第5話 初めての同居。

 その晩から、彼女は、姉ちゃんの部屋でいっしょに寝ることになった。

ぼくは、ニャン太夫さんとポコタンと寝ることになる。二人とも、小さな猫みたいなもんだから邪魔にはならない。

 ぼくは、着替えてベッドに入って、二人に言った。

「入ってきなよ。いっしょに寝よう」

 ぼくは、ふとんを捲って二人を誘った。だけど、二人は、もじもじするばかりで入ってこない。

「ほら、おいでよ」

「イヤイヤ、正太さまと寝るなんて、そんなことはできないニャ」

「おいらたちは、その辺で寝るから大丈夫だよ」

「何をいってんだよ。別に、なにかしようって言うんじゃないんだから、いっしょに寝ようよ」

「でも……」

 二人は、なかなかふとんの中に入ってこない。

「みんなで寝た方が、温かいんだよ」

 ぼくは、そう言うと、ベッドから起き上がると、二人を抱えてベッドにもぐりこんだ。

二人とも、縫いぐるみみたいなだから、触るとモフモフしている。

ぼくは、ギュッと抱きしめてみた。

「どう? 暖かいだろ。苦しくないか?」

「大丈夫だよ」

 ポコタンが言うので、抱きしめる手を緩めた。すると、ニャン太夫さんは、ふとんの中でもぞもぞ動いてぼくの枕元で丸くなった。やっぱり、猫は猫なんだなと思う。

ポコタンは、ふとんから顔を出して、ぼくの肩に頭を乗せてくれた。

「正太さん、おいら、地球に来てよかった。正太さんにも会えたし、お父さんやお母さん、お姉さんにも会えたしホントによかったと思ってるんだよ」

「そう言ってくれると、うれしいよ」

「ニャン太夫じいさんも、口数は少ないけど、同じだと思うよ」

「そうかな」

「そうだよ」

 ポコタンが小さく囁く。ニャン太夫さんは、すでに小さな寝息を立てて眠ってしまった。

「明日も学校だから、朝は早いから、寝ようか」

「うん」

「おやすみ」

「おやすみなさい」

 ぼくは、そっと目を閉じた。彼女も隣の部屋で寝ているかな。ゆっくり休めるといいな。

そう思っているうちに、いつの間にかぼくも眠ってしまった。


 翌朝、目が覚めると、ベッドの中には、ニャン太夫さんもポコタンもいなかった。

眠い目を擦りながら、ベッドから起きて、階段を降りる。

すると、キッチンから、楽しそうな声が聞こえた。

 一階に降りると、一気に目が覚めた。

「おはようございます、正太くん」

「お、おはよう……」

 そこには、彼女がエプロン姿で、母さんと朝食を作っているところだった。

寝起きでそれは、ないだろう。一瞬、夢かと思った。

「正太さま、おはようございます」

「正太さん、おはよう」

 ニャン太夫さんとポコタンが、茶碗や皿を運んでいる。なにをしてんだ……

「正太、学校に遅れるわよ。早く顔を洗ってきなさい」

 母さんに言われて、我に返る。ぼくは、急いで洗面所に行って、顔を洗う。

すると、トイレから姉ちゃんが出てきた。

「正太、起きるの遅いよ。姫子ちゃんなんて、6時に起きてるのよ」

 ぼくは、ビックリして声が出ない。急いでキッチンに戻った。

「おはよう」

 今度は、書斎から父さんが出てきた。朝から起きてくるなんて、珍しいこともあるもんだ。この時間は、寝ているはずなのに……

「お父さま、おはようございます」

「おはよう、姫子ちゃん。起きるのが早いね」

「ハイ、朝食を作るのをお母さまに教わっているんです」

「偉いねぇ」

 そう言いながら、父さんは、新聞を持って、いつもの席に座る。

「お母さん、ご飯は……」

「ちょっと待ってなさい」

「お姉さま、すぐに作りますわ」

「悪いわね、姫子ちゃんにやらせて」

「そう思ったら、お姉ちゃんもたまには手伝ったら」

「私は、料理は作れないもん」

 そう言って、姉ちゃんもいつもの席に座って、勝手にお茶を入れて飲んでいる。

ぼくは、まだ夢を見ているんだろうか? 朝から家族全員が揃って朝食を食べようとしている。

こんなこと、ぼくが、まだ幼稚園だった頃以来だ。姉ちゃんも父さんも、いったいどうしたんだ?

