第2話 初めての学校。

 チャイムが鳴って、昼休みになった。

仲がいい人同士で、机をくっつけ合って、グループになりながら、弁当を食べる。

「姫子ちゃん、いっしょに食べよう」

 早速、隣の女子からお誘いが来た。転校生に気を使ってのことだろう。

まさか、ぼくと食べるわけにはいかない。クラスは、どうしても、男同士、女同士になる。

 ぼくも仲のいい男子のグループと弁当を食べるのが、いつものことだ。

机を向かい合い、自分の弁当をかばんから出しながら、彼女を気になってみてみる。

しかし、弁当を出す気配がない。ということは、購買でパンを買ってくるしかない。

売店の場所は知らないはずだから、教えてあげようと、席を立って彼女聞いた。

「弁当を持ってきてないなら、購買に行くから、場所を教えてあげるよ。いっしょに行こう」

 ぼくにしては、かなり勇気がいる一言だった。彼女の回りにいた女子の目がぼくに集まる。

「大丈夫よ。もうすぐ、お弁当を持ってくるから」

 彼女は、ぼくだけそっと教えてくれた。だけど、その意味がわからない。

「それにしても、ちょっと遅いわね」

 彼女は、壁の時計を見ながら言った、その時だった。

「あっ、来たわ」

 彼女は、窓の外に目をやった。ぼくもそれにつられて顔を外に向けた。

すると、はるか向こうになにかが光って見えた。それが、段々近づいてきて、大きくなってきた。しかも、この教室に向かってくる。何事だ…… ぼくは、不安を感じずにいられなかった。

 彼女は、軽い足取りで、窓際まで来ると、窓を開けた。なにをする気なんだ……

ぼくは、他の友だちを無視して、彼女の隣に並んだ。

すると、その光りがこっちに向かって突進してきた。このままじゃ、窓にぶつかる。

 しかし、そうではなかった。その光は、窓にぶつかる寸前で止まったのだ。

「ちょっと、ニャン太夫、2分遅れてるわよ」

「姫さま、申し訳ありませんでしたニャ」

「ニャ、ニャン太夫さん?」

「正太さま、驚かせて、申し訳なかったニャ。姫さまに、お食事を届けにきたニャ」

 それは、小さな宇宙船だった。その宇宙船の窓を開けて、ニャン太夫さんが顔を出したのだ。そして、大きな包みを差し出した。

「ありがとう。もう、帰っていいわ」

「では、私めは、これにて失礼するニャ。姫さま、正太さま、ごきげんよう」

 そう言って、ニャン太夫さんは、宇宙船に乗ると、あっという間にどこかに飛んでいってしまった。

今のは、なんだったんだ…… てゆーか、クラスのみんなの前に、宇宙船とか、見せていいのか?

ニャン太夫さんも、堂々と姿を現してるし、いったい何を考えているんだ?

