大沢淳也

05:tried

 インディーズ界ナンバーワンギタリスト、大沢淳也おおさわじゅんや、フレアシード脱退。

 と或る音楽雑誌の片隅にそんなことが書いてあった。一般の人が見たってなんのことだか判からないだろうに。そんなこと書いたところで。

 ……だからこその片隅、なんだろうか。

 そもそもインディーズバンドったってフレアシードはただの社会人バンドだ。そりゃあ有難いことに、応援してくれるファンは沢山いるし、音楽だけで食っていけるほどじゃあないにしたって、CD創ってライブでもギャラは貰えるくらいはなった。

 でも、だからと言ってオレがフレアシードを抜けたからどうなるってことでもない。そもそもフレアシードの曲は殆どがボーカルの賢次けんじと、ドラムのナベさんが創ってたから、こんな言い方は良くないけど、ちゃんと探せばオレじゃなくても弾ける奴はいる。

 更に御丁寧なことにフレアシードの音楽性がどうの、音創りがあぁだこうだとまぁ、偏見のカタマリみたいなアリガタイ御意見を述べて下さってる。バンド内の抗争だとか方針の不一致だとか、プロのバンドなら誰かが喜びそうなネタを書きたかったのかね、このライターは。

 フレアシードの仲間達は快くオレを送り出してくれた。そしてオレはその仲間達に恥じない音を出すだけだ。

 メンバー同士の信頼なんてそんなものだと思うけど。

 そういうネタはそれこそプロのバンドやらアイドルグループだとかでやってりゃ良いのではなかろうか。何もこんなプロでもないバンドを取っ捕まえて悪評垂れ流すことはないだろうに。

 

 まだ樹崎光夜きざきこうや復活バンド(名前はまだない)のことは当然表立って出てきてはいない。

 事務所がまだ公表していないのだから当たり前だけれど、勘の良い連中はそろそろ何かに気付き始めるかもしれない。

 オレがフレアシードを抜け、りょうさんもスタジオワークを辞め、Sounpsyzerサウンサイザーが隠密に接触。筋が筋ならオレも諒さんも、Sounpsyzerと契約したことを知っている人間だっているかもしれない。

 樹崎光夜がどうこうじゃなくて、Sounpsyzerが新しいバンドを、って意味なら材料は揃い過ぎている。人の憶測を掻き立てるには充分だ。


 ――で。樹崎光夜復活バンドが結成されてから早三週間。

 暦は七月に変わり、曲もぼちぼち創り始めたところだった。

「おぁよーっす」

 オレがスタジオに入ると既に諒さんが来ていて、一昨日仕上がったばかりの光夜さんが作曲した曲、REFLEXリフレックス Lowロー Downダウンのデモテープを大音量で流しながらドラムを叩いていた。

「おっ淳、早ぇな。たかはどした?」

 リモコンで曲を止めて諒さんが挨拶代わりにドラムスティックを軽く上げる。従兄弟ってだけでいつも一緒にいる訳じゃないってのに、いっつもオレに訊いてくるんだからなぁ。とはいえ。

「あれ?まだ来てない?おっかしいなぁ、朝電話したら今出るところだから、って涼子りょうこさん、言ってたんだけど……」

「ほぅ、涼子ちゃんが言ったんなら大丈夫じゃねぇか?じきにくるだろ」

「ですね」

 いかに貴に信用がないかって感じがするな、今の言い方は。

 ちなみに涼子さんというお方は、貴や諒さんの高校時代のクラスメートで、貴の恋人だ。現在は何と何と婚約者でもある。

 一言で言うなら手弱女。おまけをつけるならマイペース。更に追加でとろい。

 優美で優しいってのがそのまんま地で、ホントにこんな女性が貴なんぞの婚約者で良いのか、っていうくらい、いろんな意味でデキた人だ。

 そういう訳で、のーてんきばかな貴よりも、涼子さんの方が信頼度は絶対的に高い。それにオレよりも涼子さんとの付き合いが長い諒さんが言うんだから、きっと貴もそのことに関しては頷くに違いない。


 それから待つこと二十分。セッティングして、二人で合わせて、なんてやってても貴はこなかった。

「遅ぇなぁ、事故ったりしてないだろうなぁ……」

「むぅ、光夜のバカはどーせ遅ぇからいいとしても、少平しょうへいまで遅ぇってのが気になるっちゃあ気になるな」

 そう、少まできてないのだ。真面目で一生懸命な少が遅れたことなんて今まで一度もなかったのに。貴も住まいは七本槍市で、近いって訳じゃないけれど、電車で約四十分、車で約六十分。運が悪けりゃ九十分。

