第2話 「男3人で行くアパレルショップ」

 車のエンジンの音で、意識が浮上していく。

 駐車場からだ。

 誰かが外出するのだろう。


 寝返りをうつ。

 ……2度寝、出来るだろうか。


 そんなことを思っていると、追い打ちをかけるようにして子どものはしゃぐ声が聞こえてきた。

 ひょっとすると、家族で出かけるのかもしれない。


 母親っぽい声の人が「忘れ物はない?」と確認。

 はしゃいでいて話を聞かない子どもに、父親と思わしき人物の声が注意をした。


 それから、何度か車のドアを開けては閉めてを繰り返して、ようやく発車した。

 大きな音楽を鳴らしている。

 車内でカラオケ大会でも開くのだろうか。

 かかっているのは、アン○ンマンのテーマ曲。

 懐かしい。


 ……よし。

 静かになったし、2度寝しよう。

 少し頭が冴えてしまったが……まだ許容範囲内だ。


 そういえば、こんなにだらしなく生活するのは久しぶりだな。

 シオと一緒にいた期間は、なるべくしっかりとした生活習慣を心掛けていたし。

 ここ1週間くらいは、家事の練習のために休日も早起きしていたし。


 最近は、仕事と家事の両立にも慣れてきた。

 だから、今日くらいはゆっくり起きてもいいだろう。


 ……決めた。

 昼頃に……起きよう…………。

 意識を手放しかけた、その時だった。


 ジリリリリリリ、ジリリリリリリ――


 目覚まし時計が鳴った。


 そうだ。

 今日は、服を買いに行くんだった。



--



 家事を欠かさない社会人の朝は、そこそこ早い。

 まず、起きたらパンをトースターにセット。

 で、コーヒー用の湯を沸かす。

 その間に歯磨き、洗顔。

 髭剃りも忘れない。

 水場は寒いから、冬の間は心を無にすることをお勧めする。


 パンが焼けたら皿の上に乗せて、バターを塗る。

 ジャムはお好みで。

 ちなみに、僕はバターだけ塗っている。

 甘いものが苦手だからね。


 次に、コップにスティックコーヒーの粉を入れ、湯を入れる。

 分離しないよう、しっかり混ぜておく。


 皿とコップを持って、リビングへと向かう。

 それから、最後の仕上げとしてテレビをつける。

 これが社会人の――僕の、新しい日常だ。


 テレビ番組はニュースだ。

 特に関心はないが、仕事で世間話をすることもあるため、話題を把握しておいて損はない。


『〇〇県△市で、女子中学生が屋上のビルから飛び降り、自殺を図りました。目撃者は「未だに信じられない」とのことで、精神的ショックを受けているようです。なお、女子中学生はいじめに遭っていたとされ、学校の対応は――』


 ……ニュース番組だからな。

 こういう暗い話は、絶えない。



 あの日、自殺を辞退していなければ……僕とシオもこんな風に報道されていたのだろうか。

 ぼんやりと、そんなことを考える。


 いや、どうだろう。

 あの場で辞退していなくても、僕は途中で逃げ出していたかもしれない。

 僕は臆病者だからね。


 そうしたら……シオは、きっと1人で死んだだろう。

 彼女の死にたい気持ちは、僕よりもずっと強いものだったから。


 彼女が死んだと知ったら、僕はどうしただろうか。

 ……正気ではいられない、か。

 自殺をやめようと言い出せなかった自分を、一生恨み続けたに違いない。


 結果論になるけど、逃げなくてよかった。

 ちゃんと、伝えてよかった。


 コーヒーを口に含む。

 暖かい。


 死んでしまった女子中学生には、そんな存在はいなかったのだろうか。

 この子にとっての正解が、自殺だったのだろうか。

 それとも、もう、正解なんてなくなってしまっていたのだろうか。

 僕には分からない。


 当たり前だ。

 あの子の人生を、こんな報道だけで知れるわけがない。


 それはきっと、僕だけじゃないはずだ。

 何を感じ、考え、思っていたのかなんて、本人しか分からないことだ。


 ……だけど、辛かったことだけは確かだろう。

 どうしようもないほどに孤独で、暖かい食べ物を口にしても、心は冷たいままだったのだろう。

 誰か……受け入れてくれる誰かが、傍にいてあげれば――


 カリッ


 パンをかじる音が、乾燥した部屋に響いた。





---



 待ち合わせ場所に行くと、課長が腕時計を見ながら待っていた。

 おお、革ジャン。

 意外だ。

 黒い革ジャンに、ジーンズ。

 変に若々しくない着こなし。

 なるほど、これが大人の魅力か。


「お待たせしました。課長、今日はよろしくお願いします」

「ああ、高坂こうさかか。……本当にスーツで来たんだな」

「……はい」


 我ながら情けない。

 だが、この羞恥心とも今日でおさらばだ。


土井つちいを見てないか?」

「いや、見てないですね……」


 そういえば、土井の姿を見ていない。

 もう待ち合わせの時間になるが……。


「おまたせえええええええええ!!」


 遠くから声が聞こえてくる。

 僕が来た方角からだ。


 振り向くと、猛スピードで土井が走ってきていた。


「遅いぞ」


 と、課長。


「いやあ、寝坊しましたっす」


 調子よく笑いながら、土井は汗を拭った。

 かなり走ったようだ。


 っていうか、寝坊って……。

 集合は15時だっていうのに……随分とゆっくりとした休日を過ごしていたようだ。


 咎めるつもりはない。

 僕も、少し前まではそうだった。


 土井の服装に注目する。

 今日の参考にするために、リサーチは必要だ。


 彼は、冬仕様の厚いパーカーを羽織っていて、下には黒い服を着ている。

 帽子はいつもの眼鏡とよく合っていて、活発という印象を受ける。

 なるほど。

 これがカジュアルコーデというやつか。


 それにしても、彼は何故モテないのだろう。

 こんなにかっこいいのに。

 身長が低いから……?