 しかし、彼女は、受け取った包みを手にすると、自分の席に戻っていった。

「ちょ、ちょっと」

「なに? いっしょに、お弁当を食べる」

「そうじゃなくて、ニャン太夫さんとか、宇宙船とか、みんなに見られて、どうするんだよ?」

 ぼくは、なるべく声を小さくしていった。

なのに、彼女は、まったく心配する素振りも見せず、笑いながら言った。

「大丈夫よ。みんなには、見えてないから」

「えっ!」

 ぼくは、絶句して周りを見ると、他の友だちは、何事もなかったように、話をしながら弁当を食べている。

彼女と食べる女子たちも、当たり前のように弁当を食べ始めていた。

 ぼくは、信じられないという顔で教室中を見るしかなかった。

「正太、なにしてんだよ。早く、食って、サッカーやろうぜ」

 いっしょに食べる男子たちに呼ばれて、席に戻った。

彼女は、その包みを開ける。その中から出てきたのは、まるで、おせち料理のような重箱が三段重ねだった。

「えーっ!」

「なにそれ?」

「姫子ちゃん、それ、お弁当なの?」

 女子たちの声を聞いて、男子や他の友だちも集まってきた。

机の上には、ものすごく豪華な弁当が並んだ。もう、弁当というレベルではない。

ご馳走という感じだ。運動会のときに、母さんが作る、弁当よりもすごい、

蓋を開けて、それぞれの重箱を開けると、定番のから揚げ、卵焼き、煮物やサラダから中華風のおかずに、洋風のおかずに、小さなおにぎりがぎっしり詰まっていた。

とても、一人で食べる弁当ではない。それ以前に、高校生の弁当というレベルじゃない。

「今日は、転校初日なので、挨拶代わりに作ってきました。皆さんもよろしかったら、食べて下さい。あたし一人では、食べきれないので、遠慮なくどうぞ」

 そう言って、重箱にパンパンに詰められている、豪華でおいしそうな弁当を差し出した。

「それじゃ、一つ、食べてみようかな」

「どうぞ、召し上がれ」

 男子の一人がそう言って、から揚げを一つ口に入れた。

「うめぇ!」

「マジか」

 別の男子が、卵焼きを一口食べてみた。

「マジ、うめぇよ」

 そう言うと、次々と彼女の弁当に箸が伸びた。

「ホント、おいしいわ」

「このサラダなんて、おいしすぎる」

「エビチリなんて、最高じゃん」

「これ、誰が作ったの? 姫子ちゃんのお母さん」

「ううぅん、違うわ」

「それじゃ、自分で作ったの?」

「えっと、執事じゃなくて、そのなんていうか…… とにかく、作ってもらったの」

 そういうしかないよな。まさか、執事のニャン太夫さんが作ったとはいえないよな。

それにしても、執事とはいえ、ニャン太夫さんが、こんなに料理が上手だとは思わなかった。

「正太くんも食べない?」

「ぼくは、もう自分の食べて、お腹一杯だから」

 別に信用していないわけではないけど、お腹一杯だったので断った。

ちょっと悪い気がしたけど、ぼくの分は、クラスの友だちに分けてやろうと思ったのだ。

 そうこうしているうちに、重箱はあっという間に空っぽになってしまった。

彼女も少しは食べたのだろうか? そこがちょっと心配になった。

 だけど、この重箱は、どうするんだろう?

持って帰るにしては、ちょっと荷物になりそうな気がする。

また、ニャン太夫さんが取りに来るのかもしれない。

 すると、彼女は、またしても謎の行動を取った。

空の重箱を元の包みに入れて、窓際に行くと、窓を開けた。

「ポコタ~ン」

 彼女は、そう叫んだ。今度は、ポコタンか!

ぼくは、彼女の隣に行って、空を見上げた。また、さっきと同じように、光がやってくるのかと思ったのだ。

ところが、いつまでたっても、光りも宇宙船もやってこない。

なのに、彼女は、空の向こうを見ている。今日も、天気がいい青い空が広がっているだけだ。

 すると、突然、ぼくの目の前になにかが降って来た。

「姫、お待たせ」

「ハイ、これ。おいしかったわよ」

「それは、よかった。ニャン太夫じいさんも喜ぶよ」

 そう言って、ポコタンに包みを渡した。

すると、ポコタンは、大きな丸い耳をピクピク動かすと、大きな包みを耳の中に吸い込んでしまった。

「それじゃ、また、後で」

「うん、ありがと、ポコタン」

 彼女とポコタンの普通の会話を聞いているぼくは、目が点になったままだ。

「正太さま、姫をよろしくお願いします」

 そう言うと、ポコタンは、ぼくの返事も待たずに消えてしまった。

なにが起こったのか、理解できないでいるぼくを横目で見ながら、窓を閉める彼女だった。


 食事が済むと、午後の授業までは、自由時間だ。

校庭でサッカーをする男子たち。仲良し同士でおしゃべりしている女子たち。

図書館で読書をする人もいる。彼女は、どうやって、この昼休みを過ごすんだろう……

ここは、転校初日だから、唯一の知り合いのぼくが、何とかするしかない。

「あのさ、まだ、学校の中を知らないだろ。案内してやるよ」

 なるべく彼女の目を見ないようにしていった。ぼくにしては、ものすごく勇気がいった。

「ありがと。それじゃ、お願いしようかな」

 彼女は、快くぼくについて来てくれた。

まずは、女子トイレと女子の更衣室。そのほかに、授業で使う、音楽室や理科の実験室や視聴覚室。教室をいろいろ見て回った。彼女は、興味深そうに見ている。

今日が初めてだし、学校なんて見たことないだろうから、一度で覚えきれない。

そのときは、ぼくが案内すればいいし、女子たちが助けてくれるだろう。

「姫さまもマール星で学校に行ってたの?」

「行ってたわよ」

「どんな学校だったの?」

「つまらないところよ」

 何気なく聞いた質問だったけど、彼女は、あっさり答えた。

でも、ぼくには、想定外の答えに、思わず足が止まった。

「地球の学校って、楽しいわね。マール星の学校って……」

 彼女は、廊下の窓から空を見ながら話し始めた。

「マール星の学校は、地球の学校みたいに、みんなで笑ったり、遊んだり、楽しく勉強するところじゃないの」

 ぼくは、彼女の言うことに、言葉が見つからなくて黙ってしまった。

そんなぼくを無視して、空を見ながら話を続けた。

「あたしも含めて、星の子供たちは、マール星のために勉強をするの。退屈で、つまらない学校だったわ」

 なんだか、聞いてはいけない話みたいだ。彼女の話しぶりが、さっきとは別人に見えるくらい静かな言い方だった。

「友だちはいたわよ。でも、さっきのみんなみたいに、笑ったり、おしゃべりしたりする関係じゃなかった。特に、あたしは、次期女王だからみんな姫って言うばかりで、楽しくなかったのよね」

 やっぱり、身分的なことで、どう付き合っていいのか、わからなかったんじゃないか。

そう思うと、彼女に少し同情してしまう。きっと、楽しく話が出来たのは、ポコタンとニャン太夫さんだけだったのかもしれない。そう思うと、ぼくは、胸が苦しくなった。

「正太くん。一つ、お願いがあるんだけど」

「う、うん、なに?」

「あたしのこと、姫さまって呼ぶのやめてくれないかな」

「えっ? で、でも、それじゃ、なんて呼んだらいい?」

「あたしは、正太くんて呼んでるでしょ。だったら、あたしも同じように呼んでほしいな」

「そ、そうか…… でも、キミは、お姫さまだし、やっぱり、姫さまのが……」

「地球に着てまで、姫さまなんて、呼ばれたくないの。他に呼び方ないかしら?」

 なるほど。確かに言われてみればそうだ。ここは、マール星じゃない。

ここは地球だし、姫さまって言われるのが、好きじゃないなら、

もっと、身近で、親しみがある呼び方のがいい。ぼくは、少し考えてみた。

 ぼくは、男だから、くん付けだ。女子なら、さんとか、ちゃんだろう。

でも、昨日知り合ったばかりで、しかも、お姫さまに対して、ちゃんはないよな。

「それじゃ、姫子さんていうのは、どうかな?」

「う~ん、まだ、堅そうね」

「それじゃ、姫子ちゃん……」

「ちょっと違うなぁ」

「だったら、姫ちゃんは」

「うん、それでいいよ」

「でも、失礼じゃない?」

「そんなことないわ。正太くんと姫ちゃんなら、ピッタリだわ」

 彼女は、そう言って、微笑んだ。でも、そんな呼び方したら、きっとニャン太夫さんに怒られるだろうな。

だけど、親近感があって、ぼくもその方がいいと思った。

「ねぇ、次は、どんな授業なの?」

 そう聞かれたので、ぼくたちは、教室に戻った。

壁に貼ってある時間割を見ると、次は、体育だ。

 そこで、ぼくは、あることに気がついた。彼女は、体操着を持っているのだろうか?

転校初日だから、持っているわけがない。でも、学校指定の女子の制服も着てるし

教科書やノートもちゃんと持っていた。だったら、体操着も持っているだろう。

「次は、体育だよ。体操着は、持ってる?」

「体操着? どんなの?」

 その答えには、正直想定外だった。どういう意味なんだろう?

