第7話 情報屋とリディアの過去

 マルクス医師の診療所を出たリディアが靴音を鳴らしながら前へ進む。その淀みない足取りは、この後どこへ行くべきかわかっているように見えた。


「次はガル厶と取引をしたヴァルド人の商人を探すんだろう。心当たりがあるのか?」

「ええ、サフィールの所へ行くわ。王都で人探しをするなら黒鷲の羽亭が一番なの。あそこは色んな人が来るから、サフィールならきっと手がかりを見つけてくれるはずよ」

「あの男が? あいつはそんなに顔が広いのか」

「彼は斡旋業みたいなこともしているから。たまに本気で危ない依頼も舞い込んでくるのだけど、彼の人脈は本物だわ」


 そう言いながらリディアがひらりと角を曲がった。一つ狭い路地に入ると、そこはマルクス医師の診療所があった場所よりももっと無節操で退廃的な場所だった。

 色とりどりのランプに照らされてずらりと立ち並ぶ店は多くの民族が出入りしていて活気づいている。道具屋の売り子が道に出て声を張り上げて客引きをしているし、酒場の前では酔っ払いが地面に伸びていたり、殴り合いの喧嘩をしている。その周りを囃し立てる客がいたり、娼婦が谷間を寄せてアデルに投げキッスをしてきたりと多くの人々の欲望と活気に溢れた空間だった。

 その通りを進んでいくと、黒鷲の羽亭の看板が見えてきた。先日リディアと初対面した場所だ。あれからまだそれほど時間が経過していないのに、妙に懐かしく感じる。


「おう、リディア。また来たな。仕事か?」


 ドアを開けると、カランカランというベルの音と共にサフィールが出迎えた。無造作に後ろに流した長めの黒髪とスッとした切れ長の黒目は数多の女性を虜にしてきたのであろう。美男子にかかれば、サマール人特有の褐色の肌も野性味が出ていて色気たっぷりに見えるから不思議なものだ。


「サフィール。王都にガルム・アッ=ザイアートという貴族がいるのだけど、最近そこに出入りしたヴァルドの行商人がいないか知りたいの。目撃者がいたら話を聞きたいわ」

「ガルムってーと財政管理に携わっている中流貴族か。最近よく名前を聞くな。んじゃ俺はその屋敷に出入りしているヴァルド商人の目撃者を集めればいいわけだな」

「そう、できる?」

「楽勝だな。お前の為なら一肌も二肌も脱いでやるよ。で、今度の見返りは?」


 サフィールが遠慮なく片手を差し出すと、リディアが微かに眉をひそめる。


「ローレンス様にお願いして、多少のオイタは見逃してもらってるでしょ。あとはそうね、いくつか通訳や翻訳くらいはタダで請け負ってあげるわよ」

「なんだよつれねーな。俺としちゃ、たまにはお前と一夜を明かす権利くらいほしい所なんだが」


 サフィールが笑いながら手を伸ばし、長い指でリディアの頬をツイと撫でる。だがその横から太い腕が伸びてきて、彼の腕を掴んだ。


「へぇ、護衛の仕事が板についてきてるじゃねぇか。赤髪の騎士様よ。なんだ、もうリディアに惚れてんのか」

「馬鹿なことを言うな。そういう誓いを交わしているだけのことだ」

「はっ色気のねー答えだな。これだからヴァルドの男はつまんねぇなんて言われんだよ。俺様が今度女遊びのやり方を教えてやってもいいぜ」

「結構だ。放蕩者のサマール人と同じ場所にいると剣の腕が鈍る」

「そういや誓いを交わしたってことはお前とリディアは一心同体なわけか。じゃあこれからお前の剣の腕が欲しい時はリディアを呼べば良いわけだな。保護対象が危ない場所に行くのに、お前がついていかないわけにはいかないだろ? 今回の見返りはそれでいいぜ」


