04:hope
東京都 豊島区
学校帰り、今日はゆりと一緒に帰ることにしていた。
「結局やることにしたんだね」
先日光夜さんと話した喫茶店に落ち着いて、ゆっくりとブレンドコーヒーを味わう。ゆりの個人的希望には、結果的に沿わなくなってしまったけれど、それでもゆりはいつもと変わらない。
「うん、まぁ学校も辞めないで済むし、それなりに時間も都合は付きそうだし」
基本的に俺は学校へ通いつつの参加になるから、特別なことがなければ学校の授業が終わってからの練習参加になるらしい。だから、学校ではゆりとも会えるし、こうして一緒に帰ることもできる。休みの条件はまだ判らないけれど、それも追々決まって行くそうだ。
「ま、ぶっちゃけあたしは
「え!」
そ、そうか、言われて初めて気がついた。選択肢に依ってはゆりと会えなくなるどころじゃなくて、別れるってことだって、有り得たのかもしれなかったんだ。
「何言ってんの、当たり前でしょ」
結果的には杞憂だったのかもしれないけれど。
「い、いやでも、そっか。俺、その可能性考えてなかった」
ゆりが俺の隣にいてくれることを、当たり前のように、いや、当たり前だとすらも感じられないほどに、自然だと思い込んでいたのかもしれない。
「ちょっと、この
「え、あ!違う違う!」
え、まって、今覇王って言おうとした?んじゃなくて!
「ん?」
ゆりは、ゆりが簡単には俺を見捨てない、と思ってくれていた。そして俺も、ゆりは当然にして俺の隣にいてくれるものだと思い込んでいた。
「どの道に進んだかに依って、ゆりに愛想尽かされて別れられちゃうなんてこと、おれ、これっぽっちも考えてなかったからさ……」
つまり、ゆりは俺を見捨てる、なんて考えもしなかった。そして俺はゆりに愛想を尽かされることなんて考えもしなかった。
「う、お……」
ぼん、と音が出そうなほどにゆりの顔が真っ赤になる。
「な、何それ」
照れてるのは判るけれど、言葉の意味がまったく判らない。
「つ、つまりそれは、えと……」
「あっ!で、でも、そういうこと……」
そ、そう。これからだって俺はずっとゆりの隣にいるってこと。何年経っても。
「ざ、ざるを得ない!」
「だから何それ」
まぁ判るけど……。
「ま、まぁでも、いいのよ、少がちゃんと決めたことなら。あとはほんと体に気を付けてよね」
何だか急にもじもじし出して可愛いことを言ってくれるものだから、ますます好きになる。本当に、ゆりが俺の彼女でいてくれて、嬉しいって感じる。
「うん、判った」
「
因みに純子さんは母。和真さんは父。ゆりは俺の親には何度も会っているし、母さんも父さんも、ゆりのことを本当に気に入ってくれている。特に父さんは、ゆりに別れ話を持ちかけられでもしたら、俺が土下座するって言っちゃうほど、ゆりが大好きだ。有難いことではあるけれども、あんまり出張ってこられても困る。ま、それはともかく。
「母さんはおぅガンバレ、父さんは、んむ!だってさ」
「流石としか……」
うちの親って度胸座ってるっていうか、変わり者だからなぁ。でも正直、こうまですんなり受け入れてくれたことに関しては感謝ももちろんしてるけど、あれこれと考えたのが何だかちょっと拍子抜けだった。
「だねぇ……。でもま、親もゆりも信頼してくれてるって訳だし、頑張るよ」
く、と拳を握って俺は言う。プロのバンドで演奏するという面が大きく出てしまうけれど、その実、社会人として働きつつも、学生もやる訳だから、きっとゆりには色々と苦労をかけてしまうことになるかもしれないけれど。
「だね!応援する!」
でも、ゆりはそう、笑顔で言ってくれる自慢の彼女だ。
「ありがと!」
俺も、一緒にいるってことだけじゃなくて、何かゆりに恩返しがしたいな。
「そうそう、あたしもちょっと相談っていうか、報告っていうか」
「ん?」
何だろう。でもゆりの話なら全部きちんと聞く。ゆりがそうしてくれたように。