「ハイ、出来上がり。姫子ちゃん、ありがとうね。さぁみんなで食べましょう」

 母さんが味噌汁をお椀に注ぎ、彼女がご飯をよそってくれる。

ニャン太夫さんがハムエッグが乗った皿をテーブルに置き、ポコタンがお漬物だとか納豆だとか海苔だとかを並べている。そして、彼女と母さんも席に座る。ニャン太夫さんとポコタンは、ふわふわ浮いた状態で全員が朝食を食べる。

「それじゃ、いただきます」

「いただきます」

 母さんの一言に、全員で朝の挨拶をしてから、それぞれご飯を食べ始める。

彼女は、姉ちゃんに教えてもらいながら、納豆をかき混ぜている。

宇宙人に納豆なんて食べさせていいのか? お姫さまが、白菜の漬物なんて食べるのか? 朝からいろいろと、疑問が沸くが、もう、考えることはやめよう。

「これは、おいしいですね」

 彼女は、納豆をご飯に載せて食べている。

「でも、食べるのが難しいです」

「いいのよ。初めてだもんね」

 姉ちゃんがおかしそうに笑う。あの姉ちゃんの笑った顔を見るのも、久しぶりだ。

大学生になってから、ほとんどすれ違いで、会話すらしなくなったのに、笑っているのだ。

「姫子ちゃんは、ハムエッグは、ソースか、醤油か、ケチャップか、塩かどれにするかね」

 父さんも父さんだ。こんなに早い時間に起きてきて、みんなと朝食を食べている。

たまに食事をしても、無口で滅多に口を開かないのに、自分から話しかけている。

「これは、おいしいニャ。玉子が、トロトロしてるニャ」

 ニャン太夫さんは、お皿を持ってペロペロ舐めている。

「ニャン太夫じいさん、行儀悪いよ」

「これは、私としたことが、失礼したニャ」

 ポコタンに注意されて、ニャン太夫さんが頭をかいた。

「構わんよ。自分の好きに食べればいいんだ。ニャン太夫さんは、玉子が好きなのか?」

「なんともいえない味がするニャ」

 ニャン太夫さんが笑う。ポコタンもハムを一生懸命千切って食べている。

「ポコちゃん、落ち着いて食べなさい」

「だって、おいしいんだもん」

 ポコタンは、ハムを口一杯に頬張っていた。

「この味噌汁は、いつもと違うんじゃないか?」

「それは、姫子ちゃんが作ったのよ」

「ほぉ、だから、今朝の味噌汁は、一味違うんだな」

 母さんと父さんが朝から会話するなんて、見たことがない。いったい、どうしたんだ……

「白いご飯というのは、おいしいんですね」

「そうね。これから、毎日、お腹一杯食べてね」

「ハイ」

「ご飯も一杯あるからね。お代わりは?」

「ハイ!」

 なんと、ぼく以外の全員が、茶碗を差し出した。ぼくは、余りの変わりように、箸が止まってしまった。

どうしたんだ、朝から…… みんな、朝から元気すぎるし、よく食べる。

「お腹一杯ニャ」

「お母さま、ご馳走様でした」

 ニャン太夫さんとポコタンが母さんにうれしそうに言った。

「よかったわ。たくさん食べてくれると、うれしいわ」

 母さんが朝から笑っている。いつもの母さんじゃないみたいだ。

「ご馳走様でした」

 彼女は、そう言って、手を合わせると、食器を流し台に持っていく。

ポコタンとニャン太夫さんが、食器を洗っている。

「ありがとうね。助かるわ」

「お母さまのお役に立てて、光栄ニャ」

「これくらい、手伝わないといけないです」

「正太もいつまでも食べてないで、早く着替えてきなさい。姫子ちゃんも、着替えていいわよ」

 ぼくは、残ったご飯を急いでかきこむと、部屋に戻って制服に着替えた。

姉ちゃんは、一足早く大学に行くために着替えてきた。

「それじゃ、先にいくわね。姫子ちゃん、またね」

「ハイ、いってらっしゃい」

 姉ちゃんが出て行くと、父さんが彼女に言った。

「朝からうまいもんを食べたから、いいもんが書けそうだよ」

「そうですか。それは、よかったです」

 そう言って、父さんは、書斎に戻る。

「待って下さい、お父さま。これは、お昼のお弁当です。よろしかったら、食べて下さい」

「ありがとう。あとで、いただくよ。もしかして、これも姫子ちゃんが作ったのか?」

「お母さまといっしょに作りました」

「そうか。食べるのが楽しみだな」

 父さんは、弁当を持って、マンガ風に言えば、ルンルン気分で書斎に戻っていった。制服に着替えたぼくたちに、母さんが弁当を渡してくれた。

「ハイ、お弁当よ」

「ありがとうございます」

「お昼もしっかり食べるのよ」

「ハイ、いただきます」

 彼女と母さんの会話を聞いていると、ウチの雰囲気がガラッと変わったみたいに感じる。

「いってきます」

「ハイ、いってらっしゃい」

「姫さま、正太さま、気をつけるニャ」

「早く帰ってきてね」

 ぼくたちは、母さんたちに見送られて学校に向かった。

