第5話 サマール人の屋敷

 部屋を出ると、アデルが大きく息を吐いた。よほど彼の物言いが不愉快だったのか、眉間にはくっきりとシワが刻まれている。


「まったく、息が詰まりそうだったな。わざわざこんな所に来て、サマール人の宝物自慢につきあわされるとは」

「そうね。でも今の間にいくつかわかったことがあったわ」


 赤いドレスのシワを手で払うように伸ばしながらリディアがポツリと言う。


「彼のエリストリア語はまぁまぁ上手だけど、サマール語の訛が強かったわ。これは純粋な貴族の者ではない証拠ね」

「確かに綺麗なエリストリア語ではなかったが、それと関係があるのか」

「あなたはヴァルド人だけど、エリストリア語は完璧に話せるでしょう? 異民族であっても、王都暮らしが長い貴族や、あなたみたいにヴァルドに住んでいても幼少期からエリストリア語をしっかりと教育されるような家柄の人の言葉に訛はでないはずよ。ザイアートという家名は後で調べてみないとわからないけど、多分元々は貴族ですらなかった家柄ね。それなのに今は随分と高い位置にいる。やっぱり彼は王宮内で後ろ暗いことをしている気がするわ。横領の証拠がないか探ってみましょう」


 そう言ってリディアは幾何学模様のついた絨毯の上を歩き出した。

 ガルムの屋敷はサマール風で、異国情緒のある内装だった。廊下にはドーム型のアーチが等間隔に置かれ、高い天井にまでモザイクのタイルで敷き詰められている。金銀や宝石で彩られるエリストリアの文化とは違うが、ガルムが鼻を高くするほどには美しい。窓から見える中庭には大きな噴水とヒョウの彫刻が見えた。

 

「なるべく人が多いところに行きましょう」


 リディアがキョロキョロと辺りを見回し、階下へ行く。たどり着いたのは屋敷の厨房だった。

 トーガを着た大勢のサマール人の召使い達が広間を忙しなく行ったり来たりしている。あるものは樽にいっぱいの食材を運び、あるものは板のように大きく平べったい包丁で肉を切っていた。

 リディアはアデルと共に厨房に入ると、一人の飯炊き女に笑顔で会釈をした。


「こんにちは。厨房見学をさせてもらってもいいかしら?」


 にこやかに挨拶をすると、褐色肌の中年女性が怪訝そうな顔をしてリディアに胡散臭い視線を送る。


「あんた様達、誰デスか?」


 かなり強いサマール訛のあるエリストリア語だ。買い物やちょっとした取引など日常会話は問題なさそうだが、高度な会話をするのは難しそうに見えた。

 リディアがショールを肩から下げ、左の上腕を女の前に付き出す。奴隷の紋章がついている腕だ。


「この印はわかるかしら。私はローレンス様に仕える奴隷です。ガルム様に許可をいただいて、サマールの台所を見せてもらいに来たの。御主人様に仕える者として、色々学んでおきたくて」

「あー、ハイ。特に見せるものない。でも、どうゾ」


 なんとか伝わったようで、リディアは礼を言うと邪魔にならないように壁を背にして立った。リディアが何をしようとしているかわからないが、アデルもその近くに立つ。

 サマール人の使用人達があくせく働く中を不動で立っている金髪の女と赤髪の男は妙に浮いているように見えた。


「……本当にここから何か探れるのか。ただの厨房だぞ」

「静かにしていて。今彼らの話を聞いているから」


 リディアに小声で諭されてアデルは口をつぐんだ。途端に背後で飛び交うサマール語が耳に入ってきた。ガヤガヤと騒がしい上に何を言っているのか皆目見当がつかない。

 だが、リディアはその青い目を厨房に向けながらじっと耳をそばだてていた。


「……まさかとは思うが、サマール語がわかるのか」

「当然よ。敵の陣地を諜報する上で語学の獲得は何よりも優先事項だわ。サマール語は幼少期から叩き込まれているの」

「そんな馬鹿な。私達がエリストリア語を学ばされるのはわかるが、異民族の語学を学ぶなんて」

「ふふ、そこでこの奴隷の紋が活きてくるのよ。エリストリアの奴隷が語学に堪能だなんて誰も思わないでしょう? ほら、だから皆私達に聞かれていないと思って好きなことを好き勝手に言っているわ」


