第8話 初めてのスキー。
学校は、冬休みに入り、クリスマス目前だ。街中がクリスマスムードで浮かれている。
彼女は、初めてのクリスマスというものに興味津々で、サンタやクリスマスツリーなどで街が彩られているのをおもしろそうに眺めている。スキー旅行は、クリスマスということで、泊まるホテルではクリスマスパーティーも開催されるということだ。何もかもが、初めてのことで、彼女は心の底から楽しみにしていた。そのための準備も母さんと楽しそうに始めていた。
クリスマス・イブに家を出発して、クリスマス本番を過ごすという日程だ。
その日の朝早くに荷物を車に積んで、早速、出発だ。
父さんが運転をして、ナビをしながら助手席に姉ちゃんが座る。
後ろは、ぼくと母さんと彼女の三人が座る。
初めての地球でのドライブなので、彼女を窓際に座らせた。
ニャン太夫さんは、ぼくの膝で丸くなっている。ポコタンと彼女は、窓から見える景色に夢中だ。
すれ違う車にいちいち目が行くので、疲れないか心配だ。
高速道路に入れば、さらに速度が上がる。流れるような景色に彼女とポコタンは、ずっと見ている。
「正太くん、ドライブって、楽しいわね」
そういうと、父さんもうれしそうだ。バックミラーで彼女の楽しそうな顔を見て、笑っている。
「ニャン太夫さん、マール星にも車ってあるんだろ」
「ある二ャ」
「これより、速いんだろ」
「そうでもない二ャ」
「でも、空を飛んでるんじゃないの」
「そう二ャ」
「だったら、地球の車って、物足りないんじゃない」
丸くなっているニャン太夫さんは、顔も上げずにシッポだけフリフリしながら言った。
「確かに、正太さまの言う通りニャ。でも、マール星の車は、外を見てもちっとも楽しくない二ャ」
話を聞くと、窓から見える景色が変化がないということだった。
その点、地球の高速道路は、車から見える景色は、山あり、海あり、時には、畑や田んぼもある。
そうかと思えば、新幹線と並行していたり、住宅街や高層ビルが見えたりもする。
それに、いろいろな車とすれ違うのが、彼女には、楽しく映るらしい。
「見てみて、ポコタン、アレすごいよ」
「どこどこ・・・」
「もう、過ぎちゃったわ」
「ちゃんと見てないと、ダメだね」
途中で、休憩するのに、立ち寄ったサービスエリアでも、彼女は、数えきれないほどの止まっているいろいろな形の車の列を見て、立ち尽くしていた。
「姫ちゃん、行くよ」
ぼくが声をかけるまで、駐車している車を見ていた。
大きな車から、小さな車もある。バスやトラックなどもある。観光バスからは、たくさんの人が乗り降りしている。
見るものが初めてだけに言葉もなく、おもちゃ売り場に来た子供のように、目をキョロキョロさせている。
レストランで昼食を食べようということになったが、彼女は、外に並んでいる露店のが気になったらしく、それを見て回りながら、食べ歩きに夢中になった。
父さんたち三人は、レストランでランチをしている間に、ぼくは、彼女とニャン太夫さん、ポコタンを連れてサービスエリア内を見て回った。途中で、目について物をおいしそうに食べている。
ホットドッグ、メロンパン、焼きとうもろこし、綿あめ、ハンバーガーなどなど