「えーと、どんなのって言われても、なんていうか……」

「わからないと、着替えられないじゃない」

 そうか、知らないのか。宇宙人だもんな。しょうがない、だって、お姫さまだから。

といっても、ぼくは男だから、女子の体操着なんて説明できない。

 すると、ぼくたちの会話をそばで聞いていた、別の女子が、かばんから体操着を出して見せてくれたのだ。

「姫子ちゃん、これが、女子の体操着よ」

「ふぅ~ん、可愛いわね」

 彼女の感想も、よくわからない。紺の短パンに白い半袖のシャツが、可愛いとは、思えない。

「わかったわ。ありがとう」

 そう言うと、彼女は、教室を出て行った。ぼくは、慌てて後を追った。

「ちょ、ちょっと、どこに行くんだよ?」

「着替えるのよ」

「着替えるって、女子の更衣室は、向こうだよ」

 まったく逆の方向に歩いていくので、慌てて止めに入った。

「いいのよ。だって、更衣室で着替えたら、あたしが宇宙人なのバレちゃうじゃない」

「それじゃ、どこで着替えるの?」

「さっきの場所なら、人がこないから、ちょうどいいでしょ」

「さっきの場所って、屋上に行くところの踊り場のこと?」

「そうよ」

「そうよって……」

 彼女は、さっきの場所に向かって歩き出し、階段を途中まで登った。

「ダ、ダメだよ、こんなとこで着替えちゃ。人に見られちゃうよ」

「そのために、正太くんがいるんでしょ。誰か着たら教えてね」

「イヤイヤ、ぼくがいるじゃないか」

 着替えをするということは、服を一度は脱がなきゃいけない。

もちろん、人に見られたらと思うと、全力で止めなきゃいけない。

それ以前に、ぼくがいるじゃないか。

「なにを赤くなってるの?」

「えっ! あっ、イヤ、その……」

「フフフ、正太くんて、顔に出やすいのね。大丈夫よ、別に脱いだりしないから」

「脱いだりしないって……」

 いったいどういうことなんだろう? 制服の上から体操着なんて着れないし……

そう思っていると、彼女は、二つに縛ってある右の髪のリボンに指を入れた。

「これ、なんだと思う?」

 彼女は、手の平をぼくに見せた。

「よく見て」

 ぼくは、彼女の手の平をじっと見た。すると、マッチ棒よりも小さな棒の様な物が見えた。

「よく見ててね」

 彼女は、そう言うと、一度手を握った。そして、二回ほどその手を振った。

すると、握った手の中から、なにかが伸びてきた。

さらに振ると、それは、どんどん伸びていったのだ。ぼくは、彼女の手を見詰め続けた。

「これは、王家に伝わる、変身ステッキなの」

 あんなに小さかったのが、手を振るたびに大きくなって、バトンというか、ステッキほどのサイズなった。

余りにも不思議なことに、ぼくは、目を見開いて見詰めるしかできなかった。

「余り人には見せないんだけど、正太くんならいいかな」

 そう言うと、ステッキを手にすると、ぼくの前で、軽く回しながら、呪文のような

意味不明の言葉を言い始めた。

「ピーリカピリララ、体操着になぁれぇ!」

 すると、彼女の体が光に包まれた。まぶしくて、ぼくは、両手で目を覆った。

でも、指の隙間からそっと覗くと、彼女の首から下が七色に光って見えた。

しかし、それは、ほんの一瞬の出来事だった。眩しい光が少しずつ消えていくと

そこにいたのは、体操着姿の彼女だった。

「どう、似合う?」

 ぼくは、一瞬の出来事に返事も出来なかった。いったい、なにが起きたんだ……

目の前には、女子の体操着を着た彼女が立っていた。

紺の短パンに白い半袖シャツだ。まさか、変身? それじゃ、その制服も、それで変身したってことか?

