第2話 竜王城址製造都市の混乱

 ハル・カランベリは、二十歳を過ぎてから久しく見ていなかった明らかな夢を見ていた。夢の中で何があったかは覚えていないが、とにかく夢を見ていたことはわかっている。目が覚めると、そこには見知った天井が広がっていた。電気を点けなくても何となく自分の部屋だとわかる空気が広がっていた。しかし、それでも何かがおかしい。彼女はその「何か」を身の回りに探した。電気を点けて、部屋を見渡すが何も異常はない。振り返っても枕と壁しか見えない。

「さっきの夢は……何だったのだろう」

 枕もとの目覚まし時計を見ると、起きる予定だった時間より少し早い。艦長は布団から出てシャツの前ボタンをしめ、士官用防暑服をハンガーから取って袖を通す。竜王城址製造都市は基底層の亜熱帯エリアに存在するため、防暑服の着用が推奨されているのだ。ズボンも防暑仕様のものを作ればいいのにと思うが、そうはいかないのが軍の難しいところである。八千万人の兵員を有する軍隊の軍服を更新するというのは、思っている以上に予算がかかるものなのだろう。準備を終え、弾倉を抜いた拳銃のホルスターを確認してからベルトに固定する。そして艦長は艦橋の指揮所に上がるエレベーターを目指して、艦長室の隣にある区画へと続く廊下に足を踏み出した。エレベーターが止まったら階段を上る必要があるが、階段はどれくらい長かったか。そんなことをふと思い出して、エレベーターの前まで来たというのにも関わらず、エレベーターには乗らないで反対側の壁面にある階段室へと足を踏み入れた。階段を上る足音だけが階段室に響く。艦橋の四十二階、すなわち最上階にある指揮所まではあとどれだけあるのだろうと階数表示を見ると、まだ三十四階である。上りきる自信はあるが、到着するのは予定通り起きた時と同じころになるだろうと艦長は予測した。四十階の階数表示を越え、四十一階の手前に差し掛かったその時、上の階で誰かが階段室に入った足音が聞こえた。誰だろうかと耳をすませば、それはどうやらヴォロス副長のようだった。

「艦長、お疲れ様です」

 ヴォロス副長は艦長を見つけると挨拶をする。艦長は会釈をして挨拶を返した。

「お疲れ。そういえばヴォロス副長はいつもここを使うの?」

「はい、健康のために毎日三万歩は歩くようにしているんです。艦内にいるとどうも歩くことが少なくてですね、自室もエレベーターのすぐそばですし……それで階段を使っているんです。けっこう運動になりますよ」

「そう。しかし交代時間はまだのはず……」

「なかなか上がって来られないので呼びに行こうと思っていたんですよ」

 副長は艦長を見つめ、何か察したような表情をしたかと思うと回転して百八十度向きを変えた。

「ああ、ごめんなさい」

 艦長は副長の隣へ追いつくと、階段をどんどん上っていく副長は小言を言い始めた。

「今日はいいですが、できる限り私たち乗員の予想は裏切らないでくださいね。技術復興省の研究屋だったころからの癖が抜け切っていないのでしょうけれど、ここは軍艦の艦内ですから。よく大佐にまで昇進できましたね」

「それ以上はやめてください、心にきます」

「わかりました。まあ、まだ交代時間には間に合います。そろそろ艦橋ですよ」

 副長の言葉に顔を上げると、階段室の出口がすぐそこに来ていた。艦長は、ふうと息をついて艦橋の指揮所に入る。

「遅れてすまない。状況は」

「すでに竜王城址製造都市付近の乙四番補給港に入港し、第一桟橋に停泊するよう司令部から指示を受けています」

 艦長は首を傾げ、乙四番補給港の要目を見て天を仰いだ。

「軍艦を補給できるような設備は一切ないが、本当に乙四番で間違いないのか?」

 そう尋ねられ、通信士官は司令部からの命令電文を音読し始めた。

「アヴァターラ号は本日正午、竜王城址製造都市外郭港湾群の乙四番補給港に入港、一番桟橋に停泊し別命あるまでそこで待機されたし。待機期間中の上陸は許可されない、全乗組員は警戒配置にて待機するべし……以上が司令部からの命令の全文です」