並んで歩いているときに、それとなく聞いてみた。

「昨日は、寝られた?」

「うん、あんなふとんで寝るのは、久しぶりだったから、よく眠れたわ」

「今までは、どうやって寝てたの?」

「ずっと、宇宙船の中で冬眠してただけだからね」

 そうか、そういうことか。それなら、横になって寝られるのは、うれしいだろう。

「それに、お姉さまといろんな話をしたわ」

「えっ! どんな話?」

「地球の話とか、正太くんの話とか、いろいろよ」

「ぼ、ぼくの話? 姉ちゃん、なんか言ってた」

「そうねぇ…… 正太くんは、頼りないから、面倒を見てやってくれって言われたわ」

「そういうことかぁ……」

 ぼくは、ガッカリして肩を落とす。

「でも、あたしは、そう思わないわ。学校でも、お家でも、正太くんは、しっかりしてるから、大丈夫って言ったわ」

 彼女に言われても、なんか褒められている気がしない。それは、自分でも、頼りないことを自覚しているからだ。 

「正太くん、元気出してよ。あたしは、正太くんのこと、すごく頼りにしてるのよ」

 そういわれても、ぼくには、特技も自慢できることもない。

「あたしね、正太くんの家にいられて、すごくうれしいのよ。みんな優しくて、親切にしてくれるし家族って感じがするの」

「姫ちゃんにだって、家族はいるじゃないか」

「でも、父も母も忙しくて、正太くんの家族みたいなことはないわ」

 確かに、王様と女王様という立場なら、星の存続とか、いろいろと忙しいだろう。

「だから、これから、正太くんのウチで暮らせるのが、楽しいの」

「よし、わかった。姫ちゃんのために、ぼくもがんばるよ。これからもいろんなことを教えてあげるね」

「うん、楽しみにしてるわ」

 ぼくは、気を取り直して、自分に出来ることをやろうと思った。

学校に近づくに連れて、同じ学校の生徒が増えてくる。同じクラスの友だちと朝の挨拶をしたり仲がいい人同士で、おしゃべりしながら登校する、いつもの風景だ。

彼女も、女子に混じって、楽しそうに話をしながら歩いている。

 そんな彼女の後姿を見ると、ホッとするというか、微笑ましいというか、安心した。ぼくも仲がいい男子たちと話をしながら歩いた。

 今の男子たちの間の話題といえば、彼女に好きな人がいるのかどうかということだった。

もちろん、それは、ぼくなのだが、それは秘密だ。ぼくは、なんとなくその話題を振られると笑って誤魔化すしかなかった。

彼女に直接、告白する人も、そのウチ現れるだろう。そのとき彼女はどうするのか?

ちょっと心配でもある。


 教室に入っても、彼女の周りには、常に人が集まっていた。クラスの人気者だ。

男女を問わずに明るく笑う彼女には、華があるとしか思えない。

誰にでも優しく接して、笑顔が耐えないという感じだ。彼女が転校するまでのクラスは、仲がいい人同士でグループが出来て、それぞれの仲間同士でしか話をしていなかった。

決して、暗いとかはない。どちらかといえば、明るいクラスだ。イジメなどもないし、仲間ハズレにされるような人もいない。だけど、やっぱり、それぞれのグループ同士でしか話をしない感じで、男女の間もなんとなく壁があった。

 それが、彼女が着てからは、そんな壁が消えた気がする。

グループ同士の壁もない。みんなが、それぞれ楽しく話をしたり、男女の区別なく仲良くなった気がする。

これも、彼女のせいなのだろうか? 転校してきて、今日が二日目だというのに、とてもそんな気がしない。

前から同じクラスにいたような感じさえする。ウチの家族の雰囲気が変わったのと同じでクラスの雰囲気もガラッと変わった。それを感じるのは、ぼくだけなのだ。

他の友だちは、まったく感じることはなかった。

 授業が始まっても、彼女は、先生の話をよく聞いて、ノートを取ったり、発言や質問もして、とても真面目な授業態度だった。ぼくは、感心するばかりで、彼女を見ていると、自分もやる気が出てきた。

 昼休みになると、母さんが作ったお弁当を広げて、女の子同士で楽しそうにおしゃべりしながら食べている。

弁当の中身も、ぼくと彼女とは違う。疑われないようにする、母さんの気遣いに感謝だ。

 休み時間になると、彼女は、校庭にいると思ったら、姿が見えない。

男子に混じって、サッカーでもやってると思った。でも、そこには、いなかった。

 少し心配なので、ぼくは、彼女を探しに校内を歩いてみる。

しかし、どこにもいないのだ。どこにいるのか? 屋上にもいないし、音楽室にもいない。体育館にもいないし、職員室にもいなかった。

 そんな時、たまたま三階の図書室の前を通ったときだった。

廊下の窓から中を見たら、彼女がいた。本を読んでいるのか? だけど、地球の本なんて読めるのか?

