第8話 潜入

 数日後、サフィールから手紙をもらい、リディアとアデルは再び黒鷲の羽亭に来ていた。

 飛び込むようにして店に入るとサフィールが出迎えてカウンターの一席を指す。そこには一人の赤髪の男がうつむきながら酒を飲んでいた。ヴァルド人にしてはヒョロっと痩せていて小柄な男だ。


「リディア、こいつがお探しのヴァルド商人で間違いないはずだ」

「ありがとうサフィール。さすがね。どうやって見つけたの?」

「なぁに、商人っていうのは横の繋がりが強いんだ。人伝いに聞いていけばいずれ突き当たる。まあ人海戦術ができるのは俺みたいな顔の広いやつがいてこそだけどな」

「やっぱり人探しは貴方に頼むのが一番だわ」


 満足そうに微笑むと、リディアは靴音を鳴らしながら男へ近づいていく。


「こんにちは、数日前にガルム・アッ=ザイアートという貴族と取引をした商人というのはあなたで間違いない?」

「ああ、あそこの貴族に呼ばれて取引をしにいったが……一体なんなんだ? なぜ俺はここに呼ばれたんだ?」

「急に呼び出してごめんなさい。少し話を聞かせてくれるだけでいいの。貴方は数日前、ガルムの屋敷でイライザの葉を売ったのかしら?」

「ああ売ったよ。それがどうしたんだ?」

「葉そのものではなく、処理をした物よね? 数ヶ月乾燥させて砕いたもの」

「おおよくわかったな。まさにそうだよ」

「ちなみにその時彼はその葉を何に使うか言っていた? 薬にするとかなんとか」

「いいや、何も。サマール人がイライザを買うなんて珍しいと思ったが、乾燥させたイライザの葉は消臭剤になるからな。大方そういう用途で使うんだろうと思って気にもしていなかった」


 男の答えを聞いてリディアは今一度思考を整理する。勿論商人である彼もイライザが古い時代に毒殺に使われていた植物だということは知らないようだ。となるとこの暗殺方法はヴァルド商人の入れ知恵ではなくガルム自身が企てたもので間違いないだろう。


「ありがとう。最後に購買記録を見せてもらってもいい? ガルムとの取引の部分だけで良いわ」

「もちろんあるさ。証文は商人の命だからな。だがお前らは商人でもないのに変なもんを見たがるんだな」


 リディアが言うと男が不思議そうな表情をしながらも懐から紙の束を取り出した。パラパラとめくって該当の部分を見つけると、そこには確かにイライザの草を売った記録と、ガルムの署名が載っていた。


「もうこれで良いわ。ありがとう。お礼にこれ、持って行ってくれる?」


 言いながらリディアが指輪を抜いて机に置く。紋章も何もついていないただの宝石がついた指輪だが、売ればそこそこの値段になるだろう。商人が目を輝かせて受け取る様子を、アデルが呆れた目で見ていた。


「なんでもかんでも渡してしまって、主人に怒られないのか? それだってそこそこ値打ちがするものだろうに」

「あら、ローレンス様も承知していることだから問題ないわ。私にとって宝飾品というのは身につけられる取引材料くらいの認識よ。宝石よりも、情報の方がうんと価値があるんだから」


 シレッと言いのけるとアデルが複雑そうな顔をした。お固いヴァルドの男ですら、女性は華やかできらびやかな物に喜んでいてほしいと思うものなのだろうか。

 アデルの珍しい素の反応を見てなんとなく面白くなりながらも、リディアはコホンと咳払いをして思考を切り替えた。


「これでガルムがイライザの葉を買ったことの確証は取れたわね。でも今の時点ではまだ『葉を買って食料庫に置いておいた』という事実を確認しただけよ。ガルムがもし暗殺計画を企てているなら、彼を糾弾する為にも証拠は抑えておかなくちゃ」

「そうだな。だがどうやって見つけるんだ」


 リディアの言葉にアデルが腕組みをしながら思案顔になる。陰謀の証拠を抑えるとなると、イライザの効能を調べたり名もなき商人を見つけることとは比べ物にないくらいに難しい。

 だがリディアはアデルの言葉を涼しい顔で受け流すとにこりと笑った。


「あらそんなの決まってるじゃない。ガルムの屋敷に潜入するのよ」








※※※


 数日後。リディアとアデルは薔薇と剣の紋章がついた馬車に乗り、夜の道を進んでいた。行き先は数日前にも足を運んだガルムの屋敷だ。

 屋敷にたどり着くと、トーブを着たサマール人の召使いが出迎えてくれた。要件を伝えるとそのまま中へ案内される。連れてこられたのは以前にもローレンスと一緒に足を運んだ客間だった。


「おおリディア、また来てくれるとは思わなかったぞ。ローレンス殿から手紙が来た時は驚いた。エリストリアでは気に入った相手に自分の奴隷を贈る習わしがあるのか」

「こんばんは、ガルム様。もう一度お目にかかれて光栄ですわ。ええ、文化的な風習ではありませんが、わたくしの主人はご縁を繋ぎたい方には特別に私を贈りなさいますの。一夜限りではございますが、心を込めてお仕えさせていただきます」


 リディアの言葉に、ガルムが喜色満面でリディアの手を取る。そのまま親指でリディアの白い肌をゆっくりとさすると、彼の背後でアデルが大きく咳払いをした。


「恐れながら閣下。彼女の所有権は我が主人にございます。どうか不当な扱いはされぬようご留意くださいませ」

「なんだ、厄介者もついてきたのか。ヴァルドの男が近くにいると折角の酒と女が不味くなりそうだ」

「我が誓いを守る為でございます、閣下」


 不快感を隠そうともしないガルムに、アデルも能面のような顔で返す。だがアデルの言う事はあながち嘘ではない。奴隷であるリディアの所有権はローレンスにある為、ガルムは主人の許可なくリディアを害することができないのだ。

 ピリッと張り詰めた空気を破るかのようにリディアがガルムに寄り添い、するりと腕を絡ませる。

 

「睦み合い以外にもガルム様をおもてなしする方法はいくらでもありますわ。私にお任せください。まずは手始めに管弦からご覧になってみせましょう」


 そう言ってリディアはガルムの腕を取って颯爽と食堂へ行く。そこでガルムが食事をする間、リディアは隅に広げた幾何学模様の絨毯の上に座って歌や楽器を披露した。

 サマールの伝統的なリュートをかき鳴らし、完璧なサマール語で歌を唄う。一通りの管弦楽器は両親からも教わったし、ローレンスの屋敷に引き取られてからも家庭教師をつけて技術を磨かせてもらった。

 愛国心の強いガルムの為にこれでもかとサマールの音楽を聞かせてやると、彼が見るからに上機嫌になっていくのがわかった。演奏をしながら客の一挙手一投足に気を配り、反応に合わせて臨機応変に演目を変えるのは旅芸人では当たり前のことだ。ローレンスに腕を買われたリディアの着眼点と洞察力は血に刻み込まれた才能なのかもしれない。

 食事と共に演奏を終えた頃には、ガルムはすっかりリディアを気に入っていた。わかりやすく顔をほころばせ、ことあるごとに名前を呼んで常に側に置きたがる。何度かその視線に怪しいものを感じたが、部屋の隅で凄みを効かせているアデルの存在がリディアの身を守っていた。


「可愛い金の精霊や、なにか欲しいものはあるか? なんでも言ってみるが良い」


 夜も更けて夜着に着替えたガルムがクッションに身を横たえながら嬉しそうにリディアの金糸の髪を撫でる。ここまでくれば後は手の内だ。部屋の隅でアデルが目を光らせたのがわかったが、余計なことはしないようにとリディアが一瞥をくれてやると、ぐっと口を結んで立っていた。


