第2話 悪運探偵・真淵事務所②


 食事は、西池袋にあるシュラスコのお店に行くことになった。シュラスコを初めて食べたのだが、ブラジルの肉料理らしい。店員が、串に刺さった肉をケバブのように皿に切り落としてくれる。

「食べ盛りの子には、やっぱりお肉だよね」

「食べ盛りに見えますか?」

 もう高校を卒業しているし、成長期のピークはすでに過ぎ去った気がする。

 光留は小首を傾げている。

「大学生かな、と思っていたんだけど」

「いえ、大学には行っていません。今は……その、仕事探し中です。その前に住む場所、見つけないとなんですけど」

「え? 住む場所、ないの?」

「ちょっと、色々あって……。しばらくネカフェを泊まり歩いていたんです。でも、もう所持金が……心許なくてどうしようかと」

 まさか全財産が三百円だとは言えず、伊都はもごもごと言葉を濁した。光留の方は、そこを深く追及する気はないようだ。「そっか」と軽くうなずいた。

「なら、なおのこと、食べておいた方がいいよ。あ、すみません、食べ放題のお肉追加で」

 店員を呼ぶ光留を見て、伊都は複雑な気持ちになる。初対面の相手に肉をしこたま奢られるという状況に、伊都の頭はまだついていけていない。

 店員がやってきては、串に刺さった肉を皿に切り落としていく。食べたら食べた分だけ光留が追加を呼ぶので、食べるのがなかなか追いつかない。

 こんなにたくさん肉を食べたのは、生まれて初めてかもしれなかった。果たしてこれは、他人の金で食べていいものなのだろうか。

「真淵さんは……」

「光留」

 おずおずと話しかけると、光留は穏やかな声で即座に訂正する。どうしても苗字で呼んでほしくないらしい。

「ええと、光留さんは、探偵なんですよね」

「うん」

「探偵だから、ナイフを持った男の人を倒せたりしたんですか?」

 尋ねてから、間抜けな質問だな、と思った。

 光留は、疑問符を浮かべたような顔をして、数秒後、へにゃりと微笑んだ。笑うとなんだか童顔に見える。二十代半ばだと思ったが、一体何歳なのだろう。

「探偵に来る依頼って、大体は浮気調査とか、逃げたペット探しとかだよ。俺はたまたま、護身術とかやっていたから対処できただけ。伊都くんは、真似しちゃダメだよ。ナイフ持ってる相手が襲ってきたら、とにかく逃げるのが正解だから」

 なるほど。やたらと手慣れていたから、探偵とは度々危険な事件に巻き込まれるものなのかと思っていたが、そうでもないらしい。浮気調査で痴情のもつれに巻き込まれるとかは、普通にありそうだけど。

 黙々と肉をお腹に詰め込みながら、伊都はぼんやりそう思った。

 お肉美味しい。食べ盛りを否定できないかもしれない。美味しい。

 久しぶりのまともな食事に、身体中が歓喜している。ウーロン茶のコップを片手に、ひたすら肉を胃に流し込んだ。

 光留は微笑ましいものを見ているかのように、ずっとニコニコしている。そして。

「ところで、『絡まってる』って、結局何のことだったのか知りたいんだけど」

 ぶはっ、と伊都は飲んでいたウーロン茶を吹き出した。

 まさかここで、その話を蒸し返されるとは。

「ぐ、けほっ、ごほっ……べ、別に大したことじゃ……」

 せながら伊都は何とかそう言ったものの、光留は当然納得していないようだ。むしろますます興味をそそられているような顔になっている。

 これはまずい。伊都はヤミイトを視る『ギフト』のことは、誰にも言っていない。言いたくもない。だけど、上手いこと切り返すことができるほど、器用でもない。

 後になってから、こんなあからさまな反応をせずに「そんなこと言いましたっけ?」としらばっくれたら良かったのだと気づいたが、この時の伊都には、そんな心の余裕はなかった。

