第5話 未来を視る兄妹①

 光留の姉、真淵まぶち華織かおると会ったのは、早苗の家出事件が解決した翌日のことだった。

「私は真淵華織。光留の姉で、ここの所長よ。よろしくね」

 華織は艶やかな顔で笑った。

 ダークブラウンの髪は緩やかなウェーブ。光留に似た胡桃色の瞳。しかし顔立ちは柔和そうな光留とは違い、少し吊り目がちのきつめな顔の美人。すらりとして、身長は高め。ヒールの靴を履いて、身長一七〇センチの伊都と目線が合うくらい。

「円居伊都です。よろしくお願いします」

 少し迷ったが、『ギフト』については、華織にも話すことにした。そうしないと、光留が急に身寄りのない自分を憐れんで連れてきたみたいな誤解をされそうだと思ったからだ。

 他人に『ギフト』のことを知られたくないことには変わりがないけれど、探偵の仕事にこの力が役に立てばいいな、とは思っている。

「悪意が見える『ギフト』ね。いいじゃない。探偵向きよ」

 華織は『ギフト』持ちの光留の姉だけあって、『ギフト』の話をしても、まるで驚かなかった。好奇心で根掘り葉掘り聞いてくるわけでもない。ありがたかった。

 それにしても、と伊都は改めて華織と光留を見た。

 華織は赤い口紅とワインレッドのワンピース姿。だから伊都の華織に対する第一印象は「赤い」だった。派手。

 金髪で長身の細マッチョな美男子と、派手な赤いワンピースを着たスタイルのいい美女。この姉弟、あまりにも目立ちすぎて、多分探偵に向いていない。

 本当に大丈夫だろうか、この探偵事務所。うっすらとそう思ったが、商売ができているということは、大丈夫なのかもしれない。多分。恐らく。きっと。そう、自分を納得させた。

 させたのだが――。


 約一か月後には、伊都は探偵業とは何ら関係ないところで、このだいぶ年上の二人を前にして説教をする羽目になっていた。

 きっかけはささいなことだった。いつも高級そうなパンの朝食と、高級そうでオシャレなランチボックスと、結構な頻度でそこそこのお高い店で外食の夕飯を奢られ続けた伊都は、ふと気づいてしまったのだった。明らかにエンゲル係数が高い。大丈夫なのか不安になって、普段二人はどんな食生活を送っているのか聞いてみたら、ほぼ出来合いのものを買っていることが判明したのである。料理は全くしないと。

「ちょっと待ってください。二人とも、本当に料理できないんですか?」

 光留が「いやぁ」、と頭をかきながら目をそらす。

「今まで、あんまり必要に迫られなかったから……」

 華織は子供みたいにむくれている。

「失礼ね、インスタントラーメンくらいは作れるわ。最近はレンジで作れる容器があるから」

「お金持ちだからって、エンゲル係数を軽率にあげないでくださいよ! もったいない! ただでさえ探偵業、儲かっているとは言い難いのに!」

 そう、決して儲かってはいないのだ、真淵探偵事務所は。伊都が来てからのこの一か月に、小さな依頼が五件あっただけ。この事務所があるノース池袋ビルは華織が所有しているビルで、家賃はかからないらしい。しかし、維持費はかかる。依頼が来れば、調査に必要な経費もかかる。手付金だけでは心許ない。

 光留は人手不足と言っていたが、現状では正直、時給三千円の好待遇で伊都を雇う余裕があるのかどうか疑わしい。

 それなのに二人は毎日、コンビニ弁当とは明らかに格が違うオシャレメシを三食用意して伊都に奢り続けている。美味しいしありがたいのだが、罪悪感がすごい。

 池袋にビルを持っているくらいだから、きっと探偵事務所の稼ぎがなくてもお金には余裕があるのだろうが――。

「伊都くんだって、美味しいもの食べたいだろ? 別にいいじゃないか」

 のほほんとしてそう言った光留に、伊都はテーブルをバンバンと手で叩いた。

「そういうところですよ! おおらかに散財しないでください! いたたまれないんです! 自炊しましょう!」

「この流れで自炊するって言うと、俺たち普通にデパ地下とかで食材買ってくると思うけど、大丈夫?」

「普通のスーパーがあるのに!?」

 お金持ちの金銭感覚、恐るべし。伊都はあまりの感覚の違いに、驚いて震えあがった。食費にどれくらいのお金をかけているのだろう。一か月もこの感覚のオシャレメシを食べてきた自分のことも、ちょっと信じられない。もっと早くに気づくべきだった。

