第2話 あの日の夢

 人間誰しも、夢だと分かる夢を一度くらい見たことがあるだろう。

 俺も、いや、俺はよくある。


「ふふ、今日は楽しかったなぁ。また一緒に来ようね」

「うん。約束だよ?」


 帰りの電車を待つホーム、右隣のさくらを5年前の俺はちいさく見上げた。

 この春から一人中学に行く彼女からの約束が、少し大人しくしてくれていた寂しさを掻き立ててしまう。


 この夢を見るのも何度目だろうか。

 数えきれないくらい見ても、あの時感じた想いは色褪せることはない。


 ただ、感傷に浸ってはいられない。

 これは記憶、この後に起きることを俺は知っている。


「えっ……?」


 驚きの声を上げたさくらの視線は俺の頭の上を通り越していて、続いて周囲の人たちにも動揺が伝播していく。

 釣られるように首を動かすと、壁、床、天井に赤い幾何学模様が走り広がってくる。


「うわぁああああ!?」

「に、逃げろっ、急げぇ!」


 パニックを起こした人たちが悲鳴を上げ、我先に反対方向へと走り出す。

 そんな中、恐怖で足が震える俺にさくらは冷静に話しかける。


「大丈夫だから。神域が広がっていく方に行けば大丈夫だから」

「わ、わかった」


 不安に埋め尽くされる心とは裏腹に、15歳の俺の理性が彼女の落ち着いた対応に感心の拍手を送る。

 神域は築かれた祭壇から広がるため、広がる方向へ向かえば逃れることが出来るのだ。


 逆に祭壇にはダンジョンメイカーが居るはずで、一番危険な場所でもある。

 そこから離れることが、神域の発生に巻き込まれた人間の取るべき行動だ。


 が……残念ながら今回はそう上手くいかない。

 足がもつれそうになりながら彼女に手を引かれる俺の耳に悲鳴が届く。


「ひぃいいいいいっ!?」

「きゃああああああっ!?」


 進行方向だった改札への上り階段から、悲鳴とともに人が戻って来ている。

 幸いなことに、階段の下の人たちとぶつかる事故には至らなかったが、すぐにそれどころではない危機が階段の踊り場に姿を現わした。


「リーフが出たぞぉおおおお!」

「ぶ、ブランチまで居るじゃない!?」


「まだ広がり始めたばっかだろっ、なんでもう居るんだよ!?」

「そんなこと言ってる場合じゃないでしょっ、戦える人は前に出るのよ!」


 俺が普段からよく見るリーフとブランチが行く手を阻み、このままでは逃げられないと見た人たちが対処に動いた。

 ブランチとはリーフを統率する存在で、ブランチの存在の有無でリーフの危険度は全く変わる。


 そのブランチはリーフの歯と同じ材質の太く大きな枝を組み合わせた骨格を持ち、骨格にリーフ同様に黒い靄が付いている人形ヒトガタの敵だ。

 リーフの場合は口を、ブランチの場合は枝を破壊することで始末することが出来るが、素人がいきなり遭遇して戦うのは簡単なことじゃない。


「ぎゃああああああっ!?」

「いやぁあああ!? あなたぁああああ!?」


「躊躇っちゃ駄目! 撃つのよ!」

「わ、分かってるけど……」


 リーフの歯は人間の身体を簡単に切り裂く。

 救うにはリーフを吹き飛ばすしかないことは誰でも分かるが、襲われている人に攻撃が当たったら、と手を止めてしまうのも人として当然の心理だ。


 しかし、野生動物と異なり敵の目的が捕食でない以上、一人の犠牲で生まれる時間はそう長くない。

 それも、ブランチの指揮下となれば余計に短くなる。


「あぁ……あなた……」

「撃って! 近づかせちゃ駄目!」


「くそっ! くそぉおおおおお!」

「えいじ、こっち」


 初めて目の当たりにした凄惨な光景に愕然としていた俺の手を引き、さくらは壁際に並ぶ椅子の所へと連れて来てくれた。

 列車の進行方向に向かって設置された椅子の隙間の空間に俺を座らせると、彼女は戦う人たちの方へ眼を向けながらその背に俺を隠した。


「大丈夫、私が守るから」

「……うん」


 彼女は俺の魔力が無いことを知っている。

 けど、世界がこうなる前から、彼女は俺のことを護ってくれていた。


 一番最初の記憶は犬に襲われた時のこと。

 彼女はみたいに俺を庇って背中に隠してくれていた。


「よかった。減ってきてる」

「ほんと?」


「うん。もうちょっとで逃げられるかも。その時は私の背中だけを見ててね」

「……わかった」


 さくらは俺の命だけじゃなく、心も守ろうとしてくれていた。

 本当に、本当にすごいことだと今は分かる。


 そんな彼女を、俺は……今日もまた失うことになる。


「うそ……」

「どうしたの?」


 いつもと違うのは当たり前としても、これまでとも違う差し迫った声音で呟いた彼女に不安を覚えた。

 答えが返って来なかったことからそっと肩越しに顔を覗かせると、そこには新たな敵の姿があった。


 淡いグリーンの丸みを帯びすらっとした流線形の身体は女性のマネキンのよう。

 その背には羽にも木の葉にも見える一対の半透明の羽があり、また、顔にあたる部分には白い楕円形のフルフェイスマスクがあって、木の葉型に模られた穴の無い目だけが造形として施されている。


「どうしてフェアリーが出来たばかりの神域に居るの……!?」

「あれが……フェアリー……」


「見ちゃだめ!」

「ご、ごめん……!」


 慌てて振り向いたさくらに謝り身を縮める。

 既に泣き叫び逃げ惑う人たちをフェアリーが惨殺する光景を見てしまった後だったが、あまりのことに脳が処理し切れなかったのだろう、さくらに怒られたことの方が気になってしまっていた。


 さて、ブランチやリーフとは一線を画す存在、それがフェアリーだ。

 今なら分かることだが、完成すらしていない神域にフェアリーが居るのは確かにおかしい。


 ただ、おかしかろうが現にフェアリーは既に存在していて、目の前で必死の抵抗を続ける人たちを屠り続けている。

 その中で、さくらは俺に静かに語りかけた。


「あの仮面、分かる?」

「フェアリーの?」


「そう、普通のフェアリーにあんなマスクは無いわ。あれはの証よ」

「……マスカレードって?」


「メイガスの派閥よ。学校で習ってない?」

「分からない。覚えてないよ」


「そっか。じゃあ教えてあげる。マスカレードは目が見えないの。リーフも、ブランチもね」

「で、でも、あいつらは普通にみんなを……」


 目が見えないのにどうやって人を襲っているのか。

 にわかには信じられず反論すると、彼女は優しく説明してくれた。

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