最終話 「居酒屋にて」

 居酒屋に行きたいと提案したのは土井つちいだった。

 15時に集合して、服を選び終わる頃には18時。

 妥当な提案だったため、課長も僕も賛成した。



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「雪路は酒、飲めるのか?」

「あっいや……」


 土井の質問に「飲まない」と答えようとして、躊躇ためらう。

 これまでは、酔った自分が何をしでかすか分からなくて怖いと思っていたから、飲まないようにしていた。

 勿論、今もそれは変わらない。


 ……だが、本当にそれでいいのだろうか。


 僕の目の前に座っている土井と、隣に座っている課長を見る。

 この2人は、他でもない僕のために時間を割いてくれたのだ。

 それなのに、ここで付き合いの悪い返事をしたくはない。

 会社での人間関係。

 これだって、僕が向き合わなければならない課題の1つだ。


「……飲めるよ」

「ならよかった。すみませーん、生3つお願いします!」


 喜色満面の笑みを浮かべて、土井は店員に注文した。

 そういえば、2人は酒を飲んでも大丈夫なのだろうか。

 有休を取っている僕とは違って、明日も仕事なのに……。


 いいんですか? と、課長に視線で尋ねてみる。

 すると、彼はやれやれといった風に肩を竦めた。


「今夜は俺の奢りだ。遠慮するな」

「まじすか! さすが勝先輩。太っ腹~。じゃ、焼き鳥と唐揚げも注文しときますね! 店員さーん」


 待ってましたと言わんばかりに、土井は注文を始めた。

 確かに遠慮するなとは言われたが……それにしたって、はしゃぎ過ぎではないだろうか。


 土井が、こちらに親指を立ててくる。

 もしかして、僕が課長に奢りを強請ねだったのだと思われているのだろうか。

 そういう意味でアイコンタクトを送ったわけじゃないんだけどな……。

 むしろ、全く逆のことをしようとしていたんだけど。


「ありがとうございます」


 だが、わざわざ訂正する必要はないだろう。

 せっかく奢ると言ってくれているのだ。

 ここは素直に感謝しよう。


 あまり声を大にしては言えないが、正直、奢ってもらえるのは有難い。

 自ら望んだこととはいえ、最近は出費が激しかったし……。


 手元の紙袋に視線をやる。

 想定より多く買うことになってしまった。

 今月は質素な生活を強いられるだろう。

 いや……元から質素だし、あまり変わらないか。


「お待たせしましたー。生3つですー」


 最初に頼んだビールが、どんっと勢いよくテーブルに置かれる。

 振動で泡がジョッキから零れる。


 それを見て、土井が「うひょー」と声をあげた。

 彼は、大学時代は居酒屋に行かなかったそうだ。

 だから、こういった“いかにも居酒屋”という状況を見ると、興奮するのだろう。

 僕も同じだ。


「じゃ、乾杯しますか!」

「そうだな」

「あ、うん……?」


 ジョッキを持ち上げながら、首をかしげる。

 何について乾杯するんだろう。


 っていうか、ジョッキが想像より大きくて重たい。

 飲みきれるのだろうか……。

 そんなことを思っていると、土井が音頭をとり始めた


「では、雪路のデートの健闘を祈って~……乾杯っ!」

「乾杯」

「!?」


 驚きながらも、なんとかジョッキを軽くぶつける。

 いい音が鳴った。

 言いたいことはあるが、流れに従ってとりあえず口をつける。


 本当に飲むのか?

