と名乗る女性は困ったように笑んでから浅井へと視線だけを向けた。



「未來理さん、そちらの方は?」

「彼は海津原聖人君。私の助手を務める情報屋見習いなの、可愛いでしょう?」

「はあ……、そうでしたか。では、初めましてだな。高尾警察署の浅井鋼太郎だ。未來理さんには仲介役……、ああ、いや、協力者として日々世話になっている」



 大きな手が差し伸べられた。



「どうも、海津原聖人です。昨日から此方で厄介になっているので、今後も顔を合わせる機会があるかもしれませんね」



 握手を交した。



「ささ、こんな所で立ち話をしていては、いつまでたっても情報は耳に入りませんよ」



 情報を他人に聞かれたくないから早く入れ、ということだろう。未來理さんと刑事三名を先に玄関に迎え入れてから最後に扉を閉めた。浅井刑事に続いて織部刑事も続くが、真藤刑事だけは面倒臭そうに、「ああ、眠い」垂れた眼で僕と目を合わせるや、肩を竦めて笑顔を見せた。



「警察って大変そうですね」

「まあね。不規則な生活を強いられる苦労人だよ、ホント。非番の日でもなにかあると直ぐに呼び出されるんだ。身体も心も安まらーん」

「そのうえ、市民には給料泥棒扱いされて嫌になりませんか?」

「嫌になってたら、そっこー警察辞めてる」

「つまり、辞められない意地がある、ということですか」

「そういうこと」

「聖人君だっけ。キミにはそういう意地みたいなもんは?」



 リビングから「真藤なにしてる!」野太い声が届く。



「はーい! 直ぐ行きますよ」



 彼の苦笑に僕はさっき彼がしたように肩を竦めるだけに留めた。



 リビングのテーブルをコの字に囲んで三人はソファに座っている。奥には未來理さん、その正面には織部さん、左側の個人用ソファには浅井さんが座っていた。各自の前には飲み物が置かれていて、空いている席は未來理さんの隣と織部さんの隣、もちろんその空席にも飲み物が用意してあった。



 自然と僕は未來理さんの隣に腰を下ろす。真向かい側には真藤さんが織部さんと少し距離を空けて座った。



「揃いましたね。では、情報をお渡し致しましょう」



 無邪気な雰囲気を排した静かな口調で未來理さんは一同の顔を見渡した。



「依頼を受けてまだ二日なのでしっかりとした形にはなっていません。そこはご了承ください。八王子市で起きている猟奇事件、一人目の犠牲者として選ばれた安城家の一人娘、安城藍さん。二人目と三人目の被害者の名前は重要ではないので省きます。遺体の共通点は取り除かれた両眼、白いローブを着て天を仰ぐ格好での遺棄。私は提供された写真でしか確認していませんが、不足説明や訂正があれば仰ってください」



 刑事三人は口を挟まない。



「私は警察組織から八王子の事件について調べて欲しい、と漠然とした依頼だったので、警察がどの程度の情報を握っているか把握できていません。ですので、私の独断で情報を集めさせてもらいました。初めに、警察は安城家についてどれくらい立ち入りましたか?」

「安城藍さんは目が不自由で、一人で家から出るはずがない、と。家を抜け出す際に使用人の誰もが彼女を目撃していない、くらいでしょうか」

「帰宅した際の状況は?」

「親切な人が送り届けてくれたみたいです」

「その人物については?」

「いえ。安城あんじょう泰家やすいえ氏は、娘を連れて帰ってきてくれた人としか」



 未來理さんの質問に織部刑事が答えていった。



「なるほど。では、その人についての情報を提供しましょう。彼の存在はどうやら公表されていないようですので」

「え、その人物が事件に関係しているということっすか?」

「警察にも隠さなければならない人物、というわけか」



 浅井刑事の姿勢が変わった。



 短く息を吐いた未來理さんはテーブルに置いた飲み物を一口。



「存在を隠された人物の名は、榊希美さかきのぞみ



 その名前を聞いた浅井刑事が勢いよく立ち上がった。明らかな動揺が眼の動きに現れている。僕が浅井さんに抱いていた印象ではちょっとやそっとの事で騒ぎ立てるような人物には見えなかった。逆に真藤さんと織部さんの反応は名前によるものではなく、浅井刑事の反応に驚いている様子だ。