「そもそも、俺たち自炊しようにも料理ができないわけだからね」

 そうだった。思考回路が一周回って、料理ができないところに戻ってきた。

「わかりました……僕が夕飯、作ります」

「えっ、なんて?」

「ちょっとくらいなら、料理できるので! 僕が庶民の料理がなんたるかを教えてみせます!」

「いやいや、悪いよ」

 光留は手を横に振って、遠慮のポーズを取った。しかし、ここは庶民にも引けぬところがある。

「今の依頼ペースで、時給三千円もらうのが罪悪感でいっぱいなんですよ! キッチンスタッフ兼任ということで。もちろん、買い物は普通のスーパーでします!」

 後になってから少し思ったのだが、経済は消費で回っているのだから、お金のある人には遠慮なく高級食材でもなんでも贅沢に買ってもらった方がいいのだろう。しかし、使い方のわからないオシャレな横文字の野菜とか買われても困る。調理できる自信がない。オシャレな横文字の野菜、伊都はアーティチョークくらいしか知らないのだが。ちなみにアーティチョークの調理法は知らない。

 この時の伊都は、貧乏性を遺憾いかんなく発揮していたので、少々周りが見えていなかった。

 とりあえず、庶民感覚の食事を覚えてほしい一心で、西池袋のスーパーでじゃがいもと玉ねぎとニンジンと豚肉と、ついでに調味料をフルセット大人買いしてきた。これは必要経費。

「この材料、カレー?」

 光留がスーパーの袋の中身を見て、伊都に尋ねる。

「カレーじゃないです」

「え? 手料理の基本じゃない? カレー。俺だってそれくらい知ってるよ」

「僕はカレー、食べないので……」

「え? そうなの? どうして?」

 きょとんとされた。確かにカレーは家庭料理の基本形と言うべきだろう。学校でもキャンプや調理実習で作られるイメージだ。材料的にカレーを想像されるのもわかる。だけどカレーではない。

「…………カレーは、辛いので」

 光留と華織が、ほぼ同時に顔を見合わせた。こんなところでシンクロしないでほしい、この姉弟。

「伊都くん、辛いのダメなんだ……」

「買ってきた調味料も、綺麗に辛いものは避けてるわ……」

 しげしげとスーパーの袋の中身を見る姉弟から、袋を奪い返す。

「いいんです! 今日作るのは肉じゃがなんで! 事務所じゃ調理できないんで、光留さん家のキッチン借りてもいいですか?」

 この事務所には、シャワーと給湯設備はあるが、キッチンはない。ここで「家にあげられない」と言われてしまうと、この食材も行き場を失ってしまう。

 光留は特に気にする風でもなく「いいよ」とふたつ返事で答えた。食材が無駄にならずに済みそうだ。安心。したのだが。

「でも、俺たちの家、皿はあるけど包丁や鍋がないよ」

「…………先に東武のニトリに行きましょう」

 まさか調理器具すらないとは。恐るべし、全てを出来合いで済ませるお金持ち。

 結局、全員で必要な調理器具を買いだした。とりあえず今日使うもの以外は配送にお願いして、圧力なべと包丁とまな板とおたまだけ持ち帰り荷物にする。ニトリのある東武デパートは西口から近くてありがたい。西口にあるのに西武ではなく東武。東にあるのは東武ではなく西武。不思議な不思議な池袋。