 今ならまだ引き返せるんだぞ。

 そんな考えを打ち消すようにして、勢いよく流し込む。


 ……意外と、すっきりとした味わいだ。

 苦味も少しはあるが、耐えられないというほどでもない。

 なるほど、これが生ビール。


「ぷは~っ」


 気持ちよさそうな声を出して、土井はジョッキを置いた。

 少し軽い音。

 どうやら、いっきに飲み干したらしい。

 既に頬が紅潮している。


「飛ばし過ぎるなよ」

「わーかってますって!」


 課長の注意に調子よく答えながら、彼は追加の生ビールを注文した。

 明日は2日酔いで苦しむことになるだろう。

 ……シオと会うんだし、僕は少し控えめにしておこうか。


 土井の様子を見て、課長はため息を吐いた。

 何を言っても駄目だと諦めたらしい。

 この間の忘年会も、2人はこんな感じだったのだろうか。


 珍しいことに、僕の勤めている会社は年末に忘年会を開催している。

 その日はシオと行動していたから、参加しなかったのだ。

 死ぬ予定だったし、わざわざ参加する必要性も感じなかった……。


 いや。

 そもそも、僕はこういう場に顔を出してこなかった。

 数回だけ参加した時も、なるべく目立たないようにして端っこでスマホを触っていた。


 ジョッキに口をつける。

 鼻が熱くて、詰まったような感じがし始めた。


「焼き鳥と唐揚げですー!」


 元気よく、店員が皿を置く。

 美味しそうだ。


「いいのが買えてよかったな」


 焼き鳥を手に取って、課長が言った。


「え……あっ」


 服のことを言っているのだと理解するのに、数秒かかった。

 慌てて姿勢を正す。


「はい、課長と土井のおかげです。

 本当にありがとうございました」

「とは言っても、ほとんど店員が選んだろ」

「ま、まぁ……」


 苦笑する。

 否定は出来ない。

 この紙袋の中に、2人が選んだものはないからな……。


 あれこれとコーデを考えてくれていた2人だったが、回数を重ねるにつれて、だんだんと変な方向に力が入っていった。

 サングラスにアロハシャツの組み合わせを試着したのが最後だった。

 全身タイツを渡され、僕が「それはさすがに……」と中断したことで、ファッションショーは幕を閉じた。


 2人もすっかり正解を見失い、途方に暮れていた。

 すると、それを見兼ねた店員が声を掛けてくれたのだ。

 要望を聞いて、手際よく何着か候補を見繕ってくれたため、疲れていた僕はそれらを全て購入しすることに。

 おそらく、今日買ったもので1週間はファッションに困らない。


「デートの結果、教えろよな〜」


 呂律の怪しい口調で、土井が下品な笑みを浮かべる。

 すっかり酔いが回ってしまっているようだ。


「デートじゃないよ」


 だが、ここはシオの名誉のために訂正は欠かさない。


「おいおい。高坂こうさかは照れ屋なんだから、そんなに突っつくな」


 課長が土井を咎める。

 ちょっと違う方向に。


「だってぇ〜。最近の雪路、頑張ってるじゃないっすかぁぁ。だからぁ、力になってあげたくてぇ」


 その言葉を最後に、土井は眠った。

 随分と早く潰れてしまった。


「寝やがった……ったく、無理して酒飲むから」

「土井って、酒弱いんですか?」


 気になって聞いてみると、課長は「ああ。忘年会でも飲んでなかったぞ」とため息を吐いた。


 目を見開く。

 正直、酒には強い方……または、弱いけど頻繁に飲むのだと思っていた。


「どうして今日は飲んだのでしょうか。明日は仕事なのに……」

「お前と飲めて嬉しかったんだろうよ」

「え?」


 聞き返すと、課長は苦笑した。


「知らなかったのか? 涼太のやつ、ずっとお前と飲みたいって言ってたんだぞ」

「……知りませんでした」


 初耳だ。

 そもそも、一緒に飲みたいと思われるほど親密な関係ではないはずだ。

 最近はよく話すようになったが、去年は1日に1,2回くらい話す程度の仲だったのに。


 ジョッキを傾け、いつの間にか飲み干してしまったことに気づく。

 もうなくなったのか。

 思ったより早かったな。


 少しぼーっとするけど、酔ってはいない……はずだ。

 どうやら、僕はそこそこ耐性があるらしい。


