第4話 日課
「ん……」
ピピピピ、と小さな電子音を鳴らす時計を止めてベッドから身体を起こす。
そのすぐ脇に置いたロケットペンダントを手に取り中を確認する。
あの夢を見ていたことを覚えているから必要の無いことだけど、習慣だから仕方ない。
というのも、中にはさくらとの小さな写真があり、彼女がまだ消えていないことを確認出来るお守りになっているのだ。
「……っし、行くか」
当初は見る度に汗だくになりうなされるだけだった悪夢も、すっかり見慣れた今は俺の生きる原動力。
今日も彼女が記憶の中に生きていることに安心しつつ、準備を済ませジョギングに出かける。
早朝ということもあって人の姿はあまりない。
見かけるのは通勤ラッシュを避けて仕事に出かけるスーツ姿の人や、朝活で生活を充実させようという人がほとんどで、学校に遅れそうだからと魔力で増強し一昔前のオリンピック選手並みの走りを見せる学生はまだ居ない。
だから、過ぎ去っていく光景はたぶん、10年前とそう変わらないはず。
そんなことをぼんやりと考えながら、犬の散歩をする顔なじみの女の人と会釈を交わす。
「ワンっ、ワンっ!」
「ごめんなさいね。こーらっ、ダメでしょっ」
「いえ、大丈夫ですから」
「がんばってねー」
いつものことながら吠えられてしまい、俺は苦笑して頭を下げてジョギングを続ける。
犬は相変わらずちょっと苦手だ。
別に吠えられるからって訳じゃない……と思う。
あの子以外はそんなに吠えられないし……。
「あっ……もしかして魔力か……?」
ふと気づいた可能性に首元に手をやった。
そこにはこの時間以外で外に出る時には必ず着けているネックレスがない。
ネックレスといっても飾り気のないシンプルなもので、魔力の無い俺がそうと他の人にバレないように着けているものだ。
ジョギング中に魔力を感知する装置のある場所には近づかないし、人と深いコミュニケーションも取らないので、さすがに必要ないだろうと外していたのだが……。
「動物ってそういうのも敏感なのかなぁ……?」
犬のあの子にも、俺にはない魔力がある。
あの子の飼い主にも他の人間にもあるものが俺にはないとなれば、吠えるには十分な理由に思えた。
「ま、人間と違っていちいちペットの魔力なんて調べないだろうけど、無い可能性の方が断然低いよな」
世界がこうなったのは俺が5歳の時。
正直、その時のことはよく覚えていない。
なんか、ちょっと両親がバタバタしてたな、って記憶があるくらいだ。
あぁ、あと田舎の祖父母の家に居ることも多かった。
だからあの時、異世界からの侵略者とそれを追う異世界人が日本に現れ世界中がパニックになっていた、と知ったのは物心ついた後のことだ。
異世界での停滞する覇権争いを打開するため、メイガスの派閥を率いるトリックスターが異世界の扉を開き日本へやって来た。
彼らは自身の信奉する神を降臨させるべく、祭壇を築き神域を広げ力を、すなわち魔力を地球で集めようとしたのだ。
それだけでも世界中を大混乱させるのに十分だったが、もう一つ大きな変化があった。
無論、魔力である。
ただ一人俺を除いて、異世界と繋がったことで人を始めとする生物に魔力が宿ってしまったのだ。
敵の存在はもちろんのこと、この人々に宿った魔力が社会構造をも変容させた。
その時の大変さは想像を絶するものだったはず。
ただ、子どもだった俺にとってはもっとシンプルだった。
テレビや液晶の向こう側だった世界が、気づけば家の外まで広がっている。
不安そうな両親を尻目に、田舎で密かに心躍ったのが忘れられない。
何も知らない幼い俺は、いつか自分もとずっと思っていた。
だが、それも現実を知るまで。
その時が来たのは8歳になった年、子どもにも適性検査が回って来た年のことだ。
結果は魔力ゼロ。
誤検知の但し書きがあっても再検査は無かった。
病気と異なり健康に関わりがないからか、ただ統計が取りたかっただけなのか理由は分からない。
分かっていたのは、周囲の誰しもが当たり前のように持っているモノを自分は持っていないということ。
『俺くらいの魔力じゃあっても無くても変わらないよ』
という、ごく僅かでも魔力を持つ父の慰めが虚しかった。
『私の魔力をあなたにあげられたらいいのに』
という、人並みの魔力を持つ母の慰めが悲しかった。
二人からすれば、検査通りなら将来子どもが戦場に行かなくていいのだから、同情しながらもきっとそれ以上に安心したことだろう。
だけど、両親が噛み締めた幸運を子どもの俺は到底理解出来なくて。
二人の慰めより俺の心を癒したのは、幼馴染の
『大丈夫っ、えいじくんは私がずっと守るから!』
続く混迷の時、社会はマイナス方向のイレギュラーに見向きもしなかったが、狭い子どもの世界ではそうはいかなかった。
検査の興奮冷めやらぬ中、肩身の狭かった俺をさらに悩ませたのは程なくして始まった魔力に関する授業だ。
座学はともかく、魔力ゼロの俺に実技が出来る訳がない。
たった一人のイレギュラーであった俺は、教員から通り一辺倒の励ましを受けながら、結局は真似事でしかなかった授業を受けるしかなかった。
魔力が少ない子でも失敗は出来る。
でも、俺は失敗すら出来ない。
世界を取り戻すため、自身の身を守るための力も、子どもにとってはキラキラ輝く楽しいおもちゃ。
それを持たない俺は次第に、周りから、それに自分からも、自然と孤立していった。
でも、幼馴染のさくらだけは、変わらず俺を見捨てなかった。
彼女は昔ながらの人間として生きるしかなかった俺に寄り添い、これまでと変わらず俺の側に居続けてくれた。
大事な幼馴染で、俺の大事な人。
そんな彼女は一学年上の遅生まれで、俺は早生まれ。
頼れるだけでなく、世話を焼いてくれる彼女がずいぶんとお姉さんに見えたものだ。
そう、5年前のさくらを失ったあの日も、俺は彼女に手を引かれてあそこに行った。
新学期から彼女は中学に行き俺は小学校のまま、普段はあまり会えなくなるから、と二人で映画を観に行ったのだ。
彼女は俺が好きだったアニメの映画を勧めてくれたが、俺は格好つけて流行っていた恋愛ものの映画を選んだのを覚えている。
でも、いざ中に入るとずっと年上の女の人ばかりで。
「めちゃくちゃ恥ずかしくて始まるまでずっと下向いて、さくらの側から離れられなかったんだよな……」
映画の内容はほとんど覚えてない。
覚えているのは、涙を滲ませた彼女にドキっとしたことと、彼女が男性俳優をカッコイイと言ったことにモヤっとしたことだけ。
その後、俺たちは家に帰るために地下鉄へ向かったけれど、彼女はずっと楽しそうに映画の感想を話していた……と思う。
はっきり言えないのは、思い出せるのが頬を上気させた彼女の表情だけだから。
「さくら、なんて言ってたっけな……」
昨日、彼女を幻視したのはあの日の朝の景色、映画館に向かう道だった。
もしも後ろを振り返っていたら、彼女の言葉を思い出せただろうか。
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