02:prepare
同日
東京都 豊島区
さて、楽器屋に着き、買いもしない楽器を眺めようかなぁと思ったところで。
「失礼。
後ろから突然名前を呼ばれた。
「!」
振り返ってその人物を見てみると、なんとなんと、昨夜の長髪兄さんではありませんか。サングラスかけてるけど、間違えるはずもない。昨日見たばっかりだし、サングラス姿も高そうなスーツも、色が違うくらいで昨日とほぼ同じだし。
「あ、あの、もしかして
言うだけならタダだ。俺は昨日ふと思い浮かんだ疑問をそのまま長髪兄さんにぶつけてみた。
「え?」
やっぱり人違いか。ちょっと残念。
「判っちゃった?一応変装してるつもりではあったんだけどなぁ、おっかしいなぁ」
変装趣味なんてちょっとやばそう、この人。……え、何?判っちゃった?本人とばれないように変装していたってこと?え、だとしたら、まじで?
「ほ、本物?本人なんですか?ホントに樹崎光夜さんなんですか?うわぁ!すげぇ!感激!」
まじか!まじだったか!俺の勘もすげぇ!
「しぃぃっ!し、静かにぃ!」
光夜さんは人差し指をびょこ、と立てて言った。そ、そうだ、この人はプロのミュージシャンなんだ、有名人、ゲーノージンってやつだ!
「あ、あぁ、俺ファンだったんです!サインしてくれませんか?」
慌てて声のトーンを落とす。幸い辺りの人は誰も気付かなかったみたいだ。良かった……。場所が場所だけに楽器店に樹﨑光夜がいたなんて知れ渡ったら大変だ。
「え?サイン?いいけど何か書くもの持ってる?ボクなにも持ってないんだけど……って違うでしょ、僕は君に話があって来たんだから」
見事なノリツッコミ。メディアで見えていた部分では、クールでカッコイイ人なのかと思ってたけれど、全然イメージ違うな……。なんだか呑気というかマイペースというか。
(え?)
話?だって?な、なんだって俺なんかに樹崎光夜が?
「す、すみません、聞いてませんでした!も、もう一回お願いしてもいいですか?」
完全に舞い上がって聞き逃してしまった!
「まだ何も話してないってば、ちょっと落ち着いて、なに慌ててるのか知らないけど。どっかお店入ろう、話はそれから」
い、いかん、パニくってる。全然話なんて聞いてなかった。落ち着け、草羽少平……よし、落ち着いたぞ。うん、大丈夫。さぁ、樹﨑光夜殿、準備は万端。もう一度お話しくだされ。
「ボクの話、聞いててくれた?」
我に返って光夜さんの話を聞こうと思ったところで、光夜さんはそんなことを言った。
「え?」
「……」
「あ、あぁ、す、すみません!あの、もう一回……」
おかしいぞ、落ち着いてるはずなのに。
「だから、どっかお店入って、それから話しようって、言ったの。OK?」
「は、はいぃ!」
ずいっ、と詰め寄ってきた光夜さんに気圧されながらも俺は頷いた。
こうして、俺はパニック頭のまま、あの憧れの樹崎光夜とお茶することになってしまったのだ。
「ごめんね、突然で。でも僕のファンだってのは有難いねぇ。話も早い」
「はぁ……」
楽器店から五分ほど歩いて、明治通りの裏、人通りの少ない路地にある、小さな喫茶店に俺と光夜さんは入った。
光夜さんはテーブル席に着くなり、かなり上等なエスプレッソだかなんだかを二つオーダーして、その後に、あ、エスプレッソ嫌い?大丈夫だよね?
