第3話 知恵と機転と陰謀と

「で、これは一体どういう状況なんだ?」 


 小さな部屋に凄みを効かせたアデルの低い声が響く。

 屋敷の一室に通されたアデルは、リディアによって近衛騎士の服を脱がされていた。上裸になった騎士の体を見てリディアが目を輝かせる。


「すごいわ、ヴァルドに伝わる戦神はこんな姿をしているのかしら。貴方達はいつも鍛えているから体格が良いという噂は本当だったのね。すごくしなやかで強靭な肉体だわ」

「その前になぜ未婚の君が私の着替えを手伝っているんだ。エリストリアの女は男の裸を見る趣味でもあるのか?」

「あら、私の身分は奴隷だもの。これも仕事の一つだわ。貴方こそ、女に裸を見られることくらいでいちいち騒がないでほしいわね」

   

 声に拒絶の色を滲ませるアデルの言葉をリディアが一蹴する。そしてそのまま持ってきた上着を広げると、アデルの背中にかけてやった。先程までアデルが着ていた近衛騎士の服ではなく、薔薇と剣の紋章がついたアントルシア家の騎士服だ。袖を通した所で服をあわせ、ボタンを止めてやるとアデルが複雑そうな顔をした。礼を言うべきなのか、余計なことをするなと言うべきか迷っているようだ。それでもその手を跳ねのけることはしない。

 なんだかんだと言いながらも、彼は優しい男なのだ。だからこそ、その赤い瞳に宿る微かな落胆の色に気づかないわけにはいかなかった。

 

「……貴族の家臣になるつもりで宮廷を出たのに、結果が女のおもりなんて受け入れられないって顔をしているわね」

「受け入れられるわけがないだろう。私達ヴァルドの男は三つになる頃から剣を振っているんだ。全ては国と王を守る為。私の剣は貴族の私妾を守るためにあるのではない」

「あら、私の身を守ることは王子殿下の意思でもあるわ。私は宮廷を害する賊達から王族を守る剣ですもの。あなたの剣は立派に国を守ることに繋がるわ。誇りを持ちなさい、アデル」


 きっぱりと告げると、アデルが不思議そうな顔をしてリディアを見下ろす。


「そもそも君は一体何者なんだ。奴隷の身分にも関わらず貴族に丁重に扱われている立場といい、知識の深さといい、ただの愛妾ではないだろう」

「私は愛妾じゃないわ。私は彼の配下にいる密偵なの。王宮で起こるあれこれを探ってローレンス様に報告をすることで、貴族間の諍いから王子殿下の身をお守りするのが役目よ」

「密偵だと? 君がか? はっ、私は愛人のおもりどころか貴族の密偵ごっこに付き合わされるわけか。そもそも奴隷という身分で一体何ができるというんだ。手に入れられる情報も限りがあるだろうに」

「でも私は知識の活かし方を知っているわ。一見何にもないように見えるものも、実は大きな情報を秘めていることだってたくさんあるの」

「知識の活かし方だと? どういう意味だ」

「そうね。例えばだけど、アデルはあれを見てどう思う?」


 突然リディアが部屋の一角を指した。象牙で作られた贅沢な飾り棚の上に、金でできた蛇の置物が置いてある。見るからに高価な物ではあるが、それが何を意味するのかはわからない。


「蛇だな。どう思うと聞かれても、不吉な置物だなとしか思えないが」

「貴方から見ればそうよね。でももう少し深く知っていれば色んな事が見えてくるわ。ヴァルドの神話では毒蛇に噛まれた戦神が命を落としたことから、悪魔や不吉な象徴として使われているけれど、エリストリアでは蛇は再生の象徴なの。ちなみにサマールでは蛇は金運の象徴よ。蛇の皮を使った物を持ち歩いている人が多いから、今度見てみるといいわ。あなたから見れば不吉なものである蛇も、他の人から見れば再生や幸運の象徴になるのよ。ね、色々なことを知っていれば物事を色んな目線で見ることができるでしょう?」

「ペラペラと口の軽い密偵もいるものだな。密偵というならば、私が裏切ることも考えておいた方がいいのでは?」

「だからさっき騎士の誓願をさせたんじゃない。誓いを破れば、貴方の剣は永久に剥奪よ。もう貴方と私は一心同体ね」


 クスクスと笑って手を伸ばし、口外無用とばかりにアデルの唇を指で塞いでやるとアデルが露骨に顔をしかめた。


「やはりエリストリア人というのはつくづく勝手な民族だな。私の仕事は君の体を守ることであって、情報の秘匿は契約に入っていないはずだが。今度の主人はやたらと性根がねじ曲がっていると見える」

