第9話 事故が起きた理由
「……なんとかなったな」
ドローンがドアの向こうに消えたのを確認し呟く。
ただ、後ろから反応がない。
「あの、もう大丈夫だと思います」
「……はい、ありがとうございました」
肩越しに様子を伺うと、彼女はワンテンポ遅れて反応し礼を言って身体を離す。
あまり直視できないけれど、なんとなく様子がおかしい。
「大丈夫ですか?」
「はい……大丈夫です。ちょっと、あつくて……すみませ——」
「危ない!?」
「あぅ……」
ふらふらと立ち上がり湯船から上がろうとした彼女だったが、のぼせてしまったらしく足を滑らせてしまった。
すんでのところで抱き留めた彼女の身体はだいぶ熱っぽい。
「大丈夫ですか!?」
「だ、だいじょうぶれす。ごめんなさい、ご迷惑をおかけしてしまって……」
「いえ、そんなことはいいんです。ちょっと失礼します」
「ふぇ……?」
俺は一旦彼女を浴槽の縁に腰かけさせると、彼女の腕を自分の肩に回し腰と足に手をやって持ち上げた。
ぐずぐずしていると他の人が来てしまうかも知れないけれど、万が一のために身体を冷やしてあげないといけない。
「シャワーに連れて行きますから掴まってください」
「は、はひ……」
ぐったりとしな垂れかかる彼女の身体は想像よりも軽い。
意識が無い人間はもっと重いぞ、と救助訓練で聞いていただけに驚きだ。
ま、彼女は意志が完全に無い訳じゃないし、そもそも身体も細くて軽いけど。
「ごめんなさい……重いですよね……。ごめんなさい……私が間違えてしまったせいで……」
「大丈夫です。全然重くないですし」
うなされるように謝罪を繰り返す彼女に返事をしながら、転ばないように慎重に進む。
というのも、そこまで床が濡れてはいないけれど、訳あって視線が上を向きがちだからだ。
その理由の半分は近すぎる距離にある彼女の綺麗な顔で、もう半分は俺の胸板で現在進行形で押しつぶされているもののせいだ。
分からないけど……たぶん、結構大きい。
「……着きました。立てます?」
「ぁ、はい……」
「じゃあ、下ろしますね。壁に手をついてください」
「ありがとうございます……」
「これくらいかな……冷たすぎるのもあれだと思うので」
「きもちいい……ありがとうございます」
軽く温度を確認してから彼女の手に当てると、彼女はへにゃっと笑って礼を言った。
彼女の熱に中てられたのか、そもそも俺ものぼせぎみだったのか、顔が上気するのを感じつつ俺は予定を告げる。
「じゃ、じゃあ、ちょっとここで涼んで待っててください。着替えたら声をかけるので」
「はい……何から何までありがとうございます」
「いえ、じゃあ、また後で。あっ、もししんどかったら早めに座るようにしてください。こけると危ないので」
「はい、そうします。ありがとうございます」
まだ本調子じゃないことを想定し備え予め簡単な指示を出すと、俺は足早に脱衣所へと向かった。
幸い、そこにはまだ誰も来ておらず、俺はササっと全身の水気を拭き取り着がえを終えると浴室に居る彼女に声をかけた。
彼女はしばし冷水に身を晒したことで幾分元気を取り戻せたらしく、間を置かず返事があり安堵した俺は脱衣所の外に居場所を変える。
そして、誰かが来ないことを祈って待つことしばらく、もしもの時の言い訳が思いつく前に内側から彼女のノックがあった。
「お待たせしました。出てもいいですか?」
「ぁ、うん。大丈夫です」
廊下の中ほどまで移動すると扉が開き、丈の短い白のプリーツスカートに黒のハイソックス、そして上はハイネックの黒いノースリーブ姿の彼女が申し訳なそうな照れ笑いを浮かべて出て来た。
慌てて出て来たからだろう、手には白いジャケットを持ち、髪も少し湿って見える。
「忘れ物はないですか?」
「はい。えっと……あっ…………バッグを忘れました……」
「取ってきます」
ここに来て他の人と鉢合わせる不運を恐れた俺は有無を言わさず脇を通り中に入った。
仕事柄変化には他人より気づきやすいおかげもあり、目当てのものはすぐに見つかった。
俺はベンチの下にある白いカバンを手に取ると、ざっと見渡し忘れ物が他に無いことを確認し外に戻る。
そこには笑みが消え、ただただ申し訳なさだけが残る彼女が居た。
「ごめんなさい……椅子に置いた上着を忘れちゃダメだって思いながら髪を乾かしてたんですけど、まさかバッグを忘れるなんて……」
「いいんです。じゃ、これで」
「あっ、待ってください!」
「どうかしました?」
「あの……図々しいことは重々承知しているのですが、少しお話ししたいことがありまして……」
「あー……いいですよ。向こうに休憩スペースがあるので、そこに行きましょう」
「ありがとうございます」
「いえ」
見られたらどうしよう、とあれだけ困っていたのだ。
何を話したいか大体は想像がつく。
というか、俺も彼女が俺の秘密に気づいているか知っておいた方がいいもんな……。
むしろ、互いに秘密を握り合う形にした方がすんなり収まるのでは。
そんな風に算段をつけながら、誰も居ない休憩スペースの端の席についた。
「じゃ、さっそくですけどお話しって?」
「あ、その前にすみません、この度は大変なご迷惑をおかけし申し訳ございませんでした。改めてお詫びとお礼を申し上げます。色々とお助け頂きありがとうございました」
彼女がそう言って頭を下げると鮮やかな桃色の髪が、基本的にはさらさらと、ところどころぽそぽそと肩口から流れ落ちた。
やはり乾ききっていない、あとで女性用がある階に案内した方がよさそうだ。
「いえ、たぶん初めて……ですよね、ここに来るの。全部似たような作りなので初見だと間違うこともあると思いますよ」
「お気遣い頂きありがとうございます。実は地球に来るのも初めてで……たぶん、エレベーターの数字を押し間違えたのかな、と……」
「あぁ……3と5を、ですか……」
「恐らくは、ですけど……でも、さっき見たら男性用って書いてましたね……」
「まぁ……はい、そうですね。その感じだと入る前はやっぱり……?」
「すみません……更衣室としか認識してませんでした」
確か、階が違うだけで部屋の並びは女性用の階も同じだったはずで、彼女は聞いていた場所にあった男性用更衣室に入ってしまった、と。
しかし、そもそもの問題は数字の3と5、ふつうはそうそう間違えないが、彼女のように異世界から来たばかりなら確かに起こり得ることなのかも知れない。
これだけ流暢に日本語をしゃべれてて数字間違うか?
って、思っちゃうとこだけど、やっぱ文字はちょっと違うんだな……。
異世界と繋がったことで地球は影響を受けたが、同様に異世界も地球の影響を受けた。
異世界人、通称エルフと呼ばれる人たちは、元々今のような肉体を持たない精霊のような存在だったそうだ。
聞けば、精霊体の時は意思疎通に言語を用いることはなく、人間の身体を受肉した際に日本語を用いるようになったらしい。
しかし、それは口頭に限ったこと。
文字を用いて来なかった、用いる必要がなかったことが原因だろうか、異世界の暮らしぶりが分からないから何とも言えないが。
やはり、今回の彼女の失敗を見る限り、ふとした拍子に簡単なミスが起こり得てしまうことからも、完全に文字に馴染んでいるとは言えないように思えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます