第10話 出撃の朝
十月三日、午前十時。一時間後に出撃を控えた臨時混成機動艦隊では慌ただしい勢いで出撃準備が繰り広げられていた。その慌ただしさはどの艦も未だかつて経験したことがないほどであり、それはアヴァターラ号でも例外ではなかった。
「こちら機関科、主機及び浮遊機関に異常なし!」
「よろしい、確認した。推進機群の最終点検に移れ!」
「第一から第五高速推進機、チェック急げ!」
「畜生、なんで一時間で全部やらなきゃいかんのだ!」
「出撃時間の秘匿のためだとよ」
「そうか、大変だなぁ。ところで俺たちの苦労は考えてねえのか?」
「整備分班客員、私語を慎め!ただでさえ時間がないんだぞ!ごちゃごちゃしたおしゃべりなんぞやってちゃ間に合わん、そんなのは後にしろ!」
「……了解!」
艦内の廊下には荒れ狂う川のように人が流れ、鉄砲水が噴出するような勢いで物資を持った輸送ロボットの集団があちらこちらの部署に資材や備品を運び、ロジカ記者はその流れを遮らないように注意しながらカメラを構えシャッターを切る。ロジカ記者の行動は、ハル艦長には恐怖から目を背けて仕事に打ち込んでいるように見えた。ハル艦長は作業の監督とロジカ記者の世話をヴォロス副長に任せて艦橋に上がり、港湾管理部との通信を始めた。
「こちらアヴァターラ号、八号秘匿施設港湾管理部へ。出航許可関連の予定を請求する、どうぞ」
「こちら施設港湾管理部、アヴァターラ号に伝達。出港許可は十一次以降艦隊序列の順に発出する。それまで待機されたし」
「こちらアヴァターラ号、了解」
港湾との通信が終わり、艦橋の設備チェックが完了してセンサー類やコンピューターの再起動が終わると、時刻は午前十時五十分前である。ハル艦長はコンソールを操作して設備チェック状況を確認しながら全ての準備が終わるのを待った。
「艦内各部の整備、設備チェック共に完了しました。チェック完了後の左舷砲術整備班撤収時に第四副砲弾薬庫でスパナが発射装薬の間に落下するインシデントが発生し、砲術長と砲術整備班が対応に当たっている影響で左舷前部の第四、第五副砲が使用できません。一、二、三番及び六番副砲は問題なく使用可能です」
午前十時五十分を過ぎたころ、ヴォロス副長が艦橋に上がり全整備確認完了報告とその他の諸報告をする。ハル艦長は頷くと、前を向いて通信士に指示を出した。
「艦隊データリンクシステムに接続、本艦の状態を準備完了にセット。本艦の艦隊序列は五番である、間違えるなよ」
通信士は臨時混成機動艦隊のデータリンクシステムに接続し、五番艦の表示に「アヴァターラ」の文字があるのを確認してから準備完了報告を発出した。
「艦艇間データリンク接続完了。周辺空域の哨戒艇及び哨戒機からのアラートはありません」
「わかった。提督からの連絡事項は?」
艦長の問いかけに、通信士は首を横に振って答える。
「作戦に変更はない、とだけ」
と、スピーカーが音を立てて音声通信の入電を知らせた。旗艦ヴァルナからの有線通信である。
「総員傾注!臨時混成機動艦隊は無線封鎖を継続したまま現泊地を出撃後、高速母艦戦隊を中心に立体警戒陣形を構成し敵浮遊要塞の潜伏する積乱雲を目指して第三層赤道上空の低圧帯を航行し敵哨戒艇等の探知網をかわしながらバストロイド地方のバストロイド荒原上空、ポイントS4まで進出する。その後は各艦で作戦計画の通りに行動せよ。攻撃開始以降は無線封鎖を解除、状況をみて臨機応辺に対応、作戦目的を達成する。攻撃完了後は速やかに離脱し、敵艦隊の追跡を受けている場合は全力迎撃が可能となるハルバ要塞の手前まで後退する!それでは各艦、出港を開始せよ!」
