第9話 出撃前夜

 十月一日の朝、ダウザ級高速母艦の一番艦「ダウザ」と二番艦「ドファラ」を従えた重戦闘母艦インドラが秘匿施設に入港した。ダウザ級二隻のうち「ダウザ」はアヴァターラ号の隣の桟橋に接岸し、「ドファラ」はアヴァターラ号と同じ第六戦隊に所属する空中戦艦ヴァーマナの隣のドックに入って整備を始めた。また、インドラは施設に二つある重戦艦ドックの二番に入り、同型艦シャクラと同様に航空機運用区画へ設置された増加装甲の最終点検を開始した。

「明日の十時にはすべての作業が完了します。今からキジム提督と航空隊がウタカ元帥から訓示を受けるとのことです。ハル艦長にも午前十時に天蓋都市の連絡機発着施設まで来るようにと二十分前に到着されたモーリス司令部幕僚補佐連絡官から呼び出しが入っています」

 艦橋を訪れた桟橋付士官がそう言ってハル艦長に召喚状を渡すと、艦橋には緊張が走った。艦長は敬礼で桟橋付士官を送り出した後、艦橋の面々を顧みて言った。

「午前十時ということはあと三十分ほどの猶予時間があるわけだな、私は基地の売店へ買い出しに行ってくる。皆、何か欲しいものがあれば買ってくるぞ」

 誰も何も言わないのでハル艦長は残念そうなそぶりで艦橋を降りるエレベーターに乗り込み、桟橋へつながる廊下を歩いていった。気づけばカメラを片手に持ったロジカ記者がハル艦長に追いついて、隣を歩いている。

「艦長、隣の船とアヴァターラ号を一枚に収めた写真が撮れる場所を知りませんか?」

 ロジカ記者は先日の取材時に見せた怯えはどこへやら、笑みを浮かべながらカメラを見せる。ハル艦長はその笑顔に危うさを感じながらも質問に対し頷いて答えた。

「知ってるよ。上陸許可と施設入構許可があるなら管制塔の廊下にある窓から撮るといい」

 ロジカ記者は嬉しそうに礼をした。

「ありがとうございます。ハル艦長、信じていますよ」

 そう言ったロジカ記者は急ぎ足で桟橋に出る廊下を歩いていった。

「艦の指揮官だけでは生存なんて確約できんのだがな……」

 ハル艦長はそんなことを思いながら桟橋に出た。ハーバル日々新報が掲載する天気図によると今日は第一層空中大地上空の第二層空中大地下底面に吹き寄せられているという寒気の中にあるらしいこの燕雲の市街下空洞に作られた秘匿施設の中には空調設備などなく、この朝はここ一年で一、二を争う冷気の中に沈んでいる。空気中で結露して白くなる息の向こうに、アヴァターラ号のとなりに停泊する高速母艦ダウザの船体が見える。ダウザはスペックの上では全長がアヴァターラ号より百メートル長いほかは全幅が半分、全高も三分の二という小ささであるが、桟橋から見る限りではかなり大きく見える。おそらく格納庫を積み上げた船体の最上部に飛行機の発着甲板を備えていて、明確に突出した艦橋構造物もない船体のシルエットによるものだろう。この巨体でも浮遊機関はアヴァターラ号より小さいのだから、装甲も推して知るべしである。

「これが新たな主力兵器になるかもしれないというが、そんなことを言う輩は航空機の量産効果しか見ていないのではないか?確かに航空機は短期間で艦艇を圧倒する数をそろえられるが母艦は鈍重で機体の打撃力も不足している。束になっても空中戦艦はおろか対空陣地や地上を這いまわる戦車にすら勝てないのに……」

