第9話 仮面舞踏会

「暗殺の対象が第一王子で、その暗殺が行われる仮面舞踏会が今夜だと? こうしてはいられない。早くローレンス殿と王子殿下に知らせなければ」

「でもガルムの屋敷には昼近くまでいなければならないのよ。ローレンス様がそう手紙に書いたんだもの」

「くそっ……この屋敷にいる間は手も足も出ないのか。せめて私だけでも先に宮廷に行くことができれば」

「そんなことをすれば怪しまれるわ。私達がこの事実を知ってしまったことをガルムに悟られてはだめ。仕方がないけど、時間いっぱいは何もないフリをして過ごしましょう」


 言いながらもリディアが悔しそうに唇を噛む。だが今の二人にはどうすることもできない。二人で寄り添いながら空を見上げ、濃紺の夜が徐々に白んでいく様子を戦々恐々と眺めるしかなかった。

 ガルムが起床し、リディアはまたもや食事時に管弦楽を披露した。リディアもアデルも内心ではソワソワと落ち着かなかったが、動揺をおくびにも出さずにやってのけた。



 

 太陽が空を垂直に照らし始めた時分になって、二人はガルムの屋敷を出た。薔薇と剣の紋章がついた馬車に乗り、最大限の速度で走らせる。勿論向かうはローレンスの屋敷ではなく宮廷だ。何よりもまず第一王子にこのことを伝えなくてはならない。

 はやる気持ちを抑えながら、リディアが馬車の中で手紙を広げる。動かぬ証拠をつきつける為にこれだけは持ってきたのだ。


「私達が最優先すべきことは王子殿下の身をお守りすることね。できれば舞踏会中に黒幕もあぶり出したいけど」

「黒幕か……王子殿下が亡き者になると得をする人物だな」

「ええ、現エリストリア王は高齢だわ。順当にいけば、王がお隠れになれば次に王座に据わるのはエリストリアの第一王子よ。でもその王子すら亡き者になった場合、エリストリア王家の血筋は途絶える。代わりに王座に座るのは、他の三つの異民族の王だわ」

「元々各国で王族だった者達だな。長年国を治めていたのに、突然エリストリア王族の家臣にくだることになったんだ。一度は手放した王座に返り咲きたい者達ばかりだろうよ」

「元王族の立場は三民族とも同じだけど、宮廷での力関係には大きな偏りがあるわ。現在宮廷で要職に就いているのはほとんどがサマール人よ」

「ということは、エリストリアの第一王子が亡くなれば次に王になる可能性が高いのは元サマール王族のヨアキムか。今回ガルムに暗殺の指示を出した黒幕はヨアキムなのだろうか」

「推測するには圧倒的に情報が足りないわね。まずは殿下の身をお守りして、黒幕の炙り出しはその後にゆっくりと証拠をあつめましょう」


 まるで自身の心を落ち着けるかのようにリディアが静かに言う。だが馬車が王宮についた頃には、既に仮面をつけ仮装をした招待客が宮廷内を賑わせていた。舞踏会自体は夜に行われるが、招待客達は昼頃から集まって自身の素性を隠したまま思い思いに過ごすのだ。

 顔全体を白いマスクで多い、フードのついた帽子を被った貴族達がひしめくホールを見てリディアが唇を噛んだ。


「やられたわ。暗殺実行を仮面舞踏会の日に決めたのはこういう意図があったのね。これじゃ誰が王子殿下なのかわからないわ」

「殿下だろう? 側近や護衛が把握しているということはないだろうか」

「聞いてみても良いけれど、多分無駄ね。この仮面舞踏会は国が統合された時代からずっと行われている催しなのだけど、自分の身分や髪と肌の色を隠して異民族同士の交流を図るのが目的なの。殿下自身も今は王子という身分を隠しておられるから、誰がどの仮装をしているのか全くわからないわ」

「殿下だけでなく、ガルムがどこにいるのかもわからないのか。かなり不利な状況だな」

「こうなったら多くの人に話しかけて殿下らしい人を見つけるしかないわね。もちろん毒を持ってここにやってくるであろうガルムも」


 苛立ちを隠そうともせずにリディアが吐き捨てる。だが時間は有限だ。リディアとアデルは宮廷で用意された衣装を借り、謎めいた会場へと身を投じた。

 