なんて一方的な確認をして。
俺はそんな光夜さんの行動に着いて行けずに間の抜けた返事を返すばかりだった。
(しかし、なにこの展開……)
あの、超有名(だった)シンガーソングライター、樹崎光夜御本人が冴えないただのこーこーせーの俺に話なんて。
「あ、
「へ?」
話の内容から外れたんだろうか。またしても間抜けな返事を返してしまった。色々と突拍子なくないですか、光夜さん、とはもちろん言えず。
「有線、有線。うわぁ懐かしいな。二年前にボクが美樹ちゃんに書いてあげた曲なんだ、これ」
「ミキちゃん?ミキちゃんって
「うん」
あ、ホントだ。落ち着いて聴いてみるとファーストアルバムの四曲目。この曲、凄く好きだけど、まさか光夜さんが創った曲だったなんて思いもしなかったな。帰ったらライナノーツ見てみよう。
「美樹ちゃんてさ、すっごく優しい子なんだ。僕さ、昔レコーディングで倒れたことがあってね、その時自分の部屋で寝込んでたらお見舞いにきてくれてさ。身の回りの世話してくれて。嬉しかったなぁ。料理も上手だしホントにいい子なんだ。この曲聞くとあの時のこと、思い出しちゃうなぁ」
店内のスピーカーから流れる岬野美樹のソプラノに聴き入りながら光夜さんはしみじみと言った。
芸能人と聞くとなんか性格悪くてっていう固定概念みたいなものがあるのかもしれないけれど、そうじゃない人もやっぱりいる。芸能人にはメディアで創って見せるキャラクター、というものが必要な人だっているんだろうし。実際光夜さんだってこんなにフランクな人だとは思わなかったし。
や、なんか違う。
話、ズレてるんじゃないだろうか……。
「……で、あの、話というのは一体?」
もしかしたらもしかする俺の予想が当たるかどうか、思いきって光夜さんに訊いてみた。予想的中、光夜さんは、ん?という顔をしてポン、と手を打った。ポン、じゃないですよ……。
「ごめん、おれって思いついたら即行動、ってことが時々良くあるから、へへっ。そう、僕ね、今度バンドで復帰することになったんだ」
時々良くあるって……ま、まぁ、でも納得はしておこうかな。目の前の、キャラクターではない樹﨑光夜がこうなのだとしたら。自分のことも僕だったりおれだったりあんまり拘ってない感じもするし、自然体でこういう人、なのかもしれない。
で、その樹﨑光夜がバンドで復帰?二年間の沈黙を打ち破ってバンドで復帰。それはバンド小僧の俺としては中々に凄いニュースかもしれない。復帰した樹崎光夜が今度はバンドで、どんな音楽を聴かせてくれるのか、少し考えただけでも滅茶苦茶楽しみだ。
(……ん?)
そもそも、なんでそんなこと、俺に言う必要があるんだろう。
「ジャンルはもちろんロック。ロックもロック、ハードロック、LAメタル、ロックンロール、おーういえぃ!その他諸々。メンバーによってはポップなのとかメタルなのとかやるかもしんないけど。んで、そのメンバーが五人の予定。僕はもちろんボーカル。ドラムはね、
「え?」
大沢淳也だって?昨日、正にフレアシードのライブでギター弾いてたってのに……。
「ん?」
「大沢淳也って……」
「あ、知ってる?フレアシード」
え、えぇ、知ってるも何も、大ファンですよ。
「昨日正にライブ見てきましたけど……」
「え、マジで!僕も行ってたよ!超良かったよね!」
な、なるほど、その帰りにボクはアナタを見かけた訳ですね。何て偶然だ。
「あ、ごめんごめん、んで、あと一人はギター。でもまだその人が僕達のとこにきてくれるかは判んない」
樹崎光夜のお誘いを保留するなんてよっぽどの凄腕なのかな。音楽は、上手い下手は勿論あるけれど、それよりも好き嫌いの方が大きいから、意外とまでは思わないけれど。
「てことは、ツインギターなんですね。キーボードは入れないんですか?」
樹崎光夜という人は鍵盤で作曲することが多い。元々の畑がクラシックの人だったから。
「うん、曲に依ってね。ギターが入ってくれれば僕が弾くし。んでね」
そう言って、光夜さんは一口コーヒーを飲んでから、ほう、と吐息を吐く。
それからゆっくりと息を吸い込んで。
「もう一人のギターってのがね、君、なんだよ……少平君」
ふーん、俺なんだ。
「いい?」
イイも何も、何言ってんだろこの人。そんなこと俺に言ったって仕方なえ?
「?」
今この人、なんつった?
「僕のバンドで、ギター弾いてくれる?」
「?」
弾いてくれる?って、それ俺に言ってるんですか?
「おーい、草羽少平君」
「?」
大体にして、何故、樹﨑光夜が、俺の名前を呼んでるんですか?
「今度樹﨑光夜が復帰と同時に発足するバンドのギターを、弾いてくれるのかい?」
「?」
ていうかそもそも、何で俺は樹﨑光夜とお茶してるんですか?