 ハル艦長はそう呟きつつ桟橋を歩きながら、売店で購入するものを列挙したメモ帳をあらためた。

「飴とコーヒー豆、あとはちり紙と靴下、ハンカチを買うから来月の給料から四千マイナスになるな……まあいいか」

 そんなことを考えながら、ハル艦長は上陸許可証を提示して検問を通り、売店がある庶務棟に向かう。廊下を進んでいくと、売店には行列ができていた。

「一時間待ちですのでまたお越しください」

 列の最後尾に立つ兵士が目の前でそう言ったので、艦長は踵を返して売店を去ると庶務棟にある新聞の無人販売所へ向かった。統合自動販売機に百バイル硬貨二枚を放り込んで、いつものハーバル日々新報のボタンを押す。硬貨はチャリンチャリンと音を立てて投入口の中から回収され、販売機の下部に備えられた蓋の向こうに新聞が落ちた。跳ね上げ蓋を開けると、中には今日付けの朝刊がある。船内にいると地上の新聞が長らく読めないので、この次になる明日の朝刊がしばらくの読みおさめになるだろうか。明日は新聞を買いに来る余裕もないかもしれないが、そういう想像をしていると次に読む新聞が楽しみになってくる。もちろんこの作戦で死んでしまって、もう二度と新聞が買えない可能性もあるわけだが、ハル艦長はその可能性をなるべく考えないようにしていた。そんなことを考えては満足に指揮も取れず、死ぬ可能性を増すだけだからである。だが今日のハル艦長は怯えが艦長たる自分への信頼へと転換してしまったロジカ記者の姿を思い出して、そんなことを考えざるを得ない気分になった。まったく憂鬱なものだ。最低限の軍事教練しか受けていない民間人の記者をシビリアンコントロールの原則から報道担当者として最前線に送るなんて、悪趣味な制度だと心の底から思った。いかに報道が大事とはいえ、軍学校出身でもない、ただ一週間程度の艦内生活訓練を受けただけの民間人を最前線で轟沈する危険もある軍艦に乗せて戦うのは無茶が過ぎる。

「あ、艦長!そういえば今日のムガロポリスニュースポストの二面特集に私が書いた記事が載ってるはずなんですけど……」

 深刻な気分になっているハル艦長の背後、新聞自販機に並ぶ列の最後尾付近にいつの間にか出現していたロジカ記者の言葉を聞いたハル艦長は、何となく自販機の列に並び直した。彼への詫びにしようなどというエゴのような感情があったのかもしれない。でも、何となくロジカ記者の記事を読んでみたくなったのは事実だ。列に並びながらハル艦長は財布を探って、百バイル硬貨を二枚見つけ出した。硬貨を二枚握りしめて、順番が来るのを待つ。ハル艦長のひとつ前に並んでいた中年の士官が新聞を買い終えると、ハル艦長は硬貨を自販機に放り込んでムガロポリスニュースポストのボタンを押した。二社分の今日付けの朝刊を持ってまだ長蛇の列が捌き切られていない売店の前を通り、アヴァターラ号に戻る。時刻は午前九時十分を回り、天蓋都市まで向かうケーブルカーの発車まで十分を切っている。

「では、行ってくる」

 ハル艦長の声に、艦橋にいた士官たちが敬礼をして応えた。ハル艦長は召喚状を正装軍服の上に羽織った軍用コートの胸ポケットに差し込み、換気扇から流れてくる風に少し身震いをしてから艦橋後部のエレベーターに乗り込んだ。

「三十分経っても寒いのは変わらんな……」

 そんな独り言をこぼしつつ桟橋に出たハル艦長は、ケーブルカーの駅を目がけて歩いていく。換気によって基地に吹く風に飛ばされないように軍帽を目深に被り、召喚状が入った胸ポケットを押さえつつコートの裾をなびかせながら歩くハル艦長の姿はどこか威風堂々とした気迫を感じさせる。駅に到着し、軍人手帳を自動改札にかざしてケーブルカーのプラットフォームに向かうと、そこには暖房をつけたケーブルカーがその扉から暖かい空気を吐き出しながら停まっていた。

「まもなく天蓋都市直通列車が出発します。乗車の方はお急ぎください」

 アナウンスに促され、ハル艦長はすでに十数人の兵員や軍属がひしめくケーブルカーの車内に入り、既に右隣に士官が座っている車内の隅のシートに腰かけた。扉が閉まると車体下部のアームが軽やかな駆動音とともにブレーキを引き上げ、車体が前進を始める。暗いトンネルのような車両通路を前照灯が照らし、前方を確認する車掌は前方を注意深く見ている。艦長の右隣に座っていた士官は、よく見るとヴァーマナ号のエリオン艦長だった。艦橋にいるときはいつもつけているトレードマークの望遠モノクルがないと、彼だとはわかりにくい。

