第6話 未来を視る兄妹②

 髪が少し軽くなって汚したくない服が増えた数日後の土曜日が、江藤渚の相談に乗る日だった。

 伊都は買ってもらった淡いグレーのスラックスと半袖ジャケットのセットアップを着て、美容室に行ってもまだまだ長い前髪を華織にもらったヘアピンで留める。今回は『ギフト』に関する依頼なので、伊都と光留で応対することになったのだ。

 光留の服装は、チェックのネルシャツにカーキのチノパン。だいぶ気合を入れた伊都に反して、意外にカジュアルだ。でも、ヨレヨレになっている手持ちのシャツとジーンズを着てきたら怒られそうだから、買ってもらった服を素直に着た自分は正しいと思う。

 渚は相談予約の時間ぴったりに、事務所にやってきた。年齢は十二歳。小学六年生。歳のわりに落ち着いた、大人びた雰囲気のある少女だった。

 彼女は一人で事務所まで来た。母親と兄には、友だちの家に行くと言ってきたそうだ。

 渚を事務所の入り口側にあるソファに座らせると、光留は向かいに座った。

「あ、コーヒーは飲めるかな」

「飲めません……」

「じゃあ、麦茶を用意してくれるかな、伊都くん」

 伊都は渚に麦茶を、自分たちの分はアイスコーヒーを用意すると、光留の隣に座った。

「真淵探偵事務所の所員で、真淵光留と言います。こちらは助手の円居伊都くん。今日はよろしくお願いします」

 光留が彼女に名刺を差し出す。ちなみに伊都はまだ名刺を持っていない。渚はちらりと伊都の方を見たが、すぐに興味を失ったようだ。

 そして、彼女は語り始めた。

「お兄ちゃんがテレビに出て、お母さん、人が変わったみたいになってるんです。知らない大人の人をたくさん家に呼んで、お金をもらってお兄ちゃんに『未来視』させてるの」

 渚が話した相談内容は、事前に光留や華織と話し合って予測したことと、そう大きく外れてはいなかった。

 テレビで持て囃されたことで、母親は息子が「金になる」ということに気づいてしまったのかもしれない。子供の『ギフト』を私物化する親は、割と存在する。

「お母さんは、お兄ちゃんにべったりになってる。『ギフト』登録するんだって言ってるけど、お兄ちゃんが嫌がって止めてるの」

「そうか、まだ登録はしてないんだね」

 光留がそう言ったのを聞きながら、伊都はどうしたものかと考えていた。

 特別な力を持つ『ギフト』の能力者は、『ギフト』を登録して国の認定を受けることができる。所在や能力の確認ができるようにすることで、『ギフト』の持ち主を保護したり支援したりするのが目的らしい。登録すると登録証が発行される。

 登録は強制ではない。そもそも『ギフト』の種類が千差万別で能力を証明することは難しく、登録内容も自己申告に頼っている。制度として、色々不完全な面が多いのだ。それに登録の際には脳波検査など、面倒な検査も必要になる。意外と登録へのハードルは高い。

 それにら周囲になるべく知られたくない『ギフト』持ちだっている。伊都も、能力のことは 隠していたので、登録していない。腫物扱いも、奇異の目でみられるのも、ごめんだった。

