第13話 繁華街の休日
戦闘が終わって一夜が明け、アヴァターラ号には疲れが滞留し気の抜けたムードが漂っていた。十時を迎えた艦内に放送が流れる。
「半日上陸券を第一班にはこれから、第二班には明日、第三班には明後日、第四班には明々後日に配布する。第一班、個別端末を確認せよ!上陸券が送信されていない者は直卒の上司に報告するように!」
スピーカーから流れたハル艦長の声を受けて、船内はにわかに騒がしくなった。第一班の面々は勇み足で繁華街や歓楽街のある市街南側へと繰り出し、非番の二班と三班の兵士たちは上陸の際に行けそうな店を探すため艦内図書館の都市内インターネット検索コーナーへ殺到した。
「押すな押すな、順番を待て」
「てめえ三班だろ、俺は二班だ。明日だぞ」
「ばっきゃろー俺は二班だ!てめえと立場は変わらんぞ」
「そうかそうか、じゃあすまんかった」
「じゃあ?何だよ、何がじゃあなんだ!」
艦内図書館はあっという間に黒山の人だかりとなり、熱狂的な兵士たちが今にも騒ぎ始めそうである。しかしこの混雑への対処もハル艦長は心得ていた。艦内図書館が混雑し始めると、ハル艦長は速やかに決定を下した。
「艦長より達する、図書館の混雑緩和のため第二班および第三班を構成する乗員の個人用端末からパノラモートの都市内インターネットを一時的に閲覧できるように設定した。活用されたし」
乗員たちの間では歓声が上がり、しばらくすると図書館に集まっていた兵士たちは休憩室や食堂などへと散っていく。図書館で待機していた主計科の士官たちも殺到してきていた兵士たちが減ったので、通常業務に戻って返却された書籍のチェックを始めた。ロジカ記者がやって来てから急激に図書館利用者が増え、物理書籍の貸し出し数も増加している。そのため、図書館業務に回される主計科の士官は増員されたばかりである。
「そうだ、記者さんのペンネームはわかったか?」
カウンター当番の士官たちは物理書籍をパラパラとめくって点検しながら話し合っている。
「質問帳への回答でも伏せられてたもんな」
「まあ作家なんてそんなもんだろう、ペンネームというのは本名から小説家の自分を切り離すための手段らしいからね」
「分班長、やけにペンネームに詳しいですね」
「いやあ、学生時代の知り合いに作家デビューしたやつがいてね。そいつにとってのペンネームはそういうものだって延々聞かされたんだ」
皆が感心する中、ある青年士官が口を開いた。
「そういえば僕は小説書いてますよ。第二層の都市間ネットワークに開設されている小説投稿専用のウェブページに数本投稿してます。小説を読んで感想を言ってくれるならペンネームもここで開示できます」
「本当かい」
「ええ。酷いものしか書いてない気はしますけど、感想を書いてもらうとほかの何よりも小説を書くモチベーションが得られますから」
「そうか。じゃあ教えてくれ」
「わかりました。宵闇代史っていうペンネームです。都市間ネットワークを検索すれば出てくると思います」
「ありがとう。メモしておくよ」
班長はメモ帳を開いて、青年士官が口にしたペンネームを書き留める。楽しみが一つ増えたのを感じながら、彼はそっとメモ帳をしまう。
「さて、上陸のときはどこに行こうか」
「私は書店に行きたいですね」
「私は市場で古書を買いあさりたいなあ」
「艦長はどこに行くんでしょうか」
「きっと副長と船に残ってるよ。副長も艦長もこの船が家みたいなものだからな」
皆が頷いて同意したが、今回に限ってはハル艦長とヴォロス副長は街に出るつもりだった。
「ハル艦長!やりました!」
非番で艦橋の休憩室に来たヴォロス副長の歓声に、休憩しながら情報端末を操作していたハル艦長はびっくりして「どうした」と尋ねる。ヴォロス副長は風合いのいい紙でできた封筒を片手に収め、厚紙二枚をハル艦長に見せた。ハル艦長が状況をつかめず困惑していると、ヴォロス副長は厚紙を裏返して艦橋休憩室に据えられたテーブルの上に置く。
