水沢貴之
08:suffer
「次の曲は……
そう
とはいえ自信もなければプロとしてやっていく程の腕があるとも思えない。何故光夜はおれのベースなんて欲しがったんだろうか。全くもって理解不能だ。
そんなこと言ってる間にも、一秒でも多く楽器に触ってないと……。
淳と少ちゃんが創った曲、
「ただいまぁ」
小声で言って、なるべく物音を立てないように中に入……ごんっ!肩にかけたベースのソフトケースがドア枠の上に当たった。し、しまった。
「あ、おかえんなさい」
そう、普通のトーンでぱたぱたとスリッパを鳴らしながら玄関に近付いて来るのは、我が最愛の婚約者、
……いいんだ、合ってる。だって涼子さんだもの。
「待ってなくても良かったのに……」
四苦八苦しながらブーツを脱ぐと、マイルームに入る。
「待ってたかったから」
少し無理してるのが判る。目が眠たそうだけど、でも嬉しいこと言ってくれるなぁ。
「風呂入ったら少し呑むけど付き合う?眠いんなら眠ちゃえよ、明日も仕事なんだから」
涼子はおれの姉が経営している喫茶店で働いている。将来は姉のように自分の店を持ちたいと思っているらしく、必要な資格は総て取得済み。頭が下がるとはこのことだ。
「じゃ、ちょっとだけ付き合おっかな」
涼子の夢を叶えるためにも正念場って訳だ。樹﨑光夜が新しく発足するバンド。二年の沈黙を破って復活した樹﨑光夜が自ら結成したバンドだ。話題にならない訳がない。どういう訳か、そのメンバーに俺が選ばれた。諒の推薦がでかかったのだろうが、経緯や理由なんてもはやどうでも良い。そのバンドのメンバーとして一意専心、粉骨砕身の思いでやるしかない。
ま、でもとりあえずは風呂だ。すっきりさっぱりしよう。
「どぉ?曲創り。進んでる?」
シャワーを浴びた後に六畳間に入ると既に涼子がアーリータイムズを用意してくれていた。
「さんきゅ、涼子。曲の方はまだぜぇんぜん。どんなのにしようかなぁ、って悩んでるとこ」
「そっか」
何となく見透かされてる感じ。のんびりおっとりしているけれど、これでバッチリ鋭い女なのです、涼子さんは。
「ミドルテンポでノスタルジックなのとか、リフゴリゴリのLAメタルなのとかどっちも好きだしねぇ」
涼子はピアノ経験があるし、判ってもらえるかな。ドライブに行くと大体おれが好きな音楽かけちゃってるから、おれが好きな音楽はもう熟知してるし。
「ノスタルジックなのが感じのがいいな。あれでしょ、
言いながら涼子は氷の入ったロックグラスにアーリータイムズを注いで、手渡してくれた。やっぱり判っちゃうもんだなぁ。涼子が今言った
「ありがと。そういうの超好きだし、創ってみたいとは思うんだけどねぇ」
「何か問題?」
曲調とメロディーは、創れるかなぁ。簡単じゃあないとは思うけれど。
「大枠で歌詞も考えなきゃなんだよ。貴の歌詞原案にするからね、とか言われちゃって」
あの樹﨑光夜の眼鏡に叶う曲なんてそう簡単に創れるもんじゃない。とはいえ、曲の雰囲気は歌詞にも左右される。
「そうなんだ」
「作詞苦手だからなぁ」
昔から文章、いわゆる小説や物語を書く趣味はあったけれど、文章を書くのと作詞では全然感覚が違う。どうもおれは、歌詞独特の言葉回しや定型が身に付いていない上に、説明文のような書き方をしてしまう。挙げ句、それを後から見てみると、まぁ青臭いったらない。
「そぉ?高校時代に諒君達とやってた曲、今でも好きよ。あれ創ったの貴じゃない」
本当に良くできた彼女ですこと。
「それは思い出補正という美化……」
「そんなことないよ」
楽しそうに笑いながら涼子は言う。しばらくそんな話を続けていると、不意に涼子が舟を漕ぎ出したから、グラスに残った酒を一気に呑んで立ち上がった。
「涼子、寝よ」
「んぁ、うん……」
ウホ、カワイイ。
は!いけないいけない。さっさと寝室に涼子を運ぶ。涼子を布団に寝かせると、ほどなくして涼子の可愛らしい寝息が聞こえてきた。たまに、普段の涼子さんからは想像もつかない「んごっ!」声というか音というか、そんなものが聞こえることがあるけど、それがめっちゃ面白い。
涼子の「んごっ!」がないので、あれこれと考えてみる。
樹﨑光夜というアーティストの楽曲は、スピードロックがあったり、クラシカルな演奏を盛り込んでみたりとエンターテインメント性に富んでいる。あれやこれやと音を足して。電子楽器、オーケストラ、ボコーダー、様々な機器やエフェクトを盛り込んで。そんな音楽ばかりをリリースしてきた光夜が、何故ロックバンドを選んだのか。その本質とは何か。
答えはいくつかある。そのいくつかの答えの中に、水沢貴之という存在を投影してみる。
できるだけ客観的に。後ろ向きな個人的要素は捨て、樹﨑光夜が望む水沢貴之を。
(ふむ……)
少しだけ、見えた気がした。
それはきっと、樹﨑光夜が水沢貴之を選んだ理由の一つでもあるのかもしれなかった。
「んごっ!」
電話の音で目が覚めた。あれこれ考えているうちに寝てしまったらしい。慌てて腕を伸ばし、受話器を取る。
「もしもぉし、水沢ですけど」
『あ、貴?光夜大明神ですけど今日さ、ちょっと練習こないでいいや。ある人と会って欲しいんだ』
光夜からだった。「ちょっと練習にこないでいい」ってのは一体どういうことなんだ。
「なぁんだ光夜か。曲だってまだ全然なの判ってんでしょ?そんな余裕ないって」
おれは布団から這い出て光夜に言う。
『なぁんだとは失礼だなぁ。少しでも協力できればと思ってその人紹介しようと思ってんのに。そっか、じゃいいや別に。一人で頑張ってくれたまい。お節介なリーダーはこれにて失礼いたす』
「や、ちょま!待ってくださいませ、光夜大明神様!会います会います、会わせてください。だからお願い、機嫌直して」
……情けない。猫の手も借りたい、いや、藁をも掴むこの状況。
『うん。ごちそーさま』
「コラ、何がごちそーさまだ」
『明日のお昼』
ですよねー。このヤセの大食い馬鹿光夜。とは口には出さない。
「わ、判りましたですよ。で?誰と会うの?カワイイ?」
キッチンまで歩くと、テーブルの上に涼子が残してくれた書き置に目を通すと、冷蔵庫の中からたまごサンドを出す。どうやら昼飯を兼ねた朝飯を作って置いてくれたらしい。たいへんにありがたし!土下座レベル!
『可愛いってよりは美人かな』
「女の子な訳ね。で、誰子ちゃんですか」
神の味がするたまごサンドをぱくつきながら言う。うまい!土下座レベル!
『教えなーい』
え、それはどういう了見ですか大明神。
「何それ。それじゃ会いようがないじゃないの」
これはあれか、光夜の遊び心。
『二時に大久保の珈琲館にいるよ。貴の写真渡してあるから、向こうは貴の顔知ってるし、貴もすぐに判ると思う。じゃ、くれぐれも粗相のないようにね』
あ、え、会話終わらせる気なの?ていうかおれの写真って何?なんで光夜がそんなもの持ってるの?
「え、ちょ待て。光夜!おいぃー!」
なんなんだ一体。判らないことだらけだぞ。一方的な電話してきやがって。でもこうなっちゃ仕方ない。光夜の紹介だし、会わせてくださいなんて言った手前バックレる訳にもいかない。確か二時って言ってたな。
「あと三時間はある。楽勝楽勝 」
とりあえず、涼子さんの愛妻……はまだ早いか。ともかく愛情たっぷりのたまごサンドをゆっくり堪能しますかね。
一三時四五分。
火曜日だっていうのに授業をフけた学生達が沢山いる。何年か前までおれもこの中にいたと思うとちょいと懐かしいね。細い路地に入り、右手に見える珈琲館に入る。客は、店の中にも関わらずサングラスをかけた女性が一人。おれに向かって小さく手を振ってきたから光夜が言っていた女性で間違いない。どこかで見たような気がする。確かに美人だろう。サングラス外したら判らないけど。彼女は店の一番奥の席にいる。おれが彼女の顔を見ながらそこへ向かって歩いて行く途中、彼女はチラリとサングラスを上げた。
(あっ!)