「なるほど、これがいわゆる「特命により動きが取れない」状態か。なんとなく嫌なものだな」

 艦長はそれきり口を開かなかった。艦は乙四番補給港へ定刻通りに入港し、一番桟橋にもやいをかけ停泊する。長期間上陸できないかもしれないアヴァターラ号の乗員を見かねてか、補給基地の職員たちは竜王城址製造都市周辺の軍艦に適合した補給設備がある港の桟橋の空き状況を確認して報告するなど便宜を図ってくれようとしたが、その結果わかった状況はアヴァターラ号にとってあまり都合のいいものではなかった。曰く、今日の早朝になっていきなり見たこともない艦名で船籍も不明の戦艦級の大型船六隻が連続して竜王城址製造都市の直通港に入港し、竜王城址製造都市の戦艦補給用桟橋の空きをすべて埋めてしてしまったというのだ。

「あちらでも補給作業は急ピッチでやっているようですが、いかんせんここ数日間の物資輸送が様々な要因で遅れているというのは大きいですね」

 艦橋へ報告に上がってきた職員はそう言って竜王城址製造都市の城郭直通港湾のある竜王城跡地の尖塔を仰いだ。

「とりあえずここでメンテナンスだけでもできないか司令部に掛け合ってみましょうか?」

 艦長が言うと、職員は首を横に振った。

「こんな設備では艦橋に上がるのも一苦労です。こんなところで国家の戦略兵器たる戦艦をメンテナンスするなんて、そんな怖いことは他にありませんし私もそんな仕事はお受けしたくありません」

「そうですか。ではここでしばらく時間をつぶさなければならないようですね」

 艦長がうつむいてため息をつくと、職員ははっと思いついたような表情で艦長の方を見た。

「そうだ、過去一週間分のこの地域の新聞なら電子データがあります。必要なら乗組員全員分の新聞を刷ることもできますよ。いかがですか」

 艦長は目を輝かせてうなずいた。

「では一週間分をそれぞれ百部刷ってもらいましょう。それを艦内の印刷設備で増やします。お願いできますか?」

「ありがとうございます」

 深々と頭を下げて立ち去ろうとする職員を呼び止め、艦長はさらに質問した。

「ところで物流関連のニュースは第何面に載っているんですか?」

「おそらく詳細は三面だと思います。まあ紙面のトップに大見出しは出ているでしょうが……」

「ありがとうございます。なるべく早くお願いしますね」

 艦長に言われ、職員は駆け足で事務所へと戻っていった。一時間ほどした頃には、アヴァターラ号の艦内に備えられた印刷室へと地上で印刷された新聞が送られ、さらに十倍の部数に増刷される。かくして艦長は新聞をじっと眺めながら、物流が乱れた原因をメモに書き留め始めた。曰く、配送先の間違いやコンテナが配送される港の振り分けに荷主の一部が同意しなかったこと、また幹線道路での戦車輸送トレーラーによる対空ミサイル搭載トラックへの追突事故。そのほか多種多様な要因が奇跡的な偶然の重なりでここ数日に相次いで発生し、物流の遅れが頻発しているのだという。そうした状況には軍も軍艦への物資供給より民間の物資輸送を優先せざるを得ず、そのせいもあってすでに停泊している戦艦二隻……バガヴァット・ギーター級の二番艦であるユディシュティラおよびアヴァターラ級の五番艦であるナラシンハへの補給も遅れる可能性が高いと考えられた。おそらく入港予定だった空中艦隊の各艦の航路にも大きな支障が出ているだろう。

「これは……」

「何たる不運、といったところですね。とりあえず物流が滞っている原因は偶然の事象が偶然にも集中して発生してしまったこと……で間違いないでしょう」

 艦橋では当直士官たちが新聞を読んで笑っているが、兵たちにとって新聞の内容はかなり深刻な事態に写ったようである。しかし怒りがこみ上げたところで、全て偶然なのだから怒りを発散するべくもなく、地団太を踏むしかない。怒りを紛らわせるために備砲の点検をする者、各人の配置された部署から少し離れてカードゲームなどの暇つぶしをして時間をつぶす者と様々に行動が分かれた。そのまま時間は過ぎ日が傾き赤い光に港が包まれる。その夕日をついて大型艦が一隻、港の桟橋へと降りてきた。

「報告、二番桟橋に空中艦隊の新型戦艦「シヴァ」が停泊するとのことです。先ほど艦長のマクマトス大佐から『お疲れ様、隣に失礼する』と挨拶がありました」

「返信せよ。内容は『航海お疲れ様、港湾職員に頼めば新聞がもらえるかもしれない』としてくれ」

「わかりました」

 艦長はマクマトス大佐と最後に話した三年前の日を思い出した。当時彼女は軍艦の指揮を学ぶために彼の指揮するバガヴァット・ギーター級戦艦の四番艦アルジュナに艦橋付き士官として乗艦していたのだった。