 光留は肉を一片、口に放り込んだ。もぐもぐとゆっくり噛み締めて、飲み込んだ後、「うーん」と唸って小首を傾げた。

「大したことじゃないなら、その反応はなくない?」

「いや、その、見間違えただけです!」

 この言い訳は苦しいな、と自分でも思った。案の定、光留は苦笑いになっている。これは何一つ信じられていない。

「だってさ、伊都くん。『絡まってる』って言葉、何気なく口にするにしては、やけに具体的すぎない?」

 ずい、と身を乗り出して、光留は好奇心にキラキラと輝く眼差しを向けてくる。

「絡まるっていうくらいだから、紐とか? 髪の毛とかだったらやだなぁ」

「それは、その……」

 どうしよう。どう言えば納得してくれるのだろう。

「ねぇ、伊都くん、もしかして霊感とかある方?」

「へっ?」

 思わぬ方向に話が転んで、伊都は目を丸くした。

 霊感。その言葉の意味をきちんと理解するよりも早く、光留は少しはしゃいだ様子で身を乗り出してくる。

「俺に何か取り憑いてたりする? いやさ、俺って今日みたいなこと、よくあるんだよね。喧嘩してる人が急にこっちに来たり、暴漢が襲いかかってきたり」

「ええ……?」

「俺はそれなりに強いから、大抵は何とかなるんだけど、姉さんとか『お祓いに行ってこい』とか言うんだよ。悪霊に呪われてるのかもって」

 悪いものに取り憑かれている、という意味では、光留の推測はそれほど間違ってはいないのかもしれない。ヤミイトは負の感情からできる。どういうわけか、光留はヤミイトを集めやすいようだ。この店に来るまでの間にも、光留の周りにはあちらこちらからヤミイトが吸い寄せられるように集まってきていた。

 しかし、伊都が見ているのは幽霊ではない。それを『ギフト』の説明をせずに、上手く言う方法が思いつかないだけで。

(どうしよう……)

 肉の味が一気にしなくなった。

「霊感があるのかどうかは、ちょっとわからないです。幽霊とか見たことないし」

 かろうじてそれだけ言って、伊都はウーロン茶を飲み干した。いっそ幽霊が見えることにした方が良かっただろうか。しかし、嘘をつけばボロが出た時に困るのは自分だ。

 光留はまだ好奇心に満ちた瞳でこちらを見ていて、伊都は居心地の悪さを覚えながら視線をさまよわせた。

「あっ、店員さんすみません。ウーロン茶ひとつ」

 光留は何のためらいもなく、伊都の分のドリンクを追加注文している。そろそろ帰りますとは、言いづらい雰囲気だ。

「で、結局何が絡まっていたわけ?」

「それは……ええと」

 喉がつかえたような感覚がする。どこまでなら、言っても大丈夫だろうか。

 迷って黙り込んでいると、光留は突然手を合わせて頭を下げた。

「ごめん! 困らせたかったわけじゃないんだ。言いにくいことなら、言わなくてもいいよ」

「え、あ……はい」

 まさかここまでぐいぐいきておいて、急に引かれるとは思わなかった。それはそれで戸惑う。

 そして、追加で頼んだウーロン茶と、追加の肉が来た。やっぱり帰りづらい。

「話題を変えようか。伊都くんは、どんな仕事をしたい?」

 光留は「絡まってる」発言のことは、綺麗に忘れることにしたらしい。その質問なら、答えられる。ホッとひと安心した。

「どんな仕事……っていうか、とりあえず、当面の間は日雇いの仕事をして食いつなごうかと……」

「うーん、日雇いかぁ。即金になるのは確かだけど、伊都くんの場合、住む場所も必要だからねぇ」

 光留は心配そうにそう言った。親はどうしたのか、一時的にでも泊まれる場所がないのか、と尋ねることはなかった。家庭事情に関しては深入りされたくないので、スルーしてもらえて正直ありがたかった。

 光留は再び「うーん」、としばらく考え込んだ後、神妙な顔をして尋ねてきた。

「ちなみに実際、どれくらいまともに食べてなかったのかな?」

「……え、その、一昨日菓子パンを一個食べました。あとは、ネカフェがソフトクリーム食べ放題だったので、それを……」

 馬鹿正直に答えてしまってから、今のはさらっと流しておくべきだったな、と後悔した。

 案の定、光留はポカンとした顔になった。そして、次の瞬間には鎮痛な面持ちになった。

「死んじゃうよ、そんな生活してたら……」

「死んでませんよ」

「でも伊都くん、実際倒れかけてたわけだしね。若い時だけだよ、そんな綱渡りで生き延びられるのは。アラサーになったら急にガクッとくるよ。今までの分のツケを払わされるからね!」