「ちょっと……」
い、いや判ってます。みなまで言わんでください。判りやすく言うと、あまりに信じがたいお話で現実逃避をしたい。そんな草羽少平、十六歳の梅雨入り前。
「お、俺……?はぇっ?」
今までで一番間抜けな、しかも素っ頓狂な声。当たり前だ。こんな、コレといった魅力もないただの、一介の、普通の、高校生にぃ!
なんで!よりにもよって!樹崎光夜が!俺なんかを!ギタリストに!
「お、オォォオレェー?そ、それって、プロで演るってことですよね!プ、プロつったら、ぷろっつったら……えーと、あの、何言ってんだオレ?だから、あぁっとその!」
だ、駄目だ。幾ら現実逃避しようと、光よりも速くゲンジツが追いかけてくる!完全にパニック!完パニ!
「当然冗談で言ってるつもりはないよ。君の去年の文化祭のライブビデオ、見せてもらったしね」
急に真剣になった光夜さんの眼差しに、思わず引き込まれそうになる。どういった伝手で文化祭のビデオが樹﨑光夜に渡ったのか皆目見当もつかないけれど、問題はそこじゃない。
「あのソロの弾きには凄く惹かれるものがあったよ。君はこれからだってまだまだ伸びる」
あの樹﨑光夜が俺のギターを聞いて、そんなことを言うだなんて、目の前で言葉にしてもらっても信じることができない。ただ、樹崎光夜というミュージシャンの言葉を黙って聞く以外、何もできない。
「もっともぉっとさ、デッカイとこで、大勢の人達とさ、一緒に唄おうよ、おれ達と。少平君さえ気に入ってくれたら本っ当にものすっごいバンドになる!」
「……」
こんな時、何を言ったら良いのだろう。混乱した頭の中で色々と考えてみたけれど、今この場で、そう簡単に答えなんて出せやしない。親の顔やゆりの顔、洋次の顔なんかが浮かんできて。
「なぁんて勝手な言い草だよね。もちろん無理にとは言わないよ。でもね、僕は君の代わりなんて考えてないんだ」
そこまで強く思ってくれている。それが樹﨑光夜の視線から、表情から、伝わってくる。
そこまで俺のギターを欲しいと思ってくれてる。
何故だかは判らないけれど、あの樹崎光夜が。
他の誰でもない、草羽少平っていう人間の出す音を。
でも、それでも。
「……少し、時間いただけませんか?」
それが、今の俺に言える一言だった。
このまま光夜さんの前にいると、流されるままに首を縦に振ってしまいそうだった。自分の考えも周りの状況も何もかもお構いなしで。
「うん。ゆっくり考えてよ。時間ならまだあるからさ。じゃ、これ、もらっといて」
光夜さんは以外にあっさりと時間をくれた。俺が逆に驚くくらいに。そして、胸ポケットから名刺を一枚取り出してそれを俺の前に置いた。
「なんです?」
俺はそれを手にして光夜さんに訊いた。
「マネージャーの名刺。裏に僕の部屋の電話番号書いてあるから、決めたらまず僕のところに連絡ちょうだい」
「あ、は、はい」
良いのだろうか、樹崎光夜のプライベートナンバーなんて一般人の俺なんかがもらっちゃって。
「一応僕はソックリサンでも何でもない、本物の樹崎光夜だって証明と、きちんとマネジメントも係わってるって証明、かな。以外とすんなり信じてくれちゃったしね、君は」
『
「できればいい返事、期待してるよ。じゃ、今日はこれから事務所行かなくちゃいけないから」
「は、はい。できるだけ早く連絡します」
俺はそう言って名刺をポケットの中に入れた。真剣に考える必要がある。今この時点で、自分の将来を考えるだなんて思いもしなかった。近い将来、進路だ何だと面倒なことになるのが当たり前だと思っていた。それにこの先の自分の道を決めるなんて、漠然としすぎていて、俺にはまだまだ判らないことだらけで、たかだか十七歳の子供の俺が、大人になったら、なんて判る訳がない。
だから、今この時点で、与えられたものも含めた手札をきちんと確かめて、真剣に考えなくちゃいけないこと。
ただ、今この場で俺はプロへの扉を開くための鍵を渡された。
それだけは確実に判っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます