03:dcision
(もう一人のギターってのがね、君、なんだよ……)
だからなのか、こうして信じられないくらいのチャンスが訪れた今も、実感がちっとも伴ってこない。
そもそも
オリジナル曲はあったけれど二曲だけで、あとはコピー曲ばかりだった。俺は完コピ派ではないから、随所に俺が考えたアレンジを盛り込んではいたけれど、それこそ音楽をやっている人間にしか判らないようなアレンジばかりだ。
そこが、樹﨑光夜のお眼鏡に叶ったってことなのか。
帰るなり俺は夕食も摂らずに部屋に閉じこもって、そんなことばかりをぐるぐると考えていた。
「
母さんの声が台所から飛んできた。どう思うだろう?俺、明日からプロのミュージシャンになるんだって言ったら。
毎日スタジオとバイトの生活苦で死に物狂いでメジャーデビューを目指してバンドをやるというのとは訳が違う。本物のプロからのスカウトだから、メジャーデビュー、それもあの樹﨑光夜のバンドだ。バンドが売れるというところまでは確実だろう。
どう、思うんだろう。俺の周りの大切な人達は。
「明日の朝食うから取っといて!」
一声上げてまた考える。
ゆりは何て言うかな。
そうだ、電話してみよう。多分まだ帰ってないだろうけど留守電にでも声、入れといて。
『はい、
こないだは超必殺技の習得の旅なんて言ってたな、確か。
ゲーム大好きのゆりはそのとき夢中になってるゲームに影響されていちいちメッセージを変えている。何のゲームだかすぐに判っちゃう俺も俺だけれど、まぁ我が彼女ながらこういったことにはまめなもんだよ。
「あ、俺だけど、ちょっと大事な話があるから」
あとで電話くれ、って言おうとしたら。
『もしもし?少っ!』
いきなりガチャガチャなって、留守電とはちょっと違う質のゆりの声が聞こえた。
「あぁ、ゆり、今帰ってきたの?」
竜王、倒せてると良いな。
『うん!今帰ってきたばっかり!』
今日は友達と遊びに行っていたらしいけれど、楽しかったのかな。声が随分と弾んでるからきっと楽しんだんだろうな。
「じゃあちょっと落ち着いたらかけ直すよ」
『大丈夫。もう制服脱いだし、少を魅了するランジェリースタイル~』
ランジェリーっつーかブラとパンツのただの下着姿だろう。どう違うのはかさっぱり判らないけど。それでも
「飯は食った?」
ちなみに俺はちょっと食欲ないくらいには悩んでるんだけど。
『シカトが過ぎる……』
ぶすぅ、と音が聞こえそうなほどになっているであろう可愛らしいゆりの顔を想像して、笑顔になれた。やっぱりゆりの存在って有難いな。
「冗談冗談。ちゃんと服着なよ、見えないんじゃ意味ないし、風邪ひくぞ」
「うん、ちょっと待ってぇ」
一旦受話器を置いて、ごそごそと音が聞こえる。
「ほい、完了。で、どしたの?」
早いわ。きっとソファーに部屋着をかけっぱなしなんだろうな、そういうところは結構ずぼらだから。
「ちょっと重大なニュースがあってさ、俺にとっちゃかなり深刻な問題だったりするんだけど……」
そう言い置いてから、俺は昨日の長髪兄さんが樹崎光夜だったこと、その樹崎光夜からバンドのギタリストとしてスカウトされたことをゆりに説明した。
『樹﨑光夜?ウソ?だって、バンドやってるったって少なんてただの高校生じゃない』
「そりゃ俺だってそう思ったよ。でも光夜さん、かなり本気で俺のこと欲しがってるっぽいんだよ」
やっぱりというか、当然というか、ゆりも俺と全く同じことを思ったみたいだ。
『樹崎光夜に見初められたって訳ね……。で、少はどうなのよ。プロでやってく気、あるの?』
「だから、それを悩んでんじゃん」
少しは察して欲しいもんだ。今までの付き合いの中でだって、俺は自分がプロになりたいなんて一度だって話したことはないのに、今日、急に、プロにならない?なんて言われたんだから。しかも憧れのアーティストに。
