【完結】妹にハメられて、わたくしは幸せになりました〜婚約破棄断罪劇の裏の裏〜

杜野秋人

第1話 貶められたシャルロッテ

「シャルロッテ・フォン・アスカーニア=アンハルト!」


 学友との歓談中に急に大声でフルネームを叫ばれ、シャルロッテは思わずそちらを振り向いた。

 見れば、長年の婚約者であるルートヴィヒ第二皇子が肩を怒らせてこちらを睨んでいる。シャルロッテは慌てて、だが決してはしたなくならぬよう、ルートヴィヒの元へ駆け寄る。



 ブロイス帝国、その帝都ヴェリビリ。

 その南西の一角を占める、帝国が誇るヴェリビリ帝国学舎の、本日は卒業式典の当日である。すでに式典はつつがなく終わり、卒業生たちを祝う祝賀パーティーの会場に、卒業生たちもその親たちも在校生たちも教職員たちも集まっていた。あとは皇帝陛下のご臨席を賜り、開会のお言葉を待つばかりだ。

 シャルロッテとルートヴィヒはともに今回卒業する16歳である。卒業後は具体的に婚姻の準備が動き始めるため、今宵は独身最後の自由を楽しむひとときと言えた。


 だがシャルロッテには、ルートヴィヒが一体何に怒っているのかが分からない。6年間婚約者を務めてきて、互いに良好な関係を築いてきたと自負しているが、何か粗相でもあっただろうか。


「お呼びでございますか、ルートヴィヒ殿下」


 同い年で婚約者とはいえ、相手は第二皇子だ。それも皇后の子なのでシャルロッテとの婚姻をもって立太子される予定の、つまりは次期皇帝である。

 そのような至尊の御方に万が一にも不敬があってはならない。そのためシャルロッテは一分の隙もない完璧な淑女礼カーテシーでもって応えた。


「何故呼ばれたか、分かっているかシャルロッテ」


 ルートヴィヒの怒声がシャルロッテに浴びせられるが、彼女には全く心当たりがない。というか、つい先程まで彼も周囲とにこやかに談笑していたというのに。そして自分や側近候補たちとパーティーを楽しもうと話していたはずなのに。

 その彼が何故今これほど怒っているのか、それさえも見当がつかない。


「その様子だと、解っておらぬようだな?」

「誠に申し訳ございません。わたくしが何か粗相を致しましたのならば謹んでお詫びを⸺」

「私にではない!」


 わけも分からぬまま謝罪に及ぼうとするシャルロッテを、ルートヴィヒの言葉が遮った。


「詫びるのならばローゼマリー嬢に詫びるべきであろうが!」


 突然に妹の名を出され、驚きのあまり許可も得ずにシャルロッテは頭を上げてしまった。その目に映ったのは、いつの間にかルートヴィヒの腕に抱かれて忌々しげにこちらを睨みつける年子の妹ローゼマリーの姿。

 ローゼマリーから睨まれる心当たりも、やはりシャルロッテにはない。生まれてこのかた喧嘩らしい喧嘩もしたことがなく、世間では仲の良いアスカーニア公爵家の美人姉妹で通っているのに。


 ああ、でも、あの子は陰でわたくしに嫉妬していると使用人たちに洩らしていたようですけれど。でもそれは、わたくしを目標に公爵家令嬢としてより完璧を目指そうとするあの子の向上心の現れだと、喜ばしく思っていましたのに。

 でも今、こうして睨まれているということは、もしかして言葉通りにわたくしに嫉妬していたの?次期皇后に内定しているわたくしのことが、そんなに妬ましかったのかしら?