 仮面舞踏会で各貴族が身につける衣装に特に決まりはない。舞踏会が始まる前は民族の違いが出る髪や肌を隠せるように顔全体を覆う白いマスクや首元まである立て襟、フリルのついた長袖や長手袋を身につけることが好まれるが、夜を告げる鐘が鳴り、祭壇に置かれた聖杯の酒を王子が呷った瞬間に揃って軽装になるのが習わしだ。そこからは各々身分や民族を明かしての交流となる。

 おそらくガルムは皆が軽装になる前に杯に毒を仕込み、そして王子が毒殺された混乱に乗じて姿を消す算段なのだろう。

 白いマスクを借り、真紅のドレスを着たまま長い金糸の髪を結って帽子に詰め込むとリディアは代わる代わる招待客と話して王子とガルムらしき人物を探しにかかった。

 何気ない会話をして相手のエリストリア語から訛がないかを聞き取り、違うと判断すれば適当に会話を切って次へ行く。仮面や帽子、袖の隙間から見える髪や肌の色を注意深く観察して相手の素性を探るが、なかなかめぼしい人物に当たることができなかった。

 王宮で主催する舞踏会にはありとあらゆる貴族達がやってくる。大勢の中から一人を見つけるのでさえ至難の業なのに、リディアは今王子殿下とガルムを特定しなければならないのだ。


(まずいわ。もうすぐ鐘が鳴ってしまう)


 いつの間にか窓から見える空は濃紺をまとい、月光が室内を仄白く照らしていた。大勢の声で賑わう中に、容赦なく刻まれる時計の針の音が酷く耳を打つ。

 焦りからぼんやりしていたのだろうか。人混みの中で立ち尽くしていたリディアの背中にドンッと誰かがぶつかり、リディアは思わずよろめいた。振り返ると、白いマスクで顔を覆った背の高い人物が振り返りざまじっとリディアを見ていた。背の高さと身体つきからおそらく男性だろう。


「あら、申し訳ございません。ぼんやりしておりまして」


 相手の言葉を引き出す為に何気ない会話をする。だが相手はリディアをじっと見つめた後、仮面の下で薄く笑った。


「己の身に気をつけろ」

「ええ、ご忠告に感謝いたしますわ」


 相手のエリストリア語は発音も含めて完璧だった。生粋のエリストリア人か、アデルのように由緒正しい家柄の異民族だろう。だが相手の素性を推測しようとした所で、仮面の男はマントを翻しながら颯爽と消えていった。 


(なんだか変なことを言われた気がするけど……今はそれどころではないわね)


 時計に視線をやり、頭の中で策略を張り巡らす。そうしてリディアは仮面の群衆の中に飛び込んでいった。








 すっかり日が落ち、いよいよ舞踏会が始まった。

 仮面をつけた招待客が一斉にダンスホールに集まり、お互いに手を取り合ってダンスをする。男女の区別は着ている服装で判断できるのみだ。

 リディアも目元を覆うだけの仮面に付け替え、真紅のドレスをなびかせて何人かと手を取りながら踊った。戦神に誓いを立てているアデルは踊らずに、仮面と仮装で身を隠したままホールの隅でじっとリディアを見守っている。

 リディアは優雅にステップを刻みながら、五感を働かせて相手の素性を見極めていた。

 言葉の訛、癖、服の隙間から見える髪や肌、そして彼らが使う香水や衣服の飾りにまで気を配って民族を特定していく。

 

 そして時が満ちた。


 ホールに重い鐘の音が響き、招待客が一斉に踊りを止めた。時が止まった空間の中から進み出たのは一人の仮面の男だ。白いマスクで顔を覆い、全身は黒い衣服で覆われている。髪の色も目の色もわからないが、このタイミングで動く者の正体はただ一人だけだ。

 男が室内に大々的に設けられた祭壇に近づき、捧げられた聖杯を手に取った。そのまま杯を傾け、中の酒を手元のグラスに注ぐ。


「エリストリアの神々に捧ぐ!」


 群衆が見守る中、男がグラスに口をつける。

 次の瞬間には男の手からグラスが離れ、床に叩きつけられて粉々に割れる音が響いた。

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