 本来、『ギフト』を持つ人間を助ける目的で作られた制度なのに、支援どころか『ギフト』を悪用している人間が信用を得るために登録したがるのか、と思うと気が重くなった。

 光留はどうなのだろう。刑事の橋本が『ギフト』について知っていたくらいだから、『ギフト』登録をしているのだろうか。

 伊都の視線に気が付いたらしい。光留は苦笑いをした。

「俺は登録してるよ、一応ね。警察の世話になることが多かったし。俺は警察内では、ある意味要注意人物だから」

「そうですか……」

 いるだけで、事件や事故に巻き込まれる悪運の『ギフト』は、やはり色々と大変なことが多々あるらしい。

 渚は、『登録』という言葉に反応した。

「登録って、もしかして探偵さんも『ギフト』を持ってるの?」

 察しの良い子だ。伊都は素直に感心した。光留はどう答えるのだろう。

「持ってるよ。でも、君のお兄さんほど自慢できる『ギフト』じゃないから、何ができるのかは内緒にしておくね」

 光留はやんわりとそう言って、微笑んだ。渚は、そこでようやく光留が結構な美形であることに気づいたようだった。急に顔を赤くして、少しだけうつむいた。初恋泥棒だ。

「それで、渚ちゃんはどうしたいの? お兄さんとお母さんのことは、法的に引き離すのは難しいと思うけれど……」

 渚は、麦茶のグラスを持って、しばらくうつむいていた。やがて、意を決したように顔をあげた。

「わたし、知らない大人がたくさん家に来るのはイヤ。お兄ちゃんは大丈夫だっていうけれど、そんなことないと思う。それにこのままじゃ、お兄ちゃんが大変なことになっちゃう」

「大変なことに、っていうと、具体的にどんなことが起こると思うの?」

 光留の問いに、渚は一瞬ぐっと言葉に詰まらせた。

 伊都は何となく彼女の態度に違和感を覚えた。具体的に何がとは言えない。モヤモヤとした、「釈然としなさ」が胸の中にたまっていく感じがする。

「とにかく、何か悪いことが起こるんだって! 信じて!」

 渚は手をぶんぶんと振って、主張する。小学生にこれ以上、理路整然と語れというのは、無理筋なように思える。光留は、何か考えている様子。

「ええと、家族構成とか、聞いてもいいですか?」

 伊都はとりあえず、必要になりそうなことを聞いてみることにした。

 江藤家は、母親、兄の湊、渚の三人家族。家は渋谷区笹塚。父親は一年前に亡くなり、母親は夫の生命保険と派遣の経理で働いた給料で、子供たちを育てている。

 渚の話を聞くには、どうも「家にやってくる知らない大人」は、テレビ出演をきっかけにやってきたようだ。

「お母さん……お兄ちゃんのテレビ出演でホントにおかしくなっちゃったの。最近、職場で自分の子供の『ギフト』を自慢する人がいるみたいで、その人に対抗意識燃やしてるのもあると思う。テレビにも認められたうちの子はすごいんだって言って……」

 今のところ、日本における『ギフト』を持った人間は、五千人に一人程度の割合。これを多いととるか少ないととるかは人それぞれだろうが、そんなにほいほいと『ギフト』持ちに遭遇するものだろうか? 伊都は職場の人の話を、少し疑わしく思った。伊都は、光留に出会うまで、周囲に『ギフト』持ちは一人もいなかった。もし『ギフト』を持っているのが本当だとしても、それが人の役に立つような能力かどうかは別問題だ。何の役にも立たない『ギフト』だってある。

 それはひとまず置いておくとして。

 とにかく渚の母親は『ギフト』自慢が激しい同僚に腹を立て、自分の息子の『ギフト』でマウントを取ろうとしている、という話のようだ。

 ほとんどの『ギフト』持ちは、生まれつきか幼少時に能力が発現するかだ。伊都も『ギフト』を自覚したのは幼稚園の頃だった。しかし、思春期になって急に『ギフト』に目覚めるというケースも何例か報告されているはずだ。江藤湊はそのパターンだったのだろう。

「知らない大人の人たち、みんな『ギフト』を持つ人間は特別なんだって言うの。それで、お兄ちゃんを『ギフト』持ちの人たちがやっている慈善活動に参加させたいって。わたし、すっごく嫌な予感がして、お兄ちゃんにやめなよって言っちゃって。でも、お母さんは『お兄ちゃんは特別な存在だから、やるべきなの』って言い出して……」

 きな臭い話になってきた。慈善活動が何なのかはわからないが、家にまで押しかけてきて『ギフト』持ちの子供とコンタクトを取ろうとする輩は、あんまりまともではない気がする。渚の母親の言動を聞く限りでは、『ギフト』を特別視しすぎている様子なのも気になる。

