第12話
夕方に入り、白光に照らされたキッチンの許、香奈美は夕食の準備に取りかかった。今日の夕食は二人分。父親は帰ってこないだろう。どこで何をしているのかもわからない。普通の会社員だが、帰宅するのは月に数度で、ほとんど家にはいない。普通は「遅くなる」だとか「今日は帰れない」という連絡を寄こすものだが、この家の場合、帰る日に「今から帰る」という連絡が入る。それだけ帰宅頻度が少ないという現れだった。ホテルに泊まっているのか、それとも新しく女でも見つけたのかわからないが、父親とはすでに十日以上会っていない。休日すら家にいないのである。本当にこの家庭はどうかしていると、香奈美は常々思っていた。
炊飯器を見ると、炊き上がりまであと五分を切っていた。普段なら朝にまとめて炊いているのだが、今日に限っては和人の分を、しかもお昼の分も炊いていた。量にして三合になる(昨日の食べっぷりから、多めに炊いておいた)。昨年炊飯器が壊れ、新しく買ったものは三合炊き。どうせ自分とたまに帰ってくる父親だけなのでそこまで大きいものを買う必要はないと判断してのことだった。だから、夕飯の準備を始める前に米を研いで、ご飯を炊いたのであった。
今日の夕飯はオムライス。まだ母親が生きていたときの思い出の一品だった。別にこれを作ろうと考えたものではなく、なんとなく何を作ろうかと考えながら冷蔵庫の中身を物色していると、タマネギ、ニンジン、ピーマン、鶏肉と出てきて、ふと卵が目に止まった末の、ほんの思いつきであった。
しかし、それは無意識下での、ある種の逃避だったのかもしれない。友人が死に、死んだ母の僚友が現れ、SFじみた話を聞かされ、昨日助けた少年――相沢和人と、その少年を捜していた黒ずくめの男たちの正体を明かされた。
脳内はそれら与えられた情報をうまく処理できずにいるし、現実離れしたウィルスやら超能力やら聞かされても、困ってしまう。
チラリとソファーに目をやる。寝息を立てている、毛布を被った少年。彼はどんな傷でも治し、病気もすぐに治ってしまうという。ただの、少し気弱な少年にしか見えないし、ましてや特別な力を持っているとはとても思えない。
一旦手を休め、フォファーへと向かう。午前中からずっと眠っているようだったが、さすがに昼食・夕食共に食べないのはよくないだろう。そう思い、ソファーの前に立つと、盛り上がった毛布の四分の一、頭から胸の辺りまでをめくる。
しかし、そこには予想していた安らかな寝顔はなかった。
赤く上気した頬に、やや荒い呼吸。額に手を当ててみるが、それだけで高熱であることがわかる。
「大変…!」
香奈美は慌てて対処する。まずは体温を測って、それから、この時間でもやっている病院があるかどうかを調べなければならない。容体次第では救急車を呼ばなければならない。
「あっと、まずは――」
和人から離れてまず体温計で熱を測ってみようと思った矢先、香奈美の手首ががっしりと掴まれた。
「だいじょうぶ」
弱々しいながら、上気した顔で和人が言った。
「すぐ、熱は下がるから」
しかし、そんなこと言われてはいそうですか、などと返せるはずもない。どう見積もっても三十八度以上の熱が出ているはずだ。放っておく訳にはいかない。
「これ、僕が自分で、体温上げただけだから」
「自分でって、そんな……」
「水、貰えますか?」
「あ、うん」
よく見ると、寝汗も酷い。水分補給が必要なのは目に見えていた。
「ちょっと待ってて」
香奈美はすぐにキッチンへ向かい、コップを取り出し、慌てて浄水器側の蛇口を捻った。通常の蛇口よりもやや頼りない細い水流によってコップを水で満たすと、またリビングに戻って、ソファーから起き上がった和人へと手渡す。
「ありがとう」
和人はそれを一気に飲み干した。
「あと十分もしないうちに、元の体温に戻るんで、大丈夫、です」
空のコップを手渡し、未だ上気する顔で告げるが、やはりそんなこと信じられるはずがない。ないのだが……。
「数時間前、福島所長が来たの、知ってます。最低限の五感は働かせていたので。その説明通りなので、僕は大丈夫です」
福島は言っていた。常人の十数倍の速さで傷や病気を治すと。
「お昼前から
遺伝子が変異した存在。異能の発現。
「知ってしまったんなら、僕からも話さないと」
言いながら、赤かった顔も落ち着きを取り戻しつつあった。
炊飯器がご飯が炊けたと単調なメロディを流す。しかし、香奈美はそれすらも聞き流すほど、動揺していた。
VXZ 神在月ユウ @Atlas36
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