第26話 全てを明らかにするために

「ああ、懐かしいですねその呼び名」


 アードルフの名を呼ぶつもりで、うっかり発音を間違って『アーロルフ』と言ってしまった朝食の席。心から懐かしそうなアードルフの言葉がまたもやシャルロッテを驚かせた。


「えっ?」


 恥ずかしさのあまりにティシュテーブルに突っ伏してしまったシャルロッテが、思わず再び顔を上げる。

 アードルフは今までで一番と言っていいほど、穏やかで優しい顔をしていた。


「貴女が実は舌っ足らずでよく噛むところ、昔のまま変わりませんね」

「えっえっえっ?」

「ですが、どうせなら『アーロルフお兄ちゃま』まで言ってもらえると」

「ええ!?」

「ああ、でも、上手く発音できなくて『ドルフ』と呼んでもらうようにしたのでしたね」


「お……憶えていらしたのですか……?」


「もちろん。あの日のことは1日たりとも忘れたことなどありません。その様子だと、貴女も憶えていたのでしょう?」


 あの日のことはシャルロッテも憶えていた。

 より正確には、今のやり取りでようやくハッキリと思い出したと言った方が正しいか。何しろ幼かった日のことで、細かい会話の内容まではうろ憶えだったのだから。

 だが彼女の深層心理にはしっかりと記憶が根付いていて、だからこそローゼマリーに聞かれたうわ言で『ドルフ』の名が出てきたのだった。



 それからふたりは、時間も忘れてこれまでのことを語り合った。10年前のあの日のこと、5年前の戦勝式典のこと、そしてシャルロッテがホーエンス城に来てからのこと。


「そ、それではもしやアードルフさまも、今までずっと……!?」

「お、今度はちゃんと発音できましたね」

「もう!からかわないで下さいまし!」

「でも私のことは『ドルフ』ですよ、『ロッテ』」

「えっいえそのあのそっそれは、その、まだ無理ですわ!」


 年齢も気持ちの余裕も、記憶の内容も、何もかもがシャルロッテはアードルフに太刀打ちできない。まだ無理とは言ったものの、想定外の彼の甘さに慣れるまではまだまだ当分落ち着かなさそうである。というか慣れる日が来るとは彼女には思えなかった。



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



「アードルフさま、お話がございます」


 その翌日の朝食の席。

 食事終わりに不機嫌そうな声音でシャルロッテに切り出され、アードルフは内心で首を傾げた。


「どうしました、ロッテ」


「………っ!も、もうその呼び名に馴染まれたのですか!?早くありませんこと!?」

「え、いやまあ、5年前のあの日から内心ではずっと呼んでましたし」

「ってそれもわたくしと一緒ですの!?っていえ違」

「ははは、お互い気が合いますな。⸺で?本題に戻りましょうか」


「っ、そ、そうでしたわ」


 シャルロッテは頬を赤らめたままコホンと咳払いをひとつ。

 そしておもむろに問い質してきた。


「アードルフさまは今回のこと、どこまでご存知なのですの?」


「ご存知、とは?」


 何を聞かれているか分かっていて、敢えて彼はとぼけてみせる。


「その、今回の件に関して、わたくしの周りのかなり広範囲で何かしらの陰謀・・が仕組まれていたのではないかと思うのです。ルートヴィヒ殿下やわたくしの侍女のライナ、それに我が父まで何やら事情を知っているようなのですが、誰も話そうとしないのです。

もしやと思いますが、アードルフさまも関わ・・って・・おられますの?」



 シャルロッテはすでに、今回の婚約破棄に関して何らかの計画が自分の知らぬ間に動いていて、その一環もしくは仕上げとして婚約破棄されたのだろうと見抜いていた。だがその全貌が見えず、自分を婚約破棄して追放した意味も分からないことに不信感と焦燥感を募らせていた。

 もしも殿下が何らかの陰謀に追い詰められ、自分を切り捨てざるを得なくなるまで追い込まれているのだとしたら、婚約者の・・・・務め・・としてともに立ち向かい、殿下をお救い申し上げねば。自分だけがアードルフの元で安穏としていていいわけがない。


 そう思い詰めた彼女はこの10日あまりで何度もライナを問い詰め、困り果てたライナは「わたくしの一存ではお話できないのです」と詫びるところまで追い込まれていた。埒が明かぬと見たシャルロッテは実家へ手紙をしたため、父に直接問い質したが、返書が来たかと思いきや「時期が来れば殿下がお話下さるからそれを待て」とのこと。

 ならば殿下に直接問い質すまでのこと。アードルフに頼んで皇城に連れて行ってもらおう。

 そこまで考えて、彼もその企みに加担しているひとりなのではないかと彼女は思い至ったのだ。


 真っ直ぐな目を向けてくるその顔を見て、アードルフは彼女が“真相”にたどり着きつつあることを実感した。こうなればルートヴィヒ皇子に謁見して、全てを明らかにしてしまった方がいいだろう。

 殿下の口から全てを語ってもらうことについてはすでに約束を取り付けているが、まだ謁見の連絡はない。かくなる上はこちらから督促の使者でも出すべきか。


「私も貴女と同じ、“知らなかった側”ですよ」


 だがその前に、彼女を安心させておく必要がある。少なくともアードルフじぶんは彼女の味方なのだから。


「その口ぶりですと、もう・・知って・・・おられる・・・・のですね?」


 やはり彼女は聡明で鋭い。

 苦笑するとともに、その聡明さがより愛おしくなるアードルフである。


「その件については、殿下より直接ご説明頂けるようすでにお願いを申し上げている。まだ連絡は来ないが⸺」


 その時、朝食室の扉がノックされた。

 許可とともに入室してきた従僕が、アードルフの耳元で何事かを伝える。彼は頷きとともに労いの言葉をかけて従僕を退出させ、シャルロッテの方に向き直った。


「ちょうど、その連絡が来たようです。一緒に殿下の御前に参りましょうか」


 そして立ち上がり、シャルロッテに向かって右手を差し出したのだった。

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