 片目を閉じた未來理さんは、「私もその名を聞いたときは流石に驚きました」飲み物に口を付け、ふぅと息を吐く。



「どーしたんすか、浅井警部。いつもの冷静沈着で、パンツが破けても動じない鋼の鋼太郎警部がそんな取り乱しちゃって。その、えっと……、榊希美でしたっけ。そんなやばい奴なんすか?」



 まだ真新しいメモ帳にペンを走らせている織部刑事。その隣では猫背姿勢のまま織部刑事のメモ帳を覗き込む真藤刑事。二人の部下の行動を一瞥しただけで基本は未來理さんを見ている浅井刑事も着席する。



 なんともまとまりのない三人組だろうか。



「それで、榊希美は……」

「藍さんが殺されて遺棄された当日に消息を絶ったそうです」

「未來理ちゃんはその榊って人の特徴とかは聞いてる?」

「ちょっと、真藤さん失礼です! 申し訳ありません、未來理さん」

「気にしていないわ。むしろ、親しみがあって私も嬉しい。織部さんも親しみのある呼び方をしてもいいのよ」

「あ、いえ、私はその……」

「なあ真藤、未來理さんが良いと言ってもちゃん付けはやめておけ。それと話の腰を折るな。織部はもう少し肩の力を抜け。それで話が脱しましたが、榊希美については」

「情報は多くはありません。榊希美という名前を知る人物から不確定ではありますが、いくつかの情報を得ることができました」



 笑みを消して真面目な顔つきに戻すのはオンオフを切り替えているのだろう。この状態の未來理さんからは人間味を感じない。心を幾層の果てに追いやってしまったような印象だ。



 これが、未來理さんの覚悟の体現なのか。



 いよいよという心持ちの様子な浅井刑事は、「いまは少しでも情報を集めたいのでお願いします」声のトーンを落として頭を下げた。



「年齢は四十代半ば。細型で背丈は百七十センチほど。寄り添った態度と穏やかな口調をした優男だと聞いています」

「その証言を提示してくれた人物に」

「取り合えません。情報提供者からは秘匿とする条件ですので。ですが、依頼ということであればお話ししましょう。別途で頂きますが。しかし会っても話してくれるかどうかは保証しかねますけどね」

「いや。我々が出向いて聴取してもこれ以上は話さないでしょう。すみません、余計な口を挟みました」

「私から情報提供は以上になります。可能であれば其方で提供してほしい情報を絞っていただけると、私の方もやりやすくなるのだけれど」

「では……」



 足下に置いてあった鞄から三枚の面を取りだして卓に並べた。全員が身を乗り出してそれを見下ろすと、「ヒィ!」織部刑事が口元に手を当てて勢いよく身を引いた。



「浅井刑事、これは……、これは、どうして」



 パニックになった織部刑事は眼を白黒とさせている。



「この面の顔って被害者にスゲェ似てるの、というか顔そのままのような……、気のせいっすか? ほら、これが安城藍で、こっちが藤本愛子、で、三人目の萩野美優。どこでこんなもん見つけたんすか?」



 冷静に一つずつ指さしで被害者の名前を告げていく。僕は被害者の顔をニュースでみていても、特徴を除いてしっかりとは覚えては居ない。面を見てもピンともこないが、しかしこれは、人の顔を剥ぎ取ったかと見間違うほど精巧な造りをしている。