「大学やめて専門にした」
「あ、そうなんだ。やっぱ調理系?」
そうか、進路のことも俺は自分のことばっかりだったな……。ついこの間までは、大学に進学するか、専門学校に行くか、決めあぐねてたもんな。
「そうそう、将来の旦那様においしい料理を作ってあげたぁい的な?」
冗談めかしてゆりは笑う。てことは別に苦渋の決断、という訳でもなさそうでちょっと安心だ。だから俺もそれに乗っかることにした。
「将来の旦那に、俺はなる!」
ま、まぁこれは冗談でもないんだけれども。
「将来の旦那様がめっちゃビッグなロックスターになってくれたらお店も持てるかもね!」
なるほど、そんな将来設計までしてくれているとなると、ますますバンド、頑張らないといけないな。でも。
「それって調理師の資格だけじゃできなかったよね、確か……」
確か親戚に定食屋さんを営んでいる人がいたけれど、お店をやるには、もっとメインで必要な資格とかがあったはず。
「え、そうなの?でもま、そういうのも勉強できるでしょ!」
「あ、そっか」
専門学校の多くは二年制だ。その二年の中で、きっと調理以外にも学ぶことが沢山あるに違いない。
「でもま、お店持つのは別としても少しは就職に有利だろうし、そっちの道が開ける訳だし」
確かに、ゆりは独り暮らしだし、料理も割ときちんとやっている。何度かお弁当を創って貰ったこともあるけれど、ちゃんと美味しかったし。さらにきちんと勉強すればもっと腕も上がる。そうなってくれば、飲食系の仕事にも就き易いのかもしれない。
「だね。俺も何ができるかちょっと今は思いつかないけど、ゆりのこと応援する!」
そんな特別なことじゃなくても、きっと色々あるはずたし。
「うん!ありがと、少平へぇ~い!」
「それやめて」
新宿区 四谷
一週間後、樹崎光夜復復帰バンドが結成された。
ボーカルはもちろん
そして、ドラムスには
その親友だという、ベースの
そしてギター、どんな手で引き抜いたのか、実は水沢貴之さんの従弟であって、フレアシードのギタリストだったはずの
俺とゆりが見に行ったライブの後、もう二本、ライブをして、フレアシードを脱退したらしい。
そして最後にもう一人。
ツインギターのもう一人が俺、
しかし、それにしてもプレッシャーだ。まさか憧れの大沢淳也とツインギターで組むことになるなんて。でも期待感の方が大きいかな。当然不安だってあるけれど、同じバンドってことは仲間なんだもん。
今日は初めてのミーティングで、五人が初めて一斉に顔を合わせた。
なんでも正式デビュー直前に、ライブハウスでシークレットギグをやるという企画があって、そのライブでやる曲をファーストアルバムとして売り出すため、曲創りもレコーディングも始めるらしい。
光夜さん、俺には時間はあるからって言ってたけど、あれ、嘘だったんだな……。だってこれから作曲して練習して、ライブして、レコーディングまでするなんて過密スケジュール過ぎる。
「とりあえずさ、みんなの呼び方決めようよ」
とことん嬉しそうな満面の笑みで光夜さんは言う。今日初めて顔を合わせてから終始にこにこしてるから、何だか俺まで緩んだ笑顔になってる気がする。
「はい!俺は少か少平って、呼び捨てがいいです!」
びし、挙手して俺はいきなり切り出した。こういうのは始めが肝心ってね。
「オレも淳でいいよ。少も年下で呼び辛いかもしんないけど、呼び捨てでいいよ。タメ口でいこう、ギタリスト同士」
「え、で、でも……」
相手は歳上な上にあのフレアシードの天才ギタリストだよ。こうして話すだけでも恐れ多いくらいの人なのに。
「いやいや、これからコンビ組んでくんだしさ、変に敬語使われる方が疲れちゃうって。たがだか二、三歳じゃん、楽にやろうぜ」