 真顔で説教をしてくる光留に、伊都はうろんな眼差しを向けた。アラサーまであと七年もあるので、まだいまいちピンとこない。

「ちなみに光留さん、おいくつですか?」

「二十六歳だけど」

 どうやら二十代半ばという伊都の憶測は正しかったらしい。二十六歳なら世間一般では若者に入ると思うのだが。

「その歳でもガクッとくるんですか?」

「昔よりはね。仕事柄、夜間に行動することが多いし不摂生になりがちだけど、睡眠時間と食事は極力削らないような生活をしてるよ」

 アラサーになってからわずか一年かそこらで衰えを意識する羽目になるのか、と伊都は真顔になりながら肉をかじる。もう開き直って限界まで肉を食べることにした。お肉美味しい。

「あのさ、伊都くん」

「はい」

「探偵の仕事に興味ない?」

「え……?」

 ぽとり、と肉の切れ端が皿に落ちた。光留との会話はどこに転がっていくかわからない。予想の斜め上をひた走っていく。

「給料、日給二万円で、日払いで出せるよ。うちで働いてみる気ない? 普通の日雇いバイトよりは稼げると思う。泊まりも事務所内の仮眠室を使えるし。どう?」

「どう? って……僕たち、今日が初対面ですけど」

「うん。そうだけど、伊都くんは真面目そうだし。菓子パンだけで生き延びようとしているのを見ちゃうとね。仕事を紹介したくもなるだろう。ちょうどうちの事務所は人手不足だし、探偵の仕事、割と面白いよ」

 急展開に、頭が追いつかない。確かに仕事を探しているし、日払いで給料をもらえるのはありがたい。

「うう……」

 箸を握りしめて悩んでいると、光留は指を三本突き出した。

「食事も、三食つけます」

「……んんん」

 何せ空腹で倒れかけていたわけなので、三食住居つき日払いOKのバイトの誘いに伊都の心がぐらりと傾くのも仕方がないことだと思う。何せ明日をも知れぬ身なのだ。

 もちろん、抵抗もある。そもそも、光留のことをどれくらい信用するべきなのかもわからない。今日が初対面なのだ。肉を奢られたくらいで、ほいほいと釣られてしまって良いものだろうか。