 買い物を終えて向かった先は、光留と華織が暮らすマンション。池袋駅からだと

徒歩十五分くらいの十階建てで、築年数の浅そうな綺麗なマンションだった。真淵家は最上階の十階南向き角部屋で、間取りは3LDK。

 思わず「うわ、家賃高そう」と呟くと、光留が「大丈夫、持ち家だから」と何も大丈夫じゃないことを言ってのけた。家の値段は聞かないことにした。キッチンを汚すのが怖くなりそうだったからだ。

 肉じゃがは初心者でも割と作りやすい料理だ。伊都はカレーを食べないが、作り方なら学校のキャンプで作らされたので知っている。肉じゃがはカレーと基本の作り方が同じで、味付けがルーから醤油とみりん、砂糖になるだけだ。

 叔母の家にいた頃は、基本家事に口出ししないのがルールだったので料理はしなかった。しかし、母親と暮らしていた頃は料理をしていた。だから基本的な調理器具の使い方はマスターしている。レシピさえあれば大体作れる自信はあった。

 じゃがいもやニンジンは洗って皮をむき、ひと口大に切る。玉ねぎは薄皮をはがして、くし切りに。肉はこま肉を使うので切る必要はなし。あとは具材を適度に炒めて、アクを取りながら煮込むだけ。

「あ、美味しそうな匂いがしてきた」

 手伝おうとするもあまり役に立たず、伊都によって叩きだされた光留が、少し遠慮がちにキッチンを覗いてきた。このマンションのキッチンは対面型で、カウンターから覗き込むことができるのだ。

「もうそろそろできるので、お皿の用意お願いします。つゆがあるので、深めの皿で」

「わかった」

「終わったらご飯よそってください」

 この家に炊飯器と米があってよかった。おかずはお惣菜で済ませても、かろうじて米を炊く文化は根付いていたようだ。

 久しぶりの調理だったが、思いのほか上手くできた。

「肉じゃがってこんな料理なのね』

 器に盛り付けた肉じゃがを見て、華織が何やら感心している。まさか肉じゃがを見たことすらないのだろうか。セレブの感覚、よくわからない。

 三人分の肉じゃがが食卓に並ぶ。漬物も買ってきたので、それも器に入れて出した。味噌汁を作るのを忘れたけれど、久しぶりの料理だったので許してほしい。

 ダイニングには、マホガニーのテーブルと四脚の椅子がある。

 光留と華織が向かい合って座り、伊都は光留の隣に座った。

「いただきます」

 手を合わせて、一礼。食べ物に感謝。

「肉じゃが、素朴な味だなぁ」

 光留がパクパクと肉じゃがを口に運んでいる。華織も普通に「美味しいわ」と言って食べている。とりあえず庶民メシなんて口に合わない、とは言われないようだ。

 伊都も肉じゃがに箸をつける。いもはほくほくで、適度に味がしみている。美味しくできた。

 光留と華織も美味しそうに食べてくれる。料理を美味しく食べてくれる人と、食卓を囲む。それがどれほど得難いものなのか、今の伊都はちゃんと知っている。

 叔母の家ではきちんと食事はもらえていたけれど、ずっと居心地が悪く、委縮しながらご飯を食べていた。気心知れた人と一緒に食べる料理が美味しいのだということを、伊都は久しぶりに思い出した。

「というか、出来立てのおかずってこんなに美味しいんだね」

「え? 出来立て、食べたことないんですか?」

 伊都が訊くと、光留は少しばつの悪いような顔をして、目をそらす。

「ほら、僕ら基本、お惣菜を温めて食べていたから……」

「電子レンジって偉大よね」

 華織もあまり反省していない様子で、そんなことを言った。

 電子レンジは確かに偉大だ。世紀の大発明だと思う。伊都もそれは認める。だけど、温めるだけに使うのはあまりにももったいない。宝の持ち腐れ。

「僕、これからも晩ご飯作りに来ますね」

「え? いいの? 俺、伊都くんの料理もっと食べたいなぁ」

 光留が顔を輝かせた。どうやら本当に料理が美味しいと思ってくれているらしい。

 伊都は、明日ジュンク堂に行ってレシピ本を買おうと密かに決めた。


 そして、事務所の仕事で深夜まで出払っていない時は、スーパーで買い物をして真淵家に夕飯を作りに行くルーティンができあがった。

 三人揃う時は、なるべくできたての料理を出すようにしている。時間が経ってからの方が味がしみる煮物などは、前日から仕込むことがあるけれど、基本はその日作ったものをその日のうちに食べる。