「アヴァターラ号のハル艦長だね?」

 突然、エリオン艦長がハル艦長に話しかける。

「ああ、そうだ」

 ハル艦長が答えると、エリオン艦長はいきなり小声で、ハル艦長にだけ聞こえるように言った。

「首都の駐留部隊で数か月前から問題になっていたネズミの件だがね」

 ハル艦長は眉をひそめた。ネズミという言葉が諜報員を指すことは容易に理解できたが、この場でそんな発言があるとは思いもしなかったからだ。

「それがどうしたんだ?」

 ハル艦長の質問に、エリオン艦長はさらに声を落として語る。

「首都にあった小さな地域政党の事務所に警察が踏み込んで、アジトが一つ摘発された。新聞街の近くだったらしい。アヴァターラには従軍記者がいるだろう、彼ももしかしたら参考人として取り調べを受けるかもしれない。それだけ伝えておきたいと思った。もちろんこのことは他言無用だ。私もこれ以上のことは何も言わないし言えない。覚えておいてくれ」

 エリオン艦長はそう言ったきり黙り込んでしまった。ハル艦長は少し嫌な想像をしてしまった自分を罵りながら、ケーブルカーの前照灯が照らす鉄路を視界に入れて車両の前のほうをじっと見る。ほかの乗客たちはシャクラに乗る特設航空機隊のパイロットらしく、車内には飛行機について談義する快活な声が飛び交っていた。車内にベルが鳴って、終点到着二分前を示すアナウンスが放送される。艦長はハンカチを取り出すと額に浮かぶ汗をぬぐって、コートを着たままだったことを思い出した。列車の前方に明るい点が見え、それから窓の外がまぶしいくらいに明るくなる。天蓋都市に出たというわけである。ブレーキの音とともに列車が止まり、ドアが開いて冷たい空気が車内を洗った。

「終点、天穹一七八二市街入口です。皆様お降りください」

 アナウンスに追われるようにプラットフォームに出ると、周辺は一面鉛色の雲海であった。振り返り、ケーブルカーの駅のほうを見ると空中に整然と並ぶ浮遊ビルの群れが天球の明かりを反射し、きらめいている。目を凝らすと、ビル群の足元に一つだけ接地している建物の基礎構造物が見えた。連絡機発着施設である。

「あそこまでは乗り合いのバスに乗り換えて行けばいいんだな?」

 エリオン艦長はそうハル艦長に尋ねた。ハル艦長はうなずいて自動改札のほうに歩き始める。時刻が午前九時五十分を回ったころ、ハル艦長とエリオン艦長は連絡機発着施設のエントランスに立っていた。モーリス司令部幕僚補佐連絡官が奥から現れて、二人に歩み寄る。

「モーリス連絡官だ。呼び方は何でもいい。二人ともついて来てくれ、確認したいことがある」

 そう言ってモーリス連絡官はエレベーターに乗り込むと、二人の艦長に一緒に乗り込むよう促した。三人を乗せたエレベーターは、地下三階へと降りていく。

「降りた先を左に向かってくれ。三番目の面会室だ」

 モーリス連絡官がそう言うのと同時にエレベーターは地下三階に到着し、ドアを開けた。

「三番目……第二面会室ですね?」

「そうだ。今から鍵を開けるから少し待ってくれ」

 モーリス連絡官はそう言ってレトロな金属製の鍵を取り出すと、鍵穴に差し込んだ。ガチャリという音を立てて鍵が開き、鍵を引き抜かれた扉は自動的にゆっくりと開いていく。

「私は奥の席に座る。ハル艦長とエリオン艦長は扉側の席に座ってくれ」

 モーリス連絡官の言葉に従い、ハル艦長とエリオン艦長は扉側に三つ並んだ椅子の両端に座った。モーリス連絡官は奥に並ぶ椅子の中央に座ると、置いてあったアタッシェケースを開けて封筒二つと分厚い書類二束を取り出した。