不思議に思って、ドアを開けて中に入ってみた。そして、邪魔をしないように、静かに歩いて彼女の後ろからそっと読んでいる本を覗いた。だけど、文字ばかりでよくわからない。わかるのは、ハードカバーの本で、小説だということだけだ。

「あら、正太くん」

 彼女は、ぼくの気配に気がついて、振り向くとそういった。

「ごめん、邪魔して。何の本を読んでるの?」

「もちろん、正太くんのお父さまの本よ」 

「えっ!」

 ぼくは、ビックリして、思わず声が出てしまった。まさか、父さんの本を読んでいたとは思わなかった。

一度も読んだことがないぼくとしては、なんて言ったらいいのか言葉が見つからない。

「お父さまって、すごい本をお書きになるんですね。もう、夢中でやめられないわ」

 そんなにおもしろいのか? マンガしか読んだことがないぼくとしては、なんとも言いようがない。

「犯人が誰なのか、全然わからないわ。みんな怪しく見えます」

 推理小説らしい。ぼくは、かける言葉を頭をフル回転して考えた。

「おもしろいなら、よかった」

 なんと言うか、当たり障りのない、いたって普通のなんてことがない言葉だ。

そのとき、昼休みの終わりのチャイムが鳴った。

「残念。もっと読みたかったわ。続きは、お家に帰ってから読むわ」

 彼女は、しおりを挟んで、本を閉じると、立ち上がった。

「授業が始まるわ。正太くんも行きましょう」

 彼女は、本を片手に図書室を出て行く。ぼくは、呆気に取られるようにして、慌てて後に続いた。

午後の授業も彼女は、真面目に聞いている。彼女は、勉強が好きなのかもしれない。

 そういや、来週は、中間テストがある。テストは、理解しているのかな?

後で聞いてみようと思う。午後の授業も終わり、教室の掃除を分担しながら、みんなとやっている。

なんだか、ぼくの出番がなくて、ちょっと残念な気がした。

 なんにしても、彼女の適応能力は、すごい。何でも、すぐに馴染んでしまう。

それも、宇宙人としての、特殊能力なのかもしれない。

 学校が終わると、ぼくは、彼女と帰宅する。彼女は、クラブ活動とか興味はないのかな?

もし、入りたいのなら、入ってもいいと思うんだけど……

「正太くん、学校って、おもしろいわね」

「そう? ぼくは、勉強が嫌いだから、余りおもしろくないけどね」

「そうなの? あたしは、勉強って好きよ。地球のことをもっと知りたいもの」

「そういえば、来週は、中間テストだよ。テストってわかる?」

 そう言うと、彼女は、首をかしげた。しかし、テストというのを上手く説明できない。

「テストって言うのは、今まで授業で勉強したこと問題を解いて、答えを書くんだよ。正解だと100点なんだよ」

「なるほど。マール星でも、そんなことしてたから、なんとなくわかるわ」

「マール星でもテストってあるの?」

「あるわよ。問題は、地球と全然違うけどね」

 彼女は、そう言って、小さく笑った。いったい、宇宙人がやるテストって、どんな問題なんだろう?