 頭の中で、やりたい気持ちとやめておきたい気持ちがせめぎあっている。

 そんな伊都の気持ちを察知したのだろうか。光留は今度は人差し指を一本立てて、伊都に微笑みかけた。

「まずはお試しで一回、やってみない? それで合わなかったら、一回きりでもいいから」

 一回きりでもいい。その一言で、伊都の頭の中は「やりたい」に大きく傾いた。

「一回、だけなら……」

 言ってしまった。ついに釣られてしまった。

「よし、じゃあ食べ終わったら事務所に行こうか! うちの仮眠室にはちゃんとベッドがあるから、ネカフェよりは快適だよ」

「……はい」

 頷いてから、もしかすると自分はとんでもないことをしでかしたのかもしれない、とヒヤリとした。

 どういうわけかはわからないけれど、光留はヤミイトを集めやすいようだし、つまりそれは他人の悪意や敵意を寄せ付けているということでもある。

 やたらと伊都にとって都合の良い労働条件の中に、危険手当が入っていないとどうして言えるだろう。

 早まった気がする。

 懊悩おうのう する伊都をよそに、光留は「よろしくね」と言ってウーロン茶の入ったグラスをカツンとぶつけてきた。乾杯のつもりらしい。

 そして「ああ」と何か思い出したような顔をして、スマホを取り出した。

「LINE交換しとこう。LINE、入れてる?」

「はい、あんまり使ってませんけど」

 伊都もスマホを取り出す。アルバイトをすると決めた以上、連絡先を言いたくないです、とも言えないだろう。

「えーと、QRコード読み取るんでしたっけ」

「そう。これを、こう。はい、完了」

 追加してすぐに、LINEの通知がポンとなった。成人男性が使うにしては、ややファンシーな可愛いネコのスタンプが「よろしくね」と言っている。

 スタンプをほとんど入れていない伊都は、文字で「よろしくお願いします」と返した。目の前に本人がいるのに、LINEで会話をしているのは変な感じだ。

 何はともあれ、もう後戻りはできない。

 やれるだけのことはやってみよう。


 ――これが伊都にとっての、人生の転期となるなんて、この時はまだ少しも思ってもいなかった。



 食事が終わった後、伊都は光留に案内されて事務所に向かった。

 池袋駅の西口から徒歩十分ほどの場所。真淵探偵事務所は駅前の高層ビル群が途切れた辺りにあった。

 レンガ風の壁の、四階建てのこぢんまりとしたビル。横壁に付いている看板には『ノース池袋ビル』と、ビル名が書かれていた。

 一階は車を停めるガレージになっていて、ガレージ横にある階段から二階に上がれるようになっている。ガレージには左ハンドルの真っ赤なスポーツカーと、黒のプリウスが収まっていた。隣に並んでいるのが不思議な取り合わせだ。スポーツカーはさすがに探偵事務所の所有ではないだろう。探偵が使うにはあまりにも目立ちすぎる。

 そんなことを考えながら、伊都は光留に続いて二階への階段を上る。

 階段を上ると、木製のドアがあった。プレートに明朝体で『真淵探偵事務所』と書いてある。

 光留が鍵を開けて、後ろの伊都に手まねきをする。伊都は落ち着かない気持ちになりながら、事務所の中に入った。

 軽く息をついて中をぐるりと見回す。この階には、他にテナントが入っていないらしい。ワンフロア全てが事務所になっているようだ。中は案外広く、赤い革張りのソファが二対とローテーブルが手前にあり、奥にパーティションが置かれている。恐らく、手前のソファが来客用なのだろう。

「コーヒーでも淹れるよ。あ、コーヒー、飲める?」

「飲めます」

「じゃあ、飲みながら仕事の話をしよう」

 パーティションの奥には、ノートパソコンが置かれたデスクがひとつ、壁際に小さな流し台があって、コーヒーメーカーやマグカップなどが並んでいる。

「ここの所長は姉さんなんだけど、今日はいないんだ。あ、でも伊都くんのお試しバイトの件はちゃんとLINEで伝えてあるから、大丈夫」

 そう言って、光留は緑のマグカップと白いマグカップにコーヒーを注いで、ローテーブルに置いた。奥のデスクからノートパソコンを持ってくる。

「座って」

 白いマグカップがある方に伊都を座らせると、光留はノートパソコンの画面をこちらに向けた。

「今来ている依頼はこれ。家出少女の捜索願い」

 光留が見せてくれた画面には、中学生くらいの少女が、笑顔でピースしている写真が表示されていた。写真の下に、名前や特徴が書かれている。針谷 はりや早苗 さなえ、十四歳。身長一五六センチ。ヘアスタイルはくせのないボブカット。写真を見る限り体型はややふくよかで、赤いフレームのメガネをかけている。

「ゴールデンウィーク前に、練馬区ねりまく石神井町しゃくじいちょうにある家を出たきり帰ってない」

 ということは、半月ほど前から家出しているということになる。学校もサボっているのだろう。

「あの、こういうのって、まず警察に捜索願を出すものじゃないんですか?」

 中学生が急にいなくなったら、まずは探偵よりも警察に相談する気がする。光留は「そうだね」と肯定し、パソコンの画面をスクロールする。スマホで撮ったらしい家族写真が数枚表示されたが、一枚目とは打って変わって、早苗は仏頂面で写っている。

「表立った騒ぎにしたくないとか、警察を信用していないとか、一向に見つからないからしびれをきらしたとか、依頼してくるお客さんによって事情は変わってくると思うけど、そこは深入りして聞いたりはしないよ。一応、プライバシーとかあるからね。あ、もちろん守秘義務があるから、伊都くんはこの子のことを仕事以外で調べたり他人に話したりしたらダメだよ」

