第7話
「いやー、どうもいらっしゃい」
東京都西端に位置する巨大な研究施設、その通路を、白衣を翻しながら来訪者を迎える、やや猫背の男が歩いている。三十代と思しき黒髪の癖毛と、黒縁の眼鏡をかけた、中肉中背の男性である。何が楽しいのか、ずっとニヤニヤと笑っていた。
「あ、そういえば自己紹介がまだでしたね。僕は福島孝一郎、ここの所長です」
声にも笑いを混ぜながら、福島と名乗った男はカードキーを通し、エレベーターの扉を開く。そこへ、来訪者である五十歳前後ほどの、黒いスーツを着た恰幅のいい男性が手招きされ、二人はエレベーターへと乗り込んだ。
「改めまして。東都遺伝子研究所第二研究室室長、小原です」
エレベーターが目的地に着いたのは、小原が名乗り終えた直後だった。扉が開くと、白一色の空間が広がっていた。三メートルほどある通路が延々と続いていて、その壁面は両側ともガラス張りになっている。白一色の空間のせいで照明はよりその明るさを増し、眩しさすら感じてしまう。
「いやいや、遺伝子工学の権威である小原先生が来てくれるなんて、もう昨日から嬉しくって嬉しくって」
福島は笑いながら、小原を先導するように先を歩いていった。その間、小原はガラス張りの向こう側へと視線を移した。と、突然眉を顰めた。
「所長、ここは遺伝子という側面から生物という概念を考える場所だと聞いているが」
「ええ、その通りですよ」
「なら、あれは何だ?」
小原の見たもの。それは、各種コードに繋がれた、二メートルを超える金属の人型だった。白く塗装されたそれは、太い両腕両脚、分厚い胸部、ヘルメットのような頭部にその側面から斜め後方へ伸びる一対のアンテナを持っている。あれは間違いなく、全世界で使用されている、一種のパワードスーツに分類される電子装甲機兵に相違ない。
「その研究に、なぜガジェットアーマーが必要なのだ?」
その問いかけに、福島は笑みの上から笑みを浮かべ、言った。
「超能力って、信じます?」
質問を質問で返した。しかも、突拍子もない内容の。
「いきなり何を言うのだね」
「いえいえ」
小原の疑念をよそに、福島はさっとガラスの向こうを指差した。そこはまた別の場所だったが、そこにはガジェットアーマーのヘルメット部分だけを被った人が、数メートル四方の部屋の端に立っていた。顔は見えないが、体格から見て、若い男であることが予想できる。薄い青の病衣を着た男は、数メートル先にある、白衣を着せたカカシをまっすぐ見つめている。
「あれは?」
「まあ見ててください」
福島が言うと、それと呼応するように、ガラスの向こうの男がさっと腕を正面に掲げた。
その瞬間、カカシがオレンジ色の炎を上げて燃え始めた。
「なにっ!?」
小原は驚愕に目を見開いた。あのカカシに発火装置でもついているのか?それに、燃え方が妙に激しい。普通にライターで火をつけるような燃え方ではなく、まるで油でもかけたような激しい燃焼を見せていた。
「これが、彼の能力ですよ。自由に物体を発火させることができる」
「なんだと?」
福島の嬉々とした声に、小原の眉根が寄った。
「いいですか。彼は周囲の酸素濃度を変化させ、そこに火種を与えているのです。車のエンジンと似たようなものですよ」
福島はそんな様子に構わず、熱弁を続ける。
「彼はそういった『静電気の発生』と気体の『分子運動』を制御できる。他にも、発火させるだけなら熱の輸送により発火点まで温度を上昇させる者や、電流を流してその抵抗で熱を生み、発火させる者、はたまた対象の分子運動を活性化させて発火させる、これは電子レンジみたいなものだね。とにかく、そういったことのできる人間が、ここにはたくさんいるんですよ。あ、もちろん他の能力者もいますよ?高電圧を発生させることのできる者や、光の制御ができたり、瞬間移動ができたり、瞬時に薬物を生成できたりと……。まあ、色々です」
矢継ぎ早に話す福島に、その言葉の内容に面食らうように、小原は半ば自失していた。福島の言うことは理解できる。正確には、彼の言う言葉の意味は理解できる。しかし、その内容を納得しろ、と言われれば、科学者の一人として大いに反論し、言及し、そして笑い飛ばしてやりたいと思っていた。
火種を作るくらいなら、何かしらの方法で静電気を発生させれば可能となるだろう。だが、酸素濃度を調節する?流体の分子運動についての簡単な知識さえあれば、それが如何に困難なことであるかが理解できるはずだ。大気中の主成分は窒素と酸素だが、酸素は窒素よりも重い。密度が違えば、そこには自然対流が生まれ、分子や熱などが動いていく。酸素だけを集めても、すぐに他の気体と混じり合ってしまう。そもそも、酸素だけをどうやって、しかも人の手で集めるというのか。そこすら理解できない。
「あり得ないとお思いでしょう」
その心中を察するように、福島が口を開く。
「でも、彼らは物理学的に考えられないことを、至って物理学的に成立させてしまうんですよ」
福島は歩を進めながら話し続け、一息遅れて小原もその後を歩いていく。
「言葉遊びかね?」
「いいえ。僕は事実を述べているだけですよ」
