第16話 にわか雨と戒厳令
デッキが配された店の前の大通りに海軍仕様の軽便機動装甲車が止まり、ヴォロス副長がハル艦長に通話で到着を告げたのはハル艦長とレヤル研究員が席を立って会計を済ませているさなかだった。
「すみませんハル艦長、急いでください。港に着けなくなる可能性があります」
電話越しに聞こえるヴォロス副長の声を耳にしながら急いで会計を済ませようと高額紙幣を一枚カウンターに置いたレヤル研究員と、慌てた様子で通話を終了するハル艦長の様子を察した店員は焦った挙句パニックになってしまい、釣り銭をレジスターから取り出すのに四苦八苦した。店員の手から小銭が落ちていくのを見たレヤル研究員は「兄ちゃん、釣りはいいよ」と言ってハル艦長を追いつつ店を出た。開かれた装甲車の後列座席ドアをめがけて二人は雨の中を駆け抜け、装甲車はハル艦長がドアを閉めるや否や走り出す。
「ヴォロス副長、いったい何があったっていうんだ」
そう尋ねるハル艦長に、ヴォロス副長はただ一言を発しただけだった。
「戒厳令です」
「え?」
息をのむハル艦長の横でレヤル研究員が驚愕し小さな悲鳴のような声を上げるのを背後に聞きながら、ヴォロス副長は注意深く車を走らせた。徐々に町の様子は変わり始める。繁華街に差し掛かるころには街の人々が次第に慌て始めたのが見て取れた。スロープを進みつつ港湾に直通する階層へと進入すると、天井の照明器具に据えられた回転灯が点灯し始めている。そして高層建造物の壁で宣伝を垂れ流していた街頭モニタに警戒情報発令の文字が並び、市街のあちこちに陸軍の機動警備隊が配置され始めた。ここまでくると市民の姿はまばらで、整列する兵士以外に雨の下で立っている人の姿はない。ついには広報スピーカーが設備試験放送を始めた頃、やっと装甲車は都市直通港内にある海軍の拠点に進入した。陸軍の司令部に続く道から、戦車が隊列を組んで進んでいると告げるような無限軌道の轟音が響く。寸刻もせぬうちに雨の向こうに戦車の影が揺らめいて、港湾の前に展開を始めた。眼下の工場区画から立ち上る蒸気はゆっくりとその色を薄め、港湾の外に見える海上では漁船の群れがまるで示し合わせたかのように港へ戻り始める。いまや都市は一瞬にして厳戒態勢を敷き、最大級の警戒と危機感をもって有事の様相を呈していた。車から降りた三人が桟橋に着き、それぞれの船に戻った時にはすでに事態は深刻そのものであった。レヤル研究員は竜王城址に駐在するスクーパ財団の職員たちと連絡を取りつつ情報収集を試みたが何もわからず、困惑しつつ無線連絡をあきらめ周波数帯域を開けた。ハル艦長とヴォロス副長が艦橋に戻ったときにはすでに艦隊の通常通信回線は
「こちら艦隊司令部、空中艦隊の全艦艇に告ぐ。ムガロポリス全域で同時多発的に暴動が発生しており、現在のところ収束の目途は立っていない。これに追従する不測の事態を阻止するべく、現在王国領内の全土に戒厳令が発出されている。基底層及び第一層空中大地を航行中の全艦艇は直ちにムラッタルスカに入港せよ。また、基底層の港湾に停泊中の全艦艇は停泊中の港湾の安全が確立し次第、陸軍と協同してムガロポリスで発生中の暴動事案への対処を開始せよ。第二層以上の空中大地に在る全艦艇は反ムガロ連合の侵攻に備え厳戒体制に移行せよ。本緊急電の命令は他のあらゆる命令に優先する」
その緊急電が入ったのを合図に、事態は急激な進展を見せた。竜王城址製造都市の近郊交通管制センターが周辺に所在する民間船舶の緊急入港先を通知しはじめ、港湾の外では蜘蛛の子を散らすように民間船舶が周辺の港湾へ散らばっていく。そして陸軍基地側に停泊している第十四戦隊が陸軍との連絡を開始し、統合軍運用のために第十四戦隊旗艦の小戦艦アッバースからアヴァターラ号へ呼び出しが入った。
「こちら第十四戦隊旗艦アッバース、現在竜王城址製造都市方面統合軍指揮所として機能中。竜王城址製造都市方面統合軍司令部より第六戦隊一番艦アヴァターラ号宛てに伝達、ムラッタルスカからの緊急電に基づく首都ムガロポリスへの空挺着上陸作戦への協力を要請する。ついては特大型上陸艇六隻の輸送及び着上陸のための突入作戦の実行を担当されたい」
