草羽少平

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 興奮も冷め遣らぬまま、俺、草羽少平くさばしょうへいは彼女の坂崎さかざきゆりと夜の新宿を歩いていた。

 インディーズ界ナンバーワンとの呼び声も高いロックバンド、フレアシードのライブの帰り道。新宿って街はあんまり好きな街じゃあない。特に夜なんて怖いイメージが強くて。

 でも、俺もゆりもフレアシードの大ファンで、折角チケットを手に入れたんだからと夜の新宿なんて大人が行くような街に繰り出した訳だけれども。

 でもその甲斐はあったなぁ。

 ライブハウスの前で、黒い格好をしている大勢の女の子達を見た時は流石に少し引いたけど、ライブが始まっちゃえば全然そんなことは気にならなかった。むしろ彼女達の方が真剣にファンとして応援してると思ったくらいだ。

「少、凄かったね!やっぱりきて良かった!カッコ良かった!」

 ゆりが俺の三歩前に出て、くるりと振り返った。語尾にハートマークでもつきそうな言い方だ。

「だね!淳也じゅんやのソロってライブの時は殆どインプロって話だし、尊敬しちゃうなぁ」

 フレアシードのギタリスト、大沢おおさわ淳也。俺がプロ以外のミュージシャンで憧れている人だ。彼の演奏を聞いていると、本当に天才っているんだなぁって思える。そりゃあ修練だってきちんと積んできたからこその実力なんだろうけど、だからこそ余計に憧れてしまう。

 新宿駅の西口までくると、不意にアコースティックギターの音が耳朶に触れた。視線を巡らせると、結構な人垣が視界に入る。自然と俺の足もそっちに向かって行った。

「え、ちょ、少、なに急に」

 気付かずに先を歩いていたゆりが慌てて俺の方に小走りで戻ってきた。

「あ、ごめんごめん。なんか上手くない?」

 背伸びしてぎりぎりで見えるくらいのそのギタリストさんを指差すと、ゆりはピョンピョンと跳ねて人垣の向こうにいるギタリストさんを見た。

「一言、くらい、声、かけても、いいでしょっ」

 ジャンプするごとに区切ってゆりは言う。可愛らしいなぁ。

「ごめんて」

 そう言うと俺はもう一度人垣の向こうを覗こうとした。そしたら丁度良く俺の前の何人かがどいてくれて、俺とゆりはその隙間に納まった。これで背伸びしなくても見られる。

 ギタリストさんはでっぷり太った髭もじゃの白人の外人さんだ。まさに陽気なアメリカン!みたいな感じ。ジョン・デンバーのカントリーロードを弾き語りしている。その外人さんの前にはギターのハードケースが開いて置いてあって、その中には小銭がいくらか入ってた。

「上手だけどカッコ悪い。失格ぅ」

 ぼそり、とゆりが呟いた。すぐルックスから入るんだから……。確かに格好良くはないかもだけど、愛嬌満点な感じじゃないか。


 曲が終わった途端にやんやの歓声が沸き起こって、ハードケースに向かってかなりの量の小銭が飛んだ。拍手をしていた俺も慌ててポッケの中の小銭を取り出して投げたけど、一介の高校生が持ってる小銭なんてたかが知れてる。総額二四〇円くらい。ま、まぁ、気持ちですよ、こういうのは。と自分に言い訳も忘れない。

 こういったストリートパフォーマーは珍しくないけれど、いつも我関せず、って顔に書いて歩いてる都会の人達がこぞって足を止めて一人のパフォーマーにチップを弾むっていうのはちょっと珍しい。

 外人さんは流暢な英語でてんきゅぅ、てんきゅべりまぁっち、なんて言いながら何度も会釈する。良く見るとお札も何枚か混じってるみたいだ。結構儲かるのかもしれないなぁ。なんて音楽とは少しずれたことをを考えていると、一人の長髪兄さんがその外人さんになんと札を手渡しするじゃないか!

 一体全体ナニモノだ、とその長髪兄さんを眼で追う。なんだか良くは判らないけれど、凄く高そうなサングラスといいスーツといい、彼の纏ってる雰囲気が只者じゃあない。……気がする。判りやすい例えで言えば、芸能人、いや、ミュージシャンかな。

 隣でゆりがカッコイイ……なんて吐息を漏らすように言けれども、悪かったですね、美形じゃなくて。

 まぁ、そんなことはどうでもいいさ。

(誰かに似てる……?)