「まぁガルム様、身に余る光栄ですわ。なんでも望んで良いのですか?」

「もちろんだ。私の屋敷にはありとあらゆる芸術品が揃っている。気に入ったものがあればなんなりと持っていくが良い」

「それではガルム様の寝室にお供をさせていただける栄誉をくださいませ。眠りにつくまでご一緒して差し上げます」


 赤い唇に指を当てて艶やかに微笑むと、ガルムが飛び上がんばかりに喜んだ。あっさりと寝室につれていかれ、奥へ通される。

 ガルムの寝室は、屋敷の内装と同じくサマール文化が色濃く出ている部屋だった。青いモザイクタイルが壁一面に敷き詰められ、金属製のランプには火が灯っている。床には幾何学模様の絨毯が敷き詰められ、寝台の上には色鮮やかなクッションがいくつもいくつも置いてあった。

 ガルムが寝台に横たわり、リディアがその横に腰掛ける。邪な目で傍らの美女を眺めていたガルムだったが、ガシャガシャと金属の音を鳴らしてアデルが扉の前に立った時は思い切り不愉快そうな顔をして悪態をついた。


「おい、赤髪の騎士が部屋に入ることは許していないぞ。お前は一歩も入ってはならぬ」

「ええ、ですからこうして部屋の前に立っているだけでつま先ほども部屋には入っておりません。ただ、彼女を中に入れるなら扉は開け放しておいてくださいませ。それが我が主人の意思です」


 アデルがきっぱりと言い切ると、ガルムが憎々しげにアデルを睨みつける。だが結局は渋々了承した。

 その代わりリディアはガルムの為に思い切りもてなしてやった。ガルムが横たわる寝台に腰掛け、彼の腕をとる。香油をつけてゆっくりと手をほぐしてやると、褐色の肌が艷やかな光沢を放ち始めた。

 ガルムの腕には手首から肩にかけて入れ墨が入っていた。そう言えばサマールでは地位や身分に準じて体に入れ墨を掘るという話をサフィールから聞いたことがある。

 帰ってから入れ墨の意味を彼に聞いてみようと思いながら両手をほぐし終えた後は、枕元で歌や詩を口ずさんでやった。

 至れり尽くせりのもてなしで、ガルムはすっかりリディアに心を許してしまったようだ。元よりリディアのことを脳のない奴隷だと侮っていたこともあるかもしれない。すっかり油断しきった彼はいつの間にかいびきをかきながら寝入ってしまった。


(さぁ大事なのはここからね)


 ガルムが眠りに落ちたのを確認すると、リディアは音を立てずに寝台から立ち上がった。広い部屋を歩き回り、めぼしい場所を探っていく。文机の上を漁り、床に敷かれたクッションや絨毯の下をめくった。部屋の中にある引き出しという引き出しを開けて探っていると、寝台の横にある小さな袖机の中に手紙が入っているのを見つけた。

 そっと手にとって手紙を広げる。中に書かれていた文字はエリストリア語だ。だがそこに書いてある文言を見た途端、リディアは驚愕に悲鳴をあげそうになった。リディアの様子がおかしいことに気付いたアデルが大慌てで部屋の中へと入ってくる。


 そこに書いてあったのは暗殺の指示書だった。仮面舞踏会が行われる夜に祭壇の聖杯に毒を盛り、対象の人物を暗殺せよという文言が白い紙に踊っている。中身を読んだアデルが緋色の瞳を大きく開いた。


「仮面舞踏会の聖杯に毒を盛るだと? 一体誰がそんなことを」

「わからない。この手紙、差出人の署名がないわ。この暗殺計画の首謀者はガルムじゃなかったのね。他に黒幕がいる」

「黒幕だと? そいつは誰を狙ってるんだ」

「仮面舞踏会の日に用意される聖杯はエリストリアの神々に捧げるもの。そしてその杯を飲むのは王族と決まっているわ。現王は高齢で伏せっておいでだから舞踏会には参加できない。となるとガルムが暗殺しようとしているのは……第一王子ね」


 リディアの声が震えていた。今二人はこれから宮廷で行われるであろう恐ろしい陰謀の一端を垣間見ているのだ。

 顔面を蒼白にしたリディアがごくりと唾を飲み、震える手で仮面舞踏会の文字をなぞった。


「そして仮面舞踏会が行われるのは――今夜だわ」

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