各艦が舫を解き、桟橋からゆっくりとした動きで出撃していく。アヴァターラ号もゆっくりと浮遊機関の浮力方向を傾けて船体を滑らせて港湾のシャッターから外に出る。秘匿施設の周辺は澄み渡った青空だった。
「陣形を整える!高速母艦戦隊と同じ高度を保って「ダウザ」の右舷方向へ展開せよ!」
ハル艦長はそう命じ、操舵手は舵を操作して船体を「ダウザ」の右隣に持っていく。「ダウザ」からはレーザー式相対位置確認装置で相対位置確認信号が五秒おきに発信され、アヴァターラ号ではその受信程度をもとに相対位置を調整していく。
「調整完了、位置確認よし!『ダウザ』からの信号を受信、問題なし!」
隊列を整えた艦隊は、一路第三層赤道上空低圧帯を目指して南下する。
「あと二時間で低圧帯外縁空域に入ります!」
航空主任がそう言いながらスクリーンに映る航路概念図に経過時間を書き込む。計算機のシミュレーションでは艦内時計が午後四時五十分を指すまでには低圧帯に隠れることができるだろうと予測された。
「よし、現航路を維持せよ」
ハル艦長はそう言って艦長席に座り、ポケットから熱いコーヒーが入った金属の水筒を取り出して蓋を開けた。蓋を手に持ったまま熱いコーヒーを口に含み、水稲の蓋を手元で弄ぶ。何か手を動かしていないと落ち着かない気がして、ハル艦長は水筒から漂うコーヒーの香りが艦橋に充満したのに気づくまで蓋を手元でいじっていた。
「なんだかコーヒーのにおいがしますね」
作業着のまま艦橋にやってきたチトセ砲術長がそう言うと、艦長は「すまない」と頭を下げた。
「それはともかくとして、始末書二件を持ってきました。一つは整備班員の、もう一つは私ので弾薬庫へのスパナ落下の件に関するものです。よろしくお願いします。第四、第五副砲は現時刻より使用可能となりました」
砲術長が頭を下げて二通の始末書をハル艦長に手渡す。ハル艦長はその始末書を確認し、机の上に広げて承認のサインを入れた。
「わかった。今後は気を付けるように。整備班にも言っておいてくれ」
「はい!」
砲術長は敬礼して艦橋を降り、砲術科の詰所へ戻っていった。ハル艦長は艦内放送用マイクをつかんで艦内に放送する。
「第四及び第五副砲の復旧が完了した。砲術制御システムを再起動する、当直員は用意をせよ!」
艦内各所で準備が始まり、システム再起動の準備が整えられる。電算室と砲術科は準備を完了し、機関科は二分の猶予を求めた。
「機関科、準備完了!」
「再起動、開始!」
ハル艦長の命令で砲術システムが再起動を始める。艦橋に表示される艦体各所のシステム状態画面の砲術制御システムがシャットダウン状態になり、少ししてから再び起動した。艦内システムを再起動するには電算室と砲術科、さらに機関科の協力が必要となる。始末書が提出された原因もシステム再起動を発生させたからであった。再起動が完了した直後、艦橋にブザー音が響き渡った。艦橋の空気が張り詰め、通信士官が通信内容を読み上げる。
「旗艦ヴァルナから緊急レーザー通信!解読、敵哨戒艇らしきもの発見、IFFは反ムガロ連合艦のものと一致。目標を撃破せよとのことです!」
「レーダーで確認、目標捕捉。IFF、敵艦に間違いありません。こちらには気づいていないようです」
ハル艦長は即座に命令を下した。
「第一から第三狙撃砲射撃準備、目標はレーダーで捕捉済みの敵哨戒艇。速やかに撃沈せよ」
