第6話 調査

 屋敷に戻ってきた三人は、ローレンスの私室で額を突き合わせていた。リディアの報告を一通り聞いたローレンスが腕組みをして眉をひそめる。


「最近急に力をつけてきたとは思っていたが、せいぜい国庫の資金をちょろまかしている程度だと思っていた。まさか暗殺計画を企てている可能性があるとは」

「でもまだ可能性にすぎないわ。あの葉がイライザだということもわからないもの。イライザはその道に詳しい人じゃないとお茶の葉とほとんど見分けがつかないらしいわ」

「そうだな。だがあれがお茶の葉に見せかけた毒草だと仮定すると、まず何よりも大事なのは、『何の目的で』、そして『誰を狙っているか』だ。彼の王宮での立場から推測してみよう」


 そう言ってローレンスが紙と羽ペンを取り出して机に広げる。


「まず現在の宮廷の力関係を整理しよう。エリストリア王族が国を統一してから、各民族の元々の王は四大貴族として重要な役職を与えられている。元ヴァルド王は軍司に、元サマール王は財政に、そして元トロイア王は内政だな。ガルムは財政を牛耳っているヨアキムの配下にいる中流貴族だ。単純に考えれば、王宮でのし上がるにはその上の奴らを消そうと考えるのが自然か」

「でもガルムの上にはまだ何人もの貴族がいるわよ。その中で誰を狙っているのかを特定するには情報が圧倒的に足りないわね」

「そうだな。だからリディア、アデル、ガルムが何を狙っているのか探ってくるんだ。私も今一度、宮廷内での力関係を見極めてこよう。もし神聖な宮廷の水面下で暗殺計画が練られているのであれば、我々はそれを止めなくてはならない」


 そう言ってローレンスが顔をあげる。その凛々しい金色の瞳はエリストリア王族への確かな忠誠心に溢れていた。



※※※


 屋敷を出て王都の城下外に出た二人は商業地区に足を運んでいた。

 数々の花や緑で彩られた美しい王都から一歩外に出ると、城下町は急に大衆的な空間になる。同じような形の家や店が建ち並び、金髪に銀髪、赤髪に黒髪と異なる民族が混ざり合って生活する様子は騒々しくも活気に満ち溢れていた。

 見るからに金を持っていそうな二人の姿を見てサマール人の商人が怪しげなツボを突きつけ、高値で吹っかけてくる。そんな彼らを胡散臭げに見つめながら、アデルが大きく息を吐いた。


「やれやれ、イライザの葉が毒草と決まったわけではないのに大袈裟なことだ。そんな話はヴァルドでも聞いたことがない。もし彼が濡れ衣だった場合、私達は無駄な時間を過ごすことになるわけだな」

「でも本当に彼が暗殺計画を企てていたらどうするの? 何かが起きてからでは遅いのよ。もし今回は白だったとしても、新しい知識が増えるのは良いことだわ」

「それで、私達はどこに向かっているんだ。現物もないのにあれがイライザの葉か確認することなんてできるのか?」


 アデルが疑わしげな視線をリディアに向ける。使用人達が葉を厳重に管理している為、屋敷から葉を持ち出すことができなかったのだ。だがリディアの顔は涼しい。


「実物がなくても大丈夫よ。彼が取引をしたというヴァルド人の商人を見つければいいだけだもの。商人なら、取引の記録は必ずつけているでしょうから」

「商人か……だがヴァルド人の商人なんてどこにでもいるだろう。見つけるのは骨が折れそうだな」

「そこはちょっとだけ伝手があるの。でもまずその前にイライザの葉が本当に毒薬になるか確かめたいわ。少し寄り道をするわね」


 そう言ってリディアが狭い路地の中に入っていく。大通りと違い、狭い路地は建物に囲まれて薄暗かった。まだ夜ではないはずだが早くもポツポツと店のランタンが道を照らしている。酒屋や道具屋、露店がひしめく道を奥へ進んでいくと、リディアは突然足を止めた。

 そこにあったのは小さな洋館だった。古びた木造の建物で看板などは何もない。リディアが勝手知ったる様子で扉を開けると、玄関についているベルがカラカラと音を立てた。


「マルクス先生、いらっしゃいますか」

「おお、誰かと思うたらリディアか。よく来てくれた」


 リディアがヴァルド語で語りかけると、彼女の声に答えるように奥から出迎えてくれたのは眼鏡をかけたヴァルド人の老人だった。

 かつては赤かったであろう髪はすっかり白くなり、異民族に比べてしっかりした体格も今は痩せて小柄だ。だがシワの寄った眼尻は優しそうでその赤い瞳は慈愛に満ちている。

 マルクス老人とぎゅっと親しげに包容を交わしたリディアはアデルの前で得意気に胸を張った。


「マルクス先生はお医者さんなのよ。私もローレンス様も昔からお世話になっているわ。先生、彼はアデルバート。私の騎士様なの」

「ほほう、騎士じゃと。これはまた生真面目そうな若者じゃな。このじゃじゃ馬娘のおもりは大変じゃが、頼りにしておるぞ。我が同朋よ」


 そう言ってマルクス医師が歯を見せながら快活に笑う。老人の気さくな笑顔にアデルが少しだけ口元を緩めたのが見えた。エリストリアでの暮らしが長いアデルも、やはり見慣れた故郷の民族と言葉は胸に来るものがあるのだろう。一歩進みい出て胸に手を当てると、アデルは最大の敬意を表しながら頭を下げた。

 