とても地球人のぼくには、思い付かない。

「ただいま」

 彼女は、元気よくそう言って、ドアを開けた。

「お帰り、姫子ちゃん」

 なんと、父さんがぼくたちを出迎えた。それだけではない。庭を見ると、ニャン太夫さんとポコタンが、

洗濯物を取り込んでいた。

「お帰りなさいませ、姫さま、正太さま」

「お帰り、姫」

 二人は、当たり前のように、洗濯物を取り込むと、それを床に広げて、畳み始めた。

「ちょって、二人とも、なにしてるの?」

「お父さまに教わって、洗濯をしたニャ」

「そうだよ。二人とも、よく手伝ってくれて、大助かりだ」

 父さんが、笑っている。ニャン太夫さんとポコタンもシャツやタオルをきれいに畳んでいる。何で、宇宙人が洗濯してるんだ……

「ニャン太夫、ポコタン、あたしにもやらせて」

「姫さまもやるニャ?」

「洗濯は、楽しいよ」

 二人のやるのを見て、彼女も見よう見真似で始めた。お姫さまが、洗濯物を畳んでいる。

そんなことさせていいのだろうか…… 呆然と見ているぼくとは反対に、父さんはうれしそうに笑っている。

「洋服がきれいになるのは、気持ちいいですね」

「姫子ちゃんも、おしゃれな服が似合いそうだな」

 父さんがそんなお世辞みたいなことを言った。頭がどうかしたのかと思った。

口下手な父さんが、そんなことを言うなんて、信じられない。

 なんにしても、三人で家事を手伝ってもらえば、母さんが楽になる。

洗濯物を畳んで、父さんの指示を聞きながら、それぞれのタンスにしまう。

「あっ、そうだ。お父さま、この本を読んでます。とてもおもしろいです」

「読んでくれているのか。それは、うれしいな」

 父さんが不気味なくらい、うれしそうな顔をした。そんなだらしがない顔は、見たことがない。彼女に褒められたのが、余程うれしかったらしい。

「その本は、キミには、少し難しいと思ったけど、おもしろいならよかった」

「これから、続きを読ませてもらいます」

 彼女は、そう言うと、二階の姉ちゃんの部屋に行ってしまった。

「正太さま、今日の姫さまは、どんな感じだったニャ?」

「どうって…… 楽しそうだったよ」

「そうですか。それは、よかったニャ」

 ニャン太夫さんは、ホッとしたような顔をして、何度も頷いている。

そこに、母さんが帰ってきた。

「お母さま、お帰りなさいませニャ」

「お帰りなさい」

「ハイ、ただいま」

 ニャン太夫さんとポコタンが迎える。母さんは、重たそうにしている買い物袋をテーブルに置く。

「洗濯物は、取り込んでおいたニャ」

「それと、トイレとお風呂も掃除したよ」

「あらまぁ、ありがとうね。それじゃ、これは、ご褒美ね」

 そう言うと、母さんは、買い物袋の中から、大きな飴を出して、二人の口に入れた。

「これは、甘くておいしいニャ」

「お母さん、これは、なんていうの?」

 ポコタンは口一杯に飴を舐めながら聞いた。

「これは、キャンディーって言うのよ。甘いでしょ。姫子ちゃんにも上げてきたら」

「そうでしたニャ。姫さま、姫さま……」

 ニャン太夫さんが彼女を呼んできた。本を片手に降りてきた彼女の口にも、飴を一つポンと入れる。

「お母さま、とても甘くておいしいです」

「でしょ。夕飯まで、それを舐めててね」

 母さんもうれしそうだ。だいたい、甘いものなんて、ウチでは、余り食べない。

それが、飴を買ってくるなんて、ちょっと信じられない。

「正太も食べる?」

「えっ、あぁ…… それじゃ、一つ」

 遠慮がちに言うと、母さんが口の中に飴玉を入れた。

そういえば、飴なんて舐めるのは、ものすごく久しぶりな気がする。

子供の頃以来かもしれない。それよりなにより、ぼくが学校に行ってる間に、ニャン太夫さんとポコタンが洗濯だけでなく、掃除までしていたとは、思わなかった。

「お母さま、今夜の食事は、何ですかニャ」

「今夜は、すき焼きよ。お肉もたくさん買ってきたから、一杯食べてね」

「すき焼きですか?」

 彼女が、不思議そうに言いながら顔を傾げた。

「きっと、おいしいから、楽しみにしていてね」

 母さんが言うと、買ってきた物を冷蔵庫に入れる。

「お母さま、あたしもお手伝いします」

「私もやるニャ」

「おいらもやるよ」

「あらあら、みんな、ありがとうね。それじゃ、頼もうかしら。みんなで作ると、おいしいわね」

 そんなわけで、よってたかって、すき焼きの準備を始めた。