怪訝な表情の小原など気にせず、福島は顔に微笑を張りつけながら言う。
「彼らの起こしている現象を科学的に説明することはできるんですよ。先ほどのようにね。でも、それがなぜ、そんな物理現象を起こしているのか。その原理がわからない。今は専らその研究で持ちきりですね」
つまり、酸素濃度を濃くして、そこに火種を与えることで燃焼させている。そうやって発火させていることはわかっていても、どうやって酸素を一ヶ所に集めているのかがわからない。そういうことだった。
「コンプリヘント計画。その産物はなかなかに興味深いものを残してくれましたよ」
コンプリヘント計画―――。小原もここに来る道程での車中、渡された資料で見た覚えがある。もっとも、車に酔いやすい体質なのであまり読めず、詳細はわからないのだが。
「で、仮にそういうやつらがいるとして、どうしてあんな
その問いに、福島の顔は未だ微笑を湛えながら、しかしやや考えてから答えた。
「その通りなんですが、小原先生の考えるものとはやや違うものだと思いますよ」
「答え、わかります?」
福島の言うことはいつも要領を得ない。彼は丁寧な口調で語るものの、不遜な態度であると、小原は感じていた。
「生憎、暗算は得意ではないのだが」
不機嫌さを滲ませながら、ニヤニヤ笑う白衣へと言う。
「ええ、僕も無理ですね。でも―――」
その表情を変えず、福島はガラスの文字を書き足した。
『989×1011≒1000000』
「彼らはね、こうしているんですよ」
福島は横に立つ小原へと視線だけ向けて言った。
「能力者の共通の特徴として挙げられるのが、計算能力の高さです。いや、演算能力と言った方が正しいでしょう。彼らはそれぞれの起こす事象を演算することで、どの程度のことをどの程度操作すればどのような結果が導かれるかを計算しているんですよ。しかし、所詮それも人の考えること。当然複雑な計算を厳密に計算して厳密解を算出できるわけもない。だから、数学的に言う二次以上の項などの微少な部分は省略している。でも、省略すると僅かずつ実際の現象とのギャップが出てしまう。それは非効率的な力の消費や思わぬ副産物を生みかねない」
くるりと白衣を翻し、今はもう見えない、最初に小原が見た電子装甲機兵のある方を指差し、
「そのための
言い終えると、同じく白衣を翻して、本来進んでいた方向へと歩を進める。
「もっとも、軍の使用しているもののように武装はしていませんよ。スラスターとかガイドローラーによる高機動と、複層構造による高強度は同じですがね。あれを装着した能力者は凄いですよ?演算に集中する必要はなくなり、その他のことに気を配る余裕ができ、しかも演算時間自体もかなり短縮できてますからね。より高度で難解な演算も可能になり、能力のバリエーションも広がる。まさに夢のアイテムだ」
さも嬉しそうに、まるで自分のことのように語る福島の姿は、童子のそれとあまり変わらない。自分の興味が先行し、今目の前にある存在を認識できていないかのように、無邪気にはしゃいでいるようだった。しかしながら、少なからず、小原もその気持ちを理解していた。自分の研究がうまくいくと、それは嬉しいものだ。小原の研究は形になるようなハード的なものではなかったが、ソフト面の研究とはいえ、それが順調に進み、一つの結果として帰結したとき、心情は感悦に浸るだろう。さすがに、福島のようにはしゃいだりはしないが。
「それでですね、先生にもご協力いただきたいんですよ」
福島は言った。これは、協力の要請ではない。ここに来る前の段階で、すでに協力することは契約書にてサインしている。これは文面ではなく、口頭での意志の確認だった。
「彼らは遺伝子が後天的に変質した、謂わばミュータント。DNA解析もまだ完全ではなく、データの整理すらまだ終わっておりません。先生には、是非ともその辺りのことをお願いしますよ」
言われ、小原は考えた。予想以上の不可解な研究施設であることが、この目で見てわかった。まったく理解しがたい、しかも常軌を逸した研究内容。荒唐無稽と笑われてもおかしくはないだろう。
(しかし…)
だからこそ、これはチャンスでもある。実際に見てしまった。こんな研究、他では絶対にできない。もし、さっきの発火現象がただのトリックだったとしても、ここの給料はかなり高い。いざとなれば、ここで自分の研究を続けてしまえばいい。興味もあり、妥協案もある。改めて考えても、決して悪い話ではなかった。
「ええ、喜んで」
「では、早速先生の部屋を―――っと、失礼」
福島は白衣から所内連絡用端末を取り出し、通話を始めた。
「はいはい。え?ほんとに?場所は?」
何やら興味津々の様子で受話器の向こうへと何度も尋ねる。
「わかった。ヘリ用意して。今すぐ行くから」
電話を切ると、
「すぐに誰か寄こすんで、ここでお待ちください」
うきうきとした足取りで、白衣は歩き出し、スキップし、ついには走り出した。
ガラス張りの空間、その通路に一人、小原だけが取り残された。
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