 食べ終わった後は、リビングでみんなでだらだらテレビを見たりする。

 平和だった。ほんの一か月と少し前には、お腹を空かせて倒れかけていた自分が、誰かと一緒に食事をして、テレビを見ている。

 何より『ギフト』のことを気にしなくてもいい相手がいることが、伊都に安心を与えてくれる。まるで家族のようだと、少しだけ思う。

 今日も夕食を終えて、すぐに事務所に戻らずに、しばらく光留の家でテレビを見ていた。

 テレビでは『ギフト』を持つ一般人を紹介する番組が流れている。今日の出演者は男子高校生。名前は江藤えとうみなと。十六歳。

 近い未来に起こるできごとを予知する『未来視のギフト』を持っているという。

『じゃあ、実際なんか予知してみてよ?』

 司会役のお笑い芸人がニヤニヤしながら問いかける。小馬鹿にしたような態度。

 伊都の能力で唯一ありがたいことは、テレビや動画などの映像媒体では、ヤミイトが見えないことだ。こういう番組のちょっとした演出でヤミイトを見る羽目になったら、伊都は心底テレビを嫌いになっていたと思う。

 それでも、何となく悪意を感じる人を見ると、テレビの前で少し身構えてしまう。こればっかりは、しみついた性分なので仕方がない。

 江藤湊は、司会の芸人に嫌な顔ひとつせずに、にっこりと笑いかける。

『三日後、宝くじが五万円あたりますよ』

『ええー、そんなうまいことある?』

 いちいちオーバーリアクションな芸人を見ながら、伊都は「あんまり信用できない番組だな」と思っていた。

 番組は収録のようで、『そして三日後』というテロップと共に、芸人が楽屋で宝くじを持って笑顔で映ってるシーンに切り替わった。

『いや、まさかホントに当たるって思わなかった。すごい! ホンモノだった!』

 芸人がいい笑顔でピースをしているのを横目に、光留がぼそっと呟いた。

「これ、本物だったとして、たまたま良い未来だったから笑っていられるけど、悪い未来を予知されたらどうするつもりだったのかなぁ」

 伊都も同感だった。『ギフト』は、そんなに都合の良いものではない。

 伊都としては、そもそも『ギフト』というありがたそうな呼び名はどうかと思っている。伊都はこの『ギフト』をそこまでありがたく思ってないし、光留のように割と酷い目にあう『ギフト』もある。

 テレビ番組でもてはやすようなことばかり言うのは、やはり何か違うと思うのだ。


 この時はまだ、このうさんくさい番組に出てきた江藤湊のことは、心の片隅にも置いていなかった。だから、次の日にはもうほとんど忘れていた。

 まさか、彼と思わぬ形で関わることになるとは、夢にも思わなかったのだ。



 真淵探偵事務所の営業は、午前十一時から午後十九時まで。休日は水曜日、木曜日。土日は営業している。平日は相談しに来づらい社会人に配慮しているらしい。とはいえ、所員が真淵姉弟と伊都だけなので、調査で出払っていることも多い。だから、基本的に相談は予約必須。今日メールをして即日調査開始とはならない。

 予約電話を取るのは、下っ端の伊都の役目となる。スケジュール表を確認して、相談者とマッチする日を決めて予定表に入力する。

 もう一つ、伊都には役割がある。朝の準備だ。

 朝、仮眠室のベッドから起き上がると、伊都はまず顔を洗って衣服を整える。と言っても、伊都は家を出た時に持ち出したシャツとデニムをヘビロテしているので、ファッションセンスは壊滅的なのだが。