「さ、さぁぁっ」
「しぃーっ、こんなとこで名前言わないで」
良く通る奇麗なソプラノ。彼女の向かいに座ると声を潜める。
「やっぱり
「御名答。御褒美は今日一日あたしとのお付き合いと夕食、ってことでどぉ?」
元アイドルで、数年前からシンガーソングライターになり、出す曲出す曲ミリオンセラー。最近じゃあ女優業までこなすスーパーアーティストだ。
「音楽のことでなら、喜んで」
内心はどぎまぎしつつも、何とか平静を装っておれは言う。あぁ、若干顔がひきつってるかもしれん。
「当然、あたしもそのつもり」
おれの緊張を見抜いたのか、美樹さんはクスクスと笑って、アイスコーヒーのストローに口を付けた。
「おれの名前、光夜から聞いてるよね」
「うん、
そりゃあそうか。
「じゃ、おれが素人同然だってことも?」
「それは聞いてないけど……。だっていい弾き見せてもらったって言ってたよ」
そんなこと、一度も光夜の口からは出たことがないけれども。
「ま、まぁ光夜の審美眼はまた別問題で、バンド自体は中学からやってましたけれどもね、プロになろうなんて思ってもなかった訳で……」
働くようになってからも社会人バンドに参加していたことはあったけれど、それだって本当にただの趣味バンだった。
「そうなんだね。でもさ、こうなっちゃったら経緯なんてもう関係なくない?やるしかないんだもん」
確かに美樹さんの言う通り。返す言葉もございません、ってなもので。
「そりゃ、ごもっとも……」
「でしょ。そりゃあいきなり自信持てなんて無理な話だけど、結局貴君の
おれにしか出せない音、か。
「なんだかなぁ。みんなおれのこと買いかぶりすぎ」
自覚と他人の評価が違うことなんて常だけれど、これは本当に、いかんともしがたいことですよ。
「そんなことないんじゃない?あたしはまだ貴君のベース聴いたことないから何ともだけど」
それも樹﨑光夜の眼鏡に叶った男、という色眼鏡が付く訳だ。
「貴、だけでいいよ。君なんてこそばいこそばい」
おれは美樹さんにそう言うと、ウエイター君にアイスコーヒーを頼んだ。
「そぉだ、諒君は元気?
「あぁ、諒のことも知ってるんだ、元気だよ。夕香とも相変わらずうまくやってるし」
ということは、諒とは高校時代からの親友であったり、淳が従弟であったりという情報は知っていそうだ。
「諒君ね、何度かあたしの曲叩いてくれたことがあって、それで仲良くなったの」
「美樹さんの楽曲を叩くなんて、奴も成長したなぁ」
プロっぽい話だ……。いやプロなんだから当たり前だけれども。
「あはは、あたしの方が曲のドラム叩いてくれて感謝だけどね」
「そりゃあヤツもドラマー冥利に尽きるってもんです」
「だといいけどねー。でさ、話変わるけど、貴はどんな曲創ろうとしてるの?」
美樹さんは頬杖をついて言う。うはぁ、絵になるなぁ。流石は元アイドル。
「まだ決めてないんだけど、基本的にLAメタルとかハードロックが大好きだからそっち系になるかなぁ」
「それにしたって曲調とかいろいろあるじゃない」
それもそうだけれども。そもそも岬野美樹という人は、LAメタルやハードロック畑の人ではない。
「だね。……ちょっと長くなるけど大丈夫ですか」
「そのためにきてるのよ」
「そうでした」
感謝感激雨土下座レベル。
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