 ずっと黙って聞いていた光留は、ひと口アイスコーヒーを飲んで、はあっ、と息をついた。ため息。

「こう言ってはなんだけど、渚ちゃんのお母さんは、自分の承認欲求を満たすために、お兄ちゃんを利用しているように見えるね」

 伊都もそう思う。自分の子供のことを、利用して支配する毒親。

 家族関係も、知らない大人の出入りも、まだ小学生の渚が解決できるようなことではない。かといって、探偵がどうこうできる問題でもない気がする。

 光留はどうするつもりだろう。横顔をちらりと見る。口元に指をあてて、思案している様子。

「相談は無料だけど、調査となると、お金がかかっちゃうんだよね。ここ、探偵事務所だから。一応これ、料金表」

 光留が差し出した依頼の基本料金が書かれたチラシを見て、渚は顔を青くする。思っていたよりも高かったのか、それともお金がかかると思っていなかったのか。

 探偵事務所はボランティアではないのだから、当然こうなるよな、とは思う。

「渚ちゃんが取れる行動は二つかな。ひとつは、お母さんを止めるように、信頼できる大人……例えば、親戚や担任の先生とかに相談してみること。なんだかんだ言って、ちゃんとした大人の説得が一番手堅いからね。もうひとつは、そうだね……できればお兄ちゃんと一緒に、児童相談所とか、しかるべき機関に相談すること」

 光留が言っていることは最もで、理性的な判断だと思う。

 渚はもごもごと、言いたいことを言えないような顔をしていた。理屈はわかるけど、感情のおさまりがつかないのだろう。

 かわいそうだけど仕方がない。いっそ警察が必要な状況だったら、もう少し話は簡単だったかもしれない。光留には刑事の知り合いがいる。

 子供は親を選べない。子供の権利を踏みにじる親でも、よほどのことがないと離れられない。過干渉もネグレクトも、どちらも子供にとっては災難だ。

「わたし、お兄ちゃんにできること、ないの?」

 渚は泣きそうな顔になっていた。親の横暴に対し、小学生はあまりにも無力だ。

「俺たちが直接手出しできることはないけれど、相談に乗ってあげることはできる。そうだ、次はお兄ちゃんも連れてきなよ。『ギフト』の話も聞いてみたいしね」

 光留の言葉に、渚はついに涙腺が崩壊したようだった。膝の上でギュッと握り締めた拳の上に、ぽとりぽとりと涙が落ちていく。

「……お兄ちゃんが、大ごとにしたら、わたしたち一緒に暮らせなくなるだろうって言うから……、わたし、ずっと我慢してて……」

 それは江藤湊の『未来視』なのだろうか。

 一緒に暮らせなくなる未来を『ギフト』で見たのか。それとも、渚を納得させるための方便なのか。

 伊都は彼女の話に対する違和感が、どこにあるのかわかったような気がした。渚の話には『推測』が多いのだ。兄から予知を聞いたのか、それとも渚の想像のたまものなのかはわからない。今のままでは、悪い未来が訪れるということを確信して、それに怯えている。

「今日は駅まで送って行くよ。小学生の女の子を一人で歩かせるのはちょっとね」

 光留がそう言って、話を切り上げた。

 池袋西口付近には治安の悪いところもある。確かに小学生の子供を歩かせるのは、なんか不安だ。

「あの、ホントにお兄ちゃんと一緒に来てもいい?」

 上目遣いでおずおずと申し出た渚に、光留は爽やかな笑みを返す。

「うん、来てもいいよ。でも、来る時はちゃんと予約してね。他のお客さんと予約が被ったら、お話できなくなってしまうから」

「わかった」

 渚は涙を拭いて、笑った。

 少しでも、渚の心は晴れただろうか。晴れていてほしいな、と思う。


 その日の夜、早くも渚からメールが来た。来週の土曜日、今度は兄の湊を連れて事務所にくるそうだ。行動力のある小学生だ。

 湊が来たら、何を話すのだろう。渚はしきりに「何か悪いことが起こる」ようなことを言っていたから、もっと詳細に聞けるだろうか。

 少なくとも今のところは、未来を予知できる『ギフト』は江藤兄妹を幸せにはしてくれないようだ。

 どうか来週まで、なにごとも起こりませんように。あの兄妹が少しでも穏やかに過ごせていますようにと、願わずにはいられなかった。

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