第11話 誓い

 舞踏会の終わりを告げる鐘が鳴った。

 招待客達はめいめいの屋敷に帰る支度をし始める。ローレンスの名代で来ていたリディア達も王子に挨拶を済ますと宮廷を出た。

  

 王宮の前には馬車が停まっていた。薔薇と剣の紋章がついたアントルシアの馬車だ。こう見ると、生きた心地もせずに馬車を走らせ、急いで宮廷に駆け込んだ数時間前の出来事がまるで遠い昔のことの様に思えるから不思議なものだ。

 一仕事終えたと安堵の気持ちでリディアは馬車の扉に手をかけた。だが次の瞬間に強い力でぐっと腕を引かれ、体を強く突き飛ばされた。


「アデル!!」


 リディアの悲鳴をかき消したのは剣と剣がぶつかる鈍い金属音だった。目の前で馬車の中から半身を覗かせた黒尽くめの男がアデルと切り結んでいる。リディアを突き飛ばしたのはアデルだ。馬車の扉を開ける寸前、中に賊が潜んでいるのを察知した彼が咄嗟にリディアを突き飛ばし、出てきた賊と剣を交えたのだ。

 アデルが大きく剣を振るい、賊の剣を腕ごと切り落とす。そのまま賊の心臓を違わず真っ直ぐ射抜くとリディアに向かって腕を伸ばした。だがリディアの手を引こうとした瞬間、どこから出てきたのか黒尽くめの男が三人現れて馬車を取り囲む。


「馬車に乗れリディア! 早く!」


 アデルの怒鳴り声に、リディアは震える足を叱咤しながら馬車に飛び乗った。馬車の外では男達の怒声と剣が弾かれる金属音が耐えず鳴り響いている。

 馬車を出してもらうよう慌てて馭者台を覗くが、馭者台はもぬけの殻だった。馭者がどこかに逃げたのか殺されたのかはわからない。だが今は自分達で馬車を走らせるしかないのだ。

 恐怖に涙を流しながら手綱を握るが、馬は荒く鼻息を鳴らすだけで動こうとしなかった。


「お願い走って! 早く!」


 大声で怒鳴りながら馬を鞭で叩く。だが次の瞬間にはアデルが飛び乗ってきてリディアの体を抱えるように手綱を握った。

 鞭の音と共に馬がいななき、猛スピードで走り出す。ガタガタと酷く揺れる振動に転げ落ちそうになって思わずアデルの体に抱きつくと、手にぬるりとした液体の感覚があった。


「アデル! 血が!」

「かすり傷だ、なんともない!」


 リディアの悲鳴にアデルが怒鳴る。だがどう見てもかすり傷の出血量ではない。歯を食いしばりながら手綱を握るアデルの顔を見るに、相当な激痛なのだろう。少しでも出血を止めようと、リディアも腰に抱きつくようにして両手で傷口を塞ぐ。

 血に汚れた二人を乗せながら、馬車は凄まじい音を立てて闇夜に消えて行った。







※※※


 開け放たれた窓から入る風がふわりと花の香りを運んでくる。リディアが部屋に入ると、寝台の上に腰掛けて上裸になったアデルがちょうど包帯を巻き終えた所だった。


「アデル、具合はどう?」

「先程マルクス先生が来てくださった。幸い、傷はそれほど深くはないらしい」

「そう、良かった」

「しかし奴らは一体何だったんだ。三人ともかなり腕の立つ刺客だったぞ。あれは私達を狙った賊なのか?」

「ええ、多分そうね。実は私も仮面舞踏会の日にヴァルド人の貴族に忠告されたの。あんまり嗅ぎ回っていると命を落とすぞ、と」 

「ヴァルドの貴族に? 目的は何だ?」

「わからない、でももしかしたらガルムに暗殺計画の指示を出したのはその男かもしれないわ。彼は私のことを知っている様子だったから」


 そう言ってリディアがギュッと両手を握る。自由な空を写し取ったかのように青い瞳は、悲しみと苦悩で陰りを帯びていた。


「アデル、こんなことに巻き込んでごめんなさい。きっとこの先、こんなことは何度もあるはずよ。でも貴方はもうヴァルドの戦神に誓いを立ててしまった。私が陰謀の種を摘み取ろうとすればするほど、貴方も危ない目に遭う」

「そんなことを君が気にする必要はない。これは私が決めたことだ」

「でも私、万が一の為に保険をかけておいたの。以前貴方に請願をしてもらう際に、エリストリアではなくヴァルド流に誓いを立ててもらったでしょう? エリストリアは人に対して誓いを立てるから、誓いを破れば自らの命で償わなければならないの。対してヴァルドは剣に誓うから、誓いを破っても剣を手放すだけで済む」

「剣を手放す、か。だが幼少期から剣を握ってきた私達にとっては、剣を手放すくらいなら死を選んだ方がいい」

「ヴァルドではそうね。でもここはエリストリアだわ。エリストリアでは、かつての騎士が農民や商人になったってそれを貶める人はいない。万が一貴方が私を守れなくて誓いを破ってしまった場合でも、貴方の命だけは助かるわ」


 アデルのもとに戻ってきたリディアが節くれだったアデルの手を取る。こぶだらけの大きな手を白い両手でギュッと握りながら、リディアは青色の瞳をアデルに向けた。


「王族の近衛騎士という華々しい立場から奴隷の騎士という立場に甘んずることになってしまった貴方への、せめてもの私の気持ちだわ。もし私が命を落とすようなことがあっても、貴方は私を追わなくていい。剣を捨てて、新しい人生を生きてちょうだい」


 リディアがはっきりと告げる。だがアデルは彼女の両手が微かに震えていることに気付いていた。

 アデルはまだ彼女の抱えている事情も、彼女が背負うべき運命の大きさも知らない。だがこの美しい女奴隷は、覚悟を決めているのだ。人々の欲望が渦巻く宮廷政治に足を踏み入れることに。

 だからアデルの答えはもう決まっていた。


「誓いは守る。君のような危なっかしい女を守れるのは私くらいしかいないからな」


 アデルの穏やかな声色に、リディアの青い瞳が微かに揺れた。窓から入る日の光が握りあった二人の手を優しく包み込む。

 リディアの手を握り返したアデルの手は大きく、そして温かかった。







 数日後。ローレンスのもとに早馬が届いた。彼の表情を見るに、渡された手紙はかなり悪い内容のものだったらしい。

 彼の自室に呼ばれた二人は、ローレンスの言葉を聞いて息を呑んだ。


「――ガルムが殺されたですって? だって彼は牢に繋がれていたのでしょう?」

「尋問をしようと牢に入った者が、ガルムの遺体を見つけたらしい。何者かによって心臓を一突きされていたそうだ」

「そんな……そうなるとこの暗殺計画の黒幕は永遠にわからなくなってしまったじゃないの」


 リディアの言葉に、ローレンスが頷く。二人を穏やかに見つめるその金色の瞳は陰りを帯びていた。


「ああ。だが今回の事件の黒幕……第一王子の命を狙う者が身近にいることは間違いない。ここから宮廷は――荒れるぞ」







序章 完



※「賢いヒロインコンテスト」応募中の為、続きは結果が出てから更新いたします。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

赤き薔薇は宮廷に花咲く 結月 花 @hana_usagi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