09:exert
小一時間ほど話し込んだだろうか。しどろもどろになりつつも、それでも
「何となぁく
ひ、ひぇ。天下の
「あたしの場合はね、曲創る時は街を歩くことが多い。今住んでる街、実家のある街、それから新宿、渋谷、原宿、銀座、六本木。色んなとこ歩くの」
美樹さんは目を閉じて静かに話し始めた。これは興味深い。あの岬野美樹がどう作曲しているのか、欠片でも伺い知ることができるかもしれない。
「何かを、感じに?」
「そ」
何か。
それが何だとしたって、それはまぎれもない才能だ。他人には感じられないモノを感じに行く。それを才能と言わずして何と言おうか。だけれどおれは美樹さんとは違う。そんな才能なんて持ち合わせちゃいない。
「人の流れや車の流れ、クラクションや地下鉄の音。いろんな街で、いろんな人の姿がそれぞれなんだって感じる」
目を開けて、今度はグラスに残った溶けた氷を見つつ言う。
「超常的なこと言ってるんじゃないのよ。あたしの勝手な主観。この人は仕事が上手くいって、その帰り道なのかなとか、恋人とケンカしたのかなとか、本当に些細なことを感じに、ううん、想像しに街へ出るの」
それを音にできるのならば、それはやっぱり美樹さん自身の才能だ。
「感じたままに曲を創る?」
それが自然な姿なのかもしれないけれど、だとしたら、作曲に思い悩むことなんかない。
「そうなりたいけど、
(なるほど……)
少しだけ、判ったかもしれない。
自分らしさ。一言で言うのは簡単だけれど、ミュージシャン達は一曲に自らのすべてを晒け出すことができないことを良く判っていて……。だからミュージシャン達は幾つもの心に残る曲を創っても、更にまたそれを上回るような名曲を生み出す。少しずつ、少しずつ、自分らしさが多く詰まった曲を。
思い込みかもしれない。偏見かもしれない。でも今のおれはにはそう思える。
「自分らしさ、か……」
今まで自分が憧れたミュージシャンのようになりたいと思っていたけれど、きっとそういうことじゃない。だから光夜はきっとおれに何かを感じていた。おれの中に何があったのかを、光夜はちゃんと知ってたんだ。光夜がおれに美樹さんを会わせたのは、美樹さんがこれだけ自分らしさを大切にしてるからだ。
「自分にとって何が一番大切なのか、ってことかもしれないね。難しいことだけれど」
確かに難しい。
おれは涼子が大切だし、
「あたしにとって……うーん、誰もがそうなのかもだけど……」
そう言い置いて、美樹さんは一息つく。誰もが同じように思う大切さ、ということだろうか。
「一番大切なのは時間、かなって。今まで友達と過ごした時間、恋人と、家族と過ごした時間」
「時間……」
人と人とのことだけではなく、そうしたものすべてを内包する時間、か。
「それから今、っていうこの時。人それぞれその重さは違うと思うけど、その時その時に必ず合った音楽。良くあるでしょ?この曲聴くとあの頃のこと思い出すなぁって」
心当たりがありすぎる話だ。ここが落としどころ、と言わんばかりに美樹さんは続ける。
「いつか、誰かの時間の中にあたしの曲がそういう風に残ってくれたらいいなぁって思ったの。その頃からかな、光夜君から曲もらわなくなったの。ただ有名になりたくて、誰かを頼って、のし上がって……。あたしの中で一番重苦しい時間」
美樹さんは少しおどけたように言う。だけれど、判った。
「でも、忘れちゃいけない、美樹さん自身の大切な時間、でしょ?」
「御名答。だから成り上がりって言われても何も言い返せないし、言い返すつもりもないけど、今、この時にあたしが曲を創って、それを聴いてくれる人がいて……。今のあたしを好きになってくれる人がいるから、開き直って、思い切り利用するの。今のこの立場を」
目から鱗が落ちた。そんな考え方があったなんて。時間が一番大切なら、やっぱりその時間の中に、一緒にいる誰かも一番大切なんだ。比べる必要なんて、線引きをする必要なんて、初めからない。
おれは心の底からこの人を尊敬した。凄い、と思った。
過去は悔やむことはできても変えることはできない。ならばその過去を受け入れて、自身が恥ずことのないように今を生きる。そんな当たり前のこと、でも中々できないことを、この人は力強く口に出して、実践してる。
「凄いな、美樹さん。すっげぇよ!貴ちゃんは感服してしまいましたですよ」
おれの言葉に美樹さんは臆面もなくブイサインなんかをやってのける。
「今こうしてる時間を、おれが創った曲が流れる度に、美樹さんや、諒や光夜が思い出してくれるようにおれも頑張る。ホントありがと、美樹さん」
おれは言って、いつの間にかウエイター君が運んできたらしい何杯目かのアイスコーヒーを飲み始めた。
それから更にアレコレと話し続け、少し百人町のレコード屋を回ってみようということになって、店を出て小滝橋通りを歩きはじめた。
「ヘンなトコでミョーなモン見付けちまったなぁ」
不意に、おれと美樹さんの前に立ちはだかって、そいつは言った。長身でサングラスかけてる。このクソ暑いってぇのにあれなんつーの?ソバージュ?で?長髪で?茶髪で?や、茶髪は関係ないわ。
「誰?知り合い?」
ついついおれは指さして美樹さんにそう言ってしまった。礼儀には礼儀を、不躾には不躾を、って誰の言葉だったっけ。おれは念のためジーンズのポケットに手を突っ込むと、ポケットの中にあるブツのスイッチを入れる。
「へぇ、俺のこと知らない無知な人間がまだいたなんてなぁ」
な、何じゃこやつぅ!
「本当に知らない?
一瞬だけ美樹さんがこいつをさん付けで呼ぶのに躊躇ったような気がした。
そういえば耳に入ってきたことがあるような……。あぁそうだFMで特集かなんか組んでて、確かやたらにがなった声をオクターブとかハイトーンとか言って、声楽ちゃんと勉強したことあんのかな、って思ったかな。思ってないかな。どっちでもいいか。
「実物見たの初めて」
こともなげにおれは言うと、美樹さんはおれに向かって少し呆れた顔をした。
「どうも。こんなところで会うとは思いませんでした」
「しかも男連れでな。ヤバイんじゃないのぉ?グラサンだけじゃこうやって簡単にバレちまうんだぜ。一気に週刊誌のトップ飾れるかもな」
美樹さんが社交辞令でも挨拶してるのに、一体こいつは何様だ。あとグラサンって普通に言う人、初めて見た。
「別に。週刊誌なんかちっとも怖くないですけど。御心配どぉもありがとうございます」
声の温度が低いなぁ。社交辞令だと判る態度に言い方。伝わってきちゃう。美樹さん、こいつのこと嫌いなんだろうな。
「マスコミが見つけなくてもこの俺がタレ込めば一発さ」
「どうぞ御自由に。そういえば貴方もマスメディアの人間ですものね」
美樹さんはトゲのある言い方でもって竹野を一蹴。いやぁ格好良い女性だ。こういう毅然とした態度は凄く格好良い。
「相変わらずだねぇ、あんたの言動は。流石成り上がり」
こいつの態度も流石としか言いようがないんだが、これだけされても立ち去らないということはもしかして美樹さんのこと好きなのか。だとしたら……やめとこう。めんどくさ。
「失礼します。行こう貴」
こいつが立ち去らないもんだから、美樹さんが踵を返す。
「どーせ連れて歩くんなら今度からはもっと背の高いイー男にしろ。俺みたいに。そんなちびっちゃいの連れてもカッコつかねぇぜ、成り上がりさんよ」
なんかおれ漲ってきた!や、喧嘩なんかしやしませんがね。我ながら大正解。そんならばちょいとばかり痛い目でも見てもらいましょうか。
「どーしたおチビちゃん。あんな女と一緒にいたらかってお前も有名人気取りか?」
お前、中坊時代のおれだったら今頃鼻血ブーで無様に寝転がってっかんな、まじで。こう見えても前川中学の水沢には手を出すなって恐れられてたくらいなんだから。
う、嘘じゃないぞ!ホントだ!