 そう言ってサフィールがにやりと笑うと、誓願を軽視されたと思ったのかアデルのこめかみに青筋が立つ。

 だがすぐさまリディアが呆れた顔で二人の間に割りこみ、サフィールの額をぺちんと叩いた。


「あなたは冗談がすぎるのよサフィール。彼をからかうのはやめて。アデル、大丈夫よ。彼とは長い付き合いだけど、サフィールは今まで一度も私を危ない目に遭わせたことはないから」

「ははは! リディア、なんともからがいがいのある騎士様じゃねぇか。俺はコイツのこと結構好きだぜ。仲良くやろうや、ヴァルドの騎士様よ」


 サフィールがアデルの肩に腕を回して顔を寄せると、アデルが露骨に嫌そうな表情で顔を背けた。

 中々前途多難な二人だが、リディアの味方であることは変わらない。ひとまず情報収集の手伝いを頼むことができたリディアは満足気に立ち上がった。


「じゃあ何か情報がわかったらお願いね。私達も自分で情報を集めるから」


 そう言って颯爽と店を出ていく彼女を、サフィールは片手をあげて見送った。








「なんなんだアイツは。君に気があるのか」


 店を出て開口一番アデルが憤慨する。先程のやり取りを思い出したのか、眉間にシワを寄せているアデルに、リディアが困ったように苦笑した。


「あれは彼らなりの親しい挨拶なのよ。『美人だと思ったら口説かないと失礼になる』という感覚ね。安心して。彼とは長い付き合いだけど、一度もそういう雰囲気になったことはないから」

「なんだその浮ついた価値観は。やはりサマール人とは気が合いそうにないな」

「そうかしら。意外とあなた達は良い関係になるんじゃないかと私は思ってるけど」


 そう言ってリディアが面白そうにクスクスと笑う。往来に座り込んでジョッキを持ったままの酔っ払いがリディアの艷やかな笑顔を見て口笛を吹いた。

 その視線に怪しい光を見てとり、アデルが不愉快そうに顔をしかめながら前に立ちはだかる。


「守ってくれるの?」

「そういう契約を交わしているからな。別に、それ以上のことはない」

「でも気にしてくれたのね、ありがとう。そうね、そうしたら馬車を呼びましょうか」


 言うなりリディアがさっさと片手をあげて馬車を呼び停める。馬車に乗り込んで羽織っていたショールを脱ぐと、肩の紋章を見てアデルの視線が泳いだのがわかった。目のやり場に困っているのだろう。


「この紋が気になるのね、アデル。奴隷に対してあまり良い感情を持っていないの?」

「いや、そういうわけではないが……自由自在に動き回る君と奴隷という身分が結びつかないんだ。奴隷は色々と制限されていて、主人の所有物という扱いになるわけだから」

「悪辣な主人に買われればそういうことになるわね。でもローレンス様のように良い主人に買われればむしろこの紋章は有益な効力を発揮するわ。奴隷は主人の身分に準じるから、貴族社会の中では彼の権力を借りられるし、情報を集める時は怪しまれずに堂々と貧民街スラムにだって行ける。きらびやかな宮廷政治を左右する程の大きな情報は、人間の欲望が渦巻く混沌とした場所にこそあるものよ」

 

 事もなげに言いのけると、アデルが瞳を丸くする。


「驚いた。君は……その身分を受け入れているのか。てっきり貴族に買われて仕方なくやらされているのかと思っていたが」

「私のことを心配してくれているの? 意外と優しいのね。でも大丈夫よ、これは私の意思だから。私はローレンス様に大きな恩があるの」

「こんなことを聞いていいのかはわからないが……君は一体何者なんだ。なぜ奴隷の身分になった」


 アデルが問うと、リディアがふっと目を伏せた。白い肌に長いまつ毛の影が落ち、そして開いた青い目がまっすぐにアデルを見る。 


「アデルはこの瞳を見てどう思う?」

「どう……とは」

「思ったままでいいわ」


 そう言われてアデルは改めてリディアの瞳を覗き込んだ。空を写し取ったかのように青い瞳はどこまでも透き通っていて澄んでいる。


「私はエリストリア人ではないから、芸術を理解する心はない。だが、美しいとは思う」


 アデルが静かに答えると、リディアが嬉しそうに破顔した。ショールを完全に肩から外し、白い肌を晒す。


「私の容姿が生粋のエリストリア人でないことはわかるでしょ? エリストリア人にしては髪の色も薄いし、肌も真っ白じゃない。おまけに瞳の色は青。私の体にはこの国を構成する四つの民族の血が全部流れているのよ」

