第14話 そして準備は整った(一応)
「ゾフィー、ひと思いにやって頂戴!」
「で、ですがお嬢様」
「い、いいから!」
一方こちらはアスカーニア公爵家。
ルートヴィヒたちが「まあ大丈夫だろ」「ですねえ」と互いを納得させつつあるちょうど同じくらいの時間帯、つまりは
ローゼマリーの部屋では、彼女と専属侍女のゾフィーが何やら言い合っていた。
ゾフィーの手には何故か細身の長鞭が握られていて、ローゼマリーは左袖を肘までまくり上げている。
「ですがお嬢様、これ痛いですよ?」
「い、いいのよ」
いいと言いつつ、ローゼマリーは小刻みに全身を震わせている。どうやら痛いのは分かっている模様。
そう。今彼女は、
年が明けてからのこの約1ヶ月、ローゼマリーは何かと理由をつけてはせっせとルートヴィヒの元へと通い続けた。彼との親密度を上げて、
その甲斐あって、半月ほど前からはルートヴィヒの方から呼んでくれるようになり、観劇や食べ歩きにも連れて行ってもらえたし、既製品を元にした簡易的なカスタムメイドではあったがドレスも贈ってもらえた。もちろんそれに付随するアクセサリーもだ。
そのことにすっかり浮かれていたのもあるのだが、ローゼマリーは肝心なことを忘れていた。その忘れていたことを卒業パーティーの前夜になってようやく思い出したのだ。
そう。虐められた証拠の捏造を、彼女は全くやっていなかったのである。
だって虐めなんて
もちろん、それは怒られたことがないという意味ではない。悪いことや間違ったことをすればきちんと怒られるし、ローゼマリー自身も怒られて怖いと感じたことも多々ある。だがこんこんと言い聞かせられてローゼマリーがきちんと理解すれば、最後はいつも必ず抱きしめられて褒められて喜ばれてきたのだ。
だから捏造すると言っても、彼女にはどんなものが「虐め」なのかが分からない。仕方なくゾフィーにそれとなく相談すれば、彼女から薦められたのは最近流行りの恋愛小説だった。
その小説には生母を亡くしたあと、父が邸に連れ込んできた義母と異母妹に虐げられボロボロになった貴族のご令嬢が、体よく追い出される形で悪い噂のある公爵様に嫁がされて、そこで旦那様や使用人たちに愛されどんどん幸せになっていく王道の恋愛ストーリーが描かれていた。その冒頭で虐められているシーンが参考になると言われたのだ。
だが、ローゼマリーはとても無理だと思った。だって小説に書いてある残飯まがいの食事なんて見たこともなかったし、持ち物を片っ端からねだられて奪われた経験もなかったし、使用人扱いでこき使われたこともなかったのだから。
そんな描写のなかで、唯一ローゼマリーがこれだ!と思ったのが、粗相もしないのに鞭で叩かれるシーンである。これなら準備を忘れていて前夜になってしまった今からでも準備できるし、傷が残るから証拠にもなる。痛いのは嫌だがきっと一瞬だけだし、ゾフィーに頼めば協力してくれるはず。
というわけで、最初の会話に戻る。
「ちょっと
「ですからお嬢様、これすっごく痛いんですよ?」
「わ、分かってるわよ!」
当たり前だがローゼマリーは鞭で叩かれたことがないので、その痛みを本当には理解していない。対して幼い頃に躾で叩かれた経験のあるゾフィーは嫌というほど分かっている。大好きなご主人様に、そんな痛みを知ってほしくないと思うのは当然のことであった。
だが、ゾフィーだって
だから最後は、渋々ながらも折れた。
「いいですか、行きますよ」
「い、いいわよ、思い切りやって頂戴!」
「本当にものすっごく痛いですからね?旦那様たちにバレると私が叱られますから、絶対に声を上げちゃダメですよ?」
「えっ、そ、そんなに?」
「あと思い切りやると骨折しかねないので、軽くいきますね?」
「う、うそ!?」
「あ、念のために布を噛んで耐える準備をしておきましょうか」
「ちょっ待って本気で言ってるの!?」
どうやら想像よりもずっと痛いらしい。そう気付いた時にはもうゾフィーが全部準備していて、ずいっと差し出された布の塊をローゼマリーは呆然と眺めるしかない。
細く帯状に折り畳まれた布の真ん中に結び目ができていて、どうやらその結び目を噛めということらしい。
もう後に引けないローゼマリーは震えながら結び目を口に含む。落ちないようにゾフィーが後頭部で結わえてくれて、いよいよ準備万端。
「絶対に声上げちゃだめですからね?」
「んー!」
「行きますよ」
「んんー!?」
「せーのっ!」
バシーン!
「ん゛ーーーーーっっっ!!!!」
ゾフィーが猿ぐつわの機転を利かせたことにより、ローゼマリーのそのくぐもった悲鳴は誰にも聞かれずに済んだのであった。
なお、想像を絶する痛みに悶絶したローゼマリーはひとしきり無言の絶叫を上げたあと、痛みに耐えかねて気絶したのであった。
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