「前におっしゃっていたレストランのディナー予約、取れましたよ」
「ええ!?」
「パノラモートに停泊すると聞いた後、すぐに申し込んでおいたんです。明後日の午後七時から、一緒にディナーなんてどうでしょうか」
ちょっと気取った様子でディナーに誘うヴォロス副長に、ハル艦長はにこりと笑って冗談っぽく言った。
「エスコートは頼んだよ」
ヴォロス副長は胸に手を当て、「かしこまりました」と言って頭を下げた。
「さて、私は仕事に戻る。明後日の夜から明々後日にかけて、パノラモートでは初雪が降るらしいから寒さに気を付けるように」
「はい。十月七日でもう初雪なのですね」
「そうだな、パノラモートは冷帯に位置するし寒いからな」
「なるほど、だからポストや兵士の服装が寒冷地仕様だったのか」
「そうだな。ところでどこまで予約票を出しに行ったんだ?」
ハル艦長は少しあきれたような顔でヴォロス副長に問う。
「基地のポストまでですね」
ヴォロス副長はそう言って笑う。ハル艦長は笑いながらうなずいて言った。
「やはり君の行動力はすごいな。ありがとう」
ハル艦長は立ち上がって艦橋の指揮所へと戻る通路に踏み出し、ヴォロス副長に微笑みかけて休憩室を出ていった。
「さて、ハル艦長のエスコートをするとなると……」
ヴォロス副長はつぶやきながら予約券をクリアファイルに入れて、そっと艦橋を後にしたのだった。
十月七日午後五時、パノラモートでは今年になって初めての降雪を観測した。その雪は次第に冷え切った舗装道路へと降り積もり、活況を見せる市街を白く染めていく。午後六時を前に、パノラモートの気象台は大積雪警戒情報を発信し始めた。ハル艦長とヴォロス副長は、コートの襟を立てマフラーをつけて雪が積もりつつある街を歩いていく。目指す先は休日の人出でにぎわう繁華街を内に収めた円環タワー状の高層建築「パノラモートタワーモール」の最上階、その一角に立地する野菜を使ったスープ料理と肉類の煮込み料理が特においしいと評判のレストランである。
「予約の時間には十分間に合いますから、そんなに急がなくてもいいんですよ?」
ヴォロス副長はハル艦長の方を顧みて言った。ハル艦長はあからさまに焦った様子で、少し頬を赤らめながら言った。
「いやその何というか、エスコートは頼むよとか言っちゃったからな、その……ははは……」
「なるほど緊張してるんですね、そんなに身構えなくても一緒に歩くだけですし」
ヴォロス副長はハル艦長に追いつこうと速度を上げ、雪が踏みしめられ固まってきた足元に注意をしながら歩いていく。少し歩いたところでマンホールに張り付いた氷で足を滑らせそうになったハル艦長の速度が少し下がって、ヴォロス副長は難なくハル艦長に追いついた。
「さて、そこのエントランスを入ったらエスカレーターで最上階まで向かいましょう。レストラン街は最上階のFブロックにあるそうですよ」
「ちょっと待ってくれないか」
「どうしたんです?」
「靴底に雪が詰まってかなり滑るようになっちゃったんだよ」
傘をたたんだハル艦長は靴底にこびりついた氷を落とそうとタワーモールのエントランス手前の敷石に靴底をこすりつけ、何とか氷を取ってエントランスへと足を踏み入れる。エスカレーターを探して食料品コーナーを抜け、ホビー用品のコーナーを過ぎ、なんとかエスカレーターの一つにたどり着き、長い螺旋階段のような配置をしたエスカレーターのステップに立った二人は一息ついた。ハル艦長が肩から下げていた軍用のカバンに手袋を収めている隣で、ヴォロス副長はそっとエスカレーターの手すりに手を乗せる。エスカレーターはゆっくりと二人を階上へ運び、やがて二人は最上階へとたどり着いた。
「ここはEブロックだから……隣のブロックに行けばいいんだな」
ハル艦長はフロアマップを確認すると、ヴォロス副長の前を歩き始めた。ヴォロス副長は何となく安心感を覚えながらハル艦長の後ろをついていく。
「さて、この角を右に曲がって、そのまま外側の展望デッキの方に向かうんだっけ」
「そのようですね」
巨大ダンジョンのようなタワーモールは、最上階一層のブロック一つを移動するだけといえどもかなりの迷路である。目当てのブロックに移動しても、かなり入り組んだ構造のフロアから予約したレストランを探すのはとても大変であった。
「よし、ここだな。入店時刻ギリギリだ、入ろうか」
ハル艦長はヴォロス副長を促し、ヴォロス副長はハル艦長の隣で鞄を開けて予約券を出した。これを受付で出して、二名で予約したヴォロス・シャルレーンですと言えばいい。それだけなのに、少し緊張している自分にヴォロスは驚いていた。
「いらっしゃいませ」
「予約人数二人で予約したヴォロス・シャルレーンです」
「予約券を拝見させていただきます……問題ありませんね。お席はあちらになります。どうぞ」
二人は窓際にある予約席に案内された。ハル艦長は卓上のメニュー表を楽しそうに見て、野菜のブラウンシチューとパンを頼もうと心に決めた。やがてヴォロス副長がうなずき、ハル艦長はウェイターを呼ぶ。
「ブラウンシチューと黒パンをお願いします」
「私も同じものを」
「かしこまりました」
ハル艦長とヴォロス副長の注文を書きとって、ウェイターは去っていった。料理を待ちながら、ヴォロス副長は周囲を注意深く観察する。落ち着いた雰囲気で満たされた心地よい店内は、少しばかりヴォロス副長に陰鬱だった過去を思い出させた。しかし、憂鬱な過去を思い出してなおヴォロス副長の気分は良い。ハル艦長の前に座って一緒に料理を待っている今が、彼にとっては最高の瞬間であった。
「ヴォロス副長、ずっと気になっていたのだけれど」
「どうされましたか」
ハル艦長の問いに、ヴォロス副長はハル艦長を直視する。ハル艦長の鋭い眼光が幾分か柔らかくなっているのを感じて、彼は何となく懐かしく心地よい気分になった。
「どうやって土壇場でこの店を予約したんだい?かなり人気だと聞いたのだけれど」
ハル艦長の問いかけに、ヴォロス副長はカトラリーに目線を落として答える。
「たまたま予約に空きがあっただけですよ。街の近くで戦闘が起こって外出を控えた人がいたからかもしれませんが、ともかく今日の予約にキャンセルが入った結果として私たちはここに来ることができたわけです」
ヴォロス副長はそう言ってハル艦長に微笑みかけた。やがて店員が料理を持ってきて、二人は食事を始める。とりとめもない会話を交わしながら、明日への英気を養おうとする二人の胸中には何とも言えない安心感と戦場ではどう足掻いても感じられない爽やかな気分が満ちていった。食事を終えた二人は店を出ると、雪に沈むパノラモートの街を歩く。街の明かりは夜になっても煌々と灯り、雪に反射してキラキラと輝いていた。ハル艦長は街頭の時計が十一時を告げるのを聞いて、ヴォロス副長に帰艦を促す。
「帰ろうか。明日には我々の船も直るわけだし」
「そうですね艦長。竜王城址に向かった後の作戦命令は届いていないようですが、休暇でももらえるのでしょうか」
「そうだといいな。今朝の新聞によると陸軍が主導した反ムガロ連合の大型ビーム砲攻撃作戦は成功し、ビーム砲二門の鹵獲にも成功したようだ。少なくともこのまま年末大演習まで大きな仕事が入らないといいな」
ハル艦長の笑顔は、波乱を予告するかのように輝いていた。
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