彼女は、ステッキを握った手を、また、何度か振ると、今度はどんどん小さくなっていった。

 小さくなったステッキを指でつまんで、リボンの中に隠すと、ぼくに言った。

「ほら、正太くんも早く着替えないと、遅れるわよ」

 彼女の一言で、ぼくは、現実に戻った。ぼくも着替えて校庭に行かないと……

「それじゃ、先に行ってるわよ」

 彼女は、そう言うと、ぼくに手を振って駆け出した。そのとき、昼休みが終わるチャイムが鳴った。


 ぼくは、男子の更衣室で体操着に着替えると、急いで校庭に行った。

何とか時間に間に合って、ホッとした。他の生徒たちは、それぞれ体を動かしたり、話をしている。

 そうだ、今日の体育は、なんだっけ? ぼくは、それを考えていた。

そこに、体育の先生がジャージ姿で現れた。正直言って、体育は苦手だ。

特に走るのが苦手なのだ。だからといって、球技はどうかといわれても、決して得意ではない。

「それじゃ、全員整列」

 ぼくたちは、男子と女子に別れて、二列に並んだ。

「今日は、陸上の長距離をする。一応、タイムを計るけど、それは気にしないで、自分のペースで走ること」

 よりによって、長距離走か…… 一番嫌いな種目じゃないか。まいったなぁ……

ぼくは、肩を落とした。さり気なく彼女を見ると、ぼくに気がついたのか、軽く手を振って笑ってくれた。

彼女の前で、カッコ悪いところは、見せたくない。これでも、男のプライドが少しはある。

可愛い女の子の前では、カッコよくありたい。まして、お姫さまだ。彼女の言うことがホントだとしたらぼくは、彼女のお婿さんになるわけで、そんなぼくのカッコ悪いところなんて見たら、幻滅するだろう。

 別に、結婚したいとか、彼氏になりたいとか、そういう下心から言ってるわけではない。単純に、嫌われたくないから、そう思っただけだ。

 だけど、そのとき、あることに気がついた。彼女の運動神経は、どうなんだろう?

ぼくは、そっと彼女に近づいて聞いてみた。

「姫ちゃんて、走るのは得意なの?」

「得意じゃないけど、好きよ」

「足は、速いの?」

「少なくとも、正太くんよりはね」

「てことは、地球人より早いの?」

「もちろん」

 彼女は、そう言って、ニッコリ笑った。これは、まずいことになった。

ここは、一応、注意しておかないといけない。

「あのさ、余り本気に走ると、宇宙人てことがばれるから、適当に走った方がいいよ」

「わかってるわ。みんなに合わせて走るから」

 彼女は、そう言うと、Vサインを出して女子の列に走っていく。

ぼくは、彼女の後姿を見ながら、不安しかなかった。

 そんなことを思っていると、先生に呼ばれて、まずは、男子から走ることになった。走るのは、苦手だけど、少しは、いいところを見せたい。

 一周200メートルのグランドを5週走る。1000メートルの長距離走だ。

スタートラインに並ぶと、合図とともに走り始める。

 ぼくは、スタートダッシュをすることに成功した。先頭集団の人たちの中に入れた。

もちろん、先頭を走っている男子たちは、陸上部やサッカー部など、体育系の部活の人たちだ。

当然、ぼくが適う相手ではない。だけど、少しでも、彼女の前では、いいところを見せたかった思いで最初から全力で走った。そのおかげで、何とか先頭集団にくらいつくことが出来た。