「まずエリオン艦長からだ。エリオン艦長、今回の作戦は短期決戦で完了しなければならないのはわかっていると思うが具体的なタイムリミットはいつか知っているか?」

 エリオン艦長はうなずき、解答を始めた。

「自分は十月九日までに敵の浮遊要塞をたたかなければならぬと存じております」

「そうだ、その通りだ。その作戦において貴官の船は具体的に何を担当する?」

 モーリス連絡官はそう質問して、エリオン艦長の回答を待った。エリオン艦長はメモ帳を開けると、説明を始めた。

「私が指揮する戦艦ヴァーマナは、重戦闘母艦インドラおよびシャクラに随伴しつつ敵要塞上空へ侵入する航空隊の展開を阻害する敵の攻撃を制圧し航空隊の展開後速やかに反転離脱し、航空隊離脱時に情報を受けて取りこぼした敵対空陣地があればそれを狙撃砲の射撃で撃破します。その後ヴァルナとアンシャの間接射撃による敵要塞攻撃の完了をもって反転、敵艦隊が駆けつけてくる前に艦隊の全戦力が撤退できなければ殿をつとめて敵艦隊と砲戦を行います」

「よろしい。それではハル艦長、貴官が指揮するアヴァターラ号の任務は」

 モーリス連絡官は質問相手をハル艦長に切り替えた。

「本艦の任務は航空隊が敵上空に侵入する前に敵要塞と高度差にして四万メートルの高空から地中貫通爆弾による偏差爆撃を行って敵迎撃機発進施設の先制破壊を行うことにより航空隊の攻撃を容易にしつつ高速母艦を喪失するリスクを低減することと、離脱時に敵艦隊が周辺にいれば状況を見て殿艦ヴァーマナの援護に回ることです」

 モーリス連絡官はうなずいた。

「よろしい。それでは最後、二人に質問する。敵艦隊の動向について、現状分かっている情報がこの資料にまとめてある。今回の作戦において敵艦隊が出現する可能性はどの程度だと考えるか。準備が終わった者から回答せよ」

 そう言うと、モーリス連絡官はクリップで束ねられた分厚い資料の束をハル艦長とエリオン艦長に渡す。二人はそれを読み込んだ。資料によると敵艦隊は要塞周辺には展開しておらず、要塞を攻撃するポイントまで最高速度で半日かかる空域に展開しているとのことだ。

「これなら敵艦隊が来る確率は五割もないのではないでしょうか」

 エリオン艦長はそう言った。

「航空隊が攻撃をかけてから間接射撃で敵要塞を破壊するまで、長くても半日かかりません。それに敵艦隊が来たとしても、それは最高速で駆けつけてきた直後の船です。スラスターは赤熱し、戦闘どころではないはずです」

「自分は、それは楽観が過ぎると考えます」

 ハル艦長は異を唱える。

「この際大切なのは敵がどこで我々を認識するかです。当然敵の要塞には偵察用に哨戒艇が存在している可能性もあるわけですから、攻撃の一日以上前に此方の動きが気づかれる可能性もある。そうなれば敵にとって要塞は囮にすぎません。敵哨戒艇に発見されれば、遭遇する可能性は百パーセントと言っていいでしょう」

 モーリス連絡官はうなずいて、封筒を手に取った。

「個人的にはハル艦長くらい詳細に考えられて意見をはっきり述べる士官を見ると参謀に推薦したくなるな。二人とも、これは今回の呼び出し手当だ。司令部から直接出ているから、受け取ってほしい」

 封筒を艦長たちの目の前に置くと、モーリス連絡官はアタッシェケースを取った。

「面会室を施錠する。外に出てくれ」

 モーリス連絡官はそう言って、艦長たちと一緒に部屋を出る。二人の艦長は神妙な面持ちでエレベーターを降りエントランスに出ると、バス停に待機していたバスに乗り込んだ。艦に戻るまでの四十分程の間、二人は一言も発さない。アヴァターラ号に戻ったハル艦長は、艦橋に入り艦長席に座ると新聞を手に取った。ロジカ記者の書いた特集記事は、従軍記者養成のために参加した訓練合宿で乗艦した旧世代の主力艦を改造した練習艦「エルジュ12」の艦内を背景にムガロ王立海軍の規律について事細かに書いていた。彼もなかなかいい文を書くなと思いながら、ハル艦長は羽織りっぱなしだった外套を脱ぐために艦長席から立ち上がる。ハル艦長が外套をハンガーにかけて戻ると、昼食が出来上がったことを知らせるラッパが鳴り響くのが聞こえた。正午になって、船内は若干温まってきている。

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