 まさか、本当に事故ってなんかないだろうな……。

「っだあああ!悪ぃ、遅れた!」

「のわぁっ!」

 人が心配してる時にがば!っとド派手な音を立てて貴がスタジオに入ってきた。……いや、転がり込んできた。多分防音扉の足元の段差に足を引っかけたのだろう。あーあー、シールドケーブルに足引っ掛けちゃってまぁ……。

 しかし、いくらなんでも突然すぎだ。思わず諒さんと二人で間抜けな声を出しちゃったじゃないか。

「わあああっ!す、すいません!」

 続いて少が入ってきた。

「いてっ!いてっ!踏むな少ちゃん!」

「あぁっ!ごめんなさい、ごめんなさいっ!」

 転がっていた貴を二、三度踏んで、少はまた謝った。なんちう騒がしい……。

「どうしたんだよ、電話じゃ涼子さんがもう出るからって言うから、同じくらいにはついてんかなぁって思ってたのに」

 オレは起きるのもままならないほどシールドケーブルを絡ませた貴にすぐさま詰め寄った。

 心配して損したぞ、なんか。

「いやぁ、今日テリー君できたんだけどな、新宿んとこで少ちゃん見かけたから拾って二ケツしてたらさ、そこでチェーン外れちゃって、やっとこさ直して辿り着いたって訳。その間にちょろまつに職質されてさぁ、いやぁ、驚いたのなんのって。なぁ、少ちゃん」

 貴は頭をカキカキ、苦笑しながら少に同意を求めた。因みにテリー君ってのは、貴の愛用のバイクTW225の名前で、ちょろまつってのは自転車またはバイクに乗った普通のお巡りさんのことだ。

 貴の高校でしか使われていない言葉だ。……念のため。

 多分だけど、自転車でうろちょろしてるマッポ、の略だと思われ。

「ボロクソバイクで驚きましたけど普通アルタ前でバイク修理なんてしないですよ!修理屋さん呼ぶなりすれば良かったじゃないですか!その場で思いつかなかった俺も俺ですけど!」

 おぉおぉ、怒られてる怒られてる。そーだよな、普通怒るわな。チェーン直してる間突っ立ってるしかできないもんな。

 いたいけなコーコーセーの少のことだ。貴一人置いて電車で先に行く、ってのも忍びなかったんだろうな。

「なにぃ!大変だったのに……。見ろよこの手ぇ!」

 ばば、っと寝っ転がったまま貴が両手を開いてオレに見せる。

「うぅわきったね!早く洗ってこい!」

 まぁ軍手なんか持ち歩いてないだろうから、素手でやるよな。錆と油で汚れまくったチェーンルブが手にべったりつくよな、そりゃ。走っててチェーンが外れるってことは、相当にチェーンが伸びてるって訳で、チェーンが伸びてるなら実際手で嵌め直すのは不可能なことじゃない。でもそのまま走ってたらまた外れるだろうけど。

「あとでハンドルも拭きに行かないと……」

 ハンカチもタオルも持ち歩いてないだろうから、そりゃ油まみれの手で運転してきたよな……。

「しかし職質って……」

 忍び笑いを漏らしつつ、諒さんが言う。

「ぶっちゃけ無職と同じだしなぁ、今は……」

 一応Sounpsyzerと契約してるから、まったくの無職って訳ではないけれど、決められた時間働けば給料が出る訳でもないからなぁ。

「働きもしねーでバンドばっかやっててまぁしょーがねぇ野郎ぜだぜ」

 や、ぶっちゃけそれ今オレら全員同じ立場なんすけど……。

「それを言うなよ、気にしてんだから!」

 でも貴は涼子さんと同棲してるから、稼ぎがない今はメンタルにくるんだろうな。まぁ、それはそれとして、だ。一つ気付いた。

「大体X4乗ってくれば問題なかったんじゃねぇの?」

 X4というのは貴が所持しているもう一台のバイクだ。X4は排気量もバイクそのものもデカイから、都心を移動する時はもっぱらテリー……基、TW225ばかり乗っている。そして、TW225は車検がないので、ろくにメンテナンスもしてなかったのだろう。

「まぁ、そりゃそうなんだがよ……」

「こりゃ昼メシおごりっすね」

 オレ達は口々に貴を責めた。身体に巻きついたシールドケーブルを解きながら、うぅ、とへの字に口を曲げて後じさる。もしかしてシールドケーブルも油まみれになって……なってるな。後で貴に拭かせよう。そういえばさっき頭も掻いてたから頭も汚ねぇんじゃ……。

