第4話 ガルムという貴族
通されたのは見慣れた白磁と金でできたエリストリア風の部屋ではなく、モザイク模様の大理石でできたサマール文化が色濃く出ている部屋だった。
幾何学模様がかかれた絨毯と、太陽と月の模様が描かれた金属製のランプ。南の文化は鮮やかな配色の工芸品が多い。部屋の隅に置いてあるのは水タバコだろうか。香がたかれ、部屋全体にピリッときいた香辛料の香りがする。
「お初にお目にかかる、ローレンス殿。ゆるりと寛いでくれたまえ。我が民族に伝わる伝統的なお茶をお出ししましょう」
派手な刺繍が施された布張りの椅子から立ち上がり、ガルムが手を伸ばす。ローレンスよりも大分年嵩の男であり、伸ばした手の甲には初老のシワが刻まれていた。黒髪に褐色の肌、そして顎を覆う黒黒とした髭は、南都サマールでは身分が高いことの証らしい。頭にかぶるターバンは金糸で複雑な刺繍が凝らしてあり、彼が持つ地位と財力を誇示しているようだった。
差し出された手をにこやかに握り返し、ローレンスがガルムの真向かいに座る。褐色の肌に艷やかな黒髪という典型的な南都サマール人と、王都エリストリア人らしい金髪金瞳のローレンスが並ぶとまるで光と影、朝と夜を司る神が向かい合わせで座っているかのように見えた。
リディアは赤いドレスを膨らませながら部屋の隅に行儀よく座った。奴隷らしく手を組み、頭を低くして主人からの命を待つ。隣でガチャガチャという金属の音がして、アデルバートが立ったのが顔を上げなくてもわかった。
「ほう、奴隷の女か。着飾った奴隷を連れ歩くとは、王都人は高尚な趣味をお持ちのようで」
ガルムが小馬鹿にしたように鼻で笑う。流暢なエリストリア語を使っているが、少しだけサマール訛りがあった。
「国が統合する前から奴隷文化はサマールにもあると記憶していますよ。サマールの貴族達はよなよな美しい女奴隷を侍らせてハレムを作るとか」
「貴様もそこの女に毎晩相手をさせているのだろう? 城の外にまで連れ出して、その飼い猫は随分お気に入りのようだ。だが貴様は王侯貴族なのではないか? 抱くならもっとまともな身分の女を進めるぞ」
「奴隷は身分の一つにしかすぎません。リディアが奴隷だからと言って、その人となりが損なわれるわけではない。その人自身が美しければ側においておきたくなるのは当然のことだと思いませんか」
「確かに見目は美しいな。エリストリアの神々に愛された容姿をしている。そこいらの貴族の娘より随分と艶やかだ」
ガルムの視線が自分に向いたのを肌で感じ取り、リディアはそっと顔をあげた。まるで気があるかのようにガルムの黒い瞳を熱っぽく見つめ、ほんの少し微笑すればガルムが微かにたじろぐのが見えた。
ソワソワと視線をそらしたガルムが大きな咳払いをして両手を叩く。次の瞬間には、ゴブラン織の天幕を掲げてサマール人の召使いが茶器を持って現れた。そのままローレンスの元へしずしずと歩き、茶器に茶を注ぐ。
「サマールで採れる茶だ。飲んでくれ」
「ありがたくいただきましょう」
そう言ってローレンスが静かに口をつける。仄白い湯気と共にピリッとした香辛料の香りが周囲に漂った。
「大変美味ですな。香辛料が効いている茶はエリストリアでは見かけない」
「そうだろう? エリストリアは文化的に優れていると言われているが、サマールだって負けてはおらん。剣でしか物事を考えられないお固いヴァルドや、雪と氷ばかりでなにもない北のトロイアとは違うのだ」
彼の言葉に、隣にいるアデルが眉を潜めたのがわかった。ガルムが顔をあげ、直立の姿勢でいるアデルを見てふんと馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
「ああ、貴方は
「ええ、彼らは四つの民族で一番忠誠心に厚く、剣に誓う人たちですから。見目や文化が違うというだけで候補から外すなんて勿体ない話です。あなたもいかがですか」
「とんでもない。赤髪の戦闘民族を側に置いておけば、いつ寝首をかかれてもおかしくないだろうに。そもそも私は自分たちと髪も目の色も違うやつらと同じ国民だと言われても納得できんのだ。特にヴァルド人とは血に刻まれた戦争の記憶があるからな。肩を並べるよりも、剣を合わせていた時間の方が長い」