 誰だったっけ?と考えてると、その長髪兄さんは外人さんに何やら言って(恐らく英語だろうけど)ギタリストさんはOKサインを出すと、にっこりと陽気な笑顔をした。

 そしてじゃらぁんと一つコードを鳴らしてから、メロディを弾き始める。

 お、このイントロのメロディはビートルズのアイフィールファインだ。

 なるほど、リクエストしたんだ。なんて考えていたらその長髪兄さんは再び人垣の中へ消えて行ってしまった。

「……」

 その瞬間、ちらりとサングラスを上げて、俺の顔を見た、と思ったのは気のせい、かな?

「ねぇゆり、今の人どっかで見たことない?」

「今の美形のお兄さん?」

「うん」

「そう言われてみると、誰だろ……」

 うーん、と一頻り唸って見せてゆりはばっと顔を上げた。

「ま、いいじゃない。さ、時間もう遅いし帰ろ。聴いて行きたいのは判るけど」

 俺のダンガリーの袖を引っ張りながらゆりは言う。本当は飽きたんだろうな、まったく。カッコ悪い人の音楽を聴くのは自分の美学に反する、なんて言ってぜんぜん聴こうとしなんだから。でも時間が遅くなっちゃうのは確かだし、ここはゆりに従うことにしよう。

「あ、ゆり、あの外人さんにお金あげた?」

「ううん、だってカッコ悪いじゃん」

「これだ。ルックスで音を選んじゃいけません。カッコ悪い人だってなんだっていい音きちんと出すんだぞ、その辺りをだなぁ……」

「いいの別に!そんなことより少平!あんた本当にもうギター弾かないつもりなの?」

 俺の台詞を遮って、ゆりは強い口調で言う。

「別に弾かないなんて言ってないぞ。だって一緒に演るやつがいないんだもん、しょうがないじゃん」

 俺はつい最近まで学校の友達とバンドを組んでいた。ところがドラムの神谷かみやとキーボードの工藤くどうが喧嘩してバンドは解散。あまりにもあっけない解散のとばっちりを食ったのはボーカルの宗太そうたとベースの洋次ようじ、そしてギターの俺だった。

 てめえらの勝手で残されたおれらはどうすんだ、と洋次が食ってかかったけど、神谷は俺は悪くないの一点張りだし、工藤なんて勝手にメンバー探して勝手にやれば?ときたもんだ。宗太はスタジオのチラシ見てさっさと別のバンドに行っちゃって、結局俺と洋次だけが残されたまま今に至ってる。

「一人でやればいいじゃない。最近増えてるしさ、そういうのも」

 俺はあまり作曲はしてなかったけど、いわゆるシンガーソングライターってやつだ。確かに最近は増えてきた。俺もそういった人達の中で好きな人が二人いる。

 一人は昔はアイドルだったんだけど、今は立派にソロシンガーとして活躍してる岬野美樹さきのみきという人。

 綺麗で可愛くて歌も上手で。実はゆりのことを責められないくらいにはミーハーなノリで聴いちゃってるけど詞とメロディが綺麗で好きだ。

 もう一人は樹崎光夜きざきこうや。三年くらい前にデビューした人。アイドル視されがちだったけど、しっかりロックを唄ってたから好きだった。二年前に音楽シーンから姿を消したきり、今はどのメディアにも顔も出さないし名前も聞かない。

 詞も曲も声も好きだったし、音楽シーンの中でも、天才現る!なんて騒がれてたのに。

「……?」

 ふと、あまりにも信じがたいことに思い当たって、俺は足を止めた。

「なに?どうかした?」

「思い出した……」

 不思議そうな顔でゆりが俺を見る。そうだ、俺達がまだ付き合い始めたばっかりの頃にゆりに勧めたんだった。二年前に。

 ……その直後のはずだ、樹崎光夜が音楽シーンからその姿を消したのは。

「さっきの長髪美形兄さん、樹崎光夜かも」

 確証なんてない。証拠だってないし、自分でもあまりに突飛な考えだって思うけど、でも……。

「えぇ!嘘だぁ!人違いじゃない?他人の空似とかさ。でもホントに樹﨑光夜だったらどうしよう!超感激だね!」

 信じられないような、でも嬉しいような複雑な気持ちなのかな。でも二年前は長髪じゃなかったし、人違いかな、やっぱり。二年前に忽然と音楽シーンから姿を消したあの樹崎光夜がフラフラと夜の新宿西口に現れるってのも、有り得ない話ではないにしたって随分とおかしな話だ。