「全部……混血ということか」

「ええ、しかも一代や二代前の話ではないわ。私の母のそのまた母の、もっとずっと前の時代からの混血よ。私の一族はね、各地を旅する旅芸人だったの。まだ国が統合される前から私達は諸国を旅して回って、そこでたくさんの歌や詩を披露してきたわ。もちろん、そこで触れる詩や歌も学んで取り入れていくの。そこで出会った人と恋に落ちて家族を増やしながらね」


 言いながらリディアが自身の体を見せつけるかのようにほっそりとした腕を伸ばす。そこで初めてアデルは、リディアが典型的なエリストリア人の容姿とは異なることに気づいた。

 一般的にエリストリア人の髪は金色なのだが、リディアの髪色はどちらかというと銀髪に近いほどに透き通った金色なのだ。肌の色も、白磁のような他のエリストリア人に比べると健康的な赤みを帯びている。極めつけはどこの民族にもない青い瞳の色だ。明るい空の色をした澄んだ瞳はどの民族にも共通しない特徴だ。

 

「私の体にはエリストリアだけではなくサマールもヴァルドもトロイアの血も流れている。そして長年旅を続けてきたからこそ手に入れた各地の文化や歌の知識もね。私も、私の母も、そのまた母も異民族の子守唄を聞かされて育ったわ。幼い記憶はカラカラと馬が車を引く音と父の楽器と母の歌声でできていて、幼心にも旅は楽しかった記憶しかない。ヴァルドに行けばヴァルド人の農民が剣のお稽古をつけてくれたし、サマールではサマールの商人が博打と勘定のちょろまかし方を教えてくれたりね。でもある時、ヴァルドとサマールの境を進んでいる時に、私達は盗賊に襲われたの。そこで積荷を全部取られた上に私達の体は奴隷商人に引き渡されたわ。父も母も売られて一家はバラバラになってしまった。十歳の私はすぐに売り手が見つからなかったけど、そこでローレンス様に出会って買われたのが始まり」


 そこでリディアは無意識に自身についた紋を指でなぞった。真向かいに座るアデルがぐっと口を結び、無言でショールを肩にかけてやる。

 話しすぎたと思ったのか、リディアが恥ずかしそうにほんのりと頬を赤らめた。

 

「でも今は昔に比べたら随分と幸せだわ。奴隷商人の所にいた時は辛かったけど、ローレンス様はとても大事にしてくれたから。私の着眼点の良さを買って幼い頃からありとあらゆる勉強をさせてくれたし、どこかに売られてしまった両親もローレンス様が見つけ出して買ってくれたの。父も母ももういないけど、最期まで穏やかに余生を過ごせたのはローレンス様のおかげよ。だから私はこの恩を返す為に彼の右腕になるの」


 そう言って真っ直ぐにアデルを見たリディアの瞳が嬉しそうに孤を描く。


「アデル、貴方の目もよく見たら純粋な赤ではないわね。少し黄色がかっていて、まるで太陽みたい」

「そうなのか? 自分の顔をあまりよく見たことがないから気が付かなかった」

「私達は異民族同士でいがみ合っているけれど、意外と遠い所で繋がっているのかもしれないわ。だから私はいずれ国が一つになるまで戦うの。ローレンス様の剣になって」


 そう言ってリディアが微笑む。

 アデルはまだリディアのことを何も知らない。

 だが、彼女がこの仕事に対して強い信念を持っていることだけはおぼろげに理解した。

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