「はい。守秘義務があるのは、わかります」

 お試し中とはいえ、一応仕事なのだ。相談者の秘密は、誰にも明かすつもりはない。そもそも、秘密を明かせるほどに他人との付き合いがないとも言うが。

「目撃情報を集めてみたけど、五日前には新宿にいて、つい昨日池袋で見かけたという情報が入ったところ」

「目撃情報あるんですか? 割と具体的ですね」

 この人が多い東京で、そんなに都合よく目撃情報が拾えるものなのだろうか。

「本人のSNSアカウントを特定して、交友関係から行きそうな場所を推測したりするよ」

「え……こわ……」

 赤の他人にSNSアカウントを特定されて居場所を探られるのは、普通に怖いし嫌だ。

「まぁ、探すのが警察でも探偵でも、SNSは基本調べるんじゃないかな。だから、それが嫌なら家出や失踪はしない方がいいね」

「はぁ……」

 家出に近い形で叔母の家を飛び出した伊都は、少しだけ気まずくなって目を逸らした。

 そもそも伊都はSNS自体ほぼやっていない。そういう意味では安心なのかもしれない。プライバシーとはかくも脆弱なものだということは、覚えておこうと思った。

 よく考えたら、探偵に依頼される案件としては定番の浮気調査だって、赤の他人のプライベートを暴く行為なのだ。浮気に関しては身から出たサビだろうけれど、何とも複雑な気持ちにさせられる。

「新宿の目撃情報がちょっと気になるね」

「何かあるんですか?」

「うん。目撃されているの、歌舞伎町の映画館の近くなんだ。ここ、家出した少年少女のたまり場になっているところだよ。聞いたことない? トー横キッズ」

「僕、高校までは川越だったんで、新宿はたまにしか行かなくて。だからあまり詳しくないです」

「ああ、川越なら、東京出るにしてもまず池袋だよね。東上線は池袋が終点だし」

 うんうん、と光留がうなずく。

 埼玉を舞台にしたある映画では「池袋は埼玉の植民地」などと言っていた。実際、埼玉から池袋に乗り入れる電車の路線は多く、位置関係的にも渋谷や新宿よりも近い。だから「とりあえず池袋に集合」という埼玉県民は確かにいるのだ。

 それはともかく、今は家出少女のことである。

 早苗は歌舞伎町の映画館横にたむろする少年少女グループの中にいるところを、近隣店舗の従業員に目撃されている。次の目撃証言では、池袋の北口付近に移動している。

 歌舞伎町ほどではないかもしれないが、池袋北口周辺もあまり治安は良くない場所だ。外国人が多く、怪しげな店も多く立ち並んでいる。伊都もあの辺りには近づきたくない。

「何かまずいことに巻き込まれてしまっている可能性は、否定できないね」

 光留はコーヒーに口をつけた後、何やら考え込んでいる。伊都はといえば、この案件に自分が何の役に立てることがあるのだろうかということばかり、考えていた。普通に役に立たない気がしてならない。

「まだ池袋にいるかもしれないし、ここからも近いから、とりあえず張り込みしてみよっか」

「僕、何をすればいいんでしょう」

「伊都くんは、とりあえず通行人に早苗ちゃんがいないか確認してくれるだけでいい。それだけでもだいぶ助かるよ。一人じゃ見逃してしまうかもしれないからね。あ、危ないことが起きそうだったら、大体俺が何とかできるから大丈夫」

 何とかできるのか。そういえばこの人はナイフを振り回す暴漢を、一瞬で取り押さえた人だった。

 それにしても、通行人をチェックするだけで、日給二万円も貰っていいのだろうか。だんだん不安になってきた。

 気にした様子もなく、光留は「これ、隠しカメラね」などと、ペン型のカメラを渡してきた。何に使うのだろう。見つかった時の証拠保全か。

「池袋で見かけられたのが、大体十五時頃。今が十三時半だから、そのあたりに北口近くに行ってみようか」

「どこか隠れるところとかあるんですか?」

「喫茶店の窓際席が空いてたら、そこにしよう」

 光留はノートパソコンを奥のデスクに置いてくると、代わりに小さめのタブレットを持ってきた。早苗の写真を入れてあるらしい。ノートパソコンを広げるよりは、タブレットの方がすぐ鞄にしまえて良いのだろう。

 初めての探偵バイト。本当に自分がやっていいのだろうか。疑問に思いながらも、伊都はパンッと両手で頬を軽く叩いて覚悟を決めた。やると決めた以上は、やっぱりできないなどとは言っていられないのだ。

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