 着替え終わったら、事務所に降りてコーヒーを落とす。コーヒーが落ちるのを待っている間、デスクやテーブルの拭き掃除を済ませる。ここまでが伊都に任されたルーティンだ。

 あとは、朝食をもった光留が現れるのを待つだけだ。

「おはよう、伊都くん!」

 大体午前八時。やたら爽やかな笑顔で、光留がやってくる。三人分の朝ごはんの入った、紙袋を持って。

 光留からやや遅れて、華織も事務所にやってくる。この姉弟、一緒に住んでいるのに、バラバラにやってくるのが少し面白い。

 今日の光留の服装は、綺麗にアイロンがけしてある淡いブルーのシャツに、濃いグレーのチェックのスラックス。華織はVネックの赤いサマーニットのワンピース。服装も姉弟で全然似ていない。バラバラだ。

「おはよう」

「おはようございます」

 三人揃ったら(と言っても、華織は不在のことも多いのだが)コーヒーを並べてみんなで朝食を食べる。それがルールのようになっている。今日の朝食はたまごサンドイッチ。たまごマヨがたっぷり挟まったボリューミーな一品だ。

 夕食は伊都が作るが、朝食と昼食は相変わらず光留が調達してくるオシャレメシを食べている。徒歩五分とはいえ、食事の度に全員でマンションに戻って伊都がご飯を作るのは、非効率的だからだ。それに、事務所の電話番も必要だ。そういうわけで、いまだに伊都はオシャレメシの洗礼を受け続けている。美味しいけれど。何か負けた気分になる。味覚だけがセレブになってしまったらどうしよう。

 食べ終わったら、営業開始まではおのおの自由時間。事務所に設置されたテレビでニュースを見たり、掃除をしたり、本を読んだりする。伊都はこの時間にスマホで「探偵業の業務の適正化に関する法律」を読んでいる。意外と面白い。

 営業を開始したら、まずはメールチェック。これも伊都がやる。今日は二件。ひとつは浮気調査の見積もり依頼。もうひとつは――。

「え?『ギフト』の相談?」

 思わず何度もメールの件名を確認した。確かに『ギフト』の相談と書かれている。探偵に依頼する人は、捨て垢でメールアドレスを取得して連絡してくる人が多い。だから無料で使えるフリーメールがほとんどなのだが、この客はスマホのアドレスをそのまま使っているようだ。

 それにしても『ギフト』の相談とは。

 メールの内容を見る。

『お兄ちゃんがテレビに出てから、お母さんがおかしくなりました。調べてほしいです』

 と書かれていた。果たしてそれは探偵に依頼することなのか。

 差出人の名前は江藤えとうなぎさ。どこかで見たような名前だな、と思って、ふと数日前に見たテレビ番組の記憶が、急速に蘇ってきた。未来視の『ギフト』を持つ少年。名前は江藤湊。

 偶然とは思えなかった。テレビに出た『ギフト』持ちの兄が他にいて、たまたま同じ「江藤」という姓だったなんて、普通に考えたらなしだろう。名前も湊と渚で、どちらも海関連であるし。

「どうしたの? 伊都くん。変態から来たメールだったら捨てていいよ」

「え? 変態から来ること、あるんですか?」

「ストーカーっぽい依頼が来ることはある。親戚とか兄弟とか自称してるけど、多分これ違うなってやつ、たまにあるんだよね」

「そうなんですか……」

 知らずに事件の片棒をかつぐことになるのかもしれない。そういえば、SNSで個人情報を収集していたストーカー殺人事件もあったな、と思い出した。怖すぎる。

「ま、明らかに不審なのは断るよ」

「ですよね」

 ホッとした。依頼が多いとはいえないこの事務所だが、光留と華織が金に困っていないせいか、怪しい依頼でもどんどん受ける、ということはしないようだ。

「さっき『ギフト』の相談って言った?」

 華織が伊都の後ろから、パソコンの画面を覗き込む。メール文を上から下へと目で追って、華織はテレビへと視線を移した。

「江藤って、この前テレビに出てた予知能力の子じゃない?」

「あ、やっぱりそうですよね」

 華織も同じことを考えたようだ。

 しかし、あの未来視の『ギフト』を持っていた少年は十六歳だ。十六歳の妹、ということはつまり依頼主は十五歳以下ということだ。メールの文面に「お兄ちゃん」という表現を使うあたり、幼い印象がある。下手をすると、小学生くらいかもしれない。

