第6話 日常の中の異常

「オブリビオン、帰還しました」

「無事でなにより。報告はあるかい?」


「いつもと同じです。特に変化はなく新たな発見もありません」

「そうか。お疲れさん、深影みかげくん。ゆっくり休めよ」


 今日もまた昨日までと同じ。

 茉莉まりさんのためにも、と意気込んでみたが成果は上げられなかった。


 進捗の停滞に気分が落ち込み、変わらないやり取りにすら無力感から苛立ちが込み上げそうになる。

 しかし、だからといって誰かに当たるなんて以ての外、俺は感情を殺しいつも通りの挨拶を加佐見さんに 返す。


「はい。ありがとうございます。加佐見かざみさん」

「……っと、忘れるとこだった。木原きばら少佐が呼んでたぞ。シャワーの後でいいから来るように、ってさ」

「了解です」


 ……いつもと違ったな。

 あー……今朝早く出かけてたけど、何か関係してるのか……?


 上官に呼ばれた。

 たったそれだけのことで膨れ上がっていた鬱憤が針で刺したかのように抜けていく。


 別にいいことがあるって訳じゃないんだけど。


 むしろ、上に呼ばれてよかったことなんて、実戦投入が決まった時くらいじゃないだろうか。

 現場に出るようになってからはあまり怒られないが、基本的に呼ばれたのは怒られる時がほとんどだった。


 やれ警戒が足りないやれ勇み足が過ぎる、とか、もっと丁寧にクリアリングしなさい、はいダメ、危ない、危ない、危ない、の繰り返し。

 訓練中だったし、根底にあるのが心配だというのは分かっているから、しょうがないというか、出来なかった自分のせいというか……。


 最後に呼ばれたのは……あの作戦の後か……。


 思い返すのは昨年の冬に行われた大規模な反抗作戦。

 地下鉄のターミナル駅と地下街、その上のデパートを神域化している祭壇を破壊するための作戦だった。


 俺はその作戦の準備のために実戦投入され、約半年かけて神域内の把握に努めたのだ。

 ただ、変化も起きる神域の完全な把握は難しく、結果として作戦は失敗に終わった。


 復讐の千載一遇の好機を俺は逃してしまった……。


 それでも、上には一定の成果を認められたし、茉莉さんにも俺のせいじゃないと言われたけれど、偵察任務についている身としては、完璧に把握出来ていればとついつい思ってしまう。

 というのも、上の結論こそ分からないが、戦力の分断が起こっていなければ勝っていたかもしれない、というのが現場に出た人間の肌感として世間で語られているからだ。


「あの作戦が成功してれば……ん?」


 さくらの存在まで奪われるという恐怖からは解放されたのに、と更衣室のドアを開きながら呟いたところ、知らない匂いに鼻が反応した。

 反射的に集中すると浴室の方からシャワーの音が聞こえる。


「珍しいな……この時間に俺以外の人が居るなんて」


 大人数での使用が想定される大きな浴場なので人が居て当たり前なのだが、なにしろこれまで他の人と鉢合わせたことが無かったのだ。

 おかげで、ちょっとした緊張というか、不思議な感情が込み上げる中で俺は装備を外し浴室に向かった。


「っ……と」


 寸でのところで止めたが、扉を開けて入るのに挨拶しかけてしまった。

 なんでそんなことを、と思いつつも流石に自分でもおかしな精神状態であることは分かる。


 というか、知らない奴がこんな場所で変に緊張していると向こうの人もやり辛い……っていうか、逆ならむしろ怖いまであるか。


 そう思い直し軽く呼吸を整えシャワーに向かったが、いつも使っている一番手前の個室は既に使われていた。

 別にどこでも一緒なんだけど、なんとなくリズムが狂っていく気がする。


 ……いやまぁ、そりゃこんな日もあるよな。

 さっさと汗を流して茉莉さんのところに行こう。


 つい気になる先方から意識を背けるように、俺は俯きがちに速足で一つ間を開けた先の個室に入りシャワーを浴びた。

 扉の上下が空いているとはいえ個室に入ったからだろうか、それとも冷たいシャワーのおかげだろうか、すっと気分が落ち着いていく。


 しばらくしてお湯に変え頭を洗っていると、二つ隣の先客の方からシャワーの水音が止まり扉が開く音がした。

 ひたひたと歩く音からも湯船に向かうようだ。


 俺もちょっと浸かりたいんだけど……どうしよっかな……。


 ただ、答えが出る前に身体まで洗い終わってしまった。

 残念ながら、その間に先方が出て行く、なんて都合のいい展開にはならなかったらしい。


 ま、気にせずサッと浸かって出ればいいか。


 頭と身体を洗い終わり腰にタオルを巻いて湯船に向かうと、やはり先客が湯船に浸かっている。

 向こうも俺の存在には気づいていたようで、俺の足音にこちらを見て会釈してくれた。


「ぁ……こんにちはー」


 挨拶を返した俺が映る瞳は夜明け空の上澄みのようなブルー。

 そして、肩に乗って前に流れる濡れて束になった髪は鮮やかな桃色だった。


 なるほど……先客が居るなんて珍しいと思ったら異世界の方だったのか。

 でも、ちょっと待てよ……。


 と、心に暗雲が漂いだしたのは俺だけじゃないらしい。

 こちらを見ていた相手の表情も次第に怪訝なものへと変わり、身を固くしている。


 何を考えているかは分かる。

 きっと俺も同じ顔をしていたはずだから。


 ……あれ、女の人じゃね?

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