 だけど、それも最初の一周までだった。日頃の運動不足が祟って、あっという間に息が切れた。

二週目に入ると、どんどん抜かれて、中断にまで順位が落ちていく。

 まずいぞ。このままじゃ、彼女の前で、赤っ恥をかくじゃないか。

しかし、そう思っても、足が思うように前に進まない。息は切れるし、苦しくなるし、足は重たくなる。

次々と抜かれて、三周目に入るころには、最後から数えたほうが早いくらいまで、順位が落ちた。

幸い、まだ、ビリではない。ぼくの後ろを走っている人たちは、太っている人や痩せている人、文科系の部活で運動が苦手な人たちがいた。一つでも順位を上げたい。

 四周目に入る頃には、足がガクガクしてきて、今にも歩き出しそうだ。

チラッと後ろを見ると、早い人たちが迫ってきた。このままじゃ、周回遅れになる。

いくらなんでも、それは、みっともない。ぼくは、息を切らしながらも必死に走った。

「正太くん、がんばってぇ!」

 そのとき、彼女の声が聞こえた。ぼくは、背中に彼女の声援を感じて、最後の力を振り絞った。

最後の五周目だ。ぼくは、ラストスパートのつもりで、駆け抜けた。

 ゴールに入ったときは、どうにか周回遅れにはならずにすんだものの、順位的には、ほとんど後ろだ。

ぼくは、その場に座り込んで、息をするのが精一杯だった。吹き出る汗を拭く余裕もない。

 自分の体力のなさを痛感する瞬間だった。もう少し、運動しなきゃと思った。

次は、女子が走る番だ。だけど、ぼくは、彼女を心配する余裕はなかった。

 合図でスタートする女子たち。男子たちが、女子を応援する声を聞いて、顔を上げると彼女は、後ろから三番目を走っているのが見えた。

「ウソだろ」

 思わず口から出た一言だった。あの彼女が、後ろから三番目を走るなんて、そんなバカな……

自然と彼女を目で追っていた。先頭集団からは、すごく離されている。

だけど、彼女を見ていると、明らかに楽しそうに走っているのがわかる。

笑顔で走っていた。決して、苦しそうな表情はしていない。

先頭を走る人たちは、必死の形相なのに対して、彼女は、笑っているのだ。

 二周目、三周目になっても順位は変わらない。

なんだかわからないけど、ぼくは、段々腹がたってきた。

息も落ち着いてきたぼくは、気がついたら立ち上がって、走っている彼女に向かって叫んでいた。

「姫ちゃ~ん、真面目に走れぇ~!」

 彼女に向かって声援を飛ばしている自分が不思議だった。

すると、彼女は、ぼくの声に気がついたのか、微笑んでVサインを出した。

 次の瞬間、ぼくは、信じられないものを見た。

彼女が、次々と前の選手を抜き去った。ごぼう抜きだった。前には、何人も人がいるのに、あっという間に抜いていく。真面目に走れとは言ったけど、本気を出せとは言ってない。

 四周目が過ぎる頃には、先頭集団に混じっていた。まずいぞ、このままじゃ、トップになってしまう。

先頭を走っているのは、陸上部の女子のキャプテンだ。足の速さでも有名な選手の一人だ。

 五周目に入ると、一位の選手に並んだしまった。トップを走る選手は、必死の形相だ。それに引き換え、彼女は、相変わらず走るのを楽しんでいるような爽やかな笑顔だった。そして、並んだかと思ったら、あっという間に抜いて、みるみるウチに差が広がった。

 結局、ぶっちぎりでゴールを切ってしまった。

「あちゃ~……」

 ぼくは、思わず頭を抱えた。しかし、そんな心配をしているぼくなど関係ないように、笑顔でぼくに近づいてくると、勝利のVサインを見せた。

しかも、まったくへっちゃらな様子だった。ゴールした人たちは、みんな苦しそうに息を切らしているしその場に座り込んでいる人や両手をひざについて、体を曲げている人ばかりだ。

そんな中、彼女一人だけが、汗一つかかず、息も切らしてなくて、余裕の表情なのだ。

さすが、宇宙人だと、ヘンなところで感心してしまった。

「本気を出しちゃダメって言っただろ」

「全然出してないけど」

 彼女は、平然と言った。この程度が本気じゃないって、本気を出したら、ドンだけ足が速いんだろう。

回りの人たちはもちろん、体育の先生もビックリして、声も出ない様子だ。

 ようやく、落ち着きを取り戻した先生が歩いてくるので、ぼくは、何気なく離れた。

「キミ、見ない顔だけど?」

「今日、転校してきたばかりの、丸星姫子です」

「転校生か。それにしては、足が速いね。どう、陸上部に入ってみない?」

 先生の声が聞こえて、ぼくは足を止めた。まさか、入部するとか言わないだろうな……

「すみません。走るのは好きだけど、競争するのは、余り好きじゃないんです。だから、入部はしません」

「そうか…… キミなら、インターハイを狙えると思ったんだけどな」

 先生は、ホントに残念そうだった。だけど、ぼくは、ホッとした。

彼女が本気を出して走ったら、きっと、優勝するだろう。でも、記録的には、常人じゃないから後で問題になるだろう。それは、なんとしても避けないといけない。

 彼女は、そう断ると、ぼくの肩をポンと叩いてこう言った。

「今度、正太くんといっしょに走りたいな」

「イヤイヤ、ぼくは、足が遅いから、無理だよ」

「あたしが、走り方を教えてあげるから、大丈夫よ」

「それって、魔法とか?」

「違うわよ」

 彼女は、そう言って、笑いながら女子の中に戻っていった。

その後も、短距離走とか走っても、彼女の走りっぷりは、すごかった。

陸上部の人たちも追いつかないのだ。なのに、ちっとも苦しそうじゃない。

走るのがホントに好きなのだ。彼女の表情を見ていれば、それがぼくにもわかる。

 そんなわけで、何とか体育の時間も無事にというか、ちょっとしたハプニングはあっても、終了した。

彼女は、他の女子たちにも感心されたみたいで、あっという間に人気者になっていた。

転校初日で、友だちが出来たみたいだった。このことは、後で、ニャン太夫さんに言っておこう。


 五時間目は、日本史の時間だった。初めての地球で、初めての日本という国の歴史なんてきっと彼女には、なにがなんだかわからないだろう。しかし、授業が始まると、彼女は、興味深々で先生の話を聞いていた。もしかして、感心があるのかもしれない。

 そんなこんなで、何とか一日の授業が終わった。とりあえず、大事にはならずにすみそうだ。

後は、掃除をしたら終わりだ。初めての彼女は、ぼくの真似をしてもらうことにしよう。ぼくは、教室の後ろにある、掃除用具入れの中から、ほうきを二本持ってきて、一本は彼女に差し出した。

「ハイ、これ」

「なに、これ?」

「なにって、ほうきだよ。今週は、ぼくは、教室の掃除当番だから」

 彼女は、机を片付けたり、床を掃いているクラスの人たちを見ながら言った。

「自分でやるの?」

 ぼくは、その一言に、絶句した。だけど、すぐにあることに気がついた。

彼女は、お姫さまなんだ。掃除なんて、自分でやるわけがない。したことがないんだ。

「それじゃ、今日は、ぼくがやるのを見てて」

 そう言って、ぼくは、床を履いて見せた。

彼女は、ぼくのやることに目をキラキラさせて見ている。そんな目で見るほどのことじゃないんだけど……

 少しやっていると、彼女もほうきを持って、見よう見真似で床を履き出した。

だけど、なんだか、申し訳なくなってきた。お姫さまに掃除なんてやらせていいのだろうか?

もしかしたら、ニャン太夫さんに、怒られるかもしれない。

「あの、やっぱり、姫ちゃんは、やらなくていいよ」

「いいの。今のあたしは、姫じゃないもの。みんなと同じ、この学校の生徒だもん」

 そう言うと、器用にほうきを使って、床のゴミを集めている。

なんだか、お姫さまのイメージが崩れていった。お姫さまといえば、わがままし放題で、回りの人たちを振り回して困らせている女の子って感じがしたけど、姫ちゃんは、違うようだ。ぼくの中で、また一つ、高感度がアップした。

 掃除が終わると、放課後になって、クラブ活動の時間だ。

ぼくは、どこにも所属していない、いわゆる帰宅部だ。彼女は、どこかのクラブに入るのだろうか?

とりあえず、彼女とは家が向かい同士なので、いっしょに帰ることにした。

その途中にでも聞いてみよう。

 だけど、女の子と並んで帰るなんて、今までにないことだ。

しかも、姫ちゃんみたいな可愛い女の子とだなんて、初めてのことで、緊張する。

その上、実は、星のお姫さまだ。ぼくのような、何のとりえもない、ただの人間としては、恐れ多くて、とても出来ることじゃない。

 なんとなく、並んで歩くのは、気が引けて、つい、少し後ろを歩いてしまう。

「どうしたの?」

 彼女は、振り向いてぼくに言った。でも、どう返事をしていいかわからず、黙ってしまう。

「正太くんて、ホントに正直なのね」

 彼女は、そう言って、少し笑った。その笑顔が、ぼくには眩しすぎる。

すると、彼女は、ぼくの方に来ると、なんと手を握ってきた。

それには、さすがのぼくもビックリして、心臓が口から飛び出そうだった。

「なんか、恥ずかしがってない?」

「イ、イヤ、別に……」

 そう言いながらも、実は、心臓がドキドキしている。

「正太くん、歩くの遅いんだもん」

 彼女は、笑いながら言った。彼女は、男子と手を繋ぐと言う意味をわかっているのだろうか?