三人は、おいしそうに食べていた。みんなの食べる顔を見ていると、幸せを感じる。
いつも、母さんが作る家庭料理ばかりだが、たまには、外で食べるのも、これはこれでおいしい。雰囲気もいいし、周りに人がたくさんいて、賑やかだ。
「すごい人ね」
「時期が時期だから、みんな、遊びに行くんだよ」
とにかく人、人、人で、トイレに行くのも行列だ。
「しょ、正太さん・・・」
くぐもった声が足元から聞こえた。下を見ると、綿あめまみれの丸い何かがいた。
「正太さん~・・・」
「もしかして、ポコタン?」
その綿あめが大きく頷いた。ぼくは、急いで綿あめをつまんだ。
「大丈夫か?」
「大丈夫だけど、甘い。でも、前が見えない」
ぼくは、呆れてため息をつくと、その綿あめをつまんで、洗面所に向かった。
「姫ちゃんたちは、ここで待ってて。ポコタンを洗ってくるから」
どうやら、綿あめを食べるのに夢中なのはいいけど、それが体に巻き付いたらしい。ぼくは、洗面所でポコタンを洗った。
「まったく、何してんだよ」
「ごめんよ。だって、甘くておいしかったんだもん」
「だからって、自分が綿あめになってどうすんだよ」
ぼくは、濡れたポコタンをハンカチで拭きながら言った。
洗面所から出て、彼女を探した。だけど、姿が見当たらない。
「どこに行ったんだろう?」
一人で出歩いては迷子になる。人に紛れてしまったのか? 食べ物のニオイに釣られたのか? そういえば、ニャン太夫さんもいない。
ぼくは、彼女がいた周りを探してみた。すると、花壇の中からニャン太夫さんが出てきた。
「ニャン太夫さん、姫ちゃんは?」
「トイレに行くって、あっちに行った二ャ」
それを聞いて、少しホッとした。トイレだけに、探しに行くわけにはいかない。
出てくるのを待つことにした。だけど、五分経っても、十分たっても彼女は戻ってこなかった。
これは、おかしい。もしも、誰かに連れて行かれるとか、保護されたとか、可愛い子だけに、変な男に絡まれていたらと思うと心配でたまらなくなった。
「ニャン太夫さん、ポコタン、姫ちゃんを探すんだ」
そう言って、三人で手分けして彼女を探すことにした。
売店の周辺、店内のお土産屋、レストランも覗いてみた。でも、彼女はいなかった。
「どこに行ったんだ・・・」
ぼくは、周りを小走りに見て回った。危ない目に合っていないか、知らない人について行ったりしてないか初めての場所で、人が大勢いるところで、不安になっていないか、心配でたまらない。
そこに、ニャン太夫さんとポコタンがやってきた。
「姫ちゃんは?」
聞いても、二人とも首を横に振る。こうなったら、家族にも手伝って、探してもらおう。そう思って、レストランで食事をしている父さんたちの元に急いだ。
店内に入ると、すぐに案内所がある。その前を通り過ぎた時だった。
小さな女の子の姿が目に入った。親とはぐれたのか、泣いている。
その姿が、彼女とダブって見えた。その時、案内所の中から彼女が出てきたのが見えた。そして、泣いている女の子の前にしゃがむと、頭をなでながら何かを言っている。間違いない、彼女だ。だけど、何をしているんだろう?