言いながらガルムはアデルに鋭い一瞥をくれる。だがすぐに茶をすすって茶器をコトリと机に置くと、手を掲げて指や腕にはめた宝石達をうっとりと眺めた。
「だが芸術品は別だな。異民族の工芸品は私も大いに評価をしている。
「確かにこの部屋には数々の芸術品が置いてありますね。宮廷の宝物庫にも引けを取らないのではありませんか」
「はははは、美しいものを見るとついつい財布の紐が緩んでしまうな。もういらぬと思っていても、連日行商人を呼んではめぼしいものを買ってしまう。
ガルムが大声で笑う。東のヴァルドと南のサマールは、国が統一される遥か昔から戦争をしてきた関係で特に仲が悪いのだ。
アデルの眉がピクリと動いたのをリディアが目で制する。リディアは貴族に飼われているだけの無知な奴隷らしく頭を垂れながら今までの会話を頭の中で整理していた。
愛国心が強く、他の民族の文化やしきたりに否定的。虚栄心が強く、自分の立場を誇示したいのが、宝物自慢からよくわかる。こういうタイプは、出世欲も強い。なんだかんだといいながら、おそらく王室でも上にのしあがりたいと思っているだろう。
だが、元々ガルムはさして地位の高い貴族ではなかったはずだ。だからこそ、これだけの芸術品を集める財力がどこから来ているのかが不思議だった。
「ガルム殿、美しい芸術品の数々を見て私も大変心が潤いました。これだけ集めるのには、さぞ情熱と労力がかかったでしょう。ガルム殿はなかなか資金繰りに長けているご様子で」
ローレンスがさも芸術品に興味がある素振りで口火を切る。主人がいよいよ切り出したのを察してリディアは頭を垂れながら耳をそばだてた。
「おや賄賂や横領を疑っているのかね。何、私はどこからどう見ても潔白そのものだ。最近私の宮廷での働きぶりをヨアキム様がお認めになってくださいましてね。それで少しばかり懐が潤うようになっただけだ。実に正当な方法での蓄財だよ」
「ヨアキム様と言えば、元サマール王家の血を引く有力貴族の方ですね。それは良きご縁があったものです」
ローレンスの言葉にリディアは頭の中で今一度情報を整理した。
エリストリア王が四つの民族を統一してからは、それまで異民族の中で王だった者達は代々宮廷での要職を担うことが決まっている。ガルムが口にしたヨアキムと言う男は、正当なるサマール王家の王子であり、世が世ならサマール王になっていたはずの人物だ。彼は現在王宮で国の財政を担う職に就いているが、ガルムの言うことを信じるのであればガルムの羽振りが急に良くなったのはヨアキムのお陰だということだ。
(サマール王家の血を引くお方が、王宮で伝手のない中流貴族を可愛がるなんてことがあるのかしら。やっぱり彼はヨアキム様の名前を借りて国庫の財政を横領をしているのではないのかしら……)
心の中で疑惑の目を向けていると、ガルムが指輪の宝石を見せつけるかのようにそらし、茶器を手に取る。
「ローレンス殿、私はゆくゆくは宮廷を牛耳る男になるやもしれないぞ。こうやって縁を結んでおくのも悪くはないだろう?」
「なるほど、この度私にお声をかけて頂いたのは、第一王子と繋がりがある私と縁を作りたかったからですね」
「そのように品のない言い方をするでない。王宮勤めをする者ならば、宮廷での繋がりがいかに大事かは貴方も身を持って知っているだろう」
話が政治的な所に移ってきた所でリディアが後れ毛を手でかきあげる。リディアが居住まいを正したのを感じ取ったのか、ローレンスがコホンと咳払いをした。
「私達は少し話をする。折角だからリディア、アデルバート。後学の為にサマール人貴族の優雅な暮らしぶりを眺めてくるがいい。良いですかな、ガルム殿」
「もちろんだ。ぜひその美しい口からサマールの高尚な文化を広めてくれたまえ、ははは」
そう言ってガルムが快活に笑う。主人の許可が出たリディアは恭しく頭を下げ、そのまま静かに部屋を出ていった。
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