「ローゼ、マリー……?」

「とぼけようとしても無駄だ!聞けばそなたは邸でこのローゼを長年に渡って虐げていたそうではないか!」


「……なっ!?」


 青天の霹靂、とはこういうことを言うのだろうか。

 それほどまでに、シャルロッテには全く身に覚えがない。


「そなたは自身が何もかも完璧にこなせるからといって、いまだ至らぬローゼを散々にけなしているそうだな!それだけでなく暴力をふるい、ドレスで隠されて見えない腕や背中や腰を使用人たちに鞭打たせたと聞く!さらに⸺」

「お、お待ち下さい!」


 どれもこれも事実無根であった。シャルロッテはローゼマリーにはもちろん、使用人や下人たちにさえそのような無碍な扱いなどしたことがない。そもそもそんなことを考えた事さえなかった。


「わたくしはそのようなこと」

「やっておらぬと申すか!」

「嘘です!殿下、わたくしはお姉様に毎日のように虐められて!」


 震える声でそう言って、ローゼマリーがドレスの袖をまくる。

 そこには赤く腫れ上がった、見るからに痛々しい鞭の跡が確かに走っていた。


「これでもまだしらを切るか!」


「そ、そんな……!」


 ローゼマリーがそんな目に遭っていたなどとシャルロッテは知らなかった。だが確かに彼女の腕には鞭の跡が刻まれている。自分以外に彼女にそんな事ができる者となると、公爵家には兄か両親しかいない。

 だがシャルロッテ自身もローゼマリーも両親にはたっぷり愛されて今日まで過ごしてきた。その両親がこんな仕打ちをするはずがない。現に、視界の端に捉えた両親も驚き青褪めているくらいだ。

 ではまさか、お兄様が!?


 そこまで考えて、彼女は気付いてしまった。ここで自分が無実を主張すれば、兄の犯行だと証言して・・・・しまう・・・ことになる、と。


 ゆえに彼女は黙り込むしかなくなる。


「ふん、ようやく観念したようだな」


 黙り込んだシャルロッテを見て、ルートヴィヒが見下げたように鼻で嗤った。


「血を分けた実の妹に陰でこのような仕打ちをするような者など、私の皇妃として、将来の皇后として相応しいとは言えぬ!よって、今この場においてそなたとの婚約を破棄する!よいな!」


 ルートヴィヒの冷酷な声が、容赦なくシャルロッテに叩きつけられる。だが言い返せない彼女は歯を食いしばって俯き耐えるしかできなかった。


「シャルロッテよ、残念だ」

「ええ、本当に。貴女がそんな子だったなんて」


 不意にかけられた声に、シャルロッテはまたしても思わず顔を上げてしまう。その振り向いた視線の先には⸺


「皇帝陛下!皇后陛下!」


 そう、ルートヴィヒの両親である皇帝夫妻が立っていたのだ。


 違います、わたくしはやっておりません。

 そう言いたかったがシャルロッテの口は動かない。だって自分が無実を主張すれば兄に嫌疑がかかるのだから。

 正直、シャルロッテは兄もそんな事をするはずがないと信じていたが、この場にその兄がいない以上は確かめる事もできない。それにローゼマリーの腕には確かに鞭の跡があったのだから、彼女が誰かに鞭打たれたのは事実なのだ。


「両陛下、私とシャルロッテとの婚約破棄、お認め下さいますか」

「やむを得んな、認めるほかあるまい」

「アスカーニア公、何か申し開きはあるか」

「…………いえ、御意のままに」

「そして私はこのローゼマリーと新たに婚約したく思います。お認め下さいますか陛下」

「よかろう、それも認めよう」

「ありがとうございます陛下、殿下!わたくし帝国のため、公爵家のため、精一杯務めますわ!」


 何も言えないままのシャルロッテを独り取り残して、次々と話がまとまってゆく。それが口惜しくてたまらなかった。

 ルートヴィヒ殿下の婚約者として恥じるところのないように、公爵家の名を汚さぬように、必死に頑張ってきたこの6年間は何だったのか。このような謂れなき冤罪を受けねばならぬほど、自分はそれほどまでに疎ましかったのか。

 耐えていたのに、耐えきれずにシャルロッテの頬をひとすじの涙が伝う。これほどの辱めを受けるくらいなら、いっそ死を賜った方が楽になれるとさえ思った。


「ではシャルロッテ。そなたに罰を与える」


 理不尽な絶望に打ちひしがれる彼女に向かって、ルートヴィヒの冷たい声がさらに浴びせられる。


「そなたはブレンダンブルク辺境伯領へ流罪とする!辺境伯と婚姻し、その妻として、生涯を国の守りに尽くすがよい!」


 そうして宣告されたのは、耳を疑うような“罰”だった⸺!

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