「姫ちゃん」
「あっ、正太くん」
「何してんの? いなくなったから、心配して探してたんだよ」
「ごめんなさい。この子が泣いてたから、ここに連れてきたの」
それを聞いて、ぼくは、体から一気に力が抜けた。でも、よかった。彼女が無事でよかった。
彼女の身に万一のことがあったら、取り返しがつかない。何しろ、お姫さまだ。謝ってすむ話ではない。
そこに、女の子の母親らしい中年の女性が現れた。
事情を聴いて、母親は、何度も彼女に頭を下げていた。彼女は、女の子に笑顔で手を振っている。
「ごめんね。黙って、どっか行っちゃって」
「いや、いいんだ。だけど、いいことしたね」
ぼくは、心からそう思って言った。
「それじゃ、もっと褒めてよ」
「えっ?」
「さっきの女の子みたいに、頭をナデナデしてほしいな」
「ちょ、ちょっと・・・ 子供じゃないんだから」
「だって、いいことしたら、頭をナデナデするのが、地球流なんじゃないの」
「だから、それは、子供だったらという話で・・・」
「なんだ、つまんない。やってくれたらうれしかったのに」
そりゃ、やってあげたいよ。彼女は、いいことをしたんだから、思いっきり褒めてあげたい。でも、こんなに人が大勢いる前では、恥ずかしくてできない。
すると、ニャン太夫さんとポコタンが、足元でぼくのジーパンの裾を引っ張っている。下を向くと、二人が、目で合図を送っているのがわかった。
もちろん、何の合図かは、言わなくても、いくら鈍いぼくでもわかる。
ぼくは、気持ちを強く持って、周りを気にしないように気持ちを切り替えた。
「姫ちゃん、いいことをしたね」
ぼくは、そう言って、彼女を軽く抱きしめて、頭をなでながら、ポンポンと軽く手を置いた。すると、彼女は、嬉しそうに、ぼくをギュッと抱きしめる。
そして、顔を上げると、嬉しそうに満面の笑みを浮かべていた。
いかん。そんな可愛い顔を間近で見たら、気を失う。しかも、人前で・・・
ぼくは、呼吸を整えて、平静を装った。もちろん、今にも心臓が口から飛び出しそうだ。
「ありがと、正太くん」
何気なく下を見ると、ニャン太夫さんとポコタンが何度も頷いていた。
「ちょっと、あんたたち、こんなとこで何してんの?」
食事を終えた父さんたちがレストランから出てきた。
そして、なぜか、抱き合っていたぼくたちに、姉ちゃんが声をかけたのだ。
「えっ、あっ、いや、その・・・」
まずいとこを見られた。なんて言い訳するか、必死で考えるが、今のぼくには、考えつかない。
すると、彼女がぼくの代わりに、事の詳細を話して聞かせてくれた。
「ふぅ~ン、姫子ちゃん、やるじゃん」
「いいことをしたね。さすが、お姫さまだな」
「だからって、なんで、正太が姫子ちゃんを・・・」
三人は、呆れるやら、褒めるやら、ぼくは、複雑だった。
「よし、それじゃ、ご褒美に、姫子ちゃんの好きなものを買ってあげよう」
「ホントですか!」
「人助けなんて、簡単にできるもんじゃない。姫子ちゃんは、とてもいいことをしたんだ。当たり前だろ」
父さんもたまにはいいことを言う。彼女は、嬉しそうにしている。
「実は、欲しいものがあるんです」
彼女は、素直にそう言った。何しろ、ぼくも彼女も、好きに買い物ができるほどのお金は持っていないのだ。
何か欲しかったら、父さんか母さんに言わないといけないのだ。
彼女は、父さんの手を引いて、売店の方に行った。
そこは、可愛いキーホルダーがたくさん売っていた。地元のものから、キャラクターものまで男のぼくでも欲しくなるものがあった。
その中から、黄色と緑のセキセイインコのキーホルダーを手に取った。
「それがいいのか?」
「ハイ、可愛いです」
そういうと、父さんは、それを持ってレジに向かった。
「あっ、待ってください。すみませんけど、もう一つお願いできますか?」
「もう一つ? 別にいいけど、同じ物を二つもいらないんじゃないのか」
「いえ、もう一つは、正太くんに・・・」
「えっ?」
驚いたのはぼくだ。
「正太に?」