 そう言ってリディアが青い目をいたずらっぽく光らせる。アデルの耳には雑音にしか聞こえないサマール語は、リディアの耳には大きな情報源だ。使用人同士の世間話や日常の暮らし、はたまたガルムのハレム事情まで耳に飛び込んでくる。

 注意深く色々な会話を聞いていたリディアの目に、二人の使用人の姿が飛び込んできた。


 ――馬鹿野郎、食料庫の右端の棚は触るなって言っただろうが。少しでも減っていたらてめぇの首が飛ぶぞ。


 ――申し訳ありません。クカの葉かと思いまして。


 ――クカの葉はその下に置いたって言っただろ。ったく、あれはヴァルド人から買ったもんだぞ。ちょろまかしてもすぐに買い足せる代物じゃねぇ。他のやつにも気をつけるよう言っておけ。


 もちろん会話はサマール語だが、リディアの耳には母国語と同じように聞こえる。まさかそこのエリストリア人に聞かれているとも知らない二人は大声で喋っているのだが、リディアはそこに引っ掛かるものを感じた。


(先程ガムルはヴァルドの商人とは取引していないと言っていたのに……一体何を買ったのかしら)


 一度疑問に思えば俄然気になってくるものだ。リディアは壁から離れると、今しがた喋っていた使用人の元へカツカツと歩み寄る。


「ご機嫌よう。もし良かったらあなた方の食料庫を見せていただけないかしら。サマールの食事に興味があるの」

「なっ……誰だお前は」


 使用人の一人――先程叱られていた年若いサマール人の男だ。が突然現れたエリストリア人の女に黒い瞳を丸くする。


「私は今晩招待に預かっているローレンス・フレデリク・ノ・アントルシア様の女中ですわ。私の立場はこれを見ればわかってもらえると思うけれど」


 そう言って肩につけられた奴隷の紋を見せる。豪奢な身なりをしたエリストリア人の美女が現れたことに驚いていたサマール人の使用人は、紋章を見て納得したようだ。 

 女中であれば厨房や食料庫に興味があっても不思議ではない。だが、もう一人の使用人――先程若い男を叱っていた中年の男だ――は鋭い目つきでリディアを睨みつけた。


「食料庫に何のようだ。お前ら異民族に見せるもんなんて何もねぇぞ」

「あら、折角サマール人のお屋敷に来られたのだもの。こんなに立派なサマール文化の内装を見たら、食事や文化的なものに興味を持つのは当たり前のことでしょう? それにお忘れのようだけど、私の身柄はローレンス様のものよ。彼の所有物である私は、彼の地位に準じた扱いになるはずだわ」

「じゃあガルム様に聞いてきな。悪いが俺達の主人はガルム様だ。御主人様にお伺いを立てて、それで良いって言われたら見せてやんよ」


 中年のサマール人がふんと鼻を鳴らす。よく躾けられた使用人なのか、なかなか手強い男だ。

 だがリディアは余裕の表情で微笑むと自身の腕に手をやってはめている腕輪をしゃらりと外した。


「今私達の御主人様はお話の真っ最中よ。そんなことをしたら私達が怒られてしまうわ。だからと引き換えはどう?」


 言いながら腕輪をそっと男の手に握らせる。美しく繊細な金細工と真っ赤なルビーがいくつも連なる豪奢な腕輪だ。大粒のルビーを縁取るダイヤモンドは厳かな輝きを放ち、手に残る重みはそれらの宝石がまがい物ではないことを示していた。