「依頼の内容も、探偵に頼むような内容じゃないし、どう返信すればいいんですかね、コレ。相手、未成年ですよ」

 母親がおかしくなった、というのがどういうことなのか、このメールだけではわからない。

 探偵の料金は、調査員一人で一時間いくら、という時給方式と、調査一式まとめて十万円などの一括方式が一般的だ。調査員が伊都を含めても三名しかいない真淵探偵事務所は、まとめて一括方式を採用している。

 つまり、十五歳以下の子供が払えるような金額ではない。クレジットカードも使えるが、それこそ十五歳以下はもってないだろう。

「そもそも何で『ギフト』に関する相談がうちに?」

 探偵事務所なのに。そう思って首をかしげていると、華織が「ああ」とわけ知り顔で頷いた。

「うちのホームページに書いておいたからよ」

「えっ!?」

 ブックマークから、真淵探偵事務所のサイトに飛んだ。依頼を受けられるリストには、浮気調査、身辺素行調査、家出人捜索、逃げ出したペット捜索、盗聴器・盗撮カメラの発見――の一番下に「『ギフト』に関するお悩みご相談ください」としれっと書いてある。

「どうして……」

「せっかく『ギフト』持ちが二人もいるんだし、うちだから受けられる相談もあると思って。大丈夫、こちらが『ギフト』持ちだということは教えなくてもいいから」

「ええ……」

 せめて載せる前に一言欲しかった。確かに伊都は自分の『ギフト』が仕事の役に立てばと思ったけれど、いざその『ギフト』をアテにされると戸惑ってしまう。

「姉さん……」

 光留もこれは知らなかったらしい。呆れ半分、諦め半分の眼差しを華織に向けている。諦めないでほしい。

「いいじゃない。今は依頼も立て込んでないし、話だけでも聞いてあげれば。子供を邪険に扱うものじゃないわ。うちは見積、相談までは無料よ」

 華織はからりとした笑顔でそう言った。光留も渋々と行った様子で頷いた。

「うーん、そうだね。話を聞いてもらうだけでも安心して満足するかもしれないし、話を聞いた結果、探偵よりも警察や児相が必要なら、それはそれで」

 光留は受ける方に傾いたようだ。なんとなくそんな予感はしていたけれど、この姉弟、割とお人好しだ。

「お二人がいいなら、僕はそれでいいですけど」

 元より受けるなと言えるような立場でもない。

 それに、未来視の『ギフト』を持つ少年の家族に何が起こっているのか、全く興味がないかと言えば嘘になる。

「ところで、伊都くん。この子の相談を受ける前に、貴方にしてほしいことがあるのだけど」

 華織が改まった様子で、伊都を見つめる。

「え、何ですか?」

 伊都は心なしか緊張した顔で、華織を見返す。光留は「急に何?」と首をかしげている。

 華織は真顔で、財布から一万円を取り出した。

「この一万円で今すぐ美容室を予約して、そのぼっさぼさの髪の毛を切ってきなさい。客商売として、その髪はないわ。この一か月、伊都くんが直接お客様とやりとりしたことはないけれど、今後同席してもらうこともあるかもしれない。今後もこの仕事を続けるのなら、見た目はもうちょっと爽やかにしましょう。これは所長命令よ」

