第8話 勾玉
最初は僅かな違和感だった。
普段と調子が違うと思った。
他愛のない事に労力がいる。
女霊はドライバーに憑いている地縛霊だった。そしてこの強姦魔は卑小な男鬼でしかない。その両者の悪戯を払うのにも、力を要した。
女霊の武器はその黒髪だ。
ショートボブの髪型なのに、その髪が槍のように伸びて先鋭な切っ先を持っている。それが左右でゆらゆらと眼を狙っている。後部座席を覗き込んで、にやにやと痴呆じみた笑みを崩さない。
彼女はタクシーに置き忘れたバッグを、届けついでにドライバーに強姦されて、その後はその部屋で自殺している。そして彼への怨念から地縛霊となって妄執している。
男鬼の武器はその触手だ。
タクシーを巧みに運転しながら、後頭部から男根のような触手でちょっかいを出している。その亀頭に当たる部分には、小さな果実サイズの人間の顔がある。目び開かぬ胎児のような表情のない貌立ちから、蛇のように小さな舌を伸ばしている。
ドライバーを守るためのアクリル板を、その触手は越えるほどの長さを持っていない。小さな口から呪詛のような呟きと、生臭い呼気だけが届いてくる。
「その乳房をよ、桃みたいに噛み潰してやる。こう尻に乗ってよ、手綱のように髪を引いて後ろからやってやる・・・」
その口から淫靡な男鬼の内心を吐露している。
前席に座りながら、それらが私の身動きを止めている。
また髪の矢先が飛んできたので、ち、と蒼白い火花を散らしてやる。目線で冷凍破砕しているだけで、身じろぎもしてはいない。
いつもの私ならば、瞬きでもするような他愛もない防御だけど、今ではそれは甲虫を握り潰す程度の精神的な労力を伴う。
能力の発動が抑えられている。
私ははたと思い出した。
六龍珠という勾玉。
それは、弱きものに発動すると言っていたではないか。
能力は、ただで湧くようなご都合の良いものではない。
つまり、私のを削り与えた結果が今の窮地ではないか。
この密閉空間から早く出なければならない。
「雪深いのね。信州とは積もり方が違うわ」
ラッセル車により道路の両脇に避けられた雪壁で、堀の底みたいになった市街路を進んでいる。
「この辺りは新雪が毎日ですからね。お住いは信州なので?」
「ええ、彼方では巌のように硬く凍った雪になるわ」
「此方でも新雪のガワがあるだけで、中身がガチガチですよ」
人間の口の方は、さり気なく時候の挨拶は出来るようだ。
「その、あんこうの美味しいお店というのは、遠いの?海から随分と外れて行くようだけど」
「いいえ、ご心配なく。その通り道になりますよ」という言葉のどこに信頼が置けるのだろうか。
そして私は、また求厭の言葉を思い出す。
六龍珠は結界の外に出すべきではないと。
そして浮遊霊ですら、魍魎に格上げする増幅能力を見せると。
違和感があるのは、あの男がそれを直視するのを嫌がったということだ。私の能力が自らに転移を畏れたのか、あるいは私よりも高次元の力を持っていて、それが奪われるのを畏れたのか。
「ほら、ここです」
そう人間の口が語った。
そこは店舗どころではない。
球泉洞と掘られた板看板がその岩肌に掛けられている。周囲は氷壁になっていて、段差から氷柱が伸びている。
そこは鍾乳洞の入り口のようではあった。
その入り口には金鎖が欠けてあり、「立入禁止」の札が掛けてあったが、頓着せずに男鬼はそれをじゃらじゃらと解いた。それから首を傾げて私を促した。
憎悪を縦糸に織り、悔恨を横糸に練ったような深い闇。
それでもあのトンネルで見た、物理的な重圧のある闇ではない。だが禍々しい瘴気は届いてくる。
〈よかった、やっと繋がった〉と思念波が届いた。
私がタクシーを降りた瞬間だった。色葉が心配気に私の心を窺っている。
〈強敵なの?〉
ドライバーの男鬼もそれを躊躇なく乗り捨てた。彼の左肩口に女霊が尻を乗せて、振り返りながら見つめてくる。手をその後頭部に添えて、その手を男根にも似た触手が絡みつき、補助をしているようにも見える。最終的に彼女が自死を選んだ原因はその男鬼だろうに、振り解くことは出来ないようだ。
〈調子が悪いの? 何度も呼び掛けても届かなかったから〉
地縛霊が座っていることをを知らない彼は、それでも左肩を重荷を担ぐかのように不自然に落としている。
〈今日は二日目だから痛いのよ〉
〈嘘でしょ、六花姉は今月は月初めのはず〉
〈何か手助けは必要?するしない?〉
〈そうね。まだ痩せ我慢はしていたいかな。これでも矜持はあるのよ〉
外に出れば能力の減退は抑えられている。しかしながら鍾乳洞に入るのは再び閉鎖空間に入ることを意味する。
しかしその深淵を確かめることに逡巡はない。
なぜなら僅かな波動を感じているのだ。
背中のディパックには保存ケースに収められた六龍珠がある。それが心臓が拍動するかのように動いている。妊娠した経験はないが、受胎すれば母体が感じるものかもしれない。
それに娘時代より愛用してきた小太刀がある。
多少の魍魎はこれで潰せるはずだ。
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