「アデルバート・ロイスと申します。先生アツィアット。お目にかかれて光栄です」

「ワシもじゃよ、お若い戦神よ。このお転婆なお姫様を手懐けるのは大変じゃぞ。じゃがこの子の行く末を託せそうな男が同郷ヴァルドの者で良かったわい。あのサマール人の若者はな、ちっと遊びすぎじゃ」

「もう先生、アデルはそういう関係ではありません。それにサフィールもただの友達よ」


 リディアが頬を膨らませながら反論する。お互いに髪の色も瞳の色も違うが、マルクスとリディアは孫娘と祖父のような関係らしい。マルクス医師の穏やかな気質は、アデルにとっても故郷の両親を想起させた。


「して、今日は何用じゃ? 見たところ、怪我も病気もしておらんようじゃが」

「今日は聞きたいことがあって来たの。先生、イライザという植物は知っていますか? お茶の葉のように黒みを帯びた植物なのだけど」

「おお、イライザじゃな。もちろん知っておるとも。ヴァルドではよく見かける植物じゃよ。それがどうかしたか?」

「では先生、その植物を毒薬として使うことはできるでしょうか。どうやらとある貴族がその葉を秘密裏に買ったようなんです。疚しいことがないか調べたくて」


 リディアが問うと、マルクス医師が眉をひそめた。


「リディア、お前はまた余計なことに首を突っ込もうとしているな。危ないことに関わるなどあれほど言ったのに」

「いいえ先生。今回からは正式なお仕事なの。いつものサフィールが関わってる……ちょっと刺激的なお仕事ではなくて、ローレンス様から正式に賜ったお仕事だわ。だからこれはとても大事なお話なの」

「今度会うた時にローレンス殿にも注意をしておかねばな。政治的な争いに若い乙女を巻き込んではならぬと。折角神々に愛された容姿をしているのだから、ワシはお前さんが信頼できる男の元に嫁いで貴族の女性らしく幸せに過ごしてほしいと常々思っておる」


 そう言いながら、なぜかマルクス医師がチラリと一瞬アデルの方に視線を向ける。その視線の意味がわからずアデルが戸惑うと、彼は観念したようにため息をついた。


「イライザの葉はな、それだけならほとんど無害な植物じゃ。じゃが酒に混ぜると途端に猛毒になる」

「やっぱり毒薬になるんですね。ますます怪しいわ」

「じゃがイライザの葉で暗殺とはなかなか古い手じゃのう。イライザでの毒殺は神話の時代によく使われていたと言われているやり方で、今ではヴァルドの古典にほんの少しだけ記述があるくらいじゃ。昔は今のように即効性があって手軽な毒薬が見つかっていなかったからのう。恐ろしい手間暇をかけて毒薬を煎じたものじゃよ」

「手間暇? 手軽なやり方ではないのね」

「ああそうじゃとも。イライザの葉を数ヶ月かけて乾燥させ、粉々に砕いたものを茶の様に煎じて出た煮汁を使う。その煮汁を酒に混ぜれば、乾燥させた葉の成分と反応して毒化すると言われているのじゃが、あまりにも手間がかかりすぎて今ではもう知られていない暗殺方法じゃな。むしろよくそのやり方を知っていたと言えよう」

「おそらく、ガルムは本気で足がつかないやり方で実行しようとしているのね。万が一王宮に持ち込む際に見つかってもお茶の葉と言い切れるし、ヴァルド人から見てもイライザはただの葉っぱだもの。まさかヴァルドの古典に載っている方法で毒殺しようなんて考える人はほとんどいないでしょうし」

「なるほど。そやつはなかなかの策士じゃな。気をつけるのじゃよ、リディア」

「ええ先生、もちろんよ。イライザの毒殺方法はわかったから、次はガルムと取引をしたというヴァルド人の商人を見つけるわ。ついでに証文も抑えれば一石二鳥ね。先生、ありがとう」


 そう言って意気揚々と立ち上がるリディアを、マルクス医師は悲しそうな瞳で見つめた。


「その肩の奴隷の紋も消してやりたいのう。お前さんは誰かの所有物という立場にいるべきではないのに」

「でもこの立場だからこそ見えてくるものもあるのよ。貴族を相手に立ち回るには、奴隷の身分である方が都合が良いの。色々な所に潜入できるし、貴族のお偉い方々も、まさか奴隷身分の女に嗅ぎ回られているとは思わないでしょう」

「お前の唯一の幸運はローレンスに拾われたことじゃな。じゃがあまり無茶をするでないぞ。この老いぼれとの約束じゃ」

「わかったわ、先生。いつもありがとう」


 そう言ってリディアがもう一度マルクス医師と抱擁を交わす。そしてそのまま足取りも軽やかに扉へと向かっていった。アデルも背筋を伸ばして医師に頭を下げると、マルクス医師がアデルの節くれだった手を握る。


「ヴァルド人からすると、奴隷のお守り役なぞ不名誉きまわりないと思うじゃろう。ワシもヴァルドの男じゃからお前さんの気持ちもよくわかっとるつもりじゃ。じゃが奴隷という前に、あの子をリディアという普通の女の子として守ってやってくれないか」


 そう言ってマルクス医師がしっかりとアデルの目を捉える。彼が言わんとしていることはまだアデルにはわからない。だが、自分と同じ赤い瞳にはリディアへの愛情が如実に現れていた。


「私はヴァルドの戦神に誓いを立てております、先生アツィアット。必ずやあの子の身を守り抜くことをお約束いたします」

「あの子はローレンスの為なら少々無茶をするきらいがある。お前がしっかり守ってやんなさい。身も、心もな」


 悲しげな声でポツリと呟く医師の声は、アデルの胸に強く響いていた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る