なんか、みんな楽しそうだ。ぼくだけ、蚊帳の外みたいな気がする。

だからといって、料理は、下手だから、仲間に入ろうとは思わない。

 ご飯が炊けたところで、テーブルにカセットコンロを乗せて、火をつける。

母さんがやるのを三人は、じっと見ている。母さんは、手際がいいのだ。

 鍋を乗せて、醤油と酒と砂糖にみりんを加えて、割り下を入れる。

少しグツグツしてきたところに、肉を入れるわけだが、その前に母さんが言った。

「正太、お父さんを呼んできて」

 せめて、それくらいはしようと思って席を立とうとすると、彼女がそれを止めた。

「あたしが呼んできます」

 そう言うと、彼女は、書斎に小走りでいった。

少しすると、父さんが彼女とやってきた。

「うまそうなニオイがすると思ったら、今夜は、すき焼きか」

 父さんは、うれしそうに言った。だけど、頭は、ボサボサのままだ。

そのジャージは、昨日と同じだから、着替えた方がいいと思う。口は出せないけど……

 そこに、タイミングよく、姉ちゃんも帰って来た。

「ただいま。お腹、空いた。お母さん、ご飯は?」

「お帰りなさい、お姉さま」

「お姉さま、お帰りなさいニャ」

「今夜は、すき焼きだよ」

 三人に出迎えられると、ぐつぐつ煮える鍋を見て、姉ちゃんもうれしそうだった。

「ニャン太夫さん、ポコちゃん、野菜を順番に入れて。姫子ちゃんは、みんなの分の卵を割ってちょうだい」

 三人は、ものすごく慎重に、そして丁寧に、野菜を入れたり、豆腐を並べたり、卵を割っている。

「姫子ちゃん、卵を割るの上手じゃない」

「初めてなので、難しいです」

 姉ちゃんに褒められて、彼女もうれしそうだ。しかし、やはり、お姫さまなのか、卵を割ったことがないとはお嬢様って感じがする。

「それじゃ、みんな、席についたら、卵を混ぜて、食べていいわよ」

「いただきま~す」

 みんなは、声を揃えて手を合わせると、手を伸ばした。

「お肉もたくさんあるから、一杯食べてね。卵を付けて食べるのよ」

「姫ちゃん、こうやって食べるんだよ」

 まずは、お手本にぼくが食べて見せた。

すると、三人は、ぐつぐつ煮える鍋におそるおそる箸をつけて、肉を卵に付けて一口食べた。

「おいしい!」

「うまいニャ」

「こんなの食べたことないよ」

 そう言うと、三人は、箸が止まらない。姉ちゃんも父さんも負けてない。

「ちょっと、ニャン太夫さん、それは、私のお肉よ」

「お姉さま、お言葉を返すようですが、それは、私が先に…… って、ポコタン、それは、私の肉ニャ」

 肉の争奪戦をしていたそばから、ポコタンに肉をとられて、ニャン太夫さんが注意する。

「ニャン太夫、ポコタン、行儀が悪いですよ」

「これは、すみませんでしたニャ」

 彼女に怒られて、二人が静かになる。

「そういう、姫子ちゃんも、ご飯粒がついてるわよ」

「あら、あたしとしたことが……」

 顔が赤くなる彼女が、また、一段と可愛い。

「ケンカしないで、なかよくね」

 母さんに言われると、全員が楽しくおしゃべりしながら楽しい夕食だ。

彼女も肉とご飯をおいしそうに頬張っている。

こんなに大勢で食事をするのは、久しぶりだった。家族全員が揃っての夕飯も久しぶりなのに笑って、しゃべって、ワイワイ言いながらの食事は、ぼくも楽しかった。

「ニャン太夫さんも野菜も食べなさい」

「お姉さまも肉ばかり食べると、太るニャ」

「二人とも、落ち着いて食べないと、体に悪いぞ」

「ご飯をお代わりする人は?」

「ハイ」

 三人はもちろん、姉ちゃんまで、ご飯をお代わりする。珍しいこともあるもんだ。

いつも、ダイエットとかいって、小食の姉ちゃんまでが、みんなに釣られてたくさん食べている。

父さんは、そんなぼくたちをうれしそうに見ながら、ビールを飲んでいる。

母さんも次々と、肉や野菜を鍋に入れる。ぼくも負けずに食べないと遅れる。

 そんなわけで、今夜の夕食は、みんなお腹一杯食べた。

それ以上に、楽しい夕食だった。母さんと彼女たちが、後片付けをしているのを見ていると姉ちゃんがパンパンに膨れたお腹を摩りながら言った。

「正太、こーゆー風景もいいわね。早く、結婚しちゃいなよ」

「何を言ってんだよ」

「いいもんだよな。母さんとお嫁さんが仲良くしているのを見るのは……」

 父さんまで、なにを調子に乗ってんるんだ。酔っ払ってるのか?

