第10話 僕らのうちに帰ろう②
この日、光留が自宅に帰ったのは、二十時をすぎたくらいだった。
センサーライトで照らされた玄関、廊下を抜けてリビングに入る。
「伊都くーん、ごめんね、思ってたより遅くなった! ご飯冷めちゃってない? 大丈夫? 姉さんも今帰ってる途中だって」
そこで異変に気がついた。リビングもダイニングも照明が落ちたままで、人の気配がなかったのだ。
「伊都くん?」
調査が夜中までかかることがわかっている時以外は、伊都は毎日律儀に夕飯を作りに来ていた。今日のように光留か華織が定時までには事務所に帰れない時は、合鍵で先に入って料理を始めてもらう。伊都ひとりで自宅にあげても問題無いと思う程度には、光留も華織も彼を信用しているのだ。
しかし夕飯を作ると言った日に伊都が来ていないパターンは、初めてだった。
「LINE来てるかな……」
スマホを確認してみる。しかし、未読はなかった。伊都からの最後のLINEは、十九時二十分。『今日の晩ごはんは椎茸の肉詰めです』とのこと。
メニューを報告してくるということは、買い物に時間がかかっているわけではないはずだ。スーパーから光留の家まで、徒歩五分くらいでつく。
「え? まさか事故に巻き込まれたとかじゃ……」
ひとまず、光留は伊都に『今どこにいる?』とLINEした。既読はすぐにはつかない。
華織にもLINEした。『伊都くんから、何か聞いてる?』と。こちらは返事がすぐにきた。
『何も聞いていないけど、何かあったの?』
『伊都くんが家に来ていない。メニューが決まったってLINEは来ていたんだけど』
『ちょっと心配ね』
『近場を探してみる』
『お願い』
華織とのやり取りを終えて、改めて伊都とのトークルームを見る。やはり既読がついていない。
「どうしたのかな……いつもすぐに返事くれるのに」
池袋は決して治安の良い街ではない。近くには昼間でも一人で足を運ぶのは勇気がいるような場所もある。事故やトラブルに巻き込まれた可能性はゼロではない。
光留はスマホを片手に、再び池袋の街に戻った。まず、家から事務所、スーパーまでのルートをたどる。
いつもと様子は変わらないように思えた。パトカーや救急車の気配はない。道を歩いている人間にも、ざわつきはなかった。
あまりにもいつも通りすぎて、かえって不吉な予感がした。困ったことに、悪運の『ギフト』を持つ光留の「悪い予感」は、よく当たるのだ。
そのまま、時間ばかりが経過していく。何度同じルートを往復しただろう。
「……ん?」
光留は道端、車道の近くに中身が詰まっていそうなスーパーの袋が転がっているのを見つけた。伊都がよく使っているスーパーの袋だ。
歩み寄って、その袋を拾ってみる。袋の中には、大きめの椎茸と、ひき肉が入っている。ちょうど三人分くらいの量。
体温が、一気に氷点下まで下がったような気分だった。スーパーの袋を持つ手が震えた。
内心の動揺を抑えながら、光留は華織のトークルームの通話をタップする。華織はすぐに出た。
『私も伊都くんにLINE送ったけど、既読がつかないわ。まだ連絡取れてないのよね?』
「うん。今スーパーに行く道を探していたんだけど」
華織に、伊都が買ったと思しきものが入った袋が、路上に落ちていたことを説明する。電話の向こう側で、華織は少しの間考え込んでいたようだった。
『良くない状況ね。念のため正義に連絡を取るわ』
「どうする?」
『伊都くんに持たせている合鍵のキーホルダー、GPSをつけてあるの。上手く行けば伊都くんの現在地がわかる』
「えっ、それ、俺は知らないんだけど!?」
光留は思わず素で聞き返してしまったが、華織は平然と答える。
『伊都くんを守るためよ。光留に教えて、変に『ギフト』が発動しても困るでしょう。まさか役に立つ日がくるとは思わなかったけれど』
「用意が良すぎるよ……」
『事務所で合流しましょう』
「わかった」
通話を切って、光留は前を向いた。事務所まで足早に歩き始める。
事務所のあるノース池袋ビルは、華織の持ちビルなので、夜遅くなっても鍵を開ければ入れる。真淵探偵事務所のドアを開け、PCを立ち上げて華織を待つ。さほど遠くにはいなかったようで、五分後には華織が来た。
「GPSの現在地を検索するわ」
華織はPCで伊都の持つ合鍵のGPSの発信源を検索しはじめる。幸い、圏外にいるわけではなかったらしい。程なくして、現在地が表示される。
どうやら、都内の奥多摩町に移動していることがわかった。
「こんなところ、この時間から伊都くんが行くと思えないんだけど」
「事件に巻き込まれている感じが増したわね。行動履歴を見る限り、車で移動しているみたい。駅を通過していない」
池袋から奥多摩町まで、車だと二時間くらいかかる。結構な距離を移動している。
「詳しい住所わかる?」
「ちょっと待って」
華織が現在地の詳しい住所を調べはじめる。