「なんだその目はっ」


 視線に気づいた土井が、すかさず反応する。


「あ、えっと……土井がモテない理由を探してた」


 上手く誤魔化すことが出来ず、そのまま伝えてしまう。

 こういう時、シオならどうにかシラを切れるのだろうか。


 ……いや、意外と不器用なところもあるし、僕と同じようなことを言うかもしれないな。


「なんで!?」

「なんでって……服がかっこいいから」


 そう言うと、土井は分かりやすく破顔はがんした。

 くねくねと動きながら「おま、いきなり褒めんなって~」と背中を叩いてくる。

 痛い。


「高坂、これが涼太のモテない理由だ。分かったか?」

「あ、はい」


 課長の言葉に頷くと、土井に睨まれた。

 現実を思い出させたことへの怨念がこもっている。


「そろそろ行くか」

「ちょ、俺の傷ついた心はどうするんすか!?」

「知るか。高坂、行くぞ」

「はい」

「ひどい仕打ちっ! 雪路まで俺を置いて行くのか?!」


 傷ついたと喚く土井を横目に、すぐそこのアパレルショップに向けて足を運ぶ。

 僕と彼の関係は、あくまで同僚だ。

 それも、表面的な付き合い。

 互いの心のケアをするような関係ではない。

 ならば、上司の判断に従う他に選択肢はないだろう。


 それにしても……。

 上を見上げて、固唾を飲む。

 筆記体のローマ字の看板が、洒落ていることを象徴しているようだ。


 こんなところに僕なんかが入って、大丈夫だろうか。


「早く行くぞ!」

「あ、ちょっと……!」


 いつの間にか元気を取り戻した土井に腕を引っ張られ、僕は半ば無理やりアパレルショップに足を踏み入れることになった。


「いらっしゃいませー」


 白を基調とした清潔感のある店内では、最近よく見かける服をマネキンが着ていた。

 きっと、流行の最先端を取り入れ、時には自発的に流行らせている店なのだろう。

 服に興味のある人間を対象としていることが、ありありと伝わってくる。

 BGMもそうだが、とにかく洒落ている。

 店員もきれいな人ばかりだ。

 こんなところで働かず、モデルになった方がいいんじゃないだろうか。

 ……そんなに甘くはないか。


 なんにせよ、1人で来なくて正解だったかもしれない。

 一応アイロンをかけたとはいえ、スーツ姿の僕は圧倒的に場違いだ。


「高坂はどういう服が好きなんだ?」


 課長が言う。

 仕事をする時のような、真剣な表情だ。


「どういう……。そうですね、大人っぽい感じがいいです」

「うひょー、雪路ってば大雑把だねぇ」

「俺達がいくつか候補を出すから、その中から選べばいい」


 課長が茶々を入れた土井を睨む。

 それを受けた彼は、慌てて「そ、そうだぞ! 俺たちに任せろって!」と自身の胸をどんと叩いてみせた。


「心強いよ」

「高坂、わざわざ涼太に優しくしてやる必要はないぞ」

「ひどっ!?」


 苦笑する。

 課長は、僕が気を遣って言ったのだと思ったらしい。


 だが、実際は違う。

 本当に心強いのだ。

 土井の私服もそうだが、彼は普段のセンスもかなりいい。

 仕事では誰もが見落としていた穴を指摘したり、お土産やプレゼントでは必ず相手を喜ばせることのできる人間なのだ。

 その代わり、ギャグセンスはないが……。


「おっ、これなんかどうだ!?」


 土井がグレーのカッターシャツを持ってきた。


「雪路はスーツ姿似合うし、こういうのを私服にしちゃってもいいと思うんだけど!」

「なら、下はこれを履いてみろ」


 無難な黒いズボンを手渡される。


「分かりました。着てきます」


 そう言って、試着室に入る。

 試着なんて久しぶりだな。

 スーツを買った時が最後だった。

 大学に入学する前だったよな……懐かしいな。


 試着室の向こうから、「これとこれはどうだ?」「いや、それは――」と話し合う声が聞こえてくる。

 まずい。

 このままだと、試着が追いつかない。

 早く着替えよう。



 試着室を出ると、2人は「おお」と揃って歓声をあげた。


「似合ってんな!」

「悪くない」

「あ、ありがとうございます。じゃあ、これにしましょうか?」

「さーて、次はこれを着てみてくれ」


 なぜか無視され、新しい服を渡される。

 試着室の向こう側からは、2人が服を吟味する声が絶えず聞こえてくる。

 かなり熱心な様子だ。


(これは、なかなか終わらなさそうだ……)


 こうして、3時間に及ぶファッションショーが開催されることとなった。






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次回 2023年1月21日18:00更新

最終話 「居酒屋にて」


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次回がですね、正真正銘の最終話となります!

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