「こちらアヴァターラ、了解。上陸艇搭載準備を行う」
通信を受けたハル艦長は申し入れに応じ、設備科の乗組員たちに空になった爆弾艙を上陸艇格納庫に応急改造するよう命じた。作業開始から三十分ほどで艦橋に伝令が上がってくる。
「艦長、報告です。上陸艇接続の準備作業はあと二十分ほどで終わります」
「よろしい。終わったら陸軍の部隊が着くのを待とう、おそらく上陸艇で二個師団が来るはずだ」
そう言ってハル艦長が軍帽を目深に被りなおすと、伝令はさらなる報告を寄越した。
「あともう一件報告です。ロジカ記者から取材再開許可を出してほしいという要求が上がっています」
それを聞いたハル艦長は軍帽を脱ぎ、艦長席を立ちあがる。
「ヴォロス副長、少し頼む」
「艦長、いったいどこへ」
そう問われたハル艦長はただこう言った。
「従軍記者控室に行ってくる」
ハル艦長が去ってすぐ、市内に展開した陸軍の駐屯部隊から市内の状況の報告が入った。市民に目立った混乱はなく、駐屯地では首都の暴動を制圧する作戦のために着上陸戦参加部隊の編制が進んでいるという。ヴォロス副長は安堵から胸をなでおろそうとして、事態が悪化していないだけであるということに気づき戦慄した。
喧噪に包まれる廊下を過ぎたハル艦長は従軍記者控室の扉の前に立って、中にいるロジカ記者に呼びかけた。どうぞ、というような声が聞こえて、ハル艦長は扉を開ける。椅子に座ったロジカ記者は、カメラと小さなカバンを肩から下げ、録音機を手の中でいじりながらうつむいていた。
「ロジカ記者、取材の再開を許可しよう。不謹慎な言い草かもしれないが、記者たる君を今まさに起こっている動乱の特等席に座らせておきながら何も見せないのは私の良心が許さない。さあ行きなさい。常に護衛をつけられるとは保証できないが、可能な限り手を尽くそう」
「ありがとうございます!このご恩はいつか」
「そんなのはいいさ。記者としての仕事を果たしてきてくれ、こういう時のための新聞記者だ」
ロジカ記者は深々とお辞儀をして、艦橋に戻っていくハル艦長とは反対方向、桟橋に続く廊下へと進んだ。目に映るすべてが世に知らしめたいことばかりで、彼は夢中でシャッターを切り記事の内容を考える。アヴァターラ号の右舷側に整列した陸軍の二個空挺旅団の並み居る兵たちを撮影しながら、ロジカ記者はさながら祭りの中にいるような気でいる自分に不意に気づいてちょっとした自己嫌悪に襲われた。いつものことだと割り切ろうとしても、国家の存亡にかかわるかもしれない一大事を前にしては、まるで外から見物しているような気分でいるのは何とも耐えがたいものだった。舷窓からカメラをのぞかせシャッターを切るロジカ記者の肩を、背後から誰かが叩く。ロジカ記者が振り返ると、そこには険しい表情を浮かべた壮年の陸軍将校が立っていた。
「どうされましたか、取材規定は遵守しているはずですが」
ロジカ記者の言葉に、将校は首を左右に振って応じる。
「君は従軍記者か?」
その問いかけにうなずくロジカ記者に、将校は言った。
「王立陸上兵団基底層第三軍第八即応旅団群司令官から直接伝達を行う。すぐに前部主砲甲板で撮影準備をするといい、従わなければきっと後悔するぞ」
「どういうことですか」
「情報提供ってやつさ」
困惑するロジカ記者をよそに、将校は桟橋の方へと向き直る。ロジカ記者は背筋を伸ばしてお辞儀をすると、夕陽の照り返しを受ける前部主砲甲板へと向かった。
同じ頃、艦橋ではハル艦長たちが作業を開始していた。
「艦長、艦首方向より事前通告通りに上陸艇六隻が接近しています」
ハル艦長は頷くと、落ち着き払って指示を飛ばした。
「予定通り受け入れを開始せよ」
ロジカ記者が狂ったようにシャッターを切る目の前で、上陸艇がゆっくりとアヴァターラ号との接続を開始する。アヴァターラ号の船体がゆっくりと上昇し、上陸艇はアヴァターラ号の船体の下へと潜り込んでいく。ドッキングが完了すると、艦橋では確認の後に爆弾艙閉鎖の指示がなされ、そのまま艦全体が出撃準備に入る。