父さんも意味がわからないでいると、姉ちゃんが言った。
「お父さん、買ってあげなよ。お揃いでほしいのよ」
すると、父さんは、わかったように頷くと、もう一つ同じのを持って、レジに向かった。戻ってくると、彼女は、嬉しそうにした。
「ありがとうございます。大事にします」
そういって、父さんに何度もお礼を言っている。そして、もう一つをぼくに差し出した。
「ハイ、これ」
「いや、ぼくは、その・・・」
ぼくは、なんて言ったらいいのかわからなかった。ぼくは、何もしてないのに、もらうわけにはいかない。
「正太、もらってあげなよ。姫ちゃんの気持ちをわかってあげなさい」
姉ちゃんが、こっそりぼくに囁いた。ぼくは、差し出したキーホルダーを受け取ることにした。
「ありがとう」
「お礼なら、お父さまに言ってください」
ぼくは、改めて、父さんにもお礼を言った。なんとなく、照れる。
そんなやり取りを、母さんと姉ちゃんは、笑ってみている。
彼女は、父さんに買ってもらった、キーホルダーを手にすると、車の中でもそれが揺れるのをおもしろそうに見つめていた。よほどうれしかったらしい。
「よかったね、姫」
「うん。正太くんと、お揃いだもん」
膝に抱いているポコタンが言った。
「正太さまは、幸せ者です二ャ」
ニャン太夫さんが、ぼくにしか聞こえないような小さな声で言った。
確かにそうだ。ぼくは、星のお姫様にこんなに好きになってくれるなんて、こんな幸せなことはない。
だけど、ぼくには、ホントにその資格があるのだろうか? そんなことをときどき思う。
相変わらず、車の窓から流れる景色を楽しんでいる彼女だった。
車は、長いトンネルに入った。景色は、何も見えない。真っ暗なトンネルの中に光る、オレンジ色のライトだけだ。
景色が見えなくなったので、彼女は、つまらなそうだった。
でも、この長いトンネルを抜けると、スキー場は、もうすぐだ。
気が付くと、彼女は、居眠りを始めた。景色が見えないので、眠くなったのかもしれない。膝に抱えたポコタンも眠くなったらしい。ぼくは、黙って、寝かせてやることにした。
しばらくトンネルを走ると、突然目の前が明るくなった。
トンネルを抜けたのだ。そこは、一面銀世界の、真っ白い雪景色だった。
「姫ちゃん、見てみなよ」
ぼくは、軽く体を揺らして、彼女を起こした。
彼女は、目を擦りながら窓の外を見た。
「えーっ!」
彼女は、突然変わった景色に、声を上げたきり、窓の外とぼくの顔を何度も見やった。
「もうすぐ、スキー場だよ」
「これって、本物なんですか?」
「そうよ。本物の雪よ。すごいでしょ」
「ハイ、感動しました。すごくきれいです」
母さんが言うのを彼女は、素直に感じた。そして、寝ているポコタンを起こして、二人で窓の外を見た。
「うわぁ、すごいよ、姫」
「あたし、うれしい。感激よ」
彼女は、今にもぼくに抱きつきそうな勢いだった。
車は、ゆっくりと目的地のホテルに入っていった。駐車場に車を止めると、母さんがホテルの受付に行く間、ぼくたちは、荷物を持って、ホテルに入った。
受付を済ませて、荷物を持って、ぼくたちは、部屋に行くことになった。
二部屋に別れて泊まることになった。問題は、誰と同室にするかということだった。
だけど、母さんが、ぼくに部屋の鍵を一つ渡しながら言った。
「姫子ちゃんといっしょに部屋の鍵よ」
「えっ! 姫ちゃんと二人で泊まるの?」
「そうよ」
「いや、それは、まずいんじゃないかな・・・」
最後の方は、声が小さくなる。
「正太のこと、信じてるからね。くれぐれも、変なことしないようにね」
ヘンなことってなんだ? 間違っても、そんなことするわけない。
相手は、お姫さまだ。ぼくなんかが、指一本でも触れたら、それこそ地球の存亡にもかかわる。
「もちろん、ニャン太夫さんとポコちゃんもいっしょだからね」
それを聞いて、少しホッとした。お目付け役がいっしょなら、間違いなど起きるはずがない。
ぼくは、鍵を受け取って、部屋を開けて、彼女たちを中に入れた。
