第16話 式典のあと、パーティーの前

「さて、お待たせしたね」


 ヴェリビリ帝国学舎の中央教棟四階、ここは学舎に通う皇族子女たちの専用スペースになっている。彼らが住まう寮、学舎内で公務を行うための執務室や応接室、休憩室や食事室、それから護衛や“影”たちの控え室と四階専用の使用人たちの個室に、特別な客を泊まらせる客室までも備えてある。

 学舎に皇族子女が通っていない年度は完全封鎖され使われないというから、何とも贅沢な話である。

 その客室のひとつにルートヴィヒが入って行く。中にいた人物がソファから立ち上がって彼を出迎えた。


「ルートヴィヒ殿下!姉には気付かれませんでしたか!?」


 心配そうに駆け寄ってきたのはローゼマリーだ。シャルロッテには姿を見ていないと言いつつ、その実ルートヴィヒが彼女を四階に連れ込んで匿っていたのだ。道理でシャルロッテが一緒に帰ろうと探しても見つからないわけである。

 なおそのシャルロッテもルートヴィヒの婚約者ということでこの四階に寮を与えられていた。だが彼女は時間の許す限り公邸へと帰るよう努めていて、ここの寮は公務が忙しすぎて帰れなかったり、学舎の生徒会活動で遅くなって泊まり込みを選択した時くらいしか利用していなかった。公務が激減して公邸へ帰れないということもなくなったため、すでに引き払って私物も持ち帰っている。

 ついでに言えばシャルロッテは皇宮にも私室を持っていて専属侍女も与えられている。そちらは皇子の婚約者・・・のまま・・・なのでまるっと残したままだ。


「いやあ相変わらず勘が鋭いよねロッテは。あっさりバレそうでヒヤヒヤしたよ」


「う……お姉様め……。ホント、勘のいい子は嫌いですわ」


 そういうローゼマリーは姉と違って鈍感な方である。彼女自身を気に入ってそれとなく交際を申し込んだり婚約をほのめかしたりした高位貴族の子弟が実は何人もいたのだが、全く気付かずにスルーし続けて今に至る。

 父のアスカーニア公爵グントラムの元へもそれなりに婚約の打診が来たりしていたのだが、当のローゼマリー本人が興味を示さないものだから全部握り潰され立ち消えになった。おかげで成人したこの歳15歳になってもローゼマリーには婚約者がおらず、だから密かに“売れ残りの優良物件”として人気が高騰しつつある。知らぬはローゼマリーのみだ。

 まあ、そんな彼女は子供の頃からルートヴィヒ一筋だったわけだが。それを知った今となってはルートヴィヒも苦笑するしかない。


「それで?僕に内密の話ってなんだい?」


 内密もなにも姉に虐められているという例の話・・・である。もう全員が・・・知っている・・・・・やつ・・だ。


「実は……その、」


 知られていると知らない・・・・ものだから、彼女はもったいぶってモジモジしている。茶番だなあと思いながらもルートヴィヒは黙ってニコニコしたままだ。


「あ、内密だって言うから今この場には護衛も侍女も“影”も外させているからね?完全に僕たちふたりきりで、他に誰も聞いてないから安心して?」


 そのニコニコ顔のまま大嘘をつくルートヴィヒである。だってもう全員が・・・知っている・・・・・のだから、今さら席を外す意味もないのだ。


「えっ…………!?」


 なのに恋しい皇子さま姉の婚約者ふたりきり・・・・・だと聞いて、ローゼマリーの顔が一気に火照る。


「えええっ!?ふ、ふ、ふふふふたふたふた…!」

「まあまあ、落ち着いて?君は愛しい・・・ロッテ・・・の妹・・なんだから、僕にとってももう“義妹いもうと”だ。ふたりきりだとしても問題ないよ」


 義妹と言われてスンと冷めるローゼマリー。分かりやすいほど落ち込む彼女にルートヴィヒも苦笑しきりである。


(いやあ、この子はこの子で案外可愛いな?)


 公爵家令嬢らしからぬ感情丸出しのローゼマリーの姿は、ルートヴィヒには新鮮で好ましく映った。



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



「なるほど……。ロッテが虐めそんなことを……」

「し、信じられないでしょうけれど本当のことなのです!そ、その証拠に、こ、これを……!」


 ローゼマリーは左袖をまくって見せる。ルートヴィヒに贈られた既製品のドレスは昼に着られる茶会用のドレスで手首まで袖のあるフォーマルなものだが、まくり上げたその下の腕には昨晩の生々しい鞭の痕。赤く腫れ上がったその痕跡にさすがのルートヴィヒも驚いた。

 それもそのはず、彼女の左腕に鞭の痕があることはローゼマリーとゾフィーしか知らないことで、ルートヴィヒはもちろんシャルロッテも父グントラムも兄エリアスも知らないのだ。なおこれを他人に見られたら大騒ぎになるので、今日このドレスの着付けは、というか昨夜から今朝にかけてのローゼマリーの支度は全てゾフィーがひとりでやらされるハメになったのだった。


「これは、酷いな……!」


 口元を押さえて絶句するルートヴィヒに、昨夜の痛みを思い出してローゼマリーも涙目になる。


「で、ですからどうか、そんな姉とのご婚姻を、なにとぞお考え直し頂きたいのです!」

「し、しかし、やはり信じられないな」

「だってこんなに動かぬ・・・証拠・・があるではないですか!」

「そうなんだが……」


 さすがに驚いたものの、妹を虐めていることを理由に婚約を破棄するのはローゼマリーの計画にある通りで既定路線・・・・でもある。彼女が口先だけでなく実際の証拠を用意してきたことで、ルートヴィヒが信じた・・たとしても・・・・・無理のない・・・・・状況が出来上がっている。

 そして、一旦飲み込んだならルートヴィヒは決断も行動も早い。


「⸺いや、そうだな、分かった。ロッテがこんな酷い仕打ちをするとは思わなかったが、確かにそれが本当なら皇子妃としては認められない」

「そ、そうですわよね!」

「しかしそうなると、僕には婚約者がいなくなる。新たに婚約者から選び直すとすると今後の予定が大幅に狂うな……」


 さあローゼマリーにとっての正念場である。姉との婚約を破棄させるまでは道筋ができたが、代わりに自分を婚約者に選んでもらう手立ては、実はサッパリである。

 なんと言ってもあのメモに書いてあったのは彼女に都合のいい妄想だけで、それを実現させるための作戦・・は「ルートヴィヒと仲良くなること」しか実行していないのだ。


「あ、あの、それなのですが!」

「ねえ、ローゼマリー嬢には婚約者がいなかったよね?」

「………………えっ?」


 だがそんなローゼマリーにとって、思いもよらない方向に話が流れ始めた。


「うん、そうだ。それがいい」

「えっ、あの……」

「ローゼマリー嬢。いやローゼ」

「えっ!?は、はい……!」


 いきなり愛称で呼びかけられ、真っ直ぐに見つめられて、ローゼマリーは完全に恋する乙女の顔で押し黙る。


「代わりに僕の婚約者になってはくれないか?」


 そしてついに、夢にまで見た一言が、愛しい皇子様の口から放たれた。


「は、はいっ!わたくしでよければ喜んで!」



 こうしてついに、全ての準備は整った。

 あとは本番、卒業記念パーティーでの婚約破棄を実行するだけである。

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