 腕輪を手にした中年男がごくりと喉を鳴らす。


「ば、馬鹿野郎……俺達のような身分の者がこれを持っているなんざどう考えてもおかしいだろ。こんなもん、しまっちまえ」

「あら、あげるんじゃないわ。落としてしまったのよ。初めて見るサマールのお屋敷にはしゃぎすぎてしまった女奴隷は、大事な腕輪を片方落としてしまったことに気が付かずに帰ってしまうの。でもその女奴隷はきっと道端で落としてしまったと勘違いして取り戻すのを諦めるから、屋敷に落ちている腕輪を拾った者がいてもそれは咎められることではないわ」


 耳元でそっと囁くと、今度こそ男は目の色を変え、静かに頷いた。もう一人にも同じように腕輪をくれてやると、男はいそいそと仕舞いながら顎で食料庫の方を指す。


「ほれ、倉庫はあっちだ。あんまり長い時間はいるなよ。俺は何にも見てねぇからな」 

「ご厚意に感謝いたしますわ」


 言いながら振り返ると、アデルが唖然としてリディアを見ていた。


「すごいな。何が起こったのかと思った」

「サマール人は商業を得意としてきた民族だから、愛国心や忠誠心よりも損得勘定で物事を決めることが多いの。覚えておいて損はないでしょ?」


 ヴァルド語で返してやると、アデルが更に瞳を丸くした。四民族すべての言語に精通していると言ったばかりだが、彼のこの素直にはリディアもくすぐったい気持ちになる。

 だがゆっくりしている暇はない。リディアとアデルは慌てて食料庫の中へ入って行った。


 食料庫の中には誰もいなかった。天井まである棚には袋詰された穀物や貯蔵品が所狭しと並んでいる。香辛料が多いのか、ピリッと鼻をつく香りが充満しているのはサマールらしい。リディアとアデルは先程の男達の会話を思い出しながら右棚の奥へと歩いていく。

 該当の棚の上には、小さな麻袋が置いてあった。下の方にも同じような袋が置いてあるが、彼らの言うことが正しければこちらはクカの葉だろう。周囲に誰もいないことを確認しながら麻袋を開けてみると、そこには乾燥して細かく砕かれた葉が入っているだけだった。


「これは何かしら。お茶の葉っぱみたいだけど」


 リディアが袋の口を広げて中の葉をしげしげと眺める。乾ききって程よく黒くなった葉は何の変哲もないただの葉のように見える。鼻を近づけて匂いを嗅いでみたが、スパイスのような刺激臭もなく、完全に無臭だ。 


「私は植物に詳しくはないから何とも言えないな。いや、なんとなくだが、これはイライザのようにも見える」

「イライザ? あまり聞かない名前だわ。ヴァルド産の植物ね」

「あれは高原に生える草だからな。山や森が多いヴァルドではよく見かける植物だが、熱帯地方のサマールや極寒のトロイアには生えないだろうな。イライザの葉は茶の葉とよく似ているんだが、性質は全然違う。殺菌作用があると言われているから子供が山で転んだ時に患部に葉を貼ったりするんだ」

「薬になる葉なのね? でもそれがどうして食糧庫こんな所に置いてあるのかしら。不自然だわ。いや待ってちょうだい。イライザはどこかで聞いたことがある気がするわ」


 そう言ってリディアがブツブツとつぶやく。


「ヴァルドの詩にこんなものがあるわ。『夜の雨は月を塗らし、乙女はイライザの葉と共に眠る』。恋に狂った乙女がイライザの葉を使って命を断つ歌よ。イライザの葉は薬にもなるし毒にもなるんだわ」

「なんだと? そうなると彼は」

 

 アデルがハッと息をのみ、リディアはゆっくりと頷いた。


「国庫の横領なんて見当違いもいいところだわ。ガルムはもしかすると、宮中で暗殺計画を企てているのかもしれない」

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