そんなことを思っていると、目の前に、見たことある小さな宇宙船が下りてきた。

さっき、昼休みに見たのと同じだ。ということは、これは、ニャン太夫さんが乗っているのか。

「お帰りなさいませ、姫さま」

 思ったとおり、中からニャン太夫さんが顔を出した。

「正太さまも、お疲れさまでしたニャ」

 そう言って、ぼくたちに、丁寧にお辞儀をした。

「それで、なんの用なの?」

「何の用って、姫さまをお迎えに上がったニャ」

「あたしも子供じゃないんだから、大丈夫よ。それに、正太くんもいっしょだし」

 そう言われると、ニャン太夫さんも、それ以上何も言えなかった。

とにかく、ぼくたちは、彼女と並んで歩きながら、頭の上には、小さな宇宙船がついてきた。

「正太さま、姫さまとなにか、ありましたかニャ?」

「えっ?」

 いきなり聞かれて、ぼくは、思わず聞き返した。

そして、繋いでいた手を優しく離した。

彼女は、ぼくを見ると、フフッと軽く笑っただけだった。

繋いでいた右手が、なんだか温かく感じた。

 その後、なんとなく無言のまま、家に着いた。

「それじゃ、また、明日」

 ぼくは、そう言って、自分のウチに帰ろうとした。

「ねぇ、時間があるなら、ちょっと、ウチにこない?」

「イヤ、それは……」

「私からも、お願いするニャ。今日のことを教えて欲しいニャ」

 二人から言われると、断るのも悪いと思って、着替えてから行くと言った。

ホント言えば、今日のこととこれからのことを、話し合っておきたいと思っていた。

 ぼくは、急いで家に入ると、自分の部屋に行って、制服から着替えた。

外出するというわけではないけど、女の子の家に行くわけだから、何を着ようか考えていると窓が勝手に開いて、今度はポコタンが入ってきた。

「ビックリさせるなよ」

「ごめん、ごめん」

 水色の不思議な生物である、ポコタンは、いつも窓から勝手に入ってくる。

「学校の方は、どうだったの?」

「いろいろあったけど、何とか乗り切ったよ」

「姫は、大丈夫だった?」

「危なかったことはあったけど、大丈夫だよ」

 そう言うと、ポコタンは、ホッとした顔になった。小さかった目が、さらに小さくなった感じだ。

「なぁ、ポコタン、姫ちゃんて、どんな子なの?」

「ハァ? 」

 ポコタンは、首を傾げて、不思議そうな顔をしたように見えた。

そこで、ぼくは、学校でのことを簡単に話して聞かせた。

すると、ポコタンは、手を後ろに組んで、部屋の中をうろうろしながら、何か考えているようだった。

「やっぱり、おいらが心配してたとおりになったようだね。正太さまがいてくれて、ホントによかった」

 そう言うと、ポコタンは、ぼくの手を握って、うれしそうにブンブン振った。

どうやら、ぼくの不安な気持ちは、ポコタンにはわかってくれたようだ。

「ニャン太夫さんにもこれからのことを相談しに行くつもりだよ」

 そう言うと、ポコタンは、またしても困ったような顔をした。

「なんだよ、ダメなのか?」

「そうじゃないんだよ。ニャン太夫じいさんは、アレで年寄りだから、融通が利かないというか、頭が難いから、わかってくれるかわからないよ」

「そういうことか……」

 ぼくがガッカリすると、ポコタンは、また、ぼくの手を握ってこう言った。

「ぼくがなんとかするよ」

「頼むよ。ポコタンだけが頼りだ」

「イヤァ、正太さまにそう言われると、照れるなぁ……」

 ポコタンの顔が、少しピンク色になっている。

「それとさ、ぼくのこと、正太さまって言うの、やめてくれないかな」

「どうして?」

「様なんて、言うほど、えらくないし」

「だって、正太さまは、姫のお婿さんで、次期王になられる方で、そんな人になんて言えばいいんですか?」

「そういわれると、困るけどさ……」

 ぼくが腕を組んで考えていると、ポコタンが言った。

「それじゃ、殿下はいかがですか?」

「やめてよ。昔の刑事ドラマみたいじゃん」

「それじゃ、王子は?」

「ダメダメ。ぼくもがんばって、姫ちゃんて呼んでるんだから、正太くんでいいよ」

「イヤイヤ、そんなこと、恐れ多くていえないよ。ニャン太夫じいさんに怒られるよ」

「だったら、正太さんでいいよ」

「う~ん……」

 ポコタンは、また、難しい顔をして、部屋の中をうろうろ歩き始めた。

「わかりました。それでいきましょう。正太さんで呼ばせてもらいます」

「それでいいよ」

 なんとなく言いずらそうだったけど、ぼくだって、お姫様のことを姫ちゃんて呼ぶんだから

ここは、お互い様ということにしておこう。


 

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