「黙って聴いてりゃ失礼なお方ですねぇ。美樹さんに対して無礼千万。それに人のことチビチビって。美樹さん、この無礼な人に
あくまでも言葉はおどけつつ、でも視線は真剣そのもの。久しぶりにグググ、と眉間に皺を寄せ、男を睨みつける。不敵な笑みも忘れない。
「いい訳ないでしょ。ていうか何?ひえんしっぷーきゃくって、必殺技?」
その突っ込み魂にひれ伏したい。
「そう!飛び二段蹴り!ちなみにおれ少林寺拳法二段ズラ!」
準備運動しないで急にやったらおれが怪我するかもだけど。
「ズラ……。え、そういう武術って喧嘩で使っちゃいけないんじゃないの?」
良くご存じで。習い始めた時に先生にそう教わるんですよ。喧嘩で使っちゃいけないって。
「そうですよ。トーシロさんなんてよわよわで相手にならんですから」
「じゃあダメじゃないの。さ、行くわよ」
「へぇい。……あ、そうだ。これなーんだ」
おれはさっき手を突っ込んだポケットからポータブルカセッテーププレイヤーを取り出して、男にそれを見せた。
「は?」
サングラスに隠れて目の表情までは判らなかったけれど、眉がピクリ、と動いたのは判った。
「とぺぺぺん!ぼいすれこーだぁ~!びよんびよんびよぉ~ん」
未来から来た猫型ロボットの物真似をしながらおれはそのプレイヤーを空高く掲げた。おれのプレイヤーはね、録音機能が付いていましてね、ちょいとね、先ほどポケットに手を突っ込んだ時に、録音ボタンを押しておいたのですよ。だって見た目からシャバそうな奴だったし。
おかげでお気に入りの音楽を詰め込んだカセットテープが一本駄目になってしまいましたけれどもね。
「はぁ?」
「美樹さんのことさ、嫌いで嫌いでタレ込んで貶めてぇんならどうぞご自由に。こちらも嘘偽りない事実を提供いたしますんで」
「貴様……」
弱みを握られてしまったようだね、自分の迂闊さで。迂闊オブ迂闊!自分の迂闊さを呪うが良いオブ良い!
「知ってる!貴様って、たかさま、って書くの」
だから字面で見るとおれが様って呼ばれてるみたいになる!
「ちょっと貴!」
まぁ向こうも業界人みたいだし、無用なトラブルは避けるべし、なのも判るけれどね。先に脅迫してきたのは向こうさんだ。それにこういう人種は信用したって何の得もない。散々っぱらクソみたいな目に遭ってきたんだ。おれには判る。
「いやいや美樹さん、取引ですよ。そちらさんがこっちの事情を理解しないでスキャンダラスな売り込みしようってんならこちらも対抗しようって話で」
「……それもそうね」
「でしょ」
こっちも家庭があるし、結婚だって控えてんだ。涼子さんがそんながせを信じる訳もないが、ゴシップ命!というマスコミにあれこれ嗅ぎまわられるのも正直鬱陶しい。あ!週末式場行かなきゃだった!
「ま、そちらさんがヘタ打たなきゃ、こっちも売りやしませんよ。どれほどにお偉いお方なのかは存じ上げませんがね、公平に行こうじゃありませんか、何事もね」
だから、仮にあんたが判ったと言ったって、俺はこのデータは消去はしない。
「でも脅迫可能な立場にいるのは変わらないわよ」
「や、そらお互い様でさ、この手のお方にはこうした処置は必要ですよ、美樹さん。おれだって昔は業界にいてADとかやってたんだから」
「え、そうなの?」
そ。それで散々っぱらクソみたいな目に遭ってきたんです。
「です。ちなみにカラオケ業界で、一番下っ端のペーペーでしたがね」
「……貴様らがそれを売った時点で」
明らかに狼狽した声に変わった。いや愉快愉快。愉快ついでに一言だけ。
「売らねっつってんだろうが。聞いてねぇのか人の話」
ちなみにもう録音してないから。
「ふん!」
「お疲れ様でしたー」
頭も下げずにおれは奴にそう声をかけた。ま、これで何かしでかすようなら程度も知れるってもんでしょ。
「もう、喧嘩するかと思っちゃったでしょ」
「だぁってさぁ、あいつ散々美樹さんに失礼なこと言ったじゃん。バッカじゃねぇのあのナルシー野郎、な、に、がっ、おれみたいにイー男にしろだ」
あぁ胸くそ悪ぃ。
「でも貴はこれからデビューするんだから、あんまり他の芸能人といざこざ起こしちゃ駄目よ。あたしのことは言わせておけばいいんだから」
そう言って美樹さんはおれの肩にポンと手を乗せた。
「へぇい」
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