「正太、がんばんなさいよ。いいこと、最後まではダメだけど、キスくらいなら見なかったことにしてあげるから
しっかりしなさいよ。あんたも男なんだから、ビシッと決めなさいね」
荷物を持って部屋に入ろうとしたぼくに、姉ちゃんが囁いた。
「な、な、何を言って・・・」
ぼくは、しどろもどろになって、言い返そうとしたけど、最後まで言い終わらないうちに、姉ちゃんは父さんたちの部屋に入ってしまった。
何が最後までだ。キスくらいって、そんなことできるわけないだろ。
ぼくは、部屋の前で立ち尽くしていると、彼女の呼ぶ声に気が付いた。
慌てて中に入ると、彼女たちは、部屋から見える大きな窓にへばりついて、雪に夢中だ。
雪は、深々と降っている。見えるものは、すべてが白だった。
都会に住んでいるぼくにとっても、こんなに降る雪は、感動するほどだった。
彼女たちは、声もなく、ただじっと見つめていた。ぼくは、声をかけることもできなかった。
そこに、ドアがノックされて、姉ちゃんが入ってきた。
「30分後に着替えて、ロビーに集合だからね」
そう言って、中に入ってきた。
「どう、姫子ちゃん。初めて見た雪の感想は?」
「とってもきれいです。あたし、ホントに感動しました。地球に来てよかったです」
「私もです二ャ」
「おいらもだよ」
三人は、そう言って、姉ちゃんを喜ばせた。
「時間がないから、さっさと着替えてね。正太、ちゃんと着替えを手伝ってやるのよ」
そう言って、姉ちゃんは、部屋を出て行った。
「さぁ、それじゃ、着替えましょう。早く、スキーがしたいわ」
そう言って、彼女は、着ている服を脱ぎだした。慌ててぼくが止めに入る。
「ストップ、ストップ。ここで着替えちゃダメだって」
彼女は、脱ぎ掛けた手を止めて、ぼくを見る。
「向こうで着替えてきて」
「でも、どうやって着るのか、わからないわ」
困った。どうすればいい・・・ 女同士だから、姉ちゃんに頼むか。
でも、彼女のことは、ぼくが責任をもって、お世話をすると決めたんだから、ちょっと我慢するしかない。
「それじゃ、とにかく、これを着てみて。ぼくは、後ろを向いてるから」
そう言って、ウェアを渡して、ぼくは、背中を向いた。
「地球人て、恥ずかしがり屋なのね」
そう言って、小さく笑うと、着替えを始めた。服を脱いだり着たりする音が聞こえる。
ぼくは、必死になって、エッチな妄想をかき消した。少しすると、彼女が言った。
「もういいわよ」
振り向いたぼくの前に立っていたのは、赤いウェアに身を包んだ、眩暈がするほど可愛い彼女だった。
「どう?」
ポーズを取る彼女にぼくは、なんて言ったらいいのか言葉を選んだ。
「か、可愛いよ。とてもよく似合ってる」
それしか言葉が思いつかなかった。でも、それで十分だと思った。
でも、よく見ると、なんか微妙に違う気もする。
「えーと、ウェアが、後ろ前だよ」
ウェアを逆に着ていたのだ。ファスナーが背中にある。ホントなら、前にあるはずだ。
「そうなの? どおりで、胸が苦しいはずだわ」
胸のパットの部分が後ろにあるので、胸が苦しいらしい。
「と、とにかく、もう一度、逆に着るんだよ」
そう言って、また、背中を向けた。
「もう、いいから、ちゃんと前を見て教えて」
そう言って、ぼくの肩をつかんで、前を向かせた。
ぼくは、恥ずかしかったけど、なるべく冷静になることにして、彼女の着替えを見守った。
一度ウェアを脱いだ彼女は、上はTシャツだが、下は、小さな下着だけだった。
ダメだ・・・ 見ていられない。鼻血が噴出しそうだ。
ぼくは、鼻と口を反射的に抑えた。でも、彼女は、ぼくのことなど気にしない様子で、ウェアを着始めた。何とか、赤いウェアを着ることができた。
ファスナーを首元まで上げると、胸がすごく強調している。体の線がくっきり見えるほどだ。
「後は、そこの靴下を履いて、手袋を用意して」
ぼくが言うと、彼女は、言う通りに準備を始める。
「正太さんも、早く着替えてください」
忘れていた。ぼくも着替えるんだった。てことは、今度は、ぼくが彼女の前で着替えるのか?