「え……ええ!?」

 確かに、半端に長く伸ばした伊都の髪は、お世辞にも整っているとは言い難い。料理の時は後ろをゴムで結んで、ヘアピンで目元を空ける。その程度にはもっさりしている。

 しかし、これは必要なのだ。目の前にヤミイトが出てきても、動揺しないための髪の鎧。

「あの、せめて、せめて前髪だけは許してください! 量は減らすから、必要な時はヘアピンで止めるので、どうか前髪だけは……!」

「……いいでしょう。今よりマシになればとりあえず許容するわ」

 いつも堂々としている女王のような華織だが、決して暴君ではない。彼女が一万円を握らせてまで髪を切らせようとしているということはつまり、それだけ伊都の見た目がヤバいということだ。

 前髪は整えるだけで許してくれるなら、と伊都は渋々一万円を受け取った。華織はスマホで即時予約できる池袋のサロンを探し出し、予約画面を伊都のスマホに転送してきた。決して逃さないという圧を感じる。

 ため息をつきながら肩を落としていると、華織はそっと伊都の前髪をあげて、くしゃくしゃと撫で始めた。

「あ、あのっ、何ですかコレ……」

「いい子いい子」

「そんなことされるような歳でないですよ!?」

 伊都だって、一応高校卒業済みの成人男性なのだ。たとえ相手が美女であっても、頭を撫でまわすのは勘弁してほしい。

 抗議をするように華織に目をやる。華織は笑ってはいなかった。むしろ真剣な眼差しを伊都に向けている。

「最終的には、前髪なんかに頼らず、自分の意思で前を向いて、顔を上げるようにしなさい。自分にはどうにもならないことで顔を隠してうつむく人生なんて、貴方に送ってほしくはないから」

 その言葉は、伊都の心の中にストンと小さな衝撃を持って落ちてきた。

 心配しているのだ、この人は。『ギフト』に人生を狂わされている伊都のことを。

「あのね、伊都くん。私はね、この探偵事務所はたとえ売り上げが悪くても続ける。この事務所を開いた元々の目的が、光留の『ギフト』のせいで巻き込まれる色々な事件に、自分たちで対処するためのものなの。伊都くんだってもううちの所員なんだし、『ギフト』のことで悩んでほしくない。だから、できることから始めましょう。まぁ、純粋にその髪型はないって思うのが本音だけど」

「あっ、はい……」

 とてもいいことを言っているのに、髪型を追加でディスられて伊都は神妙な顔になった。自分のモサ髪に慣れすぎて、普通の感覚がわからなくなっていた自覚はあるが、そこまで言われるとさすがに少し傷つく。

「姉さん、せっかくだから、伊都くんに服も買ってあげない? だって、ずっと二枚のTシャツとジーンズ、コインランドリーで洗いながらヘビロテしてるんだよ。正直ランドリー代で新しい服、買った方が早いよ。もうよれよれだし」

 光留が口を挟む。伊都はぎょっとして、慌てて首を横に振った。

「いえ、そこまでしてもらうわけには……!」

「これから『ギフト』に関する依頼も受けるなら、伊都くんにも表に立ってもらう機会が増えるし、ちゃんとした服を用意した方がいいよ」

「そうね。今のままだと、ちょっと表に出しづらいわ」

 光留と華織が、伊都をそっちのけで口々に言う。これはまずい。髪を切るだけではなく、全身コーディネートされるコースだ。

「僕はこのままでもいいんですけど……」

 おずおずと口を挟むと、二人の視線が伊都に集まる。

「「客商売」」

 姉弟の声が綺麗にシンクロした。

 撃沈。

「…………はい」

 伊都は心なしか身をすくめて、二人に従った。


 推定小中学生の依頼がやってきた、梅雨明け間近の七月某日。伊都は人生で初めてオシャレな美容室に行った。今まで行ったことがある、地元の理容室とは何もかもが違っていた。

 そして心なしかいい匂いになった髪を気にしながら、普段なら絶対に買わないであろう高額な綺麗目の服を買い与えられて震えあがった。それも上下それぞれ五着くらい買った。どうやって洗濯すればいいのかわからない。買うにしてもユニクロやGUでいいのに、どうしてデパートの紳士服売り場に行くのだろう。

 服を選んだ二人は満足気だったが、ただのバイト所員に与えるには、ずいぶんと過ぎたボーナスだったと思う。

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