「了解。右舷砲術指揮所スタンバイ完了、制御システム正常。推定誤差プラスマイナス1.2、精度良好。方位1-5-2、狙撃砲発射準備完了!」
「撃て!」
艦長の命令とともに狙撃砲がうなりを上げて砲弾を吐き出し、敵哨戒艇に向けて極超音速で突き進む。哨戒艇らしき反応に砲弾が命中した瞬間、その反応は消滅した。
「浮遊機関反応喪失、敵哨戒艇は消滅したものと思われます」
「ヴァルナからレーザー通信、敵哨戒艇の残骸および浮遊機関の痙攣・消失反応を確認したとのことです」
ハル艦長は頷いて、マイクをつかんだ。
「周辺警戒を厳にせよ!まだ母艦がいるかもしれん、十分に注意せよ!」
艦長がそう指示を飛ばす。艦内の対空警戒態勢は最大限に引き上げられた。
「二時の方向、発光するものあり!」
その声とともに艦内は緊張に包まれた。レーダーが起動され、敵艦らしき反応が探される。
「二時の方向、積乱雲を確認!内部で空電が起きているようです。先ほどの発光はこれでしょうか」
「目標らしきものが見つかったからと言って気を抜くな、中に敵艦がいるかもしれないんだぞ!」
艦橋が騒がしくなってきたころ、艦隊の前下方に第三層赤道上空低圧帯が見えてきた。これに入ればひとまずは安心である。艦隊は高度を落としつつ、第三層赤道上空低圧帯に進入していった。
「乱気流に突入する、揺れるぞ。物の落下などに注意せよ!」
艦内各所で号令が飛び、兵たちは机の上のコップなどを片付ける。船体は潜水艦がしぶきを上げて海水の中に潜るように、雲を巻き上げて低圧帯の雲海の中へと沈んでいった。突如として艦全体に底から持ち上げられるような力がかかった後、艦橋の窓が白い光で一杯になった。激しく雨滴や雹が吹き付け、滑らかな船体表面に付着した水滴が目に見える速度で凍っていく。
「思ったより乱流が激しいな。操舵手、姿勢制御は大丈夫か?」
ハル艦長が質問すると、総舵手は舵を小刻みに操作しつつ答えた。
「大丈夫です。アヴァターラ号ならこの百倍の風速でも耐えられます」
と、轟音とともに側面センサが再起動を始めた。何が起こったかと兵員たちが慌て始める。
「何が起こった?」
ハル艦長が問うと、艦橋横の観測廊下から航空主任が駆けこんできた。
「雲放電を視認、船体表面にも火花が上がっています!想定しうる最大級の乱気流です!」
それを聞いたハル艦長は艦橋にいた機関科の副主任に指示する。
「送電網耐電装置始動!補機を停止して補機制御系の電源を落とせ、出力の低下分は主機出力を上げて補填しろ!」
「了解!」
ハル艦長が他に取るべき対応を考え始めたのとほぼ同じタイミングで右舷の装甲板に何かが当たり、砲弾がはじき返されたような音がした。一瞬遅れて、榴弾が炸裂するような音が響く。
「エネルギー反応!これは……二百ミリ級の砲弾、おそらく徹甲榴弾です!」
「なんだと!?」
艦橋の空気が一気に張り詰める。艦長がマイクを握って何か言いかけたところで、通信手が叫ぶ。
「ヴァルナから緊急通信!当艦隊は不明な対象からの攻撃を受けつつあり、回避のため散開する。攻撃者を見つけ次第撃沈せよとのことです!」
艦橋の士官たちがざわつき始める。この乱気流の中攻撃を当ててくる敵がいるのか、これはまずいのではないか。そんな言葉が艦橋を支配する。
「攻撃を受けているのはこのアヴァターラだけじゃないのか……よし、これより転舵を行い、艦隊から離脱する!面舵五十度。高度はそのまま保て!敵の攻撃を誘う!」