それはそれで、逆に恥ずかしいぞ。でも、時間がない。
彼女が、靴下を履いているすきに、急いで着替えることにした。
彼女の視線を背中に感じながらなんとかウェアを身につけた。
「正太くんもよく似合ってるわ。あたしとお揃いにしてよかった」
彼女は、そう言って笑った。その間、ずっと黙っている、ニャン太夫さんとポコタンが初めて口を開いた。
「さあ、急がないと皆さんがお待ちです二ャ」
そうだ、急がないと。ぼくは、彼女といっしょに急いでロビーに向かった。
「こら、遅いぞ」
姉ちゃんが言った。
「すみません。着替えがわからなくて」
「正太、ちゃんと教えてやったの?」
ぼくは、なんとなく返事を誤魔化すしかなかった。
それでも、何とか全員揃ったので、みんなでロビーを後にする。
ホテルから少し歩くと、すぐにゲレンデが広がっている。
スキー用具一式を借りて、それをもって、みんなでリフトに乗って、上まで行くことにした。
間近で見るリフトは、果てしなく高い。そして、乗ってる時間が長い。落ちたら、確実に雪に埋もれる。足がすくみそうだ。しかし、彼女は、すでに乗る気満々で、楽しそうに順番を待っている。
頼りないぼくに代わって、姉ちゃんがリフトの乗り方を説明している。
ニャン太夫さんとポコタンは、父さんと母さんが抱いてくれた。
ぼくたち家族にしか見えないので、他の人たちは、ニャン太夫さんとポコタンに話しかけている父さんと母さんを不思議そうに見ていた。
彼女が先にリフトに乗った。続いて、ぼくが乗る。彼女は、後ろを向いてぼくを確認する。
「正太くん、大丈夫?」
「う、うん」
高いところは、苦手ではないが、こんな不安定なものに乗るのは、実に怖い。
ぼくは、リフトの棒にしがみついているしかなかった。
彼女は、動くリフトの高いところから雪山を見たり、下を滑り降りるスキーヤーを見たり楽しそうだ。ときどき、後ろを向くけど、それが、ぼくには、危なっかしく見える。
ものの数分で頂上に着いたけど、ぼくは、生きた心地がしなかった。
足が地面に着くのが、これほど安心するとは思わなかった。
リフト乗り場から降りて、少し行くと、そこは、一面真っ白の雪景色だった。
「それじゃ、行くぞ」
父さんがゴーグルをかけて、ストックを両手に持つ。
「お母さんたちは、先に行ってるね。姫子ちゃん、正太をよろしくね」
「ハイ、お任せください」
母さんに言われて、彼女が胸を張った。
「ゆっくりでいいからね。下で待ってるから。それじゃね」
「無理するなよ。気を付けるんだぞ。ケガだけはするなよ」
姉ちゃんと父さんが言うと、母さんも含めて、三人で先に滑り出した。
そして、あっという間に、視界から消えた。スキーが得意な家族なのだ。
「さて、それじゃ、あたしたちも行きましょう」
「行くって、ぼくは、余り滑れないんだけど・・・」
「大丈夫よ。あたしがついてるから」
「でも、姫ちゃんだって、初めてだろ」
「そうだけど、滑ってる人たちを見てたら、なんとなく覚えたから」
さすが、宇宙人だ。ここに来るまで滑る人たちを見ただけで、覚えるとは・・・
「よろしくお願いします」
ぼくは、素直に頭を下げた。
「それじゃね、まずは、スキーの板をこうやって開いて、腰を落として、右に曲がるときは左に体重をかけるのね」
まずは、彼女の見本を見ながら真似してみる。しかし、うまくいかない。
どうやっても、曲がらないし、うまく滑れない。滑っているうちに、バランスを崩して、何度も転んだ。
こんなことでは、下まで行くのに、何時間かかることやら・・・ まったく、情けない。