「ごめん」

 あっけなく貴の頭がコキッと垂れた。まぁ、当然だ。

「ちえー、おれは今涼子の脛かじってる身だってぇのに……」

「稼げるようになったら楽させてやりゃあいいんだよ。そのためにはまず練習練習!」

 オレは貴に言うと、肩にかけた愛用のレスポールスタンダードを慣らした。

 貴はこっくり頷いて、何とか立ち上がると、スタジオを出て行った。残る少は苦笑しつつスタジオに置いたままのケースからギターを取り出し、セッティングを始める。全く子供だよなぁ……。今年で二四になるとは思えん。

「あとは光夜さん待ちだね。できるだけ練習して、光夜さん驚かそうよ、淳」

 セッティングを終えた少がフェンダーのストラトキャスターをじゃがん、と鳴らす。

「……おっしゃ、やるか!」

 なんだかいつも少の言葉に乗せられてる気がするなぁ、オレ。熱意がうつるのかな。まっすぐで、力強くて。そんな不思議な力が少にはあるんだろうな、きっと。

「んじゃ、いくぞー」

 諒さんのスティックがカウントを鳴らした後、みんなが一斉に音を出し始めた。貴、まだ戻ってきてないけどね……。


 結局光夜さんは夕方にひょっこり現れて、作曲のミーティングをすると、また忙しそうに帰って行ってしまった。マネジメントの仕事にまでクビ突っ込んでるらしいからな、あの人。

 曲はオレと少が一曲、貴が一曲、諒さんが一曲ってことになった。オレと少はそれほど曲を創ったことがある訳じゃない。貴は高校の頃からオリジナルやってたし、諒さんもそうだ。だからオレと少でってことになったんだろうな。

 とりあえず、明日、自分の曲のストックから引き抜いて、どんな曲にするか、ってのを決めて、今日はお開きになった。

「じゃあ、みんなお疲れ様です。たぁか!明日は遅刻しないように!」

 みんなが帰ろうとしたときに、ウチのマネージャーである香瀬美沙希こうせみさきさんが事務室から出てきてそう言ってくれた。水色のスーツを着た、ゆるふわウェーブヘアの良く似合う美人さん。

「そぉゆぅことは光夜に言ってくれる?香瀬ちゃん」

 憮然とした表情で貴は言うけれど、貴の遅刻は完全に貴のせいだぞ。

「あの人に関してはもうとっくに諦めてるから。それよりもまだツッパリ小僧ベーシストの方が見込みありそうなんで、ね!」

「悪かったな!結構優良イカスベーシストで!じゃあお疲れ!」

 貴はそう苦笑しつつも手を振って歩き始めた。

「みんな気をつけて帰るのよ」

 うんうん、いつもの通り、優しいな、美沙希さんは。

 そう、男なら誰でも一度はそうあるように、オレもまたこの年上の女性に憧れていたりするのだ。

 きっと避けては通れない道なんだ、男にとっては。

「美沙希さんも無理しないで、適当に休んでね」

 オレは年下を感じさせないように、大きな心を持ってそう言った。

「ありがと、淳」

 しかし、やはりオレも――年しぃたの男の子♪らしい……。



 貴と諒さんは一杯引っ掛けて帰るらしかったけど、今日はバイクだからオレは遠慮した。

 貴もバイクだったけど、元々貴がバイトをしていた整備工場に連絡を入れて引き取って貰うらしい。ちゃんとメンテナンスして貰った方が良いしな。

 みんなに挨拶して駐輪場までくると、愛車ZEPHYRゼファーのエンジンをかける。まだ一年半の短い付き合いだが、中々に味のある可愛い奴である。どっかのバカ従兄のように愛称をつけたりはしないが。

「お、淳?」

 さて帰ろう、と暖気しつつ車道まで愛車を押す途中、聞き覚えのある声がした。フレアシードのもう一人のギター、擁平ようへいだ。

「よおへー!久しぶりじゃん!」

「だな!これから飯食って練習だ」

 そう言って擁平は肩にかけたギターケースをオレに見せた。

「練習かぁ」

「そ、まずは腹ごしらえだけど……くるか?」

 オレの気持ちを察してか、擁平はオレの顔を見ないで、軽く、あくまで自然にそう言った。

 何となくその気使いが嬉しかったけど、オレはもう同じバンドの人間じゃないんだ、って思ったらちょっと淋しくなった。

 我ながら随分と勝手なことだけれど。

「いいのかな、オレなんて」

「バカ、いいに決まってるだろ!」

 少しだけオレが躊躇うと、擁平は本気でそう答えてくれた。

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