そ、そういうこともあるのか……。バンドの雰囲気や仕来たりみたいなものは、自然に作られて行くものなのだろうけれど、確かにきっちりしすぎた上下間系よりも、多少フランクな方が疲れない、っていうのはあるのかもしれない。でも……。
「だねぇ、何でも言い合える関係を作るのにもいいかもじゃん」
く、とサムズアップして光夜さんも言う。
「それは確かに一理あんな」
確か谷崎さんは光夜さんよりも二歳年下だった筈だけれども。
「ま、堅苦しいのはみんな嫌いでしょ。だから少ちゃんがストレスないやり方でいいんじゃん?」
水沢さんも言って笑顔になる。俺も確かにそうだけれど、やっぱり堅苦しいのは嫌なのかもしれないな。
「だね。でもオレには敬語禁止」
水沢さんの言葉を受けて、大沢さんがにやりとする。ぐ、な、なるほど。でも何だか少し判った気がする。
「だってよ、少平」
谷崎さんが意地悪そうな笑顔になって言う。
「そゆこと。な、少」
「あ、あぁうん!判った!」
おぉ……まさか大沢淳也とタメ口なんて……。やっぱり恐れ多いけど、本人がそこまで言うんだから仕方ない。確かにみんなの言う通り、その方がこれからも気兼ねが無くなるかもしれないし。それにきっと淳は、俺に後輩を求めてる訳じゃないって、何となく判っちゃったし。
「おれ貴ね。淳も諒もそう呼んでるから」
水沢さん、貴さんもにこにこと笑顔のまま言う。気さくな感じのする人。ぱっ見て、良い人そうだなぁ、っていう印象。でも光夜さんに「いい弾き見せてもらった」なんて言わしめてしまう人だ。きっと凄いプレイするんだろうなぁ。早く聴いてみたい。
「オレ諒ちゃんな。少平、間違っても諒ちゃんさんとか呼ぶなよ」
一瞬考えたことを見抜かれた。でも谷崎さんは、普通に諒さん。
「こんなヤツバカ諒でいいぜ、少ちゃん」
貴さんが笑いながら俺に言う。諒さんは今までにも何度か光夜さんの楽曲を叩いていたことがあったらしくて、その時に光夜さんが諒さんのドラムに惚れ込んだって話らしい。元々事務所には入ってない、フリーだった諒さんも光夜さんと組むならってことでお互い合意だとか。
「んだと!おめぇはホントに中学時代ん時から成長してねぇ野郎だなぁ」
諒さんが貴さんに食ってかかる。そうか、中学時代からの仲間なんだ。それにしても諒さんって口悪いな。でもこういう、気負う必要がない場所での口調だし、それがデフォルトなんだろうから、早く慣れないとだ。
「諒、フツーは中学時代の時って言わない」
光夜さんも諒さんに突っ込む。そんな諒さんはというと低く唸って光夜さんと貴さんを交互に見据えてた。口は悪いけれど、優しくて愛嬌のある人なんだろうな、きっと。
「ボクのことも好きに呼んでいいや。……やっぱ光夜がいいかな!」
「前にバカ、もしくは後ろに豆腐を付けてもヨシ!」
だっはっは、と笑って諒さんが反撃。光夜さんはシクシク、なんて言いながら楽しそうに笑ってる。
「
し、しまった。思わず口に出してしまった!
「少ちゃん、次そう呼んだらめちゃくちゃ出汁吸わせるよ」
「ひぃ!す、すみませんー!」
出汁吸わせるって何!
「豆腐にさん付けはしねぇだろ、普通」
「豆腐じゃないし!」
本当に楽しそうだ。なんだかこの仲間となら、俺でもちゃんとやっていけそうな気がする。こんな何気ないやり取りが凄く心地良くて、微笑ましくて。みんな年上だから、多分まだまだ子供な俺に気遣ってくれてるんだろうことも判る。だからそこに甘えないようにしなくちゃって思えるし。
頑張ってみよう。
やってみよう。
俺が、自分で決めたことだから。もうスタートラインに立ったんだから。
この先どうなるかなんて判らないけれど、でもそんなものは関係ない。全力で駆けずり回ってみよう。全力で足掻いてみよう。
――俺達が一緒だから、大丈夫――
そんな暖かい笑顔を見せてくれた、新しい仲間達と共に。
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