ぼくは、すぐに雪まみれになった。
「大丈夫?」
「うん、大丈夫だけど、うまくいかないよ」
「最初は、仕方がないわ。でも、下まで滑っているうちに、うまくなるわよ」
彼女がそう言って、手を貸してくれた。ぼくは、彼女に体に着いた雪を払ってもらってもう一度、チャレンジだ。滑るよりも、転ぶ回数のが、圧倒的に多い。
その度に、助け起こしてもらうぼくだった。
その横を、ニャン太夫さんとポコタンが、子供用のスキーを履いて、華麗に滑っていくのが見えた。
「正太さま、がんばるニャ」
「正太さん、がんばってねぇ~」
ぼくの横を目にも止まらない速さで滑っていった。
猫と謎の生物にまでバカにされるとは、地球人として情けない。
「よし、ぼくもがんばって、滑れるようになる」
ぼくは、気合を入れ直した。このままでは、後でバカにされて笑われるだけだ。
彼女に教えてもらいながら、少しずつでも、滑れるようになってきた。
それでも、全然前に進まないし、自分の思うように曲がれない。
そんなぼくが、気が付いたことがある。彼女の横を通るとき、みんな振り向くということだ。
真っ赤なウェアを着た、可愛い彼女は目立つ。誰もが一度は、目を止めるということだった。
だけど、同じお揃いのウェアを着ているぼくを見て、誰もが小さく笑う。
カッコ悪い。それ以上に、彼女に申し訳なくなる。早く、上達しないと・・・
半分くらいまで降りたところで、やっと、うまく曲がれるようになった。
「それじゃ、あたしにつかまって」
彼女は、ぼくの両手を持つと、自分の腰に絡ませた。
「しっかり、つかまってるのよ」
そういうと、ぼくの返事を待たずに、彼女は、滑り始めた。
「ちょ、ちょっと、ちょっと・・・」
情けないことに、ぼくは、彼女にしがみついているしかなかった。
彼女は、ぼくが転ばないように注意しながら、少しずつスピードを上げていく。
そして、右に左に、ターンしながら、軽快に滑り始めた。
「どう、もう、大丈夫でしょ」
そう言われても、返事なんてできる余裕はない。下のゲレンデが小さく見えてきた。
「後は、自分でがんばってね。転ばないようにね。それじゃ、先に行ってるわね」
彼女は、そう言うと、しがみついているぼくの両手を解くと、じゃあねと言って、先に行ってしまった。
「ちょっと、待って・・・」
ぼくは、小さくなる彼女の背中を見ながら言った。
だけど、こうなったら、一人で降りるしかない。ぼくは、足元を見ながら、彼女の言ったことを思い出しながらボーゲンで少しずつ滑り出した。彼女に追いつこうと、少し足を閉じると、だんだん早くなってきた。
まずいぞ。このままじゃ、ゲレンデまで一直線で滑ってしまう。
自分に落ち着けと言い聞かせながら、体重を右に傾ける。次に、足を少し開いてブレーキをかける。
スキーは、左に向きを変える。今度は、左に傾ける。ゆっくりと右に曲がった。
人にぶつからないように細心の注意をしながら滑った。
かなり必死だった。前を見る余裕もない。足元とバランスを保つだけで精一杯だった。
すると、いつの間にか、ゲレンデまで降りていた。平らな場所まで来ると、自然とスピードが落ちていった。
「すごいじゃない。転ばないで、降りてこられたわね」
やっと止まって、ほっと息をついていると、母さんがすぐそばに来ていた。
「正太くん、滑れるようになったわね」
彼女は、手袋をした手で拍手をしている。
ぼくは、額の汗をぬぐいながら、ぎこちなく笑った。
なんとか、ゲレンデまで降りてこられたことにホッとした。息をついていると、後ろからぼくを呼ぶ声が聞こえた。