その時、急に光留のスマホの通知音が鳴った。
「ん? なんだ?」
知らない番号からSMSが届いていた。こんな時に、スパムだろうか。
少しイライラしながら、メッセージを開く。そして、息を呑んだ。
『円居伊都くんは預かっています。貴方は彼を助けられますか? 住所は東京都奥多摩町――』
「は……?」
「何? どうしたの?」
華織が
「……誘拐犯から、メールが来た」
「……は?」
全く同じ反応をするところは、さすが家族だな、と思った。
誘拐犯が提示した住所は、華織が検索したGPSのありかと、見事に一致していた。
◆
光留と華織は、二十二時頃に事務所を出た。
場所は、奥多摩町の川辺にある一軒家のようだった。住所で検索すると、ソールドアウトした別荘の不動産販売情報が出てきた。写真で見た感じ、二階建ての洋館でかなり広そうだ。
「正義にも住所は伝えたわ。警察としては、大人しく救助を待って欲しいみたいだけど」
華織がスポーツカーに乗り込む。助手席に座った光留は、カーナビを見ながら首を横に振る。
「いや、俺は行くよ。相手は俺の携帯番号をわざわざ調べて、直接連絡を取ってきたわけだからね」
「そう言うと思った」
車にエンジンがかかる。ライトがノース池袋ビル前の道路を照らす。
「飛ばすわよ」
アクセルを踏み込んで、華織は車を出した。夜の道をぐんぐん進んで行く。
通常では二時間かかる道を、華織は飛ばしまくった。例の住所近くには、一時間 四十分ほどでたどり着く。ここまでの時間が、やけに長く感じた。
時刻は二十四時前。もう深夜だ。
件の別荘は間近で見ると、写真で見るよりもさらに広さがありそうだった。豪邸と言っていい。光留は「金持ちなんだな」という感想を抱いた。真淵家もかなり裕福な方だから、人のことは言えない。
窓を開けてみると、かすかに川音が聞こえてきた。川は別荘の裏側すぐ近くを流れているようだ。
家の前には、白い服を着た男の姿があった。
「何人か見張りがいるな。玄関と、建物の両脇に一人ずつ。三人かな」
「警察を待つ?」
華織の言葉に、光留は首を横に振った。
「待ったら、一人で突っ込んで行くわけにいかなくなるよ。大丈夫。俺は強いから。あれくらいならいける」
問題は、屋内にどれくらい人がいるかだ。敵を死なない程度に叩き伏せながら、この広い邸宅の中で伊都を探し出さなければならない。
「ここで降りる。まずは外の敵をのしてから、いくよ」
今が夜で助かった。昼間だったら、赤いスポーツカーは目立つどころの話ではない。事務所用の黒のプリウスで来た方が安心だった気もするが、飛ばすなら乗り慣れている車の方が良かったのだろう。
「姉さんは、橋本さんとの連絡役、お願い」
「わかったわ。気をつけて」
「うん」
光留は車を降り、まずは勝手口があると思われる裏手に回った。見張りに立っていた男の背後に忍び寄る。
「ん?」
カサリとなった草の音に男が気がつきかけたところで飛びかかり、絞め落とす。悲鳴をあげる暇もなく、相手の男の身体が崩れ落ちた。まず一人。
別荘の裏側は切り立った崖になっているようで、裏側から歩いて回ることは無理そうだ。できれば後の二人も気づかれないように絞め落としておきたかったが、仕方ない。
足を忍ばせながら、別荘の表側に回り込んでいき、玄関近くで立っている一人に近づく。
「……あ? 誰だお前」
あと十歩ほどのところで気づかれた。光留は走り足技で相手を転ばせ、そのままヘッドロックで絞め落とす。
「ぐおっ!?」
男は悲鳴をあげて、しばらくジタバタとのたうち回っていたが、やがて気絶したようで動かなくなった。これで二人目。
「おい、どうした!」
異変に気づいた三人目がやってくる。光留は地を蹴った。
「この野郎!」
三人目は少し喧嘩慣れしている感じがした。光留の拳を一撃目は避ける。しかし、喧嘩慣れなら光留も自信がある。何せ、ことあるごとにトラブルに巻き込まれる『ギフト』の持ち主だ。
「ちょっと黙っていてくれ」
「うぐっ!!」
みぞおちにパンチをくれてやった後、手刀をうなじに喰らわせる。マンガやドラマのように綺麗に気絶させられないが、脳しんとうを起こすくらいの威力はある。
動けなくしたら、こちらのものだ。他の二人と同じように絞め落として気絶させる。
「玄関は……鍵がかかってるか、さすがに」
となると、やることはひとつだ。できるだけ音を立てずに行きたかったが仕方ない。
「伊都くんは俺のこと割と何しても怒らない聖人君子だと思ってるところあるから、あんまりこういうところ見せたくないなぁ。でも、仕方ないか。それじゃ……」
少しだけぼやいてから、光留は構えを取った。正面突破である。
「蹴破る!」
光留は渾身の力を込めて、木製のドアに蹴りを放った。
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