ハル艦長は当然のことのように命令した。艦橋では一瞬奇妙な空気が流れる。
「ええ!?」
総舵手は思わず聞き返した。命令の意図が理解できなかったからである。
「聞こえなかったのか、面舵五十、高度そのままだ。敵はおそらく雲の外にいる。そいつを探知できるまで雲の薄いところに出続けるんだ」
「了解!」
総舵手は我に返って舵輪を動かす。
「レーダー手、周辺を注意深く観察しろ。怪しい反応はないか?相手からはこちらがある程度見えているはずだ。ぎりぎりまでは撃ってこないだろうが、撃ってきたら砲弾がこちらでも探知できる」
ハル艦長はそう言いながら右舷側の状況を確認する。センサーが探知音を鳴らし、オペレーターが叫んだ。
「連続する炸裂反応、おそらく砲の連続発射です!距離二万五千、砲弾を探知しました!」
艦長はうなずいて叫ぶ。
「総員、衝撃に備えろ!主機を最大出力、シールド展開準備!」
アヴァターラ号の装甲板の表面に連続する打撃音の後で跳ね返された砲弾が連続して爆発していく。アヴァターラ号をはじめとしたムガロ王立空中艦隊の戦闘艦の装甲板には極端な凹凸がなく平滑なので特に跳弾しやすい向きもなく、砲弾はあちこちに跳ね飛んで爆発していく。
「敵艦の位置は!?」
ハル艦長が急かすまでもなくレーダー手は諸元を入力し、敵艦の位置が算出される。
「出ました!やはりこの雲の外です!」
「よし、敵艦の上を取って強襲する!上昇開始、この積乱雲を出たら雲の表面に沿って急降下!ミサイルを自動追尾にセット、敵艦を視認し次第四本を斉射せよ!ミサイル着弾後生き残っていれば一、二番および四、五番副砲で砲撃する!味方艦隊は前方にいるんだな?」
「はい!データリンクによると既にこの空域を離脱しています」
ハル艦長はうなずいて前方を見た。
「界面まで三、二、一、雲を出ます!」
前方に青ざめた空が広がった。アヴァターラ号はジェットコースターさながらに、雲の表面をなめるように逆落としに敵艦がいるであろう位置をめがけて降っていく。艦首方向に広がる白い雲の上に、笹の葉のような影が見えた。
「予測位置に敵艦確認!反ムガロ連合のエムデン級仮装重巡洋艦です!」
「ミサイル照準ロック完了、発射します!」
ミサイルが射出され、敵艦の機関砲がこちらを追ってゆっくりと仰角を上げる。
「副砲、追尾照準ロック調整完了!いつでも撃てます!」
ミサイルが敵艦に吸い込まれるように誘導されていき、炸裂した。敵艦の船体が衝撃に揺れ動き、船体前方がはじけ飛ぶ。
「浮遊機関反応、消えていません!敵艦は生きてます!」
「よし、副砲の射撃を許可する!敵艦の船体中央を狙い、斉射せよ!」
副砲が唸るような音を立てて砲弾を発射し、敵艦に砲弾が放つ光が吸い込まれていく。砲撃で艦隊を翻弄した敵のエムデン級仮装重巡洋艦は、大爆発とともに沈んでいった。静かになった雲の上では午後五時半の夕日が日没時刻が近づいていることを知らせ、周りの空は徐々に茜色に染まっていく。
「よし、艦隊に敵艦を撃沈したと報告せよ!本艦は翌日の作戦に間に合うよう最大船速で艦隊を追い、作戦開始時刻までに所定の位置への到着をめざす!」
ハル艦長の命令を受けて、船体はぐんと加速する。翌日の未明に予定された作戦には十分に間に合う見込みであるが、艦内の兵士たちには間に合わないかもしれないというわずかな焦りが感じられていた。
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