後ろを振り向くと、手を振りながら勢いよく姉ちゃんがソリに乗って、やってきた。しかも、ニャン太夫さんとポコタンもいっしょだ。
「正太さまぁ~」
「正太さぁ~ん」
そりに乗って滑ってくると、ぼくの前で止まった。
「随分、楽しそうだな」
ぼくは、イヤミを込めて、ニャン太夫さんたちに言った。
「ハイ、楽しい二ャ」
ニャン太夫さんは、まったくイヤミが通じなくて、楽しそうだった。猫なのに、雪が冷たくないらしい。
「正太くん、あたしもソリをやってみたいわ」
彼女が言うので、ぼくは、彼女とソリを引きずって、上の方まで上がっていった。
ぼくが後ろに座って、彼女がぼくの前に座り、ソリの紐を握った。
「いくわよ」
彼女は、そういうと、足で大きく雪を何度も蹴り上げる。
すると、ソリは、次第にスピードを上げていく。
「わぁぁぁ・・・」
言葉にならない声を上げる。風で彼女の黒い髪がなびいて、ぼくの顔にかかる。
そのまま、姉ちゃんたちの前で見事に横倒しに転んだ。
雪まみれになった彼女は、楽しそうに笑った。それを見て、姉ちゃんやニャン太夫さんたちも笑っている。
ぼくも笑った。楽しかった。こんなに笑ったのは、久しぶりだと思った。
その後、彼女は、姉ちゃんともう一度、リフトに乗って、頂上まで行くと、今度は、思いっきりすべった。
シュプールを描きながら滑る彼女の姿を下から見ると、プロのスキー選手のように見えた。
ゲレンデいる人たちも彼女に目が釘付けだった。姉ちゃんも美人といってもいい。
だから、美人の女の人が二人揃って、スキーをしているのを見て、視線が集中する。
ぼくの前に止まると、ゴーグルを上げて、彼女が言った。
「スキーって楽しいわね」
「姫さま、お見事ですニャ」
「姫は、スキーがうまいですね」
ニャン太夫さんとポコタンは、母さんと雪だるまを作りながら言った。
何を遊んでんだ。ぼくも仲間に入れろよと、内心思った。
すると、雪玉がぼくの顔に思いっきり当たった。
えっと思ってみると、姉ちゃんがぼくに雪をぶつけていた。
「ボーっとしてるからよ」
なんか悔しくて、足元の雪を固めて姉ちゃんに投げ返す。
しかし、見事に避けられて、今度は、彼女の雪が顔に当たった。
「正太くん、顔が白いですわ」
彼女が大笑いしている。ぼくは、顔についた雪を払って、彼女に雪を投げる。
「ニャン太夫さん、ポコタン、手伝って」
不利なぼくは、二人に助けを求めた。すると、ニャン太夫さんとポコタンも、ニコニコしながら雪玉を作り始めた。
「正太さま、お助けするニャ」
二人とぼくの三人で、姉ちゃんと彼女との雪合戦が始まった。
楽しかった。こんなに楽しいと思ったのは、久しぶりだ。みんな、雪まみれになって
髪も雪で白くなりながら、笑いが絶えなかった。
顔に雪が当たると、鼻が赤くなってくる。まるでトナカイみたいだ。
「お~い、何してんだ。そろそろホテルに戻るぞ」
父さんが雪で遊んでいるぼくたちを呼びに来た。
みんなハァハァと息を切らしながらも、満面の笑顔だった。
「あぁ~、楽しかった」
「スキーって、楽しいですね」
姉ちゃんも彼女も、笑っていた。ほとんど雪だるまみたいな、ポコタンがおかしかった。
ニャン太夫さんは、体についた雪を払うのにブルブルしている。
雪が降っているのに、なんだか体がポカポカしていた。
「まったく、子供みたいね」
母さんが呆れたように言いながらも、その顔は、楽しそうだった。
全員で、ゲレンデを下りて、ホテルに戻った。
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