「あら、私は貴方のような素直な人が騎士になってもらって嬉しいわ。仲良くやりましょう、アデル」


 にっこりと笑って肩を叩くと、返事の代わりに聞こえてきたのは大きなため息だった。

 



※※※


 「恐れながら閣下、もう少し現状を詳しくお話頂けますでしょうか」


 仕度を終え、貴族の家へ向かう馬車に乗りながら、アデルが恐縮しつつ頭を垂れる。今からさる貴族の晩餐会に行くという話だが、一体何から彼らを守れば良いのかさっぱり見当がつかない。

 アデルの目に困惑の色を見てとり、ローレンスが顎に手をあてる。


「ふむ。確かにリディアのように一を聞いて十を知れというのは酷だな。では掻い摘んで話そう。アデルは王宮で王子殿下の護衛に就いていたわけだが、宮廷内の政治についてはどれほど理解しているかな」

「いえ、ほとんど存じ上げておりません。私はただ王族の身を守ることにのみ専念しておりましたので」 

「君も知っての通り、この国は四つの民族が統合されてできた国だ。容姿も文化もまるで違う民族が、我がエリストリア王家によって一つの国に統合されてからというものの、宮廷内では覇権争いが激化している。お前達ヴァルド人も、異民族を王に掲げることを内心では受け入れていないだろう?」


 ローレンスの言葉に、アデルが口をつぐむ。つい昨日までエリストリア王家に忠誠を誓っていたはずなのだが、確かに彼はまるで文化の違う金髪金眼の王に命を捧げることを内心では良しとしていなかった。むしろ贅沢を好み、美しさを誇るエリストリアの気風を軽視にしている向きすらある。力が全て物を言うヴァルドでは、金銀財宝に囲まれている者よりも、敵の首を取った数が多い者が敬われるからだ。

 アデルの反応で本心を察したのか、ローレンスが同意するように肯首する。


「君のような真面目で律儀なヴァルド人でさえそうなんだ。他の貴族達も同じ有様でね、他の三つの民族もエリストリア王の首をとって自分達の民族をこの国の王座に据えたいと思っているのさ。そして残念なことに現エリストリア王は高齢だ。世代交代が近いこの時こそ、政局が荒れる」

「それと我々に何の関係があるのですか」

「アデル、お前も政局を読む力をつけた方が良い。私はこのリディアを使って宮廷から陰謀の種を暴き出し、早めに芽を摘み取ることで王子殿下をお守りするのだ。彼女の強みは知識の深さではなく、その着眼点と機転の良さだ。まぁこうやって話していてもわからないだろう。彼女の実力は実際に目で見る方が早い。実はリディアが社交界に顔を出すのは今日が初めてでね。彼女がどこまで刃を奮えるかは私もよくわからないのだよ」


 朗らかな声と共にローレンスがにこやかに告げる。そうこうしているうちに、馬車は大きな屋敷の前で停車した。

 そこは王都からさほど離れていない場所にある屋敷だった。建物の規模と召使いの数から推測するに、そこそこの実力がある貴族の家だろう。


「ガルム・アッ=ザイヤートという中流貴族の男の家だ。ただ、最近妙に羽振りが良くなってね。夜な夜な有力な貴族を自宅に招いて人脈を伸ばしている。探る価値はあるだろう」


 ローレンスの言葉に、リディアが頷く。馬車から降りると、足首まである白いトーブを着た褐色肌の召使いが恭しく出迎えてくれた。サマール人の正装だ。サマール文化は香辛料を使うことが多い為か、彼の服からはほんの少しだけピリッとしたハーブの香りがする。


「よくぞいらっしゃいました。中で主人がお待ちです」


 ほんの少しだけサマールの訛があるエリストリア語だった。王都に住んでいる貴族達とは違い、地方に住んでいる者達はエリストリア語に不慣れな者が多い。勿論、異民族とは言え二百年前から王都暮らしをしている由緒正しい家柄の貴族達は、召使い達も完璧なエリステリア語を話せる者がほとんどだ。


(羽振りは良いけど、王都暮らしの召使いを揃えるくらいの財力はないようね。こういうきな臭い所に、必ず陰謀の種は眠っているのよ)


 召使いに案内されながら、リディアは素早く思考のスイッチを入れる。今から屋敷で見たもの聞いたものを組み立てて一つの筋書きを導き出さなければならない。


 三人は、サマール人の召使いに案内されるがままに屋敷の中へと入っていった。

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