「もう三年経つのか」

 アヴァターラの艦橋でそう独り言ちながら、彼女は机の上に置かれた新聞の山に目を落とした。長らく行方不明だった空中輸送船イサベラⅧ号の捜索が終了し乗員全員が死亡したものと判断されたというニュースが一面の下半分を埋める昨日の朝刊が一番上に積まれていて、そこには輸送船が最後に送ってよこした通信の内容が書かれていた。曰く、「本船はこれより天球の北端を目指し航行する。ごきげんよう」との無線が彼らの遺言となり、船はおそらく空中大陸の未開地か基底層の海底深くに沈んでいるだろう……とのことだ。艦長は少し気になって、イサベラⅧ号の詳細を検索することにした。幸い最後の航海に関しては情報が豊富で、天球となっている第十一層の北極からなら天球の向こう側に行けるかもしれないと判断した学者たちが気密性の極めて高い「宇宙船」を搭載して未到達地探査船に仕立て出航したと王国資料館の公式記録にも記載があった。研究者の顔ぶれの中には彼女がかつて話したことがある者もいて、少し驚いていたその時だった。

「そろそろ午後十時ですので当直職員は交代します」と港から連絡があり、そしてアヴァターラ号の艦内で午後十時の当直交代ベルが鳴った。艦長は副長が上がってきたのを確認して、今日起きたことを報告し居室へ戻る。竜王城址製造都市の明かりは消えないまま夜は更けてゆく、そんな夜に艦長はふたたび夢を見た。不思議な夢であった。どこか暗くじめじめとした地下深くのような空間のイメージで始まった夢には、巨大な繭のような質感で卵型をした大きな物体が現れた。それはアヴァターラ号よりも五倍ほど大きく、また奥では何かの光が二つ脈動していた。そんな繭が二つ並ぶ地下空間に、艦長の意識は探求したい欲求を抑えきれず、じわじわとその不思議さに惹かれていく。彼女が近づき、繭の一つに触れると、その光の脈動は少し緩やかになった。そしてしばらくしてから、脈動する光はその強さを増し、二つの光は交互に光るように脈動を同期させながら融合していく。融合したその繭は発光をはじめ、やがて光の強さが目を開けていられないほどになった時、突如として艦長は突き飛ばされた。艦長の眼前には、発光する繭に手を押し付ける黒い人影のようなものが光の中で吹き飛ばされる様子がよぎる。そして夢は突然そこで途切れた。

「うわ……」

 ベッドで汗だくになって目覚めた艦長は、自分が寝ている間に悲鳴のような声を上げていたことに気づいた。嫌な気分がしたので艦内のシャワールームに向かうべく起き上がると、時刻は夜明け前の五時であった。艦内は空調が効いているはずなのにどこかじめじめとしている。主機の調子が悪いのかもしれないと思いながら着替えに防暑服を持ち、平常軍服の略装を身につけて艦橋士官居室区画の廊下に出て、廊下の一番奥にあるシャワールームへと進む艦長の耳に、遠くで響く雷のような音が聞こえた。警報が鳴らないところを見ると、単なる自然現象か何かなのだろう。この周辺に積乱雲があるのかもしれないと考えながら、艦長はシャワールームの一つを開け、脱衣所で服を脱いでからシャワーを浴びるため浴室へと入った。

「生き返るなあ……」

 頭の中で思っていることがまたしてもそのまま口から出てしまったのを自覚して、艦長はここに来てから感じていた「なんとなく嫌なもの」を改めて強く意識した。艦橋で「なんとなく嫌なものだ」と言ってしまってからというもの、独り言は大きくなり、考えていることの一部が口を動かし、なんとなく自制心がなくなっているような気がしてきた。こんな感覚はいつぶりだろうか、などと思いを巡らせながらシャワーを浴びて体を洗い終え、出航前に短く刈り上げててきた髪が首すじを撫でているのに気づいたとき、脱衣所に備えられた艦内放送装置の電源が一瞬入って、すぐに切れた音が不思議なほど大きく聞こえた。艦長は何となく胸騒ぎを覚え、シャワーの温度を下げて冷水にしたものを頭からかぶってすぐにシャワーを止め、シャワー室を出るべく脱衣所で体を拭き始めた。着替えの防暑服に袖を通し、そういえば防暑服そのものが略装だったなと思いながら髪を乾かす。なんとなく直感が急かす気がして、艦長は髪を乾かし終えるが早いか軍帽を取りに自室へと走り、軍帽を手に取り拳銃を装備すると、艦橋へと上るエレベーターに飛び乗った。

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