「好意ってもんは、なかなか気づかないよな」


 他人からのも、自分の心にあるものも。そう言うと、課長はジョッキに口をつけた。

 ……もうそろそろ、無くなりそうだ。


 「追加で注文しておきますか?」と聞いてみると、課長は首を横に振った。


「土井を送って帰るからな」

「……ああ、そうですね」


 なら、僕も追加するのは控えておこう。

 シオとの約束もあるし。

 酒の代わりに、唐揚げに箸を伸ばす。


 シオ。

 シオ……。


 ぼんやりとした意識の中、彼女のことを考える。


 ……彼女が20歳を迎えたら、いつか一緒に飲んでみたいな。

 勝手な偏見だが、彼女は酒に強そうだ。

 僕が先に酔い潰れてしまうかもしれない。

 それは困るなぁ。

 彼女の前では、頼れる大人の男性でいたいのに……。


「近々、お前に重要な仕事を任せようと思ってるんだ」


 突然、課長が言った。


「不思議そうな顔だな。最近は結果も出してるだろ? 仕事が出来る奴には、重要な案件も任せられる。当たり前のことだ」

「え、あ、ありがとうございます」


 咄嗟とっさに頭を下げる。

 惚けていた頭が、完全に冴えた。


 重要な案件。

 この言葉に不安は覚える。

 だが、それ以上に嬉しいという気持ちが溢れた。

 シオと別れてから2週間、必死に頑張って手繰り寄せた成功。

 それを、課長に見てもらえていたのだ。


「当たり前のことだって言ったろ。分からないことがあれば、いつでも聞いてくれ」

「はい!」


 満足そうに微笑を浮かべて、彼は唐揚げを口に入れた。

 そして、店員に唐揚げの追加注文。

 気に入ったらしい。

 今後のためにも覚えておこう。


 ふと、微かに着信音が聞こえてくる。


「俺のだ」


 そう言って、課長は席を外した。

 仕事の電話だろうか。


「ぐがー」


 課長と話していて気づかなかったけど、土井はいびきをかいていた。

 出先でここまでリラックスできるのは、ある意味では才能かもしれない。

 ……ひょっとして、かなり疲れていたのだろうか。


「すまない。緊急で仕事が入った。土井のこと頼んでもいいか?」


 席に戻ってすぐ、課長は言った。

 表情から察するに、かなり急ぐようだ。


「分かりました。今日は本当にありがとうございました」

「ああ、会計はしておく」


 そう言うと、課長は足早に会計へと向かった。

 急いでいるのに……律義な人だ。

 こういう人だから、どんなに厳しくしても部下に尊敬されるのだろう。


(それにしても……)


 プライベートと会社とでは、全然違ったな。

 会社でいる時の彼はもっと無口で、必要な指示やアドバイスしかしないイメージだ。

 だけど、プライベートはなんというか……普通の人間のように感じた。


 ……さて。

 目の前で突っ伏して眠っている土井に、視線をやる。


 彼にも世話になった。

 それに、これからも同僚として……仕事仲間として、交流を深めていくつもりだ。

 家に送るくらい、どうということはない。


「土井、土井」


 肩を揺する。

 こうして、僕は酔っ払いの介抱という試練に足を踏み入れた。


 担ぎ出すのに散々苦戦した挙句、彼は最後の最後まで「住所を黙秘する!」と訳の分からない黙秘権を行使し続け……。

 最終的に、僕の部屋に上げることとなったのは、また別の話だ。



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ここまで読んでくださり、ありがとうございます!

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「プチ後書き」


番外編まで読んでいただき、ありがとうございました。

いよいよ、全てを通して“完結済み”となります。

寂しいような嬉しいような……という気持ちです。


正直、ここまで読んでいただけるとは思っていなかったので……本当に光栄です。

楽しんでいただけたでしょうか。


ここまで、沢山の方に支えられてきました。

本当に、ありがとうございます。

またどこかでお会いしましょう。

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