「出撃準備開始、浮遊機関を始動せよ。航行システム航路セット、ムガロポリス。首都保安隊との通信回線を常時確認、何か通信があれば速やかに艦長乃至は副長へ取り次ぐように。甲板に出ている者は全員艦内に撤収し、出港準備に当たれ。第八即応旅団群の兵員は第八居住区と第九居住区にて出撃まで待機せよ」
ハル艦長の命令がスピーカーから艦内に響き渡り、ロジカ記者は急いでカメラと三脚を片付ける。艦内に撤収したロジカ記者を待っていたのは、初めてこの艦に乗った時のようにあわただしい人の流れだった。一瞬で圧倒され、ぼうっとしたまま突っ立っているロジカ記者の目の前を兵士たちが駆け抜ける。彼らの表情には微妙な悲しさと使命感、あるいは虚無感が浮かんでいた。
「出港日時は一時間後、本日二十時十五分。ムガロポリス上空への突入は明日の十三時だ。本艦に四時間遅れてアイラーヴァの第四戦隊が突入予定、第四戦隊は四隻を合計すると上陸部隊として海兵四個旅団を抱えている。我々が先行して送り届ける二個即応旅団が作戦の成否を握るだろう。揚陸艇投下ポイント及び作戦の詳細は投下の直前にムラッタルスカの司令部から伝達される。連絡は以上だ、出港準備を急げ!」
ハル艦長の声がスピーカーから響き渡り、艦内の動きが一層あわただしくなる。アヴァターラ号の主機が出力を上げ、艦内の照明が明滅して電源が切り替わった。前部主砲甲板へ出ていく整備兵たちとすれ違いながら、ロジカ記者は艦内の人の流れを邪魔しないように気を付けつつ従軍記者控室に戻る。従軍記者控室に戻ってしばらくすると、乗員点呼が始まった。控室の戸を叩く士官に「在室です」と応じながら、ロジカ記者は日記を開いた。これまで書いていた同じような内容を繰り返す日々とは一線を画す一日を過ごしたロジカ記者にとって、一日分の記載欄は小さすぎる。ロジカ記者がいつもなら十日分は優に記載できるほどの紙幅を割いてこの長い日の日記を書いていると、出港を告げるブザーが鳴って艦全体に港湾側の固定具が外れる音と衝撃が響いた。続いてゆっくりと港湾の外に出たアヴァターラ号はゆっくりと高度を上げ、港を出ると高速航行に入る。室内の椅子などに力場制動が掛かり、机の上のコップが加速と制動の微妙なバランスでカタカタと小刻みに震えた。空中大陸間をつなぐ連絡路に進入したアヴァターラ号は機関出力の余力すべてを推進器に回し、緊急速力でムガロポリスを目指した。船体前方には整流出力に調整されたシールドが展開され、夜の気流に乗った船体は第一層大気の上層を流れる密雲を巻き上げつつ音速を超える。
「艦長、最大巡航速度に達しました」
「わかった。私は休憩に入る。ヴォロス副長、ここは任せた」
ハル艦長は艦橋を出て、仮眠をとるべく艦長休憩室に入る。ポケットから音楽プレイヤーを取り出し、イヤホンを耳にねじ込んだ彼女は、十代前半の少女であった頃から聞いているバンドの大好きなアルバムを再生して目を閉じた。意識はゆっくりと深みに落ち、驚くほどあっさりとハル艦長は眠りに落ちた。眠る前に飲んだコーヒーが眠りをこじ開けるまで、ハル艦長の意識は深い無意識の中に沈んでいく。目がぼんやりと覚めた時には、頭の中に悩みを残して疲れはきれいに飛び去っていた。
―メロディが唸って、いる。
ぼんやりとした意識に、音楽プレイヤーで再生されていた曲の強烈なメロディが入ってきた。曲はちょうどギターソロが終わって最初にして最後のサビに突入し、キャッチーなメロディに合わせてボーカルの力強くも繊細で美しい声が詞を歌いあげている。
栄光の日のその先に 何が待つかも知らずに
命を投げて進んでは 血潮の渦を湧き立てる
ああ 剣士のペン先が 強さの意味を問いかける
ああ 剣士の言葉達よ そこにある意味も知らずに
―そういえばこの曲はこんな歌詞だったな。そんなことを思いながら身を起こすと、交代時間はもう二分後である。ハル艦長は音楽プレイヤーを操作して曲の再生を止めると、軍服の襟を正して艦橋に向かった。
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