『有り体な言い方になっちゃうかもだけど、悩むことなんてないんじゃない?要は少がどうしたいかってことだけだもん』
それは、確かにそうなんだけど……。
だけど、プロになって普通の生活を捨てて、音楽、音楽の毎日を過ごして、多分学校も辞めなくちゃなんなくて。ゆりや
プロにだって魅力はある。大好きなギターを、音楽をずっとやって行けるし、その上ちゃんとお金を稼げるなんて本当に夢のような仕事だ。一番の大きな問題は、もしもプロを選んだとして、ゆりや洋次達と会えなくなって、俺が大丈夫なのかってことだ。
「ゆりはさ、俺の気持ちは別として、どうして欲しい?一応参考までに訊いときたいんだけど」
ゆり個人の、都合の良い希望というものは訊いておきたい。
『あたしは今まで通りがいいかな。ギター弾いてる時の少はさ、凄くカッコ良くて大好きだけど、でもプロの世界に飲み込まれたら多分少はあたし達との接点をなくしちゃうんじゃないかって思うし。少しくらいなら会えないの我慢できるけど、ずっと会えなくなっちゃったら寂しいよ』
今こうして話してる時間や、学校のこと。
ゆりも同じこと考えてる。それが、社会人としての甘えになるのかどうか。それすら今の俺には判らない。
「うん、俺もそれは考えてた。だから光夜さんにはもう少し時間が欲しいってことだけ言ったんだけど」
判らないなりに、悩む。
彼女と会えない、友達と会えなくなるから嫌だという理由なら、それはもしかしたら子供じみた甘えになるのかもしれない。そんな気持ちを抱えていること自体が、プロとしてやって行く中で甘えになってしまうのかもしれない。
『一番どうしたいか、なんて少にしか出せない答えなんだから。あたしの言ったことは気にしないで、きちんと考えた方がいいと思うよ。これってさ、少の将来の話にも繋がる訳だし、少がどうしたいかっていうのを一番大事にしなきゃいけないことだから』
俺はゆりの声に頷いた。当たり前のことなんだろうけれど、そこに直面して浮き彫りにされた自分の立ち位置にも戸惑う。
『大切なのは少の気持ち。あたしのこととか、学校のこととか、冷たい言い方に聞こえちゃたらごめん、でもそれってさ、全部少自身が決めなくちゃいけないことだって思うから』
「俺、もう一回光夜さんに会って相談してみるよ。俺のこれからの人生のこと、だもんね」
『だね』
受話器越しのゆりの声がひどく暖かく感じた。バンドが解散した時も、俺は色々なことを考え過ぎちゃって、ゆりの声に助けられた。
「ありがと、ゆり」
自然にこの言葉が出て、思う。やっぱりゆりは俺にとってとても大切な人だ。
『な、何言ってるのよ、彼女として当然のことでしょ、こーゆーのは!』
少し驚いたのか、照れくさそうにゆりは言う。
(本当にありがとう、ゆり)
いつもは中々言えない言葉だけど、でも本当にいつもそう思ってるから。
『じゃ、また明日ね、少』
「うん。じゃあね、ゆり」
俺は受話器をそっと降ろすと、今度は一度もかけたことのない番号をプッシュした。
夕方にもらった名刺の裏――樹崎光夜の部屋だ。
……遅い。
時計を見る。この間光夜さんと電話で話した時の記憶が間違いじゃなければ、待ち合わせは十七時のはずだ。それから待つこと二時間。何もすることがなく、俺はこうして喫茶店の中で待つしかなかった。
東奔西走なイメージはあったけれど、それにしても二時間も遅れるなんてことがあるのだろうか。それならもう少し時間をずらしてくれれば良かったのに。
もう三度目になるだろうか、
「ごめん!ついさっきベースが決まってさ!今まで会ってたんだけど、こうも長引くと思わなくって、ごめんなさい!」
駆け込んで来るなり、開口一番、光夜さんはそう言って、俺の向かいの席に座る。
「あ、いえ、そんな大変なことだったんですね」
確かこの間会った時は、ベースはまだ決まっていないと言っていたはずだ。
「うん、それでさ、ホンットにいい弾き見せてくれちゃってさ、すんごいコーフンしちゃってついつい話も長引いちゃって!」
そう言い終えると、光夜さんはウェイトレスにブレンドを二つ注文した。これで俺は四杯目になる。
「で、何かな?もう決めてくれたとか?」
いきなり切り出してきた。俺も時間はかけたくなかったので、早速自分の言いたいことを口に出した。
「俺、光夜さんからのお誘い本当に嬉しいと思います。だから一緒にやりたい、やってみたいって本当に思ってるんです。だけど、俺まだ学生だし、高校は辞めたくないし……」
不安じゃなかった。断るための理屈だ、これじゃ。言い方を間違えた。
「えぁーっ!何言ってんの!学校辞めてくれだなんてひとっことも言ってないんだけど!僕だって高校は出てるし、少平君に辞めろなんて言う権利は流石にないよ!そりゃライブとか、レコーディングの時はちょっとはって思うけど……」
光夜さんは吃驚して目をまん丸くさせる。
「え?そ、そうなんですか?俺、てっきり学校辞めて毎日スタジオに詰めてってそう思ってたから……」
俺の考え過ぎだったってことなのか、これは。
「うん、たまには集中してほしいってお願いすることもあると思う。厳しいこと言うかもだけど、プロで演るんだから毎週日曜日は友達と遊ぶから駄目、なんて流石に困っちゃうけど、少平君に恋人さんがいてさ、前もって連絡くれればそういうのは一向に構わないし。……だからもし、一緒にやってくれるんならプロとしての自覚を持って欲しいって思うよ」
プロとしての自覚。
たかだか十六歳の、アルバイト経験すらない俺に、正直それは難しい。
「ってのもま、いざって時の常套句っぽいけどね」
「常套句、ですか」
「そ。これはね、年齢、経験の上下で言う言葉じゃないことだけは判って欲しいんだけど、今まで本当に、ごく普通に暮らしてきた少平君にさ、明日っからプロだから、プロとしての自覚持てよ!判りましたぁ!親方ぁ!とはならないでしょ」
少し、砕けたイメージで俺に伝えようとしてくれている。それも、俺の気持ちをきちんと判った上で。
「僕はさ、遊ぶのがうんと好きで、でもそれは、今ここで遊んでも後で取り返せるな、とか絶対何とかしてみせる、って思って遊ぶからさ。だからもし遊び過ぎちゃったら、それは自分の意地にかけても手がけている仕事は終わらせるって、実に単純なことだよね」
それがプロとしての自覚……。まだ子供の俺にはどういうことか、本当には判からないかもしれない。
だけれど、その言葉には、きちんと理解を示せる。
(……やる、か)
ゆりと会えなくなる訳じゃない。学校を辞める訳でもない。
だから、その分俺の負担は大きくなる。でも、それこそをやり切ることが、俺の、プロとしての自覚。
(そういうこと、なら)
俺は知らず、力いっぱい握っていた右手の拳を、ゆっくりと開いた。
「……やります。まだ自分の背負ってる責任がどんなものかは、想像しかできませんけど、でも、精一杯やってみたいって思いました!だから、やらせてください!」
まだ子供かもしれない。何も理解できていないかもしれない。それでも樹﨑光夜が望んだ何かを、俺が持っているのなら。
「うぉあーぃ!やったね!」
実に子供っぽくガッツポーズをとって、光夜さんが満面の笑顔を見せてくれる。ただの高校生でしかなかった俺が、天才アーティストをこんなにも笑顔にできるんだって思うと、なんだか俺にも特別な何かがあるのかもしれない。そんなバカげたことを、信じさせてくれる笑顔だ。
だから、まずスタートラインに立ってみようと思った。
難解な鍵を開けて、プロへの扉を開いて、できる限りのことをやってみよう。
こうして、俺は樹崎光夜と組むことになった……。
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