「手に取っても?」

「ええ、手袋を付けてもらってもいいですか」



 鑑識が手に嵌めるような手袋を受け取った未來理さんはさっそく手に嵌めて、その中の一つ、安城藍にそっくりだという面を手に取った。



「材質は木を薄く削って……、塗料は何かしら。絵の具のような安っぽいものではなさそう。でも良く出来ている。真藤君が言ったように、人間の顔を剥ぎ取ったと見間違えそうなくらい」



 ひっくり返したり角度を変えて面を観察する様子を俺達三人は黙って見守っていた。正直言えば、彼女の無邪気な表情と声が、いましている事に矛盾を覚える。



 遺体と同じ顔をしているということはデスマスクと見ていいはずだ。それを興味深く、まるで子供が新しいおもちゃを与えられたような調子でまじまじと見入っているのだから、端から見れば薄ら寒さが背中を奔るというもの。



「これをどこで?」

「被害者の顔に被せられていたそうです」



 被害者の顔に被せられていた? それはどういうことだ。ニュースではそんなこと報じては居なかったはずだ。真藤刑事と織部刑事の反応と発言から彼らもこのことを知らないでいたようだ。



 未來理さんはその疑問も合点がいった様子で、「上層部から口止めされていたのね。被害者の顔に被せられた被害者そっくりの面。はあ……、また調べ物が増えちゃったわね。この面については調べてしまってもいいの? 公にしたくない事情が上層部にはあるんじゃいかしら」念を押すように聞く。



「構いません。警察は事件解決こそが仕事ですから」

「これだけの代物を作れる職人なら直ぐにでも辿り着けるでしょう」



 席を立った未來理さんはリビングから出るや、インスタントカメラを手に戻ってきた。「情報収集に必要なの」三つの面を何枚か多角から撮影した。



 互いに話すこともない雰囲気を察して浅井刑事が席を立つ。巻春刑事たちも続いて席を立って一礼した。彼等が車に乗り込むまで玄関で見送ったあと、「あの面については予想がついてるの」思わず、「はい?」彼女の言葉に聞き返した。



「あれだけの芸術を仕上げられる職人なんて限られているでしょう?」

「そういう世界の話はよくわかりませんけど、理解が出来ません。どうして浅井刑事たちにそのことを教えないんですか」

「情報は裏取りが出来てこそ真価を見出せるのよ。覚えておいてね」



 自分の中で確信があっても万が一という可能性があり、しっかりと確実な情報に仕上げなければ商品にならないということを言っていた。



 正直言ってしまえば不安が募っている。不満ではなくて不安だ。はたして僕のような中途半端に生きてきた能無しに情報屋が務まるものだろうか。浅井さん達とやりとりをする未來理さんを見て、自分には荷が重いように思える。



 ましてや社交的とはいえないこの性格。そんな奴に依頼の話なんて舞い込んでくるものか。僕がいることで今後の彼女の仕事に支障をきたすことがまず怖い。僕のせいで、僕のせいで、という悪循環の円環に苛まれ、余計に僕という人間が嫌いになりそうだ。自己嫌悪に陥ちやすいこの性格も嫌いだ。口を開けば溜息が漏れ出そうなくらいに気落ちしているだろう。悶々と整理が付かず、覚悟も定まらない僕に、「海津原君は大丈夫。大丈夫だから、自分を信用できないなら、まずは私を信用してみて、ね?」僕の顔を覗き込んできた未來理さんが優しい口調で微笑んだ。



「海津原君は世界をまだ知らないから怖いだけなの。未知に触れるのは凄く勇気がいることよ。でもね、触れてみたら案外気さくなものだったりするの」

「そうかも……、しれないですけど。世界は怖いです。でも、なにより自分が情けないというか、周りに適合できないんじゃないかって」

「周りに合わせなくてもいいのよ。どうして生きるのに無理をしなくちゃいけないのかな? 窮屈で息苦しくて、合わせられなかったら余計に自分を卑下してまた自分を嫌いになっちゃうでしょう? じゃあ、一つ私が約束してあげる」

「何をですか」

「海津原君は将来、しっかりと自分の力で生きていることを」

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