「ま、まぁ人違いだろうね、きっと」

 自分で言っておいて無責任なことこの上ないけど。そうだったらちょっと素敵かもなぁ、くらいで。

「えー、でも本物だったら自慢しちゃうのになぁ」

 電車に乗ってからもそんなことをずっと話しながら、ゆりが降りる駅で分かれた。ゆりが電車を降りてから、俺はポータブルミュージックプレイヤーのイヤホンを耳にする。樹崎光夜のスピードロックが耳元で鳴り始める。

 もう一度バンドを演りたい。

 ギターを、弾きたい。

 フレアシードの熱いステージを見たことも相まって、そんな思いが燻ぶっていた。



 東京都 豊島区


「よっ、少平。昨日行って来たのか?フレアシードのライブ」

 学校帰り、後ろから洋次が駆け寄ってきた。

「うん。凄かったぁ。やっぱり淳也は天才だったわ」

 インプロというのはインプロヴィゼーション、つまり即興演奏のことで、ぶっちゃけて言えば、曲中にその場でメロディを考えて、思いつきで弾いてしまう「えいえい、どうだこのメロディ、真似できるもんならしてみやがれこんちくしょう!でも俺も二度と弾けねぇぞ!」という見よう(聴きよう)に依ってはいい加減極まりないシロモノなんだけど、実はこのインプロヴィゼーション、ミュージシャンとして最も高い技術を要される、なんて言われてる。

 俺も何度かバックに音楽を流して、それに合わせてやってみたことあるけど、納得いったものが弾けたこなんてただの一度もない。それなりの物は弾けるけれど、コードに乗っただけの体良く収まったソロしか弾けた験しがない。もう十年以上前だけれど、SLAY-Vスレイヴというバンドが解散した。破竹の勢いで聴く人聴く人を魅了して、日本国内にバンド小僧を急増させ、バンドブームという時代までをも創り上げてしまった、伝説的スーパーバンドだ。そのSLAY-Vのギタリスト、功野昌史こうのまさしって人もインプロをやる人だった。彼のライブでのギターソロは宝石よりも価値がある、なんて噂だってあるほどだ。それくらいインプロをやる人っていうのは凄い訳で、ギターを持って僅か数年の小僧がそれを真似ようったってそう簡単にはいかないのが現実。

「いいなぁライブ。やっぱライブだよなぁ……」

 フレアシードだってインディーズ界ナンバーワンと言われてはいるけれど、平たく言ってしまえば社会人バンドだ。彼らだってSLAY-Vが創り出したバンドブームの流れに乗って楽器を手にした世代で、俺だって洋次だって、そういったバンドに憧れを持って楽器を手にした。実際、バンドブームからは大分遅れた時期だったけれど、それこそブームだったものという感情ではなく、本当に好きだから今も続けている。

 工藤や神谷もそうだと思ってたのに……。

「まだ工藤達と言い合ってんの?」

 バンドをやりたいんだったら勝手にメンバー探して、勝手にやってくれ、俺に関わるな、とまで言ったんだ、あいつは。今まで一緒に苦労してきたことも、笑い合ってきたことも、全部あいつら二人がぶっ壊してしまった。

 音楽って、バンドってそんなもんじゃない。判ってないんだよ、工藤達は。

「ったりめーだよ、そもそもアイツが俺達のこと引っ張り込んだぜ。なのに何だよあの態度!マジ胸クソ悪ぃ!ぶっ飛ばしてやりてぇぜ」

 確かに悔しいし、洋次の気持ちも判るけれど、ぶっ飛ばしたところで何が解決する訳じゃないどころか、どんどん感情も、関係も、拗れていってしまうだけだ。それが判っているから洋次も暴力には訴えない訳で、どのみち洋次が工藤達ときっちり話をつけたところで俺はもう工藤達とやりたいとは思わない。

「ほっとけばいいじゃん。もっと早く気付けてたら良かった」

「まぁ、確かにな」

 憮然として洋次は同意した。まだ何か言いたそうだったけど。ここで何を言っても解決なんてしないのは洋次も判ってるんだろう。

「んじゃ、俺今日バイトだからよ、また明日なぁ」

「あ、うん、じゃねー」

 対して俺は暇だ。今日はゆりは友達と遊んでるはずだし、有難いことにアルバイトなんかしなくても高校を出るまでは養ってやるという、うちの親の甘言に乗ってしまって、アルバイトもしていない。というかしたくてもさせてもらえない。

 なので、暇なのだ。

 ……楽器屋にでも行くか。

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