「お腹一杯になったから、お風呂入ろう。姫ちゃんもお風呂にいこう」

「ハイ。あたし、お風呂が好きになりました」

 彼女がうれしそうに言った。

「正太。ヘンな想像しちゃダメだからね」

「しないよ。そんなもん」

 ぼくは、姉ちゃんに強く否定した。だけど、顔が熱くなっているのが、自分でもわかった。

二人が浴室に行くと、ぼくは、お茶を飲みながら息をついた。

「それで、どうなの。姫子ちゃんとはうまくいってるの?」

 母さんも自分でお茶を入れながら聞いてきた。

「普通だよ」

「普通じゃダメだろ。姫子ちゃんは、地球が初めてなんだぞ。お前がしっかり見てやらなきゃ可哀想だろ」

 父さんまでが、ぼくに言ってきた。だけど、他に言いようがない。

「イヤイヤ、正太さまは、姫さまのことは、よく考えているニャ」

「そうだよ。正太さんは、姫と仲良くしているから、大丈夫だよ」

 ニャン太夫さんとポコタンがフォローしてくれるけど、それはイマイチ頼りないってことの証拠じゃないか。

「それならいいけど、お母さん、ちょっと心配だわ」

「まぁ、いいじゃないか。若い者同士、仲良くしてくれれば、それに越したことはない」

 父さんは、そう言うと、書斎に戻っていった。

風呂上りの彼女を見ると、また、顔が赤くなるので、ぼくは、二人がお風呂から出るまで、自分の部屋に戻ることにした。

 椅子に座って、机に頬杖をついて、ボーっとしてると、ニャン太夫さんとポコタンが入ってきた。

「正太さま、お母さまやお父さまの言うことは、気にしなくていいニャ」

「いいよ。慰めてくれなくても。自分でも、もっとしっかりしなきゃと思ってるんだから」

「そうでもないよ。おいらたちは、正太さんのこと、すごく信頼してるんだよ」

「ポコタンのいうとーりニャ。私たちが、こうして地球にいられるのは、正太さまのおかげニャ」

「確かにそうかもしれないけど、姫ちゃんには、ぼくよりもっといい男の方がいいと思うよ」

「何をおっしゃいますか。正太さまは、もっと自信を持つニャ」

 ニャン太夫さんに言われても、ぼくは、ため息しか出なかった。

そこに、ドアをノックして、彼女が入ってきた。

「お風呂空いたわよ」

 そこに立っていたのは、お風呂上りでピンクのパジャマを着た彼女だった。

かなりドキッとした。濡れた髪をタオルで拭きながら、顔がまだピンク色に火照っていた。

「う、うん……」

 ぼくは、それしか言葉が出てこなかった。こんなことからして、男として情けない。

「あたし、お父さまの本の続きを読んでるから、出たらお部屋に来て」

「わかった」

 そう言うと、彼女は、姉ちゃんの部屋に入っていった。

心臓がドキドキして止まらない。ぼくは、何度か深呼吸して立ち上がると、風呂場に向かった。

「ニャン太夫さん、ポコタン、いっしょに風呂にいかない?」

「私は、遠慮するニャ」

「それじゃ、おいらは、行くよ」

 結局、ポコタンと風呂に入ることになった。

「どうしたの? さっきから元気ないけど、まだ、気にしてるの」

「そうじゃないよ。姫ちゃんを見ると、ドキドキするんだよ」

「そろそろ慣れた方がいいよ。これからもいっしょに住むんだから」

「わかってるけどさ、姫ちゃん、見た目が可愛いだろ。まだ、女の子に慣れてないから、ドキドキするんだよ」

「そこが、正太さんのいいところかもしれないね」

「そうかなぁ……」

「姫は、そんな正太さんを好きになったんだよ」

 ポコタンはそう言うと、お湯の中に潜った。どうやら、ポコタンは、風呂が気に入ったらしい。

ぼくは、風呂から上がると、パジャマに着替えて、姉ちゃんの部屋に行った。

「入るよ」

「どうぞ」

 中から彼女の声が聞こえた。中に入ると、ふとんに座って、父さんの本を読んでいるところだった。

「アレ? 姉ちゃんは」

「下で、テレビを見てるわ」

 部屋で二人きりで、しかも、二人ともパジャマというのは、とてもじゃないけど、真っ直ぐに彼女を見られない。

「正太くんにお願いがあるんだけど……」

「な、なに?」

「明日は、日曜日で、学校がないでしょ。だから、連れて行って欲しいところがあるんだけど……」

「別にいいよ。どこに行くの?」

「地球の海とか山とか見たいの」

 そういうことか。まだ、海とか山とか見たことないんだ。

「それなら、電車で一時間くらいで行けるよ」

「よかった。それじゃ、お母さまに言って来るわね」

 そう言うと、彼女は、本を閉じると、部屋を出て一階に降りていった。

いったい、母さんに何を言うんだろう? しばらくすると、彼女が戻ってきた。

「お母さまが、お弁当を作ってくれるって。それと、お姉さまが、海までの行き方を教えてもらいました」

 そう言って、メモを見せてくれた。確かに、ウチからの電車の乗り換えや、現地までの行き方など細かく書かれていた。しかも、そこは、山もあるので、地球の自然を彼女に見せる絶好の場所だ。

「明日が楽しみです」

 彼女は、目をキラキラさせていった。ただでさえ、可愛いパジャマ姿なのに、そんな目をされたら男として、心臓が爆発しそうだ。

「それでね、帰りは電車に乗ってみたいんだけど、行くときは、飛んで行こうよ」

「飛んで?」

「そう。空を飛んで行くの」

「ハァ?」

 もう、わけがわからない。空を飛んでいくって、そのままなら、空を飛ぶって言うことだ。もちろん、ぼくは、飛べない。どうやって、行くんだ?

「イヤ、あのさ、ぼくは、地球人だから、空は飛べないんだけど」

「大丈夫。あたしに任せて」

「でもさ……」

「もしかして、正太くんて、高いところが苦手?」

「そんなことはないけど……」

「だったら、平気よね」

 彼女は、笑っているけど、限りなく心配だ。そこに、いきなり、ドアが開いて、ニャン太夫さんとポコタンが入ってきた。

「姫さま、なりませんニャ」

「ちょっと、何よ、いきなり」

「聞こえたよ。空を飛んで行くって言ってたよね」

「言ったわよ」

「それは、ダメニャ。もし、人に見られたら、どうするニャ」

 確かに、それは、ニャン太夫さんの言うとおりだ。人が空を飛んでいるなんて、ありえない。

「やっぱり、見つかったらまずいんじゃない」

 ぼくが心配で言うと、彼女は、片目を瞑って、ウィンクして小さく笑った。

「シールド張るから、大丈夫よ」

 また、わけがわからない事を言い出したぞ。

「姫さま、科法をそんなことに使っては、いけないニャ」

「それくらいいいじゃない。正太くんと空を飛ぶのが夢なんだもん」

「しかし……」

 ニャン太夫さんが、床をうろうろしながらしきりに考えている。

「だったら、もしものために、私たちもいっしょに行くニャ」

「ダメよ。だって、これは、正太くんとのデートだもん」

「しかし……」

「別に、二人の邪魔はしないよ。おいらたちは、宇宙船で付いて行くだけだから」

「それでも、ダメ」

 彼女は、プイと横を向いてしまう。ぼくは、そんな横顔を見ると、強く反対は出来ないけどニャン太夫さんやポコタンの言うことも一理ある。もしものときに、ぼくだけでは、頼りない。

「姫ちゃん、ニャン太夫さんたちもいっしょに行こうよ」

「え~……」

「ポコタンも地球の海とか山とか見たいよね」

 ぼくは、ポコタンに話しを振った。すると、感がいいポコタンは、すぐに察してくれた。

「うん。おいらも見てみたい」

「ほら。ニャン太夫さんも地球の勉強のためだよ」

「でもぉ……」

「そんな顔しないで、ポコタンにも海とか山とか見せてあげようよ」

 ぼくは、必死の説得を試みた。彼女の機嫌を損なわないように注意しながら、話をする。

「ニャン太夫さんたちは、宇宙船だから、いっしょにじゃないし」

「わかったわ。正太くんがそういうなら、連れて行くわ。その代わり、あたしたちの邪魔したら、承知しないからね」

 ニャン太夫さんたちには、厳しい彼女だった。

そうと決まれば、行き方の研究だ。ぼくは、パソコンを使って、時刻表を調べて、駅からの行き方を調べた。

こうして、時間と行き方も決まった。彼女は、まるで、翌日に遠足を控えた小学生のように楽しみ満点な感じだった。そんな彼女も可愛い。

「それじゃ、明日は、早いからもう寝ようか」

「うん、それじゃ、おやすみなさい」

「おやすみ」

 ぼくは、そう言って、部屋を出た。ぼくは、自分のベッドに入っても、どうやって空を飛ぶんだろうとそればかり考えていた。すると、ニャン太夫さんとポコタンがベッドに入ってきた。

「正太さま、明日は、姫さまのこと、よろしくお願いするニャ」

「それは、こっちの台詞だよ。科法だかなんだか知らないけど、どうやって空を飛ぶのか、不安しかないよ」

 ぼくは、正直に言った。

「それは、大丈夫だよ。姫は、科法の天才だから」

 そこがよくわからない。科法ってなんだ?

「姫は、一度言ったら聞かないんだよね」

 ポコタンがため息混じりに言った。確かに、その点は、ぼくも同意する。なんとなく、頑固な感じだ。

「でも、正太さんの言うことは、素直に聞くんだよね。やっぱり、姫は、正太さんが好きなんだね」

 ぼくは、もう、言葉が思いつかなかった。もう、諦めて寝よう。そう思って、目を閉じるとニャン太夫さんとポコタンの寝息が聞こえてきた。


 

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